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読めない天気


春の天気は、変りやすい。そう繰り返し書いてきた。

天気は、農業をやる者には気になるものである。農業と天気は切り離せないだいじな要件で、いまさらくだくだと書くまでもない。
28日、妻と夫はネットの気象情報を見ながら「明日(29日)消毒をやろう」と決めた。さくらんぼ等の果樹の消毒である。

雲マークで、傘マークはない。消毒にお日さまマークが必須ではない。雲マーク上等である。雨さえ降らなければOKだ。

29日、いつもより早くに起床。消毒作業に風は好ましくない。気象情報を見る際には、雨だけではなく風の有無も確かめる。3mあればしないことにしてる。
早朝は、無風状態なことが多いから、朝食前に終すように早起きする。

今年はじめてやる消毒作業だ。動噴の試運転は済んでる。もちろん消毒剤も揃えてある。消毒液の調合も終え、空を見る。
陽が射し、青空が見える。風もない。上々の消毒日和だ。第一回目の消毒は油剤なので二度掛けが禁忌だ。
さくらんぼを済まし、次は梅。そして余った薬液は、庭木に散布する。

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作業後の片付けを済まし、少し遅い朝食。
お昼ちょっと前に、ぱらぱらと小粒の雨。「ダイジョウブよねぇ」妻が呟く。「ダイジョウブだよ」と夫。

昼食後、散歩に出かける。春らしい陽射しを背に受け歩く。
もしかしたら...... と、期待してた春告げる花は、まだ蕾すら見えないなしのつぶて。
山寺折り返し地点で復路。向かう西空に黒く分厚い雲。

はじめ霧雨だった。が、間もなくはっきりした雨。やがて本降りの雨となる。
気象情報では、傘マークはなかった。散歩はじめは春の陽射し。
なのに、この本格的な降りはどういうことだ!

久しぶりでずぶ濡れになる。カメラを濡らさないように抱え、やっとこさ車に辿り着く。
当たらない天気予報が恨めしい! 読みきれなかった自分が悔しい。
ずぶぬれた上着とズボンを洗濯機へ入れ、スイッチを押す。

「消毒、ムダになった?」妻が問う。
「ダイジョウブ やり直しいらない」断言する夫。

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  1. 2017/03/31(金) 05:20:36|
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ミスミソウ開花は

スプリングエフェメラルの花たちが咲きはじめたのは、嬉しいことである。
それらの花たちは、いつ咲くのかが毎年気になる。っふふ 一刻も早く見たいから(笑)
過去の撮影日を並べて、予想する。確率は、へへ 天気予報と同じくらいかなぁ

↓年 →撮影月日  オオレン   ミスミソウ    ザゼンソウ 
2009年      3月18日    3月30日      4月 1日 
2010年      3月26日    4月 3日       4月 1日 
2011年      3月29日    4月14日      4月13日 
2012年      3月29日    4月12日       4月 8日 
2013年      3月22日    4月 4日       4月 5日
2014年      3月27日     4月 6日       4月 5日
2015年      3月21日     3月31日       4月 2日
2016年      3月11日     3月28日       4月 2日
2017年      3月13日     月  日         月   日

オウレンは、昨年は11日に撮ってるからと、今年は13日に行ったところ、花は咲いてた。
ミスミソウはどうか?と見れば、2015年が3月31日、2016年は3月28日となってる。

それならば、もう咲いてるかもと、28日に行ってみた。
ふ~むむ、である。雪がやっと消えたばかりで、近くには残雪もあった。

過去データは、それなりに目安にはなるけれど、やはりその年年のいろいろな条件があって、読み切ることはなかなか難しい。
まだ4月にもならないのだから、今年は遅いというわけでもないが、昨年よりは遅い。......が、まぁ 間もなく開花はまちがいない。

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  1. 2017/03/30(木) 05:08:43|
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原子力発電

原発事故

  国立の青澄みとほる空見れば唯に恋しき福島の家         国立市・半杭螢子

  馴染めない女将の訛り聞きながら廃炉作業の後の酒盛り    安芸高田市・菊山正史

  二号機のそばで働くはこはからむ一分弱で死に到るそばで    北九州市・嶋津裕子

  独り身の仮設暮しの年寄りを原発孤老と誰が呼びしか       福島市・加藤哲章

  あてどなき、よるべなき、また後のなき、「なき」を行きゆく身にふる霙  福島市・美原凍子

  「来世はこの地に生まれてくるなよ」と被爆牛舎に老婆の声が  いわき市・鈴木愛子

  「みちのくの真野の草原」線量計立ちて春めく光浴びをり     三鷹市・増田テルヨ

  原子炉にとじこめられてロボットは前進ならず後退できず     摂津市・内山豊子

上は、朝日歌壇(3月20日付より


  フクシマの桜哀しも原発禍        横浜市・穴沢秋彦

  夢のやうに桜はありぬ原発忌       三郷市・岡崎正宏

  死者のこゑ未だ瓦礫より冬すみれ    えびの市・川野一広

以上は、朝日俳壇(3月27日づけ)より

東日本大震災が起きたのは、2011年3月11日。あれから6年経っても、歌や句に詠まれる。
3.11は、やはり忘れられない大きなできごとだったことを証明してる。
就中、句や歌の内容が、原発事故に絞られてきてる。

津波は、避けられない自然災害である。それに対し、人々は諦めの気持でこころを鎮静させる。
しかし、原発事故は、明らかに「人災」である。被災者は、この事故をとうしても許せない。
被災者だけでなく、いつ被災者になるかもしれない国民の多くは、原発そのもを承認できない。

因みに、あの熊本地震は、2016年(平成28年)4月に起き、間もなく1年になる。
震度7が2回もあった。熊本城の復旧には20年もかかるという大震災。
なのに、この地震に関する句も歌も、みられない。

人の関心のありようが、わかるような気がする。
これは良悪の問題ではない。偽りない「人の関心のあり方」だろう。


  1. 2017/03/29(水) 05:20:08|
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今年の春は



今年3月の天気は、移り変わりが激しい気がする。

三寒四温を繰り返しながら、春は徐々にやってくるのだけれど、今年は寒暖の差が大きい。
春の到来が遅いわけでもない。しかし、梅に限って言えば、開花は遅いのがはっきり分かる。

27日は、前日とちがって霙混じりの雪が陰気に降る。
「昨日(26日)、花(イチゲ)撮ってきてよかったね」妻の言葉に大きく頷く。

この時期に、雪が降るのは、珍しいことではない。なのに(いつまでもだらだらと降るなぁ)と思う。

歳とったせいか?、寒さが気になる。いつまでも寒さが続くとの思いが強い。
堪え性がなくなっているのだ。春を待つ気持だけが日増しに強くなってくる。

待春の強い気持が、今年の春のありようを、寒暖差が大きい、温かさが乏しい、と思わせるのかも......

