未分類日記以前の天童の家RSS|

時間を区切る


3.11から丸4年。
あの日のことを思い浮かべる。激しく揺れる地動に驚き、なにをどうすべきか分からなかった。
それでも使っていたファンヒーターのスイッチを切った。長く続く揺れに、身体がうまく対応できない。
ふらつきながら玄関を出て庭に立つ。だが、まだ揺れている。こんなに長い揺れは経験したことがない。

その後も揺れを頻繁に感じる。
......が、実は、その揺れは、実際にある余震ではなく、幻の地動だったのが後で分かる。
もちろん、余震は頻繁にあったが、私が感じるのは、実際の余震よりはるかに多い揺れで、幻覚であることを知った。
それは「地震酔い」と言われ、珍しくもない症状だという。幻覚である揺れ、地震酔いは、1年ほど続いたような気がする。
しかし、いつとはなしにその症状はなくなった。

あれから丸4年。
当日撮った写真や、あの頃書いたのを読み返したりして、いろいろな出来ごとを時間的に思い出し、過ぎた時の流れを疾く感じる。
しかし、過去の生きてきた時間(歴史的時間)とは明らかにちがうという思いもある。
3.11というあの時から、ここまでの4年は、たしかに疾かったと思うけれど、1461という日にちの感覚がある。
疾いという思いはあるけれど、たしかな時間の流れを感じる。これまでの75年という人生の、歴史的な時間感覚とは明らかな相違を覚える。
3.11というあの日が、私にとって間違いないターニングポイントだからだろうか?
3.11以降、暮らし方や考え方が大きく変わった。

だから、それからの4年間の時間は、それまでの70年間の時間とは、大きくちがう。
アイデンティティの崩壊とか、そういうことではなくて、もちろん、自我同一性はかわらないままに、自己の存在のあり方が、「動的存在」から「静的存在」に変わったとでも言えばいいのだろうか......

それまでは「静」よりは「動」を求めて生きてきた気がする。
3.11以降、それが逆転したように思われる。
「幸せを求めて動いてた」のが、「平穏がなにより」になった。
それは単に、加齢による変わりようとだけは言えない気がする。

先年、東京オリンピック開催が2020年に決定した。あの時、(あと6年、生きられるだろうか)と思った。
今も、(あと5年の時間を生きられるかなぁ)と思う。これまで、時間をそのように捉えたことがなかった。
時間を区切る。それにどういう意味があるのかは知らない。でも、3.11以来、時間を、ある時点で区切るというか、意識してみることが、考え方や暮らし方にある種の弾み車的な働きがあるような気がしてならない。

3.11から4年経つ。
オリンピック東京大会まであと5年。
時間の不思議な力というか、モチベーションとしてのそれを感じている。



スポンサーサイト
  1. 2015/03/12(木) 00:15:00|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kose99.blog32.fc2.com/tb.php/3923-9e49355e