未分類日記以前の天童の家RSS|

「独鈷杵」


「小さいおうち」第五章開戦の9は、短文である。

 翌週、奥様はまたおんなじようにして、
 「それじゃ、わたし、行って参ります」
 と、日傘を差してお出かけになった。
 わたしもいつものように玄関先を掃きながら、坂を下りていく奥様を見送った。
 あの日のことは、忘れようがない。
 奥様は、地味な絣に博多織一本独鈷の帯を締めてお出になった。奥様にしてはずいぶん男勝りな、どこか決意の感じられるお着物だった。

 夕方近くになって戻られたときに、持って出られた写真はなかった。
 「少し考えたいとおっしゃるので、ともかくお預けしてきました。頃合いを見て、様子を伺ってみますけれども」
 奥様は口ごもった。
 「どれだけ考えればいいんだ、あの男は」
 旦那様の呆れ顔も目に浮かんでくる。
 「わたし、着替えてきますわ」
 そう言って、時子奥様は、ご夫婦の寝室になっている南向きの部屋へ戻られた。
 今朝見た帯が、目に入った。

 いまでも、はっきり、覚えている。
 後姿の、帯の模様がいつもと逆になっていた。
 左に余分を残して、右寄りに柄が来るように締める奥様の帯の、独鈷の筋が左寄りになっていたのだ。
 そんなことはないと、人は言うだろうか、いつも着慣れている帯を結ぶのに、左右や天地が逆さになるようなことはないと、思うだろうか。それを人は、若かったわたしの、妄想だと言うだろうか。
 たとえばひどく気が急く中で、あるいは気が動転しているときに、帯を締めなければならなかったとしたら。(以下9行略)

小説にしては、ここは短い文章だけれど、「小さいおうち」の中では、一つのクライマックス的場面である。
ここの記述が、なにを表現しているかのはわかる。わかるのだけれど、具体的にわからないこともあった。
「独鈷の筋が左寄り」このことが理解できない。「独鈷の筋」とは如何なるものだろう......? と、思った。

ちょうどその時、ブログ「驢馬の耳」で帯と帯留めについて書かれてるのに出合った。(驢人さんに教えを請うたらいい)と思い、不躾にもコメント欄に、「小さいおうち」のその部分を写し、「独鈷の筋」とはどういうものか教えてと書いた。
翌朝、答を期待し、「驢馬の耳」にアクセス。だが、そこにはなにもない。
(あぁ、やはり無理なことをお願いしたのだなぁ)と赤面し、詫びる気持ち。

ルチンワークとして、パソコンを閉じる前にメールを確認する。その日も、いつもの通りメールを開く。
......と、そこに驢人さんからのメールが届いてる。ブログ「驢馬の耳」のコメント欄に書いたそれへの詳しい説明が、画像を添えられ分かり易く読めた。
「独鈷の筋」とは、なるほどそういうものかということが納得できた。
次のそれは、驢人さんのメールのごく一部分である。

  下は、似た柄の博多帯(一本独鈷帯ではない)を締めた所(これは着物好きの方のブログからコピー)。
  画像を左右反転して並べてみました。(画像割愛・こんの)
  だいぶ印象が変わりますね。 タキちゃんがひと目で気付くワケです(笑)。

念のため書き添えれば、タキちゃんとは、上の小説で「わたし」で出てくる女中さん(こんの)

嬉しいメールを読みながら、ふと、「独鈷」とは、あのドッコ沼の独鈷であることに気づく。
急いで、「天童の家」画像フォルダーを開き、画像を見直す。確かに同じもの(こと)である。
「天童の家」の紅葉は、毎年、蔵王山腹にあるドッコ沼からはじまるのだ。

「小さいおうち」・「驢馬の耳」・「天童の家」それぞれに、なんの繋がりもない。
ないのだけれど、気持ちで繋がってる。そう思えて、っふふ、嬉しくなってくる。
このような些細なできごとで喜んでいる。他人さまからみたら、面白くもなんでもないことだろう。
でも、自分には嬉しいことなのだ。それが実存だろう。(笑)

蛇足的に書けば、「ドッコ沼紅葉」は、2009年が10月7日、2010年は10月8日、2011年は栗駒紅葉、
         2012年が10月13日、2013年は10月5日から紅葉シリーズがスタートしてる。
下の画像(2枚)は、2013年10月4日に撮ったそれの再掲である。

    31004-10.jpg

    31004-40.jpg

午前11時の気温3度、雪  久しぶりの雪降り(断続的に少量の降雪はあったが)このまま振り続けばかなり積もりそう


スポンサーサイト
  1. 2014/01/31(金) 11:23:37|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

映画&原作

楽しみ倍加

25日に、映画「小さいおうち」を見た。面白かった。
原作を読みたくなり、文庫本を買った。
映画と本は、別物と思っている。それを承知の上である。

前回観た「利休にたずねよ」も、原作を読んだ。映画も面白かったが、本も読み甲斐があった。
原作と映画は、別物と云うけれど、まったく違うわけではもちろんない。
内容は同じである。だが、文字と映像では表現方法が違ってる。当然のことである。

違う手段で、同じものをどう表現してるのかを比較しながら楽しむ。楽しみが倍加する。
その楽しみが、なんとも堪えられない。(贅沢だなぁ)と思いながら楽しんでいる。

「小さいおうち」と一緒に、「快楽上等」上野千鶴子&湯山玲子 幻冬舎 も買った。
映画上映までの間、少し時間があったので書棚を眺めていたら、その本が目に飛び込んできた。
「3.11以降を生きる」サブタイトルに惹かれ、ページを開いた。そこに 3.11を契機に生き方を変えた二人の対談がまとめられてた。

 湯山: 上野さん、私、人生で初めて、政治の季節がやって来たんですよ。
 上野: Oh.my god(笑)!それは「3.11」がきっかけになったの?
 湯山: 東北の大震災と福島の原発事故がそれほどに大きかった。あれから「国って何なんだろう」と考え始めた人、多いと思うんですよ。

上のそれは、プロローグ「私たちに訪れた、生き方の転機」の冒頭部分である。」
二人の対談は、延々と314ページとなる。
それを読みはじめ、そして(あっ、あっちも読むんだった)と、「小さいおうち」を読む、というような変則的な読み方をし、26日~29日で2冊を読了。

読書中、来客があって若干の時間を対応に使ったが、あとは散歩もせず、ブログの文章も書かないで読書三昧。読書の面白さを堪能した。
毎日が日曜日だから、何をしようが勝手だ。だから、すべて自分の意志で暮らせる。(とはならないが・笑)
読書三昧もずーっと続けば、嫌気がさすのだろうが、今はブログが主だから、たまの読書が面白く思える。

散歩を続けて休むことはできない。なにしろ「仕事」なのだから......
「ママ、散歩に行こうか?」
「イヤ、こんなに寒い時はイヤ!」体よく断られる。しかたない。午前10時で-9度(30日)である。

でも、このくらいの寒さで休むのは「男が廃る」と自分に言い聞かせ、出かけることにする。
それにしても冷えるなぁ......
凍み大根がうまくできるだろう。

40129-10.jpg

40130-10.jpg

40130-20.jpg

40130-30.jpg

今朝の気温4度、


  1. 2014/01/31(金) 05:56:30|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

山寺番外編

雪降りが少ない。
里の木々は、裸でなんとなく殺風景。
みにくい景色は撮る気がしないので、どこかに観られるけしきがないものかと探す。

主目的は、散歩だから、歩けて景色もまぁまぁの所......
っふふ、虫のいい話だから、そう簡単には見つからない。
山寺の向かいにある美術館、芭蕉記念館、風雅の国辺りを妻と二人で歩く。

山寺観光客相手の喫茶店、食堂、おみやげ店などが並ぶ風雅の国は、ふだんは無視してるのだが、他に適当な被写体が見つからないし、雪景色の姿もわるくないとカメラを向ける。
ふ~む、勝手なものだなぁと自分の無節操を笑う。
「たまには、こんな景色もいいじゃない」妻の言葉が救いである。(笑)

40127-10.jpg

40127-20.jpg

40127-30.jpg

40127-40.jpg

40127-50.jpg

40127-60.jpg

今朝の気温-4度、晴


  1. 2014/01/30(木) 06:23:46|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:7

春の気配

春遠からず

1月を4週間暮らした。あと3日で1月が終わる。
あっという間の4週間だったと思う一方で、充実した28日間だったとの気分も。
歳末まで、スノーダンプでの雪掻きを4回もやって、この冬の雪の多さを思ったのだった。

しかし、今年になって、スノーダンプでの雪掻きはまだ1度もしていない。これから先どうなるのか?
雨の日もあった。もちろん、雪は少しずつ降ったけれど、雪ベラでまにあう降雪量だった。
雪は、暮らしに厄介ものだから、少ない雪はありがたい。(助かるなぁ)である。

27日、28日、朝の寒さが厳しかった。これからもなお一層の寒冷が続くだろう。
だが、へこたれる気分は微塵もない。
冬至、大寒も過ぎて、日脚の伸びがはっきりと分かる。光のいろに、春の兆しを感じる。

あと3日暮らせば、2月。
冬の中で、2月がいちばん寒くなる。
でも、節分の日がきて、さらに立春となる。

冬季オリンピックで賑わいながら、冬はどんどん過ぎてく。
オリンピックが終われば、もうそこには春の日差しがある。
いつもの2月より1日長いけれど、それはおまけの1日だ。

冬の光の中に、春の色が混じってる。それがはっきり分かる今朝の陽射しである。
降り積もった雪が、朝日にキラキラ光る。春を告げる妖精の姿が見えるようだ。
歳甲斐もなく、まるで詩人の端くれになったような気分が切なく可笑しい。

あと3日で1月が終わり、2月になる。
2月は、春立つ月である。

40122-01.jpg

40122-02.jpg

40122-03.jpg

40122-09.jpg

40122-04.jpg

40122-05.jpg

今朝の気温-2度、


  1. 2014/01/29(水) 06:01:27|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:10

雪国讃歌


四季の中で、冬には別格な思いがある。雪の存在がそう思わせるのだろう。
春夏秋に降る雨。降ったさきから地にしみ、地上を流れて逗まらない。
しかし、雪はちがう。降った雪は積み重なって地上を覆いつくす。

