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ネコヤナギ 3

フクジュソウは、日当たりの良い所では咲いている。間もなく、マンサクも咲くだろう。
雪で閉されてた、立谷川沿いのサイクリングロードも歩けるようになった。
その道の脇には、ネコヤナギがたくさんある。水辺を好む木である。

イチゲが咲くまでは、花不足を覚え、ネコヤナギの花穂に春を感じてカメラを向ける。
先日は、赤い花穂がきれいなのでエントリーした。その後、雪と花穂とのコラボを第二弾としてアップ。
第三弾は、色違いのそれを並べることにした。ネコヤナギは、こうしてみると、なかなか魅力的な被写体だ。

花には、雌雄があるという。
花が咲いたら、またエントリーしようと思う。
そして、柳の萌黄は、他に先駆けて萌える。そのパステルカラーがまたよろしいから嬉しくなる。

毎日の暮らしぶりをみてみると、花のあるなしで、気持ちのありようがずいぶんと変わるのだなぁと思う。
正月からこちら、ずーっと啓翁桜を眺めてきた。自然のそれではないけれど、ずいぶん楽しんだ気がする。
ネコヤナギの花穂が膨らんでからは、やはり自然のがいちばんだなぁ、と思ったりするから勝手なものだ。

自然の姿、それに如何に大きく影響を受けているかを思い知る。
健康がいかにたいせつなことか、それは病気になって痛切に感じる。
自然も、季節の端境期?に、乏しい季節感の中で、自然がいかにだいじかを識る。

屁理屈は擱いて、春到来の足音が近づいてきてるのを素直に喜びたい。そう思う。

今年の冬は、なんだか騙されたように、短かかった気がする。
近年の季節は、四季でなく、冬から春を飛び越えて夏になり、残暑がなくて秋になり、冬になった。
夏と冬の2強。春と秋が2弱。そんな言われ方をされた。
だが、その冬さえ、尋常な冬でなく、あっという間に終わる。そんな気がするのは自分だけの思いか?

極端な暑さ、これまでになかったような豪雨。竜巻の多発。
気象は、極端化に向かっているのか?
いわゆる地球温暖化現象の現れ?

これまでのような穏やかな四季がつづいてほしいと思う。
季節にある多彩な恵をうけながら、感謝していきたい。

ネコヤナギを眺めながら、っふふ なんだか支離滅裂な文になってしまったなぁ(苦笑)
いつものことである。我ながら不甲斐ないと思うが、それだけの能力しかないのだからしかたない。

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  1. 2016/02/29(月) 05:34:19|
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鳥たちの周辺で

今年の冬は、とうとう白鳥が見られなかった。近年では、はじめてのことである。
白鳥たちは、いったいどこでこの冬を暮らしたのだろう。見られなかったことに寂しさを覚える。
白鳥たちは、グールプで行動するみたいだ。家族的なつながりというか、そういう姿に愛着を感じる。

繰り返すが、やはり見られなかったのは残念と強く思う。
来年は、きっと見られると期待している。そう思わないと気持ちが萎んでしまう。
あれだけ大きな鳥が、純白の姿で飛翔するようすからエネルギーをもらっていたことに気づく。

白鳥の代わりというわけではないが、今年の冬は、珍しい小鳥たちをたくさん見ることができた。
渡りでやってきた冬鳥で、シベリアあたりから飛来するというのを知って、(えっ!?)と驚く。
こんな小さな鳥たちが、海を越えはるばるやってくる。到着地には、豊富な餌があるわけでない。

そのことを思うと、なんだか可愛さが倍加する。
白鳥のような大型な鳥の飛翔は、悠々たるもので、海を越えてくるだけの力強さを感じるのだが、他方の小鳥たちには、海を渡り切る力が、どこにあるかと不思議に思う。
春になれば、小鳥たちはまた北方の地へ海を渡って行くのだろう。たいした行動力だなぁ

そんな思いで、いつもの散歩道を歩いてると、シラサギが、流れの真ん中で魚を狙ってるのに出合う。
すらりと長い首をのばし、じーっと流れを窺ってる。

白鳥、鷺、鶴など大型の鳥類の首は、いずれも長い。ふ~む、なぜなのかなぁ 飛ぶ時に役立つのか?
餌捕りに、首が敏捷に動くのは大きな武器というか、便利なはずだ。そのための長首? へへ、分からない。

飛翔の際、サギは首を縮め 脚を伸ばした姿になる。ハクチョウは首を長くのばし 脚は腹につけて飛ぶ。
それぞれでいいのだが、そうするにはサギにはサギの、ハクチョウにはハクチョウのわけがあるはずだ。

へへ、そんな子どもじみたことを考えてると、サギが魚を捕らえるのを見る。
隙かさずカメラのシャッターを切る。ふむむ、なんともみごとな捕獲動作だ。

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シラサギが、小魚を飲み込む姿を見ていたら、2年前の鵜が思い出された
鵜呑みというけれど、鳥たちはみんな噛まずに飲み込むのではないかなぁ

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  1. 2016/02/28(日) 08:08:29|
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直感でやる

直感と論理

以下の文は、Gさんのブログからの転載である。ただし、( )内のそれは私が書き加えた。

2枚の写真は、昨日と、今日の『雪が降った朝の庭』だ。
(写真の)『ふたつの情景の違い』を、簡潔な文章で表現するのは至難の技だ。
(けれど、2枚の写真には、相違を推理するヒントがある。次のようにである。)

(1)敷石が見えているのは、夜のうちに雨から雪になったため
  (雨の後に降りはじめた雪は、敷石を覆い隠さなかった)

(2) 敷石が見えないのは、夜中は晴れていて、朝方になって雪が降ったため
  (冷えきった敷石に降った雪は、融けずに降り積もり、敷石を隠した)

言われてみれば、『あぁ、そうか ! 』と思うのだが、でも、そんなことまで考えなくても、ヒトには『直感』で違いを感じ取る能力がある。


Gさんの文を読みながら、(あぁ、自分にはこういう文章は書けないなぁ)と思った。
(1)(2)のフレーズが思い浮かばないのである。
それでも、2枚の写真の相違は、おおよそ分かった。っふふ、直感で、である。(笑)
(1)(2)の下の( )内のことがイメージとしては浮ぶから......

