FC2ブログ
未分類日記以前の天童の家RSS|

スプリングエフェメラル


3月が今日で終わる。
過ぎた冬が、厳しかった。 くぐり抜けた冬に続く春が、意想外に暖かで、春を告げる花々が一気に開花した。
出かける毎日が、新しい花を見つけ、カメラを向ける。まさにスプリングエフェメラルの洪水みたい。

30日も、今年の初物のカタクリを見る。初物には、とにかくなにも言わずにカメラを向ける。
写真的な楽しみは、咲き揃った時にじっくり撮ればいい。
ウスバサイシンも初物だった。
一昨日までは蕾だったキブシも春の日をいっぱいに浴び、きれいに咲いてた。

ミスミソウ(ユキワリソウ)もだいぶ咲き揃ってきた。
30日に撮ったスプリングエフェメラルたちを並べる。

180330-01.jpg

180330-02.jpg180330-03.jpg

     180330-04.jpg

     180330-y1.jpg

180330-y2.jpg

180330-y3.jpg



スポンサーサイト



  1. 2018/03/31(土) 06:51:05|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

時間を持つ



27日のブログで、次のように書いた。

   午前9時から歩きはじめ、途中で同じ所に長時間腰を下ろす。
   それにはもちろん目的があった。
   正午ジャストに帰宅する。3時間の散歩で、歩数計は5718。

5718歩は、1日の歩数としては平均的である。もちろん、暮らしの中での歩数を加えればゆうに万歩を越す。
5718歩は、散歩のみの歩数である。だから決して少ない数ではない。だいたい1時間30分くらいの散歩時間。

だから、1時間30分くらいは留まっていたことになる。何をしていたか?
っふふ シラサギが餌獲りのために塒の最上川を飛び発ち、立谷川を遡って来るその姿を道路脇の堰堤に腰を下ろして待っていたのである。
シラサギが、何時頃に飛翔して来るのか、その確かな時刻を知らない。ただ闇雲に川下の方を見つめて待つ。

他人さまが、こんな姿を見たら、(いったい何をしているのか?!)と不審に思うかもしれない。
本人は、待つことには少しも苦痛を覚えない。待つことは若い頃から幾度も繰り返してきた。
彼女との待ち合わせでは、まずほとんどが約束時刻よりずーっと早くに待っていた。

先日(冬晩期)、ハクチョウの飛翔姿を撮る際も、同じ場所に、2日間、1時間あまりも留まった。
待つのは、ただ呆然と待つのではない。いろいろなことをイメージしながら待つ。それが楽しいのである。
期待通りに撮影できないことがあっても、それはしかたないことと割り切れる。むしろ空振りのことが多い。

27日の結果をいえば、シラサギの飛翔姿はダメだった。はい空振りであった。
それでも、シラサギ以外に、アオサギの飛翔とトンビのそれをゲットできた。
昼の月も(いいものだなぁ)と眺める。

堰堤で落下する雪解け水の響きを聴き、春風や空に浮かぶ雲を眺めながら、早春の景色を独り占めしてるような幸せ感に身を浸してる。こんな贅沢な時間を持てるという思いが嬉しい!
そこには、「待つ」などという受動感はなく、こういう時間が「持てる」という能動感が愛おしい。

180327-t1.jpg

180327-t2.jpg

180327-t3.jpg

180327-t4.jpg

180327-w.jpg

180327-x.jpg

180327-y.jpg




  1. 2018/03/31(土) 05:10:24|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

初  蝶



次の数行は昨年のブログ・コピーである。

   これまでの初蝶エントリーの日にちは次の通り。
   2009年  4月9日
   2010年  4月26日
   2011年  4月14日
   2012年  4月12日
   2013年  4月15日
   2014年  4月4日
   2015年  3月31日
   2016年  3月18日
   2017年  4月6日
   以上に見る初蝶は、すべてルリタテハだった。

そして2018年は 3月28日で、今年もまたルリタテハ。

初蝶を見たのも、例年と同じ場所。里山の裾を走る仙山線の線路脇である。
その場所のどこかに越冬するルリタテハの根拠地があるのだろうか?
それにしても、不思議というか、日づけは違っても、出遭う場所と陽気が毎年似てる。

例年、同じ(似た)ような陽気になると、そちらへ足が向く。
それが無意識のうちにそうなる。
意識下で、きっと初蝶に出合えることを期待し、あの場所へ行っているのかもしれない。

180328-b1.jpg

180328-b2.jpg

180328-b3.jpg


180326-01.jpg

                          再 掲

     瑠璃(ラピスラズリ)

29日のブログ『赤い実・青い実』で、青い実の植物名が ジャノヒゲ(別名リュウノヒゲ)を識った。
驢人さんから、次のようなコメントがあった。

   瑠璃の玉
  龍の髭、カッコイイ名前。
  実も、瑠璃、ラピスラズリのようです。
  宝玉発見!ですね(^。^)/
                 2018/03/29(木) 驢 人

ラピスラズリがよく分からず、検索した。
以下は、ウィキペディアからの写し(抄)

ラピスラズリ (lapis lazuli)

和名では瑠璃といい、深い青色から藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つ。

人類に認知され、利用された鉱物として最古のものとされている。
エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として、また顔料ウルトラマリンの原料として珍重されてきた。

パワーストーン信仰においてラピスラズリは世界でパワーを最初に認識された石、「最強の聖石」とされる。
効能として人間関係の改善、頭脳を明晰化させる、強運を導く、頭痛の軽減、喉の痛みの軽減など、が科学的根拠はないが信じられている。


今日の蝶 ルリタテハにも瑠璃がついてる。この色が大好きである。
ウィキペディアのそれを読み、ますます好きになった。


  1. 2018/03/30(金) 05:06:03|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

赤い実・青い実



イチゲの花を撮ってる場所の近くに、なんとなく気になる青く光るものを感じる。
(何だろう?)と近づいてよく見ると、それは小さく丸い青い実だった。
(きれいだ!)と迷わずカメラを向ける。何という草なのか、ありふれた草に見えるが、青い実は初見。

この実は、きっと昨秋に稔って、長い冬を雪の下で過ごしたのだろう。
草も枯れずに青々。活き活きとしてる。青い実がそれ以上に瑞々しくきれいだ!

ミスミソウのようすを伺う途中で、赤い実にも出合った。
これはあのマムシグサの実だ。葉や茎は、こう枯れはてたが、赤い実がまだそれなりに美しい。

もう一つの赤い実の名前は、わからない。(泣)

この時季、キブシが風に揺れてきれいに見えるのだが、今年はまだ蕾状態。
ミスミソウが、一輪だけ咲きはじめてた。間もなくかわいいのが咲き揃うだろう。

180326-01.jpg180326-02.jpg

180326-03.jpg

180326-04.jpg180328-10.jpg

180328-20.jpg180328-30.jpg

180328-40.jpg



  1. 2018/03/29(木) 05:10:30|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:8

イチゲ 2



散歩の足が、どうしても花の咲いてる方に向かう。(笑)
25日に続き、26日もまたあの場所へ行った。
一日経ったばかりなのに、だいぶ咲き揃ってるのが嬉しい。

カタクリも間もなく開花するみたいに大きくなってた。
ミスミソウのようすを偵察した。(笑)今月中には観られるだろう。
春の一日は、ずいぶんと時間が速く進むような気がする。(笑)


180326-10.jpg

180326-20.jpg

        180326-30.jpg

        180326-40.jpg

        180326-50.jpg

180326-60.jpg

っふふ 27日もまた行った。
以下の画像をゲットした。


        180327-10.jpg

180327-20.jpg

180327-30.jpg

        180327-40.jpg

へへ
今日もまたイチゲを撮ってきた。(笑)


