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愛 惜



今日並べた画像は、包み隠さずに言えば、当初はボツ画像だった。
それでも直ぐに捨てられずにフォルダーに入れていた。
幾度も(ついで)の気持ちで眺め、やはり(ボツ画像だなぁ)と......

数回眺めているうち、っふふ ボツ画像なのに、なんとなく(わるくないのかも)の気持ちが芽生える。
ダメな画像でも、見ているうちになんとなく愛惜の情がわいてき、無碍に捨てるのが可哀そうになった。
画像に、というより、そこに写っているシラサギに愛情がわいてきたのだろうか?
おかしなことである。

画像としては、今でも限りなくボツに近いのだが、シラサギの動作・しぐさに親近感を覚える。
それがどうしてボツなのか? 自問自答するが、よくわからない。

というような経過があって、ボツ画像が登場するに至った。
それも9枚という大量に! (苦笑)

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  1. 2019/01/31(木) 05:16:21|
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冬 籠 り

同 感

『驢馬の耳』1月30日の「冬籠り」を読み、次の4行に、深く頷く。

  そもそも、自分が見ているものと、他者が見ているものが、
  本当に同じものだ、と確認することなど、出来ない。
  だいたい同じものを、そこそこ同じように見ているのだろう。
  と、いう前提で、なあなあ、まあまあ、と皆適当に生きているのだ。

「天童の家」の原点は、共感である。散歩などで得た感動を、自分独りだけのことにしておくのは惜しい。
この情景を、あるいは場面を、写真や文章で表現し、他人へも伝え、感動を共有したい!が出発点だった。

しかし、一方では、自分が感じた喜びや切なさが、はたして他人にも同様に映るのだろうか?という疑念、
その気持が常にこころの隅に漂っている。

今日はとても感動したいい場面があった。文も絵もまぁまぁだから、きっと共感のコメントがあるはずだ。
そんな思惑を胸にエントリーしたブログ。なのに結果は「なしの礫」ということが屡々。
自分が見ているものと、他者が見るものには、やはり違いがあるのか?

現役で働いている頃、時折 頼まれて大勢の前で話すことがあった。
その時、話の冒頭によく「痛み」の感覚を喋るのを常としていた。

顔を殴られたり、腕を抓られると(痛い!)と思う。これは誰でも感じる嫌な感覚である。
だがよく考えれば、自分の痛みと他人の痛みが同じだとは、どうやっても確かめられない。

だいたい同じものを、そこそこ同じように見ているのだという前提
その前提を聴き手が、承認してくれているか どうかを確かめる。
っふふ 聴衆の首が縦にふられ、話し手がこの先何を語ろうとするのかに興味を持ったのが覗える。

自分が見ているものと、他者が見るものが同じという前提と
本当に同じものだ、と確認することなど絶対に出来ない現実

自分の感じ(思い込み)と、他人の見え方の大きな乖離はどこからきているのか?
自分ではまぁまぁの表現なのに、他人からの共感がないのはなぜか?

昨年のシバザクラ写真コンテスト落選のそれを思い出す。
(思い込み)というか、自惚れに気づかなかった。自惚れという曲者がいたなぁ(苦笑)

ここまで書いて、へへ またまた何を書きたいのか分からなくなってしまった。
確かなのは、『驢馬の耳』今日のあの4行に(そうだなぁ)と大きな同意をした。ということである。


  1. 2019/01/30(水) 10:54:59|
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飛翔シラサギ



「飛翔シラサギ」のタイトルは、幾度も繰り返し使ってる気がする。あまり良いことではないのは承知しているが、
またまたこうなった。
「シラサギ賛歌」でもいいような気がするが、これも何度かつかったタイトルである。
それほどに、シラサギ画像をエントリーしていることである。なんとも恥ずかしい。

しかし、あの真っ白い大きな鳥が飛翔する姿を見ると、ついついカメラを向けてしまう。
シラサギは、一年を通し眺めることができる。
本音を隠さず書けば、この時季はハクチョウを撮りたいのである。

けれど、今シーズンは歳末に一度だけしかハクチョウを見ていない。
はたして、今年はいったいどこへ行っているのだろうか?
ハクチョウの飛翔姿は、シラサギには見られない必死さと優雅さが感じられ大好きなのだが......

もしかして、ハクチョウの代償としてシラサギを追いかけているのだろうか?
イヤイヤ、そういうことではなくて、真っ白な冬景色の中でさえ見映えのする鳥だから......
ハクチョウは家族?(群れ)で飛翔するが、それもいいけれど、シラサギは、いつもたいてい一羽で、孤高さを保つ。
(群れで飛翔する時でも、ハクチョウのような統制的な態勢をとらない)

ハクチョウにはハクチョウの、シラサギにはシラサギの特性があるのは言うまでもない。
ハクチョウが見られるのは、この時季に限られてる。ハクチョウが見たい!
見られないから、やはり代償としてシラサギを追いかけているのだろうか?
っふふ (やっぱりなぁ)と思う。 (苦笑)

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  1. 2019/01/30(水) 05:10:51|
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シラサギ 10 態