春の雨は芽吹きを促し、萌黄を緑にかえる。
夏の雨は滴る緑をつくり、果物を膨らませる。
秋の雨は紅葉の下地を整え、やがて時雨となる。

冬の雪は、春夏秋の雨とは大きくちがう世界をつくる。
冷たく、寒く、暮らしには厳しい雪だけれど、それだからこそ別格の世界。
花のない、彩りの少ない、ホワイト・アウトをつくりだすこわいような世界となる。

だが、よくみれば、そこにはたくさんの花々が咲いてる。
雪と寒冷がつくりだす冬の華たちをたくさんみる。
冬景色こそ、他の季節にない華麗な世界だ。

なぜか、しみじみとそう思う。
雪国に生まれてよかったなぁと思う。
雪がある幸せを、豊穣の源と考えたりする。(笑)

40120-01.jpg

40120-02.jpg

40120-03.jpg

40120-04.jpg

40120-05.jpg

今朝の気温-7度、外はずいぶんと明るさをましてる。日足がだいぶ伸びたのがわかる。冷える、寒さが強い。


  1. 2014/01/28(火) 06:20:53|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

服薬止めて

「パパ、面白い話、しようか」妻が、覗くような目顔で言う。ふ~む、なにかいい話を仕入れたみたいだ。
「うん、話して!どんなこと?」
「ばぁさん(母)から聞いた話しだけど... 面白いかどうか...」妻の澄まし顔が憎らしい。もったいぶらないで早く話せばいいのに、と思うが言葉には出さない。(笑)
「ふ~ん、面白い話でなくてもいいよ」ぜひ聞きたいとせがむ。

「ばぁさんが、Sさん(茶飲み友だち)から聞いた話しでね、」妻の話は、おおよそ次のような内容だった。
話の主人公は、Pさん(90歳の男性)で、いつも通院してる医院が舞台である。

P :「先生、私はこの歳まで長生きさせてもらった。もう十分に生きました。いつお迎いが来てもいい。だから、もう薬はのまないことにします」
Dr : 「......」
Dr は、Pさんの望み通りに処方箋を出さなかった。もし具合悪くなれば、服薬するだろうと判断されたらしい。

S :「あの先生、ほんとに良い先生だものねぇ。薬飲まなくなって、Pさん体はダイジョウブなの?」
P :「ほんと、良い先生だなぁ、お陰さまで、薬止めてから、なんだかかえって調子がよくなってねぇ、ありがたいことだ」

その話をPさんから聞いたSさんは、嬉しくなったという。服薬は、厄介な気分をともなう。Sさんは、自分も薬を止めてみようかなぁと考えたようだ。
しかし、止めるには、それ相応の覚悟が要るようで、なかなか Pさんのように簡単ではないことも知ったという。
「やめてもいいような気がするけど...... ねぇ」Sさんの言葉に、母も曖昧に頷くしかなかったらしい。

「パパ、どう? 話、面白い?」妻が問う。
「あぁ、とても面白い話だ。体調コントロールし、良くしてるはずの服薬を止めたら、もっと体調良くなった。そういうことってね、きっとあるんだなぁ」
「薬って、そういうものなの?」
「ふ~む、そういうこともあると...... 薬は、ありがたいものだよ。でも、たまには逆のこともある」

「面白い話ではなかったのね。パパには」妻が、なおも問う。
「イヤ、面白かった。面白い話だ!」
「だって、パパは笑わないじゃないの......」
「ママ、そういうことじゃない。面白い話だが、その話の中には、面白い次元のほかに、また別の意味も隠れている、なかなか意味深な話でね......」
「なんだか、よくわからないけど」
「ママ、ありがとう。面白くて、ためになる話だった。ははははっ」夫は、そこで大声で笑った。

妻もつられたように一緒に大声で笑う。
ふ~む、妻の笑顔がなぜかきれいに見える。それが嬉しくなって、また笑いを重ねる。
なんとも可笑しな、締らない話になってしまったなぁ(苦笑)

40122-70.jpg

40122-80.jpg

40122-90.jpg

今朝の気温-4度、


  1. 2014/01/27(月) 05:56:51|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

冬のあした

まぶす

先にアップした「妻を褒める男」の文中に、次のようなフレーズがある。
「大根やカブについた土の汚れ、ゴム手袋の汚れは、雪で落ちるが、水で洗うようにはいかない。白い雪に汚れを幾度もまぶしながら落としてく。」

自分では、なんの気なしに書いた。ところが後で、「まぶしながら」という言葉遣いに不安がわく。
「まぶす」とは、共通語だったかなぁ
もしかしたら、ここら辺りだけで使ってる方言かも知れない......?

そこで、早速「検索」してみる。

  塗す(まぶす)
 (粉を)つける・なする・なすりつける・ふりかける・(水アメを)からめる・行き渡らせる・まんべんなく・(~で)覆う・(苦味を甘みで)くるむ・(糖衣で)包む・(~を)加える・(~を)つけ足す
http://ruigo-tamatebako.jp/find/word/%E5%A1%97%E3%81%99/%E3%81%BE%E3%81%B6%E3%81%99


  まぶ・す 【▽塗す】 (動サ五[四])
 粉などを一面に付着させる。
 「パン粉を―・す」「泥ニ身ヲ―・ス/日葡」
 [可能] まぶせる
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%BE%E3%81%B6%E3%81%99


 ぬる と まぶす の意味のちがいはなんですか?
 ベストアンサーに選ばれた回答

「ぬる」は、液体やゼリー状のもの。
「まぶす」は、粉末状のもの。
---------------------------------------------------------

共通語であることにひとまずホッとする。
っふふ、きなこ餅を思い出す。温かい搗きたての餅を丸くちぎってきな粉の上において、餅にきな粉をよくまぶる。
「よくまぶって椀に盛りなさい」おふくろの笑顔と声が懐かしく思い出される。

まぶすに似た言葉に「まぶし」があったのを思い出す。(笑)
「まぶし」と「まぶす」は、似ても似つかない言葉だが......

  まぶしのつくり方
 カイコが繭(まゆ)をつくる場所を「まぶし」といいます
http://www.kodomo-silkroad.net/kaiko/howto/mayu.html

なぜか、今朝はこんなことに時間を使う(こんの)でした(笑)

40115-01.jpg

40115-02.jpg

40115-03.jpg

40115-04.jpg

40115-05.jpg

今朝の気温3度、曇

↓ にも......


  1. 2014/01/26(日) 07:05:35|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

エコツアー

もう一つの山寺 2

2013年5月2日に「もう一つの山寺」をアップした。
そこには、いわゆる観光客は行かない。

エコツアーを楽しむ人々のコースと言えよう。
エコツアーとは(wikipedia)、環境学習の要素を持ち自然を探訪するツアー、農山漁村や地域の風土・文化等を訪ねるツアー、少数民族の暮らしや文化・風土などを訪ねるツアー、等があげられる。

あまり小難しく考えなくてもいいと思う。要するに、「故郷をもっとよく知ろうの旅」でもいいのかなぁ

先日、西沼田大学を受講したこともあって、近くにある「もう一つの山寺」が思い浮かび、(冬はどうなってるのかなぁ)と探訪してみた。
旅というより、小さな探訪と言えばいいような気がする。積雪が深く、思うほど自由な行動がとれなかった。

何枚かの写真を並べてみることにする。

40122-10.jpg

40122-20.jpg

        40122-30.jpg

40122-40.jpg

40122-50.jpg

40122-60.jpg



  1. 2014/01/26(日) 06:02:57|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

「小さいおうち」


山田洋次監督「小さいおうち」を観てきた。
妻が楽しみにしていた映画である。
「観甲斐のある映画だったね」妻の言葉に、深くふかく頷く。

いろいろな感想が浮かんでくる。あまりにもさまざまな言葉が次から次に矢継ぎ早に浮かび困惑状態。
感動が、まだまとまった言葉にならない。
妻が言う通りで、「観た甲斐がある映画」の一言...... が、まだ ぐるぐると頭を渦巻いてる。(笑)

40125-10.jpg


  1. 2014/01/25(土) 17:51:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

妻を褒める男

苦労と思わない

「カブが無くなった。掘りにいきましょ」妻の誘いに否やはない。

大根は、埋ける際に葉を切り、一箇所に横に積み重ねるように並べ、上にネズミ侵入防止の杉葉を被せ、その上に覆土し、土中に埋けきった状態になる。
小さな山ができるけれど、大根が埋められてることは、外目からは分からなくなる。

カブの場合は、葉をつけたままの状態で一列に寄せて並べ、葉とカブの境辺りに杉葉を置いてネズミの被害を防ぐ。
カブ葉は、出した状態で土寄せする。だから雪を取り除けば青い葉が出てくる。掘り出すのは、出てる葉を引けばいい。大根より手が汚れず簡単である。

大根は、覆土してあるから、先ず排土し、杉葉を除いて取り出す。べたついてる土が手やショベルを汚す。
カブは、葉を掴んで引くだけでよい。だから、汚れることがない。そこが大根掘りとちがって、楽である。

大根やカブについた土の汚れ、ゴム手袋の汚れは、雪で落ちるが、水で洗うようにはいかない。白い雪に汚れを幾度もまぶしながら落としてく。
雪で洗うのは、やはり冷たい。雪の冷たさは痛いほどだ。
だから、汚れるか、汚れないかは、大きな違いになる。

青菜(せいさい)漬け、白菜漬け等の桶が、凍ってしまい、厚いスガ(氷)が張る。
そのスガを破って漬物を取り出す。いくらゴム手袋をはめても、冷たさが手を刺す。

冬の暮らしが厳しいと思うのは、そういう水仕事の時である。
実際に、そういう作業をやっていなければ、感じないことだ。

雪国に暮らしているのだから、と愚痴ることはないけれど、それでも辛いことだ。
あかぎれの手に、水仕事は切ないものだ。

でも、多少の辛さや切なさがあろうとも、新鮮で美味しいものがいただけるのは嬉しい。苦労を忘れさせてくれる。
なにもないよりは、多少の苦難があっても、喜ばしさが結果として伴えば、苦労は厭わない。
そう思える。けっして負け惜しみや、虚言を言ってるのではない。本当の気持ちだ。

妻が、何気なく言うのを聞いて、(えらいなぁ)と思った。
それで、ここに修飾なしに書いた次第である。
自分の妻を褒める男がいる。(笑)なんとも気恥ずかしいが、素直な気持ちで書いた。笑われてもしかたない。

40124-10.jpg

40124-20.jpg

40124-30.jpg

40124-40.jpg

40124-50.jpg

40124-60.jpg

今朝の気温


  1. 2014/01/25(土) 06:07:16|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

スエコザサ


「スエコザサ」

以下は、先にアップした「雪が嬉しい」へ、驢人さんのコメント と、レスポンスである。

  熊笹・隈笹
 熊の檻(罠)と熊笹!