180328-97.jpg

180328-98.jpg



  1. 2018/03/28(水) 05:10:06|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

スキップ気分で



春の陽射しが、こころを膨らます。るんるん気分で散歩へ。
もうスキップはできないが、気持ちはスキップ、スキップ。

午前9時から歩きはじめ、途中で同じ所に長時間腰を下ろす。
それにはもちろん目的があった。
正午ジャストに帰宅する。3時間の散歩で、歩数計は5718。

同じ場所に留まっている時間がひじょーに多く、長かった。
そのわけは、後日に書くつもりである。
今日は、その散歩で撮ったのを並べる。

180324-k5.jpg

180324-k6.jpg

180324-k7.jpg

180324-k8.jpg

180323-k4.jpg

180323-k3.jpg



  1. 2018/03/27(火) 05:10:02|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

イチゲ咲く



24日・25日と暖かい日が続いた。
この暖かさでイチゲが咲いたかもしれないと、期待が膨らむ。
昨日の午後、例年いつも初物イチゲを撮っている場所へ行った。

まさに「今咲いたのです」、という状態で不揃いながら咲いてた。
キクザキイチゲの初物は、すでに先日アップしているが、やはりここで咲いてるイチゲは格別に嬉しい。(笑)
だから、咲き揃ったら、もう一度撮ろうと思っているが、とにかく今年のスプリングエフェメラルである。

180325-10.jpg180325-20.jpg

180325-30.jpg

180325-40.jpg180325-50.jpg

180325-60.jpg

180325-70.jpg

180325-80.jpg

180325-90.jpg



  1. 2018/03/26(月) 05:10:47|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

肘折温泉以上



以下は、河北新報ニュースからである。

   <月山志津温泉>「アメダス設置を」雪深さ肘折に負けぬ

 全国有数の豪雪地、山形県西川町の志津地区にある月山志津温泉の旅館経営者らが、気象庁に地域気象観測システム(アメダス)の積雪計を設けるよう求める要望書の提出を検討している。
 この冬、何度も「全国最高(最深)積雪」を記録した山形県大蔵村肘折より雪が多いのに、全国ニュースに登場する機会がないからだ。
 旅館組合は「積雪では肘折に負けない。観測地点になって全国の目を引きつけたい」と意気込む。

 強い寒気の影響で平年を大きく上回る降雪があった山形県内では2月13日、肘折で観測史上最高の積雪445センチを記録。全国のアメダス観測点323カ所の中で最高積雪深となったことから、2月中旬から下旬にかけて毎日のようにテレビの全国ニュースで取り上げられ、肘折温泉の映像が繰り返し放映された。

 しかし、実際の積雪は志津地区の方がずっと深かった。除雪計画の目安にするため、県が1971年から住民に作業を委託している観測データによると、志津の今冬のピークは2月14日の564センチで、肘折の記録を100センチ以上も上回った。
 過去には800センチ(74年)の記録も残る。
 月山志津温泉旅館組合長の志田昭宏さん(44)は「アメダスのデータだけがニュースになるため、山形県内でも志津の豪雪を知らない人が多い。全国ニュースに頻繁に登場する肘折は、正直うらやましい」と打ち明ける。
 気象庁への要望については「アメダスの積雪計が設置されれば志津の知名度も上がるに違いない。雪をきっかけに志津ファンを獲得する足掛かりにしたい」と語る。
 気象庁観測課の担当者は「警報を発令するに当たって必要なデータを収集するアメダス観測点は、各地域を代表する地点になるよう適切に配置している」と説明。「防災情報に不備がみられれば対応を検討したい」と話す。

[月山志津温泉]志津地区は出羽三山詣での宿場町として400年以上の歴史を持つ。現在、温泉旅館9軒が営業している。
 月山への登山者や夏スキー客向けに営業する旅館がほとんどだったが、89年に温泉が湧出し、年間を通じて宿泊者が訪れるようになった。
 毎年2月下旬ごろ、街道沿いに積もった雪を利用し、往事の宿場町風情を再現する雪まつり「雪旅籠の灯り」が開かれている。
 今年の月山スキー場のオープンは4月8日。

180323-k2.jpg

180323-k1.jpg




  1. 2018/03/25(日) 08:01:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

シラサギ飛翔 



立谷川沿いの散歩道が歩けるようになったのが嬉しい。
雪解け水で増水した流れが、地響きをたて、飛沫をあげ、滔々たる瀬音。
水の色が、またきれいだ。増水しても濁らないのがいい。緑に近い青色の水。春にしか見られない彩り。

ネコヤナギが膨らんでいる他は、草木はまだ芽吹かない。
雪融け後の地上は、まだ冬の痕跡をのこし、寒々しい。
水の色だけが飛び抜けて美しく感じられる。

まだ色彩の乏しい景色の中で、川岸でじーっと獲物を待つシラサギの姿も目立つ。
今日もまたシラサギの飛翔を並べる。

180323-10.jpg

180323-20.jpg

180323-30.jpg

180323-40.jpg

180323-50.jpg

180323-60.jpg

180323-70.jpg

180323-80.jpg



  1. 2018/03/25(日) 05:10:18|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

河川アダプト事業



180320-10.jpg

              再  掲

180222-01.jpg

180320-72.jpg


アダプト(ADOPT)とは日本語で「養子縁組」を指します。ボランティアの住民や企業が「里親」になり、河川や海岸などの区域を「養子」とみなして、清掃植栽などの美化活動や啓発活動などを定期的に行うものです。

山形県には、すでに519団体(28年度)が活動している。
活動内容は、河川・海岸の清掃(草刈、ごみ拾いなど)、支障木の伐採、植栽活動、親水活動(水辺のイベント)
簡易水質検査、ホタルの保護活動学校や町内会での学習会開催 等。
「天童の家」でエントリーしてる「芝ざくらまつり」も、『立谷川の花咲かじいさん』たちの活動である。

我が干布地区では、「石倉町内会」・「上荻野戸部落会」が10余年前からアダプト事業をやっている。
上荻野戸部落会が、この事業に加わったのは、自分が区長(町内自治会長)の時であり、懐かしく思い出す。

番号 団体名    会員数 河川名   所在地   範囲㎡   回数 参加数 活動内容

30 石倉町内会    102  正法寺川 天童市干布 5,000   2   202   草刈・支障木伐採
31 上荻野戸部落会 147  正法寺川  天童市干布 1,500   3    99   草刈・支障木伐採・倒木除去等

上の記述は、山形県のHPを参照している。
http://www.pref.yamagata.jp/kurashi/chiiki/bika/718000601-01.html

180320-73.jpg

180320-20.jpg
              再  掲
  91004-a.jpg
 
          

  1. 2018/03/24(土) 05:11:51|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

飛 ぶ



鳥たちには飛べる羽がある。
鳥たちのように飛べたらいいのになぁ と思うこともある。(笑)

鳥たちには、人にはわからないような苦労や悩みもあるのだろうか?
などとバカみたいなことを考えることもある。(まさに莫迦なのかも)

78 にもなると、へへ なんとも「のう天気」になってしまうようだ。
なにはともあれ、他人さまへ迷惑をかけないようにしたいとも思ったりする。
そう思うが、実態は、迷惑な存在だったりして...... (苦笑)

180316-01.jpg
180316-02.jpg
180316-03.jpg
180316-04.jpg
180316-05.jpg
180316-06.jpg
180316-07.jpg

     日差し・陽射し       (昨日のつづき)

それぞれの例文を並べてみる。

  二月の日差しとも思われない明るい横日
  日差しがうぶ毛を照らす
  透き通る大きな布が空から地上へひらひら伸びてくるというような日差し
  若葉の隙間をくぐり抜けた日差しが太い雨のように振っている林の小道
  地上へ上がり眩しい日差しの中へ踏み出す

  強い日差しで目が痛い
  薄曇りの日差しを浴びてぬめるように光る
  日差しは明るいがコートなしでは肌寒い
  日差しが暖かい
  春を感じさせる生温かい日差し

  日差しの下は相当暑い
  照りつける日差し
  日差しは肩に食い込むように熱い
  雨に洗われた芝生が、降り注ぐ日差しの中で目が覚めるように鮮やか
  昼間の強い日差しのような積極的な性格


  早春の陽射しに草木が映える
  梅雨期の、雨の晴れ間特有の、あぶらっこい陽射し
  反射した陽射しが眩しく目を射る
  南風がやさしく陽射しは暖かく、街中ではTシャツ姿の人をたくさん見かけた
  体の中まで射通すかのような明るい陽射し