相手が動物、それも羽をもっているので自由に飛べる。(笑) その被写体にカメラを向ける。
イメージしているようなのをなかなか撮れないのは、しかたない。
それでも粘る。冬の湖畔(沼)は冷たく寒いけれど、こころはかっかと燃えてる。

へへ そう息巻くようなことではない。静かに、深く、楽しみながらシラサギと対峙してる。
白い世界で、白いシラサギを撮っている。っふふ 面白い。
こんなのをたくさんゲットできた。(ありがとうシラサギさん)

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  1. 2019/01/29(火) 04:10:33|
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雪灯篭まつり



毎年恒例の「雪灯篭まつり」が昨夜あった。
正式名は、「第12回子ども会安全・安心雪灯ろうまつり」

 子どもたちの健やかな成長を願い、雪灯籠や雪像を作り、点灯。

 時 1月27日  一斉点灯は午後5時
 所 ・主会場  天童市立天童中部公民館前
    ・その他=各家庭や地域において指定した場所 (小学校など)
 内容  点灯式、鍋の振る舞いなど
 問合せ 天童市子ども会育成会連合会事務局(天童市教育委員会
     生涯学習課内 電話023-654-1111 内線833)

以下の画像は、荒谷地区のを撮った。

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  1. 2019/01/28(月) 05:10:20|
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不全感残る



貫津沼の土手に駐車し、雪景色を撮るつもりだった。
ところが、まっ先に目がいったのは、へへ シラサギ等の鳥たちの姿である。
風景は逃げ隠れしないが、動物たちは人の姿やなにかの刺激で素速く移動する。

ふ~むむ カメラは迷わずシラサギに向かう。(笑)
23日に撮ったシラサギに大きな不全感を持ってたからである。
もう少しマシなシラサギを撮りたい!との気持ちがそうさせる。

新調したカメラにまだ慣れてもいない。なぜかピントがうまくスッキリ合わない。ぼやける。
先程まで出てた太陽が、雲にすっかり隠れてしまい、木々に降り積もった雪が白い煙幕を吹き上げてる。
吹雪いてきて、カメラに雪が当たる。(条件が良くないなぁ)

それでもここで降参するわけにはいかない。カメラマン魂が頭をもたげる。(笑)

結果を先に言えば、へへ やはり今回も大きな不全感が払拭できなかった。(泣)

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  1. 2019/01/27(日) 05:10:06|
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雪 の 華

  

24日、予報通りに寒波が雪を降らせてる。この冬、何度めかのスノーダンプでの除雪をした。
朝食後、雪も小降りになったので、雪景色を撮りに出る。適当な降雪量で、雪景色もきれいだ。
カメラを向けたくなるのは、枝垂れ桜に降り積もった雪。ちょっと見には、まるで桜が開花したふう。

他人さまの枝垂れ桜だが、通りから眺められるものなので、っふふ 断りもいれずに撮らせてもらう。
同じ町内であるが、太い枝垂れ桜が何本か見られる。花が咲くのはまだずーっと先だが、雪の華である。

雪の華 そうだなぁ 花が咲いたように見えるから嬉しい。
雪の華は、枝垂れ桜に限らず、雑木などもそのように見える。
雪の公道にいちいち駐車して撮るのは、なんとも気が引ける。ということもあり、邪魔にならない所へ移動。

貫津沼の土手に車を停め、ゆるりとカメラを向ける。

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  1. 2019/01/26(土) 05:06:12|
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黒を撮る



「黒を撮っても白撮るな」カメラ入門書などによく書かれてる格言?である。
黒は画像に締まりを与えるが、白は散漫な画像になりやすい。白は目立ち過ぎる。
目の前にある画像から、試しに白い部分を消去(トリミング)してみれば、格言が生きる。

先日、貫津沼でシラサギとカワウを撮った。
カワウにカメラを向け無心にシャッターを切る。だが、全身が黒いカワウは山や林など暗いバックになると
へへ カワウの姿が見えなくなる。(な、なんということだ!)と吃驚。
シラサギの場合、バックが暗ければ暗いほどシラサギの姿がはっきり見えるから、追いかけは楽である。

っふふ 黒を撮るのも(たいへんだなぁ)と思う。
家の近くにカラスたくさんいる。カラスをじーっと眺めると、なかなかきれいな姿である。
しかし、カラスにカメラを向けることはほとんどない。

まぁ 白であろうと黒だろうと、いずれにしてもいざ撮るとなると(難しいもんだなぁ)と思う。
へへ だからこそ、写真を撮ることが楽しいのだろう。

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  1. 2019/01/25(金) 05:11:29|
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シラサギ



22日にカメラを新調したので、っふふ 試し撮りがしたくて 貫津沼に被写体を求めて行った。
被写体といっても、なにか目当てがあったわけではない。先日、沼干しをやってたから、その後のようすを見たかった。
あわよくばなにか(いい景色や動物にでも出合えたらいいなぁ)と、淡い期待があった。

雪不足で、佳い景色はみられなかったが、たくさんのカモやカワウがのんびりと過ごしてる。
アオサギ2羽とシラサギが1羽もいた。沼の土手が陽だまりになってい、しずかに佇んでる。

シラサギは全身真っ白で、撮影では白飛びが出やすい。試し撮りには絶好の被写体である。
シラサギやハクチョウ撮影時のデータがあり、露出を数段少なくしないと白飛びになりやすい。
しかし、今日はあえて露出をカメラ任せにする。果たしてどのようなシラサギになるのか?