 雪の中の笹の生命力を感じます。
 やっぱり、熊のいる所に「熊笹」は生えているんだなあ!
 と嬉しくなり調べてみたら、
 「隈笹」が正解らしいですね…その訳にも納得しました。

 以前の「マユミ」の例もあり、こんのさんの写真には、
 知識欲を刺激する写実の力があります。

 しかし、雪の白!いいですね。
 降り積もった形の柔らかさ!

 でも、熊の笹のほうが味がある語感ですね。
                    2014/01/24(金) 驢 人


  クマザサ
 驢 人 さん コメントありがとうございます

 クマザサ 意識して撮ったのではありません。たまたまそこに生えてたのです(笑)
 クマザサ 命名の由来、知りませんでした

 牧野博士が奥様の名前をつけたそれが有名ですよね
 なんというササだったかなぁ。思い出せません(笑)
                    2014/01/24(金) こんの

------------------------------------------------------
(なんというササだったかなぁ)と記憶の糸を手繰ってみたのですが......
うう、思い出せない。
困ったときの神頼み、ならぬ「検索」をする。

下のHPで、「スエコザサ」をみつけ、ホッとする。

 植物学者の牧野富太郎博士は、仙台で発見した笹に妻の名を冠し、「スエコザサ」と命名した。
 そこには、大変な時にも博士の研究を支え続けた妻への感謝があふれている。
http://www.seikyoonline.jp/news/myoji/2010/09/1192292_2708.html


ということで、嬉しくなり、これもアップすることにした。(笑)


  1. 2014/01/24(金) 10:11:58|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

たまる画像

膨らむ画像フォルダ

先に、冬になると画像掲示板への投稿が少なくなる、と書いた。
だが、自分の場合は、雪が好きで画像が増えてくる。
雪があっても、できるだけ毎日散歩するようにしている。散歩すれば、なにかでこころが揺れ動くことがある
度にカメラを向け、シャッター・ボタンを押す。

そうして得た画像は、たいしたものではないのだが、とりあえずフォルダーに入れておく。
「天童の家」では、毎日更新を原則にしているが、1日に一つのエントリーでなくて、時には二つ、たまに三つということもある。
その都度、必ず画像を使うわけではないけれど、賑やかなほうがいいとできるだけ毎日並べるようにしている。
それなのに、画像フォルダーにはだんだん膨らんでくる。
花や紅葉などと違って、冬の画像はあまり時制にズレを感じないでいられるから、アップを急がなくてもいいとの気持ちがあって、溜まってしまうようだ。
けれど、23日現在で、すでに8回分のストックがある。どれも似たような月並みな画像だ。ぜひ見て欲しいと思えるものがないのが寂しい。

画像ストックが増えると、やはり落ち着かない気分だ。全部をアップし、スッキリしたい気持ちになる。
だが、なかなかそういうわけにもいかない。もし、明日が吹雪だったら、明後日あたり散歩できないなにかが起きたら......などと弱気がでて思い切れない。
思い切りだけでなくて、やはり均したエントリーをすることが、「天童の家」の お・も・て・な・し だという気分もある。(笑)

40120-10.jpg

40120-20.jpg

40120-30.jpg

40120-40.jpg

40120-50.jpg

40120-60.jpg

↓ にも......


  1. 2014/01/24(金) 06:30:00|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

雪が嬉しい


像掲示板に、投稿が多い時と少ない時とがあるようだ。春の花、夏の祭り、秋の紅葉などが賑わいをみせる。冬は、どちらかと言えば寂しくなる。被写体が少なくなるからだろうか。あるいは 寒さや雪道の危険さなども関係してるかも知れない。
カメラを趣味にして長年楽しんできたが、四季の中でいちばんいいなぁと思うのは冬である。正確に言えば雪である。

雪があるから、冬は撮影が楽しい。
『黒を撮っても白撮るな』と云われ、白はなかなか扱い難いものだ。敬遠したくなる白(雪)だが、必ずしもそうは言えない気がする。
雪は、被写体を浮かび上がらせる。
具体的に、川を被写体に見てみる。川面に雪は積もらない。廻りは積雪で白くなる。川が否応なくはっきりと流れを見せるようになる。

最近、判ったことがある。雪は思っている以上に風景や状況を単純化する。生い茂ってた葉を落とした木々、それまで目についてた汚れやよけいな物、そういう雑多なものを雪は隠し、省略し、被写体を目立たせる。
先日(10日)にエントリーした杉林の中の罠(檻)などは、なかなか目立たない物だ。けれど雪が降ったことで檻は撮りやすくなった。
同じことを、もっと大きな熊の檻でも知った。(下に画像)

熊用の檻がそこにあることは知っていた。でも、廻りのブッシュが邪魔で近づき難かった。
もっと近くで、じっくり見たいと思いながら、果たせずにいた。雪が降り、ブッシュは積もった雪の下に隠れ、堅雪になって、容易に檻に近づける。
檻を眺め、写真に撮る。鉄格子1本1本が雪をバックにはっきりと写る。冬だから、雪があるからはっきりと写せるのを知った。

川や檻だけに限らない。被写体というか、風景は雪で単純化され、彩りにも雑多さがなくなる。スッキリした被写体強調の世界になる。
雪が、世界をスリムにし、美しく見せてくれる。なんとも嬉しいことである。
被写体が少なくなることはない。冬には、冬限定の美しい風景や被写体がたくさんある。
堅雪というオマケがあって、道のないところでも自由に歩け、意外な被写体にも出合える。

冬バンザイ、雪万歳である。
こんなにすばらしい季節を楽しまない手はない。

40118-a.jpg

40118-b.jpg

40118-c.jpg

40118-d.jpg

40118-60.jpg

今朝の気温-7度、 寒い! すごい冷えを覚える!


  1. 2014/01/24(金) 06:17:42|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

井原さんの歌

井原さんの歌
鳥羽さんの評

以下は、鳥羽さん『臆病なビーズ刺繍』からの転載である。
----------------------------------------------------------
井原茂明氏の『読売歌壇』の入選歌」に就いて
2014年01月22日 | ビーズのつぶやき

 私はこの頃、山形県天童市にお住いの今野幸生氏の御ブログ『天童の家』に毎日のようにお邪魔しておりますが、件のブログの記事の中に、千葉県市原市にお住いの歌人・井原茂明氏の作品が度々登場し、それぞれ私の鑑賞意欲を刺激するような傑作揃いである。
 そこで、私はこの度、インターネットの検索機能を駆使して、同氏の作品を手当たり次第に検出させていただきました。
 就きましては、検出された作品を鑑賞した後の私の感想などを述べさせていただきます。
 何分、無断転載であり、作者の井原茂明氏や件のブログの管理者の今野幸生氏など関係者の方々には大変ご迷惑な事とは存じますが、何卒、宜しくご許容賜りたくお願い申し上げます。
 なお、検出された作品の凡そは「読売歌壇」の入選作であり、出来るならば、掲載年月日及び選者名を記して正確を期するべきでありましょうが、それが出来なかった作品もありますので、その場合は、読者の方々からのご指摘を俟って、後日訂正するなどの必要な措置を取らせていただきたく存じます。

〇  蜘蛛の巣のここにもそこにも現れて今日は一日霧雨のふる(俵万智選・2007/9/17)

 「ここにもそこにも現れて」と、作者ご自身が目前にしている「蜘蛛の巣」を指呼している様態を、客観的に捉えて詠んでいるのでありましょう。
 「ここにもそこにも」張り巡らせられている「蜘蛛の巣」の一本一本の糸に「霧雨」の細やかな雨粒がびっしりとくっ付いていて、淡い朝の光の中で微かに輝いているのでありましょう。
 「今日は一日霧雨のふる」とは、朝の空模様から判断しての作者ご自身の予測でありましょうか?
 だとすれば、人間は誰しも自分の体内に「気象予報士」を棲息させているのかも知れません。
 〔返〕  蜘蛛の巣に捕らへられたるキアゲハの翅の輝く霧雨の朝


〇  たたかひの肯定をして詠ひたりしにんげんとしての茂吉をおもふ (小池光選・2008/7/7)

 齋藤茂吉が数多くの聖戦歌を詠んで翼賛政権の協力者となった事は、今さら私如きが論う必要が無いほどの厳然たる事実であるが、平成二十四年(2012年)に岩波書店から刊行された、秋葉四郎氏・編著の「茂吉 幻の歌集『萬軍』」は、その一端を表沙汰にした書籍である。
 掲歌は、件の書籍の刊行に先立つ、平成二十年に詠まれたものであるが、「かしこみて勇みだちける十二月八日の朝を永久にさだめつ」などという、「幻の歌集『萬軍』」所収の聖戦歌を読む時、私・鳥羽省三のような歌詠みの末端に連なる者でさえも、「人間・茂吉」、「歌人・斎藤茂吉」の苦悩の深さを改めて斟酌せざるを得ないのである。
 ところで、掲歌が掲載されたのは「読売歌壇」であり、「読売歌壇」は、ややもすると世論を右寄りに誘導しようとする気配を見せている「読売新聞」の主宰する新聞歌壇である。
 ここの辺りの事情に就いては、選者の小池光氏などの世の識者は、如何お考えでありましょうか?
 〔返〕  色欲を隠すこと無く歌にせし人間茂吉の苦悩の軽さ


〇  脚を見てこの人強きとおもひをりテニスの試合5分間前 (小池光選・2011/10/24)

 「『テニスの試合』をしようとしたのであるが、試合開始の『5分間前』に、相手の選手の『脚を見て』、この人は私にとっては強敵だ、と思っている」という内容の作品であるが、相手選手の強さに臆している自分の心理を客観的に表現しているところが、この作品の優れた点でありましょう。
 また、「脚を見てこの人強きとおもひをり」という上の句には、作者の人間味とユーモア精神が窺われ、なかなかに好感の持てる表現となっているのである。 
 ところで、インターネットで検索したところ、掲歌の作者・井原茂明さんは、過日、千葉県館山市で行われた「第31回若潮マラソン大会」の「フルマラソンの部」に出場して、「四時間五十九分二十七秒」という、六十代という年齢にしては驚異的な好タイムで見事に完走なさった、とのこと。
 〔返〕  あと三十三秒遅ければ驚異的タイムなどとは言えなかったはず