自分には、論理的に考える能力がないなぁとしみじみ思う。
たいてい、直感的に動いてる。こうだからこうするという理由、根拠がないままなにごともやってしまう。
やってみて、どうもなにかが違うと落着かないときは、間違った考えだったり、行動である場合が多い。

自分は、論理的ではなく、なにごとも直感でやっているのだなぁ
写真などでも、一応はこれでよしと保存した画像が、いつまでも不全感が残って気になる。
それをよくよく見直せば、やはりダメな画像なのが分かる。

毎日のようにカメラを使い、画像処理する。その際のレタッチはすべて勘でやっている。
撮る時のデータも記録(保存)はしたことがない。撮影は、いつもその時の直感でやる。
これだから、考える手立てがない。ずーっとこんなやり方できた。やはり論理的でない。

進歩への手がかりがない。勘や感だけでやってきた。
考えることが苦手なのである。それだけは確かのようだ。(苦笑)
ふ~む なにを書きたかったのか? 自分でも分からなくなってきた。やめよう。

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  ↑  ↓   エナガ    

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  ↑  ↓   カシラダカ    

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  ↑  ↓   アトリ
    
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  ↑  ↓   カルガモ
    
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鳥の名前は、お馴染み pallet さんから教わった
pallet さん ありがとうございます


  1. 2016/02/28(日) 05:12:10|
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名前音痴

名前音痴?

雪が融け、萌黄になるまでのしばらくの間、景色はなんとなく間延びしたふうに感じる。
この時季に、他の季節には見えにくかったものが確かめられるのが滝である。
雪解け水で勢いがでた滝、繁茂した葉っぱがなく、落下する音と、飛沫を広げた姿がよく見られる。

滝は、夏の季語だけれど、紅葉時の滝、萌黄とのコラボも捨てがたい風景だ。
うん、この時季の滝がいちばん勢いがいいなぁと思う。

ふ~む、そう言えば、この時季に思うのは、他の季節には見られない、見え難い鳥たちの姿もよく目にする。
すでに先日も書いたとおり、一つは、視界を邪魔する樹の葉がまだ繁茂していないため、姿が目につく。
二つは、渡りの季節にあった鳥たちが多いためではないかと思われる。それも単独ではなく、集団で暮らす。
見慣れない色のグループに出合えば、自ずとカメラを向けてしまう。

先日も、その例に出合った。なにはともあれ、迷わずカメラを向けた。

もちろん、名前が分からない。それはしかたない。検索で調べようと思ったが、これまでの経緯を踏まえれば、ふ~む、分からないだろうなぁと先に諦めてしまう。(苦笑)
分かるのは、次くらいである。

カラス・スズメ・ヒヨドリ・メジロ・カモ・ツバメ・カワセミ・アオサギ・シラサギ・カワガラス・キジ・
トビ・ヤマドリ・ウグイス・ムクドリ・ミソサザイ・

ヒバリは、鳴き声はよく分かるけれど、どのような姿の鳥なのかよく知らない。(苦笑)

本来の意味での音痴である上に、機械類がダメなメカ音痴であり、動植物の名前が分からない名前音痴だ。

先日撮った鳥たち(下画像)などは、まったくはじめて見る鳥である。
野鳥図鑑など広げて見るが、どれもこれもみんな似ていて、へへ もうギブアップ

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  1. 2016/02/27(土) 05:37:52|
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一回性の景色

以下は、ある方(Gさん)の25日づけブログの一部である。


下の2枚の写真は、昨日と、今日の『雪が降った朝の庭』だ。

(画像)  ←   省略 →  (画像)
2016 02 24    2016 02 25
昨日の庭   今朝の庭

朝の気温は同じような筈だが、昨日はジットリと湿度が高くて、今朝はカラッと乾燥しているように見える。
この『ふたつの情景の違い』を、簡潔な文章で表現するのは至難の技だ。

ただ、『なぜ、そう感じられるのか』のヒントは写真の中から見て取れる。
"昨日の庭" で敷石が見えているのは、夜のうちに雨から雪になったため
"今朝の庭" で敷石が見えないのは、夜中は晴れていて、朝方になって雪が降ったため

・・・ということは、言われてみれば、『あぁ、そうか ! 』と思うのだが、でも、そんなことまで考えなくても、ヒトには『直感』で
違いを感じ取る能力がある。

『どうして同じような絵を何枚も描くのか』と聞かれて、たくさんの最上川の絵画を遺した真下慶治(ましもけいじ)画伯は、
『同じ景色などというのはない。一瞬々々がみんな違う』と言っていた。

画伯ほどの感覚を持ち合わせてはいなくても、『雪が降った朝の庭』でも違って見える日は、確かにある。



ここまで読んで、ふと自分のブログを思い出した。
思い出した日のブログを読み直し、コピーし、Gさんへメールを送った。(以下の文面)



一回性の景色

25日のブログを拝読し、次のそれにビックリしております。

『どうして同じような絵を何枚も描くのか』と聞かれて、たくさんの最上川の絵画を遺した真下慶治画伯は、
『同じ景色などというのはない。一瞬々々がみんな違う』と言っていた。

画伯ほどの感覚を持ち合わせてはいなくても、『雪が降った朝の庭』でも違って見える日は、確かにある。


最上川河畔に建つ真下美術館には2回ほど行きました。画伯の絵が好きなのです。
でも、画伯が言われた上の言葉は、はじめて知りました。
そして驚いたり、嬉しくなっています。

なぜなら、似たような想いを、「天童の家」2月11日のブログで、次のように書いてるからです。


じーっと見つめていると、ふと(この景色は、この時だけのもの)という意識がうかぶ。
雲が動き、光が変わると、見ている景色が変化して映る。移る景色は一度だけのもの。二度と同じのを見ることができない。
ふ~む、む。散歩道で毎日見ている同じような景色が、実は決して同じではないのだ。

その日の天気で、その日限りの景色。見ているその景色は、絶対の一回性。
その事実に、驚きさえ覚える。
(そうかぁ、そうなんだなぁ)人生が、一回性であると同じように、景色にも同じという景色はない。

似ている景色はある。似ているというだけで、決して同じではない。
似たような景色を、それぞれが、見る人のさまざまな状況下で眺めている。


「天童の家」の原点は、共感であることを幾度も書いた。
ある方の文章(言葉)に共感を覚えることも嬉しいこと。
Gさんの視点に共感を覚え、さらに真下画伯の言葉に接し、大きな喜びに浸る。

こういうこころが共振する嬉しさは、そうめったにあることではない。
うん、嬉しくなって、あらためてくどくどとまた書いた次第である。(笑)