繰り返しになるが、今年の春は、やはり例年とちがう気がする。
間もなく4月になろうとしてるのに、春の温かさが感じられない。

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  1. 2017/03/28(火) 05:20:29|
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イチゲ咲く



日曜の午前中は、いかにも春らしい陽気だった。
日曜は、いつも買出しに行くことになってる。朝食が済み次第出かけようとの妻の言葉に否やはない。

これまで、街へ出かける時、車の運転は、私がやっていたが、26日からは、運転を妻に任せる。
26日は、イオンモール天童(イモ天)・おーばん・ヤマザワの3箇所で買い物をする。
イモ天では本屋で花見の場所を、また野菜(タマネギ)の作り方を、妻と二人で立ち読みする。
「勉強したね」妻が笑っていうのに、夫も頷く。(苦笑)

イモ天では、屋上駐車場で周りの山々を眺めながら歩いたりする。
へへ こういうことは、どうでもいいことである。要するに、余裕の時間をもったということである。(笑)
車(オートマ)の運転もだいぶ馴れてきた妻だが、こちらはまだ運転に余裕がみられないのはしかたない。

昼食を済まし、散歩へ。そろそろイチゲが咲く頃と大森トンネルの向こうへ。
(まだ咲いてはいないだろう)との思いが強かったのだけれど......いかにも春らしい天気に、(もしかしたら)という期待も少しはあった。
ところが、尚早かとの思いは、っふふ みごとハズレ。嬉しい!ハズレとなったのである。

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  1. 2017/03/27(月) 05:20:24|
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オートマチック車



25日、新しい車がやって来た。
これまで乗ってきたのは、ニッサン・ブルーバードであるが、新車は一回り小さなダイハツ・ブーン。
ブルーバードを買う時は、これが最後の車との思いが強かった。もう買い換えることもないだろうと。

ブルーバードは、完璧な車だった。平成16年4月に走りはじめ、13年間で 107,975Km 走った。
トラブルは皆無だった。この4月に車検で、クルマ屋に「まだまだ乗れる」と言われたが、妻はなぜか買い換えを決めた。
妻の気持を忖度せず、そのまま受け入れ(新車に乗るのもわるくないなぁ)と思った。(笑)

一言「軽自動車でもいいよ」と言った。それは偽らない気持だった。老齢になって、車はなんでも良かった。

妻は、オートマ(オートマチックトランスミッション)車の運転をしたことがない。だからブルーバードもマニュアルギアを探して買った。
しかし、現在マニュアル車は買えないので、夫が元気なうちにオートマ車に慣れたい気持が強かったようだ。
妻の決断は、正しいと思う。真正面から、そういう会話をしたことはない。ないけれど、了解事項だ。(笑)

75歳を過ぎた頃から、私の難聴がひどくなった。それを理由に対外的な仕事(役目)は、妻に依願した。
具体的に言えば、檀家寺の世話人、結婚式や法事、町内の総会等々への出席は妻の役目になった。
その延長上に、車に関わる判断なども、妻の意向を最優先することになった。

ダイハツ・ブーンはもちろんオートマ車である。
納車手続きの後、妻はクルマ屋から運転の仕方を習う。同乗してもらい運転をしてみる。
これまでやっていたクラッチ操作が、シフトレバーシフトに変わる。それをしっかりと覚え、操作すればクラッチ操作がない分、運転は楽になる。

シフトレバー操作をマスターするまでの不安は、慣れることで解消する。
「パパ、ガソリン詰めに行こう」妻が誘う。
スタンド往路は私が運転。帰りは、途中にある運動公園の広い駐車場で妻が納得するまで練習すればいい。

「わるくない車ね」オートマ操作に慣れてきた妻が言う。
「慣れれば、楽なんだよ」夫の言葉に妻が頷く。

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↑  左がブルーバード    右がダイハツブーン

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13年間乗ったニッサンブルーバード ほんとに良い車だったなぁ
クルマ屋が乗って「天童の家」を去ってくのを見て、うう 胸の辺りがキューッと締められるような
車に対し、このような愛惜を感じたのは、はじめてのことである

車は、言えば走るアイテムでしかないと思っていた
しかし、考えてみれば、この車でいろんな所へ出かけ、楽しいことをたくさん
っふふ 単なる走るアイテムとは言えない気がしてきたものである

(あぁ 良い車だったなぁ)


  1. 2017/03/26(日) 05:23:03|
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ウシガエル 2

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昨日(24日)ウシガエルの画像をアップした。
あの小沼(旧田圃)は、散歩道脇にあるのだが、カエルたちの姿はハッキリとは見えない。
自分の目がよくないこともあるけれど、沼との距離もある。また被写体が小さいのである。

レンズを望遠に切り替え、当てずっぽうに撮った。目指す小動物が写っていればいい、と賭けたのである。
画像処理で、かなりムリして拡大した。どうにかカエルと識別されるのが写っていた。
とういう次第で、ウシガエル画像を得たのだった。

あの小動物をウシガエルと断定的に書いたのは、あの小沼辺りで聞く鳴き声の主がウシガエルなので、写ってるのもウシガエルだと推量した。(笑)
ただし、画像のそれは小さく、まだ尻尾があるように見えるから、きっと子どもなのだろうと思った。
そこまでをなんの疑問もなく、『ウシガエル』の見出しでエントリーしたのである。

その後、『ウシガエル』の画像を見て、いくつものはてな(?)が浮かぶ。
沼の雪がようやく消えたばかりなのに、あの仔蛙たちはいったいどうやって厳しい冬を越したのか?
そもそもウシガエルとは、どういう生き物なのか? 等の問いが出てくる。

ならばと、早速「検索」をはじめる。
そこで今度は、幼生・幼体・成体などの言葉にであう。
次から次へと初耳のことがらが広がり、何?・何故?・それで?...... と検索で巡る。

っふふ (まるで子どもみたいだなぁ)と自身のありように可笑しくなる。

さてさて、そろそろ散歩に行きたい気分だが、陽気がもうひとつすっきりしない。
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、22日は霰(あられ)が落ちた。23日は小雪がちらついた。24日は、咲いた花に雪が積もった。

春風が強く、まだ冷たい。
家で愚図々々していても埒があかないので、散歩へ出かける。

散歩道から柵を越え、小沼の方へ近づく。ウシガエルの仔をもっとよく見たいのである。
だが、足音に警戒し隠れたのか、先程まで波紋をつくってたのに、姿が見えない。

その代わり?に、たくさんの卵を見た。

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え~と 以下は、フロク的なそれである。

24日、やらなきゃならないことに一区切りついた頃、妻が散歩に誘う。もちろん否やはない。直ぐに支度する。
空を見上げ、洗濯物をどうしようかと一瞬迷う。下屋に干したのを、妻が 青空の下へ移し替えてる。
(まぁ、このままでいいっかぁ)と外に干したまま出かける。