〇  草もみぢ焼くる匂ひの流れ来て大山棚田の野焼きはじまる (選者不詳・2012/2/6)

 古泉千樫は千葉県鴨川市が輩出したアララギ派の大歌人であるが、彼の代表作品として知られる「みんなみの嶺岡山の焼くる火のこよひも赤く見えにけるかも」は、夙に「大山棚田の野焼き」風景を詠んだものと判断される。
 ところで、作中の「大山棚田(大山千枚田)」とは、「千葉県鴨川市の嶺岡山の麓、面積・約4ヘクタールの急傾斜地に階段状に連なる、大小375枚の田圃であり、『日本の棚田百選』にも選定されている南房総の文化的景観」である。
 一首の意は「紅葉した草の匂いが漂って来た。日本の棚田百選にも選ばれた、鴨川の大山棚田の野焼きが、今、始まったのである」といったところでありましょうか?
 だとしたら、作者の井原茂明さんは、少々欲張りである。
 何故ならば、本作は嗅覚的表現から成り立っている作品であるが、詠い出しの五音「草もみぢ」は、明らかに視覚的表現と言わなければならないからである。
 「上手の手から水が漏れる」という諺も在りますから、是も致し方の無いことでありましょうか?
 〔返〕  「草もみぢ焼くる匂ひ」とは如何に?鼻が色まで識別するか?(笑)


〇  大根の首の寒かろ白々と霜のあしたに立ち上がりをり(小池光選・2012/2/27)

 私たち読者は、「白々と霜のあしたに立ち上がりをり」という下の句の表現に込められた、哀切性を感得すると同時に、その表現の奥に潜んでいる卑猥性をも感得しなければなりません。
 御年、六十数歳にして、掲歌の作者の「大根」は、「霜のあしたに立ち上が」るのでありましょうか?
 〔返〕  だとしたら嫉妬羨望限り無し我が大根は立ち上がらずも(笑)


〇  「雨ニモマケズ風ニモマケズ」ああ其は辛き言葉だ押し黙り聞く(小池光選・2012/4/2)    

 「宮沢賢治のこの有名な詩の一節も、大震災を思ってきくと表情が変わる。重たい重たいことばに聞こえる。そのことの感慨を述べた。押し黙り聞くよりないのだ」という選者評が在る、とのこと。
 私・鳥羽省三としても全く同感であります。
 〔返〕  雨に負け風にも負けし我が生の終らむとして未だ終らず                   

〇  観念の海を泳ぐに疲れたり庭に伸びたる草引きに出づ (小池光選・2012/5/14)

 例えて言うならば、「読売新聞よ、悪辣な世論誘導をするな!」と思ったり、「細川某の本質が如何なるものであろうとも、この際は、彼を勝たせなけれはならない」などと思ったりするのも、「観念の海を泳ぐ」ところの「儚な事」なのかも知れません。
 とすると、掲歌の作者・井原茂明さんと同様に、私・鳥羽省三も亦、疲労困憊の極に達してしまうのであり、あたら、持って生まれた大根さえも立たなくなってしまうのである。
 まして、今は寒い冬、「庭に伸びたる草引きに出づ」ることさえも叶わぬ夢物語なのである。
 「たたかひの肯定をして詠ひたりしにんげんとしての茂吉をおもふ」と詠み、「資本論読み残したる悔いあれど世界の歴史変わり果てたり」と詠みながらも、名うての右翼歌壇「読売歌壇」に投稿している事も亦、作者をして「疲れ」せしめる「観念の海を泳ぐ」行為に他なりません。
 〔返〕  人はみな観念の海を泳ぐもの西方浄土と信じながらも


〇  油蝉鳴くあわただしさを受け止める生あるものに生ある時間 (選者不詳・2012/9/3)

 復興作業が遅遅として進まない夏の日であろうが、「道遠く、吾が生既に蹉蛇たる」時であろうが、私たち人間を急かすようにして「油蝉」は「あわただしく」「鳴く」のである。
 掲歌の意は、「『油蝉』は、僅かに七日間でしかない生の時間を、鳴くしか他にする事が無くて鳴くのである。したがって、私たち生き残った人間も、自分の生の時間を甘んじて受け止めていかなければならない」といったところでありましょうか?
 〔返〕  老い吾を急かす如くに鳴く蝉の命の時間儚き七日


〇  いかづちの後の雨音しづかなり犬を叱りて過ぐる人あり (俵万智選・2011/10)

 「雷、雨音、犬の鳴き声、そして人の声。四重奏のように、一首のなかで音が重なり合っている。耳を澄ますことによって世界を奥行深く構成しているところがみごと」という選者評が在る、とのこと。
 「雷がひとしきり鳴り響いた後、雨音も静かになって、静寂のひと時が訪れる」ということは、私たちの身辺にもよく在る事である。
 その静寂を微かに乱すようにして『犬を叱りて過ぐる人』が居る光景に着目するとは、正しく、目が肥え、耳が肥え、短歌神に拠って格別なる感性を付与された歌詠みにしか感得することが出来ないことでありましょう。
 私たち読者の全ては、この「三十一音・五句」の中に流れている永遠の時間と静寂とに耳を澄ますべきでありましょう。
 〔返〕  ひとしきり燥ぎまくった我が孫の去りにし後の静けさに堪ふ

         
〇  十月の月の光の染み込みてま白く庭に秋明菊咲く (俵万智選・2012/11/26)

 「秋明菊」と言えば、咲いている空間にしろ、咲いている時間にしろ、花そのものに本質的に備わって居るイメージにしろ、秋に咲く花としては、極めて地味にして、極めて目立たない花である。
 その地味で目立たない花「秋明菊」に、「十月の月の光」を配したのは、真に秀逸である。
 「秋明菊」こそは、正しく「十月の月の光の染み込みてま白く庭」に「咲く」のでありましょう。
 〔返〕  工事場のトイレの壁を彩りて白く咲きたり秋明菊は          


〇  「久留里町信販購利組合倉庫」右より書かれ今も現役 (俵万智選・2013/5/13)

 私よりも五歳くらい年配の方々は、「庫倉合組利購販信町里留久」と書かれている「看板」を、「久留里町信販購利組合倉庫」と読む習慣を持っていたのであり、それは、むしろ「習慣」と言うよりは「習性」と言った方が宜しいのかも知れません。
 〔返〕  「←京は右※左は江戸→」と刻まれし道標に沿ひ木曽路を急ぐ


〇  歯の検診終へて出づれば眩しかり空を食つてもよきかとおもふ (俵万智選・2013/7/30)

 「空を食つてもよきかとおもふ」とは、「歯科検診と称して、銀色の匙みたいな怪しげな検診器具で以って、そんなにも可愛くはない女性歯科医さんに、口の中をさんざん引っ掻き回された後の安心感を伴った気分」を詠んだのでありましょう。(笑)
 〔返〕  噂ほど可愛い顔の女医で無し全身麻酔で手術してくれ


〇  資本論読み残したる悔いあれど世界の歴史変わり果てたり(小池光選・2013/11/12)

 今や、マルクス主義も共産主義理論も、図書館の奥の書庫に仕舞われている、古色を帯びた一冊の書籍の中にしか存在しないのでありましょうか?
 それにしても、今更「資本論読み残したる悔いあれど」とは、余りにも未練がましい言い方ではありませんか?
 〔返〕  『資本論』読んだ覚えは無かりしも多摩図書館の書棚に在りき  


〇  コーヒーを飲むため座る流木を守谷の湾の海辺に拾う (選者及び掲載年月日不詳)

 作中の「守谷の湾」とは、千葉県勝浦市の「守谷湾」を指して言うのである。
 守屋湾西側の岬の先端近くに、隆起した岩碓が幾つか在るが、其処に出来た海蝕洞窟が守谷海蝕洞穴群であり、其処の辺りには、流木などが数多く堆積しているから、少し磨けば「コーヒーを飲むため」に「座る」椅子代わりになる「流木」を拾うことも可能でありましょう。
 〔返〕  ウーロン茶を飲むとき使ふコップにと「上撰金冠ワンカップ」を購ふ


〇  わがうちに「とこしへの川」騒立てり核廃絶の演説を聞く
                               
 上掲の一首は、角川書店主催の「角川全国短歌大賞」に於いて「篠弘選」の「秀逸」に選ばれた作品である。
 作中の「とこしへの川」とは、今さら私が説明するまでも無く、被爆者歌人・竹山広氏の第一歌集のタイトルである。
 竹山広氏は、『とこしへの川』(1981年・刊)で以って歌壇にデビューし、同年、第二回長崎県文学賞を受賞し、それ以後も、各文学賞を相次いで受賞し、多くの読者の支持を勝ち得たのであるが、 平成二十二年(2010)三月三十日にお亡くなりになったのである。
 ところで、掲歌の表現に就いて一言申し上げますと、「核廃絶の演説を聞く」という下の句は、少なからず皮肉っぽさを感じさせる七七句と思われるのであるが、作者ご自身の気持ちとしては如何でありましょうか?
 〔返〕  我が胸に佐川急便仕舞ひ置く細川候補を当選させむと


〇  ビートルズ世代としての自負一つ「イエスタディ」が持ち歌にあり

 上掲の一首は、『平成万葉集』所収の作品である、とか。
 インターネットで検索したところ、『平成万葉集』とは、「読売新聞が2008年に募集し、同年11月30日に締め切って、翌2009年4月に発表したものであり、その後、中央公論新社から書冊として刊行された」とか。
 〔返〕  吾輩もビートルズ世代の端くれで「レット・イット・ビー」など口遊み居り



 拙ブログ『臆病なビーズ刺繍』の「2010年08月13日」付けの記事に、「今週の読売歌壇から」として、次のような歌評を掲載させていただいているのである。
 この際、再掲させていただきますから、併せてご一読下さいますように、お願い申し上げます。


