FC2ブログ
未分類日記以前の天童の家RSS|

雪本番は


5日と6日の朝に スノーダンプで雪掻きをやった。両日ともたいした積雪量ではなかった。
それでもやはり片付けないと気掛かりで、妻と二人で済ませ、ホッとする。
難儀と言えば難儀だが、いい運動量だと自分に言い聞かせてやる。

しかし、それで運動量が十分かといえば、そうとは思えない。したがって、空模様を眺め(よし)となれば散歩に出かける。
5日の散歩道は、誰の足跡もない。歩くには支障ない積雪量なので、新雪に長靴の跡を残しながら歩く。
無雪の道とちがって、歩きにくいが、そう気にすることもない。むしろ、歩く度にギュッギュッと雪の締まる音が、確かに歩いてるという感覚を伝えてくる。

ふり返れば、真っ直ぐに歩いてるつもりの足跡が、左右に大きく揺れ動いてる。
また、雪は地面に均等に降り積もるのではなくて、嵩高な所や薄い積雪の所があったりする。風の通り道とか樹木の影響をうけてるようだ。
新雪は、汚れた地面を覆い尽くし、清々しい気分にさせてくれるのが嬉しい。

6日の散歩道には、前日つけた足跡を消し去るほどの積雪量ではなかったので、自分の歩いた跡が凹んだ形でずーっと続いてた。他には散歩者がいなかったのだなぁ
少ないながらも二日分の積雪量は、さすがに歩きにくさを覚える。

両日の散歩で多くの写真を撮った。雪は、さまざまな情景を見せて、少々の歩きづらさを帳消してくれる。
ということで、休まずに散歩できた。どうってないことだが、嬉しさを覚える。

7日は、立谷川を撮りに行く。
下流の方は、まだ積雪量が少なく、イメージのような風景ではない。
下流を諦め、上流へ向かう。山寺のすぐ脇辺りでもカメラを向けたくなるいい景色は見られない。

山寺(宝珠山阿所川院立石寺)を見上げると、素晴らしい景色が目に入る。
(しめた!)と思って何枚もシャターをきる。川はダメだったが、いい山寺が撮れたと帰途につく。

撮った枚数40数枚。画像処理に取りかかる。

(??)使える画像がない。(なぜ?)と思うが分からない。40回以上シャッターをきって、1枚も見られるのがない。光量は、十分すぎるほどあった。見た目もきれいな山寺だった。なのに、画像として人様に見てもらうのがない。
なんだか腑に落ちない気分だが、実際に、そういう現実だから、どうしようもない。

「雪の量が少なかったのじゃない? 山肌が、やや赤っぽいものね」
そうか、はからずも妻が核心をズバリ言い当てたような気がする。確かに、画像がすべて赤みを帯びてる。
画像ソフトで色調整をやってみる。しかし、ダメだった。
「また撮りなせばいいのよ。山寺は、逃げていかないから」妻が、からからと笑う。

そうだなぁ 雪本番は、これからだ。春は、まだずーっと先だ。
焦ることはなにもない。妻の言葉に、尖ったこころが和らいでく。
冬は、雪を楽しみながらすごしたい。雪は、これからいやでも降る。


追加
今日は、妻の誕生記念の日である。
今朝は、公民館清掃当番で朝食もそうそうに済ませ、出て行った。


  1. 2017/01/08(日) 00:10:01|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

未知の思い



年末25日に、『同じ景色ない』を書いた。
「たいていのものは見ている」という思いは、まったく思い違いであると。

しかし、日課にしている散歩道の風景は、もうたいてい見ている、という思いは日常的に浮かんでくる。
だが、見尽くしているという思い込みは、間違っているのは冷静に考えれば分かるのだが、幾度も見る景色や草木に限れば、(あぁ、もう見慣れたいつもの景色だ!)という感覚が強くある。

ところが、学問や社会的な内容になると、全く逆の思いがうかぶことが多い。
(へぇ そういうことなのかぁ)と改めて思い直すのである。
すでに似たような解説やできごとには接しているはずなのに、まるではじめて知ったという驚きに近い感慨。

例えば、次のようなこと
4日の昼近く、なにもやることなく、新聞を広げ「朝日」1面の記事を読みはじめる。

「経済成長」永遠なのか、が見出し。
『いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろか (編集委員・原真人)』
記事は、このような問いかけからはじまる。(以下、「 」内の文は記事をそのまま転記)

「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。」
「GDP統計が初めて作られたのは、1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった」
「国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。」
「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問に、経済理論には答えがない。」

「経済成長」永遠なのか
その問に沿って、記事は2面いっぱいに続く。ここに書き写すことはしない。最後の結びの部分だけを。

「四半世紀わたるゼロ成長を過ごした日本人の意識に変化がうかがえる。」
「成長の鈍化はむしろ経済活動の『正常化』を意味しているのかもしれない。」


春闘で、30000円のベースアップを、労組執行委員長として体験した。右肩上がりの急激な経済成長を体験してきた。
だがこの25年間の名目成長はほぼゼロだという。自分たちが体験した春闘の欠片も感じられない。

話を戻す。
新聞記事を読むだけで、(そうかぁ そうなんだ。はじめて識った)という思いで驚く。
これは、景色などを見て思う気持ちと大きく異る。なぜなのだろう?

