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平成30年大晦日

新 元 号

西暦1989年に、昭和64年1月7日で昭和が終わり、翌日が平成元年1月8日になった。
今上天皇が、2019年4月30日に退位され、平成が終わる。

歳末になって、例年の如くたくさんのカレンダーを貰った。
そのカレンダーで例年と大きく違うことを知って、(なるほど、そうなんだなぁ)と思う。
過去の暦との相違とは、来年の暦には、西暦(2019年)は明記されてるが、元号が見当たらない。

先日、運転免許証の更新のため自動車学校や免許センターへ行き、認知症テストや申請書に日付を書く。
西暦・元号のどちらでもよかったが、数字として浮かんだのは西暦2018年の方だった。
なので、来年のカレンダーに元号がなくても大きな違和感や不都合は感じない。

違和感、不都合がなくても、やはり元号があった方がなんとなく落ち着きを覚えるから不思議である。
っふふ やはり日本人なのかなぁと可笑しくなった。
「明治屋」「大正館」「昭和ss」「平成ホテル」などの看板を見ると、それなりのイメージが湧く。

1939年12月18日に生まれ、昭和・平成を暮らして79歳になった。
新元号は、どうなるのか楽しみでもある。新元号を何年暮らせるかはわからないが、良い元号であって欲しい。
昭和も平成もとても暮らしやすい時代だった。感謝の気持ちでいっぱいである。
1945年から2018年まで73年間、日本には戦争がなかった。

そして、約20年間を「天童の家」のブログと共に過ごしてきた。「たかがブログ、されどブログである。」
今年もいろいろのことがあった。アクセスしてくださった方々に大きな力を頂いた。ありがたいことである。

間もなく平成最後の年が暮れる。
どうぞ良いお年をお迎えください。

               2018年 大晦日
                      「天童の家」主宰 今野幸生

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  1. 2018/12/31(月) 15:41:15|
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年末寒波


予報通りに年末寒波が到来。
起床し、先ず庭の雪掻きをする。玄関から通りまでやって振り返ると
もう掃いたあとが白くなってる。猛烈な吹雪だ。

一先ず雪掻きを済まし、朝のルチンワークを逐わして朝食。
さて、今日の景色でも撮ろうかと思うが...... (新鮮味がないなぁ)と断念。

画像ホルダーを覗くと、先日散歩しながら撮ったのがまだ残ってる。
雪景色よりは、むしろこちらの方が(いいかなぁ)と思う。
雪がない時は、(雪のない冬景色なんて......) と思い、雪が降れば、(新鮮味がないなぁ)などと

へへ ずいぶんと勝手な生きものであると苦笑してしまった。


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  1. 2018/12/28(金) 09:44:06|
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天童の家 十大ニュース 2018年



今年もまた「天童の家 十大ニュース」を書く時になった。
できごとの大きさの順ではなく、備忘録にメモってる事項を順に並べてみた。

 ① 集音器 新規購入  1月27日 
     難聴者にとって補聴器は欠かせないアイテムである。それまで使ってたのが不具合を起こし
     急遽新聞広告で知った集音器をとりよせた。

 ② 揚水ポンプ更新   3月30日
     裏の池への水は、表の池から揚水ポンプで流してる。揚水ポンプは約3年ほどで更新。
     今年更新したから、あと2年ほどは稼働するはずである。

 ③ ケータイ故障    5月6日
     長く使ってたガラケイ(3代目)が不調。修理不能という。スマートフォンを持とうかと
     思ったが、もうこの歳だしと所持を断念し、解約する。

 ④ 写真コンテスト落選 6月13日
     芝ざくら写真コンテストに応募し、28年度(準グランプリ)、29年度(カレンダー賞)だった。
     30年度は、妻と二人で虹をこしらえて撮った作品を応募したが、落選!

 ⑤ 白内障手術     9月5日・12日
     運転免許証更新の時なので、眼鏡なしで視力検査をパスしたいと思って眼科受診。
     白内障手術を勧められ右目(5日)、左目(12日)施術をうける。

 ⑥ 不整脈(心房細動) 
     昨年の検診で、心房細動であるのがわかり、かかりつけ医で経過観察中だった。
     今年の検診で、再度不整脈を指摘され、服薬(血液さらさら薬)はじめる。
     長い間ずーっと服薬なしでこられた。ここにきてとうとう毎日服薬することに

 ⑦ 79歳になる     12月18日
     東京オリンピックが2000年に開催される。できることなら、それを観たいと(笑)
     ガンバッテもう一回誕生記念日を迎え、80歳になって待つことができるかどうか
     この歳になると、もう毎日「生きている」ことが、自分には大きなできごと(汗)

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  1. 2018/12/27(木) 05:18:17|
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白鳥飛翔 3



「白鳥に再会」 その3である。

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  1. 2018/12/26(水) 05:07:42|
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パンプキンケーキで



昨日はクリスマス・イブ。 クリスチャンでもないので格別のことはない。
しかし、巷では肖ってけっこういろいろなイベントが行われているみたい。
そこで、我が家でもいつもとは少しちがった食卓になった。

買ってきた寿司と菓子の他に、妻手作りのパンプキンケーキが並んだ。
寿司と菓子が旨かったが、それにも増してパンプキンケーキが美味しかった。


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  1. 2018/12/25(火) 08:01:56|
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白鳥飛翔



「白鳥に再会」 その2である。

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  1. 2018/12/25(火) 05:10:15|
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白鳥に再会



「北帰行」は、春が近づいてきた頃に一冬を日本で過ごした白鳥たちが、また北の国へ戻ってくことを指す。
それなら、冬のはじめに北国から日本へやってくることを何と言うのだろうか? まさか、南帰行(笑)
「北帰行」の対語というのだろうか、それを知りたいと思った。

