未分類日記以前の天童の家RSS|

3月が終わる


3月が今日で終わる。
2月には、春が、3月が早く来ないかなぁと待ち焦がれ、月日のたつのがなんだか遅く感じた。
3月になったと思ったら、時はアッという間に過ぎ、気づいたら今日で終わり、明日から4月。

どうしてこうも感じ方がちがうのかなぁと不思議な気さえする。
2月は29日で、3月が31日だから、2日も3月が長いはずなのに、それが逆に短く感じられる。

昨日、またネコヤナギを撮った。いわばネコヤナギ3である。ネコヤナギ1・2・3と3度のエントリー。
桜花シリーズで3度、4度とエントリーすることがある。同じように紅葉シリーズとして4度どころか30回を超えてアップし続けることがある。
だけど、それは被写体がちがう。同じ被写体をネコヤナギのように撮ることはあまりない。

が、今回はそれを承知しながらもカメラを向けた。写したそれは庭に植えてあるネコヤナギ。
赤く硬い鞘を脱いでフサフサと銀色に光るネコヤナギがわずかに赤みを帯び厳しい冬を脱した姿になる。
迷うことなくカメラを向けた。第1回目の画像(3月1日撮影)がそれだった。
2回目(3月23日撮影)は、銀色のフサフサの中から赤い帽子を被った小人たちが揃って立ち上がったのを見てカメラを向けた。
そして今度のそれが3回目のネコヤナギ。

ネコヤナギは、やはり3月までのもののような気がする。4月になれば、舞台はまるでちがう。梅やさくらたちの舞台に変わる。なぜかそんな気がする。
だから、やっぱり3月中である今日、今年最後のネコヤナギを3月の締め画像としてアップする。

昨日、山形野草園に電話した。例年4月1日開園日である。毎年開園日に行ってザゼンソウを見る(撮る)ことが「天童の家」の定番になってる。
今年の、この豪雪で、はたしてザゼンソウが咲いてるかどうか? それが気になっての電話だった。
「咲いてます」その返事を信じるしかないのだが、昨年は咲いてたけれど、まだ小さくてザゼンソウとは名ばかりでさみしいものだった。

今年の「咲いてます」も、昨年のそれみたいなら(さみしいなぁ)と思う。
開園日に、一人でも多く来園して欲しいという職員の気持ちは分かるけれど、もう少し問に詳しく応えてくれたらいいのになぁと思う気持ちがのこった。
開園日に行くかどうか迷っている。ザゼンソウを4月1日にとムリに合致させる理由はなにもない。
ちゃんと見られるようになったザゼンソウをエントリーする方が、むしろベターなのかも知れない。

っふふ、定番画像が先にあって、それにムリヤリ合わせることで得られるものはなにもない。
1週間経てば、雪解けはぐ~ん進み、ザゼンソウ・ミズバショウ・ユキワリソウなども立派になるのではないのか。
もちろん、その頃の天候次第でもあるが......
ここまで来たら、焦ることはない。じっくりかまえて楽しめばいい。そう自分に言い聞かせたのである。

20330-10.jpg

20330-20.jpg

20330-30.jpg

20330-40.jpg

20330-50.jpg

20330-60.jpg

20330-70.jpg

今朝の気温10度、曇


スポンサーサイト
  1. 2012/03/31(土) 06:17:56|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

オウレン


春告げるように真っ先に咲くのが山ではマンサク。里ではフクジュソウ。里山の裾で見られるのがオウレン。
29日に里山のマンサクを訪ねたが、豪雪の影響か?花が咲いてたのは1本の木だけだった。
フクジュソウは、庭で春の陽を浴び金色に輝いてる。
オウレンも咲いてるだろうと、街中はずれにある舞鶴山(人間将棋が行われる山)へ出かける。

オウレンは、舞鶴山の裾にある愛宕沼の東側の山手に自生している。
吹き溜まりにはまだ残雪がみられるが、雪が消えた所にはオウレンがたくさん咲いてた。
米粒のように小さな白い花を可憐に咲かせてる。うふ 嬉しくなってカメラを向ける。

なぜ、こんなに早く、まだ寒く、まだ虫たちも飛ばないのに、早々と楚々とした可憐な花を咲かせるのかと不思議にさえ思う。
あの厳しい寒さ、豪雪をかいくぐってこのように健気に花開くのか?などとよけいなことを思ってしまう。
(あぁ、オウレンが咲いて、今年もとうとう春になったのだなぁ)と嬉しくなる。

なおオウレンを検索したら、次のようなのが読める。
  根をほとんど取り除いた根茎は黄連(オウレン)という生薬で、苦味健胃、整腸、止瀉等の作用がある。
  この生薬には抗菌作用、抗炎症作用等があるベルベリン(berberine)というアルカロイドが含まれている。
  黄連湯、黄連解毒湯、三黄丸、三黄瀉心湯、温清飲などの漢方方剤に使われる。

20329-a.jpg

20329-b.jpg

20329-c.jpg

20329-d.jpg

20329-e.jpg

20329-f.jpg

20329-g.jpg

午後1時の気温14度、曇


  1. 2012/03/30(金) 12:55:14|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

マンサク

20329-01.jpg

20329-02.jpg

20329-03.jpg

20329-04.jpg

まず咲いた!