  陽射しに輝くピアスは昼の星とも見える
  焼けつくような真夏の陽射し
  パジャマ姿の入院患者やその家族が、何日ぶりかで降り注ぐ柔らかな陽射しを楽しんでいる
  陽射しを楽しむかのようにあごを少し上に向け空を仰ぐような歩き方
  照りつける太陽の陽射しから存分に栄養を吸い取った稲が、青々と地を埋め尽くす夏

  陽射しの加減で微妙に色を変える海
  陽射しが弾けて、バルコニーが王冠みたいに光る
  陽射しのぬくもりはどんどん風に流されていった
  長い髪が背後の窓からの陽射しを踊るように弾く
  ガラスで跳ね返った陽射しが視界をふさぐ

  青白い煙草の煙が、陽射しの中で細かな粒のようにきらめく
  小春日和のちょっと気だるい陽射し
  梢の網の目をくぐって、陽射しがキラキラと目を射る
  日盛りの陽射しがかっと白い



  1. 2018/03/23(金) 05:10:25|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

なごり雪



昨日が、春彼岸の中日。
18日が彼岸入りで、我が家では白い団子を作って供えた。
21日は、はんごろしの餡子餅と納豆餅をあげた。
24日が彼岸明けなので黒い団子を拵える。

今朝カーテンを開けたら、春のなごり雪が見られた。
外へ出たら、小粒の雨降りだった。
開花してたクロッカスが、雪の中。

彼岸を境に、季節は間違いなく春になる。

180322-91.jpg

180322-92.jpg

180322-95.jpg

180322-96.jpg

180322-98.jpg


今日の「天声人語」に、次のような記述があった。

  東京の都心では雨がときおり雪に変わり、吹き付けた。
  春に降る雪は「名残の雪」というのだけれど、「なごり雪」だと
  ずっと思い込んでいた。
  あの流行歌ゆえである。

「名残の雪」と「なごり雪」の違い?!
それに気づかないでずっときた。
どう違うのか......

ベストアンサーの回答をみてみたら

  広辞苑に「名残の雪」という語なら見出し語にあります。
  春になってから冬のなごりに降る雪。
  とあります。

  「なごり」のほうは「別れを惜しむ」「以前の余韻が残っている」というような意味です。
  冬が、まださよならしたくないと言って、春にまで踏み込んで雪を降らせるのでしょう。
  卒業式の頃などに重なるので、別れを惜しむ気持ちがこの言葉に重なるのだと思います。

別項のベストアンサーでは

  なごり(名残)とは......
  物事の最後。終わりを意味します。
  また、人と別れるときに思い切れない気持ちが残ることもいいます。
 (おなごりおしい)つまり、ある事柄が過ぎ去ったあとにその気配や影響がのこっている時に
  使う美しい日本語です。

 「なごり雪」は好きな彼女との学校生活も終わり、新しい社会(街)へ旅たつ彼女を見送る男
  の気持ちが見事に歌われています。「落ちては溶ける雪」は「儚い」の象徴かと思います。


次は、ウィキペディアからである。

「なごり雪」は、伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲。

  2013年に日本気象協会が選定した「季節のことば36選」で、3月のことばの一つに「なごり雪」が選ばれた[3]。
  これを知った伊勢は「ものすごくうれしかった。実はこの曲を発表した当時、なごり雪という言葉は存在しなかった。
  勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。「名残の雪」に変えたらどうだとまで言われた。
  作り手としては<の>はどうしても入れたくなかった。曲はヒットしたがモヤモヤは残った。

  あれから40年近くたって気象協会の<季節のことば>に選ばれたと聞き、胸のつかえが下りた気分」と語っている[4]。


「名残の雪」
「なごり雪」

ふ~むむ なるほど! 
気になっているのが、まだある。

日差し
陽射し

それがしの好きなのは陽射し。これは好き・きらいのことではない。
だろうなぁ(苦笑)


  1. 2018/03/22(木) 09:36:18|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

雪消えを追う


2月28日に、屋敷内の積雪を撮った。
それから10日毎(3月10日・20日)にカメラを向ける。
雪消えの姿を残したかった。

以下、28日・10日・20日の順に、母屋の裏側と小屋東側のそれである。
なお、雪室を拵え、りんごを保存したのは小屋の落雪を利用したもの。
それも間もなく溶けてなくなる。

180228-03.jpg

180310-02.jpg

180321-93.jpg

  以上が、母屋の東側      以下が、小屋東側 (雪室をここに拵えた)

180228-01.jpg

180310-01.jpg

180321-91.jpg

180320-92.jpg



  1. 2018/03/22(木) 05:10:39|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

初物イチゲ



イチゲが咲いていないかと、例年真っ先に咲く場所へ行ってみた。
残念! まだ葉さえ出てない。
カタクリの葉が出てる。今年は、イチゲより先にカタクリが咲くのだろうか?

まぁ どっちが先でもかまわない。(笑) いずれ、咲くのだから焦らないで待とう。
とにかく、歩くのが仕事なのだから、と歩きはじめる。
今日は、サイクリングロードでなく、別のコースへ向かう。

もしかしたら、なにか春らしい草花に出遭えるかもしれないと....

180320-10.jpg

180320-20.jpg

期待は、叶えられた!
その散歩道にイチゲが咲いてた。今年の初物! 崖にちかい急斜面にポツリポツリと数株が、疎らに見られた。

180320-30.jpg180320-40.jpg

180320-50.jpg

嬉しい出合いだった。
まさかイチゲに遭えるとは期待していなかったから、まさに僥倖である。

歩数計を見たら、11569。っふふ ずいぶん歩いた。2日分だなぁ(笑)


180320-60.jpg

180320-70.jpg



  1. 2018/03/21(水) 05:10:32|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

カ ワ ウ



先日、オウレンを撮りに舞鶴山へ行った。
撮り終え、愛宕沼のカモたちを眺めているうちに、見慣れない鳥がいるのに気づく。
はじめは、(カラスかなぁ)と思っていたが、大きさや姿からカラスではなくて、もっと大きな鳥......
港や海辺の湖沼でよく見かける鵜(ウミウ)によく似てる鳥。

これはカワウ?! はじめて見る鳥だ。カワウに間違いない。
さらに吃驚!したのは、カワウの傍にシラサギもいて、お互いになにか交流?してるようす。

余談になるが
ハクチョウは、水面に浮いて泳いだり、眠ったり?する。木の枝に止まってる姿もない。
しかし、サギが水面に浮かんでる姿を見たことがない。木の枝などに止まって休む?

鵜は、泳ぐことができるが、羽が濡れ、頻繁に乾かさなければならないらしい。
それだから、鵜は羽を広げ、乾かす動作をするようだ。見ていても、頻繁に羽ばたいてる。

っふふ そのようすをサギが見て、真似ているようすなのだ。
このような場面に出合ったのは、まったくはじめてである。
カメラを構えてシャッターをきるが、ウもサギも警戒するようすがない。
なぜか不思議なきがする。

180316-k1.jpg
180316-k2.jpg
180316-k6.jpg

180316-k3.jpg
180316-k4.jpg
180316-k5.jpg
180316-k7.jpg
180316-k8.jpg



  1. 2018/03/20(火) 05:10:58|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

ネコヤナギ咲く


17日、風が冷たいけれど、陽射しがあった。
裏庭のネコヤナギが開花してるのに気づく。
まだ開花のはしりで、不揃いである。

一つ一つの花は、ゴマ粒よりずーっと小さい。
じっくり眺めると、なかなかにきれいな花だ。
マンサクは黄色、オウレンは白。いずれも小さいが、ネコヤナギの花はもっと小さく多彩だ。
小さいけれど、多彩ないろどりが嬉しい。黄色と赤い粒がきれいだ。

毎年撮ってる被写体だが、っふふ 今年は少し変えた撮り方をしてみた。(笑)


180317-10.jpg

180317-20.jpg

180317-30.jpg

180317-40.jpg

180317-50.jpg

180317-70.jpg

180317-80.jpg



  1. 2018/03/19(月) 05:16:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

サイクリングロード

散歩道は?