そこで「検索してみた」と、続くのが通常の順序だが、今日は検索をしない。
「北帰行」は、小林旭が歌って流行った。もとはどこかの学校の寮歌だったらしいが、ここでは不要なこと。
要は、白鳥たちが、今年も飛来した。と、言いたかったのである。実際は、もっと早くに飛来しているのだが

ただ、天童近辺には、ここという確かな飛来地がない。白鳥の飛来地は遠い。
例えば、宮城県には伊豆沼があり、新潟県には瓢湖が、県内にも最上川にスワンパークという飛来地がある。
しかし、天童近辺では、塒となる河川や湖沼がない。それでも年によっては寺津沼に飛来することがある。
もしかしたら、今年は...... どうだろう? と、淡い期待感で訪れてみたが、やはり姿はなかった。

隠れた飛来地が、最上川や近くの河川や湖沼にあるのかもしれない。知らないだけの飛来地が......
寺津沼へ行く途中の田圃に、数多くの白鳥たちの姿を見て、そう思った。
とにかく、たくさんの白鳥たちの姿に嬉しくなって、車を目立たない所に停め白鳥ウオッチングをはじめる。

田圃で餌を食べてる姿もわるくはないが、白鳥はやはり水辺が似合う。っふふ「白鳥の湖」がしかりである。
しかし、ないものねだりをしても仕方がない。およそ百羽ほどいる白鳥を眺めていると...... 向こうの方から一輪車を引いた人がやって来て、ずんずん白鳥の側まで近づいてく。
白鳥に”しいな”(屑米)を与えようとしている優しい人なのである。

しかし、白鳥たちには、警戒を要するものに映ったみたい。警戒心の強い白鳥から先に飛びたち、ついには百羽ちかい全部が飛ぶ。
そのようすは感動的!だった。夢中になってカメラのシャッターを押し続ける。

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  1. 2018/12/24(月) 05:10:42|
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今年の画像(冬)




今年の画像からの歳末編である。


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  1. 2018/12/23(日) 05:12:38|
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今年の画像(秋)



今年の画像からの秋編である。


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  1. 2018/12/22(土) 05:10:16|
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今年の画像(夏)




「今年の画像から」の夏編である。

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  1. 2018/12/21(金) 05:10:00|
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今年の画像(春)



「今年の画像から」の春編である。

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  1. 2018/12/20(木) 05:13:31|
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今年の画像から



間もなく今年が終わる。1年365日は長いようで、終わってみればなんとも短く思われる。
「天童の家」では、散歩中に出合った情景をブログに並べているが、その画像からその時々に感じたり、思ったことごとがいろいろと思い出される。
画像はあくまでも出合いの産物?で、画像を得るために出向くことはめったにない。あくまでもその時々に出合って得た画像である。

だから毎日、並べられる画像がゲットできるわけではない。それでも時折、(これはみなさんに共感してもらえるかも)と思えるのを撮ることがあって、それはもう嬉しいことだ。
「天童の家」の原点は、画像を含め、「共感できる」嬉しさである。
最近は、文を書くエネルギーが乏しくなってきてる。カメラを向けることさえ時に億劫感を覚えたりするのには困惑する。
やはり80近くなると、そういうことなのかなぁ  と、頻りに思う今日このごろである。(冷汗)

下に並べる画像は、すでにアップ済の過去画像である。
1年間にエントリした画像の中から、春夏秋冬毎に10枚前後を並べてみようとの魂胆である。(笑)
冬・春・夏・秋・冬と5回シリーズということで


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  1. 2018/12/19(水) 05:12:43|
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雪 景 色 5


雪国の冬は、どこを見ても雪景色。(笑)
今日もまた雪景色をならべる。

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  1. 2018/12/18(火) 05:10:38|
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雪が降ると、散歩コースの選択が狭まってくる。
大好きな立谷川沿いのサイクリングロードも冬場は歩き難くなる。
積雪が嵩むと、やはり除雪されてる道になる。車も通るので気を遣う。

コースが違えば、眺める景色もかわってくる。それが楽しい。
先日、畑ルートで銃を持った人と出合った。知らない人である。
目顔で挨拶してくるので、私も返礼した。同年輩の方である。
猟を趣味?にしているのだろう。趣味と言っていいのだろうか?

狩猟をしている友がいる。熊汁や猪鍋によんでくれる友である。
お温厚な友で、怖いことは微塵もない。
しかし、知らない人が銃を持ってると、印象がちょっぴり変わる。
怖いというほどではないが、こころのどこかに構えが生じる。

視線が合い、先に挨拶してくれたからよかったが、もしそうでなかったらやはり銃持つ人って怖く感じる。
そんなことを思った自分を、へへ(おかしいなぁ)と可笑しかった。
独り芝居をしている自分を見た可笑しさだった。

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  1. 2018/12/17(月) 05:10:37|
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雪 景 色 4


今日もまた雪景色である。
見飽きた景色と思われないかなぁ

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  1. 2018/12/16(日) 05:10:06|
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今日の散歩で



天気がよかったので、立谷川沿いのサイクリングロードを歩いてきた。
道には積雪があったが、歩けないほどではない。
足跡一つもついていない道を歩く。


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  1. 2018/12/15(土) 15:32:17|
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過去ブログから


暇なので、「天童の家」の過去ブログをみていた。
10年前の大晦日のそれが気になった。 (あぁ そういう年だったのだなぁ)
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   ありがとう 2008年