  1. 2016/02/26(金) 11:05:37|
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ト ビ


見上げる空を、一直線に飛ぶ大きな鳥は、白鳥であり、鷺である。
飛翔する姿を見つけ、カメラを構えた時には、シャッターチャンスを逃がしていることが多い。

その点、ト ビは、円弧を描いてゆっくり舞う。そう、風に乗っているのだ。
だから、シャッターも余裕できれる。まさか写真に撮られることを楽しいでいるわけではないだろうが、警戒し、急いで逃げ去るようなことはない。
カメラマンには恰好の被写体である。

ウィキペディアに次のような記述がある。

 飛翔中、カラスと争う光景をよく見かけるが、これは、トビとカラスは食物が似ており競合関係にあるためと考えられている。
 特にカラスは近くにトビがいるだけで集団でちょっかいを出したり、追い出したりすることもある。


こういう場面に出合うのは、珍しいことではない。
寺津沼で白鳥を観ていた時(過去)、沼の上空に数羽のトビの姿があった。そこにカラスが1羽やってきたら、トビが直線的に近づいてカラスを追いかけだす。

珍しいことだと思った。
それまでは、状況が逆で、数羽のカラスが、大きなトビを追いかけ回すのが通例だったからである。

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以下、過去画像より(小さいほうがカラス)

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  1. 2016/02/26(金) 05:53:38|
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土竜(モグラ)


冬になって雪が降ると、それまでの風景は一変する。
どこも雪に覆われた地上は、いわゆる銀世界となる。
雪で覆われた地は、意外に寒くないのかもしれない。

冬が終りに近づき、雪が融けると、隠れてた地が現れる。
そこには瑞々しい緑がある。雪の下でじーっと待ってた。

緑のカンバスに、太く黒い線で描かれたのを目にする。
ナスカの地上絵を見るような、特異な模様が現出する。

描き手は、土竜くんである。はい同じ絵柄は二つとない。
視力の弱い土竜くん、何を意図して描いたのだろうか?
餌探しに、ちょっと歩いただけだよなどと答えるのかも。

モグラは、野ネズミなどと違って、その姿に愛嬌を覚える。
こんなエピソードもある。


 柔らかく、上質の光沢をもつモグラの毛皮は重宝され、20世紀に入るまで、乗馬用ズボンやコートなど、さまざまな用途に用いられてきた。

 モグラの黒焼きは土龍霜と呼ばれ、日本でも民間薬として使われてきた。強壮作用、興奮作用、排膿作用があるとされる。
 『大和本草』の?鼠(ウクロモチ、モグラのこと)の項に、「肉ヲ焼テ癰疽諸瘻ヲ治スト云ウ」、つまりはオデキや痔などの化膿したものを治すと、本草綱目から引用している。
 また、中外医薬生産(中外製薬とは別)から、土龍霜を配合した「ユリアン」という夜尿症の治療薬が発売されている。

 上の**間のそれは、ウィキペディアからの引用

っふふ なかなかに役立つ動物でもあるのが分かる。

いずれにしても、この模様を見ると、うん(春になったのだなぁ)と実感する。季節の隠れた風物詩である。


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  1. 2016/02/25(木) 05:35:41|
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今朝の雪

一昨日、スノーダンプなどを片付けた。
これからは、降ってもたいした量にはならないだろうと思ったからである。

今朝、起床しカーテンを開けると、雪が降ってる。
でも、たいした降りではない。

散歩にでかけ、ネコヤナギに雪が被ってるを撮った。
午後には、もう消えてなくなってるはずだ。

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里山に降った雪が、まるで花が咲いたように見える。
本物のさくら花が、見られるのもそう遠くないだろう。

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  1. 2016/02/24(水) 14:36:42|
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老舗を守って

特異なお店

妻の友だちのSさんは、日用雑貨を商っている。S市の目抜き通りに店を構えてる。

日用雑貨と書いたが、並んでる品々がなかなかユニークというか特異なのが面白い。
獲った魚を囲炉裏で燻製にし、保存する際に使う物とか、泥鰌を獲る竹ひごで編んだ長い筒状の物。何という名なのか分からないが、昔は「ド」と言って重宝した物である。
もちろん、獲った魚を入れる竹ひご製の魚籠もある。

赤い鼻緒のわら草履、わらじまである。現実生活では、もう使う人はいないだろうから、演劇をやっている人でも買うのかなぁ
先にふれた囲炉裏とか、魚籠なども時代物であり、実生活から消えてしまった物である。
そう言えば、天井から吊り下げられてる品々は、いわば民芸品の範疇に入るもののような気がする。

お店は、Sさんと娘さんの二人でやっている。
娘さんの旦那さんは勤め人で、暮らしの資は旦那さんが担っていると思われる。
他人さまのことは分からないから、よけいなことは書けないが......
お店に並んでる品々を見ると、そう思ってしまうのである。

妻に、そのことを話すと、「違う!」と一蹴された。
たくさんのお得意さんがあって、店頭に並べてない品々の配達がとても忙しいのだという。
そうかぁ 民芸品のような商品は、いわば伝統的な老舗としての顔であるのかもしれない。

店舗の扉を開けると、目にするのがそういう時代的な、民芸品的な品物である。
そう書くと、いかにも古びた、カビ臭いお店と思われるかもしれないが、実際は洒落て、落ち着いた店舗だ。
商品に目が行く前に、娘さんが作った素敵な作品に出合うのである。

次に、その娘さんの傑作(雪だるまでこんにちわ)を並べる。
店のありようが覗えるだろう。

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  1. 2016/02/24(水) 05:20:39|
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散歩道開通

昨日、マンサク開花の偵察に行った。
その際に、立谷川沿いのサイクリングロードが歩けるようになったのが分かった。
なんといってもいちばんの散歩道であるから、とても嬉しい。

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  1. 2016/02/23(火) 10:16:40|
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冬 の 虹


21日、マンサクの花が咲いたかどうか確かめに出かける。
昨年は、3月18日にアップしている。まだ1ヶ月も先のことである。

だが、今年は雪消えが早い。18日の新聞で、鶴岡(住宅街)ではマルバマンサクが開花しはじめてるという。
春のような暖かい日が続いたこともあり、昨年より一週間も早い今月13日に開花したと書いてある。

