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イノシシ罠


以下は、http://doubutu1etc.blog91.fc2.com/blog-entry-5.html
からの転載である。(長文なので短く改変)

 全国のイノシシの生息数が激増して問題化したのは1970年代。
 1970年(昭和45年)といえば、水田の耕作を制限して米の生産量を調整する減反政策が始まったころだ。
 減反で農家が耕作を放棄して水田が荒れ地となり、農家も減ってイノシシが住みやすくなった。

 臆病なイノシシも人がいなければエサの多い場所に来る。
 水田が荒れると大好物の葛の根が張る。
  ミミズも食べるから周辺の土地までやせる。荒れ地が増える。ますますイノシシは増える…。

 岩手県大船渡市の宮野貝塚では、食用にされたとみられるイノシシの縄文時代の骨が発見されている。
 青森県でも江戸時代にイノシシによる農作物被害が深刻化した例もある。
 それがいつのまにか東北からイノシシは消えた。

 1907年(明治40年)豚コレラで日本中のイノシシが激減、東北地方では壊滅した。
 東北地方にはすでにオオカミはいなくなっており、豚コレラにかかったイノシシの死骸をオオカミの代わりに イノシシが共食いして一気に蔓延した。
 欧州でもオオカミのいない地域は豚コレラでイノシシが壊滅したことがある。

 現在日本では平成5年以来豚コレラの発生はない。(下に注釈あり)

 頭数管理に必要になってくるのが人間による狩猟(環境省)だが、狩猟者登録数は昭和53年の51万人から減り 続け、平成16年には3分の1の17万人。
 イノシシがいなかった地域では、イノシシ狩りの技術さえ伝承されないから、さらにイノシシが増える。

 イノシシは平成に入ったころには、宮城県を横断する阿武隈川を越えている。
 (それまでは、宮城県南部の丸森町が北限)

山形県にもその頃からイノシシの姿を見るようになった。

*注
平成30年歳末から31年3月にかけまた豚コレラ発生しつづける。

愛知県は3月27日、同県瀬戸市の養豚農場の豚から新たに豚コレラの感染を確認したと発表した。
県内では豊田市や田原市での感染に続き19農場目。この養豚農場では4千頭余りの豚を飼育しており、
県は同日、全頭の殺処分を始めた。

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ここ2~3年前より、山形市周辺ではイノシシによる農作物被害が多発。
下のようなのを見ることが多くなった。

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 加

今朝も雪が......
この春の降雪は、これで5回目
東京の桜は、満開になったというのに


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  1. 2019/03/31(日) 05:16:43|
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改元のこと


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天皇が譲位されるのに伴い、元号が変わる。
新しい元号は、4月1日に発表される。

1939年12月18日誕生の私。昭和・平成の時代を暮らした。
そして4月からは、新しい元号のもとで過ごすことになる。

元号が変わっても、日常生活のなにかが大きく変わるのではない。
平成に変わった時も、それまでの昭和の暮らしぶりは不変だった。

ただ、年が変わる正月元日の時のように「刷新」の気分があった。
旧年とは違うなにか新しい、良い出来事がありそうな期待がある。

時代は、社会のありようは、大きく変化するような思いが湧く。
実際に、平成という時代は、昭和とは明らかに違った気がする。

平成時代は、戦争がなかった。これがなにもまさることだ。
昭和時代に萌芽したIT技術は、平成に大きな飛躍を遂げた。

「お父さんね、定年後はどうするつもりかなぁ」娘が案じて言ったものだ。
「パソコン(ブログ)あるから大丈夫だろう」息子が言う通りになってる。

新しい元号は、何になるのか?
一つの楽しみである。

皇位承継の手続きが着々とすすんでるようだ。

昭和・平成・そして00の時代を80年生きた。
なんとも遠くまで来たものだとしみじみ思う。

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   初 物 カタクリ

昨日、午前中はまだ蕾だった。
午後、開いてるかなぁとまた行ってみた。
今年の初物カタクリが1株咲いてるのにカメラを向ける。

カタクリは大好きな被写体。
今後幾度も登場する花である。

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  1. 2019/03/30(土) 05:00:08|
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活き造り


下のそれは、2008年7月の日記の再掲。
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  活き造り

研修バス旅行の昼食を 鮭川町のさる料理屋でとった。
山菜と川魚料理が美味しいということで、幹事さんにその店を決めてもらった。

ミズ(ウワバミソウ)のお浸し、コゴミ(クサソテツ)のごま味噌和え、クワダイ(イヌドウナ)とタケノコの煮物からいただき、その後次々に山菜の天ぷらなどが運ばれてくる。

川魚料理では鮎の塩焼き、ヤマメの活き造りがでる。はじめに塩焼き、これはみなさん美味しいと食べる。
次いでヤマメの活き造りが運ばれてくる。評判の店だけあり、なんでも旨い!
みなさん賑やかに話ながら箸を動かす。

ところが... そんなとき「きゃーっ!」と悲鳴に近い声が出る。
みんな驚き、(何が起きたか?!)とシーンとなる。
「目が、目が私を見つめて動く!」とSさん(女性)がいう。
Sさんの膳上のヤマメの目がぴくぴく動くのが見える。うう、なるほど... Sさんが悲鳴に近い声を上げたわけが分かり、みんながまたがやがやとなる。

「あっ、私の... ほら、口を開けて... 元気がいい」とEさん(女性)が笑う。その言葉にみんなも笑う。
自分の皿のヤマメもEさんのよりも大きな口を開けて動いてる。う~む、むむ 考えようではなんとも惨いことかもしれない。
「新鮮さが売りものだからなぁ まぁ、命をいただくということで、はやく食べましょう」と隣のYさん(男性)がいう。

Sさんは、どうしてもその活き造りは食べられず「だれか食べてくれ」という。遠慮があってか、誰も手を挙げないので、私がもらい受ける。
隣の男性(Wさん)も、「これどうぞ」と私に食べろとよこす。まさか3人分もたべられないので、真向かいのEさんに「食べる?」と問うと、「食べる」という。

一行15名の内、活き造りを食べなかったのはSさんとWさんの二人。

皿の上で動いているのを食べるのは、正直言えば、やはり旨いとは言えなかった。包丁が入ってしまった以上、食べなきゃ命をムダにしてしまうことになる。そんな気持ちでいただいた。

だれがこんな酷な料理を考えたのだろうか... 新鮮さとはちがうような気がしてならない。
どういう形にせよ、結局は、だれかの命をいただいているのだけれど... こうもストレートな料理は、割り切れない気持ちが残る。


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   雑草とは

   邪魔な草

農業の真似ごとをしていて、苦手なのは草取りである。
機械で刈るのはそんなに苦痛ではない。しかし、ソバの草取りは手動?だからたいへんだ。
昔、田の草取りをやったことがある。誰がなんと言おうと田の草取りほどたいへんな作業は、この世にないと思った。

ソバ畑の草取りは、田の草取りとちがい、踏み台に腰掛けてやるぶん楽だ。
ここしばらく午前は、妻と二人で草取り。イヤではあるが、やるしかない。
田の草取りとちがい、妻と会話しながらなので、時間がけっこうはやく経つような気がする。それが救い。

「ソバは、消毒も肥料もいらないからいい」妻が言う。ふ~む、ほんとはそうじゃないのだが... それは言わないでおく。
「ソバって、米が獲れない山の畑でも収穫できるからねぇ。だから山間僻地のソバが旨いんだよ」短絡的な言い方だが、妻はそうと頷く。
「ほら、ソバを食べる虫だっているんだ」通称ネキリムシと言われる虫(2.5センチほどの丸まった蛆)を妻に見せる。
「ソバが途中で折れたようになってるのがあるだろ。この虫に食われたソバなんだ」妻に見せた後、その虫をぽいと放り投げる。
「パパ、どうして殺さない。そんな害虫は殺さなくてはダメ!」妻が呆れた顔で忠告する。

妻の言うのが正論?だろう。害虫なら処分するのが農業をやる者のセオリーだ。
だが、殺さずに目の届かない方へ放り投げた自分にも言い分がある。害虫だろうが命をもっている。またどんな成虫(たぶん蝶か蛾)になるのかなぁとの思いもある。
ソバを食べるといっても、たかが知れている。殺すよりはどこかへ放り投げた方が気楽だ。

「パパ、今度からちゃんと殺さなきゃダメよ。害虫なんだから...」
「うん、分かった。そうする。ママは強いなぁ」
「そういう言い方しないで! 強いとか、残酷とかの問題じゃないの。パパは優し過ぎるのよ。というより、ほら、消毒しなきゃさくらんぼが病気になるし、虫に食われる。それと同じ。高い金で薬剤を買ってやるんだから...」
「あぁ、分かった。今度見つけたらちゃんと処分するよ」