○  検針に来たるバイクのおばさんの勝ちましたねと大声にいふ  (市原市) 井原茂明

 私は常々、電気・ガス・水道の「検針」の方のご苦労の程は並大抵のものではないと思っている。
 以下の事柄は、最近、我が家に東京ガスの「検針」に訪れた男性の方からお聞きした話である。
 彼は現在のお仕事に就く以前に関東地方のある田舎町の水道局にお勤めになられ、上下水道使用料の「検針」のお仕事をなさって居られたそうである。
 彼は「検針」のお仕事を効率良く進めるために、担当地域のご家庭の犬や猫は勿論のこと、時には屋敷の守り神の青大将をも手懐けていらっしゃったと仰るのである。
 彼の勤務していた町の水道局では二ヶ月に一回ずつ「検針」を行うそうだが、ある大きな御屋敷に彼が「検針」に訪れると春から秋に掛けての期間は、水道のメーターボックスの扉の上に、毎回、彼の訪問を予期していたようにして、そのお屋敷の守り神かと思われる身の丈六尺に余る青大将がとぐろを巻いているのだそうだ。
 彼はその地区の「検針」を担当するに当たって、前任者から事務引継ぎの一環としてそのこととそれへの対応策を聞いていたので、最初はとても気味が悪かったのであるが、前任者からご教授された通り、「お屋敷の守り神様。今月もお世話になりますので宜しくお願いします」と小さな声で挨拶すると、守り神様は彼の言葉の意味がお解りになると思われ、メーターボックスの陰の草原にするすると退いて行かれ、「検針」のお仕事には何ひとつ支障を与えなかったそうである。
 さて、本作は<ワールドカップ南ア大会>関連の一首と思われ、件の「検針」の「おばさん」は、仕事道具の「バイク」のエンジンを止めるや否や、訪問先のご家族の方に「(岡田ジャパン)勝ちましたね」と「大声にいふ」のだと思われる。
 しかし、いくらお仕事大切、お口上手の「バイクのおばさん」と言えども、軒並みに「(岡田ジャパン)勝ちましたね」と言いまくっている訳ではあるまい。
 前述の「お屋敷の守り神様・・・・(後略)」と同じように、この「「バイクのおばさん」は、それぞれの場合に応じた言葉を予め用意しているのであって、本作の作者・井原茂明さんちの場合は、ご主人の井原茂明さんがすこぶる付きのサッカーファンであることを、ある情報筋を通じて知っていたから、「おはようございます」という挨拶を交わすような気分で、「(岡田ジャパン)勝ちましたね」という言葉を掛けたのだと思われる。
 「バイクのおばさん」のこうしたご努力は、彼女の勤務先の責任者にも大いに評価して頂かなければならないし、私たち短歌創作者と言えども、彼女の行動から何らかの学ぶべき点があるはずだ、と私は思うのである。
  〔返〕 「ジャイアンツ昨日も負けた」とお隣りの意地悪婆さん減らず口きく   鳥羽省三

---------------------------------------------------------------------
労作である。
全文でなく、抜粋にとも考えたけれど、敢えて全文にした。
労作に応えるには、そうすべきだと思ったからである。


  1. 2014/01/23(木) 07:27:32|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

働く老夫婦

一生懸命な老夫婦

散歩しながら、なにか珍しい風物に出合うとカメラをむける。
先日、山寺馬形地区を歩いていたら、除雪作業をやっているのに出合って、迷わずにカメラを向けた。
道路の除雪ではなくて、イチゴハウスのそれである。ハウスが雪の重さで倒壊しないように、また雪で埋没しないよう、除雪機械でハウスから離れた場所へ雪を飛ばしている。

そのようすが、なんとも躍動的で、逆光に光る雪が美しい。何枚もシャッターを切ったが、どの写真も同一的で変わり映えしない。
使える画像は2枚だけだった。こういうことは度々あるから驚かないが、かなり気落ちした気分になるのは否めない。
2枚の画像は、他に撮ったものとはなんの繋がりもなく、どう使えばいいのかに戸惑いを覚える。

一緒に使えるのがないかと探すが、ない。っふふ、どうしようもない。

作業をやっている人は、老夫婦だった。軽トラックに貼られた紅葉マークや、腰の曲がった身体から、かなりの高齢者と推察される。
老夫婦は、馬力の大きな除雪機械を操作し、一生懸命だ。大きく長い何棟ものハウスに沿いながら降り積もった雪を遠くへ飛ばしてく。
ハウスで栽培してるのはイチゴで、出荷は4月になるという。
降雪は、これからまだまだ続く。雪が降らなくなるまで、除雪作業を続けなければならないのだなぁ

こういうたいへんな作業を承知のうえで、イチゴ栽培をやっている老夫婦の生き様というか、暮らしはどう考えたらいいのか、考えたけれど、よく分からなかった。
イチゴ栽培を選択し、高価な除雪機械を導入し、こうやって作業をやっている。その姿を、他人がどうこう言えることではない。
そういうことだろう。

年金とか、息子の働き、過去の蓄え等で豊かに暮らしているのかもしれない。
イチゴのハウス栽培も、楽しみでやっていることなのかもしれない。
そんなふうに考えれば、老夫婦の姿は、なんとも羨ましくも見える。
他人さまの暮らし、生き様を、軽々しく見ることは不遜そのもので、許されることではない。

40115-10.jpg

40115-20.jpg

今朝の気温-1度、


  1. 2014/01/23(木) 06:17:09|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

今日の記事から 2


「論点」がよかった。筆者は、太田洋さん(東大大学院法学政治学研究科教授・46歳)
 都知事選「脱原発」争点たり得ず、が見出しの記事である。(以下、抜粋)
------------------------------------------------------
 そんな中、一部の候補者は「脱原発」を最大の争点として立候補すると表明している。
 しかし、果たして脱原発は都知事選の争点たり得るのであろうか。
 
 政治家の役割は、課題・争点を設定し、具体的にどんな対応策を講じるのかを明らかにしたうえで、有権者の支持をまとめ、具体策を実行して課題を解決していく点にある。

 ここで重要なのは、設定される課題・争点について、自ら具体策を提示し、ひとたび有権者の支持が得られた場合には、それを実行に移すことが「実際に」可能であるということである。
 これが健全な政治が行われるための基本的な前提である。
 そうでなければ、課題・争点の設定は、何ら解決についての責任を伴わない、単なる言いっ放しの「床屋政談」に堕してしまう。

------------------------------------------------------
太田さんは、上の「基本的な前提」を踏まえ、都知事としてやらなければならない主な課題を具体的に三つ挙げている。
一つは、直下型地震への備え。二つは、東京五輪・パラリンピックに向けた都市基盤整備。三つは、子ども育成のための環境整備、若者の失業対策、特養ホームの充実など社会福祉政策である。

「知事になったら、地震・五輪・社会福祉は、こうします」という具体策が、掲げられ、それが争点になるのだろうか......
「脱原発」は、都知事がいくら「こう考えます」と主張しても、実際に実行することは叶わない。ということを知っているかどうかが都民ひとり一人に問われることでもある。

原発立地自治体でもない東京都、また東京電力の一大消費地だとか、東京電力の大株主だからとの立場で脱原発を争点とするのは無理なことを太田さんは具体的に述べている。

明日23日が、都知事選が告示される。
候補者は、果たして何を政策に掲げるのか、注目したいと思う。


今日の記事では、他に同じ13面に、広がる「ごみ屋敷」条例がおもしろかった。



↓ にも......


  1. 2014/01/22(水) 17:43:40|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

りんご哀歌


堅雪になりどこでも自由に歩けるようになると、ふだんはあまり気にしないことが、新たな視界・視点で眺められ、そこに意外な発見をしたり、驚いたりする場合がある。
農道から離れた畑に、とり残されたりんごがたくさんあって、それがどういう事情から残ったままなのかが推量されたりする。
収穫されない事情はさて措き、残ってるりんごは、辛うじて原型を留めているが、(もう限界だなぁ)と思う。
「限界」のわけは、いくつもある。一つに、鳥たちに啄まれ尽くし、なくなること。
二つは、夜間の寒さに凍りつき、日中の温かさで融けたりんごは、果肉を柔らかく変化させ、やがてりんごでなくなる。
三つに、雪と風に吹かれ枝に留まってることができずに、すべてのりんごが、落果し、雪中に埋まる。
後には、りんごの裸木だけが残る。

堅雪で、ふだんは行くこともない畑で、限界状態のりんごを見てカメラを向けた。
りんごの木は、春先までに剪定され、春になれば薄紅色の花が咲く。
花摘み、摘果がなされ、秋にはまた赤いりんごとなる。
はたして、ここにあるりんごの木々が、そうなるかどうかは分からない。再びなったまま放置されるのか......
りんごは、とても手間の掛かる果樹だ。特に消毒は頻繁に行わなければ、商品にはならない。
ここに並べたりんごは、商品価値のなかったものである。手をかけることなく放置されたりんごだ。
間もなく、消えてなくなるりんご......

40118-10.jpg

40118-20.jpg

40118-30.jpg

40118-40.jpg

40118-50.jpg

今朝の気温-2度、


  1. 2014/01/22(水) 06:15:14|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:9

暗  喩




   バレルとふ単位をつかひナノといふ単位つかひて職を退きたり  市原市・井原茂明

   パトカーが塀に隠れてじつと待つ対向車線に兎出ぬかと     市原市・井原茂明

掲歌は、どちらも読売歌壇入選歌である。
「単位」の歌は、1月13日に俵万智選で、「パトカー」は20日に小池光選の歌。
続けての入選は、なかなか難しい。なのに井原さんは毎週のように掲載されるから(凄いなぁ)と思う。

以下は、私信である。
 今野さん、ありがとうございます。
 原油を処理精製するに当っては、バ-レル(バレル)という単位を使っていました。
 今はバ-レルではなくキロ・リットルが使われていますが・・・
 また私が関わった有機ルミネセンス(テレビなどの発光色素)の取り扱いに当っては、ナノという単位を使っていました。
 短歌はいろいろなジャンルから詠めますが、この一首は人生詠として携わった業務を具体的に単位という形で表白した点が評価されたのではないでしょうか。
 単純・平明が短歌のいのちです。 (いささか自画自賛ぽくなりました・・・ )
                       井原茂明

作者の声を、このような形できけるのは、貴重なことで嬉しい。とても勉強になる。
次は、私の愚鈍さを如実に語る裏話......

 今野さん
 「兎」は暗喩ですが、ちょっとしたあそび心です。

                        井 原
 Sent: Monday, January 20, 2014 12:25 PM
 Subject: 兎
 > 兎はスピ-ド違反の車

 あぁ、そうなのですかぁ
 そうとは知らず、そのまま兎と読んでしまいました
 気が回らない兎です(笑)
 それがし卯年生まれですから(爆笑)
                        今野拝
-------------------------------------------------------------------
暗喩とは分からずに、兎そのものを待っていると読んだ。
パトカーが狙っているのは、違反車。と誰しもが思う。
ところが、作者は上手にはぐらかして「兎」だと言う。

読者の思い込みをウッチャリでかわす。
いわゆる「どんでん返し」が(手だったなぁ)と読んで、さすがと思ったのである。

と、ところが、そういう外道の手ではなく、奥ゆかしい暗喩!
それを知り、いまさらながら自分の愚鈍さを痛切に恥ずかしく思った次第である。

作者との交流があるからこそ、こういうことが明らかになる。
ボタンの掛け違いがあったり、笑いない誤解がわかったり......
でも、自分の愚かさを識ることが出来るのは、わるいことではないと心底思う。

井原さん
ありがとうございます

*

↓ 下にも......