「天童の家」でアップするマンサクは、里山のものだから、まだ咲かないとは思いつつ、念のため確かめに行ったのだった。
それにしても、今年の雪消えは早いので、もしかしたら咲いてることもあるかもしれない、と......
まぁ 散歩が本来の目的だから、たとえ花が咲いていなくてもモトモトと思って歩く。

畑の雪もだいぶ融けて、雑草の緑が新鮮に映る。道端の雪が黒く汚れてわずかに残ってるが、あと2~3日でなくなるだろう。

ふと見る西空に、虹がでてる。(ほぅ 冬の虹!)
あるかなしのうすい色。カメラを向けても写るかなぁと、思う。
気にしながら、歩いてると、だんだんと濃くなってくる。

降るのは雪ではなくて、雨なのだなぁ
冬の虹の正体見つけたり!の心境に独り可笑しくなる。

雪国の冬に降るのは、当然のことで雪。
なのに、冬の虹ができるのは、雪降りではなくて、雨降りだから......
そうかぁ(雨水が19日だったからなぁ)と自分に言い聞かせ、(納得!)と独り笑いする。

(ダメモト)と思いながら、カメラを向ける。
雪国で見る、冬の虹
ふ~む、む そう言えば、先日「冬の虹」を、なぜか冬の虹がしつこく浮かんできたのだったなぁ

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  1. 2016/02/22(月) 05:44:12|
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冬の峠は越えた


3月にはまだ間があるのに、雪が溶け、地がまだらになってる。

根雪になったのは、遅かった。
雪が積もる前に、鳥たちが啄んで落としたウメモドキの実が、雪融けした地に赤いまま見える。

雪の下では腐れないままの実が、いまスズメたちのご馳走になってる。
一心に啄んでる姿を見るのは、なんだかホッとする。

「ご馳走がたくさん残っていて、よかったなぁ 春は、もうすぐだからね」
そんな言葉をかけてやりたい気分である。

雪は、まだ降るかもしれない。
でも、もう降っても多寡が知れてる。
気温が高くなってるから、雪はすぐ消える。

スズメたちの動きが目立つようになった。
そろそろペアリングがはじまるのだろう。

しばらく姿が見えなかった雉も、雪上を素速く走り回るようになった。
生き物たちは、やはり春がくるのがわかって嬉しいのだ。

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  1. 2016/02/21(日) 14:29:12|
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雪 融 け 2

先日、雪融けを時を移さないで、雫で見てみた。
今日は、積雪状態から、日にちを経た雪融けを眺めてみる。

上の3枚は、18日に撮った。
下の3枚は、20日に撮った。
もちろん、同じ畑である。

中2日、その間に消えた雪の嵩が分かるかなぁ
はじめから意図して撮ったのではないので、分かり難いかもしれない。
それでも、2日間で、このように融けたのである。

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     ↑  18日撮影           ↓  20日撮影

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  1. 2016/02/21(日) 05:13:13|
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雨 水


19日は、二十四節気の雨水だった。
雨水を、ウィキペディアはこう記述する。

 空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころ。
 『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。
 実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできる。

 春一番が吹き、鶯の鳴き声が聞こえ始める地域もある。
 昔から農耕の準備を始める目安とされてきた。

今年の雨水は、まさに暦通りというか、例年ならまだ雪なのに、今年は雨降り。
散歩はじめは曇空だったが、途中から雨が降りだす。
妻には、「マンサクの花を撮ってくる」と言って家を出た。傘を持たない散歩者を車で迎えに出たという。
しかし、空模様があやしいので、マンサクは後日と、別の道を歩いたものだから、妻には出会わない。

20日も似たような空模様だった。
散歩後半に、また雨が降りだす。
スーパー農道を歩くと出かけたものだから、車で傘を届けようとしていた矢先に、来客があって行けなかったと妻が詫びる。
「イヤ、今日もスーパー農道から逸れ、沓掛広場の方へ行ったから、昨日と同じく出合えなかったはずだ」
「パパは、どうしてそう気紛れ屋なのぉ イザという時、困るからね、あまり変えないでくれない!」妻の叱責に、首をうなだれるほかない。

ケイタイは持って出かけるのだが、妻はスマートホーンを使うことをしないから困る。
へへ、実際は困りはしない。四六時中縛られている気分がないのがいい。だからスマートホーンのことは言わないことにしている。(笑)

雨降りは、「春雨じゃ濡れて行こう」的な、それで、カメラさえ濡れなきゃどうっていうことはない雨だ。
しかし、雪なら濡れることなどないが、雨はやはり衣服が濡れるから、それだけがちょっぴり困惑気分だ。

ここまでは前書き的に書いたのだった。
へへ でも、もうこんな長い前書きじゃ使いものにならない。
出直そう。


  1. 2016/02/20(土) 16:43:27|
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剪定作業

 
植栽した果樹は、手入れしないとダメになってしまう。
徒長枝が呆れるほど多く混みいって繁茂し、3~4年で枯れる。
(と、断定できないが...... そうなることが多い)
その点、自然に生えてきた木は、適当な枝ぶりで成長していく。

育てられた樹は、剪定しないと(管理しないと)、早晩枯れ果てる。
上手に剪定すれば、なる実は大きく、樹勢も盛んになるから面白い。
果樹つくりには、剪定の上手下手が大きく左右するからこわい。

こわいからといって、剪定をしないわけにはいかない。
だから、他人さまのそれを真似しながら、妻と二人で、ああでもない、こうすればいい等と言い合いながら適当にやっている。
適当にというのは便利な言葉で(笑)、実際は、見る人が見れば、噴飯モノなのかもしれない。

知らないことは、ある意味、こわさも知らずに平気でいられる。

とにかく、よい・わるいは措いても、ノコギリと剪定バサミで、万遍無く陽が射すようにと枝を伐り、姿を整える。
うまくしたような気分で、作業を終了するのだが、花が咲き、葉も茂って、実が大きくなるにつれ、枝の混み具合が強く、樹の下が暗くなるのをみる。例年のことである。(苦笑)

ならば、今年こそ上手にやろうと意気込む。
へへ、果たしてどういう結果になるか? そろそろはじめなければならない。

他人さまは、もう、剪定した枝焼きをやっている。
この枝焼き、大ぴらにはやれないのだが、これだけの煙が立ち上るのだから、人目から逃れられない。
でも、年に1度の風物詩としてみれば、ふ~む 目くじらたてるほどのことかと勝手に思ったりする。