農業をやっている以上、やはり草取りをやり、害虫は見つけ次第殺さなければならないのは当然のことである。
ソバ畑では、ソバ以外の草は、すべて雑草である。たとえどんなにきれいな花を咲かせようと、それは雑草でしかない。
命とかへの価値観や感情が混じることは、ない。それが農業をやる者の姿であり、誰もそれを非難できない。
害虫は、害虫以外のなにものでもないし、雑草も、雑草以外のなにものでもない。

         2008年8月30日ブログからの再掲


  1. 2019/03/29(金) 05:10:47|
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こんなのを撮りたい



以下の文は、2008年1月13日の日記の再掲である。
写真に向かう姿勢をみつけた日の記録。
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  身近な風物を

二年前、小野川温泉「うめや旅館」に妻と宿泊したのは、冬のはじめだった。その年は豪雪で置賜地方はすでにかなりの積雪になっていた。
それまで 小野川温泉には何度も行っており、「うめや」もはじめてではない。源泉かけながしで、お気に入りの宿である。
これから書くことが「うめや」と関わりがある。
温泉(湯質)とかお膳のことではなく、接遇あるいは もてなしのあり方に触発され、写真に対する私の考え(姿勢)が方向づけられた気がする。
その具体的な経緯を書くことにする。

夕食は、自室でだったが、朝食は1階の広間だった。
お膳の前に座って広間を眺めると、舞台の大きなスクリーンに小野川温泉の冬景色が、次々に写っていた。朝食が済んでも、私たちは長い間スライド写真に見入ってた。
散歩で見た景色もあった。はじめて見る風景もある。次々に写される雪景色が見飽きない。
雪国に生まれ育った自分たちなのに、スクリーンに現れる小野川の雪景色がなんとも美しく見える。画像を「作品」として見れば、出来の良いものばかりではない。
けれど、私たちは新鮮な感動を得た。なにが感動をよぶのか分からなかったけれど、延々と映し出され写真を見続けた。

そして思った。それらの画像は、卑近なもので、観光写真(絵はがき)や「作品」にはなりにくいと思われた。けれど、それらは雪国のものだ。
もっと正確に言えば、ここ小野川温泉の冬でなければ写し得ない写真である。選ばれた景色でもなく、作られた画像でもない。身近くで毎日見ている雪国風景。
ありふれた日常茶飯の雪景色が、きっちり写っている。暮らしの中に存在してる普通の写真。

撮った人のこころが伝わってくる気がした。(小野川温泉って、こんなにいいところなんですよぉ)というメッセージが聞こえてくるのだ。
(地元をだれより愛している人が撮った写真なんだなぁ)だから、こんなに素直に感動できる。
(そういうことなんだなぁ)観光写真でなくてもいい! 選ばれるような画像でなくていい! 愛するこの土地がちゃんと写っていればいい。
そういう写真を撮ればいいのだ!

「小野川温泉にようこそお越し下さいました。ここはこのようによい所です。どうぞ存分に楽しんでください。そしてまた来てください」
BGMと素敵な映像が広間を満たしている。
そうだ! 天童の雪景色を撮ろう。素晴らしい風景が私の身近くにあるのを見逃すまい

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    寿命だから

いつまで生きられるかは、だれにも分からない。
寿命が尽きるまで生きるしかない。いくらもっと生きたいといってもできない相談である。
この歳(68歳)にもなると、もうもうけものの人生のような気分で毎日を生きている。
ウソでもはったりでもなく、正直な気持ち。

だからなのかしらないけれど、毎日が満ち足りているし、感謝の気持ちもわいてくる。
もちろん、些細な不平不満がないわけではない。それは生身の人間だからしかたない。
法要へ着ていく半袖シャツが用意されていない、とか... もう少し早く学童から帰ってこれないのか等々の些細な不満がある。
でも、それは贅沢というか、愚痴だろう

定年まで働き、その後は年金で暮らしているが、経済的に困るというほどでもない。
三度の食事がいただけ、猛暑といえどもクーラーがあり、暮らしはわるくない。
ガソリンが高騰してるといっても、1月に2千円以上も高くなったわけでなく、なんとかなる範囲である。

オリンピックをきれいなデジタルテレビで観て楽しみ、好きなカメラで写真を撮り、気侭に散歩している。
腹が出張ってきたけれど、別にぐあいわるいところもない。
妻とも仲良くしている。
これで不満があれば、へへ それは贅沢といわず、なんと言うべきか?

車があり、クーラーがあり、テレビ・パソコン・ケイタイが揃ってる。
こんな便利な時代に生きてることをありがたいと思う。
明日、いや今死んでも、(最高の人生だった!)と考える。

これからのことはあまり考えないでいい。
もう一日いちにちが、健康で暮らせればそれでいい。
寿命がいつ尽きるか、分からないから、その日まで生きていることを味わいながらいきたい。

「00万あったら、九州旅行ができるか」妻が問う。
「それだけあれば充分に楽しめるよぉ」と私。
来年5月の連休あたりに、九州へ行こうかと話し合っている。

           2008/08/19(火) 11:44:24


  1. 2019/03/28(木) 05:10:19|
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満開ネコヤナギ



庭のネコヤナギが満開になって風に揺れてる。
何故かなかなかカメラを向ける気にならなかった。

薹のたったフキノトウにもカメラが向かない。
ネコヤナギやフキノトウは蕾か、やや開いた状態が良い。
開ききったそれは、なんだか歳老いた姥のような感じだ。

それがわるいと言うのではないが、つい比較し、撮るのをやめてしまう。
ただそれだけ、なのだが、今朝はどういうわけかきれいに見えた。

画像処理しながら、(姥もなかなかどうして良いじゃないか!) と
乙女には乙女の、姥には姥の良さがあるのだなぁ(笑)

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     エンジンテスト

雪が消えて、そろそろ畑仕事をはじめる頃となった。
さくらんぼの剪定は、すでに済ましてる。
まずはじめにやるのは消毒作業だ。

畑の小屋に収納してる消毒機具を点検する。
オイルを交換し、動噴がちゃんと動くかどうか試運転。

っふふ その前に、失敗談を一つ

ふ~む オイル交換の手順でつまずく。肝心のオイルがキレてる。
「買ってくるからパパは休んでて」妻が慌ててホームセンターへ。
へへ 作業の真っはじめから泥縄になってしまう。恥ずかしい!

妻が買い物に行ってる間、動噴をきれいに拭いたり
試しに、動噴を始動させてみる。(オイル交換前でも試運転は可)

一冬動かさなかった動噴が、はたして動いてくれるか?
機械類は、長期間稼働しないで置くと、始動に時間がかかることがある。
本番前の試運転は欠かせないことだ。

妻が戻ってくるまでの間にやっておこうとガソリンを詰め、
始動のための回転紐を引っ張ってみる。

数回、始動のための紐を引っ張るが、エンジンはかからない。
(あぁ やっぱり...... 長い冬休みだったからなぁ)
(エンジンも目覚めるには時間がかかるのだろう)などと思う。

チョークを開いたり、アクセルレバーを加減したりし、なおも始動の紐を引っ張り続ける。
しかし、エンジンは爆発音を立てず、空回りするだけ。
なにか、どこか、不具合が出来したのだろうか? 分からない。整備工場で診てもらおうか?

妻が、間もなく戻ってくるだろう。いちばん心配してる(動かない)結果に妻は歯ぎしりするだろう。
むむ 機械音痴の自分が情けない。
思いあまり、諦め、虚ろな目を動噴に向ける。(?!)ん! (これをしなかったから始動しなかった)

動噴サイドに赤いスイッチが見える。始動前に、このスイッチをON にしてから、回転紐を引っ張るのだ。
へへ それをしなかったから エンジンかからなかった。
それに気づき、誰が見ているわけじゃないが、顔が赤くなるのを覚える。

スイッチを ONにし、これでどうだ!と回転紐を引っ張る。

エンジンは、白い煙を吐きながら快音をたて動きだした。スームズな動きに呆気ない気がする。
っふふ 妻が戻ってきたら、この音を聞かせたい。きっと「ちゃんと動くね」と喜ぶだろう。


  1. 2019/03/27(水) 05:06:19|
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雪 割 草



毎年 ミスミソウをエントリーしている。
ミスミソウの別名はユキワリソウ。漢字では 雪割草。
里山の雪が消えるか、消えないうちに、真っ先に咲く。

ミスミソウを見ながら、いつも思うのは、(誰に見られなくとも、花たちは毎年きれいに咲く)と
イチゲなどには、虫たちが蜜を求めて寄ってくるが、ミスミソウにはその虫たちの姿さえない。
人里離れた里山に、ひっそりと咲いてるのは何のためと思ってしまう。

誰のため、何のため、などと思うのはおかしなことで、花は咲くこと、そこに存在することが全てなのだ。
などと考えたりする。おかしいことだろうか?
花は、人や虫たちのために存在してるわけではないだろう。

