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一回性の景色

以下は、ある方(Gさん)の25日づけブログの一部である。


下の2枚の写真は、昨日と、今日の『雪が降った朝の庭』だ。

(画像)  ←   省略 →  (画像)
2016 02 24    2016 02 25
昨日の庭   今朝の庭

朝の気温は同じような筈だが、昨日はジットリと湿度が高くて、今朝はカラッと乾燥しているように見える。
この『ふたつの情景の違い』を、簡潔な文章で表現するのは至難の技だ。

ただ、『なぜ、そう感じられるのか』のヒントは写真の中から見て取れる。
"昨日の庭" で敷石が見えているのは、夜のうちに雨から雪になったため
"今朝の庭" で敷石が見えないのは、夜中は晴れていて、朝方になって雪が降ったため

・・・ということは、言われてみれば、『あぁ、そうか ! 』と思うのだが、でも、そんなことまで考えなくても、ヒトには『直感』で
違いを感じ取る能力がある。

『どうして同じような絵を何枚も描くのか』と聞かれて、たくさんの最上川の絵画を遺した真下慶治(ましもけいじ)画伯は、
『同じ景色などというのはない。一瞬々々がみんな違う』と言っていた。

画伯ほどの感覚を持ち合わせてはいなくても、『雪が降った朝の庭』でも違って見える日は、確かにある。



ここまで読んで、ふと自分のブログを思い出した。
思い出した日のブログを読み直し、コピーし、Gさんへメールを送った。(以下の文面)



一回性の景色

25日のブログを拝読し、次のそれにビックリしております。

『どうして同じような絵を何枚も描くのか』と聞かれて、たくさんの最上川の絵画を遺した真下慶治画伯は、
『同じ景色などというのはない。一瞬々々がみんな違う』と言っていた。

画伯ほどの感覚を持ち合わせてはいなくても、『雪が降った朝の庭』でも違って見える日は、確かにある。


最上川河畔に建つ真下美術館には2回ほど行きました。画伯の絵が好きなのです。
でも、画伯が言われた上の言葉は、はじめて知りました。
そして驚いたり、嬉しくなっています。

なぜなら、似たような想いを、「天童の家」2月11日のブログで、次のように書いてるからです。


じーっと見つめていると、ふと(この景色は、この時だけのもの)という意識がうかぶ。
雲が動き、光が変わると、見ている景色が変化して映る。移る景色は一度だけのもの。二度と同じのを見ることができない。
ふ~む、む。散歩道で毎日見ている同じような景色が、実は決して同じではないのだ。

その日の天気で、その日限りの景色。見ているその景色は、絶対の一回性。
その事実に、驚きさえ覚える。
(そうかぁ、そうなんだなぁ)人生が、一回性であると同じように、景色にも同じという景色はない。

似ている景色はある。似ているというだけで、決して同じではない。
似たような景色を、それぞれが、見る人のさまざまな状況下で眺めている。


「天童の家」の原点は、共感であることを幾度も書いた。
ある方の文章(言葉)に共感を覚えることも嬉しいこと。
Gさんの視点に共感を覚え、さらに真下画伯の言葉に接し、大きな喜びに浸る。

こういうこころが共振する嬉しさは、そうめったにあることではない。
うん、嬉しくなって、あらためてくどくどとまた書いた次第である。(笑)




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  1. 2016/02/26(金) 11:05:37|
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