陽がない。風が冷たい。
でも、急ぎ足に歩くと、身体が温まってくるのを覚え、寒さは気にならなくなる。
立谷川の散歩道目指す。
家から赤石橋までの往復で、約4000歩。赤石橋からサイクリングロードをさらに東へ向かう。

歩いてきた家の方の空を見ると、雪雲が、風雲急を告げてる。
「ママ、雪が来る!」
「戻りましょ。洗濯物 外に出してきた」妻もやはり干し場所が気にかかるらしい。

二人は、戻ることで一致。
速歩をさらに急ぎ足にし、まだそんなに距離も稼いでいないのに、雪雲は真冬以上の雪を叩きつけるように吹きつけてくる。
もちろん傘など持参していないから、黙々とただ急いで歩く。雪は、容赦なく二人に襲いかかる。

妻の帽子にもジャンパーにも雪が、分厚くくっつく。まるで雪怪獣の様相。
そのことを告げると、妻は、「パパだって同じよ!」と苦笑する。
「パパ、小屋で少し休みましょ」妻の言葉に、即 頷く。

緊急避難的に、ブドウ小屋で小休止。
その時、証拠写真を撮ったのが、下の画像である。
妻の姿を撮るには、あまりに忍びないので、被写体になった。

春の天気は、やはり変りやすい。

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  1. 2017/03/25(土) 05:20:45|
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春 の 雪

 

今朝、起床しカーテンを開けると、雪が降り積もってる。
(春の雪だなぁ)
朝日が射せば、すぐにも消えてしまう雪である。

洗濯の合間に、カメラを向ける。
一時的だが、急に真冬のような降り方になるのを驚きを覚えながら見る。
が、それも間もなく降り止む。

洗濯物を干す頃には青空になった。
春の空は、変りやすい。

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  1. 2017/03/24(金) 09:01:57|
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ウシガエル



散歩道脇を流れる立谷川を右に見て山寺(立石寺)へ向かって歩くのが往路である。
道は、サイクリングロードになってるが、これは元々は立谷川の堤防を利用したものである。
立谷川は、奥羽山脈の多くの沢を水源とし、「さくらんぼサイクリングロード」の始点辺りから山形盆地へ扇状地となって広がる。

立谷川左岸は、里山の裾が川岸に落ちこみ、崖状態になってる。
右岸は、河岸段丘となって広がり、田圃や果樹畑になって、地域の暮らしに役立ってる。
扇状地のはじまり(扇頂)である辺りでは、土地に傾斜があって、田畑も狭く段々状の耕地となってる。

何を書きたい(言いたい)のか?
それを書けば、要するに耕作地が狭く、農作業が大変だということである。
十数年前から、先ず田圃から耕作放棄が見られるようになった。それ以降、放棄地は毎年少しずつ広がった。

放棄された耕地は、2~3年も経てば、荒野に戻る。最初に放棄された田圃は、もうどこにも耕作地の欠片も見られない。
今日の画像は、昔は美田だった所のものである。現在はガマが一面に生え茂り、昔の面影はわずかに小沼となって残ってる。

そこは、他の雑木林とはやはりちがって、なんとなく垢抜けした場所に感じられる。初冬には薄い氷が張り、夏にはガマの穂が風に揺れる。
そして、この所にさしかかると、牛がなくような低くくぐもったウシガエルの鳴き声が響くのを耳にする。

22日の散歩で、ここの小沼に幾つもの波紋がわきたつのを見る。
はじめ何なのか分からなかった。ふ~む 冬を越したウシガエルが、春の陽気に跳びはねているようだった。
確かなことは分からないけれど、春を感じて喜んでるように見うけられた。(笑)

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  1. 2017/03/24(金) 05:09:20|
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名前音痴



歳のせいではなくて(笑)名前が思い出せない。

人の名前は、「思い出せない」だが、植物や動物の名前は、そもそも知らないのである。
またぼんやり知っている名前でも、キクザキイチゲとアズマイチゲの区別がわからない。
名前に対し、はなから敬遠している。あるいはズボラというか、不精なのかもしれない。

ある方のブログに、見たことのあるきれいな花が並んでる。
あっ これは見たことがある。春先に咲くネコノメソウだ! と嬉しくなる。
ところが、キャプションにはトウダイグサとある。ふ~むむ ネコノメソウとは違ってた。

草花の場合は、それでも調べようとする気持がある。植物は、動かないから翌日にまたじっくり観察できる。
だから再度見に行ったりすることもないではない。
しかし、動物は違う。動くから、じーっと眺めることはなかなか難しい。カメラを向けてもうまく撮れない。
そういう次第で、はじめから名前を探すことを放棄している。諦めている。

図鑑を開き、探してみることもあるが、探し当てられないことがほとんどである。
やっと見つけた。これだ!と思っても、別のものだったりする。

具体的に言えば、ナツズイセンの名前を図鑑で探していて、キツネノカミソリに出合う。即「これだ!」と思い込む。
確かに似ているが、違うものであるのが分からない。てっきりキツネノカミソリと思い込んでアップし、間違いを指摘される。

過去は、そんな繰り返しだった。(苦笑)
植物ですら、そうなのだから、まして動物の名前となれは途方にくれてしまう。
今日の鳥の名前、もう調べる気力を喪失しているのである。

どなたからか教えてもらえる期待、大である。

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  1. 2017/03/23(木) 05:16:36|
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散歩道再開



立谷川沿いのサイクリングロードは、お気に入りの散歩道である。
瀬音を聞きながら、奥羽山脈の山々が眺められる。また復路には月山や朝日連峰の山々が遠望できる。
仙山線の電車が里山と立谷川の傍らを、約1時間毎に仙台と山形へ向かって走る。

その散歩道が、冬期間は、積雪で歩けない。
ムリすれば歩行可能だが、冬季はやはり除雪された道を歩くことになる。道端を、車に気をつけながら歩く。
歩行者・自転車専用道路を歩くようにはいかない。

20日の散歩で、お気にリのサイクリングコースを歩く。
先日まであった残雪が消え、スニカーで歩けるようになった。3ヶ月間閉ざされてたが、開通した。嬉しい!
今年もまた、この散歩道でさまざまな出合いがあるだろう。と思うと喜びが爆発する。

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  1. 2017/03/22(水) 05:20:18|
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消えてく冬



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上の画像は、16日に撮った。
下のそれは、21日に写した。