そのような屁理屈はどうでもよい。
理屈抜きに、毎年藪を漕いでミスミソウに会いに行き、カメラを向ける。
今年もまたそうである。


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以下は、2008年1月28日の再掲である。

   先を読む

雪掻きを終え、洋間で新聞を読んでいると、妻が将棋盤を持って入ってくる。目を合わせると、はにかんだような顔を見せる。
「分かった」と言い、新聞紙を脇に置く。言葉はないが「将棋をやろう」という目である。っふふ、挑戦は受けて立つのが男だ。

私たち夫婦は、数年前から「囲碁もどき」と「将棋」をやるようになった。
はじめは「囲碁もどき」。「囲碁」とは恥ずかしくてとても言えないから「囲碁もどき」と書く。定石もなにも知らず、白石と黒石を並べ、「殺す」とか「死ぬ」など物騒なことを呟きながら陣地取りゲームをやった。
勝負がつくまでけっこう時間がかかった。

妻が学童保育に通うようになって、「将棋、教えて」とこわれ、将棋をはじめる。私自身、人に教えるほどの力がない。
児童相手に将棋をしなければならない妻は必死に覚えようとしている。初心者相手なのでどうにか教えられる。一手先、二手先位までは読める。
児童クラブに上手な子が一人いて、妻はその相手になっているせいか、めきめき腕を上げていくのが分かり、何番か打つうちには妻に負けることがある。

へへ、もともと力がない先生だったから、今では先生面ができなくなり、余裕のない顔でなんとか勝たねばと必死で指している。
囲碁・将棋には定石があり、それをマスターすることが上達の道なのだが、先生格の私自身が定石をほとんど知らないからヘボ将棋になってしまうのはしかたない。
先ほど「一手先、二手先位までは読める」と書いたけれど、本当に強い棋士は、数手先(イヤもっと先までかなぁ)まで読み切って指すものだろう。

先を読むというのは、相手が定石をマスターしていることが前提で、私らのようなド素人の場合は、先を「読む・読めない」などは論外の気がする。
とにかく目前の動き(一手)をどうするかが最優先で、とても先のことなど考えられない。相手がどう指してくるかがほとんど予想できないまま「出たとこ勝負」でやっている。
先が読めない(相手がどう動くか見当つかない)から、っふふ、自分の勝手、思惑で指すしかない。

ヘボ将は、ヘボ将なりに面白い。出たとこ勝負だから、(うへぇ~ そんな手できたかぁ)と驚いたり、呆れたり、とにかく面白い。
自分の指し手も(あっ! こんな妙手があったかぁ)と吾ながら感心することさえあるから可笑しい。
先が読めないから楽しさが倍増する。目前に展開する戦いに一喜一憂する。そこがヘボ将の面白いところである。

あまりにも先が読めて、勝敗が読み取れ(分かってしまう)る場合、楽しさはどうだろう?
勝敗が最後の一手まで分からない時、戦いは最後まで気が抜けない。ヘボ将の面白さはそこにある気がする。
人生に勝敗はないはずだが、もし先の先まで見通しがついてしまったら、それこそつまらない。
ん? 将棋と人生は関係ないかぁ... 


  1. 2019/03/26(火) 05:07:16|
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でかいザボン



大分の友から、季節の産物が送られてきた。

  桜の蕾がポツポツと咲き始めました。
  近くの山からは うぐいすのさえずりが聞こえてきます。

  今日、農協のスーパーに行きましたら、「ざぼん」他 春の味を見つけました。
  ほんの少しですが 少し早い春の味をお楽しみ下さい。

  一番大きいのが「ざぼん」、新聞紙に包んでいるのが「甘夏」と「はっさく」です。

「わぁぁ! こんなにたくさん。ざぼんってこれ!なのね?」と妻。
「♪ながさき~のザボン売りぃ~♪ っていう歌、知っているけど、ザボンを見るの はじめてだなぁ」
「00さんから頂いてるバンペイユと同じもの?」
「春の味って書いてあるからね。こんなに大きなみかん(ザボン)、きっと路地物なんだろうなぁ」

「ザボンは、バンペイユと同じ物? 調べて! 同じだったら、また美味しいマーマレードつくるから」
妻に請われ、早速「検索」

バンペイユは、ザボンの一種で、いちばん大きくなる柑橘だという。
妻に伝えると、「わかった!」の返事で、早速マーマレード作りを開始。

山形には「さくらんぼ」(小さな恋人)が特産だけれど、
九州のは「ザボン」という(特大的恋人)があるのは愉快だ。

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  1. 2019/03/25(月) 09:47:48|
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春の雪 3



今朝、また春の雪が降った。
「春の雪」 今年は 8日、14日とすでに2回エントリーしてる。
先日は、まるで初夏のような日になった。それなのに3回めの降雪
(今年の天気はおかしいなぁ)と思う。

平成最後の春は、こんなだった
と備忘録として残すことにした。

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  1. 2019/03/24(日) 11:49:38|
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あの頃のこと


以下は、妻との他愛ない会話

今朝(2007年12月18日)、午前6時頃に起床しようと思ったが、「もうちょっとじーっとしてて」と妻が言う。私が起きると家中騒然となり、みんな迷惑するという。
「なぜもっと静かにできなのか!」と叱られる。
枕元に蛍光スタンドを置き、いつでも読書できるようにしているが、今朝は読書よりパソコンがしたい。夕べは9時過ぎには寝た。夜中に2度トイレに起きたけれど、すぐに眠れたので、もう眠くない。
でも、妻の言葉(命令)は絶対だから、しばしじーっとしてる。その間、他愛もない会話をする。そのわずかな時間が妻はいいらしい。
「そろそろ起きる」6時半頃に妻が言う。

朝食ができるまで、私はパソコン。当日のブログをオンエアーすることから一日がはじまる。ただし、雪が降り積もった時は、雪掻きが一日のはじまりとなる。
さいわい、この冬は本格的な雪掻きはまだない。もちろん数センチの雪掻きは2~3度やったかなぁ
朝食後、来客がある。私の前の町内会長のKさん。抹茶を飲みながら 妻と3人でとりとめない会話を楽しむ。
Kさんが帰ると、ソバ打ちの準備。準備だけしてソバ打ちは午後にと考えてたが、気持ちが変わってソバ打ちをはじめる。
ソバ打ちでいちばん肝心なのは水加減。それさえ上手くいけばOKで、旨いソバが食える。
今朝は、その水加減がバッチリ決まって気持ちいい。2度の予定だったが 3度打つ。3回とも会心の出来。これでお代わりのリクエストがあっても「どうぞ、どうぞ」である。

後片付けなどを済ませ、少し遅い昼食となる。午後は刺身とサラダの食材を買いに行くだけだから、新聞に目を通し、その後 「密謀」藤沢周平著を読むつもり。
その前に、やっぱりパソコンの前に座ってしまう。
68歳の誕生日 昨日書かなかったあたりが書けたらと考えキーをたたいている。
特別な感慨はない。いつもと同じ穏やかな気分。以前の自分には、このような平穏なこころはなかった。いつも何かを追い求めているような張りつめた毎日だったなぁ
なのに、いつからこのような穏やかなこころになったのかなぁ う~む、町内会会長の役割を辞めた時からかもしれない。

公的な役目は、民生委員だけになった。民生委員だけならそう忙しくもないし、活動内容も難儀ではない。
家庭的にもとりたてていうべき不満はない。
私たち夫婦が結婚したのは、妻が22歳、私が28歳。「結婚して40年、よかったなぁ」という私の言葉をとらえ、妻が問う
「なにがよかったなぁ なの?」
「なにがって... ママと結婚してさぁ」
「ほんと?」
「ほんとうの気持ちだよぉ」
「う、っふふ、ふふ」妻が、私の顔を覗き笑う。

今日夕方の「天童の家」忘年会が 賑やかだろう
思い切り腰の強いソバに仕立てて食べてもらおう

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  12年も前の「蔵出し」日記が懐かしい

  
  1. 2019/03/23(土) 08:40:00|
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腐っても鯛



長く厳しい冬を過ごし、待っていた春が到来。気持ちも軽やかになるのを覚える。
とは言いながら、本格的な春はまだである。樹々の芽は膨らみはじめたかなぁと思えるけれど、
萌黄になるまでには間がある。景色は、まだ晩秋の姿をとどめてる。

そのような中を散歩していると、時折ハッとするような情景に出合う。
先日も、逆光に真っ赤に色づいたものが目に入り(きれい!)と思う。
赤く熟したガマズミの実が、一冬を雪の中で越し春を迎えた姿だった。

迷わずカメラを向け、(腐っても鯛だなぁ)との思いがわいた。
ガマズミと鯛を一緒にするほどのことはないのだが、この時期の被写体としては嬉しい情景だ。
赤い実は、本来なら吹雪などで地上に落下し、次世代への萌芽に向かうはず