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  1. 2016/02/20(土) 05:52:59|
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免疫グロブリンE


アレルギー物質 夫婦で研究、苦楽共に…発見発表50年
毎日新聞2016年2月19日

花粉症などアレルギーの原因物質「IgE(免疫グロブリンE)」発見の発表から、今月20日で50年を迎える。
ノーベル賞級といわれる功績の発見者、石坂公成(きみしげ)さん(90)=山形市=は、共同研究者の妻照子さん(89)と
苦楽を共にしてきたが、照子さんは約20年前に難病を発症し、現在も入院中だ。
石坂さんは「これまでも、これからも妻と一緒に過ごしていきたい」と、毎日欠かさず病院を訪れる。

                                                   【下桐実雅子】

互いの背中で実験 「これからも一緒」

発見50年に合わせ、石坂さんが毎日新聞のインタビューに答えた。
石坂さんによると、現在の照子さんは寝たきりとなり会話はできないが、石坂さんが話しかけたり、顔に触れたりすると、
表情が変わることがあるという。
毎日午前9時から夕方まで病室に滞在し、血液中の酸素濃度の確認や、たんの吸引をする。

出会いは戦後間もない1947年。医学生だった2人が伝染病研究所(現・東京大医科学研究所)に実習に訪れたのが縁で
2年後に結婚、免疫やアレルギー反応の研究も始めた。
62年に渡米し、米コロラド州の小児ぜんそく研究所、ジョンズ・ホプキンズ大など米国で長く研究に取り組んだ。

当時、IgEは正体不明で、多くの研究グループが血液中から取り出すことを試みていたが成功しなかった。
血液中にごく微量にしか存在しないIgEを検出する方法を開発するため、石坂さんはウサギの血液の成分などを自分と
妻の背中に注射して、アレルギー反応が起きるかどうかを確認する実験も重ねた。

石坂さんは「他に方法がなかった。自分の背中は使い切っていたので、妻の背中も借りた」と振り返る。照子さんは
「さしつ、さされつね」と笑っていたという。

66年2月20日、石坂さん夫妻が米アレルギー学会で、新しいアレルギー反応を起こす物資(IgE)の発見を報告すると
「大騒ぎになった」(石坂さん)。
その後、花粉症患者の血液から取り出すことにも成功した。

照子さんを中心にアレルギーが起こる仕組みも解明。2人はノーベル賞の登竜門といわれる「ガードナー国際賞」など
国際的な賞をいくつも共同受賞し、「現代版キュリー夫妻」とも呼ばれた。
石坂さんは米免疫学会会長を務めるなど、免疫学の世界的権威としての地位を築いた。96年に帰国し、照子さんの
長年の希望だった故郷の山形市に居を構えた。

しかし、照子さんは脳神経の難病「線条体黒質変性症」と診断され、98年に入院した。

最近の石坂さんは、照子さんの傍らで最新の論文をチェックしている。「妻はいつも一緒にいることを望んでいたから、
そうしている。これは自分にしかできないこと」と話す。
6月には日本アレルギー学会が開くIgE発見50周年の記念シンポジウムで、3年ぶりに講演する予定だ。


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  1. 2016/02/19(金) 16:25:09|
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雪 融 け

18日は、晴れ渡った。
屋根に積もった雪が、融ける。
融けたのが雫になって落下する。

休みなし、引切りなしに落下する。
遊べる情景だ。迷わずカメラを向ける。
シャッター速度を変えながら、何枚も撮る。

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  1. 2016/02/19(金) 05:16:04|
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春のくる道

カレンダーでの冬季は、2月まで。3月からは春季となる。
だが、みちのく山形では3月になっても雪が降るのは珍しくない。

でも、今年の天気を考えると、(暦通りだなぁ)と思ってしまう。
もう春になったような気分で、雪など降らないのでは...... と

畑のようすを見れば、その思いは、ますます強まる。例年の状況を思い出しながら、そう思う。
積雪が融け、樹木の周りの黒い土とそこに生えてる緑の草を見て春になったのだと感じる。
雪解け水が、春の小川になって、勢いよく流れるさまは、まさに春到来を告げてる。

果樹の剪定作業も、確実に例年より早く、畑に通う足跡の雪融けもすすんで、細く長い道が曲がりくねりながらずーっと続いてる。
2月中旬なのに、もう春が目前にあるような気がする。
このまま(春になるんだなぁ)と思えてくる。

しかし、よく考えてみれば、そうはならないだろう。過去には、梅の花が満開の時に降った雪を見ている。
福寿草が、スイセンが、クロッカスが、雪に埋まって咲いてるのを知っている。
とは言え、今年の季節の移り変わりは、ほぼ1ヶ月早くすすんでる。

さくらの開花は、どうなるのだろう?
昨年もかなり早くに、いろいろな花が一斉に咲いた。今年もそうなるのか?
ならば、こうしてのんびりしているわけにはいかない。果樹の剪定はまだ1本もしていないからだ。

肩の不具合は、ほとんど気にならないくらい回復した。
そろそろ重い腰を上げなければなるまい。
春が、もうそこまで来ている!

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  1. 2016/02/18(木) 05:16:43|
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山 の 神

16日の朝も、けっこう冷えた。
温かい日に融けた雪が凍って「堅雪」になって、積雪面を歩けた。
道でない所でも歩けるので、嬉しくなって、すこし足をのばした。

と言っても、隣の集落である石倉(下荻野戸)の山の神まで歩く。
たいした距離ではないが、そこの山の神には、特別の想いがある。

山の神は、どこの集落でも祀ってある。山の神は、女神である。
ほら、だから奥さん(かみさん)のお父さんを岳父と云うよね。

石倉の山の神には、子宝を授けるご利益があるといわれ、密やかな信仰者がいるようだ。
どなたが奉納したのか知らないが、神社にはすごいものが並んでる。
子宝を授かった方からの奉納なのか、はたまた子宝を願う信者からのものなのか、いずれにして首肯できるものである。

堅雪を踏みしめながら、石鳥居をくぐり、山の神に詣でる。
奉納されたいちぶつに参拝し、っふふ これにあやかって今年も元気で暮らせると信じた次第である。

なお、最後の画像については、サムネィルにした。大きな画像はクリックで見られる。

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雨降り後の川は、濁流になる。
けれど、雪融けの川は、増水しても清流のままである。

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水飛沫が凍って、いろいろな形のつららになる。

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  1. 2016/02/17(水) 07:33:34|
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ネコヤナギ