カメラ任せでは、やはり適正露出にはならなかったが、レタッチで見られる許容画像になる。
冬(雪景色)の撮影には、人の目も迷わされる(ホワイト・アウト)のだから、カメラ任せの方が安心できる。
ということで、いろいろと自分なりに考えると、っふふ なんとも楽しい撮影だった。

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  1. 2019/01/24(木) 05:10:10|
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光 芒



昨日の夕方に......

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  1. 2019/01/23(水) 05:52:12|
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除雪作業



野菜づくりの専業農家は、冬でも仕事がある。ハウスの中でトマトやイチゴ等の栽培で忙しい。
積雪期は、ハウスへのアクセスのための除雪が加わり、除雪機が唸りをあげ降り積もった雪を飛ばす。

今年は、降雪量が少ないようだが、それでもハウスまでの除雪は機械がなければできない仕事だ。
「天童の家」ではハウスを持たない。少し広い庭の除雪は人力でスノーダンプを押して片付ける。

もちろん、除雪機械があればいいなぁとは思う。しかし、購入費用を考えると二の足を踏んでしまう。
除雪機の年間稼働は、せいぜい10日前後だろう。あとの355日は待機。なんとももったいない気がする。

しかし、ハウス農家にとっては、とにかくアクセス道路を確保し、かつハウスを雪から守るには除雪だ。
除雪機なしにはどうしようもない。大事に使えば長年にわたって使用できる。

ハウスは、サル等の獣害から作物を守ってくれる城(砦)でもある。
他所さまの働く姿を眺めながら、そんなことを思った次第である。

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  1. 2019/01/22(火) 05:10:47|
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ストレス発散



みちのく雪国の冬は、やはり寒く、冷たく、厳しい。
朝、カーテンを開け、(どうかなぁ)と、雪掻きの有無を覗う。積雪が少ないことを念じながら......

前夜の気象情報では、積雪量5cm~14cmだった。その位だったら雪ベラでさっさと掃けばいい。
しかし、それ以上の積雪だったら、スノーダンプで片付けなければならず厄介感がわく。

18日の朝は、雪が舞っていた。積雪量は10cm未満だったのでホッとする。軽く雪ベラで掃いて済ます。
書斎に戻り、パソコンに向かう。部屋は温かく、冬の厳しさは微塵もない。
妻に促され、朝食。食堂からの景色は、相変わらずの雪が降りしきる。

朝食後の喫茶時に訪のピンポ~ン。灯油配達の車だった。
妻が差し出す領収書を見る。230㍑で17940円。

12月20日に、ホームタンクとドラム缶に詰め、340㍑で26520円だった。
みちのく雪国の暖房費はやはり負担が小さくない。
気象条件だけでなくてね、経済的にも厳しい。

話が変わる。

冬は、やはりどうしても家に籠りがちになる。
出歩かないと、カメラを向ける被写体もなく、裏庭にやってくるヒヨドリなどを眺めてる。
ウメモドキは書斎の東南に位置してるので、ヒヨドリの姿は逆光になる。

動物写真は、なんといっても目がちゃんと写ってないとダメ。
「目は口ほどにものを言い」・「画竜点睛に欠く」などといわれるように、目がはっきりしない画像はボツ。
ということで、ダメなヒヨドリ画像を......

そして、お猿さんのお目々で鬱憤晴らしに(苦笑)


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  1. 2019/01/21(月) 05:20:22|
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月山賛歌 



富士山は、日本の山である。そう言っても誰も「異議なし」だと思っている。

月山は、山形の山である。山形県にある(存在)だけでなく、山形県民のこころの山。
雲がかかったり、雨天で見えない日もけっこうあるが、月山が見える日は、こころが落ち着く。

四季により、あるいは朝夕の光によって、月山の姿は多彩に変わる。
見る人のこころのありように応じて、その姿を変えるのかもしれない。
百人百様の姿をもつ山。月山は信仰の山でもある。

この日の天気は冬のものだった。散歩日和ではなかったけれど、除雪された農道を歩く。
目向かいに聳えて見える月山を眺めながら、歩く。時折立ち止りカメラを向ける。

月山は、山形のほこれる山

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以下は、昨日撮った画像である。


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  1. 2019/01/20(日) 05:10:56|
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雪が降る 



山形県大蔵村肘折は、冬になると度々降雪量の多さでニュースになる。
今年も幾度か豪雪のさまが放映された。
ちなみに18日の積雪量(深)を見たら2.34メートルである。

肘折に比べたら、「天童の家」辺り(山形盆地)の雪は、間違いなく少ない。
へへ 比べることが間違いなのだ。山形市18日の積雪量(深)は16cmで、平年比で76%。
やはり今年は、これまでのところ、少雪となってる。