とてもお世話になりました
よいお年をお迎えください

とうとう大晦日、2008年366日を暮らした。4年に1度の閏年、北京オリンピックがいろいろな話題を巻き起こしながら終わった。
今年は、なんといってもアメリカ発の金融恐慌風が全世界に吹き荒れ、100年に一度の恐慌と言われ、その影響は日本経済をもガタガタにしてる。
これは、第二次世界大戦の敗戦に次ぐ大試練だと考える。終身雇用制度がいつの間にか消えてしまい、数多くの労働者が路上生活(野宿)を余儀なくされてる。

野宿者は 大阪市で5千人近く、全国では3万人近いという。
第二次世界大戦の敗戦時も数多くの野宿者がいた。そのようすを『鐘の鳴る丘』などを見て身震いしたのを思い出す。
それと似たような状況が、平成のこの世にあるとは信じがたい。社会は 60年前のそれよりもさらに悪化してるのではないのか?!
大震災等による非常時のことなら理解できる。しかし、そうではない。平常時の社会のなかで、野宿しなければならない状態であるなど信じがたい。
でも、それが現実なのだ。ぞーっとすることだが、誰もが野宿と隣り合わせの社会。これが現在の社会なのである。

日本の経営者は、ずーっと社員を家族の一員として慈しんできた。日本には終身雇用という世界に誇れる文化があった。
だが、いつからか、経営者は人間を見ようとしなくなった。品物と同じ、必要がなくなれば あっさりと捨ててしまう。
労働組合も、自分たちの身が大切と、非正社員を同じ労働者と見ないで切り捨てる。それがいつしか自分たち正社員にも及ぶことを見ない。
リストラなどという横文字に安易に妥協(押し流され)してしまった労働者たち。それは『天に唾する』ことであることを忘れてる。

う~む 大晦日だなぁ 
明日から新しい年がはじまる。

     去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子
新年になったからといって、なにかが急に好転するわけでもないだろう。それでも、心機一転というか、人間のこころを信じたい。
グローバル化は否定できない。でも、日本が営々と作りあげてきた日本文化は伊達じゃない。
北欧あたりが、それに似た文化を創りつつあるように見受けられる。日本のお株を盗られると慌てることはない。全世界がその方向へ進めばいい。
自由競争が過ぎた結果(拝金)がこうなった。金で買えないものがたくさんある。それをみんなが大事にし、できる社会(優しさ)を創ればいい。

うう 大晦日に、ずいぶんとごちゃごちゃ言ってしまった。
旧年中(間もなくそうなる)は、いっぱいお世話になりました。誠にありがとうございます。
新年も(間もなくそうなる)どうかよろしくおつき合いくださいますようお願い申し上げます。

        「天童の家」主宰 今野幸生
                     2008年 大晦日
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12月18日で79歳になる。
69歳の時に書いた日記。なんだか自分が書いたとは思えない気がする。歳とったのだなぁ

以下は、あの3.11があった年の大晦日の日記である。


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   大晦日に思う

今日が大晦日。2011年最期の日である。当然のことながら、今日も24時間だ。
今日の残り時間がカウントダウンされ、あと00時間という言葉が繰り返される。
今日だって、いつもの24時間と同じなのに、なんだかムダな時がカウントダウンされてるような錯綜した気分になる。

2011年の最後の時(秒以下の瞬間)が来て、次に2012年の新しい時がはじまるのだが、2011年と2012年との境には何のしるしもない。
時は、見えないし、音もしない。匂いも、またそれが時だと分かるような何もない。
強いて言えば、時は時計の表示板上をよどみなく回っている秒針の流れ(動き)を見て分かるという錯覚がある。時間は、けっして秒針の動きではないのだが、ついそう見てしまうことがある。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」だれも知ってる「おくのほそ道」の冒頭である。
「月日は永遠にとどまることのない旅を続ける旅客であり、この人生を刻む、来ては去り去っては来る年もまた同じく旅人である。」と評釈される。
だが、よく考えてみると、年も月日も同じ旅人と言ってるだけで、旅人がどのような姿をしており、どこから来てどこへ行こうとしているかは何も分かりはしない。

50年前 Tさんに出会い過ごしたあの若い自分、あの時の時間はいったいどこへ行ってしまったのだろう......
72になったしょぼくれ男は、これからどこへ行こうとしているのか...... 時間軸で考えると、何も明らかでない。

  放射性同位体であるセシウム137は約30年の半減期を持ち、医療技術、工業用計量器、水文学などに応用されている。
  .... 放射性同位体であるセシウム135は230万年という非常に長い半減期を有しており、セシウム137およびセシウム134はそれぞれ30年および2年という半減期である。

「地質学から学ぶ山寺の歴史」では、800万年とか10万年前の地質学を学んだ。
前段の放射性同位元素と似たような時間のそれに圧倒された。
時間とか宇宙のそれになると、もう自分の頭ではついていけない。それでも実際に「時間」は存在するのだからただ呆然とするほかない。(笑)

それはそうであっても、それでも大晦日がきて、その後に新年がうまれる。
時間自体をいくら吟味しても、なんの益もないから、ムダなことはしない。
悲しかった、辛かった過去(時間)は忘れ、新しい年(時間)に期待する。
う~む、あと00時間で、2011年が終わり、心機一転2012年の新年がくる。
そうやって人は生きる。

みなさん 2011年いろいろとたいへんお世話になりました。ありがとうございます
みなさん どうぞ良い新年をお迎えください。そして「天童の家」もまたよろしくお願いします

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ということである。
今年も間もなく、大晦日を迎える。
その前に今年の「天童の家」十大ニュースを書かねば......