  1. 2014/01/21(火) 08:28:36|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

「西沼田大学」


19日、「西沼田大学」の1時間め(14:00~15:30)を受講した。
これまで「山寺学講座」を楽しんできたが、「西沼田大学」は今回がはじめてである。
受講者は、山寺学よりずーっと少なくて30人未満とこじんまりしてた。

西沼田遺跡は、昭和62年に国の史跡として指定され、平地式建物14棟、高床倉庫2棟、河川跡、水田の畦畔状遺構、溝、井堰など1500年ほど前の遺構がある。
そこは遺跡公園になっており、ここ(大学)で講座が受講できる。

今年の講座は、5時間あり、2時間めは2月2日に開かれる。
というわけで、5時間めは3月23日となっている。全てを受講するつもりでいる。
それでは今年はじめての講座1時間めの報告をする。

40119-10.jpg

40119-20.jpg

40119-30.jpg

40119-40.jpg

40119-50.jpg

40119-60.jpg

40119-70jpg.jpg

40119-80.jpg

40119-90.jpg

今朝の気温-1度、


  1. 2014/01/21(火) 06:33:21|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

冬越しの歌

鳥羽さん『臆病なビーズ刺繍』より転載

2014年01月19日 我が歌ども
「天童の家の冬越し」七首  鳥羽省三

  冬越しの大根埋けし雪室(ゆきむろ)の目印の棒いまだ見えをり

  雪下の大根甘し今朝もまた七日分とて五本掘り出す

  この冬の二度目の大根掘りにして雪の下より五本掘り出す

  大根を五本乗せたる猫車少し錆びゐて縄で縛られ

  泥大根五本乗せたる猫ぐるま荷台錆びゐて車軸は朱し

  土間に居て大根五本お互ひにそつぽ向けると合ひ寄るとあり

  雪下に蕪もどつさり埋もれゐて羽前天童春まだ遠し

------------------------------------------------------------------
先にエントリーした「大根を掘る」へ、寒中お見舞いをいただいた。
嬉しい歌が添えられて、喜びが一層大きく、ありがたいことである。

あらためて、ブログをおこした次第である。
ありがとうございます


追 加

鳥羽さんから推敲の歌が届く
元歌と較べると(なるほどなぁ)と頷ける


〇  冬越しの大根埋けし雪室の目印の棒いまだ見えたり

〇  冬越しの蘿蔔五本土間に居てそつぽ向けると合ひ寄るとあり

〇  雪下にすずなすずしろ埋もれゐて羽前天童はる未だ遠し

40116-10.jpg

40116-20.jpg

40116-30.jpg

↓ にも......


  1. 2014/01/20(月) 07:12:08|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

大 寒


以下は、『驢馬の耳』からの転載(抜粋)である。
  2014年 01月 18日
  寒の水

 寒の水不浄の身には毒になり      驢ノ107

それへのコメントとレスポンス

Commented by こんの at 2014-01-18 06:42 x
「寒九の水汲み」というイベントが、新潟五泉市の造り酒屋で行なっておりまして、その水を使った「菅名岳」という酒が旨いのです
 熊鍋忘年会で、みなさんから好評を得たのでした(笑)

Commented by unburro at 2014-01-18 23:55
 飲みたい!
 と、調べたら…すでに完売のようで残念無念。
 来年は忘れずに予約したいものです。
------------------------------------------------------
次も『驢馬の耳』からの転載
  2014年 01月 17日
  竹馬

 一本になって佇む竹の馬   驢ノ105

 竹馬は思わぬ人が上手なり   驢ノ106

 今日、二句載せたのには、訳がある。
 (略)
 また、季節の言葉が兼題になるので、季語の勉強になる。
 そして何より、新聞などの投稿俳壇に比べてハードルが低く、
 大量の選句が発表されるので、小さな達成感がある。

 初心者の基礎練習に持ってこいの、俳句サイトなのだ。
 というわけで、今までに下記の様な数句が選句されている。

  踏切の頭上姦し鵯の群 (人)

  立冬に律義を立てる霜柱 (並)

  托鉢の声を追い越し初時雨 (並)

 そこで、冒頭の二句である。
 兼題は、「竹馬」

その「竹馬」へのコメントとレスポンス
Commented by こんの at 2014-01-17 12:54 x
 「俳句ポスト365」
 はじめてアクセスしました
 良い「場」ですね
 詠めることが羨ましいです

Commented by unburro at 2014-01-18 01:15
 五七五 というルールさえ守れば参加できる「ゲームの場」、
 という感じです。
 数をこなす練習に良いように思います。
 素振り百回! みたいな感じ(笑)

Commented by こんの at 2014-01-18 06:45 x

   大寒や取材目当ての散歩かな   こんの
 へへ、俳句もどきです(笑)

Commented by unburro at 2014-01-19 00:11

  大寒の空を切り取り貼るブログ   驢
 ふふっ 返句?もどきです。
 大寒20日の「天童の家」の写真を楽しみにしています!
------------------------------------------------------

今日が、その大寒である。
どのようなブログにしようかと考えたが、なかなかいい企てが浮かばない。適当な写真もない。っふふ、困ってしまった。
「五七五 というルール」を踏まえればいい、という言葉に甘え、”俳句もどき”を並べてなんとか恰好つけることを思い立つ......

兼題は「大寒」ということで

     大寒や取材目当ての散歩かな   こんの

     大寒や猫が恋するくさめする

     大寒や猫のふぐりはころころと

     大寒や底冷えの底 極まれり

っふふ、兼題「大寒」に縛られ、出だしが全て大寒になってしまうから可笑しい。やはり俳句になっていない。へへへ、俳句もどきというより、川柳もどきだなぁ
やはり俳句を詠むってなかなか難しい。と今更ながら思い識る。

40118-01.jpg

40118-02.jpg

40118-03.jpg

40118-04.jpg

今朝の気温-3度、


  1. 2014/01/20(月) 06:03:30|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

大根を掘る


17日の凍み大根作りで、洗って小屋に保存してた大根を使いきってしまった。
冬の食材に、大根がないと寂しいと妻が言う。そうだろうなぁと思う。
18日、昼食後に、妻と二人で畑に行き、埋めてある大根を掘り出す。

「(ネズミに)喰われてないね」妻の言葉に、私は大きく頷く。せっかく苦労して埋けたものが荒らされるのは癪である。
掘り出したのは2回めだが、1本も齧られていなのが嬉しい。まだ半分以上が土中に残ってる。
前回は10本、今回は5本掘り出した。
「もっと(多く)掘ろうか......」提案に、妻は首を横にふる。5本あれば、1週間以上保つと言う。妻の意向は絶対だ。なくなった時点でまた掘ればいい。それで済むことだ。

雪の下には、ダイコンとカブがまだどっさり埋まってる。埋めた所がわからなくならないよう目印の棒を立ててある。
その棒が見えなくなるほど降り積もることもあるが、今年は棒の半分以下でしかない。
気象情報では、毎日のように雪ダルマが並ぶのだけれど、その割には積雪量は少なく、大助かりだ。

20日が大寒。そして2月3日が節分。4日が立春である。
暦上のこととはいえ、立春という響き、文字に嬉しい気分がわく。旧正月も過ぎ、節分がくれば、春の気配がかなり濃くなってくる。
もちろん本格的な寒さ、降雪はまだ続く。そうだけれど、春が射程内に近づいてきてると思える。
冬の中に、春の気配がある。それはどの季節にもいえることだが、夏の中に秋が隠れているように、冬の空に、冬の光に、かすかな春が混じっている。

それを感じながら、果樹農家の人たちは雪の上で剪定作業をはじめた。
道路はまだ雪に閉ざされてて、車が通れない作場道(さくばみち)だから、畑へのアクセスは徒歩だ。
春の気配を感じるから剪定作業に力がはいる。枝を見、蕾を見ながら鋏を使い、鋸を引く。

これからも雪掻きをし、屋根の雪下ろしをしなければならないだろう。
でも、季節は確実に巡り、春の足音が近づいてくるのを覚える。
埋けた大根・蕪を掘り尽くした頃、春になるのだね。

40118-x.jpg

40118-y.jpg

40118-z.jpg

午前7時半の気温0度、小雪

↓ にも......


  1. 2014/01/19(日) 07:31:32|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

落下風景 2

次は12月26日エントリー「落下風景」へのコメントである。

 ありがとうございます
 「杉の枝から落下する雪煙」とは楽しみですねえ。
 まだまだ先は長いですから、がんばってください(^.^)

 エビでタイを釣る(#^.^#)
 今夕、届きました。
 DMしましたが、ブロックされて届いていないようです。
 申し訳ありませんがこちらで・・ありがとうございました。
              2013/12/26(木) 阿蘇望亭

次も14日エントリー「チェック機能」へのコメント

  不正な投稿
 私も時々『不正な投稿と判断されました』というメッセージが出て送信できないことがあります。
 こんのさんが言われるような語句は一切含んでいない普通のコメントにも拘わらずです。
 なんなのでしょうね。
              2014/01/15(水)   こ ろ

お二人のコメントを再掲したわけが 二つある。
一つは、コメントやメールがブロックされることが、やはり(けっこうあるのだなぁ)との思い......
二つは、先日の散歩でたまたま「杉の枝から落下する雪煙」を目にしシャッターを切った、からである。

「落下する雪煙」を撮るつもりで構えていたわけではなくて、偶然目にしたもので中途半端な画像なのはやむを得ない。
撮ったので、捨てるのもなんだからエントリーしておこうと考えた。
イメージしているのは、っふふ、もっとスケールのデカイ画像である。いつかリベンジするつもりだ!(笑)

