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白鷺と白鳥

2月が今日で終わる。「天童の家」では「感動の2月」だった。

「なが~い1月だったが、2月はほんとに短く感じた」
「うん、そうだね。でも、いい2月。ママが傍にいるからちっとも寒くなかった」
「パパが暖房に気遣ってくれたからよね。おかげで肩も痛くなく回復してる」
ふ~む、寒さを感じないで済んだのは、暖房のせいだけではない。と、言おうと思ったが、へへ、やめた。

昨日は、シラサギの飛翔をアップした。が、今年は白鳥が飛ぶのをエントリーしなかった。
白鳥は、間もなく北帰行だろう。今年はもう白鳥をアップできないかもしれない。
昨日のブログで、次のようなことを書いた。

  白鳥は、首を伸ばし、サギは首を縮めて飛ぶ。
  白鳥は、脚を縮めて、サギは脚を伸して飛ぶ。

シラサギの飛翔をもういちど並べてみる。
その後に、昨年の白鳥飛翔画像を再掲するので、その相違を見比べるも一興だろう。

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以下の画像は、昨年の再掲

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  1. 2015/02/28(土) 01:00:00|
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シラサギ飛翔 


立谷川には、ヤマメ・オイカワなどがいる。それを狙ってアオサギやシラサギがやってくる。
アオサギなどは、池の鯉や金魚なども獲りにくることがあるから油断ができない。
その点、シラサギは警戒心が強いのか、河原の獲物一筋である。

サギは、小鳥たちとちがって、飛翔する姿が悠々として、見るからに悠然と飛ぶ、それに見とれてしまう。
同じ大形の白鳥の飛翔と比べ、羽ばたき方が少しちがって、白鳥よりもゆったりしたリズムに感じられる。

白鳥の飛翔は、脚を腹にくっつけ、首を前にいっぱいにのばす恰好である。
サギのそれは、脚を後方に伸ばし、首を胸にくっつけた姿である。

上のことをさらに書けば、下のようになる。(笑)
白鳥は、首を伸ばし、サギは首を縮めて飛ぶ。
白鳥は、脚を縮めて、サギは脚を伸して飛ぶ。

白鳥もシラサギも、全身真っ白。
青空を背景に、純白に輝き飛翔する姿に感動する。
だから、その感動を捉えたくてカメラを向ける。

警戒心が強くてなかなか思うように撮らせてもらえない。
ふ~む、だからこそ一層(撮りたい!)気持ちが強まる。

26日、立谷川の散歩道。
まだ積雪が多いけれど、厳しい寒さで堅雪になって、抜からない(沈まない)で雪面上を歩ける。
獲物を狙ってるシラサギに近づく。狙いは飛翔する姿だから、飛立つことを促すよう意図的に急いで近づく。
シラサギには(迷惑千万)なことかもしれないが、迷惑でも飛んでもらうことを願う。(笑)

......で、シラサギ君の協力を得、どうにか感動の飛翔姿をゲットできた。
並べることにする。

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  1. 2015/02/27(金) 01:00:00|
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ネコヤナギ

 
「誰か盗んでいくみたいに少なくなって」元同僚の母親が、雪が溶け減っていくのをそう表現したという。
雪を盗む人はどこにもいない。それを承知で「盗んでく」と言った人の気持が、可笑しいけれどよく分かる。
昨日まであのようにあった残雪が、寝て起きて気がづいたら、夜中に泥棒がごっそりと盗んでいったように減っている、みたいな驚きの気分が「盗む」の中に込められている。

屋根から落ちた雪が、軒下に小山のようにうず高くあったのに...... ふ~む、こんなに少なくなっている、と気づいた時の意想外な思いは、まさしく「雪泥棒」に遭ったような気分である。
もちろん、悔しさはない。雪泥棒さま様である。(笑)
根本にまだたくさんの雪を抱きながら、ネコヤナギの芽が膨らみ、和毛が風に揺れ、光を受けて輝いてる。

昨年の柳は、なにかの病気に罹ったようで、葉っぱが黄色く病葉になった。消毒薬を散布したが効き目なく、思い切って枝降ろしをした。
そのせいで、それ以降にのびたのは脆弱な枝になってしまい、せっかく膨らんだ芽にも力がない。それでも時期がきたのをしった芽が健気に膨らんできた。
そんな経緯があるものだから、「ガンバレ!」と声がけしながらカメラを向けた。

もう少し膨らんで、花が咲く直前に、もう少しマシな画像をアップしようと考えてる。
今年は、もっと念入りに消毒しようと思っている。

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  1. 2015/02/26(木) 01:00:00|
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朗 報


25日の通院日には、ある期待を抱いて受診した。
リハビリを済まし、次いで主治医の診察をうける。

「順調です。最初に打撲したところもだいぶ回復してますね」
「先生、あの...... 運転はまだでしょうか?」
「運転ね、そろそろできる。やっても良いでしょう。ただし、握力がまだ右の半分だから、慎重にですよ」

妻にとっては嬉しい、まさに朗報。
診察を終え、真っ先に報告する妻の笑顔を見て、心底(よかったなぁ)と思う。
怪我をしてから184日、手術してから87日経って得た喜びである。

「3ヶ月ぶりの運転、だいじょうぶかなぁ」
「ママ、心配ない。1時間も練習すればカンが取り戻せる」
「そうだといいのだけど...... 運転できなくて、パパに苦労かけっぱなしだった」
「その分、一緒に居られたから、楽しかった」

二人三脚のため、結んだ足首のタオルが緩んでくる。冷静に考えれば嬉しいことなのだが...... なんだかタオルの緩みが気になり、きつく縛り直したい気持ちになる。
ふ~む、むむ

「ありがとう。ありがとうございます」誰と名指しする気分は、もちろんない。そう、みなさんに、衷心からそう言いたいと思う。

「パパ、これまで長かったでしょ。たいへんだったね」
「イヤ、貴重な体験だった。ママこそ苦しい思いをして......」

っふふ、とにかく、このことを報告したくて書きました。
ありがとうございます

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  1. 2015/02/25(水) 14:54:48|
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始動の時

始動の時は?