屋根に降り積もった雪が、落下し、雪の塊になっていた。
彼岸前後のそれを比較してみた画像である。

次の画像、上が2月3日に撮った。
そして下のが今日(21日)である。

こうして並べて見ると、消えてく残雪量がわかる。
画像が時間軸で消えてく冬を示してくれる。


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  1. 2017/03/21(火) 14:44:51|
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雪室効果



屋根に降り積もった雪が、落下して軒下にうず高く小山のようになる。

ダンボール箱に入れたりんごを室内に置いて、毎日食べている。
りんごは乾燥し、水気がなくなって、スカスカして美味しくなくなる。

そこで新鮮さを保つために、軒下の雪の塊を掘って、コンテナに入れたりんごをそこへ埋める。
自然を利用した雪室にりんごを埋けたのは、2月10日。今年初めての試みであった。

3月19日、小山のようだった雪室の雪が痩せ細って、りんごに掛たブルーシートが露出した。
りんごは、雪室の中で38日間過ごした。

「パパ、大成功! 来年は、もっと早くから、もっとたくさん小分けして(雪室に)入れようね」
妻が言うように、38日間の雪室でも、りんごはパリパリの新鮮さを保ち、絶大な保存効果だった。
まるでもぎたてのりんごみたいで嬉しい!
雪室が、こんなに良いとは想定外の喜び。

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↑ ↓ 再掲画像

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  1. 2017/03/21(火) 05:20:02|
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彼岸の中日



今日は、春の彼岸の中日。
「暑さ寒さも彼岸まで」なのだから、これで寒さの峠を越したことになる。

それと関係ないかもしれないが、昨朝の洗濯物には母・妻・私の厚手のズボン下(股引)が見られた。
うう やはり心のどこかに、厚手の下着とおさらばしてもいい頃と思う気持が家族にあったのだろう。
息子は、ズボン下を着用していないのか知らないが、パジャマを出していたから似たような気持かな。

6時起床頃には、まだ薄暗いと思っていたが、今はもう違ってかなり明るくなってる。
洗濯をし、風呂掃除を済ます。小一時間で終わる。空は、もうすっかり春の光で満ちている。
(今年の冬も、これで終わった)との思いがわき上がる。(今年も無事乗り切ったなぁ)とも思う。

18日には、表の池の雪囲いを撤収した。言えば、車の冬用タイヤを夏用に履き替えたみたいなことである。
そう言えば、タイヤ交換もそろそろしなければならないなぁ
私の車は、この4月が車検であるが、その車検をせずに新車に乗ることにしてるので、タイヤ交換不要だ。
例年と同様で変わらないものと、更新というか、変わるものがあり、3月から4月はその切替の時になる。

ブログでは、変わらないことは例年と同じようなことが並ぶ。それをマンネリと呼ぶなら、へへ 今年もマンネリの画像が並ぶなぁと思う。
でも、マンネリでもわるくはない。とも思う。むしろ大いなるマンネリを目指していいのではないかと。

ん? いったい何を書こうとしてたのかなぁ
自分でも分からなくなった。へへ 毎度のことである。

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  1. 2017/03/20(月) 05:16:58|
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輝く峰々



平地や里山の雪が消え、春を告げる花たちが咲きはじめる頃、高山の峰々は輝きを増す。
高山がいかにも高山らしく見えるのは、この時期である。
前景に爛漫と咲く桜並木、その向こうに白く輝く高山は、神々しくさえ見える。まさに神々の座だ。

これからさくらの花が咲く頃までは、こうした風景が見られるのが嬉しい。
みちのくの山々の多くは、2000mを超えないけれど、この季節はいずれの峰々も実際の標高を越えて見える。
その予告編を昨日の散歩で眺めた。こういう風景は、毎日眺めても見飽きない。


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  1. 2017/03/19(日) 05:20:22|
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ネコヤナギ咲く



17日の朝、庭のネコヤナギが咲いた。
(やっと咲いたなぁ)とホッとする。
(今年の開花は遅いかも)と思っていたところである。

ふ~む 実際は、どうなのだろう?
以前からから毎年撮っているので、調べれば分かる。
というわけで過去のネコヤナギ開花日を次に並べる。

2008年3月16日
2009年  13日
2010年  15日
2011年  22日
2012年  30日
2013年  20日
2014年  25日
2015年  26日
2016年  17日
2017年  17日

上で、ネコヤナギ開花日と書いたが、正確にいえば、開花撮影日である。
したがって、実際の開花日とは1~2日ズレているかも知れない。
しかし、マンサクやオウレンなど里山ではなく、屋敷にあるネコヤナギだから、咲けば目敏く気づき、即カメラを向けるので、開花日と撮影日はほぼ重なってるはずである。

10年間で、最も早い開花は、2009年の3月13日である。
いちばん遅かったのは、2012年の3月30日となってる。17日間あいてるのは、かなり大きな間合いだ。
早い・遅いの有意差は、何日ほどをいうのか?知らない。1週間もあれば、早さ・遅さを感じる気がする。

そういう視点で改めて今年の開花をみてみる。
開花の中央日を22日(13日+9)とするか、または両端の日を切り捨て(15日~26日)た中央(15日+6)21日を基準にするか、どちらにしても 17日は決して遅くはない。
昨年の春は、例年より早く来た。ネコヤナギに限っていえば、昨年と同じ日に開花したのだから、今年の春も早くやってくるのか?

へへ、そう単純に考えるわけにはいかないのはもちろんだ。
だが、まぁ 一つのありようは、否定できない事実である。

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  1. 2017/03/18(土) 05:20:00|
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「よごれちまった悲しみに、」



  福島や今も中也の雪が降る      いわき市・坂本玄々

  妻どこに!娘はどこに!七歳の孫と迎える七年目の春       福島市・加藤哲章

   「六五0シーベルトのデブリ」とふ紙面静かにめくる雪の朝なり   福島市・美原凍子

↑ 上は、朝日俳壇・歌壇(13日づけ)作である。
↓ 以下は、3.11関連作ではないが...... 同欄への入選句

先ず、畏友 時田さんの句

  席を得て毛糸編む妻美しき指      熊谷市・時田幻椏

あぁ 心温まる佳い句に大きな拍手である。
次いで、こんな句も...... っふふ 

  勤勉な土竜の担ぐ春の土        東京都・我妻勝美


『さまざまな六年』 (三原由起子)    
                 同紙コラム「うたをよむ」から

  斎場は原発事故に逃れたる隣人知人の再会の場          根本洋子

  雪しまく峠を自転車で避難したあの人のことが忘れられない    梅田陽子

  放射能物質またく気にせぬ日のありて気になり仕方のない夜もある 遠藤たか子

  海風がみちびく一艘また一艘この空をゆくおかへりみんな     斉藤 梢



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  1. 2017/03/17(金) 05:20:31|
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気になる風景