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  1. 2018/12/15(土) 05:10:09|
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朝焼け空


洗濯物を乾かすために外に出る。 っ! 東の空がきれいな色に染まってる。
衣類の詰まってる篭をそこに置いたまま、カメラを取りに部屋へ駆け込む。
カメラを手に、いつも撮っている場所へ駆け足で急ぐが、はじめに目にしたきれいに染まった空がもうない。

朝焼け色は瞬きする間に変わってしまう。それを承知していても、残念さが残る。今朝も同じだった。
諦めきれず、しばしそこに佇み、恨めし気に、未練たらしくなおも東の空を見つめていると、っふふ 新たな色が......
淡い緑色が消えた後に、本来の朝焼け雲が見えだす。いわゆる黎明のそれである。

珍しくもない彩りだが、カメラを向ける。

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  1. 2018/12/14(金) 05:10:20|
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雪 景 色  3


雪は消えるものである。(笑)
大地がまだ冷えきっていないし、気温もそう低くないので、時間が経てば溶けてしまう。

山に降り積もった雪が、陽光を浴び、輝いてきれいに見える。
里が雪消えしても、山の雪はけっこう長い間残ってる。
山の根雪は、里よりもかなり早くになるようだ。

消えずに残って、陽光に輝いてるそれにカメラを向けた。


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  1. 2018/12/13(木) 05:10:10|
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愚鈍だから



ブログ『驢馬の耳』の驢人さんからは、大きな力を頂いている。
根が愚鈍なソレガシなので、なんでも真正面から見てしまう。それしか知らないのである。
「なんとかの一つ覚え」を掲げていきている。

ものには、表裏があったり、見えない姿や形があるのかもしれないが、それを見ようとしない。
いや、見ることができないのである。愚鈍の愚鈍なる所以であろう。
だから、次のようなのを『驢馬の耳』で読むと、っふふ 安心してしまう。


  今日の写真、ノウゼンカズラ3枚も、前回に引き続き、
  ブログの大先輩『天童の家』からの拝借である。
  空に昇る龍の如く、正に凌霄、という姿。
  『天童の家』の今野さんの写真には、いつも励まされる。
  季節や暮らしの当たり前が、真っ直ぐ写っているからだ。
  添えられる文章も、真っ直ぐだ。
  真っ直ぐ、ありのまま、であることが見る者に安心感を与えてくれる。

  「ありがとうございます。」といつも思っている。


こちらこそ、「ありがとうございます」である。


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  1. 2018/12/12(水) 15:30:03|
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ネズミ取り



以下は、鳥羽省三さんの『臆病なビーズ刺繍』からの転載である。

    「井原茂明氏の『読売歌壇』の入選歌」に就いて(其のⅡ)

2014年01月23日 | ビーズのつぶやき

〇  バレルとふ単位をつかひナノといふ単位つかひて職を退きたり  市原市・井原茂明

〇  パトカーが塀に隠れてじつと待つ対向車線に兎出ぬかと     市原市・井原茂明

 ブログ「天童の家」の記事に拠ると、「掲歌は、どちらも読売歌壇入選歌である。『単位』の歌は、1月13日に俵万智選で、『パトカー』は、20日に小池光選」とか。
 この二首の短歌の創作意図と解釈を巡って、件のブログの管理者・今野幸生さんと作者・井原茂明さんとの間に二通の私信(恐らくは、メール)が交わされ(と推測され)、その展開の大概を今野さんが「暗喩」というタイトルでブログ上に公開したところ、今野さんのブログ上の親友・ころさんと時田幻椏さんがコメントを寄せられ、それに対して今野さんや井原さんが応えるなど、上掲二首の短歌の中の、特に二首目(バトカーの歌)の短歌の解釈や創作意図や寓意を巡って、真に興味深い展開が見られたのである。
 読売歌壇にしろ朝日歌壇にしろ、新聞歌壇に掲載される短歌は、もともと「投稿」という形の「裸身・無防備」のままで投企されるのであり、その「裸身・無防備のままで投企された短歌」に、一定の意味を見い出し、普遍的な価値を認めた場合、それぞれの新聞歌壇の選者は、件の作品を「入選作」として紙面に掲載するのである。
 この場合、特に注意しなければならないのは、「入選作として新聞歌壇に掲載された作品も亦、選者に拠る寸評以外は、ほとんど裸身・無防備のままで読者の前に投企されている」という事実である。
 したがって、「〇〇歌壇の入選作」という名の短歌作品は、ただ単に新聞歌壇の中に「三十一音分のスペースを占めている」だけでは、「何らの社会的な意義を有していない」のである。
 その段階に於ける彼ら・入選作品の存在は、人間の踏み跡の無い密林の奥に咲いている幻の花と同等な存在でしかないのである。
 語句を替えて説明すれば、「読者の目に入る前の段階に於ける彼ら・入選作品の存在」は、「吉原遊郭の格子窓の奥にちょこんと座って居て、助平な男どもの訪れを今か今かとひたすらに待ち焦がれている、容貌の悪い年増花魁と同等の価値しか持たない存在」なのである。
 彼ら、新聞歌壇の入選作品が、社会的な意義を備えた作品に変化するのは、一人の読者の目に留まって、一人の読者の心に何がしかの感動を与えた瞬間である。
 一人の読者の目に留まって、一人の読者の心に感動を与えたとすれば、彼ら、入選作品は、一人分の社会的な意義を持ったという事になるのであり、二人の読者の目に留まって、二人の読者の心に感動を与えたとすれば、彼ら、入選作品は、二人分の社会的な意義を持ったという事になるのであり、彼らが、百万人の読者の目に留まって、百万人の読者の心に感動を与えたとすれば、彼ら、新聞歌壇の入選作品は、百万人分の社会的な意義を持ったのという事になるのでありましょう。
 仮に、「一首の短歌が、百万人の読者の目に留まって、百万人の読者の心に感動を与え、百万人分の社会的な意義を持った」とするならば、それは、社会的な一大事件であり、その作品の作者にとっては、「人間として生まれて、栄誉この上無し」といった事にもなりましょう。
 然るに、現実の世の中はそんなに甘くはありません。
 何故ならば、「読売新聞、一千万人の読者の中で、毎週月曜日の朝刊に掲載される読売歌壇の入選作品を読むことを人生の楽しみの一つとしている者は、数万人単位でしかないこと」は、夙に読売新聞社に拠る調査統計に拠って証明されているからである。
 長々と駄弁を弄して来ましたが、私の言いたい事の要旨は「一首の短歌が作者以外の誰かに拠って読まれ、読んだ者の心中に何がしかの印象を齎すことは、奇跡的と言ってもいい出来事である」ということである。
 而して、千葉県市原市にご在住の歌人・井原茂明さんが、過日、読売歌壇に投稿した二首の短歌は、見事に二人の選者のハートを射止めて「読売歌壇」に掲載される運びとなり、その結果として、ブログ「天童の家」の記事として公開されて、ブログの管理者「今野幸生さん」と「ころさん」と「時田幻椏さん」と四人、否、私・鳥羽省三をも加えて、少なくとも五人の読者を得たことになるのであり、先ずは以って、「目出度し、目出度し」としなければなりません。
 就きましては、ブログ「天童の家」に掲載されている記事及びコメントに拠って、上掲二首の短歌の解釈を巡って展開された問答の跡を追いながら、それに就いての私の意見なども述べさせていただきたく存じます。