2月も残すところあと4日。2月は、毎年あっという間に終わる気がする。わずか2~3日少ないだけなのに、そう感じる。
1年でもっとも寒さが厳しい月を越す。あとは後戻りがあるにしても温かさに向かうと思うとこころに余裕ができてくる。
と、同時に、それとは相反する気分も芽生えるから可笑しい。(こうしてじーっとしてはいられない。早くはじめなきゃぁ)と思う。

うふ、まずはじめなければならないのは、剪定作業。さくらんぼの木など、樹液が動き出す前に剪定を済まさなければならない。
畑には、まだ残雪があるけれど、毎年、降り積もった雪が消える前に剪定をやり終えている。
そういうことを考えると、へへ いつまでものんびりしているわけにはいかないという気分になる。

散歩しながら、方々に軽トラックが停まって、雪の上に剪定された小枝が集められてるのを見る。
脚立に上って、剪定作業をしている姿を目にすると、自分もいつまでものんびりしていられない気分になる。
剪定がイヤなわけではない。冬期間、ず~っと農作業から離れていたから、っふふ、腰がなかなか重たくなっているのである。(笑)

なんだかだ言っていても、なにもはじまらない。
今年も、さくらんぼを楽しみに待っている方々がいるのを思えば、こころが急く。ふ~む、さて、いつからはじめようか......なぁ
こころは徐々にスタンバイに向かってく。伸びきったゴムひもが、蘇る(笑)ように、こころにだんだん弾みが戻ってくるのを覚える。
農業には、そんな力があるような気がする。

ただ、妻に負担(ムリ)をかけない配慮も欠かせない。
自分が動けば、妻だってじーっとしてはいまい。そのへんの塩梅を見計らわなくてはならない。
さて、いつころ始動しようか......

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  1. 2015/02/25(水) 01:00:00|
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作品に出る品性

ある陶芸作家のインタビュー記事を読んでいたら、次のようなフレーズにであった。

  「技法だけではなく、人間性を磨かなくてはならない、人間性が必ず作品に出るものだ」

ふ~む、(やはりそうなのだなぁ)と思った。
陶芸作品に限らず、書や絵画でも、また下手な素人写真作品にさえ、濃淡の差があっても作者の人間性が出るのを識る。
だから、自分の撮った画像を眺めながら、迷い心にどう対応したらいいのか戸惑っている。

撮る時、その情景を観ながら、(これは!)とある感動を受けながらカメラを向けた。シャッターを切るになんの迷いもなかった。
だが、今、その写真をながめ、自分の品性にイヤらしさを覚えるのである。
画像は、積雪がつくりだした形と質感を写し、切り取ったもので、それ以上でも以下でもない。なのに......

これまでも、似たような積雪のつくりだした形と質感に美しさを感じ、造形美をエントリーしてきた。
きれいだ、美しいと共感のコメントもいただいた。
だが、今回の画像を見つめ、やはり意識の奥にイヤらしいもの(イメージ)がちらりとかすめる。
上2枚は、別にそういう感じがないけれど、一番下の画像にはそれがあるような気がする。

ふ~む、性的欲求不満があるのだろうか? なんだかそんな自分のこころがあって、このような画像を撮らせたのかもしれない。
うふ、遊びだと言ってしまえば済むことかもしれない。でも、これまでも似たような画像を扱ってきた。その画像と一緒にしては拙い気がする。

「なんだか深刻そうだけど...... 誰が見てるか分からないのだから、あまりおかしなことはしないことね」
「分かってるよぉ、でも捨ててしまいたくない。だから...... 迷っている」
「何に迷う?」
「ひんせい」
「ひんせい......?」

具体的な説明をする。妻もようやく分かってくれたようだ。

「いくら、どうもがいても、所詮 しがない凡人よね、私たち。そう思えば、気楽よ。パパが思ってるほど問題があるわけじゃないわ」
「......そうだね、こんな画像で遊ぶ。遊んだ。そういうふうに気楽に考えるか」

妻と話しているうち、自分の場合は、品性などとは無縁のことだということも分かった。
というわけで、今日のブログは、遊んだ次第である。(笑)

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  1. 2015/02/24(火) 01:00:00|
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朝日連峰

21日・22日と温かい日が続き、空気と光の中に色濃く春の気配を感じた。
雪は、まだどっさりあるのだが、待ちに待った春の気配に嬉しくなる。
その気配をなんとか表現したくカメラを向ける。

撮ったのは、朝日連峰
イメージ通りにはいかないが、少しは春の色と光を感じてもらえるだろうか?
これからも見られる連峰だから、リベンジしたいと思ってはいるが......

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  1. 2015/02/23(月) 01:00:00|
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嬉しい仲間

飾ものたち

雛飾りの季節である。
「天童の家」でもケースに入った飾り雛をこれまでずーっと飾ってきた。
今年は、まだ飾っていない。お休みになるのかもしれないなぁと独り思う。

でも、雛人形に代わって、今年は新たな飾りものが嫁入りしてきた。
フクロウである。
フクロウは、不苦労と書いて、苦労しない縁起物。福を呼ぶ鳥とされる。

benibanaさんの所から嫁入りしてきた。
benibanaさん、ありがとう。だいじにします。
玄関の戸を開けると、以前からいたのと一緒になって迎えてくれるから嬉しい。

同じ所からいただいたものが洋間に置いてある。
社長直々の手彫の「希望」の置物。

雛飾りがなくても、こういう品々に囲まれて暮らしてる幸せをありがたいと思う。

今日は、小豆を煮た。
今は、クルミを殻から取っているところである。
間もなく(あと1週間)2月がおわる。

ひな祭りも間もなくだ。春の足音が、ぐ~んと近づいてきてるの感じる。

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  1. 2015/02/22(日) 11:15:53|
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新たな世界


妻の入院中に、「冬至」を迎えた。
「天童の家」では、例年、冬至に「小豆かぼちゃ」を食べてきた。
ご飯を炊く、味噌汁をつくることで精一杯の主夫に、小豆かぼちゃはかなり遠く思われた料理だった。

でも、ダメモトと作ってみたら、へへ、運良く旨くでき、妻や同室の患者さんたちに喜ばれた。それがきっかけになって、3度ほど小豆かぼちゃを作った。
小豆料理といえば、「00の一つ覚え」のように「小豆かぼちゃ」になってしまう自分に呆れてしまう。
そこで、(よーし、今度は別の小豆レシピ)と思い立って、検索してみる。

あずきご飯、小豆餅、あずき粥、小豆パン等の作り方がヒットする。あと小豆菓子(ケーキ)などがつづく。
圧力鍋を使えば、比較的短時間でできるが、普通鍋では煮る時間がかかって扱いにくい食材のように思える。

でも、小豆の美味しさを思えば、多少の時間がかかっても作りたい料理である。どんなふうにして食べるかは措いて、とにかく煮ておけば旨い素材であるのだがら、ストーブを使ってる今が、コトコトと煮られるチャンスだと思う。

妻には、そのことを伝える。
「分かった。ありがとう。だったらパパ、クルミレシピも調べてくれる?」妻のリクエストに大きく頷く。

クルミは、小豆とちがって、たくさんのレシピが並んでる。特に、クルミは和物に富んでるのが分かる。
クルミ+ニンジン、クルミ+豆腐等の和物がポピュラーだ。「天童の家」では、クルミ+豆腐+こんにゃくが定番となっている。
クルミ+豆腐がベースになって、それにワカメやホウレンソウ、あるいはセリやニンジンが加わってレパートリーが広がる。

クルミは、固い殻から取り出す前処理が高いハードルになっている。そういう面倒を省いたクルミが店頭に並んでるが、「天童の家」ではクルミの木から落ちた実を使う。
昨秋、立谷川河川敷や散歩道でひろったクルミが、コンテナいっぱいある。それを用いるクルミ料理、手間暇がかかるけれど、それだけにできた料理には味(こころ)が籠っていると思いたい。(笑)