18日、朝食を済ませ、買い出しに。毎週、日曜日はまとめ買いをする。
彼岸入りの今日は、仏前に団子を供える。買ってもわるくないのだが、これまでずーっと手作りでやってきたので、その材料も仕入れた。花も買った。
買い物済ませると、米搗き(精米)をし、家に戻る。

そして、むむ 妻の忙しそうな姿を横目で見ながら、好天なので散歩に出かける。
気象情報では、午後から雲マークなので、晴れてるうちに歩きたかったのである。(笑)
立谷川沿いのサイクリングロードが、きっと歩けるようになったとの確信を確かめたかった。

それで、その確信はどうなったか?
以下、その答えである。

180318-10.jpg

180318-20.jpg

180318-30.jpg

180318-50.jpg

180318-60.jpg



  1. 2018/03/18(日) 16:41:06|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

オウレン



春になって咲く花のトップバッターは、なんといってもマンサクである。
大地にまだ残雪がありながら、咲いてるのを見ると、(春がきた!)と嬉しくなる。
今年のマンサクは、11日にエントリーした。

残雪が消えると、真っ先に咲くのは、オウレン。
マンサクの花を撮ってから5日が経った16日、舞鶴山(愛宕沼の東側山裾)へ行った。
日陰の窪地には、まだ残雪がみられたが、日当たりの良い南側に咲くオウレンを見て嬉しくなった。

風がまだつめたかったが、陽を浴びて咲く小さなオウレンを見て、(今年も咲いてくれたなぁ)と
大袈裟でなく、感謝に似た思いがわいてくる。
たかが小さな野草。されどオウレンは季節に違いなく開花する。

180316-10.jpg

180316-20.jpg

180316-30.jpg

180316-40.jpg

180316-50.jpg

180316-60.jpg



  1. 2018/03/18(日) 05:10:46|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

雉 さ ん

15日、さくらんぼの剪定をはじめる。
燻炭を撒いた畑は、雪が消えた。周りの畑には、まだ残雪がある。
その残雪も間もなく(2~3日)消えるだろう。

今日のブログは、数日前に、さくらんぼ畑で撮った雉。
不本意な画像だが、例に漏れず捨てきれずにアップすることに。
宮城の海を見に行ったり、さくらんぼの剪定で、画像がないのである。(苦笑)

        180310-10.jpg

180310-20.jpg

180310-30.jpg

180310-40.jpg

        180310-50.jpg



  1. 2018/03/17(土) 05:03:05|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

春 の 海



13日、松島まで行き、戻りながら利府町浜田港でカキを食べ、七ヶ浜海水浴場で持参した菓子や飲み物を口にしながら、春の海を眺め、3.11復興のことなどを話し合ってきた。
防波堤や道路の設置、宅地の嵩上げ等はだいぶ進捗しているのがわかる。
しかし、失った街の活気は、思ったほどにはなっていないのが感じられ、復興はまだ道半ばなのかなぁ

それでも、目にする風景の美しさには素直に喜べる。
海に遠い内陸部に暮らしている者に、港の情景は特別のものである。
久々に見る風景にカメラを向けのは嬉しい。
残ってる画像を並べよう。

180313-k2.jpg

180313-k1.jpg


180313-k3.jpg

180313-k4.jpg

180313-k5.jpg

180313-k6.jpg



  1. 2018/03/16(金) 05:10:30|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

七ヶ浜海水浴場


「鶴瓶の家族に乾杯」(NHK)を見ている。
3月5日は、伊達公子さんと利府町への旅だった。
R45は、仙台市、多賀城市、(七ヶ浜町)、塩釜市、利府町、松島町と北へ向かう。
高速道を使えば、「天童の家」から松島まで1時間ちょっとで行ける。

伊達公子さんは、利府町浜田港の「牡蠣焼き場」を訪れ、美味しそうに食べてた。
「カキ食べたい!」妻がいう。
「行こうか? カキ食べに」夫の言葉に、妻は「行く!」と即決。(笑)

正直言えば、牡蠣を食べるためだけにわざわざ利府町まで行きたくはなかった。
「行こうか?」と誘ったのはウラがあった。

時は、間もなく3月11日になる。7年経った七ヶ浜がどのように復旧しているのか見たかった。
牡蠣食べより、そちらの欲求が強かったが、妻には言わなかった。

七ヶ浜町へは、子どもたちを海水浴場へ連れて行ったことがある。
3.11後、海水浴場は遊泳禁止になった。そこが、昨年から泳げるようになった。
そのことをTVで知って、どんなふうになったのか、見てみたかった。

13日、久しぶりの遠出。まず松島へ。
松島は、昨年のお盆に来ているので証拠写真を撮るだけ。(笑)
次いで、妻のリクエストのカキ食いに利府町浜田港のカキ焼き場へ。

不揃いだが、大小のカキが10個で1000円、食い放題は2000円と、まったく意想外な安価。
はたして10個も食べられるか? だが、ふぅふぅいいながら食べきって、っふふ もう大満足だった。

次いで行ったのが、お土産を買うために、塩釜の魚市場へ。
開市は午後1時までで、着いたのが1時過ぎで閉場。大失態。

次善の策として塩釜港の観光桟橋へ。しかし、駐車場が満杯で諦めざるを得ない。
「カキ貝たくさん買ってきたから、もういい」妻の言葉に「そうだなぁ」と同意。(笑)

そしていよいよ七ヶ浜町。海水浴場へ。

180313-10.jpg

180313-20.jpg

180313-30.jpg

180313-40.jpg

180313-50.jpg

180313-60.jpg

180313-70.jpg



  1. 2018/03/15(木) 05:10:09|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

カキ焼き



以下の記述は、次のURLからの抜粋である。

https://sites.google.com/site/kanshamiyagi2/home/rifu

宮城県利府町は、梨の産地として有名です。
中心街区や大きな住宅街は内陸部にあって、海のまちというイメージは、あまり強くありません。
しかし、利府町には松島湾に面して延長約8.5㎞の海岸線があり、そこには須賀漁港と浜田漁港という、2つの港があります

東日本大震災の津波は、利府町の海岸線にも押し寄せてきました。
しかし、松島湾に浮かぶ「八百八島」と称される島々(実際は260余島)に津波がぶつかり、直撃は免れました。
それでも、津波の破壊力はやはりすさまじく、じわりと水位を上げながら浸水してくる波は、漁船をはじめ海辺にあった施設や家々を襲いました。

2011年12月1日、例年より2カ月ほど遅れはしたものの、「かき焼き処」はリニューアルオープンします。震災後、初めて迎えたシーズンも営業できたことで、「かき焼き処」は2009年のオープン以来、休業なしで続けられています。

「もともと浜田のかきは粒が大きくて、旨味が深い。でも、今年のかきは例年以上。お出ししているのは1年ものだけど、こんなにデカイの、なかなかないですよ」
組合員の此村善明さんの笑顔が誇らしげです。

浜田の港の背後には、緑豊かな森が迫ります。
山に染みた雨水は、大地の栄養を海に運び、かきをおいしく、大きく育てるのです。

ここは、日本三景・松島の南隣の町。海明かりもいっぱい。
焼きがきのにおいが、千賀の浦(松島湾の美称)ののどかな浦風に流れていきます。

180313-01.jpg

180313-02.jpg

180313-03.jpg

180313-04.jpg

180313-06.jpg

180313-05.jpg

ここからは自前の記述である。(苦笑)

あらかじめ断っておくが、今日のブログは二つに分けてエントリーする。順序が後先になるが、どちらも13日のできごとを書いた。
こちらはカキが話題で、後刻にアップするのは3.11復興のそれで、両者のテーマが違いすぎるので分けた。

でも、よく考えたら、テーマは通底してる。(一緒でもよかったかなぁ)と思ったりしている。(笑)
なので、少し違ってる部分を書き足す。

カキは、とても美味しかった。迷いなくお土産に「殻付き牡蠣」を40個買った。20個ずつ2袋。
1つを娘への土産に。もう一袋は自家用に。
新鮮さがだいじなので、家へ戻る前に娘の家へ届ける。さいわい料理人がいたので安心して手渡す。