この時期に、この暖かさ
雪がとけ、黒い土と青い草がでてきた
雪解け水が、小川になって流れてる

庭のネコヤナギが大きく膨らんで
もうこんなになってる

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  1. 2016/02/16(火) 05:17:03|
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マッチポンプ的顛末記

節分も過ぎ、立春となり、光が春の色になってきたのを感じる。
これからは、一日一日が春に向かって近づいてくという喜びの気分が嬉しい。
冬至からは、いったいどのくらい経ったのか、日足がずいぶんと伸びたのにも驚く。
雪国に暮らすものにとって、春がやってくると思える兆候に接するのは、るんるん気分につながる。

5日の夕方、散歩から戻った部屋で、左肩関節の違和感を覚える。
3日に、奥山寺の林道を歩いたから、きっと疲れがたまったのだろうと考えた。なにしろ雪道を長時間歩いたのだからムリもないなぁ

6日、7日になると、左肩の痛みが増し、左腕が挙上できなくなる。
(いったいどうしたのか?!)転倒とか、そういうアクシデントはなにも思い浮かばない。
1年半前、妻が左肩関節腱板損傷した時に酷似した症状がみられる。

激しい関節痛と左上腕の運動域が狭まる。
歯磨きなどで口を漱ぐ時には、両手掌を合わせ、窪みを作って、蛇口からの湯水をため、それを口に含む動作でやってきた。
無意識で、そうしてきたのだが、左手が右手まで動かせない。要するに、両手でお椀の形が作れない。
痛みを堪えて手の椀に湯水を入れ、口まで持って行こうとするが、左上腕が痛くて動かせない。

風呂を使うために、靴下を脱ぐ。左のそれは右腕で簡単に脱げる。ところが、右に履いてる靴下を左手で脱ごうとするが、痛くて力が入らない。
ふだん何気なくやっている動作が、できない。それが口惜しくてならない。
両手掌で漱ぎ水を汲まなくても、カップを使えばなんなくやれる。
またどちらの靴下も右手で脱げるから、大きな支障というか、問題はなにもない。

しかし、これまでふだんにやってきた動作がやれない。それが意外にせつないのである。
何気なくやっている動作、それがスムーズにいかない。なんという不如意感!
そう、毎朝の洗面がスムーズにできない。そのもどかしさは意外にせつない。


ここでムリしてはいけない!
そう言い聞かせ、左肩と左腕に休養を命じる。なるべく、できるだけ、左肩と左腕を動かさない。
ただし、その他の筋肉は、ふだん通りに動かす。それを実行し、時間を稼ぐ。
単なる関節炎なら、10日から2週間で回復するはずだ。

そう自分に言い聞かせ、経過をみる。
洗面は、右手でやる。時間を別にすれば、洗える。
洗濯物の乾燥も、どうにか右手で干せる。

しばらくようすをみてみよう。器質的な病変ではないのだから、性急に考えることはない。
炎症性のそれなら、安静で必ずよくなる。ムリがいちばんいけない。
もし、それでもダメなら、諦めて整形外科受診する、と決めた。


激痛を発症してから、10日が経った。

痛みがなくなり、腕も動くようになった。
やはりなにかが誘引となった左肩関節炎だったのだろう。
妻には、心配をかけ、申し訳なく思う。

阿蘇望亭さん、申し訳ありませんでした。
お陰さまで、ほぼ回復しました。ありがとうございます。
あと数日間は、油断せず気をつけます。

うう マッチポンプみたいな笑えない顛末で、恥ずかしい。
歳を重ねると、こんなことが起きやすいのだなぁ
ふ~む、む 今回のそれは、いわば「肩関節の風邪」みたいなものだなぁ
っふふ  思ったより軽い風邪でよかったと思うことにしよう(苦笑)


  1. 2016/02/15(月) 05:14:56|
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仮設に雪降る

 
  五歳(いつとせ)を弱音吐かざる妹の仮設の屋根に雪は降り積む   下野市・若島安子

  黒々とフレコンバック積み上げて置き去りの被曝地に今日は雪降る  熱海市・宮島郁子

  十年間皿をくるんだ新聞紙の3.11を知らぬ無邪気さ            浜松市・石田佳子

以上は、3.11関連歌(14日づけ朝日歌壇)である。
以下は、同紙からの句・歌で、私の掲載理由は次の通り。

  藍澄みて寒夜残照消ゆるとき    熊谷市・時田幻椏

畏友 時田さんの本年初入選句(金子選次席)。
『底知れぬ寒夜残照の美しさ』と金子選者の評。


  雪だるま見せに小さな訪問者   鹿児島市・青野迦葉

  父の意地通せし凧の揚りけり   鹿児島市・青野迦葉 (2008年1月28日づけ)

「雪だるま」の句は、いかにも今年らしい句だと思った。8年前のそれは「凧」だったなぁ


  これはダメこれもイマイチおッいいね相も変わらず窯出しの朝    神戸市・加古裕計

『陶磁器の窯出し。緊張する場面をあえて軽くうたっているのだろう』佐佐木選次席の歌と評。


  昨日より寒い朝だというだけで抱きしめあえる姉と妹        高槻市・有田里絵

  床の間のない家に住む吾子なればお鏡さんのとなりに座る   高槻市・有田里絵(2008年1月28日づけ)
  帰省して語尾にうつりし方言のなくなる前に日常は来る       高槻市・有田里絵(2008年1月28日づけ)

有田さんの歌は、久しぶりで拝読した。以前は毎週のように掲載なって楽しんだ。
子育ても一段落での再登場なのかなぁ 
*
有田里絵さん

 朝日新聞 「天声人語」 2007年6月9日(土)

平仮名のことを「女手」とも呼ぶ。
そのせいでもないだろうが、平仮名でつづる言葉は角がとれて感じられる。
先月の朝日歌壇に、こんな作品が載った

ひらがなでなやみぜーんぶかきだしてみればたいしたことはなかった

作者の有田里絵さん(30)は去年の朝日歌壇賞を受けた。
いま子育て中だ。日々、色々な気疲れがある。それを書き出すことで気持ちを整理するという。
少々深刻なことは平仮名で書いてみる。心の角がとれて、軽くなってくる

心の荷を下ろせずに自殺した人が、警察庁のまとめで昨年、9年続けて3万人を超えた。
なかでも学生・生徒は、統計を始めた78年以降で最も多い。遺書の多くは学校での問題に悩み、格闘した心の様をとどめていた