        40115-70.jpg

       40115-90.jpg

        40115-80.jpg

今朝の気温-2度、小雪


  1. 2014/01/19(日) 06:02:23|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

腐れ雪

「腐れ雪」

「天童の家」では、時折「雪があるから温かい」とか、「腐れ雪」などの言い方をすることがある。
考えてみれば、雪が温かいわけがないし、同じように雪が腐れることもない。
雪は、どう考えても温かくはない。それでも「イヤ、温かく感じる」と言えば、それは文学的次元の表現であって、通常世界の常識とは話がちがう。
雪は、腐れることはない。「でも、あの雪はまさしく腐れてる状態だ」と言えば、それも科学的な物言いではない。
常識的に言えば、雪は、あくまでも冷たい。また、腐れてイヤな臭いを発したりしない物だ。

だが、世の中、面白いもので、そうした理屈一辺倒ではなしに、科学的な道理に反する言葉が数多く使われている。
そこで、「腐れ雪」という言葉が世間ではどのくらい、どのように使われているかを検索してみた。
「腐れ雪」は驚くほど多くヒットした。次にそのはじめの一部を並べたものである。


 くされ雪
 春 暖かくなってくると 陽射しや気温により、表面に水を含んだ状態の雪となってきます。
 関西圏ではシーズン中から水を含んだ雪が降ることがあります。
 最近の温暖化によって関西圏だけでなく信州のような地域でも時にはこのような雪が降っているというのが現状です。
 スキーウエアとはいえこのような雪がふると防水性がわるくなったりブーツの隙間から水が入ってくることもありとても不快に感じます。
http://esqui.269g.net/article/14282207.html


 樹林帯内は未だマシだが、日向に出ると酷すぎる。
 トレースを辿ってもずぼっと腿付近まで潜る事もざら。
 また、腐れ雪のため、アイゼンに付着し、足が重い事。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-281536.html


 今日は気温が高く、しかも雨。
 昨日の雪が解けつつあったみたいで、腐れ雪!
http://ameblo.jp/daisensan/entry-11406673668.html


 昨日までの寒気が抜けて日中気温が上昇、お昼を過ぎるとエリア全体が湿雪と化しました。林間の薄い白い雪はまだ湿り具合が少なく何とか滑りましたが、標高1200mを切ると雪が腐りピステンのかかったスキー場内もスキーが滑らない状況、本日はまだ「腐れ雪」状態でした。
http://kitatouhokunadare.blog136.fc2.com/blog-entry-312.html


 腐れ雪に閉口しつつも10:45白船峠(1008m)に到着。
 そのまま真の谷へ、ワカンを装着した山人が一人先行している。
 小生も尾根を下りたところでワカンを装着、それでもこの腐れ雪は歩き辛い。ずるずると滑ったり、穴に落ち込んだりしながら 息絶え絶えに登って行く。
http://fujiwa01.web.fc2.com/yama-oikehigashi08y0315.html

-------------------------------------------------------------------
「腐れ雪」は、雪の状態をあらわすことば。
「雪があると温かい」、これは気温の実際を言っているのではなく、雪を見て抱くイメージを述べている。
無雪で空っ風の吹く時の、肌をさす寒さが骨身にしみているものだから、雪が降り積もってれば、たとえ吹雪でも寒さを(酷い!)とは思わない。
思わない、のではなく、吹雪が寒く冷たいのは当然のことと思ってしまう。

雪のない冬は、実際よりも寒く、「素寒貧」(すっかんぴん)を連想(笑)し、こころがうそ寒くなるのだ。
雪が降り積もっているのを見ると、なぜか豊かさを覚えるのである。ないよりはあった方が豊かなのだ。(笑)
冬の素寒貧さは、耐え難い。

次は、ころさんのブログ・田舎暮らし通信『むらまつ』17日冒頭の転載である。
  久しぶりに雪が降った。
  10センチに満たない程度かな。
  ドカ雪でなく安心した。
  雪が降るといつもより暖かく感じる、雪の断熱効果のせいか。

雪が温かい、と思うのは自分だけではないようでホッとする。単にイメージだけではないのかもしれない。

       40116-40.jpg

40116-50.jpg

40116-70.jpg


↓ にも......


  1. 2014/01/18(土) 06:01:47|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:8

凍み大根

凍み大根作り

今年の寒入りは、1月5日だった。20日は大寒である。
みちのく雪国の冬は、雪が積って寒い。この寒さを利用して作るのが凍み大根である。
先日、高瀬地区高沢で凍み大根の写真を撮ってきた。それを見た妻が、「凍み大根作る」という。

農作業がなにもない。毎朝ゆっくりできる。雪国の冬も、わるくない。
遅い朝食を済ますと、妻は早速湯を沸かし、大根の皮を剥きはじめる。
「パパ、下げられるようにして!」妻の命を受け、夏にゴーヤ栽培した所、秋に干し柿を吊るした場所に支柱を運び、パイプを渡し、大根を吊り下げるための拵えをする。

茹でた後、水に晒した大根にビニール紐を通し、パイプに吊るす。
大根は、夜の寒さに凍りつき硬くなる。日中、大根の氷が融け柔らかくなって水滴を垂らす。
そのような毎日を繰り返し、大根は当初の面影もなくやせ細って、2月下旬には凍み大根が出来上がる。

竹輪や昆布などと一緒に醤油で煮れば、それは美味しいおふくろの味が味わえる。
凍み大根といちばん似合うのは、やはり鰊だなぁ。鰊の味が大根に染み込んで、じわじわと旨味が口中に広がるのだ。まさに天下一品である。

似たよう干し物に、切り干し大根・茄子干し、ひょう(スベリヒユ)干し、山菜(ゼンマイ・マタタビ等)、凍み豆腐などがある。(凍み豆腐は自作できないが)
それぞれの食材に合う料理方法があって嬉しい。
切り干し大根(油揚げ)、茄子干し(油揚げ)、凍み大根(鰊)、ひょう干し(クルミ和え)、ゼンマイ(さつま揚げ、お雑煮)
上のかっこ内食材は、「天童の家」妻のお勧めで、美味しいこと請け合いである。(笑)

というわけで、いちばんはじめの画像は、他人さまのを撮らせてもらった。
2枚目以下は、「天童の家」で吊り下げ、凍み大根作り中のそれである。

40116-60.jpg

40117-10.jpg

40117-20.jpg

40117-30.jpg

今朝の気温-4度、晴


  1. 2014/01/18(土) 05:54:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

煌めく色たち


カメラをやってて、(肉眼とは大きく違うなぁ)と思うことがいくつかある。
目では、短時間にさまざまなものを見る。幾つも違った情景を時間の経過にしたがい、あるいは時間順序を後先にして見ることがある。脳の記憶力がそれを可能にしてる。
カメラは、そういうことができない。一画面で表現できるのは、ごく短時間の限られた場面しか写し撮れない。
具体的な例でいえば、先日の散歩で次のような場面に出合った。
先ず、次の画像を見てみる。

40115-60.jpg

画面手前辺りがキラキラと煌めいてる。小さな点なので分かり難いかもしれない。
肉眼では、それがはっきりと感じられる。(きれいだなぁ)とも(眩しいなぁ)とも思う。
それがはっきりと分かるようにするには、この画像の倍以上の大きさにしなければならい。

さて、次に移ろう。画面はやや陰りのある雪面。
散らばってる色たちが分かるだろうか? 実際に肉眼で見るより大きめにした画像である。
目には、もっとキラキラと美しく煌めいて見える。カメラでは、そのキラキラが写せない。
スキルの問題ではない。キラキラは、時間の経過をみている。しかし、カメラでは時間が写せない。
瞬間を撮るだけだから、光芒は写せるが、煌めくさまはムリだ。

40115-40.jpg

40115-06.jpg

まるで宝石箱をひっくり返したような煌めく色たち

40115-30.jpg

40115-50.jpg

実際に煌めいてる場所で見れば、きっとこころの震えを覚えることだろう...... が、写真では撮りきれない。(カメラは、現実を超えられないなぁ)としみじみ思う。
撮れないものは撮れないのだから、しかたない、と諦めるしかない。(笑)


今朝の気温-1度、

  1. 2014/01/17(金) 06:25:38|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

空の情報量

空の情報量は

16日エントリー「堅雪の周辺」で使った画像を眺め、なぜか(空の情報って凄いのだなぁ)との思いがじわりとわいてくるのを覚えた。
よく考えてみれば、至極当然のことなのだが、これまで、このように痛切に「空の情報」などと改めて思った(考えた)ことはなかった。
今更ながら「空の情報」が持っている大きさ(豊富さ)に驚く。

青い空は、気持ちいい。そこに浮かんでる雲の形を見ていろいろな連想が次々にわいて楽しい。
鈍色の空、冬特有のどんよりと重い空には気持ちが塞がれる。でも、それさえ雪国の空を特徴づけるものだ。
春の空、夏の空には季節感がよく現れる。秋特有の高く澄み切った空を見れば、(いまがいちばん幸せ)の気持ちが広がる。(笑)

四季の中で、いちばん複雑な空は、やはり冬空だと思う。
日毎に、空を見上げ、そう思う。暖かい空を望んでるからだろうか...... 雪降れば、空は見えなくなる。吹雪いてしまえばもうなにかも、気持ちまで閉ざされてしまう。
だが、真冬の空ほど美しいものはない! 1年中で、いちばん美しい空は、誰がなんといっても冬空である。

美しい空は、ありがたく嬉しいものだが、写真に写る空には多くの情報がある。
空のようすから、その空の下で暮らす人々の心根までわかるような気がする。うふ、深読みと云われるかなぁ
「堅雪の周辺」をもう一度見てもらえば、言うことに誇張がないことがわかってもらえよう。
コメントでお馴染み、benibanaさんが、次のような嬉しいことを書いてくれた。

 こんのさーん!
 凄いです! 凄いです!
 何でこんなに美しく写せるか、不思議です。
 同じ被写体なのに、全然空気感が違います。
 この写真を見るだけで、乾いた空気や、マイナス の気温、そしてこんのさんの歩いている足音まで 聞こえてきます。
 五感が研ぎ澄まされるような写真です。
 どれも素敵ですが、雲が実際に動いているように 見える、最後の写真が私は大好きです。
 残りの写真も、楽しみです。
               2014/01/16(木)   benibana
それへのレスポンス

  空気感
 benibanaさん 褒め過ぎですよぉ
        照れるなぁ(笑)
 写真にはやはり臨場感、空気感などがほしいものです
 そういうのが写せるかどうかを確かめてからシャッターをきるようにしてます
 しかし、イメージ通りにはなかなか撮れません
 だからこそ、次もやれるのかなぁ
 共に頑張りましょう

 >五感が研ぎ澄まされるような
 それは、benibanaさんの感性が優れてるからです
               2014/01/16(木) こんの

>雲が実際に動いているように見える、最後の写真が私は大好きです。
空と雲のようすが、benibana さんのこころに響いたようだ。
同じ場所で、同時刻に撮ったとしても、ちがう空や雲だったら、はたして「大好き」と言ってもらえたかどうかわからない。
空や雲次第で、その場の空気感は大きく変わる。空の情報量は、考えてる以上に大きいような気がする。

40114-10.jpg

40114-40.jpg

40114-50.jpg

40114-01.jpg

↓ 下にも......