主夫業をやる前は、こういう文は思いつかなかった。考えてもみなかったことだ。
だが、53日間の主夫業を経て、現在も妻のアシスタントをしていると、っふふ、こんな文が生まれてくる。

主夫業をやるようになって、生活リズムも変わった。
それ以前は、妻と一緒の時刻に起床しても、自分は書斎でパソコンをやってた。妻の「ご飯よ」に促され食事に就いた。
だが、主夫業をやるようになって、起床後は真直ぐ台所へ向かう。パソコンに向かうのは、朝食や片付けが終わった後である。

その後の過ごし方も、自分の気侭放題ではなくなり、妻の行動(言動)に従うリズム(動向)になった。
うふ、それでなんの支障もない。不満もない。我儘というか、自分の思い通りにならないとイヤだというものでもない。
不自由だとは思わない。これは、自分で選択したリズム(暮らし)だからである。

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  1. 2015/02/22(日) 01:00:00|
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幸せがわく


19日、妻のリハビリの日だった。

ふ~む、毎日 妻の話ではつまらないというか、読む気もなくなるだろう。と済まない気持ちになる。
だが、まぁ(いいっかぁ)と腹を括る。毎日おもしろい話や感動があるわけではない。昨日と同じことの繰り返しの日記だから、しかたない、と開き直る。忙しい方は、無視、パスしてもらえばいい。

「リハビリの先生が言うの。『退院してしまうと、自主トレしなくなる人がいる』のだって。毎日同じことの繰り返し、その割に効果が見えてこないものだから、ついサボってしまうのね」
「その点、ママはえらいなぁ。1日3回、ちゃんとやっているんだから」
「えらいとかじゃない。リハビリしなきゃ良くならないからね。リハビリは私の仕事。そうしないとパパに済まないでしょ」
「イヤ、それがなかなか出来ないこと。根気が要る。ママを見てると、元気がでるもの......」

こんな会話ができることが、っふふ、嬉しいのである。

「退院した頃のパパ、痩せてた。でも、だんだん元に戻ってきてる」
「ふ~ん、そうかなぁ ママも同じだね。この頃腹回りににくがついてきた。運動しないと......」
「自分でも分かる。パパ、運動公園へ行こう!」

そういうわけで、昼食後に運動公園へ。二人並んで長い通路を歩く。歩数計では、通路の端から端まで500歩。
邪魔物がない通路、屋内だから滑る心配もない。大股で歩ける。温かくなって上着を脱ぐ。
アリーナからは、人々のハッスルの声が聞こえてくるけれど、通路はいたって静かだ。他人に聞かれる心配もないので、なんでも話ができる。

かなり微妙な話も、二人だけの会話として楽しめるから嬉しく、歩行にも弾みがつく。
女70・男75 へへ、まるで新婚さんのような会話が出たりする。他人が聞いたら赤面するだろう。(笑)

「こういう広い場所で、リハビリしてると、なんだか若返る気分ね」
「ふふ、ママが70とはとても見えない。若い、若い」
ふ~む、妻のおはこである。「今がいちばん幸せ」のきもちがふつふつとわいてくる。(笑)


  1. 2015/02/21(土) 01:00:00|
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春節と山寺


昨日は、旧正月の元旦だった。
それを意識して行ったわけではないが、山寺立石寺の対面にある「風雅の国」見晴し台には今年も春節休暇を利用した中国系の人々が訪れていた。
冬場は、シーズンオフの山寺。だが国際観光地であるのでオフといっても外国観光客が大型バスでやってくる。目玉は雪景色である。

今日の客はシンガポールからだった。
まだ在職中に、シンガポールに行ったことがある。印象的だったのはスコール。そして果物の王様ドリアンが美味かったことを今でも鮮明に思い出す。
シンガポールでも春節は盛大に祝われる。

っふふ、なんだか嬉しくなって、積雪に喜んでる遠来の客たちにカメラを向けたのだった。
たくさん撮ったので並べることにする。

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  1. 2015/02/20(金) 14:31:25|
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二人三脚で


妻が退院したのは、1月22日だから、明後日で1ヶ月になる。
入院中の1ヶ月は、ながく感じたものだが、退院後のそれはあっという間に思われる。
お蔭さまで、回復は順調のようで、腕の動きもだいぶスムースになってるのが嬉しい。

リハビリ通院も、週に1回でよく、あとは自主リハビリでやっている。
まだ腕の挙上はできないが、仰臥し、右腕を添えてやれば、真上まで可動できる。あとは筋力をつけ、添え手なしで上げる運動をくりかえしてやることでいい。
「まだこの程度しかできない」妻はぼやくけれど、「ここまでやれるようになったのだもの、たいしたものだ」と褒める。

ともかく、多少の不自由を覚えながらも、こうして元気な妻が傍にいてくれることがなによりも嬉しい。
もちろん、元通りの身体に戻ってくれるにこしたことはないのだが、それはもっと先になる。時間がかかるのはしかたない。
主治医の説明にもあった通りで、半年はリハビリに専念し、ムリなことはできない。

繰り返し書けば、今は「転倒しない」ことである。
断裂した筋肉が、再生し、長く重い腕を挙上させる筋力をつけること。それには、やはり時間が要る。栄養と運動で体力をつけ、肩の力を強固にしなければならない。
運動公園の散歩を欠かさずやること。っふふ、思うとおりになかなか行かないようだ。体力がないからすぐに疲れ、気力も萎んでしまう。
しかたないなぁと思う。まぁ、焦らずにいこうよ。

リハビリへのモチベーションをいかに高めていくか、それが課題である。
焦りの気持ちがよくない。どんな点でもいいから、少しでも良くなったことを見つけ、それを伝えるようにしているのだが、これがなかなか難しい。
楽観的になろうと心がけているつもりだが、性格的なこともあってつい愚痴る気分になりやすい。
その点、むしろ妻のほうが、気持ちの切り替えが早く、救われている。

っふふ、とにか、大好きな妻との二人三脚で、気長にやっていくしかない。
そう自分に言い聞かせている次第である。


  1. 2015/02/20(金) 01:00:00|
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3.11がまたくる

17日の地震は、午前8時6分と午後1時46分の2回あった。
下は、benibanaさんのブログからの転載である。

今日の地震 (2015/2/17)

朝8時過ぎ、ドーンという音が外で聞こえた。
その後すぐ、ユラユラと大きな地震。
思わず 東日本大震災の3月11日を すぐ思い出した。

ニュース速報が流れ、三陸沖を震源とするマグニチュード6.9の地震だった。
すぐさま、姉に安否の確認のラインをする。
「大丈夫だよ」という言葉で一安心。

懐かしい故郷の海を思い出し、胸が熱くなった。
あと何日かで3月に入る。
また、あの日がやって来る・・・。


下は、毎日新聞ニュースからである。

  17日の2地震:直接の因果関係なし 「東日本の余震」と(毎日新聞 2015年02月17日)

