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風 知 草


自然に還っていける道     山田孝男 毎日新聞 2016年1月11日 東京朝刊

 生があれば死もある。それが自然界である。

 超高齢化社会は死が身近な社会だ。死が遠く、拡大発展が基調だった社会とは違う。死を忘れて進む時代は去った。
死を受け入れて暮らす時代がきた。
     ◇
 フクロウの生態を活写して土門拳賞を受賞(1990年)した動物写真家の宮崎学(66)に、「死」という表題の作品集
(94年、平凡社刊)がある。
 森で見つけたカモシカやシカ、タヌキの死骸にカメラを向け、腐乱、白骨化の過程を記録。死肉をあさる獣や鳥、虫や
微生物の営みを伝えている。
 宮崎は伊那谷(長野県南部)で育った。フクロウのほか、ワシやタカの、知られざる生態を撮って内外に知られた名手で
あり、「自然の中の死」を見つめる思索家でもある。

 なぜ、死を撮るか。
 昨年暮れ、駒ケ根市の仕事場を訪ねて聞くと、写真家はこう答えた。

 「お寺さんに九相図(くそうず)ってのがあるんですよ。死人を供養しないと、犬やカラスに食われてこうなるっていう
9段階の紙芝居なんだけど、現代人こそ見るべきだと思うんですね」
 九相図は、腐乱死体や白骨を凝視して肉体への執着を断つ......という仏教説話とともに発達した。
 日本では中世以来、明治初期まで仏教美術の主題だったが、近代絵画の興隆とともにすたれた。

 宮崎は言う。
 「今の時代、きれいな面ばっかり見ようとするでしょ? カワイイとか、きれいとか、そっちの方向しか見ない。でも、
世界はきれいなものだけでできてるわけじゃない、汚いものだってある。だけど、そっちの方は見ようとしない。世の
中、あまりにもヘンな方向へ行ってるんで、これ(写真集)で見直してほしいと思ったわけです」
     ◇
 世界に冠たる日本の財政赤字の、最大の重荷は社会保障費であり、医療費はその中核を占める。
 もはや治療しても医学的には効果のない、老衰した超高齢者に対する延命治療、過剰医療への疑問がささやかれ
て久しい。

 人生の終わりのための活動を意味する「終活」が新語・流行語大賞のトップテンに選ばれたのは2012年だった。
 人生最後の医療は選択できる。「本人が判断能力を失っても、とにかく生命を維持する」道を選ぶかどうかは、病院
が決めることではない。ましてや政府が指導することでもない。

 長年、地域で在宅訪問医療に取り組んできた旧知のベテラン開業医に言わせれば、「結局、市民の意識の問題」な
のである。
     ◇

 宮崎は写真集「死」の巻末にこう記している。

 「現代において、私たちは、死を単なる物質的な終息として教えられている。しかし、私が撮影した自然の死は、物質
的にも終息することなく、新たな生命に引き継がれていた」
 「(私は)人間が<自然界の一員>として、自然になめらかに還(かえ)っていける道さがしを動物たちの死体によって
探りたかった。生命とはなにか、人間とはなにか、そして自然とはなんなのかということを、死体の写真をとおして知りた
かったのである……」

 年始早々、開幕した国会は社会保障と増税をめぐって紛糾している。
 政党は選挙重視だ。延命治療批判で憎まれたくはない。だが、それでは超高齢化社会は成り立たぬ。財政赤字は、
経済対策だけでは埋まらない。
(敬称略)=毎週月曜日に掲載


とても良い記事なので転載させてもらった
ありがとうございます


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  1. 2016/01/11(月) 16:37:11|
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