学問や社会的なできごとに対する認識と、自然などで感じるそれは、どこかで大きな相違がある。
どうしてこうなるのか、できれば知りたいと思う。
暇になって、っふふ わけもなくそんな気持ちになった次第である。

世の中は、まだまだ知らないことばかりで満ちている。散歩道での(知り尽くした)との思いの対極である。
だからどうした、ということではない。そういう認識、または感覚が自分にある。
77にもなれば、もう少しましなことを考え、書けそうだが、それもできない。

うう、もう止める。どうしてこのような訳の分からない文を書いたのか? 今年の先が思いやられる(苦笑)

70106-a.jpg

70106-b.jpg

70106-c.jpg

70105-08.jpg


  1. 2017/01/07(土) 05:07:11|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

奥山の積雪

みちのく天童の冬は、一気に根雪にはならない。初雪は、はやばやと11月に降ったが、それはすぐに消えた。
12月になっても比較的温かい日が続いた。中旬以降に幾日か降雪があった。それでも旧年中には根雪にならずに年が明けた。

里と山に降る雪は、同じ日でも量が違う。うう、当然のことを書くのはバカなことだ。(苦笑)
里の雪が消えても、山の積雪は輝いてきれい!と思いカメラを向ける。

同じ「山」でも、里山と奥山では積雪量が違う。(また当然のことを書いたなぁ)
「奥山」でも、里に近い奥山と、奥羽山脈の脊梁となってる山では、積雪量に大差があるのもまた明々白々。
(なぜ、こういうことを書くのだろう? 自問)

要するに(笑)、雪と雨の大きな違いは、結晶と液体とかのそれではなく、雪は降る場所の高度と地形によって雨よりも大きな量的差が生じると言いたいのである。

それは科学的に実証されたのではなく、あくまでもそれがしが見る風景から、感覚的に言ってること。
だから上で、当然と書いたことも、はたして「当然」であるかどうか不確か。なので書いた次第である。

今日の画像は、上3枚が里に近い山(里山)を、それ以下は、里山に近い奥山で、この奥には奥羽山脈となる峰々が連なってる、いわば真ん中辺の奥山(笑)の積雪を撮った。

昨日、山寺から眺めた山々も、同じく中辺の奥山を撮った。

里の積雪がなくなっても、奥山の頂きに輝くそれを見ると、(あぁ やっぱり冬だなぁ)とホッとする。
奥山の雪は、春以降に融け、田畑の灌漑用水となるからである。
イヤ、それだけでなくて、みちのくの冬は、雪がある。ということだけで安心するのだ。

61230-10.jpg

61230-20.jpg

61230-30.jpg

61230-50.jpg

61230-60.jpg

61230-70.jpg

61230-80.jpg

70101-02.jpg

70101-03.jpg

70101-04.jpg

70101-70.jpg


  1. 2017/01/06(金) 05:30:32|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

雪 の 華

降る雪を黒いマント等で受け、拡大鏡で見ると、そこにきれいな六角形の結晶がある。虫眼鏡などなくても見ようと思えば、見られる。
子どもの頃は、今のような洒落た防寒着がなく、身をすっぽり包む黒いマントを着用した。もう60年以上も前のことである。
降ってくる雪を、そーっと受け止め見つめれば、一つ一つの雪は、みごとな花、イヤ華なのである。

今日の画像は、その華ではない。雪が樹木の枝に積もった状態が、花のように見えた、というもの。

そう言えば、思い出した。
以前(2013年)、まるで満開のさくらのようなのを12月に撮ったことがある。イエ、あの10月さくらではない。
その時は、下のような文を書いた。

 さくらの木に降り積もった雪が、朝日を浴び、輝いてる。それが満開のさくらに見える。
 12月、冬の朝に見るさくらはきれいだった。それがイリュージョンだとしても、こころが弾む。
 (画像を再掲する)
31208-01.jpg
      
31208-02.jpg

ふふ 回り道をした。戻ろう。

今日のは、そういうイリュージョン的なものではない。「天童の家」の庭で見る実景。
平凡な、月並み以下の画像である。それでも汚れた、雪のない庭よりはずーっといい。こころが安らぐ。

