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未知の思い



年末25日に、『同じ景色ない』を書いた。
「たいていのものは見ている」という思いは、まったく思い違いであると。

しかし、日課にしている散歩道の風景は、もうたいてい見ている、という思いは日常的に浮かんでくる。
だが、見尽くしているという思い込みは、間違っているのは冷静に考えれば分かるのだが、幾度も見る景色や草木に限れば、(あぁ、もう見慣れたいつもの景色だ!)という感覚が強くある。

ところが、学問や社会的な内容になると、全く逆の思いがうかぶことが多い。
(へぇ そういうことなのかぁ)と改めて思い直すのである。
すでに似たような解説やできごとには接しているはずなのに、まるではじめて知ったという驚きに近い感慨。

例えば、次のようなこと
4日の昼近く、なにもやることなく、新聞を広げ「朝日」1面の記事を読みはじめる。

「経済成長」永遠なのか、が見出し。
『いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろか (編集委員・原真人)』
記事は、このような問いかけからはじまる。(以下、「 」内の文は記事をそのまま転記)

「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。」
「GDP統計が初めて作られたのは、1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった」
「国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。」
「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問に、経済理論には答えがない。」

「経済成長」永遠なのか
その問に沿って、記事は2面いっぱいに続く。ここに書き写すことはしない。最後の結びの部分だけを。

「四半世紀わたるゼロ成長を過ごした日本人の意識に変化がうかがえる。」
「成長の鈍化はむしろ経済活動の『正常化』を意味しているのかもしれない。」


春闘で、30000円のベースアップを、労組執行委員長として体験した。右肩上がりの急激な経済成長を体験してきた。
だがこの25年間の名目成長はほぼゼロだという。自分たちが体験した春闘の欠片も感じられない。

話を戻す。
新聞記事を読むだけで、(そうかぁ そうなんだ。はじめて識った)という思いで驚く。
これは、景色などを見て思う気持ちと大きく異る。なぜなのだろう?

学問や社会的なできごとに対する認識と、自然などで感じるそれは、どこかで大きな相違がある。
どうしてこうなるのか、できれば知りたいと思う。
暇になって、っふふ わけもなくそんな気持ちになった次第である。

世の中は、まだまだ知らないことばかりで満ちている。散歩道での(知り尽くした)との思いの対極である。
だからどうした、ということではない。そういう認識、または感覚が自分にある。
77にもなれば、もう少しましなことを考え、書けそうだが、それもできない。

うう、もう止める。どうしてこのような訳の分からない文を書いたのか? 今年の先が思いやられる(苦笑)

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  1. 2017/01/07(土) 05:07:11|
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