東京のある私大で新入生に聞いたら、半数が「自分は傷つきやすい」と答えたという。
柔らかい心はすぐ傷つく。若者の特権だが、克服する力が弱いらしい。小さなつまずきが絶望に結びつきかねない
有田さんは中学生時代、誰彼なく順ぐりに標的にするいじめに遭った。
死を思った日もあるが、悩みをノートに書くと、不思議に気分は落ち着いた

初子を産んだ一昨年からは、小さな命をいとおしむ歌が増えた。

ふええんと一声泣いてまた眠る夢の中まで行けなくてごめん

赤ちゃんへのメッセージを込めた歌もある。

人生を始めたいから生まれ出る I was born とは言いながら

悩まぬ人生はないけれど、重いものもなるべく軽く。平仮名でつづる人生もいい。


  1. 2016/02/14(日) 14:55:04|
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春の足音


まだ冬の真っ只中なのに、今年は雪が少なく、気温も暖かい。季節は、例年より1ヶ月先に進んでるような気がする。
2月には、これまで冬場の温泉を楽しんでた。それなのに、今年はもう花見の話題である。妻は、どこへ行こうかと花の名所を探してる。
昨年は、白石川堤の豪快華麗なさくらを楽しんだ。一昨年は、角館の枝垂れ桜や桧木内川堤のそめいよしのを観た。

「弘前城のさくら、見たいけど、遠いものねぇ」妻が、夫の顔を覗いながらいう。
「ん~ぅ 中尊寺へ行った時は、二泊だったから遠いとも思わなかったなぁ」
90になる母がいて、二日間留守することはどうか? そのことがいちばん気懸かりである。

「パパは、どこへ行きたい?」
「花見山、久しぶりだから」
「6年ぶりかなぁ...... 行ったのは、3.11前だったよね」

「福島なら、枝垂れ桜も見たい」と妻
「三春のね」
「違う! ここのが見てみたい」JTBのガイドブックを指差す。
そこには『日中線跡しだれ桜』の写真がある。

妻は、方向音痴気味で、花見山(中通り)とそこ(会津)はかなり離れてることは念頭にないようだ。
しかし、弘前とは違って、同じ福島県内だから、方向は少し違がってもたいして離れた距離ではない。
1泊を飯坂温泉あたりにすれば、ゆったりした花見が楽しめる。

まだ、冬なのに、もう、花見が話題になっても違和感を覚えない。
景色を眺めても、ほらね 春の気配が感じられる。春の足音がかすかに聞こえてくる。
冬だからこそ、花見を思う。その話題が弾むのである。

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  1. 2016/02/14(日) 05:41:01|
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旅ごころ

散歩を毎日欠かさずにしている。
歩けるのがいいのだが、使える画像をゲットできないのがもの足りない。
(たまには山寺にでも行ってみるかぁ)と、ぶらり山寺へ

あてもないままにぶらぶら歩いてると、電車が走るのを見る。
(あぁ 電車に乗って、どこかへ行きたいなぁ)との気持ちが膨らむ。
ふ~む、電車でとは限らない。実際には車で行くことになるのだろう。

旅ごころがわいてくる。
たまには車でなく、電車でもいいかなぁ
温泉にはいって、旨いものと酒があれば上等だ。

っふふ どこに行こうかなぁ
遠い所でなくてもいい
さぁて 妻が、どう云うか......

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  1. 2016/02/13(土) 05:17:19|
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百代の過客

存在しつづけて

松尾芭蕉が「おくのほそ道」で、山寺へ向かって天童辺を通ったのは、1689年旧暦6月のことである。
ちょうど紅花の咲いてる頃。今から329年昔のことである。

地形が大きく変わっていないから、樹木を雑木林に置き換えて想像すれば、当時のようすが覗える。
紅花が栽培されているわけだから、現在のありようから大きく離れているとは思えない。

  眉掃きを俤にして紅花の花   芭 蕉

  蚕飼ひする人は古代の姿かな  曽 良

当時は、養蚕が盛んだったのだろう。曽良は、養蚕に汗を流す者の姿に興味を感じ、句を詠んだのが面白い。
「古代の姿」とは、いったいどのようなものだったのか?

芭蕉が、紅花を詠んだといわれる辺りに句碑がある。
ふだんは、どうっていうこともない場所だが、こんな季節外れに見わたせば、へへ 過ぎた昔のことがいろいろと想像されるから面白い。

人は、300年の時間を、ずーっと代を変えながら生きてきた。
その間、世の中は、暮らしぶりは、激しく変転してきた。
その途中に、今があり、そしてこれからの時代が続く。

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

おくのほそ道の冒頭で、芭蕉はそう書いた。
昔は、よく理解できなかったのだが、現在は、なんとなく分かるような気がする。
昨日のブログでも少しふれたように、時間も人も移動しつづける存在だと思える。

そんなことを思いながら歌碑の周辺にカメラを向けた。
こんなふうに人は、場所は、存在しつづけ、哀しみや喜びを感じている。

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  1. 2016/02/12(金) 05:15:57|
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妻と同じ?!

数日前から、左腕と肩に違和感を覚えた。
違和感というより、痛みと左腕が挙がらないのである。

はじめは、違和感だった。何したわけでもないのに、(なんだかおかしいなぁ)と気になった。
転倒したこともない。散歩時に、無意識にカメラを左肩にさげる。それが原因?
まさかと思うが、カメラの重さを計ってみる。1340gとそんな重量とも思えない。
しかし、長時間、左肩だけにかけた負荷がダメージになった可能性は否定できない。

翌朝、違和感が、はっきりした疼痛に変わった。その疼痛も絞り込まれるような激痛となった。
はじめは可動に伴う痛みだったが、間もなく、じーっとしていても苦痛が持続する。
左腕は徐々に運動域が狭まり、左手で持ったカップを口まで運べなくなった。

1年半前、妻の左肩甲関節腱板断裂時の症状に酷似した状態になる。
「診てもらいましょ!」妻に言われる。が、応じる気がない。
妻の状態や、手術を受けた病院の患者たちの姿が目に浮かぶ。

妻の前では、なるべく平気な言動をとる。(苦笑)
だが、独りで風呂に入って、なんかの拍子に「痛たた!」などと悲痛をあげる。それを聞き咎めた妻が、「ほら!だから病院へ行きましょ」と詰る。
いちばん困惑するのは、寝床に入ってから、寝返りが難しいことである。左肩下の臥位になれない。
寝苦しい夜を2晩過ごす。