  1. 2014/01/16(木) 11:15:50|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

切歯扼腕


以下は、13日エントリー「未熟者よ」への 鳥羽さんからのコメントである。

 私も未熟者です。
 今野 様

 >コメントあるなしに一喜一憂するのはバカだ。そう自分では思っている。/コメントを得るために「天童の家」をやっているわけではない。と思っている。/だが、実際にコメントがない時は、泰然自若からは程遠い自分になっている。/(あぁ、まだまだ修行が足りないなぁ)と歯軋りしてしまうから可笑しい。

 大変興味深く読ませていただきました。
 私も、歌評ブログを始めた当初は、自分自身が力を込めて書けば、それなりの反応があるものだとばかり思っておりましたので、コメントが一通も入らない時などは、今野様と同じように「歯軋り」したくなるような思いに捉えられたことでありました。
 そこで、友人や関係者諸氏に自分が歌評ブログを開いていることをメールしたりもしました。
 その結果、「見たよ」との返答メールをお寄せになる方もありましたが、それも一回限りで終わってしまう場合が多く、凡その場合は、長続きしませんでした。
 そのような事を繰り返していたのでありましたが、そのうちにコメントの有無に一喜一憂している自分の事が馬鹿みたいに思えて来たので、「書きたい時に、書きたい事を、書きたいように書く」といったスタンスに改め、コメントの事は出来るだけ気にしないようにしております。
 例えば、私が昨日(1月15日)書いた記事は、グーグル側の「ブログ分析」に拠ると、「閲覧数1,143 訪問者数369」ということであり、全グーグルブログ(1,976,613)中「順位:2,845位」ということでありますが、一夜明けての今のところは、只の1通としてコメントが入っておりません。
 そうした現象は、昨日に限った事では無くて、來る日も来る日も同じように「梨の礫」なのであります。
 昨日の記事は、大衆受け(笑)するようにとも思ったりして、前置きとして、都知事選に就いての自分の思いを述べたりして、多少の工夫を凝らしたつもりになってはいたのですが、それにも関わらず「梨の礫」とは、久々に歯軋りしたくなるような思いにも囚われました。
 と、言う事は、私も今野様と同じように「未熟者」なのでありましょうか。(笑)
 今朝、起き抜けにグーグルブログの「ブログ分析」を開いてみたところ、閲覧者数が私と同じように350人前後のブログは、専門性を持たせたり、ショッキングな内容であったり、派手な写真で飾ったり、タイトルが大衆受けするようなものであったりして、それぞれ工夫を凝らしてはいるのですが、コメントはほとんど入っておりませんでした。
 コメントが入っているブログも、極くたまにはありましたが、その相手は常連とか友人のように思われました。
 コメントが複数入っている場合は、お互いに応答しているような内容でありました。
 という事は、「ブログの世界は、常に一方通行の世界」である、と覚悟してかからなければならない、ということになりましょうか?
 それだけに、私の書いた拙い記事に、今野様から温かい激励の言葉を頂戴したりすると、未熟者の私は嬉しくなってしまうのでありますが(笑)。
 長々と書き連ねて来ましたが、「未熟者め!」と、叱咤するなり、嘲笑するなりなさって下さい。 鳥羽省三 
                       2014/01/16(木) 鳥羽省三

鳥羽さん 真摯なご意見、ありがとうございます
     いたく同感しております
コメント欄にとどめておくのは、(もったいない!)と思い、ブロクとしておこしました。

「ブログの世界は、常に一方通行の世界」との覚悟は、否定しません。ですが、それではあまりにも寂しい。
毎回コメントが欲しいと思うのは欲張りでしょうが、たまには共感が嬉しい!と思える応答があれば、生きる励みになる。
時に、そういうコメントに出合い、感激するするからです。それは切歯扼腕の対極にあって、人生楽しい!を味わえる。

気持ちを偽ってまでコメントを書く気がしない。義務的なコメントは不要だ。けれど琴線にふれるのを感じた時には、素直に「気持ち」を伝えたいと思っております。
鳥羽さん、「未熟者め!」と、叱咤すること、まして嘲笑することなど、絶対にありません!

*
↓ にも......


  1. 2014/01/16(木) 10:01:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

堅雪の周辺

堅雪の周辺で

先にエントリーした「高雪」&「堅雪」は馴染まない言葉。はたして通用する言葉なのだろうかとの疑問が生じて、検索した。
「堅雪」にはヒットしたが、「高雪」は皆無だった。「タカユキ」と「カタユキ」、紛らわしいが同一の雪である。
堅雪は、雪の質、または状態を指す。
高雪は、質や状態ではなく、雪上に立った時の目線が積雪した量だけ嵩高になる。まるで自分の身長が急に伸びたような錯覚を覚える。そんな視線の変化(積雪量だけ、視線が上がる感覚)をもたらした雪を短い言葉で高雪と言った、この地方だけの言い方かも知れない。

以下は、「堅雪」検索でヒットした中から、「堅雪」または「硬雪」と表現されたフレーズ部分を並べてみた。

 雪面の表面はパウダースノーで、吹き溜まりでは脛まで沈むこともありましたが、
 少し下は硬雪でスノーシューで沈まず登る事が出来ました
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-390141.html


 堅雪
 読み方:カタユキ(katayuki)
 降り積もった雪が春の日ざしでとけ、それが夜間の冷え込みで堅く凍りつくこと
http://www.weblio.jp/content/%E5%A0%85%E9%9B%AA


 思わぬ好天に、朝の堅雪、昼の腐雪のラッセル、両山からの奥利根の山々の大展望というオマケ付きの山行となった。
http://ike.no.coocan.jp/20111/1163.html


 カンジキも用意して来たが、幸い、堅雪状態なので、ツボ足で楽に歩くことができる
http://sakag.web.fc2.com/nakitura10.htm


 堅雪最高~♪
 今朝の散歩。
 待ってました堅雪シーズン
 これから春に向けて朝方の冷え込んだ日限定で堅雪が楽しめます。
http://jacky0205.exblog.jp/17291903/


 雪の名前
 新沼謙治の「津軽恋女」では、雪の名前が7つあるという。
 粉雪(こなゆき)粒雪(つぶゆき)綿雪(わたゆき)粗目雪(ざらめゆき)水雪(みずゆき)
 堅雪(かたゆき)春待つ氷雪(こおりゆき)
http://shojiki496.blogspot.jp/2013/12/blog-post_28.html

雪国に暮らしているからか、雪に関するいろいろな言葉に関心が向く。
怖いのは ホワイト・アウト。ブラックアウトには馴染みがあるけれど、真っ白い闇もこわい。
美しいのは ダイヤモンド・ダスト。ダイヤモンドとダストがくっついてもきれいなものはきれいだ。

っふふ、遊んでしまったなぁ(笑)

40113-10.jpg

40113-20.jpg

40113-30.jpg

40113-40.jpg

40113-50.jpg

40113-60.jpg

40114-30.jpg

今朝の気温-3度、


  1. 2014/01/16(木) 06:20:08|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

高雪or堅雪


雪も雨と同じように、そのもとは水蒸気であるが、雨のありようと雪では大きな相違がある。
「雨ならいくら降ってもいいけど、雪は困る」妻はきまってそう言う。
降った雨は、なにもしなくても流れてしまえばそれで終わり。だけれど雪は、後始末に手がかかるという。

妻の言葉をまつまでもなく、確かに雪降りの日は、雪掻きをしなければならない。屋根に積もった雪が嵩高になれば雪下ろしをしなければ建屋の倒壊につながる。
冬前に雪囲い、春になれば囲いを外す。雪の重みで枝折れしないよう雪払いし、春先には積雪が早くなくなるよう消雪する等の手がかかる。
雨と違って、ずいぶんと手間暇を要するのが雪である。また除雪費が大きな負担になることもある。

雪国では、そうしたことを踏まえながら暮らしの手筈を整え、対応し、冬の日々を暮らす。
だが、雪はそうしたマイナス面だけではない。雪景色の素晴らしさは大きな喜びだし、雪遊びの楽しさもある。
雪は、暮らしにいろいろな変化をもたらし、ある意味で豊かさが得られる。次に挙げるそれは些細なことだが、捨てがたい現象だ。

それは「高雪」、または「堅雪」と呼ばれるもので、毎年そうなるのを楽しみしている。
雪のひとひら、ひとひらは軽いものだ。雨の一粒よりもずーっと軽いかもしれない。
しかし、雪は、雨が低い方へ流れるようにはならないで、降ったその場所に降り積もる。

っふふ、こうした当然のことを改めて書くことの可笑しさはあるけれど、書かずにはいられない。(笑)

降り積もった雪は、柔らかく、歩けば長靴を深く沈める。
だが、日が射せば雪は融ける。融けた雪が夜間の寒さで凍結する。そのような過程を3~4日繰り返すと、嵩高く積もった雪の表面が、まるで板のように硬くなる。
大人が歩いても、雪面が硬くなって沈まない。これが「高雪」、または「堅雪」である。

高雪になれば、道のない所でも好きなように歩ける。例えば、無雪期には藪で行けそうにない所へも、一直線で歩いて辿りつける。
この便利さは、体験したものでないと分からない。高雪は、登山でも同じだから残雪期の登山は楽しい。登山道でないブッシュの上でもガレ場でも最短距離で登れ、下りられる。グリセードで一気に下山できるのも嬉しい。
他人が作った道でなく、自分の思う通りに歩けるそれは快感で、想像以上のものだ。(笑)
些細なことかもしれない。でも、その些細なことが雪国ではできる。大きな楽しみである。

今日の雪を被った柿、そして先日のりんごも高雪だから撮れたものである。
高雪になれば、新しい自分だけの道ができる。ふだんとは違う世界が広がる。

40111-01.jpg

40111-02.jpg

40111-03.jpg

40111-04.jpg

40111-05.jpg

40111-06.jpg

40111-07.jpg

今朝の気温-5度、うす明るく感じられる空(晴の予報)


  1. 2014/01/15(水) 06:21:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6