家に戻り、早速カキフライのための準備にとりかかる。
焼きカキは、簡単に身が取り出せ、美味しかった。
で、生牡蠣も容易に身を剥けると思っていた。

あぁ、それが、そうならない!のである。
第一、身を剥く道具がない。小型の稲刈り鎌や握りハサミなどを使ってみたが、堅い殻が開けられない。

クルミ割りに使う鉄路を台に、金槌と鋏を使ってようやっと20個の牡蠣殻剥きをし終える。
形を崩さないよう扱ったが、なかなかそう上手くいかない。素人の哀しさ。

「パパ、きれいに取れて上手ね」受け取った妻がお世辞を言うから憎い。(苦笑)
それで揚げあがったのが、画像(下の2枚)である。
見れば分かるように、形が歪である。剥き方が下手な証拠である。(泣)


  1. 2018/03/15(木) 04:50:18|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

雪 融 け



3月になって雪融けが早まってる。
燻炭を撒いた畑の雪はほとんど消えて黒い土と緑の草が新鮮に見える。
なにもしない畑には、まだ残雪があるけれど、それも間もなく消えるだろう。

消えはじめると、日毎に嵩が減ってくのが分かる。
今日は、2月28日に撮った画像と、それから10日経ったそれを並べてみた。
たいして面白くもないが、雪融けのようすはこんなものである。

この調子でなら、間もなく残雪もない春らしいようすが見られるようになる。

180228-01.jpg

     上=2月28日撮影                 下=3月10日撮影

180310-01.jpg
 
       
180228-03.jpg

     上=2月28日撮影                 下=3月10日撮影

180310-02.jpg


180228-02.jpg

     上=2月28日撮影                      下=3月10日撮影

180310-04.jpg



  1. 2018/03/14(水) 05:08:49|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

東日本大震災 4

3.11以降
なにかが変わった?

ガソリンを積んだタンクローリー車(出光)が Sスタンドへ入ったのは、23日である。
同日、長い列をつくってガソリンを詰めた。車1台につき2000円分(約13㍑?)買え、ホッと息をついた。
特別な用事がない限り、車は乗らないつもりである。妻は、学童保育があるから車で出勤する。

あの日(3.11)に地震が起きるなどとは予想しなかったので、車のガソリン残量は僅かだった。明日にでも詰めればいい、そう思っていた。
また、灯油タンク(風呂・ストーブ用)の残量も少なくなっていた。いつもなら、業者へ電話すると即日、満杯詰めに来てくれた。
......が、あの日以降、ガソリンも灯油も品薄になり、ガソリンは早朝から並んでも注油できない(空振り)し、灯油も買えなくなった。

多少の不便、ないしは寒さなど、岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければと、車を使うことを止め、ストーブも使わずに節約に努める。
皮肉なことに、それまで比較的温かな陽気が続いていたのに、あの日以降は寒い日が続き、雪が降り積もった。
風呂は毎日 使ったが、ストーブは使わないで エアコン暖房で 凌いだ。エアコンはどうしてもストーブのようには温かくないが、我慢した。
津波被災者のことを思えば、家があって、エアコンが使えるのは、多少寒くてもガマンしなければならない、極楽だと言い聞かせた。

いったいどのくらいの期間ガソリンが買えず、灯油が入手できないのか? それが分からないのが不安だった。
けれど 23日にタンクローリー車が来たのを見た時、(あぁ、これでガソリンはダイジョウブだ!)と思い、暗闇に光明を見た思いがし、元気が湧いた。
そして...... 24日の昼近くに、いつも配達してくれてる人が 灯油タンクを搭載した車で「天童の家」にやってきた!
「みんなに配らなければならないので50㍑ということで..... 」馴染みのスタンド店主の言葉に、否やはない。

「当分はそれでやれる。ありがとうさんね」妻が笑顔で話してる。
あの日から12日目でガソリンが来た。13日目で灯油も入れてもらった。
被災者の多くは、まだ不自由な避難所暮らしで苦労しているはずである。住む家を流され、これからどうして行けばいいのかさえメドが立っていないだろう。
そのことを思えば、家があり、風呂が使え、食べられ、寝る所もある身をなんともありがたいと思わずにはいられない。

先に、「岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければ」と書いたが、茨城・千葉などでも大きな被害を受けているのである。
そういう人々のことを見落としてはならない。
放射能による水や食材問題が大きく取り上げられている。それは、ないがしろにできない。でも、というか、寒さや食べ物、トイレやストレスの問題で危機状態になっている人たちの救済は、優先しなければならない。
異論があろうが、自分はそう思っている。

津波で壊滅状態になったその街作りをどうやっていくか、また発電(原発)のことなど大きな課題がたくさんある。
が、「天童の家」では、この地での状況を地味に報告していくつもりである。
(あぁ、また大きな余震だなぁ 17:22 ) これは、錯覚でない地震だ!

「天童の家」では、これから、ね どういう形で関わっていくか? それをはっきりしなきゃならない。
3.11 は、まさに大きな出来事であるのを自覚する。人生そのものが、あの日を境にだいぶ変わって感じられるようになった気がしてならない。大袈裟でなく、そう思う。


2011年3月24日のブログ再掲

---------------------------------------------------------------------------------
津  波

映像では決して見られない世界が、記事では読めて、こころがきりきりとしめつけられる。
9日付の「記者有論」 津波までの「30分」 記録と検証 必ず後生へ を読んだ。その前半分を次に書き写す。

   津波までの「30分」  立川支局 三浦英之

  遺体はどれも、一カ所に寄せ集められたように折り重なっていた。
  リボンを結んだ小さな頭が、泥の中に顔をうずめている。
  細い木の枝を握りしめたままの30代の男性がいる。

  消防団員が教えてくれた。
  「津波が引くとき、川のようになって同じ場所を流れていく。そこに障害物があると、遺体がいくつも引っかかってしまう......」
  遺体は魚の腹のように白く、ぬれた布団のように膨れ上がっている。
  涙があふれて止まらない。
  隣で消防団員も号泣していた。

  震災翌日から現地に入り、18日間取材を続けた。
  最初の数日はまともに記事が書けなかった。
  目の前の惨状に、何がニュースかわからなくなり、気がつくと空ばかり見上げていた。

  「なぜ、こんなにも多くの人が......」。
  がれきの中を歩くたびに、怒りと悲しみに満ちた疑念が、胸のなかに押し寄せた。
  被災地では、土砂にまみれた時計の多くが、地震が起きた午後2時46分ではなく、午後3時20分前後で止まっている。
  津波が押し寄せた時間だ。

死亡数 12,750人  安否不明数 17,022人 (8日現在)
死亡数 12,898人  安否不明数 14,824人 (9日現在)

***
    2011年4月10日ブログの再掲
  
10308-b.jpg

10308-a.jpg

10308-d.jpg

10309-50.jpg

10308-50.jpg



  1. 2018/03/13(火) 05:02:20|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

東日本大震災 3


耐乏生活

今朝は、5時起きし朝食をさーっと済まし7時前に近くにある農協のガソリンスタンドへ行く。
始業まで1時間もあるのだから(詰められるだろう)と思ったが、すでに長蛇の列となってる。
正確に数えたのでないが150台~200台くらい並んでる。昨日もそうだったようである。農協の組合員でなければ詰められないというふれ込みだが... 実際はちがうような感じだ。

とにかく待ち覚悟で並ぶ。ガソリン残量がないのだから、並んでも詰めるしかないのである。
新聞と文庫本を持参し、車中で読む。「3号機も水素爆発」「2号機も冷却不全」「計画停電が開始」「被災地ガソリン不足」「首都圏『買いだめ』」「M7余震確率減り40%」大きな活字が禍々しい。
ケータイが振るえ、「緊急地震速報・秋田沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」を伝える。(午前7時29分)