 17日に発生した二つの地震について、気象庁の長谷川洋平・地震津波監視課長はこの日の記者会見で、共に「東日本大震災の余震」と説明。
 二つの震源が200キロ以上離れている点などから「朝の地震が起きたから(午後の)地震が起きたという直接の因果関係はないのではないか」との見解を示した。

 気象庁によると、大震災の余震の回数は減少傾向にあるが、本震の発生前に比べて活発な状態は続いている。長谷川課長は「余震域では、今後数年もしくはもっと長い時間のレベルで、大きな余震が起こり得る。日ごろの備えを再確認してほしい」と述べた。

 一方で今回の二つの震源の周辺の三陸沖北部では、大震災の余震とは別に政府の地震調査委員会が津波を伴うM8級の地震を想定して警戒している。大震災の影響でこうした地震が誘発される可能性があるとして注意を呼びかけている。【八田浩輔】

   残されし仮設住まいもあと一年先見えぬこと世の常なれど    石巻市・須藤徹郎

   最終はいずこにか中間貯蔵施設ちゅうかんという果てなき長さ  福島市・美原凍子

                           (以上は、16日づけ朝日歌壇より)

   空爆を受けたらひとたまりもない原発のそら風花の舞う     福山市・武 暁

                            (上は、8日づけ朝日歌壇より)

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上の画像は、咲き終わった啓翁桜が、若葉を萌えさせたのを撮った。
外は、まだ雪まみれなので、こんな若葉が新鮮に映る。
お正月に咲かせた さくら花が、今は若葉を楽しませてくれる。なんとも嬉しい啓翁桜である。

  1. 2015/02/19(木) 01:00:00|
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「悼む人」を観る

映画「悼む人」

17日、映画を見に行く。
先日のお祝い会で、息子と娘から「ムービーオンやまがた」のチケット綴りをもらった。
早速、見たいのが上映されてるので出かける。

「悼む人」山形では今、話題になっている映画。撮影地が上山市で、なかなかよく撮れてるといわれてる。
「悼む人」堤幸彦監督・石田ゆり子さん・原作者 天童荒太さん サイン入り非売品パンフレットを抽選で5名様にプレゼント! などという惹句も目につく。

妻と二人で、映画を観るのも久しぶり。「アナと雪の女王」以来である。上映時刻が、平日の9時20分だというのに、観客が結構はいっている。

「悼む人」は、第140回直木賞受賞作品。

 不慮の死を遂げた人々を”悼む”ため、全国を放浪する坂築静人。静人の行為に疑問を抱き、彼の身辺を調べ始める雑誌記者・蒔野。末期がんに冒された静人の母・巡子。そして、自らが手がけた夫の亡霊に取りつかれた女・ゆきよ(人偏に幸世)。静人と彼を巡る人々が織りなす生と死。愛と憎しみ、罪と許しのドラマ。
(上のパラグラフは、文春文庫裏表紙より)

「悼む人」映画は、少しわかりにくい。そもそも「悼む」という抽象的な営為を映像化したものだから、戸惑いを覚えながらみる。
かなりショッキングな場面もあり、2時間を超す時間、緊張と退屈を強いられる。(苦笑)
でも、終わりに近づくと、うん、こころがあたたくなるのを覚える。(そうかぁ、そうなんだなぁ)と頷く。

感涙に咽ぶ、というようなことはない。じわーっとしたやわらかな理解を得た気がする。
物語とか”すじ”が明らかでないし、映像もなんとなくぼんやりして、もどかしい気分の中で、それでも結局は(そうかぁ、そうなんだなぁ)と納得している自分に気づく。
こういう映画もわるくないと思う。

妻の戸惑ってる気持ちも伝わってくる。
「今度は、もっとちがったのを見よう」私の言葉に、妻は
「うん、よかった。......ほんとの気持ちがでてた映画ね」という。

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  1. 2015/02/18(水) 10:01:58|
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転ばないように

運動公園を歩く

妻が、今いちばん気をつけているのは、転ばないことである。
主治医からも、繰り返し「転ばないように」と言われている。

「パパ、今日はどこを歩く?」妻が、朝食後の喫茶時に問う。
「予定ない。ママ、なにか用事があれば付き合うよ」
「ね、運動公園へ行かない。あそこなら一緒に歩けるでしょ」
「あぁ、いいね。雪道、凍って滑るからこわい。あそこなら寒くもないし、安心して歩ける。行こう!」

妻は、雪道で滑って転ぶことをおそれて、ふ~む、運動不足になっているようだ。
その点、運動公園屋内なら、各アリーナをつないでる長い通路が、歩行には絶好の場所となる。
というわけで、16日は運動公園へ行き、1階の通路、2階の通路を歩く。階段の昇り降りもいい運動になる。

30分ほど歩き、約4000歩を稼ぐ。妻にとっては、これで十分。少しずつのばしていけばいい。最初から飛ばし過ぎは禁物。
各アリーナでは競技もなく、公園は全体的に静かで、二人で誰に気兼ねなく歩ける。
「いい気分」妻がご機嫌のようすで、嬉しくなる。やはり運動を、身体が求めていたのだろう。

「帰りに、ヨークに寄って」妻のリクエストで、ヨークベニマル駐車場の隅にあるATMへ。
そのATMへのアクセスには、凍りつき滑りやすい状態になってる。そこを慎重に歩を進める妻。
(滑らないかなぁ)と心配になる。急いで車を飛び出し、妻に駆け寄り、手を差し伸べる。
「ありがと」妻は、直ぐに私の手に縋りつく。もう人目を気にせず、しっかりと妻を支えATMへ導く。

よく考えれば、このような場所にあるATMでなく、もっと安全な場所を選ぶべきだったなぁ
または、用事を妻に代わってやるべきだったかなぁ、と反省するのだった。
さいわいに、妻は、無事に目的を果たすことができ、やれやれと胸をなでおろす。

事情を知らない他人が見れば、手をかたく繋いで支えあう男と女の姿は、なんか大袈裟というか、滑稽に見えたかもしれない。
それを思うと、恥ずかしい気分になるが、しかし、この際だからもう気にしないことにした。
それをいちいち気にしてたら、それこそ意識過剰だと笑われてもしかたない。

とにかく、今は「転ばないこと」が最優先なのである。(笑)

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  1. 2015/02/17(火) 01:00:00|
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庶民の幸せ


15日のことはすでに書いた。
「寿司ショップ彩」は、妻の従兄弟がやっている。寿しはもちろんだが、麺類も美味い店だ。
庶民的な店で、注文に応じ、なんでも作ってくれる。もちろん前もってお願いしておけばの話だが......

