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復興フラッグ

<3.11あすへの証言> 復興フラッグ思い結ぶ

 2011年3月下旬、東日本大震災の津波が約160世帯あった家並みを奪った福島県新地町釣師地区で、がれきから1枚の日章旗が見つかった。誰のものかは分からない。救援に駆け付けた自衛隊員がその場に掲げた。旗は朽ち果てるたびにボランティアらさまざまな人の手で交換され、いつしか復興のシンボルとなった。

<浜には戻れない>

 「この旗も、海も嫌いだった」
 新地町釣師のトラック運転手川上亮さん(40)は震災直後、流失した自宅近くに掲げられた旗を見るのが嫌だった。「頑張れ」と言われている気がした。「もう限界だ」。反発したい気持ちだった。
 あの日、大津波警報が出て、亮さんは妻照美さん(41)と出先の名取市から自宅に戻ろうと、車で国道6号を南下した。宮城県山元町に入り、祖母が入所する老人介護保健施設の側を通った。「避難しているだろう」と思い、通り過ぎた。
 やがて水平線に白波が立ち、陸に押し寄せ始めた。国道から山側の脇道にハンドルを切り、命からがら津波から逃げ切った。
 その3週間後、祖母が遺体で見つかった。思い出のある自宅や、子どもの頃から親しんできた釣師浜と全てを奪った海。中学2年から始めたサーフィンとも縁を切る。浜に戻ることはできない。そう思った。

<海岸清掃が転機>

 自宅跡に近づくことすら避けていた。仮設住宅でふさぎ込む日々が続いた12年3月、照美さんがボランティアで取り組む町内の海岸清掃に誘われた。
 言われるままに足を運んだ釣師浜では、地元の仲間たちが黙々とごみを拾っていた。気が付くと自分も活動に加わっていた。当初は小さな活動だったが、旗を見に全国から来た多くの人々が参加するようになった。「みんな町のことを思ってくれている」。胸を打たれた。
 旗は自衛隊員ががれきの中から見つけた初代に始まり、自衛隊員が被災者への励ましの言葉を記した2代目、風雨にさらされて傷むと、ボランティアらが3代目を掲げ、メッセージを書き込んだ。
 訪れたバイク愛好家らが写真を撮り、インターネットで町への支援を呼び掛けたのを契機に、旗は広く知られるようになった。

<守り続ける覚悟>

 3代目も劣化した14年元日、バイク愛好家やボランティアらが、日章旗をモチーフに人の笑顔が輪になったデザインを考案。「復興フラッグ」と名付け、現在の4代目が登場した。
 旗と人は変わっても、新地に寄せる思いは脈々と引き継がれている。
 「楽しい海を思い出そうよ」。昨年3月、照美さんから励まされた亮さん。気持ちは以前とは違った。多くの人の善意をつないできた旗を地元の人間が受け継ぐ時だ。旗の管理団体「リバイバルF」を発足し、自ら代表になった。

 震災から間もなく6年。亮さんは今、元の自宅周辺の防災緑地化工事の仕事に就く。工事のため旗は町役場前に移され、工事が終われば元の場所に戻る予定だ。
 旗を降ろす日がいつになるのかは分からない。それでも、できる限り旗を守り続けていきたい。
 「やっぱり、この町と海が好きだから」
 町は旗を復興の象徴として保存していくという。
(報道部・菅谷仁)

2017年03月09日木曜日

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  1. 2017/03/11(土) 03:33:37|
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