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百代の過客

存在しつづけて

松尾芭蕉が「おくのほそ道」で、山寺へ向かって天童辺を通ったのは、1689年旧暦6月のことである。
ちょうど紅花の咲いてる頃。今から329年昔のことである。

地形が大きく変わっていないから、樹木を雑木林に置き換えて想像すれば、当時のようすが覗える。
紅花が栽培されているわけだから、現在のありようから大きく離れているとは思えない。

  眉掃きを俤にして紅花の花   芭 蕉

  蚕飼ひする人は古代の姿かな  曽 良

当時は、養蚕が盛んだったのだろう。曽良は、養蚕に汗を流す者の姿に興味を感じ、句を詠んだのが面白い。
「古代の姿」とは、いったいどのようなものだったのか?

芭蕉が、紅花を詠んだといわれる辺りに句碑がある。
ふだんは、どうっていうこともない場所だが、こんな季節外れに見わたせば、へへ 過ぎた昔のことがいろいろと想像されるから面白い。

人は、300年の時間を、ずーっと代を変えながら生きてきた。
その間、世の中は、暮らしぶりは、激しく変転してきた。
その途中に、今があり、そしてこれからの時代が続く。

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

おくのほそ道の冒頭で、芭蕉はそう書いた。
昔は、よく理解できなかったのだが、現在は、なんとなく分かるような気がする。
昨日のブログでも少しふれたように、時間も人も移動しつづける存在だと思える。

そんなことを思いながら歌碑の周辺にカメラを向けた。
こんなふうに人は、場所は、存在しつづけ、哀しみや喜びを感じている。

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  1. 2016/02/12(金) 05:15:57|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

コメント

不勉強で・・・

不勉強で、芭蕉翁がみちのくを旅したとはかじりながらも・・(泣)
天童では”眉掃きを俤にして紅花の花”と詠まれたのですか~
今から329年もの昔、既に紅花が栽培されていたんですねえ~
”俤”も検索してやっとわかりました・・(再泣)
  1. 2016/02/12(金) 19:39:07 |
  2. URL |
  3. 阿蘇望亭 #z7TqjuIk
  4. [ 編集]

昔は、赤色が貴重だったのですね
寺や鳥居等の象徴的な赤、また版画などでも赤はなかなか使いたいけれど高価なものだった

口紅
頬紅などは、女性をいちだんと魅惑的にする(笑)
紅花は、山形の貴重な資源だったのでしょう

「おくのほそ道」は、みちのく人には、「宝本」ですから......

  1. 2016/02/13(土) 07:44:24 |
  2. URL |
  3. こんの #-
  4. [ 編集]

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