除雪しない所の地面は真っ白。除雪した道路、日当たりの良い土手、水が流れてる河原等は黒く見える。
地上から離れて立つ背高い草(セイダカアワダチソウ等)やりんごやラ・フランスの木、
ぶどう棚やさくらんぼの雨除けテントフレーム、杉林など常緑樹は黒や緑で、いわゆる銀世界のアクセントになってる。

地上から離れた所に降り積もった雪は、溶けやすく、また強風に引き飛ばされ落下する。
したがって、しばらく多量の降雪がないと、銀世界は、しょぼくれた貧しい世界に変わってしまう。
新雪の世界は美しいが、銀世界は時間の経過と共に汚れ雑巾を放り投げたような見苦しい景色に変わる。

降雪は、雪掻きという厄介な作業を強要するが、厄介さ以上の美しい景色も創ってくれる。
少しのジレンマを覚えるけれど、醜い景色を見て歩くより、美しさを眺めたいという気持ちがずーっと強い。
しばらく降雪がないと、(そろそろ降ってくれないかなぁ)と空を見上げることになる。

しかし、神は容易に二物を与えてくれない。(笑)
18日も、気持ちに沿うように雪が降ってきたが、美しい景色になるまでには降らなかった。
それでも、へへ もしかしたらカメラを向けたくなるようなのがあるかも...... と、出かけた。

ふ~む む やはり、(もう少し降らないとムリだなぁ)であった。

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  1. 2019/01/19(土) 07:05:48|
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昭和も遠く



平成最後の年。皇位継承の準備がしっかりと進捗してるようだ。

新天皇が10月22日の祝賀パレード「祝賀御列の儀」で使用する自動車はトヨタのセンチュリーだという。

   降る雪や明治は遠くなりにけり   中村草田男

明治どころか、生まれ育ち、長く暮らした昭和でさえも遠くになったのを強く感じる。

草田男のこの句は、昭和6年(1931年)に詠まれた名句。
この句について、長谷川櫂は、『国民的俳句百選』(講談社)で次のように書いている。

  上五の「降る雪や」は、おりしも降り出した雪を見上げて思わずほとばしり出たかのような言葉。
  口ずさむと、明治どころか遠い昔のある雪の夜の物語を思い起こさせる。

  (鎌倉時代半ばの上州佐野。能『鉢木』大雪の場面が記述される)

  常世が舞台に登場するなり発する「ああ降ったる雪かな」の一言。
  これを聞くと、観衆の脳裏には深々と雪の積もる佐野の里と、なおも降りしきる雪の空が浮かび上がる。
  そればかりか、落ちぶれたとはいえ鎌倉武士の誇りを失わない常世の心ばえをたちどころに合点してしまう。

  ところが、これが「ああ雪の降ったるかな」ではたちまち意気消沈してしまう。
  この「雪」と「降ったる」の語順を逆転させ、「降ったる雪」と体言止めにしたところに、このせりふの力が宿っているわけだ。
  
  草田男の句の「降る雪や」は常世の「ああ降ったる雪かな」同様、降りしきる雪と過ぎ去った歳月をよみがえさせる。
  もし、これが「雪降るや」だったら、これほど人々の心に残る名句にはならなかっただろう。

「雪降るや」
「降る雪や」

ふ~むむ 目からウロコというのでしょうか
語順を逆転させただけで、イメージが大きく変わってくる変わりように驚く


  1. 2019/01/18(金) 05:10:44|
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アーチスト



自然は、芸術家だなぁ と思うことが屡々
特に冬、積雪が創り出す情景(造形)にそれを感じることが多い。

嬉しくなってカメラを向ける。まるで自分が創ったような気分。
動物たちの足跡もお気に入り(笑)

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今日もまた「おまけ」のそれである。

朝日歌壇(13日付け)を読んでいたら、次の歌が気になった。

   幻の平成三十三年を走れる免許でどこへ行こうか   広島市・堀 真希

更新した自分のそれを見たら、平成33年誕生日の1ヶ月後までの有効期限になっている。
っふふ それがわかって、やはり(どこへ行こうか)と...... 


  1. 2019/01/17(木) 05:10:44|
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四十分で人焼ける



今日のブログの末尾に、下のような「お願い」をした。

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お願い

どうみる?

