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河北新報ニュースから

<回顧3.11証言>屋上か高台か 迫る波
                       河北新報ニュース

 防潮堤のすぐ内側に立つ避難ビルの松原住宅。
 4階屋上まで津波をかぶり、駆け込んだ住民らは柵につかまって必死に耐えた。
                                  宮城県南三陸町志津川

 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。
 東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。
 建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。
 入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)

  <葛藤>
 腰近くまで波しぶきが迫る。町営松原住宅の屋上。1階から避難した菅原恵さん(46)は夫昌孝さん(51)と、4歳の長男大ちゃんを水にぬらすまいと必死にかばった。
 「まさか、ここまで津波が来るなんて。神様、どうか助けてください。死にたくない」。柵にしがみつき祈った。

 屋上か、それとも高台か―。住まいは避難ビルだが、葛藤があった。震災発生から約30分。目の前に広がる海の異常な引き波を見て、菅原さん夫婦の顔はこわばった。「これはまずい」。津波の襲来を察知した。
 「どうする? 志津川小学校に逃げるか」。高台の同小までは直線で約1.5キロ。車で10分もかからない距離だ。「でも、橋が落ちて渋滞していたら終わりだ」。夫婦は屋上を目指す。

 松原住宅が立つ同町志津川地区の汐見町周辺は平地で、そばに高台はない。津波到達まで時間がないと予想される場合、松原住宅は一時避難所としての機能を担う。
 「到達予想の3時まで10分もない。早く逃げなければ」。松原住宅から約100メートル北東の公民館で、町職員石沢友基さん(28)は焦っていた。

 公民館に隣接する体育館にいた志津川高の卓球部員17人が外に飛び出し、うろたえている。「あの建物の真ん中に階段あっから、上まで上がっていけ!」。迷わず松原住宅への避難を指示した。
 当時、松原住宅には48世帯107人が入居。屋上に避難した44人のうち、入居者は22人だったとみられる。
 「頑張れ、頑張れ」。波が襲った屋上では、住民が声を掛け合い、柵にしがみついた。はるか遠くにさらに巨大な波が見える。「これ以上波が高かったら、もう助からない」。菅原さんは息をのんだ―。


  <集中>
 志津川小校庭。「あっ、波が乗った、ああーっ」。松原住宅の自宅から逃げてきた臼井恵美さん(35)は、波が住宅をのみ込む瞬間を目撃した。
 屋上に逃げようとは思わなかった。「高さが15メートルといっても、真っ正面から津波を受け止めるなんて。建物自体が防波堤みたいで怖かった」。駐車場では、入居者が慌ただしく車で避難しようとしていた。

 臼井さんは志津川小に通う2人の子どもを案じ、車で同小へ。ただ、ハムスターなどのペットを連れ出すのに手間取り、出発が遅れた。小学校付近の坂道は車が集中し渋滞。「5台ほど後ろの車が波でスーッと流れた」。危機一髪。津波はすぐ背後まで迫っていた。


  <救出>
 波をかぶった松原住宅の屋上では、修羅場が待ち受けていた。雷鳴とともに雪が吹き付ける。「上がれる人は上がって!」。波は大人のひざほどの高さで止まったが、住民らは次を警戒してエレベーターホールの天井に上った。水位が下がったのは午後5時すぎだ。

 屋上は雪で白く染まり、冷え込みが厳しい。石沢さんは避難者と協力し、水が引いた部屋からふすまなどを運び出し、風よけを作った。「辺り一帯はガス臭くて、明け方まで火をおこすことができなかった」
 菅原さんの背中で、大ちゃんが繰り返しせがむ。「ママ、おなかすいたよ」。低血糖で体調不良を訴える高齢者もいた。高校生が持っていたあめ玉や飲み物でしのいだが、衣服がぬれた住民の疲労は限界に近かった。

 屋上の避難者が全員救出されたのは、翌日夕方。徒歩で避難する途中、菅原さん夫妻は遠くに住宅を見やり、生きている実感をかみしめた。
 「怖い思いはしたけれど、あの建物が倒れなかったからこそ、救われたんだ」
                               2011年10月2日、河北新報

  <津波避難ビル>
 住民らが緊急避難するための海沿いのマンションやビル、公共施設。自治体が所有者と協議して指定する。内閣府によると2010年3月時点で、沿岸部の653市区町村のうち、指定されているのは137自治体の計1790カ所にとどまる。

                                 2017年03月08日(水)

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<震災6年> 首相 福島第2廃炉は地元尊重
河北新報ニュース

 安倍晋三首相は8日、河北新報などのインタビューで、福島県が求めている東京電力福島第2原発の廃炉について、事業者の東電が地元の意見を十分に尊重するべきだとの考えを明らかにした。

 -東日本大震災の復興をどう加速させるのか。

 「発災直後、がれきが延々と海まで続く街の姿、そこにあった住民の営みを思い、言葉を失った。あの衝撃を忘れてはならない。集中的な公共投資で復興は着実に進展した。東北の復興なくして日本の再生なし、という政権の基本姿勢にのっとり、必要なことは全てやり遂げる。切れ目のない被災者支援や住宅、産業の復興に力を入れる」

 -被災地では生活が厳しい家庭が多い。給付型奨学金に特別枠を設ける考えは。

 「被災地の未来は子どもたちであり、人材育成は極めて大事。確かに被災地では特別な困難に直面している子どもたちもいるだろう。被災地枠は、給付型奨学金の充実を図る観点から検討していきたい」

 -2020年東京五輪での「復興五輪」の定義は。

 「震災で多くの国や地域の支援を受けた。五輪は復興した姿を世界に発信し、支援への感謝を示す意義がある。復興の後押しになる機会でもある。海外の人が東北を訪れ、観光復興に寄与することは間違いない。風評被害も払拭(ふっしょく)できる。東北の食品を食べてもらい、世界に発信されることを期待している」

 -福島県が求めている福島第2原発の廃炉は政府が判断するべきではないか。

 「廃炉要望はよく承知している。福島の皆さんがそうした思いを抱くのは当然だ。東電は社会の意見や第1原発のバックアップ機能などの役割を含め、総合的に検討すると聞いている。福島の皆さんの声に真摯(しんし)に向き合った上で、判断するべきだと考える」

 -帰還困難区域の復興にどう取り組む。

 「たとえ長い年月がかかっても、全ての避難指示を解除し、復興に責任を持って取り組む。居住可能な地域を目指す復興拠点を設け、避難指示解除後の土地利用を想定した整備計画に基づき、除染とインフラ整備を一体的に実施する。引き続き国が前面に立つ」

                                  2017年03月09日(木)


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  1. 2017/03/10(金) 05:20:08|
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