散歩していて、気になる風景がある。
なにが、どう気になるかといえば、たいしたわけはないのだが、なんとなく気に入って眺める景色である。
カメラを向けることも屡々であるが、なかなかうまい具合に撮れない。撮れないから気になるとも言える。

まるで 6曲1隻の屏風絵を見るような眺めだと気にかかる。
へへ 先日の散歩で、やはり(屏風絵だなぁ)と思いながら眺め、またカメラを向ける。
っふふ はじめから、ダメ元と諦め半分でシャッターをきる。

......が、この日はなぜか執拗に何枚もシャッターをきる。なにかが、いつもと違う気分だ。
他に撮る被写体がなかったせいかも知れない。(苦笑)

この日は、外仕事もできない陽気なので、のんびりと画像処理をする。
そして、へへ 例の屏風絵的景色では、なんとなくこれまで果たせ得なかった画像をようやくゲットできたような気分。
いつもと同じように撮ったはずなのに...... なんとなくこれまでの画像とちがって見える。

というわけで、6曲1隻の屏風絵を並べることにする。(笑)

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  1. 2017/03/16(木) 05:22:09|
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春よ来い、早く来い

行きつ戻りつ

ここ数日、どうもはっきりしない陽気だ。
誰かが盗んでいったような雪消え(苦笑)だと吃驚したり、嬉しがったりの気分の一方で、ぶり返すように降る雪に、(まだ降るのぉ?!)とうんざりする。
春を待つ身には、焦れったい「行きつ戻りつ」なのである。

過去のブログを捲って、尚更 今年のスッキリしない天気をやるせなく思う。
昨年の春は、早めにきた。その前年も三寒四温ではあったが、それなりの春だった。(笑)
なのに、今年の春は、どこへ行ったのか、どこかで道に迷っているみたいだ。

昨年、梅の花は3月9日に撮った。今年はまだ蕾がかたい。
同上、マンサクは11日に、ユキワリソウも11日撮っている。イチゲは18日であるが、今年はまだ先みたいだ。
「朝の来ない夜はない」と言われ、焦ってもしかたないのは分かっているつもりなのだが、へへ それでも
だらだらと降る雪を見てると、いつになったら春がくるのか?!と思ってしまう。

ふ~むむ 愚痴になってしまった。
せめて、散歩に行けるくらいの陽気になって欲しいものだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われてるのだから、もう少しの辛抱かなぁ
うん、春は、もうそこまで来てる。そう思おう。(笑)



  1. 2017/03/15(水) 10:07:50|
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移る季節

日毎に変わる

3月も半ばになった。気象情報も雪だるまから傘マークに変わってきてる。

残雪も日毎に少なくなって、日陰や軒下などに見えるが、平地にはもうほとんどなくなった。
撮ってフォルダーに入れてた画像が、2~3日後には使えないほどに様変わり。

今日の画像も、ぎりぎりでどうにか滑り込みセーフ。
今朝もうっすらと積雪。春の雪が降り続いてる。

この時期、季節の移り変わり速さを実感する。

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  1. 2017/03/15(水) 07:15:37|
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オウレン 2

小さな花

オウレンは、春早くに白くて小さな花を咲かせる。春到来を告げる花だ。
米粒くらいの大きさに見えるが、測ってみれば、直径およそ1cmほどある。
小さな花だが真っ白いから目立つ。コントラストが大なので撮影に難儀する。

露出をカメラ任せにすれば、花の白飛びは必至だ。
ギリギリ絞った露光とするが、適正露光がなかなか難しい。
レタッチソフトで調整しながらやれるものの、できれば撮影時から適正露出にしたい。

露出オーバーを整え、トリミングでクローズアップしながらレタッチを楽しむ。
レタッチは、まさに遊びの世界。ピントさえしっかりしてれば、さまざまに遊べる。

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  1. 2017/03/15(水) 05:20:01|
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オウレン 2017


まだ残雪があるのだが、オウレンの咲く所は日当たりがいいから、咲いているかもしれないと13日に愛宕沼へ行く。
咲いていなくても、(まぁ 様子見だなぁ)と、ダメ元を覚悟していたのだが...... 
オウレンは咲いていた。オウレンは、春告げる花だ。

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  1. 2017/03/14(火) 05:20:02|
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しなる竹



この冬は、はじめ少雪かと思われた。
それが違って、ゲリラ的な降雪がけっこう降って、戸惑ったのを思い出す。

今年は、散歩しながら、ぶどう棚の倒壊、果樹の枝割けを多く目にした。
量の割合に、重い雪だった。その荷重に耐えかねての棚倒伏、りんご、ラ・フランスの枝折れが酷かった。
水分含有が少なくサラサラした粉雪は、積もることも少ない。その逆に多量の水分を含んだベタ雪は、どんどん積もって大きな荷重になる。

果樹による雪害は、老木ほど顕著に受ける。若木なら大きく撓りながらも、折れることは少ない。
しかし老木は、しなることはなく、ギリギリまで重みに耐え、その果にボキッ!と折れるか、裂けてしまう。
若木は撓ることで積雪を落下させるが、老木はそれがない。若さには融通性があるが、老いると頑固になる。
っふふ 人間と似ている。へへ 人間が果樹に似てくるのかなぁ?(苦笑)

その点、竹は果樹などと違って、大きくしなる。(よくもまぁ 折れないものだ!)と思うほど撓る。
散歩しながら、撓る竹に感心する。(このような柔軟性が人間にもあったらいいのになぁ)と思う。
竹は、落葉樹とちがい、冬でも緑を広げて立つ。雪降りに鼎立する竹林は、絵になる。詩情がある。

幾度もカメラを向けたが、へへ なかなかイメージに近い画像が得られなかった。
それなのに、昨日の散歩で、撓る竹の姿恰好にカメラを向ける。あまり絵になる姿ではない。
ないけれど、へへ エントリーする気持ちがわいたのは、不思議である。

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  1. 2017/03/13(月) 05:20:09|
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冬景色未練

雪 の 花

3月になって11日が過ぎた。なのに11日の朝は、木々に雪が降り積もって、まるで花が咲いたように見えた。
雪景色は、もう「秋の扇」と似て、いえば無用の長物的な風景でしかないと思いながら散歩をはじめる。

春の雪は、降り積もっても、間もなく消える。気温が高くなってるのだ。
雨樋からは、屋根で融けた水が、急くように流れ出してる。
フキノトウが、土を押し分け 緑をもち上げてる。

電線に積もった雪が融け、ぽたり、ぽとり、と落下する。
木の枝に積もったのも同じように、ずり落ちる。陽が当たった所から先にバランスを崩して落下する。
まるで花が咲いたように見えたのが、次々に裸木になってく。

(あぁ 今年の冬景色も見納めだなぁ)と思い、急に目の前のそれにカメラを向けてしまう。
っふふ 未練の冬景色を撮った。
花が咲いてるような、この冬最後の雪風景......