12月2日付け朝日俳壇に次のような句が入選してた。

   露の世や四十分で人焼ける      長野市・懸  展子
   露の世に大往生といふがあり     長野市・懸  展子

そして、今年1月13日付けの朝日歌壇に下のような歌が、永田選者の首席で読めた。

   お茶を飲み饅頭一個食べて待つ四十分で人が焼かれる   長野県・毛涯 潤

どなたか上の俳句と短歌について、解説ないしは感想などをお聞かせ願えれば嬉しい。
よろしくお願いします。

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以下は、それへのコメントである。

私も読みました。
俳句や短歌に四十分というリアルな数字はいらないと思います。
私はこの数字のある句や歌にあまりいい感じを持ちませんでした。
というか、これを選んだ選者の評を聞きたい気がします。
2019/01/16(水) pallet


pallet さん
具体的なコメントありがとうございます

   お茶を飲み饅頭一個
永田選者が首席にとった歌
   四十分で
12月2日に俳句で載った語彙
首を捻りました

短歌・俳句を読むのは好きなのですが
自分では詠めないのです(泣)

2019/01/16(水) こんの
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むむぅ
pallet さんの、数字論!は面白いです。

「四〇分」である必然性が、あるのか、ないのか。
は、問題ですね。
「40分後に、お骨上げとなりますので、再び集合して下さい。」
というような、火葬場の職員の言葉に反応したのか。
それとも、お骨になるまでの時間を、自分で時計を眺めて、その間、色々な事を思っていたのか。
どちらだろう、と考えました。
もし、後者なら、ぴったり四十分、というのは、不自然かな…とか。
(私なら、42分、とかにするな…とか。)
ということは、前者の、40分という事務的な時間に悲しみを感じたのか。


私は、両方に共通する「 人焼ける」「人が焼かれる」に
違和感を感じるのではないか、と思いました。

火災や、殺人、焼身自殺、以外に、「人が」「焼かれる」と言う事は
普通は無いのではないでしょうか。
火葬は、人を焼く、ことではなく、亡くなった人(遺体)をお骨にする事ですよね。
亡くなった人は、お葬式などの儀式によって、火葬する以前に、
人から仏様に、変化、あるいはある種の進化、しているので、
普通は火葬する事を、人を焼く、とは感じないのではないでしょうか。

それでも、「人を焼く」と書かなくてはならなかった作者の心情が、
この句や短歌の、核心、なのだと思います。

この作者2人とも、焼かれているのは仏さまになった人、とか
お墓に入れる為の手順のひとつ、だとか思えなくて、
さっきまで生きていた人、としか思えなくて、
焼かれる事に納得いかない、のでしょうね。

まあ、これは、私がダラダラ書かなくても、皆さんお分りなのだとは
思いますが…

そこで、こんのさんは、なぜ、2人の作者、3つの作品について、
他の方からの感想を聞きたくなってしまったのか。
という問題が、出てくるわけですね。

こんのさんは、火葬に立会う人の気持ちで読んだのか?
もしかしたら、火葬される人の気持ちになってしまったのか?
または、大往生、という言葉に反応されたのか?

色々、思ってしまいましたが…
いかがでしょうか。

などと、歌会始の儀のテレビ中継を横目で見ながら書いています。
2019/01/16(水) 驢 人

もしかしたら…
全く、蛇足、かもしれませんが…
しかし、蛇足といえば、私のさっきのコメントも、
全て、蛇足といえば蛇足なのですが…

ともあれ、蛇足ついでにに、書き足すと、
もしかしたら、
四十分(お茶と饅頭食べるだけの時間)は、短いのでは、と疑問に思われたのではないでしょうか?

以前、火葬場で同席した伯父伯母たちが、
「そんなに早くお骨になるの? 昔はもっと時間がかかったのに…」
と話していたのを、思い出しました。

最近は炉が高性能になり、以前に比べて非常に短時間で、
お骨にできる、らしいです。

もし、見当違いなら、恥ずかしい…申し訳ないです。
                       2019/01/16(水) 12:13:27 | 驢 人
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驢 人さんから「なぜ感想を聞きたくなったのか」との問いかけに、そのわけが自分でもはっきりせず、
慌てたりしている。

長野市の懸さんの句で「四十分で人焼ける」の字句を見て、軽いショックをうけた。
荼毘時間の長短ではなく、「四十分で人焼ける」の字句そのものに衝撃に近いものを覚える。

そして、1月13日に、長野県の毛涯さんの歌「四十分で人が焼かれる」が首席で選ばれてたのに吃驚仰天。
これは明らかに懸さんの「四十分で人焼ける」があったからできた歌。
懸さんの句がなければ、できなかった。これは本歌取りとは違うはずだ。

素人の、下衆のと言い換えてもよいが、もしかしたら盗作にちかいものではないかと思ったりもした。
そんな次第(経緯)があって、みなさんの感想や意見をお聞きしたかったのである。


palletさん
驢 人 さん

しっかりとわけも書かずに、お聞きしたいなどと書き、お手数をおかけしました
ド素人は、とんでもないことを考えてしまうからダメですねぇ 
長野の毛涯さんにも申し訳ないことをしてしまいました。

  1. 2019/01/16(水) 13:49:51|
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青空と雲のコラボ



今年の降雪は、例年より少ない気がする。
なにを基準にそう思うのかを言えば、なんとも曖昧な根拠でしかない。
13日は、八幡神社(昔の村社)で「祝い祝い」(左義長)で、旧年中の御札などを燃やす。

例年なら、八幡神社の境内はじめ、道端にも相当の積雪があるのだが、今年の積雪量は少ない。
ということで(少ないなぁ)と感じて書いた。
しかし、除雪された所は黒い地面が見えるけれど、そうでない所には白い積雪面が広がってる。

陽がさし、青空が見えるので、誘われてるような気がし、散歩へ。
冬の青空は、きれいだ!
青空とか花火といえば、イメージ的には夏。
しかし、青空も花火も、きれいなのはなぜか冬の方である。

ふ~む む ここで突然「冬花火」が出たのは、10日に山形の初市(既報)だった。
その夜、霞城公園で2000発の冬花火があったから。(TV放映があった)
冬花火は、昔、大石田で見たそれがとてもきれいで印象深く、忘れられない。

冬の青空と、さまざまな形で浮かぶ雲の共演が嬉しい。
澄んだ青色がきれいだと思う。

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お願い

どうみる?