70105-10.jpg

70105-20.jpg

70105-30.jpg

70105-40.jpg

70105-50.jpg


  1. 2017/01/05(木) 15:44:48|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

よいお正月



お正月もはや5日になった。なんだかアッと思う間だったなぁ

「良い正月。今年は、ほんとお正月らしい正月だった」妻の言葉である。
「よい正月、ママ よかったねぇ」と夫が返す。(良かった)と思えるのは、なによりである。

年始まわりも3日で済まし、なにかと気忙しかった気分もなくなり、4日はのんびりと過ごす。
妻は、パソコンに向かっている夫の傍らで、思いがけない人から届いた賀状の返事を書いてる。

主婦にとって年末年始は、多忙である。なのに妻は、良い正月だったという、そのことが嬉しい。
「克行(二番目の孫)の成人式が8日、鏡開きが11日、あぁ 雪になった。昨日 白菜漬けてよかったね」
っふふ 妻の「良かった」を聞き、夫は笑顔で頷く。はい、(今がいちばん幸せ)だなぁと素直に思う。

「啓翁桜も見られるほどに咲いたし、パパ 写真に撮った?」
「うん、まだ...... じゃぁ 撮るかぁ」
廊下は寒いので、開花が揃うまで茶の間に置いてた啓翁桜を、写り良い廊下へ運び出しカメラを向ける。

「やはり廊下では寒い。かわいそうだから茶の間に置いたらいい」妻の言葉に従う。
茶の間は、ごちゃごちゃしてる。こういうのは好きではないが、まぁ いいっかぁ

        70104-10.jpg

70104-20.jpg

70104-30.jpg



  1. 2017/01/05(木) 05:08:17|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

仕事はじめ


青菜漬けは、乾かしたり、洗ったり、漬け込むまでに手がかかる。また仕込んでから食べられるようになるにも時間がかかる。

でも、食べられるようになれば、長期間食べ続けることができる。
また、青菜漬けの葉っぱでおにぎりを巻き、軽く炙れば、海苔巻きや味噌おにぎり等ともちがった風味が楽しめる。
さらに、好みの調味料を加えて煮れば(茎菜煮)、漬物とはまた別のものとして美味しく食べられる。

白菜漬けは、天日に晒し、すぐに粗塩漬けとし、水が上がれば(2~3日)、調味料を加え本漬けにできる。
桶に仕込んでから、1週間もすれば食べられるようになるから、手軽感があるし、白菜の新鮮感も味わえる。
ただ、青菜のように長期間保存には適さない。

白菜の場合は、生状態で保存し、前のを食べ尽した時、次の白菜漬けを仕込むやり方がベターかと思われる。
という次第で、「天童の家」では、第3回目の白菜漬けを行った。シンプルに、フレッシュに、がコツかなぁ
ただ、漬物は、生き物というか、漬ける度に同じ味にならない。塩加減・気温・調味料などによって、味が微妙に変わる。

それを言えば、青菜漬けの場合は、桶ごとに味が僅かずつ違う。今年は3桶漬けたから、3つの風味かなぁ
白菜は、1桶ずつしか漬けないから、漬け上がった桶ごとの味。うまくいったかどうか、それだけ。
うまくいくかどうかは、出来上がるまで分からないから、うう 神頼み。
今年はじめての漬物作り。美味く漬かりますようにと、祈る。(笑)

70103-10.jpg

70103-20.jpg

70103-30.jpg



  1. 2017/01/04(水) 05:06:34|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

日向日和


今年は、雪のないお正月になった。

雪国でありながら、雪がみられないのは、ちょっともの足りない。
大雪は困るけれど、やはり雪があると落ち着く。へへ なぜか豊かな気分さえわくから可笑しいものだ。
雪のない風景は、繰り返し書いてるように荒涼として、気持ちまでささくれだってくるような気がする。

降雪前の初冬、晩秋の景色は、陽気しだいではそれなりの情緒があって、(あぁ、こんな季節なんだなぁ)と頷くこともあった。

だが、積雪を繰り返し、雪が消えた後の景色は、もう濡れ雑巾を並べたようになる。
枯葉色になった葦やか細く混み合った蔓などは、度重なった積雪と雪解けにより、水分を吸い重くなって、地にベッタリと倒伏したり、蔓類は、汚い投網を被せたようになる。
そのよすは、寒い日に、雨に降られ、ずぶ濡れになった時のあのやばつさ(濡れた着衣の気持ち悪さ)を感じてしまい、情緒のかけらさえない。