お任せコースもなかなかで、安心していられる。急なお客の接待などでは「彩」へ案内すると客人にも喜ばれるから嬉しい。
馴染みのない方には、どうかと思うけれどカマなどはオススメ品である。

いちばんのウリは、ドバそば。ふ~む、<ドバそば>とは何ぞや? 
「ドバって入ってるから」
「たくさん」という意味で、「ドバっと」との謂で使う方言?かと思う。......が、よくわからない(笑)。
っふふ、これが美味いのである。

まえがきは、ここまでにし、本題にはいる。

「お祝い会」は、いいものだった。娘とその子どもたち(孫)3人、息子・母・妻・私と水入らずの8人が、それぞれに好きなものを注文する。
テーブルにはあらかじめオーダーしてある刺し身、天ぷらが並んでる。注文した品が運ばれてくる。それをいただきながら運転免許取得の苦労話やら、成人になって感じる責任とか、商業高校生になってピカリと輝いてる一番下の孫 敬君の話などを聞きながら、娘の家庭のありように嬉しさと、誇らしさなどを覚える。
それぞれが優秀とかではないのだが、庶民のありようとして並というか、平均的な存在なのだが、それがなんとも嬉しいのである。

みんなが元気で、健康で、それぞれが精一杯に生きている。ということが、いわば庶民の嬉しさ、幸せ感なのである。
「お母さん、無事退院できて良かった。お父さん、家族みんなで乗り切って良かったねぇ」娘の言葉が素直に喜べる。
なにか素晴らしいことを成し遂げたわけではない。ごく当然のことを、どうにか辿ることができ、今日、こうしてお祝い会をやっていられることが、こんなにもありがたいこと、そう思えるのが嬉しいのである。

庶民の幸せ、名もないある家族の暮らし、そのありようがここにある。
53日間、妻のいない日々が切なかった。でも、今はそれすら懐かしく、貴重な体験だったと思う。

  かけがいのない(私の場合)

 そう
 あれは
 かけがいのない時間だった

 お金では買えない
 たからもののような体験だ

 懐かしい
 愛おしい
 かけがいのない時間だった

 主夫業という貴重な体験
 だから、今もそれが手放せない
 たからものになってる


  1. 2015/02/16(月) 01:00:00|
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支えられて

今日は、お昼時に馴染みの店「寿しショップ彩」で娘の家族と一緒にお祝い会をやっている。
まずお祝いの第一番は、なんといっても妻の退院祝いである。
いちばん上の孫 光浩君は、2月12日生まれで、今年は成人の年で成人祝い。
にばんめの孫の 克行君は、高校卒業と自動車運転免許取得のお祝い。

めでたいことはいくつ並んでも良いものだ。
娘と子どもたち3人。私たち夫婦、息子、母の総勢8人が美味しいご馳走を食べながらの歓談は、ふ~む、嬉しいことこの上ない喜び。
これまでも、なにかにつけお祝い会をやってきた。こういう会がもてるのは、ありがたいことで、幸せだなと思う。

妻のいつも言う、「今がいちばん幸せ」。それがまさに今である。
只今、現在を幸せと言える(思える)ことは、ありがたいことである。
他人は、「平和ボケ」と揶揄するかもしれない。世界には、飢えたり、命の危険に曝されてる人々がたくさんいるというのに、お祝いごとにうつつをぬかしてるたわけどもと誹られるかも知れない。

でも、ささやかな幸せを祝うこと、それはわるいことではない。
自分たちの立ってる穏やか日常(平和)を大切に思うことが、ひいては他人のそれをも尊重していくことに繋がってるはずだ。
自分を愛せることが、他人を愛することへの第一歩で、逆に、自分を愛することができなければ、他人を愛することもでき得ない。

小難しい話ではない。
誰がどう言おうと、私らの祝いごと、当事者にとっては、やはり「今がいちばん幸せ」なのだなぁ

他人の祝いごとなど、どうでもいいことなのかもしれない。それなのに、こうしてタイピングしている。
それは、この幸せが、多くの方々からの励しやご配慮があったからである。なので、こういうかたちで報告することで、皆さま方へ御礼をさせてもらっている。

「皆さんのお見舞い、メールでの励まし、パパがコピーしてもってきてくれた。忘れられない」妻が言うのに、(その通りだなぁ)と深く頷くのである。
みんなに支えられて、今の自分たちがあるのだとしみじみ思う。


  1. 2015/02/15(日) 14:20:25|
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吹雪く日も

昨日は、「晴間の雪景色」をエントリーした。昨日も書いたことだが、まだ2月半ばだから、晴間よりは雪の日が多い。
「三寒四温」ならぬ「四寒三温」?状態が続いてる。昨日アップした画像は12日の散歩で撮った。
そして今日の画像は14日撮影で、その日の朝は吹雪だった。

洗濯物は、下屋に乾かすようにしているが、吹雪になれば、下屋は乾燥場にならず小屋か家屋内に乾かすことになる。
14日も、はじめ下屋に乾かすことにしたが、洗濯物に吹雪がかかってダメなので、間もなく小屋に移動した。
うむむ、まだ冬の真っ只中なのだと苦笑してしまう。

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  1. 2015/02/15(日) 01:00:00|
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バレンタインデー異聞


「パパ、車を出してくれる?」まだ運転できない妻が、遠慮がちにいう。
「あぁ、いいよ。で、どこまで?......」
「うん、どこがいいかなぁ......」いつもの妻のようすとちがう。
「どうした? どこへでも連れて行く。さぁ、行こう」
「パパ、チョコの美味しい店、知ってる?」

「ママ、そうかぁ チョコを買いに行くのね。いいよ、今日はどこでも売っているはずだし......」
「ひろ(娘)から貰ったでしょ。だから、私もあげたい」
「えっ?! ママ、私にくれるためにね。うふふ、嬉しいけど、わざわざ買いに行かなくても、ママのこころだけでいい」
「だって、あげたい!から......」

まさか娘に対抗しているわけでもないだろうが...... なにも雪の中、わざわざ夫にあげるために買いに行くこともないだろう。
「ママ、気持ちだけで十分! だから、今年は、ね。チョコなしでいい。ママが早く元通りの身体になることがいちばん」
「......だって、今年こそ、いつもとちがっていろいろとパパの世話になったし、感謝のい気持ちでいっぱい。だから...... あげたい」

ふ~む、そう言われると、へへ、迷ってしまう。
......でも、である。もう大人同士なのだから、なにもバレンタインデーに拘らなくてもいいような気がする。ほんと、気持ちだけで十分!

どうしようかな...... 行くべきか、それとも今日は行かずに、妻に納得してもらおうか......


  1. 2015/02/14(土) 13:35:03|
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晴間の雪景色

まだ2月も半ば。雪国はまだ積雪がどっさりある。降雪も、時に吹雪混じりだ。

それでもたまには晴間があって、青空が見える。四季のうちで青空がいちばんきれいに見えるのは冬のような気がする。
冬の青空は、こころまで晴れやかに染めてくれるみたいで嬉しい。
どんよりした鈍色の空の下では、景色も眠いような感じだが、青空になれば景色も鮮やかできれいに見え、ついカメラを向けることになるから可笑しい。

スーパー農道を歩きながら、見慣れた景色だが、つい撮ってしまったので並べることにする。

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  1. 2015/02/14(土) 01:00:00|
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雪の造形 3

「雪の造形 2」の続き
というか...... 撮ってきた画像を眺め直し、もう少しちがった切り取り方があるような気がし、再度やってみた。
まぁ、遊びの画像である。

「雪の造形 2」と似てしまうのはやむを得ない.