12月2日付け朝日俳壇に次のような句が入選してた。

   露の世や四十分で人焼ける      長野市・懸  展子
   露の世に大往生といふがあり     長野市・懸  展子

そして、今年1月13日付けの朝日歌壇に下のような歌が、永田選者の首席で読めた。

   お茶を飲み饅頭一個食べて待つ四十分で人が焼かれる   長野県・毛涯 潤

どなたか上の俳句と短歌について、解説ないしは感想などをお聞かせ願えれば嬉しい。
よろしくお願いします。


  1. 2019/01/16(水) 05:10:37|
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サルたち



野生動物たちにとって冬は最も厳しい季節だろう。
熊のように冬眠する動物は別にし、毎日の食餌の調達が難しいはずだ。
空腹には寒さも堪えることだろう。

雪国では餌になるものが雪に覆われてしまうから、餌探しは一層難しくなるはずだ。

昨日の散歩で、民家(廃屋)の屋敷内でサルたちに出合った。仔猿が3匹ほどいる小さな群れ。
ボスサルや母親らしきサルが、仔猿の活発な動きをじーっと見守っていた。
カメラを向けても、慌てて逃げることもなく辺りを睥睨してる。

ほんとに餌はダイジョウブなのだろうか?
仔猿たちの逗まらない動きが、ふ~む ダイジョウブと言っているように思われたが、どうだろうか?
餌が確保しやすい春には、まだまだ長い時間があるなぁ


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  1. 2019/01/15(火) 05:10:41|
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奥羽山脈



生まれ育った家(実家)から離れて半世紀以上にもなる。それでも実家から眺めた景色は今も懐かしい。
小学校から中学卒業までの9年間、村山平野の真っ只中を西北に月山・朝日連峰、東に奥羽山脈を見て登下校した。

現在は、奥羽山脈の山裾、村山平野(山形盆地)の東端で暮らし、実家で眺めた景色とは少し違ったロケーションである。
娘が嫁いで暮らしてる所が、私の実家と同じ地区であるので、娘の家へ行った時など見る風景を楽しんでる。

ということで、今日の画像は懐かしさいっぱいで奥羽山脈の山々にカメラを向けてみた。

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  1. 2019/01/14(月) 05:10:49|
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煙 幕



タイトルを「煙幕」としたが、実は間違いかもしれない。
樹木に降り積もった雪が、強い風に吹き飛ばされ、木々の間を縫うようにしながら地上に落下する。
そのようすがきれいなのでカメラを向けた。

煙幕は、軍事用語?で、身を護るために煙の幕をつくって隠蔽する。
しかし、この雪煙は、目的があって拵えたのではなく、自然にできた煙のような雪の揺れ動く幕。
それが、逆光にキラキラ光りながら移動するものだから、思わずカメラを向けシャターをきる。

静止画像を見ると、へへ 目で見たそれほどにはきれいでない。
動いてできるきれいさと、静止状態で感じるきれいさには、微妙な差異があるようだ。
静止画像でも、動いてる状態でのきれいさが出せればいいのだがなぁ


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  1. 2019/01/13(日) 05:10:37|
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立谷川の川面を眺めていたら、冬の陽光がキラキラ煌めいてた。
眩しくて、じーっとは見られなかったが、カメラを向けシャッターをきる。

空には太陽があって、青空に浮かぶ雲間から光ってた。
うすい雲が彩雲となってきれいだったのでカメラを向ける。

画像処理で川面の煌きは、それなりに見られるようになった。
彩雲の方は、太陽が真ん中にあって処理しきれなかった。

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  1. 2019/01/12(土) 05:25:17|
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農産即売所



10日は、山形市の「初市」だった。懐かしく思い出す。
兄嫁の実家では、臼や杵・まな板・鍋蓋・はしご・かけや(大きな木槌)等の木工品を出店してた。
初市は賑わい、雪舞う中で手伝いする兄の姿が新聞に載ったこともある。

初市は、今も賑わってるが、はしご・鍋蓋などの木工品は姿を消し、臼杵が数少なく並んでるのは寂しい。
兄嫁の実家辺りは、高瀬地区で『臼と杵の里』と銘打ってるけれど、昔の面影はなく、『紅花の郷』に力をいれてるようだ。
時代の変わりようには抗しきれない。寂しいけれどしかたない。