 最初に転載させていただくのは、上掲二首の短歌の解釈に就いて、今野さんが井原さん宛てに私信(メール?)を発信された際の、今野さんへの井原さんの返信(メール?)である。

 井原さん曰く、「今野さん、ありがとうございます。/原油を処理精製するに当っては、バ-レル(バレル)という単位を使っていました。/今はバ-レルではなくキロ・リットルが使われていますが・・・また私が関わった有機ルミネセンス(テレビなどの発光色素)の取り扱いに当っては、ナノという単位を使っていました。/短歌はいろいろなジャンルから詠めますが、この一首は人生詠として携わった業務を具体的に単位という形で表白した点が評価されたのではないでしょうか。/単純・平明が短歌のいのちです。/(いささか自画自賛ぽくなりました・・・)/井原茂明」と。

 これに対して、今野さんは、ブログ上で件の返信を引用した上で井原さんに対する御礼の言葉と、件の返信に拠って解明された事柄に就いての感想などを、次のように記している。

 今野さん曰く、「掲歌は、どちらも読売歌壇入選歌である。/『単位』の歌は、1月13日に俵万智選で、『パトカー』は20日に小池光選の歌。/続けての入選は、なかなか難しい。なのに井原さんは毎週のように掲載されるから(凄いなぁ)と思う。/(中略)/作者の声を、このような形できけるのは、貴重なことで嬉しい。とても勉強になる。/次は、私の愚鈍さを如実に語る裏話......」と。

 今野さんがブログ上で記した記事は、まだまだ続くのであるが、それはひとまず擱いて、次に記すのは、これらの問答のある段階で、今野さん宛てに寄せられた井原さんの私信(メール?)である。

 井原さん曰く、「今野さん/『兎』は暗喩ですが、ちょっとしたあそび心です。/井原」と。

 次に引用するのは、前掲の今野さんのブログ上の記事の「次は、私の愚鈍さを如実に語る裏話......」以下に記載された記事である。

 今野さん曰く、「兎はスピ-ド違反の車/あぁ、そうなのですかぁ/そうとは知らず、そのまま兎と読んでしまいました/気が回らない兎です(笑)/それがし卯年生まれですから(爆笑)/今野拝/暗喩とは分からずに、兎そのものを待っていると読んだ。/パトカーが狙っているのは、違反車。と誰しもが思う。/ところが、作者は上手にはぐらかして『兎』だと言う。/読者の思い込みをウッチャリでかわす。/いわゆる『どんでん返し』が(手だったなぁ)と読んで、さすがと思ったのである。/と、ところが、そういう外道の手ではなく、奥ゆかしい暗喩!/それを知り、いまさらながら自分の愚鈍さを痛切に恥ずかしく思った次第である。/作者との交流があるからこそ、こういうことが明らかになる。/ボタンの掛け違いがあったり、笑いない誤解がわかったり....../でも、自分の愚かさを識ることが出来るのは、わるいことではないと心底思う。/
井原さん、ありがとうございます」と。

 上掲の四項目の記事は、いずれも、ブログ「天童の家」に記事として公開された事項を、無断転載させていただいたものでありますので、この場を借りて、無断転載に就いて、井原さん及び今野さんにお侘び申し上げます。

 話題は此処に至って、前掲の井原さんの御作中の二首目の短歌、即ち「パトカーの歌」に限定されたような感じである。
 以下の引用記事は、「パトカーの歌」の記事の解釈や創作意図を巡っての、ブログ「天童の家」に寄せられた「コメント」である。
 これらのコメントも亦、発信者の方々の許可を得ずに無断転載させていただきますので、関係者の皆様は、何卒、宜しくご許容下さい。

 ころさん曰く、「いわゆる『ねずみ取り』ですね。/ウサギと言うのはおしゃれですね。」と。

 今野さん曰く、「ころさん、コメントありがとうございます/ふ~む、いわゆる『ネズミ捕り』を肯定できません(したくない!)/もっと正々堂々と、正攻法でやるべき(笑)/結局、ウサギは、カメに負けてしまう/あの話を思い浮かべます」と。