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  1. 2017/03/12(日) 05:04:59|
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「天童の家」の3.11



以下は、2011年3月13日ブログの再掲である。

  大 地 震

2011年3月11日午後2時46分、この時刻をながく忘れないだろう。
洋間の長椅子に腰を沈めて、池波正太郎著「戦国幻想曲」新潮文庫を読んでいた。
揺れは、激しく、長く続いた。これまでに体験したことにない地震だった。(地震だ!)とは分かったが、いったいどうすればいいのか分からない。
驚きのまま、長椅子から腰を浮かし窓を見る。左右に動いて、(もしかしたらこのまま家が倒壊するのでは......)と思った。
そう思ったら、立ち上がって、外へ逃げようと部屋を出た。母は、すでに外へ出てた。
「火、消してきたか?」母の問いかけに、「消した!」と応じる。
外へ出ても、大地がまだ揺れている。

後で考えたのだが、(あれは本当にまだ揺れていたのだろうか......? )と。というのは船酔い後に陸地に上がった時に、地が揺れてるような錯覚を経験する。
特に、今回の地震は大きな余震が何度も起きた。そうした後には、実際は揺れていないのだが、なにかの弾みで「ない」揺れを感じてしまう。
似たような感覚を妻も体験してるようだ。不安がそうさせるのだろうか。とにかくない揺れを感じてしまう。
あの経験したこともない揺れが、きっとトラウマになっているのかも知れないなぁ

余震を感じる度に、電灯から下がってる紐が揺れているかどうかを見る。
見れば、70~80パーセントくらいは揺れているから、(あぁ、また余震)と分かるが、30~20パーセントくらい錯覚なのに苦笑してしまう。
錯覚の揺れは、特別の場所や時間にでるのではなくて、いつでも現れる。
今朝、二日ぶりに風呂に入った。入浴しながら浴槽の湯を手で動かしていたら、また余震を感じた。でも、それは錯覚の揺れだった。
鏡を見ながら ひげ剃りしてたら、また揺れた。うう、それも自分の身体が動いたために覚えた余震(錯覚)なのが分かった。

こうしてタイピングしてる時(13日 7時15分頃)にもまたかなり大きな揺れが2度きた。それは間違いなく震度4近い余震だった。
13日 8時30分頃にもまた本当の揺れがきた。妻と朝食中で、横揺れでなく、直下からビビビと震えるはっきりしたそれである。
はじめのそれは、「平成23年 東北地方太平洋沖地震」(東日本大地震)は、マグニチュード(M)8.8 という国内観測史上最大のものだった。
それで度肝を抜かれた。それ以降も限りない程の余震が起きた。11日の夜は、停電で真っ暗闇の中で、「あっ!  また起きた」と幾度も身を固くした。
12日になっても家屋を揺るがす余震がいくつもあって、慣れることができない。

停電が30時間近くあって、ようやく復旧(12日午後8時近く)したけれど、起きてテレビを見るのがやっとである。
パソコンする気持にならない。泥のように重たくべったりした気分...... 時間的には、十分に眠っているはずなのに気分は寝不足。
実質的な被害はなにもなかった。津波に遭った人たちに比べれば、ホッとしていいはずなのに......
「天童の家」のそれは、下の写真(省略)くらいでしかない。こけしが倒れ、本の函が散らかったにすぎない。
なのに、揺れの錯覚が度々現れる。それがとてもイヤというか、不安な気分になる。

                                     2011.03.13(日)

  1. 2017/03/11(土) 05:20:41|
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廃炉の難題

<原発事故6年> 廃炉の難題目の当たり
                        河北新報ニュース

 東京電力福島第1原発事故から6年を前に、原発構内に入った。炉心溶融(メルトダウン)した1~3号機の建屋では、使用済み核燃料の搬出に向けた準備が進む。ただ、最難関となる溶融燃料(燃料デブリ)の取り出しを巡っては、炉心直下の映像をようやく捉えることができたばかり。廃炉に至る道のりの長さと険しさを改めて感じた。

<鉄骨むき出し>

 原子炉建屋を臨む高台に立つ。装備はヘルメットに紙マスクだけ。構内の空間放射線量が低減し、防護服は不要になった。
 建屋を覆ったカバーが外され、ゆがんだ鉄骨がむき出しになった1号機。がれき撤去に向け、大型クレーンでつり下げた調査用のカメラがゆっくり動く。
 水素爆発しなかった2号機には「清水の舞台」のような構造物がある。壁に穴を開け、使用済み燃料を取り出して装置を搬入するためだ。

 2号機の格納容器には1~2月、カメラやロボットが相次ぎ投入された。事前調査と位置付けられたカメラ挿入で炉心直下の映像を撮影できた。だが、本格調査を担う予定だったサソリ型ロボは、炉心直下にたどり着く前に立ち往生。溶融燃料の位置や量は把握できなかった。

 建屋内は人が容易に近づけない高線量だ。廃炉作業の核心に迫るにつれ、想定外の事態が今後も起こりうることを予感させる。


<「梅雨前には」>

 建屋周辺を歩く。ここでは、防護服と半面マスクの着用が必要。防水のためモルタルが塗られ、灰色に染まった斜面に作業員が見えた。亀裂から雨水が染み込んで汚染水が増えることがないよう、確認作業をしているという。
 汚染水対策では昨年3月、凍土遮水壁の運用が始まった。建屋に流れ込む地下水を減らすための切り札とされている。
 凍結のための配管には霜が付いている。ただ全面凍結には至っていない。「梅雨前には凍結が完了できればいいのだが…」。同行した東電の担当者が話した。


<並んだタンク>

 汚染水をためる巨大なタンクが立ち並ぶエリアに回る。漏えいトラブルが絶えなかった組み立て型を解体し、漏れにくい溶接型を建設する作業が今も続く。
 汚染水の発生量は減少傾向にあるものの、多核種除去装置(ALPS)などで浄化してもトリチウムは取り除けない。トリチウム水の処理方法は決まっておらず、現状ではタンクを造り続けるしかない。
 事故発生から6年。明確になってきているのは、課題と解決の難しさだ。
                                 (福島総局・大友庸一)

   2017年03月10日(金)
  1. 2017/03/11(土) 04:35:18|
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復興フラッグ