降雪の合間に、青空を見つけ、スーパー農道(広域農道)を彷徨う。
農道というけれど、信号の多い街道に代わるバイパスで、交通量もけっこうある。観光バスも利用してる。
このスーパー農道に、「道の駅」にひけをとらない店舗があり、農産物や地元産品(陶器・木工品など)を並べてる。
また、手打ちそばを主に、餅や団子、紅花ティなどを喫せるレストランもある。

そのような中で、ささやかな農産物即売所にカメラを向けてみた。
「市」原点の姿(笑)

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追 加

昨日の初市のようすが新聞記事になってる。


山形市中心部で10日、江戸時代から続くとされる新春恒例の「初市」が開かれた。
十日町から七日町までの約1.4㌔の通りに200店以上。
団子木や初あめの縁起物から冬野菜、コイの甘煮、陶器にかんじきまでさまざまな品が並んだ。
今年は天候にも恵まれ、新年の買い物を楽しむ多くの人でにぎわった。

山形市切畑地区でまな板などを作る木工職人の鑓水憲一さん(67)の店では、
「これいくら?」
「2千円くらい」
「もう一声」
「じゃあ1千円で!」
というやりとりも。

鑓水さんは「普段は店を構えていないので、お客さんとの会話が楽しい」と笑顔を見せた。
以下略。
 

  1. 2019/01/11(金) 05:10:13|
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雪景色を



昨日の朝は、今年になってはじめてスノーダンプでの雪掻きをした。
妻と息子と3人でやった。少し広い庭なので、雪掻きを独りでやるのはしんどいが
3人揃えば20分もかからずに済ませる。
雪掻き後も、雪は止まずに降りつづく。

これまで降った雪は、嵩は減じたものの消えずに残ってる。根雪になったのだなぁ
積雪にさらに新雪が降り積もった。どっちを向いても雪、雪、の雪景色である(笑)
新雪が積もると、景色は一層冬の景色が濃くなる。というか、冬らしい景色になる。

カメラマンは、っふふ いかにも冬らしい景色をゲットしようと出かける。
昨日撮った画像を並べる。


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  1. 2019/01/10(木) 05:10:11|
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鬼ごっこ



年末にかなりの降雪があったけれど、新年になってからは大雪にならないで助かっている。
けれども毎日のように雪は舞ってる。スカッと晴れ上がった青空は見られない。
積雪量は嵩を減らしているが、除雪しない道はまだ歩きにくい。

ということで、散歩も休みがち。寒風がやはり(冬だなぁ)と身に堪える。
暖かい台所で、パンプキンケーキ作りなどのアシスタントをよしとしている。(笑)
そこからは里山が眺められるから、日差しがでて佳い景色になれば直ぐに散歩に出かける。

目の前の裏庭にウメモドキが、赤い実をたくさんつけ、小鳥たちの餌になってる。
ヒヨドリが我が物顔でやってくる。他の小鳥たちが来ると、即追い払ってしまう。
他の鳥と仲良く食べればいいのに、と思うがそうならない。(ヒヨドリ奴!)と舌打ちする。

そのヒヨドリを撮ろうとカメラを向ける。......が、ヒヨドリは直ぐに姿を隠す。
カーテンの陰に姿を隠して飛来を待つ。しかし、待ってる時には姿を見せない。
諦め、台所へ戻ると、ヒヨドリはこの時ばかりとウメモドキに飛んでくる。

「鳥って、なにかで気配を感じるのかなぁ ここ(台所)で仕事してる時は、近いのに平気なのに、パパがカメラを持つと逃げてくんだもの」
「殺気みたいなのがわかるのかも......」
「パパに殺気があるの?」
「イヤ、たとえだよぉ っふふ 鬼ごっこしたら、ヒヨドリに直ぐ見つかってしまうかなぁ」

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  1. 2019/01/09(水) 09:09:15|
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誕生記念日



今日は妻の誕生日。昭和20年1月8日生まれ。74になる。
「天童の家」では、毎年必ず1月8日に妻の誕生日のことを書いてきた。
昭和42年11月9日に結婚し、一昨年が金婚式だったから、今年で52年になる。

以前には、誕生祝(品物)をプレゼントしようなどと思って、「なにが欲しい?」と訊いていたが......
前年あたりからは、そういうこともしなくなった。相手をだいじにする思いがなくなった?
イヤ、イヤ まったく逆の結果である。プレゼントとかで気持ちを伝えるのでは収まらない。

記念日は記念日で特別の日であるけれど、毎日が妻なしでは自分の存在がなくなる思いが強くなって、
プレゼントとかじゃなく、日常の暮らしの中で、妻に助力できることを実行してくのがいちばんだと
思うようになった。
具体的なことを書けば、母がまだ家事を妻と分担してた頃の仕事を、先年から母に代わってやる。

毎日の洗濯をやる。風呂掃除・湯の張替えをする。
妻と一緒に包丁をもつ。食器を洗ったり片付ける。
もちろん妻が献立し、調理するのだが、アシスタントとして手伝う。
とにかく、妻が少しでも(助かるなぁ)と感じるようなことをやる。