 幻椏さん曰く、「羨ましい限りです。/井原様との御関係、羨ましい限りです。今野さんの御力ですね。/読売新聞を取っていないので、知る術を知らずにおりました。/実は、朝日歌壇も読んでいないのです。私は、基本的に自己主張の出来る短歌に向いていると思っておりますので、7・7のある短歌を読むと俳句が詠めなくなる事を思っております。/今野さんの御力と我が非力を思い知らされます。」と。

 井原さん曰く、「今野さん、こちらこそありがとうございます。/読売、朝日、毎日・・・ には毎週、歌壇・俳壇の欄がありますが、読んでいる人は一割程度かなと推測しています。/しかし、投稿という形で発表する機会が与えられていることは喜ばしいことです。/所属している結社誌の選をさせてもらっていますが、投稿はそのための勉強の場でもあります。(真剣勝負)」と。

 今野さん曰く、「時田さん・井原さん、ご両人さんは、優れた俳句・短歌 詠み人/こうした交流ができること、とても嬉しく、ありがたく思います/今後ともどうかよろしくお願いします/真剣勝負の生き方が羨ましく思います/ありがとうございます」と。

 而して、井原さんの御作・二首は、今野さん以下三氏の胸中に何がしかの印象を齎すことになり、それと同時に、この二首の歌に込められた、作者・井原さんの創作意図及び社会的な意義が明らかになろうとしているのである。
 然しながら、短歌の解釈を趣味としている私・鳥羽省三としては、井原さんの御作・二首中の「パトカーの歌」の解釈及び寓意に就いて、一言、二言、申し述べたい事がありますので、以下の通り、少しだけ恰好付けて記載させていただきます。

〇  パトカーが塀に隠れてじつと待つ対向車線に兎出ぬかと     市原市・井原茂明

 掲歌は、隣国・震旦の『韓非子』中の「守株待兔」から取材した寓喩歌であり、「ネズミ捕り」に明け暮れる無能な警察官の所業を風刺した風諭歌なのである。
 したがって、作中の「兎」とは、「道路交通法に拠って、取り締まり・検挙」の対象となる「スピード違反を犯した運転者」の暗喩である。
 然しながら、寓話とは「常に子供に説き聞かせる事を本質とする物語」であるから、最初から「兎=スピード違反を犯した運転者」などと解っていて鑑賞していたならば、面白くも可笑しくもありません。
 と言う訳で、前述の「パトカーの歌」の解釈を巡っての「事の展開」の中で、私が特に留意したいのは、ブログ中の今野さんの記事の中の「暗喩とは分からずに、兎そのものを待っていると読んだ」という件りである。
 掲歌に限らず、暗喩を用いた文芸作品の中の暗喩を用いての表現の部分は、最初から「暗喩だろう。したがって、兎とは『交通違反キップを切られる馬鹿者』の意味だろう」などと、独り決めして掛からずに、先ずは騙されて(或いは、騙されたふりして)、「怠け者の警察官の乗ったパトカーが塀の蔭に隠れて、対向車線の方から兎が出てこないか、と、先程からじっと待ち焦がれているのである」と、解釈することが必要なのであり、その次の段階として、作中の「兎」が、何かの「暗喩」であることに気付き(或いは、気付いたふりして)、暗喩の対象が「交通違反キップを切られる横着な運転者」である、と認識することが大切なのである。
 作中の「兎」を、本物の「兎」として捉える段階から、「交通違反キップを切られる横着な運転者」として捉えるまでの時間の長短は、読む者に拠って異なり、ある者にとっては、ほんの一瞬、ある者にとっては、一時間以上ということも有り得ましょう。
 だが、この場合の時間の長短は、敢えて問題にするには当たりません。
 とにもかくにも、短歌作品を含めた寓話の類の解釈は、かくの如き正しい手順に従って解釈が為されなければならないのである。
 したがって、ブログ「天童の家」の記事は「私の愚鈍さを如実に語る裏話」では無く、「今野さんの短歌解釈の正当性を如実に証明する裏話」に他ならないのである。
 もう一点、付け加えさせていただきますと、作者の井原さんが遭遇された現実の出来事とは別に、掲歌の取材源の一つとなった「『韓非子』中の“守株待兔”」とは、我が国に輸入されて「北原白秋作詞・山田耕筰作曲」の小学唱歌となった、例の『待ちぼうけ』の話である。
 この点に就いては、今野さんたちの話題にも出ませんでしたし、作者の井原さんも明らかにしませんでしたが、ご自覚なさっていると否とに関わらず、作者・井原さんの脳裏には「待ちぼうけ」の寓話が在り、掲歌は、「物陰に隠れていて、退屈任せに、かつ点数稼ぎにネズミ捕りを事とする、千葉県警の無能な警察官の所業を風刺する歌」としての役割も備えているのである。
 終りに、小学唱歌『待ちぼうけ』の歌詞を、以下の通り記載させていただきますから、井原さんの御作の鑑賞に際しては、拙記事の読者の方々は、何卒、件の小学唱歌に託された寓意なども考えてみて下さい。

(1)
 待ちぼうけ、待ちぼうけ
 ある日せっせと、野良稼ぎ
 そこに兔がとんで出て
 ころりころげた 木のねっこ
(2)
 待ちぼうけ、待ちぼうけ
 しめた。これから寝て待とうか
 待てば獲物が驅けてくる
 兔ぶつかれ、木のねっこ
(3)
 待ちぼうけ、待ちぼうけ
 昨日鍬取り、畑仕事
 今日は頬づゑ、日向ぼこ
 うまい切り株、木のねっこ
(4)
 待ちぼうけ、待ちぼうけ
 今日は今日はで待ちぼうけ
 明日は明日はで森のそと
 兔待ち待ち、木のねっこ
(5)
 待ちぼうけ、待ちぼうけ
 もとは涼しい黍畑
 いまは荒野の箒草
 寒い北風木のねっこ