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  1. 2015/02/13(金) 14:56:04|
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雪の造形 2

雪が作った形や質感に(きれいだなぁ)と思うことがある。
そういうのを見ると、(雪は芸術家だなぁ)とも思う。
12日の散歩で、またそんな造形に出合い、迷わずカメラを向ける。

目にしたそれをカメラでどう切り取るか...... それがまた楽しい。
そういう意味では、撮る方にもそれなりに試されることになる。
そんなことを思いながら、楽しいひと時をすごした次第である。

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  1. 2015/02/13(金) 01:00:00|
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旅への誘い 2

いま、「天童の家」あたりは、どこもかしこも雪の中に埋まってる。
みちのく雪国の2月は、それがあたりまえの風景である。
暖房で温かい室内で、のんびりゆったり暮らしてるのもわるくはない。

時折、むしょうに旅への思いが強まることがある。
「三月になったらね、温泉とか行きましょ」妻の言葉に、こっくりと頷く。
その時は、もちろん車で出かけるのだが、っふふ、なぜかまた仙山線の電車を撮りにいく。

カメラを通し、へへ 想像の一人旅をしてみる。
そんな時のすごしかたも乙なものである。(笑)

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  1. 2015/02/12(木) 09:05:36|
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セカンド・オピニオン


セカンド・オピニオンとは、よりよい決断をするために、当事者以外の専門的な知識を持った第三者に求めた「意見」、または「意見を求める行為」のことである。
(wikipedia)
医療の分野の場合、患者が検査や治療を受けるに当たって主治医以外の医師に求めた「意見」、または、「意見を求める行為」。主治医に「すべてを任せる」という従来の医師患者関係を脱して、複数の専門家の意見を聞くことで、より適した治療法を患者自身が選択していくべきと言う考え方に沿ったものである。

セカンド・オピニオンを求める場合、まずは主治医に話して他医への診療情報提供書を作成してもらう必要がある。意見を求められた医師は、これまでの治療経過や病状の推移を把握しないことには適切な助言をすることが難しいからである。その上で紹介先を受診し意見を求めることになる。このとき新たな検査を必要とすることもある。

セカンド・オピニオン外来(自費診療)を受診する場合は、セカンド・オピニオンは「診療」ではなく「相談」になるため、健康保険給付の対象とはならず、全額自己負担となる(なお保険医療機関を受診し保険証を提示して、患者が一般外来での保険診療を希望する場合は、保険診療の取扱いとなる)。
また、生活保護受給者に対しては、医師が必要と認めない場合は「自費診療」扱いとなるため、生活保護の医療扶助の対象外となってしまい、セカンド・オピニオンを求めて、別の病院の医師に相談することが不可能となっている。

医療において近年、治療効果だけでなくクオリティ・オブ・ライフも重視されるようになってきたことから、特にこれらを両立する方法が問題となる、がん治療や、精神医療の投薬治療において注目されるようになってきた。

*
妻が外来で手術をすすめられた時(インフォームドコンセント直前の外来受診日)、妻は、「家族と相談してきます」と答えている。
外来から帰ってきた妻の話を聞き、(あぁ、やはりそうかぁ、手術が必要なのだな)と思った。
妻が転倒したのが8月31日の夕方。その日、直ぐに病院受診し、肩関節脱臼の整復術を受け、装具固定した。

脱臼の回復は、順調に思われた。
だが、左腕の挙上がなかなかできない。それが気掛りだった。
Dr.もMRIをとることにし、その結果、腱板損傷(腱板不完全断裂)が明らかになり、手術をすすめられる。

息子・娘・妻・私の4人で、手術をうけるかどうかを話し合う。その際、娘が「セカンド・オピニオン」を受けるよう強くすすめる。
娘の友だちの主人が、整形外科医である。山大や国病で勤務し、今は開業している。ぜひそこで「腱板損傷」や手術についての意見を聞いてみようと言う。
娘の意向をうけ、息子・娘・妻と私の4人は、娘の懇意にしているM整形外科医院を受診した。

M医師の説明は、解りやすく、最後に「なにか質問がないか」という。
「一つだけあります。外来通院中なのに、2ヶ月間も腱板損傷に気付かなかった。そこのところが疑問に感じるのですが......」私の疑念をうけ、M医師の言葉は次のようだった。
「なかなか難しい、というか微妙な問題です。2ヶ月という短期間にMRIを受けられたことは、むしろよく小回りが利いた処置だと思います。大病院なら、もっと時間がかかっていたことでしょう」

M医師の説明(セカンド・オピニオン)を受け、妻の手術を受ける決断をしたのだった。

後日、M医師の奥さま(娘の友人)から、「M整形外科医院を受診したことは、吉岡病院には内緒にして」とのメールが入る。
ふ~む、日本におけるセカンド・オピニオンの現状というのがこのへんにあるのかなぁと思ったりした。

医師同士に齟齬がきたさない、というか医師相互の関係をたいせつにしたい思いが、患者のためよりも優先的に考えられることすらある...... のだろうか?
セカンド・オピニオンを確かなものにするには、なかなか難しいいろいろな問題(課題)をクリアしなければならないのだなぁ


  1. 2015/02/12(木) 01:00:00|
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山寺雪景色

画像のないブログが続いて、やはり寂しい。
散歩と取材ということで山寺に行った。車でわずか数分の距離である。
シーズンオフなので静かだ。気侭なひと時をすごす。

特に目新しい風景もなかったけれど、雪景色を撮ったので並べる。

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  1. 2015/02/11(水) 15:32:51|
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インフォームドコンセント 2


10日は朝から、忙しかった。
朝食を済ませ、当日のブログをアップする。
「インフォームドコンセント」がテーマである。あまり馴染みない内容かもしれない。でも、だいじなことだと思うし、妻の場合はこんなふうに行われた、という具体例を示したかった。興味のない方は、パスしてもらえばいいとかるく考えた。

当日は久しぶりの歯科通院日。10時の予約である。その前に、親戚のKさん家に新年のあいさつ回り。もっと早くと思っていたが、相互の都合がつかずに遅くなってしまった。
挨拶を済ませさて歯科受診という段になって保険証をたしかめると、ない。娘の所に預けてあるのを思い出し、娘の勤めてる医院へ急ぐ。