なのに、このように美しい姿 ? をみせてくれるのに、思わず「腐っても鯛」と思い、笑ったのだった。

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以下はガマズミの過去画像から

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  1. 2019/03/23(土) 05:10:27|
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燃えるような恋



2010年3月27日の新聞に、面白いのがあった。次ぎに転載する。

     燃えるような恋がしたい   佐藤洋子 76歳 主婦 大分市

 あと幾日、私に残された日があるだろう。
 神のみぞ知る年齢となり、不遜にもこの平穏な日々に時折いら立つ。
 2人の娘の5回の出産の世話を無事に終え、毎日が自分のための時間となり、短歌も書道もそこそこ。
 昨年から始めた三味線も、覚えが早いと先生に褒められる。
 夫も健康そのもの、不満を言ったら罰が当たる。

 だけど、自分の人生に何かやり残したことがあるような気がするのだ。

 そうだ、燃えるような恋をしていない。
 夫とは手を握ることもなく、映画館や喫茶店に入ることもなく結婚。
 そんな時代だった。

 死ぬ前に燃えるような恋がしたい。
 若き日に戻って。
 ドラマの龍馬のような人がいい。

 そして幸せに終わってはいけない。悲恋に終わり、思い切り泣くのがいい。
 泣いて泣き明かして、夫に出会いたい。


読み終え、笑った。
が、やがてなんか寂しくなった。
そして、こんどはしみじみと(いいなぁ)と思った。

76歳になって、よくもまぁ ぬけぬけと、燃えるような恋がしたい と言えるなぁ、と笑った。
歳を考えれば、望みが実現することは百に一つも叶わないだろう...と寂しくなる。
だが、たとえ可能性のうすいことでも、言ってみるのはわるくない。いや、こんなふうに素直に自分の気持ちをさらけ出せることは、なんと素敵なことだろう!

歳を考え、(笑われはしないか)と気持を抑えてしまう。
いくら歳をとっても、こころに思うことがある。なのにぐーっと飲み込んで、なかった(ない)ような顔をする。
なぜ、もっと佐藤さんのように素直になれきれないのか!

燃えるような恋
それは若者だけのものではないはずだ

「燃えるような恋がしたい」と妻に言ったら... っふふ、妻はどんな顔をするだろう?

  1. 2019/03/22(金) 15:13:24|
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春 の 樹



椿は、春の樹
木偏に春の字

春の花が咲いてる
椿の花にはロマンが

みちのく天童にも春が
椿が花開いた

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以下は過去画像から

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  1. 2019/03/22(金) 05:10:50|
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ぼたもち

あやかしの世界で

春分の日(21日)の朝に「ぼたもち」をつくった。
もち米(1升)を炊いて搗いた。
「あん」をまぶした「あんころもち」を 娘の家に持っていく。

娘の家から戻ると、妻と息子が、廊下でなにやら忙しそうにしている。
母が、カーテンを開ける際に転んで、植木鉢をひっくり返したのだという。
カネノナルキの鉢が割れ、その欠片と土が廊下に散乱してる。

(母がカーテンを開ける際に?)それはおかしい。
カーテンを閉めるのは母だが、開けるのはいつも私である。
今朝もいつもと同じように私が開けたのだから、母はなにか訳あって植木鉢を並べてる方へ行った?

そこで、なぜか転倒した。妻も息子も転倒する姿を見ていない。
音に驚き、母の転倒を知ったという。
「怪我しなくてよかった」息子はそう言いながら後片付けをしている。

何をしに、植木鉢の方に行き、何故そこで転倒したのか?
謎である。
母に聞けば、謎が解けるのだろうが、「問い詰める」結果になりかねない。
問い詰めるようなことは避けたい。

息子が言うように、怪我しなかったことで、よかったとしなければならない。
謎は、っふふ 謎でいいことにしておこう。

母には、時折首を傾げたくなるような言動(謎)がみられる。
現実世界ではなかなかあり得ない世界が加わってるようだ。
今朝の転倒騒動も、そうしたあやかし的な世界で起こったのだろうか?

今日は春分の日。

昨日から準備しつくった「ぼたもち」(牡丹餅)を母へ持ってく。
「入歯にくっついて食べられるかなぁ」と心配する母。

...が、きれいに空になった容器が旨さを物語っててホッとする。


  1. 2019/03/21(木) 13:34:10|
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初  蝶

 

次の数行は、昨年のブログ・コピーである。

 これまでの初蝶エントリーの日にちは次の通り。

   2009年  4月9日
   2010年  4月26日
   2011年  4月14日
   2012年  4月12日
   2013年  4月15日
   2014年  4月4日
   2015年  3月31日
   2016年  3月18日
   2017年  4月6日
   2018年  3月28日

 以上に見る初蝶は、すべてルリタテハ。

そして今年(2019年)は昨日(3月20日)初蝶を見た。
そして今年もまたルリタテハだった。

昨日、散歩に出かけたのは、初蝶を見るためではない。蝶のことはまったく念頭になかった。
一昨日に、キクザキイチゲを撮り、昨日ブログに並べた。
ミスミソウ(雪割草)がそろそろ咲く頃だと、藪を漕ぎ、例年写真を撮ってる場所へ行った。

ミスミソウは、まだ一株しか咲いてなかった。撮影には尚早だと諦め、里山を降り
毎年イチゲを撮ってる場所へ向かう。まだ(咲いていないかなぁ)と思いながら......
イチゲが春風に揺れてる! 

一面に群れ広がり、咲き揃った状態ではないが、被写体として選ぶに十分の花だ。
毎年撮ってる八重咲きのイチゲは見つけられなかったが...... また来ればいい。

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ミスミソウがまだ咲いてなかったことの残念さの気分は、イチゲの花が帳消しにしてくれた。
(キクザキイチゲはやはりスプリングエフェメラルだなぁ)と嬉しくなる。
スキップしたくなるような気分で散歩の足をのばしてると、ん? 蝶を見る。

仙山線線路脇のガードレールにとまって羽を開いたり閉じたり繰り返してる。
すかさずカメラを向ける。
っふふ 今年の初蝶もルリタテハだった。

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  1. 2019/03/21(木) 05:05:28|
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イチゲ(初物)



スプリングエフェメラルと呼ばれる春の花、さきがけて咲くのはイチゲ。
昨年は3月20日に咲いた。
今年は雪消えも早かったので、もう咲いただろうと、昨日確かめに行った。
やはり咲いてた。

例年、たくさん撮っている場所ではなく、別の日当たりの良い南向きの崖っぷち。
午前中には、まだ半開きだった。
午後にはきれいに咲いてい、今年の初物にカメラを向ける。
待ちに待った春告げる初物 キクザキイチゲ!

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  1. 2019/03/20(水) 05:10:35|
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ポリープ切除



昨年受けた検診で、妻の大腸ポリープが見つかった。
胃腸科医院での内視鏡検査で確認、市立病院を紹介される。
18日は、ポリープ切除が行われた。

大腸ポリープは珍しいものではない。もちろん悪性ではない。
白内障手術などと同じように、手術は日帰り(外来)である。

とは言っても、内視鏡も手術も前処置がたいへんだ。
腸内を空にしなければならないので、食事(食餌)が工夫され、
検査や切除時には面倒な手順を踏まなければならない。

2日前から、主食は粥かパン。お汁は実を除いた汁。おかずは焼き魚や豆腐など。
果物はバナナ、皮を剥いたりんご等。

手術当日は絶食。
朝7時から、腸を空にするための薬液を服用しはじめる。
全量2㍑の薬液を6回に分け、30分毎に10時まで服用。

前日まで摂取した食餌残滓が排出されるわけだが、その都度
性状を記録しなければならない。
薬液は、美味しい(?)味付きだが、時間をみながら2㍑を飲むのは楽じゃない。

最後の薬液を飲用し、トイレを使う頃には、
排出される内容は、ほとんど水みたいにきれい!
腸内が空になった証

病院へは、正午に到着
午後1時半、内視鏡挿入。ポリープ切除が済んだのが1時45分。

「これが摘出したポリープ、約8mmです」医師の説明に頷く。
ポリープは、念の為に組織検査に出されるそうな

「ホッとした。パパに心配かけて......」
「いやいや 私もホッとしたよ」

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  1. 2019/03/19(火) 05:10:47|
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住民投票条例案

<女川再稼働>住民投票条例案

 条例案は仙台市の市民団体「女川原発再稼働の是非をみんなで決める県民投票を実現する会」の直接請求によるもの。
請求条件である県内有権者の2%(3万8841筆)を上回る5.75%(11万1743筆)の署名を集め、先月8日に知事宛てに請求していた。

 原発の再稼働については、震災後に他県でも同様の県民投票条例が提出されてきたが、いずれも否決されている。

   河北新報は、下のような記事

 宮城県女川町の無職高野和子さん(71)は「賛否を口にしづらい雰囲気がある。無記名投票で意思表明したかった」と憤る。
 石巻市の会社員森邦子さん(63)も「党の方針に左右される県議ではなく、自分たちが投票で決めたかった」と残念がった。
 「女川原発UPZ住民の会」(事務局宮城県美里町)の勝又治子代表(71)は「署名活動を通じ、福島の事故の影響を受けた県民が女川原発を真剣に考えていることが分かった」と手応えを語った。