 追伸
 是までに私は、掲歌の作者・井原茂明さん及び、ブログ「天童の家」の管理者・今野幸生さんに追従するが如き言葉のみを書き連ねて来ましたが、以下の文章に於いて、「パトカーの歌」の表現上の難点を、一点のみ指摘させていただきます。
 それと謂うのは、掲歌の下の句が「対向車線に兎出ぬかと」となっていることである。
 作中の「兎」が、「交通違反キップを切るべき横着な運転者」であるとするならば、そのような運転者は「対向車線」にのみ現れるのでありましょうか?
 或いは、「パトカー」が「隠れて」いる側の車線に現れても、その場合は捕まえたり、交通違反キップを切ったりすることが無いのでありましょうか?
 その点に就いては、全く納得が行きません。
 思うに、作者の井原さんが掲歌の下の句に「対向車線に」という語句を置いたのは、他に適当な語句が思い付かないままに置いた、急場凌ぎの措置なのかも知れず、本作は、作者の井原さんとしても、推敲不足の作品、未完成の作品なのかも知れません。
 〔返〕  パトカーが藪に隠れて待つてゐる速歩自慢の兎来ぬかと  鳥羽省三  

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  1. 2018/12/12(水) 14:44:08|
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雪 景 色 2


今日もまた雪景色をならべる。
9日に降った雪が消えのだけど、10日朝もまた積もってる。
熟柿と雪のコラボにしようか? それとも山寺あたりでなにか撮ろうか?

ひとまず山寺辺りまで行ってみようか!の気持ちが勝って、山寺へ。
家から山寺までは目と鼻の距離。天下の名勝だから、雪景色も良いだろう。
ということで、10日朝に撮ったのを並べる。

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  1. 2018/12/12(水) 05:10:06|
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3.11関連短歌・俳句ほか



   職譲り蜘蛛の囲くぐり帰りけり    熊谷市・時田幻椏

3.11関連句ではないが、畏友 時田さんの俳句である。11月11日の朝日俳壇で、大串選で入選しておられる。

次は、時田さんのブログからの転載である。

 昔「建築を業とし蜘蛛の網掃ひえず」と言う我が句を御取り頂いた事がある。
 そんな意識があるので社長を息子に譲った今も、蜘蛛の巣を掃う事も無く、回り込んだり潜ったりしていた。
 庭師が入り今回の作業で大方の巣は取り除かれてしまったが、我が情況に重ねて庭に驚くほどの数が在った蜘蛛の囲を詠む事は、俳句から離れた私にとっても極自然な作句だったのである。


   原発事故風化の中に帰る所無きまま彷徨う八年目の苦悶    いわき市・守岡和之

↑久しぶりの3.11関連短歌である。11月18日付け朝日歌壇より。


   汚染土の墳墓の如く山眠る   福島県伊達市・佐藤 茂

↑11月25日付け朝日俳壇より


   放射能まだ手付かずの山眠る  福島県伊達市・佐藤 茂

以下は、3.11関連作ではないけれど、ちょっと関心をひいた作やことがらなどを取り上げた。

   露の世や四十分で人焼ける      長野市・懸  展子
   露の世に大往生といふがあり     長野市・懸  展子

   客降ろし出発を待つ運転手ネジを巻くごとスクワットする   さいたま市・栗田幸生
   メキシコにモーゼなくとも乳と蜜流れる国がそこにあるのだ    渋川市・中村幸生

↑12月2日付け朝日俳壇・歌壇より

「客降ろし」「メキシコにモーゼ」の作者名が、「栗田幸生」「中村幸生」で、共に「幸生」。
へへ ソレガシの名前が、「今野幸生」であり、それで(あれっ!?)と思ったのである。

へへ それだけのこと(笑) ...... でもね、こういうことって、ちょっと珍しいかなぁ
ふ~む ただし、ソレガシは俳句も短歌も詠めない。読み専門である。(汗)


   誰一人責任とらず冬原発       飯塚市・釋 蜩硯         

   まっ先に冬は仮設の屋根に来るじいんとともる灯りが寂し     福島市・美原凍子

   月山の頂きに雪ひとひらの雲のかかりて夕空に映ゆ        山形市・熊谷瑶子

↑句・歌は、朝日俳壇・歌壇(9日付)より
 「月山の」は、3.11関連作ではないけれど、「この季節ならではの月山のすばらしい夕景」 佐佐木選者評に同感(笑)
       
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                           ↑ ↓     12月7日に撮影

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                     ↑  ↓ 12月9日撮影

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  1. 2018/12/11(火) 05:10:18|
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雪 景 色


8日の夕方から9日の朝にかけ、10cmほどの降雪があった。
雪国に生まれ育った者にこれくらいの降雪には驚きもしない。
(今年もとうとう来るべきものが来たなぁ)との感慨はわく。

小屋に片付けてある雪掻き道具を出し、今シーズンはじめての雪掻きをする。
3月上旬頃まで、スノーダンプ・雪掻き箆(へら)・ショベル等が玄関先に居座ることになる。

雪国に暮らす者にも、美しい雪景色は美しく見える。(笑)
はい、雪景色がすべて美しいとは限らない。醜い姿の雪景色もある。
「腐れ雪」と言ってるだらっとしてる雪は決して美しい景色をつくらない。

新雪に差し込む陽光は、美しさを演出してくれる。
寒さと、新雪と、陽光は、美の共演者である。(笑)
雪国の冬の陽光は、大きな、嬉しいご馳走である。

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  1. 2018/12/10(月) 05:10:15|
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花 に 雪


今年の初雪は、11月23日だった。
12月8日 カーテンを開けると、雪がちらりほらり

朝のルチンワークを済ませ、朝食にはまだ時間があるのでカメラを持って庭へ。
ウメモドキの赤い実に薄っすらと積もった雪を撮るが、なかなか思うようなのがゲットできない。

サンシュユの実にもカメラを向けるが、納得できない。
ホット・リップスが寒さにめげずきれいに咲いてる。
(やっぱりサザンカの花かなぁ)との思いが強く、庭を諦める。

先日撮ったサザンカと雪のコラボ画像には不満を感じていた。
雪が溶けかかって、花に重くのしかかってるようで、サザンカが可愛そうだった。
(もう一度撮りなおそう!)と思ったのである。

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  1. 2018/12/09(日) 05:10:12|
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ブレ画像?