<3.11あすへの証言> 復興フラッグ思い結ぶ

 2011年3月下旬、東日本大震災の津波が約160世帯あった家並みを奪った福島県新地町釣師地区で、がれきから1枚の日章旗が見つかった。誰のものかは分からない。救援に駆け付けた自衛隊員がその場に掲げた。旗は朽ち果てるたびにボランティアらさまざまな人の手で交換され、いつしか復興のシンボルとなった。

<浜には戻れない>

 「この旗も、海も嫌いだった」
 新地町釣師のトラック運転手川上亮さん(40)は震災直後、流失した自宅近くに掲げられた旗を見るのが嫌だった。「頑張れ」と言われている気がした。「もう限界だ」。反発したい気持ちだった。
 あの日、大津波警報が出て、亮さんは妻照美さん(41)と出先の名取市から自宅に戻ろうと、車で国道6号を南下した。宮城県山元町に入り、祖母が入所する老人介護保健施設の側を通った。「避難しているだろう」と思い、通り過ぎた。
 やがて水平線に白波が立ち、陸に押し寄せ始めた。国道から山側の脇道にハンドルを切り、命からがら津波から逃げ切った。
 その3週間後、祖母が遺体で見つかった。思い出のある自宅や、子どもの頃から親しんできた釣師浜と全てを奪った海。中学2年から始めたサーフィンとも縁を切る。浜に戻ることはできない。そう思った。

<海岸清掃が転機>

 自宅跡に近づくことすら避けていた。仮設住宅でふさぎ込む日々が続いた12年3月、照美さんがボランティアで取り組む町内の海岸清掃に誘われた。
 言われるままに足を運んだ釣師浜では、地元の仲間たちが黙々とごみを拾っていた。気が付くと自分も活動に加わっていた。当初は小さな活動だったが、旗を見に全国から来た多くの人々が参加するようになった。「みんな町のことを思ってくれている」。胸を打たれた。
 旗は自衛隊員ががれきの中から見つけた初代に始まり、自衛隊員が被災者への励ましの言葉を記した2代目、風雨にさらされて傷むと、ボランティアらが3代目を掲げ、メッセージを書き込んだ。
 訪れたバイク愛好家らが写真を撮り、インターネットで町への支援を呼び掛けたのを契機に、旗は広く知られるようになった。

<守り続ける覚悟>

 3代目も劣化した14年元日、バイク愛好家やボランティアらが、日章旗をモチーフに人の笑顔が輪になったデザインを考案。「復興フラッグ」と名付け、現在の4代目が登場した。
 旗と人は変わっても、新地に寄せる思いは脈々と引き継がれている。
 「楽しい海を思い出そうよ」。昨年3月、照美さんから励まされた亮さん。気持ちは以前とは違った。多くの人の善意をつないできた旗を地元の人間が受け継ぐ時だ。旗の管理団体「リバイバルF」を発足し、自ら代表になった。

 震災から間もなく6年。亮さんは今、元の自宅周辺の防災緑地化工事の仕事に就く。工事のため旗は町役場前に移され、工事が終われば元の場所に戻る予定だ。
 旗を降ろす日がいつになるのかは分からない。それでも、できる限り旗を守り続けていきたい。
 「やっぱり、この町と海が好きだから」
 町は旗を復興の象徴として保存していくという。
(報道部・菅谷仁)

2017年03月09日木曜日

  1. 2017/03/11(土) 03:33:37|
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復興の虚実

<震災6年> 復興の虚実 問い続ける
                  河北新報 取締役編集局長 鈴木素雄

 先日、福島県北と宮城県南の沿岸部を駆け足で巡ってきた。早朝の相馬市・松川浦漁港。昨年9月に完成した原釜荷さばき施設にヒラメやマガレイなどが次々と水揚げされていく。「活気がある」と表現したいところだが、実態は開店休業に近い。相馬双葉漁協の年間水揚げ額は震災前の約4%、3億円にとどまる。

 福島第1原発事故の風評被害を払拭(ふっしょく)できずにいる。放射性セシウムはほとんど不検出だが、例えば震災前は2割程度あった関西方面への出荷はゼロに沈んだままだ。案内してくれた相馬市の伊東充幸農林水産課長がもどかしそうに言う。「誰が言い始めたんですかね? 試験操業なんて」

 危険とのイメージを伴う試験ではなく、あくまで本格に向けた準備、あるいは助走としての操業と位置付けたい-。そう言い聞かせなければ、確かに漁業者もやりきれないだろう。いまだ出荷制限がかかるスズキ、クロダイなど12魚種が解消されれば、本格操業が視野に入ってくるはずだ。

 「恒産なくして恒心なし」という。漁業者の生計を安定させ心穏やかに暮らしてもらうためには、取引量と価格を震災前に戻し、「常磐もの」と呼ばれたブランド力を復活させなければならない。復興とは、ここでは極彩色の大漁旗が港を埋め尽くす日のことだ。

 「復興のトップランナー」といわれる岩沼市。集団移転先である玉浦西地区は震災前のコミュニティーを尊重した町割りが特長で、住民同士の交流も活発だ。和風のしゃれた集会所で、まちづくり住民協議会の中川勝義会長(78)が振り返った。

 「新しく住む所ができて、ありがたいことです。ただ、以前は400年続いた集落に住んでいたわけで…。震災直後は我慢していましたが、思い出すんですよ、みんな昔のことを」

 6年たって、うずき始める傷がある。反対に、最愛の人を失った人たちが辛酸を癒やすにはあまりに短時日だったと言うこともできる。住宅や商店街、防潮堤が再建されたからこそ、むしろ募る疎外感、焦燥感。折れかけた心は、いまだ添え木を必要としている。

 「名存実亡」という言葉がある。名目だけ存在して実体がないこと。政治家や役所のみならず、私たちが繰り返し口にする「復興」という二文字に実体は伴っているだろうか。根気の要る作業だが、その問いを決して手放さないことが東日本大震災を生き延びた当事者としての務めであり、何より犠牲者への弔いではないかと考えている。

 あすは大震災から6年。復興の来し方を静かに振り返り、行く末をじっくり考える一日としたい。

                               2017年03月10日金曜日


  1. 2017/03/10(金) 08:43:38|
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河北新報ニュースから

<回顧3.11証言>屋上か高台か 迫る波
                       河北新報ニュース

 防潮堤のすぐ内側に立つ避難ビルの松原住宅。
 4階屋上まで津波をかぶり、駆け込んだ住民らは柵につかまって必死に耐えた。
                                  宮城県南三陸町志津川

 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。
 東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。
 建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。
 入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)

  <葛藤>
 腰近くまで波しぶきが迫る。町営松原住宅の屋上。1階から避難した菅原恵さん(46)は夫昌孝さん(51)と、4歳の長男大ちゃんを水にぬらすまいと必死にかばった。
 「まさか、ここまで津波が来るなんて。神様、どうか助けてください。死にたくない」。柵にしがみつき祈った。