 東北電力は原子力規制委員会の再稼働審査を7月中に終える方針。
 その後、知事や立地首長らへの「地元同意」の手続きに入る。
 同社は「条例案への言及は控える。引き続き理解活動に努めたい」と説明した。
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   東日本放送は、↓

 伊藤和博議員は「県内一律に投票した場合、その結果によっては立地住民の民意が反映されず多数を占める都市部の意見が優先されてしまう可能性があり、分断を招く懸念を払拭できません」などと述べました。
 この後、採決が行われ住民投票条例の修正案と原案ともに反対多数で否決されました。

 この結果を受け、条例制定を直接請求した市民団体代表の多々良哲さんは「議会と知事は重たい責任を負ったと思います。11万の県民の願いを受け入れず県民が意思表示する機会を奪ったわけですからこの責任は非常に重たいと自覚していただきたいと思います」と述べました。

 一方、村井知事は「私の賛否は当初の通り申し上げるべきではないと思っていますが、この結果はしっかりと受け止めなければならないと思っています。これだけひとつの問題で議会が連合審査会まで開いて議論をするということは極めて珍しいことです。それだけ11万人の署名の重さがあったのではないかと受け止めています」と--------------------------------------------------------------------------------------------------
  河北新報 ↓

 同会派の石川光次郎会長は「会派で採決の拘束はしておらず、それぞれの選挙区で背負うものがある。判断は個人に委ねた」と述べ、一定の理解を示した。

 原発立地地域となる石巻・牡鹿選挙区の5人は与野党で賛否が鮮明になった。
 自民の3人は反対、野党会派の旧民進党系「みやぎ県民の声」と共産党県議団の各1人は賛成した。

 自民の佐々木喜蔵氏は「直接投票にはなじまない」と反対を貫いた。「地元には原発で生活してきた人もいる。2択で割り切れる問題ではない」と強調した。
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<女川再稼働>住民投票「全県リスク高い」「政治参加の手段」

審議白熱5時間に 宮城県議会連合審査会

河北新報社 2019/03/15

 東北電力女川原発2号機(女川町、石巻市)の再稼働の是非を問う住民投票条例案を14日に審議した宮城県議会の連合審査会では、総務企画、環境生活農林水産の両委員会の議員らが住民投票の在り方や選択肢などについて持論を展開。審議時間は約5時間に上った。

 女川原発がある立地自治体の選出議員は地元と他の地域が同一条件で投票することを疑問視。自民党・県民会議の本木忠一氏は「立地自治体は原発と共存してきた。他の自治体とは温度差がある」と指摘した。

 同会派の畠山和純氏も「被災地最大の課題である産業を維持する上で、原発再稼働は大きな問題。(住民投票について)立地自治体の意思を聞かず、県全体で実施することはリスクが高い」と主張した。

 住民投票の実現を訴える野党会派は、実施に消極的な与党議員の意見や執行部の説明に対して攻勢を強めた。みやぎ県民の声の藤原範典氏は「住民投票は間接民主主義を補完し、住民の政治参加の手段としても意義がある」と強調した。

 社民党県議団の熊谷義彦氏は「福島の原発事故で今も苦しんでいる人たちの痛みや苦しみを受け止め、しっかりと議論を尽くすべきだ」と求め、結論ありきの審議にくぎを刺した。

 野党会派の修正案協議の中でも論点となった選択肢に関し、公明党県議団の庄子賢一氏は「2択にして多様な県民の声が反映できなければ、投票率が下がる」と懸念を示した。
 共産党県議団の角野達也氏は村井嘉浩知事が条例案に付けた意見を踏まえ「100人いれば100通りの考えがある。3択にすれば知事の懸念はクリアできるのか」と批判した。

 連合審査会の開催は1976年以来、43年ぶり。午前10時40分に始まり、2回の休憩を挟んで午後5時に閉会した。会場の議会棟大会議室と議会棟1階ロビーで計約170人の傍聴者が議論を見守った。


意見陳述要旨

<意思表示の機会、当然/県民投票を実現する会代表 多々良哲氏>

 原発再稼働問題は国策と言われるが、人権問題でもある。原発が必要なエネルギーと言うならば、古里を失うリスクや子どもたちの健康を損なうリスクを引き受けた上で、国策に協力するのかが問われる。誰もが当事者となる重大問題について、県民が意思表示の機会を求めるのは当然だ。

 県議会の議論と県民投票を対立的に捉える必要はない。県民投票の実施は議会に対する県民の関心を高め、議会での議論を活性化することに寄与する。県民投票は間接民主制を補い、地方自治をより豊かにする。

 女川原発2号機再稼働に国の合格が出れば、東北電力からの事前了解の申し入れに対し、知事は了解するかどうか2択で回答する。知事の政治的意思決定に県民の意向を反映させる県民投票も、2択が原則だ。県民にさまざまな情報が提供されれば、賛成か反対かを判断する力は十分ある。

参考人意見要旨

<県民の信託応える判断を/成蹊大法科大学院教授 武田真一郎氏>

 住民投票は中立的制度だ。住民は原発再稼働に賛成、反対両方の意見を聞き、比較して一票を投じる。東北電力など再稼働推進派にとっても県民理解を得る絶好のチャンスとなる。

 間接民主制では首長、議員が住民の望まないことをしようとしてギャップが生じることがある。埋めるための直接民主制として住民投票が求められている。宮城ではギャップは生じていないが、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を目の当たりにし、県民意見を聞いてほしいとなった。

 選択肢を賛成、反対の2択にしたのは適切だ。住民投票は世論調査ではなく政策決定のために行われる。原発再稼働にはするかしないかしかあり得ない。
 県民代表の県議会が県民の意見を聞かない理由はなく、聞くことに何ら損失もない。署名には県民の思いが託されており、信託に応える判断をしてほしい。

<安易に決めれば禍根残す/東北大大学院准教授 河村和徳氏>

 今回の住民投票条例案は不備が多すぎる。二元代表制との整合性の議論が足りない。盲目的に住民投票に賛意を示すと議員は不要となりかねない。安易に決まれば政局になり、禍根も残す。混乱を招き、東日本大震災の復興が遅れる。

 意見を聞くだけなら世論調査という代替措置もある。市町村の手を借りないと執行できないが、被災自治体の負担は大きい。原発30キロ圏内の緊急防護措置区域(UPZ)の7市町から投票実施を拒否されたらどうするのか。決めておかないと県議会の怠慢となる。

 選択肢の議論も不足している。二者択一では少数の声を聞くのは難しい。脱原発は時間軸が重要論点。今すぐ廃炉か、条件付き再稼働かなど多様な声がある。
 国や東北電力にどう対応するのか。訴訟リスクもある。県議会は条例を定める以上、説明責任がある。厳しい未来も描くべきだ。
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  1. 2019/03/18(月) 08:00:02|
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動物の名前

はてな?

雪は消えたけれど、芽吹きの動きが感じられない。春の気配がないのが寂しい。
どこでも歩けるようになったのだから、家にじーっとしてるわけにはいかない。
とにかく歩くのが仕事代わりだからと家を出る。

散歩コースはたくさんあるので、どこを歩こうかと迷う。なるべく人と遭たくない気分も
里山の雑木林の間を仙山線の線路がのびてる。そこなら車にも人にも出合わないだろうと
大森トンネルの向こう側に車を停め、ゆっくり歩き出す。

歩いて間もなく、仙台行きの電車が通り過ぎてく。いつもは4両編成なのだが、珍しく6両編成だ。
電車を見て、年に数回行ってた温泉宿泊小旅行、昨年は皆無だった。今年も行っていない、と思う。
身動きが難儀になった母を残し、温泉旅行はできない。しかたないことだが、残念の気分もある。

できないことを思ってもしかたない。気分を切り替え電車でも撮ろう。
先程の仙台行きの電車は、山寺駅で下り電車とすれちがう。間もなく山形行きの電車が来るはずだ。

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以上が前書きで、ここから下が今日の本文。(笑)

電車を撮り終えて間もなく、線路脇をうろうろしてる動物を見る。猫ではない。
すかさずカメラを向ける。キツネでないし、タヌキでもないのは確かだ。
カメラマンの姿に気づいたようすもなく、餌探しらしく頻りに動いてる。

カメラマンからその動物まではかなりの距離がある。ピント合わせがなかなかできない。
確り撮りたいと焦るが、動物は頻りに移動する。走って距離を縮めることもできない。
そうこうしてる間に、かの被写体は藪の中に姿を隠してしまう。

画像処理し、ピンボケに落胆! いつもの使い慣れたカメラなのに、そのピンボケに呆れる。
証拠写真になってしまったが、はたしてこの動物はいったい何者??? 