それでも、風と陽光で乾いた葦やクズの実、漆の実などが冬の淡い陽を受け、冬らしくもない風に揺れているのを見ると、(あぁ、小春日和みたい)とカメラを向ける気分になる。
そんな日の散歩は、このようなどうって変哲ない風景にも出会いの歓びを感じてしまう。

          70101-50.jpg

70101-60.jpg


以下は、余談(笑)

2日、娘と孫たちが来た。
来る前に、妻とショッピングセンターへ行き、買い物をし福引をやる。

どうせい当たらないだろうと、クジ引きを妻に任せ、先に車へ。
車で待つほどもなく、妻が助手席に乗る。
「当たった!」妻が封筒を差し出す。見れば、な、なんと「大当たり」と書いてある。

「ほう! で、鐘が鳴ったの?」と夫。
「そう、そうなの、鐘がガンガン鳴った」妻が笑わずに言う。

次に、ホームセンターで買い物をした。
目的の買い物を済ませ、どこかの夫婦がなにか面白そうにやっている。
用意されたビニー袋に、詰め込めるだけの品物を詰めて500円だという。

「ふーむむ やる?」と夫。
「やりたい!」と妻が笑う。

妻は、やってきた娘や孫たちに、「大当たり」と「詰め放題」の顛末を話す。
っふふ 期待しない拍手が弾ける。

「天童の家」お正月の一端である。



  1. 2017/01/03(火) 05:10:35|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

奥羽の山々



年末に、ちょっとした所用があって山寺へ行った。
山寺は、観光シーズン・オフで静かだった。だが、ぜんぜん人がいないわけではなく、観光客はそれなりに見かける。
特に(ほう!)と感じたのは、外国人の姿である。アジア系だと、会話などを耳にしなければ外国人とは分かり難いが、欧米系の顔貌やその体形だと、田舎である山寺の街頭では、一見して外国人と分かる。

なぜ年末に山寺へ来るのかなぁと思う。寒いし、雪が降れば、長い石段の昇り降りにリスクさえ伴う時だ。
もしかしたら、雪の山寺に、より一層の山寺らしさを求めているのだろうか?
だが、その雪は、ほとんど消え、日陰にわずかに汚れた残雪があるが、旅情を満たすようなものではない。

たしかな冬景色の山寺を観光するのであれば、むしろ根雪になってからの方がいい。
(山寺も国際観光地になったなぁ)などと思いながら、外人観光客たちを眺める。


用足しを終え、ふと向こうを見上げると、そこに真っ白に光る奥山寺の山々が目に入る。

山寺(街並)に雪はないが、みちのくの脊梁である奥山寺の山々(奥羽山脈)はかなりの積雪となってる。
そうかぁ 五大堂から遠望するみちのくの山々、これはわるくない眺めかもしれない。
そう思い、ちょっぴり納得した気分で山々へカメラを向けたのである。

61229-10.jpg

61229-20.jpg

61229-30.jpg

61229-40.jpg

61229-50.jpg



  1. 2017/01/02(月) 05:06:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

新年おめでとう


70101-01.jpg


新年明けましておめでとうございます

今年の干支は、酉。
妻は酉年の生まれで、正月8日が誕生記念日。

「今年は、なにか良いことがあるといいね。ママの年だもの」と夫が言う。
「今年も、でしょ。去年もその前も良かった。今年はでなくて今年もね」と妻が笑う。

っふふ「今がいちばん幸せ」を言う妻には、やはり「今年は」でなく、「今年も」なのだなぁ。(笑)
そうだなぁ 今年も、きっと穏やかに暮らせる日々が続くような気がする。

妻をみていて、一緒に暮していて、感心するのは、ものごとをいつも前向きに捉えることである。
例えば、雪降の日は、雪掻きなどで難儀する。妻は、その難儀さをみないで、「昨日、外仕事を済ましてよかったねぇ」と言う。
わるいことを気にかけるより、なにか良かったことを思い出して口にする。そうすると気分まで前向きになってくるから面白い。

愚痴からはなにもうまれない。愚痴を言ってもはじまらない。良かったことを思い出し口にするやりかたは、交流分析ではストロークという。
ストロークは、愚痴の対極にある。愚痴をマイナスとすれば、ストロークはプラスに働く力になる。
妻は、ストロークを身につけている。妻のそれでずいぶんと救われている。ありがたいことである。

「天童の家」もまたはじまる。たかがブログ、されどブログである。
今年も、みなさん方のアクセスをお待ちしております。
年頭にあたり、よろしくお願い申し上げます。

                     2017年 元 旦

                        「天童の家」主宰 今野幸生

61223-10.jpg

61223-20.jpg

61223-30.jpg

61223-40.jpg

70101-20.jpg

70101-30.jpg



  1. 2017/01/01(日) 07:16:03|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6