雪降り・雪道渋滞で、10時の予約時間には遅刻することが明らかなので、その旨を歯科へ電話する。
T病院歯科外来へ着くやいなや直ぐに診療台へ。辛うじて予約時刻に間に合いホッとする。
妻と二人の歯科通院を済まし、今度は上山市の流通団地にあるN菓子問屋(会社)へ。見本商品の貰い受けである。
「パパ、忙しかったね。もうお昼。なにか食べていこうよ」
妻の提案に即賛成。退院後はじめての外食。それも夫婦水入らずで......(笑)

気掛りだった新年のあいさつ、歯科通院、そして嬉しいお菓子もらい、さらに二人だけの外食。へへ、いいことづくし...... 満足し帰宅。
「ちょっと休むね」妻は、満足しきっておやすみ。私はパソコンを立ち上げる。

立上がった「毎日ニュース」を見て、偶然の記事に驚く。そこにはインフォームドコンセントが扱われてた。
以上が「まえがき」。そして以下が偶然の一致であるインフォームドコンセントの内容である。

  がん:全摘出手術に迷う患者 医師から「治療拒否」同意書
  「ここにサインをしてもらえますか」          (毎日新聞 2015年02月10日)

 2013年年8月、奈良県内にある公立病院の乳腺外来の廊下。3週間前、この病院で乳がんを告知された玲子さん(68)=仮名=は、看護師からA4判の紙1枚を渡された。

 <今後乳がんに関する□□病院での治療につき自己意思でもって一切受けないことに同意をし、転移・病状の悪化時および緩和治療などの一切の当院での治療については今後受けられないことについても同意するものである>

 今後、病院が玲子さんの乳がんに関する一切の治療を行わないことを明記した同意書だった。文書の末尾に、男性主治医の名前と押印があった。

 3週間前、右乳首からの出血が3日間続き、玲子さんはこの病院の乳腺外科を受診した。診察後、すぐに超音波検査(エコー)を受けたが、主治医は画像を見たまま、「右だけでなく、左にもがんがあります」と淡々と告げた。「両側乳がんで、全摘出手術が必要」と診断されたが、全摘出の理由や詳しい治療方針など十分なインフォームドコンセントはなかった。

 ◇方針反対の直後に

 1週間後の再診察。医師は組織検査の結果を告げると、すぐに手術の手続きを進めようとした。日取りもすでに決まっている。拙速な対応に不安を感じた玲子さんは、いったん退室。廊下で夫(68)に相談のメールを送ると、「手術はするな」と返信が届いた。夫と1時間ほどやり取りを続けたが結論は出ず、その日は手術の仮予約だけして帰宅した。

 玲子さんの手術をめぐり、夫や長女(42)、長男(38)、兄弟らが集まり家族会議を開いたが、夫だけが猛反対した。がんの告知後、夫は抗がん剤など従来のがん治療を否定する本を読んでいた。迷った玲子さんは、旧知の乳腺外科の開業医を訪ねた。セカンドオピニオンを受けるつもりではなく、ただ相談しようと思った。開業医はエコー検査後、すぐに手術はせず、経口剤によるホルモン治療で経過観察することを勧めた。

 年齢を考えれば手術は避けたいし、夫の気持ちにも添いたい。開業医の言葉が背中を押した。

 「手術を受けるのはやめようと思います」
 数日後、診察室で玲子さんは主治医に伝えた。夫の反対や、ほかの医師の診察を受けたことも話した。主治医は一瞬、驚いた様子だったが、パソコンに向き直ったまま「廊下で待つように」と言った。

 看護師から同意書を渡されたのは、その直後だった。玲子さんは戸惑いながらもサインに応じるしかなかった。「看護師からは何の説明もなかった。同意書を取られる理由も理解できないまま、気がつけばサインをしていました」

 ◇病院に報告なく
  医師はなぜ同意書への署名を求めたのか。

  病院に取材を申し込むと、主治医は退職していた。

 「なぜこんな同意書を取ったのか。当然、患者さんには病院を選び、治療を受ける権利があります」。病院の広報担当者は困惑気味に話す。これまでこうした事例の報告はなかったといい、「主治医は実績のある医師だった。『手術をすれば治癒が見込めるのに、なぜしないのか』と思ったのでは。あるいは別の医師の診断結果を聞かされて腹を立てたのかもしれない。いずれにしても、気の毒なのは患者さんです」と話す。

 告知から約1年半。玲子さんは現在、相談した開業医の治療を月1回受けているが、今のところ進行の兆しはない。病のことは常に頭から離れないが、介護保険認定の審査委員を務めたり、趣味の水彩画や川柳を楽しんだりして過ごしている。

 ◇納得できぬまま

 手術をしなかった自分の選択に後悔はしたくない。一日一日を懸命に生きるだけだ。ただ、主治医の対応には今も割り切れない思いを抱えている。「あのとき、私の目を見て丁寧に説明してもらえれば、夫の反対を振り切ってでも手術したかもしれません。医師には患者の気持ちを分かってほしい。寄り添ってもらいたいのです」【三輪晴美】


◇ 日本人が生涯でがんになる確率は、今や男性の60%、女性の45%に上る(2010年調査)。実に2人に1人ががんになる時代となった。新薬や治療法の研究が進み、国もさまざまな対策を講じているが、果たして「患者が主役」のがん医療は実現しているのか。患者がより良い治療を受けるために、今、必要なことを考える。

◇ インフォームドコンセント  患者が納得して治療を受けるため、医師が患者に病状や治療法を十分に説明し、両者の話し合いを経て治療法を決めること。本来は、話し合ったうえでの合意(コンセント)に重きが置かれるが、日本では医師が一方的に治療法を説明するだけ、あるいは説明後、選択は患者に任せる場合が多いのが実情とされる。


◇ 患者が治療を受ける際、主治医以外の医師に意見を求めること。患者は、まず主治医に申し出て、検査結果などの情報を提供してもらう必要がある。日本では2000年代以降、セカンドオピニオン外来を開設する病院が増え、制度として広く知られるようになった。近年は患者の権利として浸透しつつあるが、主治医への遠慮から「言い出しにくい」という患者もまだ多い。


  1. 2015/02/11(水) 01:00:00|
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インフォームドコンセント


昨日のブログでインフォームドコンセントについて触れた。

インフォームド・コンセントとは、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念。
                                          (wikipedia)
 特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意すること。
 説明の内容としては、対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。
 また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。