似たような動物をあげれば、タヌキ・ハクビシン・イタチ・テン・オコジョ・アライグマ・ニホンアナグマ
散歩で見たのは、いったい何という動物なのだろう?
どなたかに、教えてもらうと嬉しい。よろしくお願いします。

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  1. 2019/03/18(月) 05:31:03|
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シラサギくん



昨日(16日)の散歩は、久しぶりに立谷川沿いのサイクリングロードだった。

散歩道に残雪はない。里山の日陰や吹き溜まりだった所にだけまだらの残雪。
その奥の奥羽山脈をなす高山の残雪も、ずいぶん少なくなってるのが分かる。
吹く風はまだ冷たいが、それでも(春になったのだなぁ)と思う。

川向こう、仙山線の電車が走る里山の麓が黄色くなってるのは、マンサクの花(樹)だ。
マンサク以外の花は、フクジュソウのみで、シュンランやイチゲの姿はまだ見られない。
雪解け水が、清冽な色と瀬音高くたてながら流れてる。

土曜日なのにイヌと一緒の散歩者が一人、ランニング者が一人、サイクリング者が一人。
静かな散歩道。
川向うを上り・下りの電車(仙台行と山形行)が間をおかず走る。

山寺小中学校の校庭にたくさんの車が見える。国旗と校旗が風に吹かれてる。
土曜日なのに、卒業式なのだろうか?
もしかしたら、閉校式?

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静かな散歩道だが、世の中ではさまざまなことが起きてる。
殺人・詐欺など毎日の報道にウンザリする。
ニュージーランドでは、モスク襲撃で49人が死亡。
北朝鮮は、再び核・ミサイル開発の動きも。

それらのこととは無関係に、散歩道は静かだ。
小鳥が頻りに動き、鳶が風に乗って大きな輪を描いてる。

散歩の最後に、シラサギくんと出会い遊ばせてもらう。
せっかくの餌獲りをじゃまして(ごめんなさい)ね。

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  1. 2019/03/17(日) 05:10:44|
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ネコヤナギ咲く 2



「ネコヤナギ咲く」は、3日前にエントリしたばかりである。
なのに、またカメラを向けた。
面白い被写体が、目の前の庭にあるからついつい眺めてしまう。

次々に咲いてくものだから、その変わりようが面白く、写欲を誘う。
年に一度しか見られない短期の花模様だもの......
はい 誰に遠慮がいるものかと言い聞かせてカメラを向けている。(笑)

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  1. 2019/03/16(土) 05:10:15|
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今年の春は



今年の雪消えは早かった。

小屋の屋根から落下した雪を利用し、りんごの雪室をこしらえ保存してきた。
昨年、雪嵩が少なくなり雪室の役割を果たさなくなったのは、3月22日である。
今年、最後のりんごを室出ししたのは、3月9日。昨年より13日も早い。

昨年、オウレンを撮りに行ったのは、3月18日である。
今年、同じ場所に行って撮ったのは、3月7日である。
昨年より11日早くオウレンが咲いた。

昨年、庭のネコヤナギが咲いたのは、3月19日である。
今年は、昨年より大幅に早く咲いた、と思ったが...... 12日だから、7日だけ早かった。

全て同じく季節が移り変わってるわけではないが、昨年との比較でいえば、今年の雪解けは確かに早い。
早すぎて、春の気配がうすいというか、なんとなく気の抜けたサイダー(またはビール)を飲んだ気分。
春が来た!というあの期待感が乏しい今年の春のようす

時が経てば、忘れてしまうことなので、備忘録として3月14日の庭のようすを残しておくことにする。

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追 加

14日と15日の朝は、こんな情景だった


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  1. 2019/03/15(金) 05:10:25|
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春の雪 2



「春の雪」は、すでに8日にエントリーしている。
今朝も、予報通りに雪になった。

洗濯など朝のルチンワークを済ませ、朝食前に外出。
「春の雪」を撮ったので並べることにする。

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  1. 2019/03/14(木) 09:30:04|
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マンサク 2



マンサクは、6日にエントリーしてる。
コンパクトカメラでピント合わせの試し撮り。数枚を並べた。
咲きようが、並の形でない。どこに焦点を合わせるかに戸惑う花である。
辛うじて、どうにかマンサクらしく撮れたものの、もちろん不本意な画像。

レンズクリーニングで戻ってきたので、改めてマンサクの咲く里山へ。
やはり使い慣れたカメラで撮るのがいいものだと納得する。(笑)

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  1. 2019/03/14(木) 05:05:17|
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ネコヤナギ咲く



庭のネコヤナギが咲いた。
咲く前の光る蕾もきれいだけど、咲いて現れる小人のようなそれも大好きで、カメラを向けた。

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  1. 2019/03/13(水) 05:10:27|
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オウレン 2



オウレンは、すでにエントリーしている。
その画像は、コンパクトカメラで撮ったものだった。

クリーニングに出したレンズが、10日に戻ってきた。
嬉しくなって早速オウレンを撮りにいった。

コンデジとは使い勝手がやはり明らかに違う。
ピント合わせも露出も自分の思う通りにできるのが嬉しい。

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東日本大震災 3

耐乏生活

今朝は、5時起きし朝食をさーっと済まし7時前に近くにある農協のガソリンスタンドへ行く。
始業まで1時間もあるのだから(詰められるだろう)と思ったが、すでに長蛇の列となってる。
正確に数えたのでないが150台~200台くらい並んでる。昨日もそうだったようである。農協の組合員でなければ詰められないというふれ込みだが... 実際はちがうような感じだ。

とにかく待ち覚悟で並ぶ。ガソリン残量がないのだから、並んでも詰めるしかないのである。
新聞と文庫本を持参し、車中で読む。「3号機も水素爆発」「2号機も冷却不全」「計画停電が開始」「被災地ガソリン不足」「首都圏『買いだめ』」「M7余震確率減り40%」大きな活字が禍々しい。
ケータイが振るえ、「緊急地震速報・秋田沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」を伝える。(午前7時29分)

  約1万人の安否が確認できていない宮城県南三陸町で、津波にのまれ一時気を失いながら、電線にしがみついて生還した男性が避難所にいた。
  海の近くにいたはずが、目を覚ました時には高さ約30㍍の丘の上だったという。
紙面いっぱい 5葉の写真(津波が到達する直前の街並み 3時4分・海水が道路へ・家屋が呑み込まれ・水没・全てが流される 3時16分)が津波の恐ろしさを如実に示してる。

「待って居られても、(ガソリンは)もう詰められません」農協職員が触れ回る。(そうだろうなぁ)と納得(諦め)し 家に戻る。
妻とあらためて茶を飲みながらいろいろ話し合う。妻の通勤(車)は、まだしばらくは間に合うようだ。私のはもうガス欠限界に近い。息子のは地震前に満タンしてたという。
「パパ、自転車 小屋からもって来よう。耕耘機や動噴用のガソリン、あれを車に入れよう」妻の提案に同意する。
道路には雪がほとんどなくなったのだから、自転車が使える。また農業機械用のガソリンを車に使える。それで約30Km位走れることが分かる。

ガソリンはじめ、食料品や暮らしに必要な品々がいつまで欠乏するかは分からないが、とにかく家があり、それなりの食料等(備蓄)があるのだから、しばらくの間辛抱するしかない。
30時間近い停電を経験したばかりだし、数時間の計画停電はたいしたことでない。
原子力発電所のそれは、庶民にはいかんともしがたい。大事にならないよう祈るしかない。
地震発生からすでに5日目。津波に襲われた方々(被災者)の暮らしが、少しでも早く復旧に向かうこと。そして今も繰り返し襲ってくる不安に対するフォローアップをしっかりやらなければならない。
被災地から離れ、直接力になってあげられないが、何らかの形で協力したいと考えている。

「パパ、牛乳 午後から入る(入荷する)と言ってた。何時頃になるか確かなことは分からないけど、パパ、自転車でリックサック背負ってね 買ってきて」妻の頼みに、大きく頷く。
買えるだけ良しである。
そう悲観的にならないでもいいような気がする。へへ、あくまでも希望的思いであるが...(笑い)

*
2011年3月15日のブログ再掲

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3.11 津 波
東日本大震災:津波

東日本大震災:津波、史上最大…「明治三陸」超える
毎日 J P http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110424k0000m040126000c.html

東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。
岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。

 ◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
 調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。
東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。

 都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。

 明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。
明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。

 都司准教授は「明治三陸津波で甚大な被害を受けたいくつかの地区は、今回も30メートル近い津波が到達したが、集落を高台に移していたため被害を免れた。
今後まとまる被災地全体の調査結果を、復興計画に生かしてほしい」と話す。【永山悦子】

 ◇明治三陸地震と昭和三陸地震◇
 いずれも三陸地方に大きな津波被害をもたらした。明治三陸地震は、1896年に起きたマグニチュード(M)8クラスの地震。
地震動による被害はなかったが、大津波が発生し、北海道から宮城県の太平洋岸で約2万2000人の死者を出した。
昭和三陸地震は1933年に起きたM8.1の地震。津波によって3000人を超す死者・行方不明者が出た。

*
 死亡者数 14,300人  行方不明数 11,999人 (24日現在・警察庁まとめ)


    2011年4月25日ブログの再掲  

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東日本大震災 4
3.11以降
なにかが変わった?