  約1万人の安否が確認できていない宮城県南三陸町で、津波にのまれ一時気を失いながら、電線にしがみついて生還した男性が避難所にいた。
  海の近くにいたはずが、目を覚ました時には高さ約30㍍の丘の上だったという。
紙面いっぱい 5葉の写真(津波が到達する直前の街並み 3時4分・海水が道路へ・家屋が呑み込まれ・水没・全てが流される 3時16分)が津波の恐ろしさを如実に示してる。

「待って居られても、(ガソリンは)もう詰められません」農協職員が触れ回る。(そうだろうなぁ)と納得(諦め)し 家に戻る。
妻とあらためて茶を飲みながらいろいろ話し合う。妻の通勤(車)は、まだしばらくは間に合うようだ。私のはもうガス欠限界に近い。息子のは地震前に満タンしてたという。
「パパ、自転車 小屋からもって来よう。耕耘機や動噴用のガソリン、あれを車に入れよう」妻の提案に同意する。
道路には雪がほとんどなくなったのだから、自転車が使える。また農業機械用のガソリンを車に使える。それで約30Km位走れることが分かる。

ガソリンはじめ、食料品や暮らしに必要な品々がいつまで欠乏するかは分からないが、とにかく家があり、それなりの食料等(備蓄)があるのだから、しばらくの間辛抱するしかない。
30時間近い停電を経験したばかりだし、数時間の計画停電はたいしたことでない。
原子力発電所のそれは、庶民にはいかんともしがたい。大事にならないよう祈るしかない。
地震発生からすでに5日目。津波に襲われた方々(被災者)の暮らしが、少しでも早く復旧に向かうこと。そして今も繰り返し襲ってくる不安に対するフォローアップをしっかりやらなければならない。
被災地から離れ、直接力になってあげられないが、何らかの形で協力したいと考えている。

「パパ、牛乳 午後から入る(入荷する)と言ってた。何時頃になるか確かなことは分からないけど、パパ、自転車でリックサック背負ってね 買ってきて」妻の頼みに、大きく頷く。
買えるだけ良しである。
そう悲観的にならないでもいいような気がする。へへ、あくまでも希望的思いであるが...(笑い)

*
2011年3月15日のブログ再掲

---------------------------------------------------------------------------------------
3.11 津 波
東日本大震災:津波

東日本大震災:津波、史上最大…「明治三陸」超える
毎日 J P http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110424k0000m040126000c.html

東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。
岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。
明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。

 ◇30メートル超、5カ所…東大地震研調査
 調査は、同研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(津波・古地震学)らが実施した。
東日本大震災の津波については、津波の痕跡が発生後1~2カ月で消えてしまうため、今回の対象地域以外でも全国の津波研究者が分担して現地調査に取り組んでいる。

 都司准教授らの調査の結果、宮古市田老小堀内で津波の到達した高さが37.9メートルに及んだほか、同和野35.2メートル、同青野滝34.8メートル、宮古市・松月31.4メートル、同市・真崎30.8メートル--の計5カ所で30メートルを超えた。

 明治三陸津波で高台へ運ばれた大きな岩として有名な「津波石」(標高25メートル)が残る岩手県田野畑村の羅賀地区では津波石を超える27.8メートルに達した。
明治三陸津波では岩手県大船渡市で38.2メートルを記録したが、30メートル超は他に同県陸前高田市の32.6メートルだけで、昭和三陸地震(1933年)による津波は最高28.7メートル(大船渡市)だった。

 都司准教授は「明治三陸津波で甚大な被害を受けたいくつかの地区は、今回も30メートル近い津波が到達したが、集落を高台に移していたため被害を免れた。
今後まとまる被災地全体の調査結果を、復興計画に生かしてほしい」と話す。【永山悦子】

 ◇明治三陸地震と昭和三陸地震◇
 いずれも三陸地方に大きな津波被害をもたらした。明治三陸地震は、1896年に起きたマグニチュード(M)8クラスの地震。
地震動による被害はなかったが、大津波が発生し、北海道から宮城県の太平洋岸で約2万2000人の死者を出した。
昭和三陸地震は1933年に起きたM8.1の地震。津波によって3000人を超す死者・行方不明者が出た。

*
 死亡者数 14,300人  行方不明数 11,999人 (24日現在・警察庁まとめ)


    2011年4月25日ブログの再掲  


test.jpg



  1. 2018/03/12(月) 05:16:27|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

マンサク



早春を告げる花たちの投稿を見て、もしかしたらマンサクが咲きはじめたかもしれないと思う。
野面には、まだ残雪がある。ましてマンサクの木がある所は山である。
過去画像を見ると、残雪を無視し、月日だけで言えば、そろそろ咲いても可怪しくない時期だ。

ダメ元を覚悟で(苦笑)、毎年撮っている里山へ行く。
もちろん残雪がある。それでもオウレンやイチゲなどと違って、地から離れた木の枝に咲く。
直接的には、マンサクの開花は、残雪の有無にかかわらず花が咲いても不思議ではない。

と、言うような理屈を呟きながら積雪の斜面を上る。
マンサクは、咲きはじめてた!

180311-10.jpg180311-20.jpg

180311-30.jpg

180311-40.jpg

180311-50.jpg180311-60.jpg

180311-70.jpg180311-80.jpg

180311-90.jpg



  1. 2018/03/11(日) 16:36:34|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

3.11から7年



   避難せし遠近ゆ来て浪江町の田植踊を久々に舞う         福島市・青木崇郎

上は、朝日歌壇(2月26日づけ)より


   捨て雪の山は春には消えてゆく春にも消えぬ核廃棄物       村上市・鈴木正芳

上は、朝日歌壇(3月5日づけ)より

2011年3月11日、東日本大震災がおきた。あれから7年が経つ。あれ以来、毎週 3.11関連俳句と短歌をブログに並べてきた。
年月が経つほどに、作品数が少なくなってるのは、しかたないことか? 3.11は未曾有の出来事だったが、風化が気づかないほどにすすんで、それが作品数に現れてる。

3.11難民の数は、まだ少なくない。特に浪江町の放射線量は多く、生まれ育った故郷へ戻ることが叶わない。

-------------------------------------------------------------------------------------------------

   浪江町民について

 東日本大震災当時の人口は、約21,500人でした。現在の住民登録数は約18,000人です。
 その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。避難先は福島県内が約7割、県外が約3割(全国43都道府県で)、町は全国7拠点に「浪江町復興支援員」を配置し、避難生活をサポートしています。
 福島県内の仮設・借上げ住宅には、現在も約2,800人が居住しています。

 避難指示解除前に実施した住民の帰還意向調査では、「帰還したいと考えている」が13.5%、「まだ判断がつかない」が31.6%、「帰還しないと決めている」が49.5%となっています(平成29年12月調査)。

上のそれは http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-factsheet.html による。

また次は、青木崇郎さんの短歌を裏付ける浪江町請戸地区の祭りの記事である。

2月18日、7年振りに請戸地区の*野神社において、安波祭が行われ、神事の後に雅楽、神楽、田植踊が奉納されました。
安波祭は約300年前から続く伝統行事で、町の無形民俗文化財に指定されています。
震災後は仮設住宅で開催されていましたが、浪江町での開催に多くの住民が集まり、ふるさとでの伝統行事の復活を喜びました。
        http://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/17239.html#

以下は、2011年3月28日のブログの再掲

   東日本大震災を詠む

以下は、朝日新聞が「東日本大震災を詠む」俳句を緊急募集。応募1300句の中から朝日俳壇選者4人が特選3句を選んだ。

       ものの芽の天地裂くとも萌え出でよ    埼玉県蓮田市・斎藤哲哉
       みちのくの地震鎮もれよ花辛夷         大分市・富尾和恵
       雪囲解かざるままに津波来て       神戸市垂水区・浜崎素粒子
                以上 稲畑汀子選

       生きていて生きてるだけで燕来る    東京都江戸川区・飯田 操
       世界中の瞳と思え春の星         滋賀県野洲市・鈴木幸江
       涅槃西風海から瓦礫地獄まで       横浜市戸塚区・猪野鳳保
                以上 金子兜太選