三脚はあるのだが、ほとんど使わない。花火の時くらいかなぁ
滝や渓流の時も必須だが、三脚は重荷に感じられ、足が遠のいてる。
手ブレ防止機構を信じ(笑)1/8秒でも手持ちで撮ってしまう。

先日午後3時頃、昏いと感じ、絞りを5.6、シャッタースピードを 1/100 にしてシラサギ飛翔を撮った。
手ブレ画像が多かったが、中にブレてないのもあり、画像処理をする。
しかし、なんかおかしな画像もあって、どう処理すべきかに迷う。

納得出来ないまま、画像を並べる。
どなたか「これこれこうだ」と教えていただければ嬉しい!
ということですので、どうかよろしくお願いいたします。

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  1. 2018/12/08(土) 05:03:21|
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冠雪の高山たち



4日、散歩していたら朝日連峰などがきれいに眺められた。
「天童の家」辺りからは、百名山の内、月山・朝日連峰・蔵王山の3座が見える。
山形には、この他に鳥海山・飯豊連峰・吾妻連峰の名山があるのだが、それは見えない。

鳥海山は、年に数回見られるが、4日は見られなかった。
里は初冬だが、高山はもうすっかり冬で、新雪の積もった山は、人を容易に寄せ付けない。
この日、また朝日と月山を撮ったのは、2日のそれと違う山を撮れないかと思ったのだった。

雪を頂いたこの時季の名山の姿を撮った(イメージというか思惑通りにはいかなかったが)ので並べよう。

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                     ↑ 蔵 王 山          ↓ 月 山

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               朝日連峰

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  1. 2018/12/07(金) 05:12:10|
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シラサギ飛翔 


3日の散歩は、立谷川沿いのサイクリングロード。大好きな道である。
その道で、また大好きなシラサギに出合ってカメラを向ける。
獲物(川魚)を狙ってる姿も好きだが、飛翔姿が勝る。

もう幾度も撮っているが、イメージしてるようなのがなかなか撮れない。
っふふ 納得できるまで撮るつもりである。


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追 加

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  1. 2018/12/06(木) 05:06:00|
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サンシュユの実

サンシュユは美味い?

庭のサンシュユの葉も落ち、裸木になった。
なかなか落葉せず、ちょっぴり気になっていたのだが、これでようやく赤い実が見られる。
早速カメラを向ける。

例年、エントリしているサンシュユの赤い実。この季節には欠かせない実である。
食べれば、食えないこともないのだが、まだ一度も口にしたことがない。
いかにも美味しそうなのだが、なぜか食べてみようという気がない。

ここまで書いて、(ふん? サンシュユの実って、本当に食べられるんだったかなぁ?)と思う。
へへ ここで検索。

   渋みや酸味が強く生食には適さないと言われていますが、
   完全に熟したものを食べてみましたが
   渋みはほとんど感じずやや酸味があり、甘酸っぱくて美味しかったです。

                https://inakasensei.com/sansyuyu

ということで、今度試しに食べて見ようかなぁ

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  1. 2018/12/05(水) 05:14:19|
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ホットリップス

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こんなに寒くなったのに、庭にきれいな花が咲いてる。
なんの花だろうと検索してみたがヒットしない。
(メイさんなら、知っておられるのだろうが.......)と思ったが、

困った時だけ(教えてください)というのも、「我儘勝手な」と笑われそうなので足踏み
でも、やはり名前が知りたい欲望が強く、思い切って「名前を教えて」とお願いした。
次のそれは、メイさんからのレスポンスである。

   メイ 12月 1日(土) 10:41

 こんのさん、おはようございます!
 いよいよ今日から12月ですね~

 おたづねの花はチェリーセージの園芸名「ホット・リップス」ではないかと思います。
 何年か前から見かけるようになりました。

 我が家では単色のチェリーセージが咲いています。

メイさん ありがとうございます
名前がわかって気持ちのつっかえが解消。嬉しいことである。
名前がわかれば、検索で詳しく調べられる。ありがたいです。

以下は、http://mikawanoyasou.org/data/hotlips.htm からの抜粋

ホットリップス(チェリーセージ)  

 シソ科 Lamiaceae (Labiatae)  アオギリ属

 日本でよく見かけられるホット・リップスはサルビア・ミクロフィラの園芸品種である。
 Salvia × jamensisは1991年に発見された自然交雑種である。チェリーセージはSalvia greggiiの一般名。

 ホット・リップスは耐寒性があり、多年草、寒地では落葉し、暖地では常緑。叢生し、高さ60~100(120)㎝、 幅60~100㎝。葉は小さい卵形。
 花は頂生する穂状花序~総状花序に疎につき、2唇形、涼しいときには白色と赤色の2色。
 暑い真夏には赤色の1色になる。ときに、両者の花が混じることもあり、白色だけになることもある。
 花つきはよい。開花は4~11月。暑い8月に花が見られなくなることもある、

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画像2枚ではちょっぴり寂しい
昨日の散歩で撮ったのを並べる

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  1. 2018/12/04(火) 05:10:17|
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