ガソリンを積んだタンクローリー車(出光)が Sスタンドへ入ったのは、23日である。
同日、長い列をつくってガソリンを詰めた。車1台につき2000円分(約13㍑?)買え、ホッと息をついた。
特別な用事がない限り、車は乗らないつもりである。妻は、学童保育があるから車で出勤する。

あの日(3.11)に地震が起きるなどとは予想しなかったので、車のガソリン残量は僅かだった。明日にでも詰めればいい、そう思っていた。
また、灯油タンク(風呂・ストーブ用)の残量も少なくなっていた。いつもなら、業者へ電話すると即日、満杯詰めに来てくれた。
......が、あの日以降、ガソリンも灯油も品薄になり、ガソリンは早朝から並んでも注油できない(空振り)し、灯油も買えなくなった。

多少の不便、ないしは寒さなど、岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければと、車を使うことを止め、ストーブも使わずに節約に努める。
皮肉なことに、それまで比較的温かな陽気が続いていたのに、あの日以降は寒い日が続き、雪が降り積もった。
風呂は毎日 使ったが、ストーブは使わないで エアコン暖房で 凌いだ。エアコンはどうしてもストーブのようには温かくないが、我慢した。
津波被災者のことを思えば、家があって、エアコンが使えるのは、多少寒くてもガマンしなければならない、極楽だと言い聞かせた。

いったいどのくらいの期間ガソリンが買えず、灯油が入手できないのか? それが分からないのが不安だった。
けれど 23日にタンクローリー車が来たのを見た時、(あぁ、これでガソリンはダイジョウブだ!)と思い、暗闇に光明を見た思いがし、元気が湧いた。
そして...... 24日の昼近くに、いつも配達してくれてる人が 灯油タンクを搭載した車で「天童の家」にやってきた!
「みんなに配らなければならないので50㍑ということで..... 」馴染みのスタンド店主の言葉に、否やはない。

「当分はそれでやれる。ありがとうさんね」妻が笑顔で話してる。
あの日から12日目でガソリンが来た。13日目で灯油も入れてもらった。
被災者の多くは、まだ不自由な避難所暮らしで苦労しているはずである。住む家を流され、これからどうして行けばいいのかさえメドが立っていないだろう。
そのことを思えば、家があり、風呂が使え、食べられ、寝る所もある身をなんともありがたいと思わずにはいられない。

先に、「岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければ」と書いたが、茨城・千葉などでも大きな被害を受けているのである。
そういう人々のことを見落としてはならない。
放射能による水や食材問題が大きく取り上げられている。それは、ないがしろにできない。でも、というか、寒さや食べ物、トイレやストレスの問題で危機状態になっている人たちの救済は、優先しなければならない。
異論があろうが、自分はそう思っている。

津波で壊滅状態になったその街作りをどうやっていくか、また発電(原発)のことなど大きな課題がたくさんある。
が、「天童の家」では、この地での状況を地味に報告していくつもりである。
(あぁ、また大きな余震だなぁ 17:22 ) これは、錯覚でない地震だ!

「天童の家」では、これから、ね どういう形で関わっていくか? それをはっきりしなきゃならない。
3.11 は、まさに大きな出来事であるのを自覚する。人生そのものが、あの日を境にだいぶ変わって感じられるようになった気がしてならない。大袈裟でなく、そう思う。


2011年3月24日のブログ再掲


  1. 2019/03/12(火) 07:03:52|
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3.11から8年



   原発の燃料デブリに触れ初めたり冥くて遠き廃炉への道    東京都・水原理郁

掲歌は3月10日の朝日歌壇で、佐佐木選者と馬場選者が二席、高野選者が六席の共選歌である。
先月、福島第一原発二号機で、溶け落ちた核燃料にはじめて触れる調査が行われたことを受けての歌。

今日は、東日本大震災(3.11)から8年目の日である。
8年経って、被害の酷さがますます深まってるのを覚えるのはどうしたことか?
地震は、地球規模の現象だから、如何ともし難い。

しかし、原発事故は、明らかに人災である。
原発難民と呼ばれる人々が、まだ 52.000人あまり(H.31.02.07現在)おり、うち山形県内には 1.983人。
上の数字は、復興庁が把握してものだが、この数字に現れない人々の苦悩も忘れてはならない。

<「震災後」は続く> という題で、俳人の照井 翠さんが、コラム「うたをよむ」に書いてる。

  震災は一瞬だが、「震災後」は永遠に続く。風化が加速するのはやむを得ないが、
  今後とも震災を見つめ、その本質に迫る俳句を詠み続けることが鎮魂であり、祈り
  そのものであると考える。


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東日本大震災
大 地 震
2011年3月11日

2011年3月11日午後2時46分、この時刻をながく忘れないだろう。
洋間の長椅子に腰を沈めて、池波正太郎著「戦国幻想曲」新潮文庫を読んでいた。
揺れは、激しく、長く続いた。これまでに体験したことのない地震だった。(地震だ!)とは分かったが、いったいどうすればいいのか分からない。
驚きのまま、長椅子から腰を浮かし窓を見る。左右に動いて、(もしかしたらこのまま家が倒壊するのでは......)と思った。
そう思ったら、立ち上がって、外へ逃げようと部屋を出た。母は、すでに外へ出てた。
「火、消してきたか?」母の問いかけに、「消した!」と応じる。
外へ出ても、大地がまだ揺れている。

後で考えたのだが、(あれは本当にまだ揺れていたのだろうか......? )と。というのは船酔い後に陸地に上がった時に、地が揺れてるような錯覚を経験する。
特に、今回の地震は大きな余震が何度も起きた。そうした後には、実際は揺れていないのだが、なにかの弾みで「ない」揺れを感じてしまう。
似たような感覚を妻も体験してるようだ。不安がそうさせるのだろうか。とにかくない揺れを感じてしまう。
あの経験したこともない揺れが、きっとトラウマになっているのかも知れないなぁ

余震を感じる度に、電灯から下がってる紐が揺れているかどうかを見る。
見れば、70~80パーセントくらいは揺れているから、(あぁ、また余震)と分かるが、30~20パーセントくらい錯覚なのに苦笑してしまう。
錯覚の揺れは、特別の場所や時間にでるのではなくて、いつでも現れる。
今朝、二日ぶりに風呂に入った。入浴しながら浴槽の湯を手で動かしていたら、また余震を感じた。でも、それは錯覚の揺れだった。
鏡を見ながら ひげ剃りしてたら、また揺れた。うう、それも自分の身体が動いたために覚えた余震(錯覚)なのが分かった。

こうしてタイピングしてる時(13日 7時15分頃)にもまたかなり大きな揺れが2度きた。それは間違いなく震度4近い余震だった。
13日 8時30分頃にもまた本当の揺れがきた。妻と朝食中で、横揺れでなく、直下からビビビと震えるはっきりしたそれである。
はじめのそれは、「平成23年 東北地方太平洋沖地震」(東日本大地震)は、マグニチュード(M)8.8 という国内観測史上最大のものだった。
それで度肝を抜かれた。それ以降も限りない程の余震が起きた。11日の夜は、停電で真っ暗闇の中で、「あっ!  また起きた」と幾度も身を固くした。
12日になっても家屋を揺るがす余震がいくつもあって、慣れることができない。

停電が30時間近くあって、ようやく復旧(12日午後8時近く)したけれど、起きてテレビを見るのがやっとである。
パソコンする気持にならない。泥のように重たくべったりした気分...... 時間的には、十分に眠っているはずなのに気分は寝不足。
実質的な被害はなにもなかった。津波に遭った人たちに比べれば、ホッとしていいはずなのに......
「天童の家」のそれは、下の写真くらいでしかない。こけしが倒れ、本の函が散らかったにすぎない。
なのに、揺れの錯覚が度々現れる。それがとてもイヤというか、不安な気分になる。


2011年3月13日のブログ再掲

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東日本大震災 2

自分ができることを

見通しが甘かった。停電はそんなに長くはないだろうと思っていたが、大きく外れた。
11日は、外が明るいうちに「ろうそくの灯り」で夕食を済ました。
「天童の家」の炊飯や煮物はガス(ボンベ)でやってる。また反射コンロ(3台)もあるので湯沸かしや煮炊きは不自由しない。
ところが、あいにく炊飯器の電池切れでご飯が炊けない。それだからといってちっとも困らない。麺類が好きだからそうめんやパスタを食べた。