       乾坤の未曾有三月十一日         横浜市金沢区・藤田定雄
       春の海津波の牙に変わりけり       東京都目黒区・横田貞子
       避難所に顔つつみ寝る日々余寒    大阪府河内長野市・古川眞澄
                以上 長谷川櫂選

       春月や瓦礫の町に嬰生まる       名古屋市昭和区・坂倉公子
       毛布なき君に熱燗飲ませたし       大分県別府市・河野靖朗
       避難所の春の暖炉の明りかな       神戸市垂水区・浜崎素粒子
                以上 大串章選

以下は、2011年3月28日付の朝日歌壇より

       地震による停電岩手を包み込む3.11雪降りやまず         岩手県・田浦 将
       ぐらぐらと畑がゆれる施肥をするわれは咄嗟に四つん這ひになる  長野県・小林正人
       大地震津波の前に詠みし歌春は近くて脳天気なり         東京都・夏目たかし

       冷蔵庫に庭の雪氷詰めにけりランプで暮らす日々の続けば     盛岡市・佐藤忠行
       ケータイはつながらないのに充電の残量気になる余震の夜に    山形市・渋間悦子
       被災地を視ては夫婦で涙ぐむ温かき部屋にて熱き物食べ      飯田市・草田礼子

10124-c.jpg

10124-b.jpg


フクシマの春 2011年

       乳搾るナカレ、耕すナカレ、種蒔くナカレふくしまの春かなし    福島市・美原凍子

       ふくしまがフクシマとなりFUKUSIMAとなりたる訳の重過ぎる訳    福島市・美原凍子

       毎日のおかずのように噛んでいるベクレル数値、シーベルト数値   福島市・美原凍子

福島の美原さん なんと言ったらいいのか...美原さんの歌がせつなくこころに響く

       此処もすでに危険と話す人等いて闇迫るとき次の地へ発つ      福島県・開発廣和

       窓辺から見ている空は福島の先週までと変わらない空        郡山市・畠山理恵子

       乳出すなと餌を減らすわれの手元見るその眼のやはらかき乳うし   郡山市・横田俊幸

       これほどに春まちわびる年もなく     長岡京市・寺嶋三郎

       捜しゐる流されし家燕(つばくらめ)    下田市・森本幸平

                         以上は、朝日歌壇・俳壇(2011年4月26日付)より


  1. 2018/03/11(日) 05:10:29|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

東日本大震災 2


自分ができることを

見通しが甘かった。停電はそんなに長くはないだろうと思っていたが、大きく外れた。
11日は、外が明るいうちに「ろうそくの灯り」で夕食を済ました。
「天童の家」の炊飯や煮物はガス(ボンベ)でやってる。また反射コンロ(3台)もあるので湯沸かしや煮炊きは不自由しない。
ところが、あいにく炊飯器の電池切れでご飯が炊けない。それだからといってちっとも困らない。麺類が好きだからそうめんやパスタを食べた。

懐中電灯にも欠かせないので電池を買いに行く。「パンとホッカイロも買ってきて」と母のリクエストもある。
途中にコンビニがあるけれど、そこははじめからパスし、ホームセンターへ。ところがそこは長蛇の列で「こんなに並んで...... もうダメだ」と判断し、ショッピングセンターへ向かう。
ホッカイロは買えたが、パン類はもうほとんど品切れで、味噌パンと菓子パンをようやく入手できた。
電池はみごとに売り切れ! 「懐中電灯の電池で点火し、炊飯終わったら、また懐中電灯に電池を戻せばいい」ということで対応するしかない。

12日、続く余震に戸惑いながらも、さいわいに天気がわるくないので、気分転換にと散歩をする。
考えれば、散歩などしてる時ではなく、食材の確保やガソリン補給をしっかりやるべきだったのだが...... その考えが浮かばなかったのが悔やまれる。
12日も停電が続いてる。ラジオで情報を集めながら震災の惨状に驚く。
「冷蔵庫の掃除をやるから手伝って」妻に言われ、せっせと冷蔵庫の掃除や整理をやる。
今回の停電は、30時間ほどだったが、その途中のこの時点でも冷凍庫内のそれは全部解凍してしまった。孫たちのために保管してあるアイスキャンデーは全部捨てた。
東京電力は、今日(14日)から計画停電を実施するという。3時間~数時間だから、全部ダメになるということもないだろうが......

13日、日曜のルチンワークとして買い出しがある。ので、いつもの通りに買い物に出かける。
が...... 途中の道路が渋滞しちっとも進まない。不審に思って調べるとガソリンを詰めるための順番待ちと分かる。それが方々の場所で同じような情景なのである。
自分のタンクを見ると、残量が少なくなってる。(しまったぁ!)と思うが後の祭り...

いつものショッピングセンターに行き、さらに驚く。買う物がない!
「入荷しないのです」店員が困惑顔で説明する。いつもは活況を呈してる店内の陳列棚がガランとして、まるでゴーストタウンのような感じである。
「あるもので食いつなぐしかない。まだ食べるものがある(缶詰やその他の食材)しなぁ。畑の大根も掘り起こしに行こう」

東日本大震災:マグニチュード 9.0に 世界史上4番目 (毎日JP)
 気象庁は13日、東日本大震災の規模をマグニチュード(M)9.0に修正した。これまでは国内の観測史上最大のM8.8としていたが、地震波のデータを詳しく解析し、再計算した結果、9.0になったという。
M9.0は世界の地震の観測史上4番目となる。Mが0.2高いと、地震のエネルギーは約2倍となる。
 また、気象庁はM7以上(震度6強~4程度)の余震が発生する確率について、13日午前10時から3日間以内が70%、その後3日間以内は50%と発表した。余震確率70%は国内の地震で過去最高。
 横田崇・地震予知情報課長は記者会見し、「余震の数と規模は過去の地震と比べけた違いに大きい。震度6弱~6強程度の余震が今後も2週間程度は続く恐れがある」と注意を呼びかけた。【福永方人、飯田和樹】

東日本大震災:給油に長蛇の列 新たな供給のめどなく (毎日JP)
 ガソリンスタンドで給油するために並ぶ車の列。場所によっては1キロ以上の列になっているスタンドもある。東日本大震災で被災した東北各地のガソリンスタンドで、給油を待つ車が長蛇の列を作っている。
 停電の影響でポンプを動かせる店が限られていたり、緊急車両以外の給油が制限され、一般車両が給油できるスタンドが限られているためだ。
 盛岡市内の中心地にあるスタンドには13日朝、約30台が並んだ。自家発電で12日から緊急車両に限り営業しているため、ガソリンはほとんど底をつきそうだが、新たな供給のめどは「ない」という。

今回の大震災を思えば、多少の不便さや不満はあっても忍ばなくてはなるまい。
今回のような大規模な計画停電にも対応しなければならないものと思われる。
愚痴や不満を言うより、この窮状に自分がやれることはなになのかを考え、実践すべきだろう。


2011年3月14日のブログ再掲

------------------------------------------------------------------------------------
津波で
         河北新報ニュースから(10日づけ)

 <大川小事故> 娘と再会願いかなわず妻も津波の犠牲 病に倒れ不明児童の父死去

 東日本大震災の津波で、石巻市大川小は全校児童108人中、70人が死亡し、今も4人の行方が分からない。
 不明児童4人のうち、2年生だった女子児童=当時(8)=の父親が昨年夏に他界した。63歳だった。
 津波は妻=当時(46)=も奪った。空き家となった男性宅には親子3人の遺影が並んでいる。
                                       (大川小事故取材班)

 7年前の3月11日、男性は一人娘を引き取るため、妻と車で大川小に向かった。時間帯は不明だが、校庭では児童と教職員が待機を続けていた。
 男性は妻と娘を校庭に残して自宅に戻った。親戚の男性(73)によると、娘が「もう少し遊んでる」とせがんだため、置いてきたという。男性が校庭を去った後、巨大津波が大川小を襲った。

