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霧を写す



21日は冬至だった。
冬至は、嬉しい日である。まるでお正月を迎えたような気分である。
なぜ嬉しいか、その理由は単純である。冬至はいちばん日が短い日だからだ。

日が短くなるのは、気分まで滅入る。日はやはり長いほうがいい。
夏至あたりの午後4時は、まだ真っ昼間にちかい。
しかし、冬至のその時刻は、もう黄昏の翳り。日暮れれば、夜気分で、もう日中のような活動はムリ。
そう思われ、なんとなく損したような口惜しい気がわく。

いちばん日が短いということは、翌日からは日毎に少しずつ長くなる、ということである。
気持ち的に、長くなってくことが嬉しい。
お正月は、新しい年になる嬉しさだが、それはお正月という特別な、短期間だが、冬至からは夏至まで長期間にわたって日は延び続けていくのだから、それはお正月よりも嬉しさが続く、というわけである。(笑)

21日・22日と濃い霧になった。
霧の情景は、嫌いではない。むしろ好きと言った方が当たってる。わずかの距離で、はっきりした距離感が出るのが面白い。
いちばん手前のものはハッキリして分かるが、遠くへ行くに従って淡くなってく、その見え方がいい。

22日は、所用で寒河江まで行った。最上川に架かる村山橋の少し手前で、幻想的な風景を見た。
濃い霧の濃淡が最上川近辺にかかり、その上方に、真っ白に輝く月山が、なんとも神々しく浮かび上ってた。
「きれいだ!」思わず声が出る。
「撮ったら......」妻がそう言う。けれど、道路状況が許さないというか、うまく停駐車できない。

しかし、かりに都合よくカメラを向けられたとしても、見た目のように写せたかどうかは分からない。
霧は、肉眼で見るようにカメラには写らないことが多い。目にはきれいに見えても、カメラではなかなかそれを写しきることが難しい。
はたして、あの幻想的な、神々しい月山が撮れたかどうかあやしい。と思った。

っふふ、美味しいブドウをゲットできなかった狐は、(あのブドウは、きっと酸っぱくて不味いのだ)と思ったという寓話を思い出す。
月山を撮れなかった惜しさが、霧の撮影は見た目のようには写らない、との思いを優先させたのかも......

その霧を美しく撮るには、それなりの明るさ(光)が要る。
そのことを、21日・22日の濃霧のなかではっきり知った。
「写真は光を撮ること」を持論(笑)にしているものだが、改めてそれを確かめた思いが強い。


今日の画像は、文と無関係である。
昨日の朝、洗濯物を乾かし終え、空を見たら、虹がかかってた。
虹も光の屈折現象だから、そうか、霧とも全然無縁ではないかもね

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  1. 2016/12/24(土) 05:20:27|
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