「男は厨房に入らず」などの俚諺が頭の片隅にある。でも、それは無視する。
そもそも男の役割、女の役割などというのが性差別なのではないのかと思う。
男が厨房に入ることは、恥ずかしいことではない。男が洗濯でなにがわるい。

こんなふうにわざわざ書き連ねることが、へへ 旧い男の証拠なのかなぁ(汗)
お互いの為すことを認め合っているからこそ、だいじに思っているからこそ、それをやる。
妻の誕生日に託つけて、なんとなく恥ずかしい気分があるのを粉砕する。(苦笑)

「やゑ子さん 74歳の誕生日、おめでとう」


  1. 2019/01/08(火) 05:06:10|
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花は咲く

時代の中で

新年も早いもので、7日になった。妻の料理も今朝は七草を念頭においたものだった。
家族の健康を思い、毎日いろいろな食事を拵えてくれるのを考えると、自分にできることは少しでも助力したいとやっているつもり。
でも、それは思いだけで、なかなか実行に結びつかない。(済まないなぁ)と思う。
「パパは、元気でいてもらうだけでいい。よけいなことを考えないでいきましょう」妻の言葉に、ただ頷く。

毎朝のルチンワークは別として、昨日、今年はじめての仕事で、白菜漬けをした。
と言っても、実際に漬け込むのは妻で、自分はアシスタントで、妻の指示通りに塩や調味料を加えたり、重石を運ぶなどの力仕事をする。
白菜漬けは、今シーズンは3回目である。仕事の段取りはだいたい分かってるので、戸惑うことはもうない。

白菜漬けを仕込み終わるころから、雪が舞う。今年になってから毎日のように断続的に降雪がみられる。
「いい時(晴天時)に漬けられてよかった」「パパ、ご苦労さん。あとはゆっくりTV見ましょう」
妻は、大の皇室フアンなので、日曜の午前6時から必ずTVをみる。6日午後2時からも「今上天皇のアルバム」だった。

平成31年4月30日で平成が終わる。皇位継承が行われ、5月1日から新しい元号になる。
昭和・平成・そして00の時代を生きたことになる。時間の流れが変るわけでもないし、社会も元号によって変貌することではないけれど、歴史は「時」や「元号」などで表現されてくことになるのだなぁと思う。

大きな歴史の流れの中で、歴史的な出来事に影響されたり、影響されないままだったり、各自の人生を暮らしてる。
ん? 何を言いたいのか? 
ふ~む それでも 「花は咲く」と......

1964年10月10日 東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)
2011年3月11日 「3.11」があった
2020年7月24日  東京オリンピック (第32回オリンピック競技大会)

2019年1月6日 「天童の家」居間に咲く啓翁桜

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  1. 2019/01/07(月) 05:10:57|
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日輪を撮る



冬は、畑仕事がないから、どうしても運動不足になりやすい。

降雪があれば、雪掻きをし、それがいい運動になるのだが、雪掻きするほどの積雪でなければ
家に閉じこもることになってしまう。
吹雪などの悪天候でなければ、できるだけ散歩するようにしているが、歩けるコースも限られる。

雪国に暮らす者には、陽光は「ごちそう」である。ありがたい自然の恵み。(笑)

というわけで、カメラ抱え、歩ける所を彷徨っている。
けれど、これという被写体になかなか巡り合わない。
過去画像に同じ情景や、はては天空の日輪を撮ってしまう。(苦笑)

月や太陽は、普通に撮れば誰が撮っても同じで、月なみ以下の画像で、面白くもおかしくもない。
それでもなおカメラを向けてしまうのは、へへ バカではないかと我ながら呆れてしまう。

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  1. 2019/01/06(日) 05:22:38|
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晩白柚賛歌



雪国で食べる南国産の晩白柚、それはなんともいえない嬉しい気分になる。
南国から送られたそれは、雪国に暮らす者には珍しいばかりでなく、まさに南国の香りと味が楽しめる。

「晩白柚なんて、ね それまで知らなかったけど、ママレードはやはりこれでなきゃぁっていう感じ」妻がそういい嬉しそうに笑う。

雪国の暮らしが厳しければ厳しいほど、南国の香りと味が癒しの力を発揮するような気がする。
「上手くできるといいね。ママのママレード、楽しみだなぁ」
「任せなさい、ちゃんと美味いのを作るから」妻の自信に満ちた声が頼もしい。(笑)


上の文は、以前に書いたものである。
今読み返して、晩白柚やママレードに対する気持ちは変わらない。
歳末にいただいた晩白柚が熟し、いい香りを発するようになった。

ということで、今年も晩白柚とそのママレードに舌鼓を打っている。

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  1. 2019/01/05(土) 05:10:50|
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冬景色は



積雪は、美しい景色を見せてくれる。

冬以外の季節も美しい風景があるけれど、冬景色は色彩が少なくなるが、逆に微妙な変化が多く現れる。
積雪量、降雪の状態、空の色、光量の多寡などによって景色は大きく変って見える。

下に並べた画像は、同じ場所で十数分内に撮った。
光の状態によって、こんなにも違った画像になる。

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  1. 2019/01/04(金) 05:30:31|
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