 大川小から約1.5キロ山側の入釜谷地区にある男性宅は無事だった。
 津波襲来後、親戚が「学校さ迎えに行かなかったのか」と聞くと、男性は「行がねえんだ(行かなかった)」と言葉を濁した。
 停電で暗闇となった集落で、男性は妻子が帰ってくるはずの道を車のヘッドライトで夜通し照らし続けた。
 地震直後、男性が大川小を訪れていたことを周囲に明かしたのは、しばらくたってからのことだ。

 大川小周辺では翌12日以降、児童らの遺体が次々と見つかった。
 ある日、女の子の遺体があった。損傷が激しい。体に貼られたガムテープに娘の名前があった。発見者が特徴から推測して書いたようだ。
 「これ、おめえんとこの娘だべっちゃ」。声を掛けられた男性は「何か違う。おらいの娘でねえみてえだ。髪の毛が違う」と話した。
 妻は遺体で発見されたが、娘だけが見つからないまま時が過ぎた。

 男性は建築関係の仕事をしながら娘を捜し続けた。親戚の男性は「随分頑張って捜しに行ってた。余計なことは話さなかった」と振り返る。周囲との交流は少なかったが、別の児童遺族が捜索状況を電話で伝えると、男性は真剣に聞いていたという。

 男性は昨年春、自宅で倒れ、石巻市内の病院に入院した。介護施設への入所を控えていた8月22日、息を引き取った。40代後半になって授かった一人娘を大変かわいがっていたという。

 近くの親戚の案内で男性宅を訪れると、主を失った家はひときわ底冷えがした。娘の成長記録が黒いフェルトペンで柱に記されていた。

 
  1. 2018/03/11(日) 04:05:06|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

東日本大震災

大 地 震
2011年3月11日

2011年3月11日午後2時46分、この時刻をながく忘れないだろう。
洋間の長椅子に腰を沈めて、池波正太郎著「戦国幻想曲」新潮文庫を読んでいた。
揺れは、激しく、長く続いた。これまでに体験したことのない地震だった。(地震だ!)とは分かったが、いったいどうすればいいのか分からない。
驚きのまま、長椅子から腰を浮かし窓を見る。左右に動いて、(もしかしたらこのまま家が倒壊するのでは......)と思った。
そう思ったら、立ち上がって、外へ逃げようと部屋を出た。母は、すでに外へ出てた。
「火、消してきたか?」母の問いかけに、「消した!」と応じる。
外へ出ても、大地がまだ揺れている。

後で考えたのだが、(あれは本当にまだ揺れていたのだろうか......? )と。というのは船酔い後に陸地に上がった時に、地が揺れてるような錯覚を経験する。
特に、今回の地震は大きな余震が何度も起きた。そうした後には、実際は揺れていないのだが、なにかの弾みで「ない」揺れを感じてしまう。
似たような感覚を妻も体験してるようだ。不安がそうさせるのだろうか。とにかくない揺れを感じてしまう。
あの経験したこともない揺れが、きっとトラウマになっているのかも知れないなぁ

余震を感じる度に、電灯から下がってる紐が揺れているかどうかを見る。
見れば、70~80パーセントくらいは揺れているから、(あぁ、また余震)と分かるが、30~20パーセントくらい錯覚なのに苦笑してしまう。
錯覚の揺れは、特別の場所や時間にでるのではなくて、いつでも現れる。
今朝、二日ぶりに風呂に入った。入浴しながら浴槽の湯を手で動かしていたら、また余震を感じた。でも、それは錯覚の揺れだった。
鏡を見ながら ひげ剃りしてたら、また揺れた。うう、それも自分の身体が動いたために覚えた余震(錯覚)なのが分かった。

こうしてタイピングしてる時(13日 7時15分頃)にもまたかなり大きな揺れが2度きた。それは間違いなく震度4近い余震だった。
13日 8時30分頃にもまた本当の揺れがきた。妻と朝食中で、横揺れでなく、直下からビビビと震えるはっきりしたそれである。
はじめのそれは、「平成23年 東北地方太平洋沖地震」(東日本大地震)は、マグニチュード(M)8.8 という国内観測史上最大のものだった。
それで度肝を抜かれた。それ以降も限りない程の余震が起きた。11日の夜は、停電で真っ暗闇の中で、「あっ!  また起きた」と幾度も身を固くした。
12日になっても家屋を揺るがす余震がいくつもあって、慣れることができない。

停電が30時間近くあって、ようやく復旧(12日午後8時近く)したけれど、起きてテレビを見るのがやっとである。
パソコンする気持にならない。泥のように重たくべったりした気分...... 時間的には、十分に眠っているはずなのに気分は寝不足。
実質的な被害はなにもなかった。津波に遭った人たちに比べれば、ホッとしていいはずなのに......
「天童の家」のそれは、下の写真くらいでしかない。こけしが倒れ、本の函が散らかったにすぎない。
なのに、揺れの錯覚が度々現れる。それがとてもイヤというか、不安な気分になる。


2011年3月13日のブログ再掲
 
  1. 2018/03/10(土) 04:50:28|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

全国の高瀬川



高瀬川をウィキペディアで検索したら、次のようなのにヒットした。
先に、愛宕山を見てみたことがあった。川にも愛宕山に似たのがあるのを知り、嬉しくなった。
数えてみたら22河川。

なお、村山高瀬川は、地元では「高瀬川」と呼び、村山高瀬川とは言わない。
そして、高瀬川は流れ下って間もなく「野呂川」と呼ばれるようになり、鮭遡上で知られる川である。

以下は、高瀬川一覧である。

高瀬川(青森県)- 青森県南東部を流れ太平洋に注ぐ河川。
高瀬川 (宮城県) - 宮城県亘理郡山元町を流れる本流の普通河川。鷲足川とともに牛橋河へ注ぐ。
村山高瀬川(山形県)-山形県山形市を流れる最上川水系馬見ヶ崎川支流の一級河川。
庄内高瀬川(山形県)-山形県飽海郡遊佐町を流れる月光川水系の二級河川。
高瀬川 (福島県) - 福島県田村市・双葉郡浪江町・葛尾村を流れる請戸川水系の二級河川。
高瀬川 (茨城県) - 茨城県久慈郡大子町を流れる久慈川水系の河川。
高瀬川 (千葉県) - 千葉県船橋市を流れる本流の二級河川。谷津干潟と東京湾を結ぶ。

高瀬川 (福井県) - 福井県三方上中郡若狭町を流れる早瀬川水系ハス川支流の二級河川。
高瀬川 (長野県) - 長野県西部を流れる信濃川水系犀川支流の一級河川。
高瀬川 (京都府) - 京都府京都市を流れる運河。鴨川を境に高瀬川と東高瀬川に分断されている。
西高瀬川(京都府)- 京都府京都市を流れる淀川水系桂川分流・鴨川支流の一級河川。
高瀬川 (大阪府) - 大阪府茨木市を流れる淀川水系の河川。
高瀬川 (奈良県) - 奈良県大和郡山市・天理市・奈良市を流れる大和川水系佐保川支流の一級河川。
高瀬川 (和歌山県) - 和歌山県西牟婁郡白浜町を流れる富田川水系の二級河川。
高瀬川 (島根県) - 島根県出雲市を流れる斐伊川水系五右衛門川支流の一級河川。江戸時代につくられた疏水。
高瀬川 (岡山県) - 岡山県新見市を流れる高梁川水系西川支流の一級河川。
高瀬川 (香川県) - 香川県三豊市を流れる本流の二級河川。
高瀬川 (愛媛県) - 愛媛県大洲市・西予市を流れる肱川水系富野川支流の一級河川。
高瀬川 (福岡県) - 福岡県宗像市を流れる釣川水系朝町川支流の二級河川。
高瀬川 (佐賀市) - 佐賀県佐賀市を流れる嘉瀬川水系の一級河川。
高瀬川 (武雄市) - 佐賀県武雄市を流れる六角川水系の一級河川。
高瀬川(熊本県)- 熊本県玉名市を流れる菊池川の別称。
高瀬川 (大分県) - 大分県日田市を流れる筑後川水系の一級河川。


180307-94.jpg

180307-93.jpg

180307-92.jpg



  1. 2018/03/09(金) 05:09:37|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6