それでも、日中は、散歩で気を紛らわす。少なくとも妻の病院受診の誘いから離れられる。
腱板断裂などするわけがない。きっとなにか別の原因、たとえば疲れとか寝違え等が誘因かもしれない。
それなら、3~4日ようすをみたら...... きっと痛みも、動きも元に戻るかもしれない。
手術だけは、なんとしてもイヤだ! との思いが、頭から離れない。


11日の早朝、なんとなく平安な気分で目覚める。
うん、よく眠れた! そして左肩の痛みが軽減しているのに気づく。
左腕をそーっと動かしてみる。痛みを少し感じるが、疼痛と運動は確実によくなってきてるのが分かる。

うん、このまま、順調に回復してくれればいい。
転倒したわけではない。なにか些細なことが誘因になって、発症した炎症だったろう。
炎症なら、10日から2週間もすれば、回復する。
そう思うと、世界が急に明るくなった気がする。

まだ、油断大敵だが、峠は越した。
そう思えるようになった左肩と左腕である。
我が身でありながら、叛旗を翻されたようで面白くなかったが、これでようやくまた元に戻れる嬉しさ。

まだ2月中旬、寒さが続く。もう少しの間、気をつけなきゃぁ
やはり、健康第一である。

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  1. 2016/02/11(木) 11:05:38|
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じーっと見る 2


見ている景色が、雲の流れで微妙に変わる。
晴れてる時の景色と曇りや雨のそれでは、なんだか違う場所のように感じることがある。
毎日眺めてるときはさほど気にならないが、名勝地を旅した時などの天候は、旅の印象を大きく左右する。

一概に、晴れた時がいちばんいいとは限らない。
雨上がり時の紅葉とか、煙るような日和の中での観瀑など、晴天よりも好ましいことがある。
滝の撮影などでは、雲が太陽を隠してくれるのをじーっと待つ場合がしばしばあったりする。

じーっと見つめていると、ふと(この景色は、この時だけのもの)という意識がうかぶ。
雲が動き、光が変わると、見ている景色が変化して映る。移る景色は一度だけのもの。二度と同じのを見ることができない。
ふ~む、む。散歩道で毎日見ている同じような景色が、実は決して同じではないのだ。

その日の天気で、その日限りの景色。見ているその景色は、絶対の一回性。
その事実に、驚きさえ覚える。
(そうかぁ、そうなんだなぁ)人生が、一回性であると同じように、景色にも同じという景色はない。

似ている景色はある。似ているというだけで、決して同じではない。
似たような景色を、それぞれが、見る人のさまざまな状況下で眺めている。
似たような景色を、20歳の若者が見て感じるのと、70の老人が見て感じる、感慨はそれぞれである。

なにかを見て、なにかを感じる人がいる。
でも、同じようなそれを見ても、なんの感興もわかない人もいる。
それぞれでいい。いいとか、わるいとかいうことではない。

話を戻す。
いちばん言いたいことは、この景色は、絶対的に、一回性の眺めである、ということ。
それを見る人の生も、その瞬間、瞬間限りの連続であること。
じーっと景色を見て、(この景色は、この時だけのもの)そんな感慨がわいた。

他者との共感を求めることは、わるいことでは、ない。
たとえ共感が得られなくても、それはしかたないこと。
なんの感興も誘えなかった画像と思えばいいのである。

うふふ 生きて、今現在、このような景色が見られる。
そのことに「いまがいちばん幸せ」とい言える(思う)ことが嬉しいのである。(笑)



  1. 2016/02/11(木) 10:09:38|
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冬 景 色 その2

みちのく雪国は、やはり冬景色がいい。
四季しれぞれにいいのだが、なかでも冬の景色が、いかにもみちのくを感じさせる。
10日に撮ってエントリーしたが、まだ残っているので、それを並べる。

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  1. 2016/02/11(木) 05:59:33|
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冬 景 色

起床しカーテンを開けると、外は雪降り。
雪掻きしなければならないのか?と思ったが、それほどの量ではない。
雪ベラでサッサと軽く掃けばいい程度。

それでも根雪の上に降った雪だから、きれいに感じる。
(今年は、まだ本格的な雪景色を撮らなかったなぁ)

朝食後、すぐにカメラをもってスーパー農道へ
以下は、今朝に撮った。農道からみた雪景色である。

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  1. 2016/02/10(水) 15:41:42|
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じーっと見る

見慣れた景色

2月になって本格的な雪降りはない。
1月に降った雪が、根雪になって残っているけれど、除雪された道路は乾いてる。
立谷川沿いのサイクリングロードは、もちろんまだ歩けない。

散歩しているのは車の通る公道で、主にスーパー農道である。
農道と言っても、道幅は広い。交通量はさすがに多くはないが、中には猛スピードで走る車もある。
もちろん、歩道はないから右端を歩いてる。

スーパー農道は、盆地の縁になっているので、見晴らしが利く。
サイクリング道とは違う景観で、それを楽しみながら歩いてる。
とは言っても、絵葉書のようなロケーションではない。ごくごくありふれた風景で、絵になり難い。

まして、毎日眺めているから、よほどのことがなければカメラを向ける気にもならない。

ん? ここまで書いて、(そういうことなのかなぁ)と疑問符。
午前中も同じ道を歩いた。散歩の終り近くまでシャッターを一度も切らなかった。
(拙いなぁ)と考え、芭蕉の句碑にカメラを向ける。特になにかに感動したわけではない。

画像処理しながら、(そうかぁ、見逃していることもあるのだなぁ)と気づく。
感じる受容体が鈍くなっていれば、素敵な被写体だって、見落としているのだ。
そういうことがあるのを忘れていた。見る目を、見るこころを、澄ましていれば、変哲もない景色だっていい被写体になるのだ。

午後の散歩で、そのような意識を保持しながら歩いてみた。
ふ~む、むむ である。見慣れた、代り映えしない景色が、じわりと目に、こころに入ってくる。
(はぁ これ、これ)と思ってカメラを向ける。

はたして第三者に、どう映るかは分からない。
(面白くも可笑しくもない)(なにも感じない)となるかも知れないが、アップしてみる。
昨日の午後、散歩道で撮った画像である。

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  1. 2016/02/10(水) 05:37:18|
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