 屋上か、それとも高台か―。住まいは避難ビルだが、葛藤があった。震災発生から約30分。目の前に広がる海の異常な引き波を見て、菅原さん夫婦の顔はこわばった。「これはまずい」。津波の襲来を察知した。
 「どうする? 志津川小学校に逃げるか」。高台の同小までは直線で約1.5キロ。車で10分もかからない距離だ。「でも、橋が落ちて渋滞していたら終わりだ」。夫婦は屋上を目指す。

 松原住宅が立つ同町志津川地区の汐見町周辺は平地で、そばに高台はない。津波到達まで時間がないと予想される場合、松原住宅は一時避難所としての機能を担う。
 「到達予想の3時まで10分もない。早く逃げなければ」。松原住宅から約100メートル北東の公民館で、町職員石沢友基さん(28)は焦っていた。

 公民館に隣接する体育館にいた志津川高の卓球部員17人が外に飛び出し、うろたえている。「あの建物の真ん中に階段あっから、上まで上がっていけ!」。迷わず松原住宅への避難を指示した。
 当時、松原住宅には48世帯107人が入居。屋上に避難した44人のうち、入居者は22人だったとみられる。
 「頑張れ、頑張れ」。波が襲った屋上では、住民が声を掛け合い、柵にしがみついた。はるか遠くにさらに巨大な波が見える。「これ以上波が高かったら、もう助からない」。菅原さんは息をのんだ―。


  <集中>
 志津川小校庭。「あっ、波が乗った、ああーっ」。松原住宅の自宅から逃げてきた臼井恵美さん(35)は、波が住宅をのみ込む瞬間を目撃した。
 屋上に逃げようとは思わなかった。「高さが15メートルといっても、真っ正面から津波を受け止めるなんて。建物自体が防波堤みたいで怖かった」。駐車場では、入居者が慌ただしく車で避難しようとしていた。

 臼井さんは志津川小に通う2人の子どもを案じ、車で同小へ。ただ、ハムスターなどのペットを連れ出すのに手間取り、出発が遅れた。小学校付近の坂道は車が集中し渋滞。「5台ほど後ろの車が波でスーッと流れた」。危機一髪。津波はすぐ背後まで迫っていた。


  <救出>
 波をかぶった松原住宅の屋上では、修羅場が待ち受けていた。雷鳴とともに雪が吹き付ける。「上がれる人は上がって!」。波は大人のひざほどの高さで止まったが、住民らは次を警戒してエレベーターホールの天井に上った。水位が下がったのは午後5時すぎだ。

 屋上は雪で白く染まり、冷え込みが厳しい。石沢さんは避難者と協力し、水が引いた部屋からふすまなどを運び出し、風よけを作った。「辺り一帯はガス臭くて、明け方まで火をおこすことができなかった」
 菅原さんの背中で、大ちゃんが繰り返しせがむ。「ママ、おなかすいたよ」。低血糖で体調不良を訴える高齢者もいた。高校生が持っていたあめ玉や飲み物でしのいだが、衣服がぬれた住民の疲労は限界に近かった。

 屋上の避難者が全員救出されたのは、翌日夕方。徒歩で避難する途中、菅原さん夫妻は遠くに住宅を見やり、生きている実感をかみしめた。
 「怖い思いはしたけれど、あの建物が倒れなかったからこそ、救われたんだ」
                               2011年10月2日、河北新報

  <津波避難ビル>
 住民らが緊急避難するための海沿いのマンションやビル、公共施設。自治体が所有者と協議して指定する。内閣府によると2010年3月時点で、沿岸部の653市区町村のうち、指定されているのは137自治体の計1790カ所にとどまる。

                                 2017年03月08日(水)

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<震災6年> 首相 福島第2廃炉は地元尊重
河北新報ニュース

 安倍晋三首相は8日、河北新報などのインタビューで、福島県が求めている東京電力福島第2原発の廃炉について、事業者の東電が地元の意見を十分に尊重するべきだとの考えを明らかにした。

 -東日本大震災の復興をどう加速させるのか。

 「発災直後、がれきが延々と海まで続く街の姿、そこにあった住民の営みを思い、言葉を失った。あの衝撃を忘れてはならない。集中的な公共投資で復興は着実に進展した。東北の復興なくして日本の再生なし、という政権の基本姿勢にのっとり、必要なことは全てやり遂げる。切れ目のない被災者支援や住宅、産業の復興に力を入れる」

 -被災地では生活が厳しい家庭が多い。給付型奨学金に特別枠を設ける考えは。

 「被災地の未来は子どもたちであり、人材育成は極めて大事。確かに被災地では特別な困難に直面している子どもたちもいるだろう。被災地枠は、給付型奨学金の充実を図る観点から検討していきたい」

 -2020年東京五輪での「復興五輪」の定義は。

 「震災で多くの国や地域の支援を受けた。五輪は復興した姿を世界に発信し、支援への感謝を示す意義がある。復興の後押しになる機会でもある。海外の人が東北を訪れ、観光復興に寄与することは間違いない。風評被害も払拭(ふっしょく)できる。東北の食品を食べてもらい、世界に発信されることを期待している」

 -福島県が求めている福島第2原発の廃炉は政府が判断するべきではないか。

 「廃炉要望はよく承知している。福島の皆さんがそうした思いを抱くのは当然だ。東電は社会の意見や第1原発のバックアップ機能などの役割を含め、総合的に検討すると聞いている。福島の皆さんの声に真摯(しんし)に向き合った上で、判断するべきだと考える」

 -帰還困難区域の復興にどう取り組む。

 「たとえ長い年月がかかっても、全ての避難指示を解除し、復興に責任を持って取り組む。居住可能な地域を目指す復興拠点を設け、避難指示解除後の土地利用を想定した整備計画に基づき、除染とインフラ整備を一体的に実施する。引き続き国が前面に立つ」

                                  2017年03月09日(木)


  1. 2017/03/10(金) 05:20:08|
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ドラゴン



雪が消えると、畑には龍が現れる。
などと言えば、へへ 笑われるはずだ。

でも、畑には龍が現れる。
モグラが食探しに歩いた跡が、まるで龍のように見える。

モグラは、土竜と書く。へへ 竜は龍である。
こじつけは止める。

でも、中には龍に見えるのもある。
下の画像の通りだ。(笑)

ナスカの地上絵のように
ほ~らね 龍が描かれてる。

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70309-60.jpg

この時期になると、猫が畑に姿をあらわす
モグラが恰好の獲物になるのだろう


  1. 2017/03/10(金) 00:10:25|
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