懐中電灯にも欠かせないので電池を買いに行く。「パンとホッカイロも買ってきて」と母のリクエストもある。
途中にコンビニがあるけれど、そこははじめからパスし、ホームセンターへ。ところがそこは長蛇の列で「こんなに並んで...... もうダメだ」と判断し、ショッピングセンターへ向かう。
ホッカイロは買えたが、パン類はもうほとんど品切れで、味噌パンと菓子パンをようやく入手できた。
電池はみごとに売り切れ! 「懐中電灯の電池で点火し、炊飯終わったら、また懐中電灯に電池を戻せばいい」ということで対応するしかない。

12日、続く余震に戸惑いながらも、さいわいに天気がわるくないので、気分転換にと散歩をする。
考えれば、散歩などしてる時ではなく、食材の確保やガソリン補給をしっかりやるべきだったのだが...... その考えが浮かばなかったのが悔やまれる。
12日も停電が続いてる。ラジオで情報を集めながら震災の惨状に驚く。
「冷蔵庫の掃除をやるから手伝って」妻に言われ、せっせと冷蔵庫の掃除や整理をやる。
今回の停電は、30時間ほどだったが、その途中のこの時点でも冷凍庫内のそれは全部解凍してしまった。孫たちのために保管してあるアイスキャンデーは全部捨てた。
東京電力は、今日(14日)から計画停電を実施するという。3時間~数時間だから、全部ダメになるということもないだろうが......

13日、日曜のルチンワークとして買い出しがある。ので、いつもの通りに買い物に出かける。
が...... 途中の道路が渋滞しちっとも進まない。不審に思って調べるとガソリンを詰めるための順番待ちと分かる。それが方々の場所で同じような情景なのである。
自分のタンクを見ると、残量が少なくなってる。(しまったぁ!)と思うが後の祭り...

いつものショッピングセンターに行き、さらに驚く。買う物がない!
「入荷しないのです」店員が困惑顔で説明する。いつもは活況を呈してる店内の陳列棚がガランとして、まるでゴーストタウンのような感じである。
「あるもので食いつなぐしかない。まだ食べるものがある(缶詰やその他の食材)しなぁ。畑の大根も掘り起こしに行こう」

東日本大震災:マグニチュード 9.0に 世界史上4番目 (毎日JP)
 気象庁は13日、東日本大震災の規模をマグニチュード(M)9.0に修正した。これまでは国内の観測史上最大のM8.8としていたが、地震波のデータを詳しく解析し、再計算した結果、9.0になったという。
M9.0は世界の地震の観測史上4番目となる。Mが0.2高いと、地震のエネルギーは約2倍となる。
 また、気象庁はM7以上(震度6強~4程度)の余震が発生する確率について、13日午前10時から3日間以内が70%、その後3日間以内は50%と発表した。余震確率70%は国内の地震で過去最高。
 横田崇・地震予知情報課長は記者会見し、「余震の数と規模は過去の地震と比べけた違いに大きい。震度6弱~6強程度の余震が今後も2週間程度は続く恐れがある」と注意を呼びかけた。【福永方人、飯田和樹】

東日本大震災:給油に長蛇の列 新たな供給のめどなく (毎日JP)
 ガソリンスタンドで給油するために並ぶ車の列。場所によっては1キロ以上の列になっているスタンドもある。東日本大震災で被災した東北各地のガソリンスタンドで、給油を待つ車が長蛇の列を作っている。
 停電の影響でポンプを動かせる店が限られていたり、緊急車両以外の給油が制限され、一般車両が給油できるスタンドが限られているためだ。
 盛岡市内の中心地にあるスタンドには13日朝、約30台が並んだ。自家発電で12日から緊急車両に限り営業しているため、ガソリンはほとんど底をつきそうだが、新たな供給のめどは「ない」という。

今回の大震災を思えば、多少の不便さや不満はあっても忍ばなくてはなるまい。
今回のような大規模な計画停電にも対応しなければならないものと思われる。
愚痴や不満を言うより、この窮状に自分がやれることはなになのかを考え、実践すべきだろう。


2011年3月14日のブログ再掲


  1. 2019/03/11(月) 05:10:52|
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コンパクトカメラで

コンデジ性能

9日は、気持ち良い日本晴! 月山が輝いて見える。
前日までは春の雪が舞ったりのすっきりしない天気だった。
それがウソみたいな空が広がってる。
朝食を済ませ、スーパー農道へ出かける。

コンパクトカメラで、この景色がどこまで撮れるのか?
朝日連峰がハッキリ見えるし、東には蔵王も輝いてる。

望遠でめいっぱい引っ張っても手ブレの心配ない明るさだ。

ということで、もう幾度もエントリーしてる山たちを並べる。
コンデジ性能もずいぶん向上したのに驚いている。

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                 ↑ 蔵王             ↓ 朝日連峰

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  1. 2019/03/10(日) 05:10:30|
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ヤママユ

 

6日のブログで、ヤママユの画像を使った。
画像の1枚をある方のBBSにおいたところ、ヤママユがよく分からないので説明して欲しいとのリクエスト。
それに応え、さっそく説明にとりかかった。

だが、どう説明すればいいのか? それが分からない。

   蛾の卵のようなもの、この綺麗な緑の中に、マユがあるのですね?

質問には、上のような問がある。
その「綺麗な緑」こそが、まさにヤママユそのものである。

山繭は天蚕とも言う。
養蚕家が飼う「お蚕」とは違い、自然の中で生き、繭をつくる。

   以下はhttp://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/Library/tensan/tensan.htm からの転載(抄)

天蚕は、わが国在来の代表的な野蚕で、クスギ・コナラ・カシワ・シラカシなどの葉を食物として全国の山野に生息している。
一部の地方では飼育もなされており、なかでも長野県穂高町の有明地方は昔から天蚕の飼育が続けられている。

繭1粒から長さで600~700m程度、1000粒から重さで250~300g程度の糸が得られる。
この糸は天蚕糸とよぱれ、光沢が優美で、太く、伸度が大きく、織物にして丈夫で、しわにならず、暖かく、手触りも良いなどの優れた特徴があり、繊維のダイヤモンドにもたとえられて珍重されている。

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残雪が間もなくなくなる頃、妙なことだが、毎年きまってヤママユのことを思い出す。
まわりは雪で白く、林は裸木。そこで春風に揺られ目立つのが緑色したヤママユの繭玉。
あの色、あの形が好き。一足先に春がきたことを告げてるような淡いパステルカラーの緑。

林が芽吹いたら、もうあの繭玉は見つけにくいだろう。モノクローム的な今の時だからこそ目立つ繭玉。
春の気配を感じ、山肌が斑模様になるちょっと前、今がちょうどヤママユの緑色の繭玉が探しやすい時。

おかいこ(家蚕)は、真白な繭玉をつくる。
ヤママユ(天蚕)は、緑色の繭玉をつくる。

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上は、先日に撮ったヤママユ
下は、過去に使ったヤママユ画像

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  1. 2019/03/09(土) 05:03:54|
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春 の 雪


起床しカーテンを開く。予報通りに白くなってる。春の雪である。
綿を千切ったような大きな雪が、ふうわり ふうわり 舞うように降ってくる。春のぼたん雪。

朝食後、庭に出てなにか被写体がないかと探す。通常の雪景色では意味がない。
梅の花を見ると、花は積もった雪に覆い隠されて見えない。
ネコヤナギも絵になるようなのがない。

道路脇に咲いてるクロッカスが、優しく顔を出してる。
迷わずカメラを向ける。

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  1. 2019/03/08(金) 10:48:58|
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フクジュソウ 2

慣れるまでは

歳をとると、面倒なことが嫌いになる。というか、できなくなる。
若い頃からメカ音痴だったが、それが一層強くなってきてる。

コンデジの使い方が(面倒)に感じる。
コンパクトカメラは、手軽に使えると思っていたが、なかなかどうして難しい。

新しい機能に戸惑い、どう使えばいいのかとうろうろ迷っている。
(老いたのだなぁ)との思いが膨らむ。

それでもカメラを放り出してしまうまでには至らず、
(もう少し頑張ってみるかぁ)との気持ちがあるのは救い?(苦笑)

慣れるまでは試行錯誤と、自分に言い聞かせてる。

ということで、今日もまた散歩道脇に咲くフクジュソウにカメラを向けシャッターをきる。

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上の画像は、6日に撮った
下のそれは、2月24日に仙台市熊ケ根で撮影。
奥羽山脈の東側(熊ヶ根)と西側(山形市)では、
開花に約10日程の違いが......

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下は、一眼レフで撮った画像である


阿蘇望亭さんと、昨夜また電話会談(笑)

手術の経過は、順調!!
声にも張りと明るさがあふれ
嬉しい会話になりました

  1. 2019/03/08(金) 05:10:14|
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