11月19日、外来診察室で、妻と同席した私は、主治医より次のような説明を受ける。

 病 名 肩腱板断裂・関節鏡視下腱板手術
 病 状 肩の関節を覆っている腱板という腱の一部が切れており、これが腕挙上を妨げている。8月31日の転倒による腱板損傷と考えられる。
     自然に癒合することはありません。従ってこれによる痛み、筋力低下を放置すれば今後も症状は続くことが予想されます。
 目 的 肩の痛みを軽減・除去し、筋力低下や脱力感、挙上困難を改善することです。
 方 法 手術は、内視鏡で肩関節内を観察しながら、屋根の骨を削ることで切れた部分の通りを良くし、その後腱板が付着していた元の位置に鋲を入れて修復します。
     切れている腱の断端を骨の元の位置に縫いつける方法が最も手術後の経過が良いのでこれを目指します。
     術後は2~3週間程度の入院と、4~5週間装具の装着をお願いしております。これは腱板を癒合した部分に緊張が加わらないようにするためです。
     3ヶ月から軽作業、6ヶ月からスポーツや労働が可能となる見込みです。
     手術成績としては、90%は改善しています。残りの10%は痛みが残ったり、再断裂などの合併症がみられます。
 合併症 感染(1%)、神経・血管損傷、再断裂、肩筋力低下の残存、肩可動域制限、疼痛の残存、手術に使用した内固定材料の破損、深部静脈血栓症・肺栓塞症
 その他の合併症 電気メスによる火傷、手術創の離解、その他不測の事態が起こった場合、現在の医療水準において妥当な対処をし、状態を説明いたします。


MRI画像を見ながら、Dr.の説明を受ける。
患者本人(妻)は、手術を受ける気持ちなので、家族一同バックアップすることでインフォームドコンセントに臨んだ。
Dr.を信じ、全てお任せする以外にない。患者・家族・医師の3者が合意し署名する。

  1. 2015/02/10(火) 08:12:30|
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のびたゴムひも

  10日にかけ日本海側、大雪に警戒
                  (毎日新聞 2015年02月09日)
 日本海北部と北海道東部付近に発達中の低気圧があり、気象庁によると、10日にかけて北日本から西日本の 日本海側は大雪となる見込み。猛ふぶきによる交通障害や高波に警戒を呼びかけている。

 同庁によると、9日は北日本から西日本では日本海側を中心に広い範囲で雪が降っている。
 10日午前6時までの24時間予想降雪量は、北陸地方100センチ▽東北地方70センチ▽近畿地方、東海 地方(岐阜県)50センチ▽北海道地方、関東甲信地方(長野県)40センチ▽中国地方30センチ。

「天童の家」あたりは、降雪量はさほどではないのだが、寒さが朝からずーっとマイナス5度~同4度と冷え込んでる。
午前中、診断書を頼みに病院へ行き、帰途スーパーでキャベツ・豆腐・ケチャップ・マヨネーズを買ってきただけで、時間はたっぷりとあるのだが、寒くてなにもする気がなく、またどこへも出かける意欲がない。
書斎に置いてあるストーブ(2台)をたいて、妻はテレビ、私はパソコンに向かってる。

なんとなく「のびてしまったゴムひも」みたいな気分で、自分でも(だらしないなぁ)と思ってしまう。
妻の入院以来、緊張した日々が続いてきたが、ここにきて急に気持ちが弛緩してきてるのを自覚する。
今まで身体的には、さしたる不調もなかったが、昨日あたりからなんとなく腰が痛いような違和感を覚える。
こころも身体もだらけてるみたいだ。
寒さが原因というより、妻が退院したことで、張り詰めたこころがなくなり、弛緩した結果だろう。なんとも情けないというか、不甲斐ないことだ。

これ以上、腰の違和感がつずき、さらに痛みがでるようでは困る。もしかしたら運動不足、歩かないからかも知れない。
でも、この寒さでは、散歩もイヤだし...... へへ、まったくもう、イヤな寒さだ。
75という歳がこういうふうにさせるのだろうか?
なにかも歳のせい、寒さのせいにしたくないのだが、ついついそんなふうに逃げてしまいたくなる。

妻は、「休むね」と言い残し、寝室へ行く。妻はまだ病人だからしかたない。ここ2~3日間は寝室で臥床することはなかったのだが、さすがにこの寒さでは身体に堪えるのだろう。ムリもない。
年間でいちばん冷えるのは2月だ。ふ~む、この厳しさを越えなきゃ温かさは来ない。

「のびきったゴムひも」の気持ちを断固粉砕しなければならない。
ここで、誰かが寝込んでしまったら、それこそ「天童の家」は暗くなってしまう。
っふふ、もうひと踏ん張り、頑張らないわけにはいかない。そう自分に言い聞かせる。

自分の身に鞭打つために、この文を書いている。
へへ、こんなふうにして、はたしてゴムに弾力が戻るかどうか?...... (笑)


  1. 2015/02/09(月) 15:13:08|
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旅への誘い

この頃、ようやく気持ちにゆとりが出てきた。妻の回復が進んでるせいだろう。肩(腕)の動きはまだぎこちないけれど、かなりスムースな動作ができるようになった。
まだ、少しは筋肉が張るようで、背中をマッサージをしてやる。以前なら、左半身に手が行くと、ぴくりと身を引く動きがあったが、最近は左肩に手が伸びても、逃げるようなこともなくなり、むしろマッサージを快く感じてるみたいだ。

「そっちへ手がくると、ビビーンって電気が走って痛かったけれど、この頃はそれがなくなった」
「ふ~ん、筋肉がやわらかくなってきてるのがわかる。だんだんに良くなってるんだね。驢人さんが言ってた
『日にち薬』春に向かうように、日毎、ページをめくるように回復する。「日にち薬」って、驢人さんが言う通り、ほんと良い言葉だね」

手術前、Dr.からの説明(インフォームドコンセント)を受けたが、軽作業ができるのは術後3ヶ月、スポーツや労働が可能となるには6ヶ月かかるという。
妻の手術は12月2日だから、今日で術後70日。ふ~む、まだ4ヶ月くらいムリは厳禁だなぁ

それでも、日常生活はかなり不自由が少なくなって、へへ、気分的にはどこか良い所があれば湯治にでも行きたいなどと思う。
実際に実行できるかは別にし、そういう気分になれる(なった)ことだけでも嬉しい!
っふふ、そんなこともあってか、仙山線を走る電車を見てもカメラを向けたりするから可笑しい。

「ママ、どこかにお湯入りに行かない?」
「三月になったら、もう少し良くなってるよね。そうしたら行きましょ」
妻には、まだ遠出に自信なく、安心できる身になってからと思う気持ちが強いようだ。その気持がわからないわけではない。
「そうだね。ママが行きたいと思うようになってからにしよう」早く、その日がくることを念じながら言う。

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  1. 2015/02/09(月) 01:00:00|
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最上川の冬

6日につづいて、7日も晴れて、蒼い空になる。

「白菜、漬けようか」妻の提案に否やはない。
晩秋につけた白菜漬けは、疾うになくなった。毎年、真冬の太陽に晒した白菜を漬けている。セイサイと違って10日もあれば、新鮮な白菜漬けが味わえる。

保存に工夫した白菜を4半分に切り、太陽に半日晒す。塩漬けする前の、この晒しが白菜の旨みを引き出す。
白菜を天日に当ててる間、姪の所へ「快気」をもって行く。これで妻の退院報告は全部終える。
ここまで出て来たのだからと、時間の余裕があったので、最上川のようすを見に行く。

ほんのちょっと覗いた最上川冬景色、並べよう。

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  1. 2015/02/08(日) 01:00:00|
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