28日・29日と暖かい日が続き、急に春めいてきたのを強く感じる。
立谷川沿いの散歩道にはまだ残雪があって、もう少し経たないと歩けない。
それでもこの陽気に誘われ、我慢できなくなって仙山線脇のまだ残雪があるなかを歩いてマンサクが開花したかどうかと偵察(?)に行った。

雪解け水が、春の小川になって勢いよく流れてる。いつもは涸れているそこが音立てて流れる。
しかし、長靴がズブズブと雪に沈んで歩きにくい。この残雪だものマンサクはまだだろうとの思うのだが、ここまで来たのだからと意固地になって進む。
ウサギやカモシカのまだ新しい足跡がそちこちについてるが、姿は見えない。

仙山線の線路を離れ、山に踏み入る。
どういうわけか、山の方が歩きやすい。尾根道の雪量が少ないのである。
マンサクの木は、まだどれも裸木で、やっぱり花はまだだった。しかたない。
諦め、戻りかけた時、ちらっと花を見たような気がする。
(幻か?)と思いながら木々をじっくり眺め回す。

たった1本、まるで今日咲きはじめたような花をつけた木を見つける。
やはり、どこにでも早咲きの木があるものだなぁと嬉しくなる。
花よりも、まだ蕾のほうが多い感じである。うん、それでも良い。カメラを向ける。

今年はじめての花
とうとう今年もマンサクが咲いた。
舞鶴山のオウレンも、もう咲いてるかもしれない。午後、行ってみようと思う。

20329-10.jpg

20329-20.jpg

20329-30.jpg

20329-40.jpg

20329-50.jpg

20329-60.jpg

今朝の気温6度、晴


  1. 2012/03/30(金) 06:21:21|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

心情を伝える


27日午後8時、緊急地震情報が響いた。(あぁ来る!)と身構える。待つ間もなく部屋が揺れる。
(ううかなり大きな地震!)と思いながらテレビ画面を見る。M6.4という。岩手県沖が震源地で、震度5弱。
「天童の家」辺り村山地方が震度4。昨年の今頃は、この程度の余震が頻繁に続いてた気がする。

潮位に変化があるけれど、津波の被害はないという。被害の報告もない。交通機関も間もなく平常通りという。
女川原発、福島第1・第2原発も異常なし。
テレビに一歩先んじ、ラジオが通常番組に戻る。テレビも間もなく平時の画面にかわる。
(やれやれ)ホッとする。(あの揺れが震度4だったなぁ)揺れは、けっこう大きく感じたが、そこにはある種の慣れがあったか、慌てる気分がなかった。

どうしてそういうふうになったのか?分からないのだが、その後、夕食事のことが思い浮かぶ。

27日の夕方、妻のリクエストで、私も台所に立ったのだった。
先ずカブ漬の味見頼まれる。味見役は屡々させられることだから別にどうってことはない。
「旨い! ママ、上手く漬かってるよぉ」こころのままを素直に言う。少し唐辛子が効きすぎたようだが、それは問題にするほどのことではない。
畑から掘り起こしたばかりのカブだからか、甘みがあって、辛味もピリッとして美味い浅漬けになってる。
それを丼に盛って、食卓へ並べる。

次に、ヤーコンとごぼう炒めの味見。ヤーコンのサキサキ感と甘み、ごぼうのパリパリ感と香り、二つがマッチして旨い。
それも丼に盛り付け、食卓へ。
ガスレンジで焼き魚も焼いた。

次は、白石温麺を茹でる。「天童の家」では麺類が好きで、年中麺を食べる。27日もご飯と麺。(息子と私が麺好みなのである)
夏は冷や麦、冬はうどんとか温麺を温かい鍋で食す。畑でとれたネギを盛りたくさん入れた麺鍋が美味い。
「ネギは、きき役者だものね」妻の言葉に大きく頷く。
「雑煮ではゴボウがきき役者だが、麺鍋ではやっぱりネギがきき役者。麺にはネギがよくあうよなぁ」

「ご飯食べたけど、パパが盛ってくれた麺汁、おだつした」妻のことばに頷いた。
地震がおさまった後、寝床の中で、夕食時の会話を思い出してた。
「きき役者」、「おだつ」という馴染みない言葉にこだわっていた。

「きき役者」とは、主役ではないけれど、なくてはならない脇役とでもいえばいいのだろうか?
雑煮にゴボウ、麺にネギ、ライスカレーに福神漬のようなそれで、きき役者。
きき役者の「きき」とは、どんな字なのかなぁ 「効く」かな? それとも「利く」かなぁ?
きき酒のそれは、たしか「利き酒」だった気がする。

妻が言う「おだつした」とは、そこにあるもので すでに満足してるが、勧められ、いかにも旨そうなのでつい手がのび食べた。やはり美味かった! とでもいう意味合いかなぁ
標準語ではなく、この辺の方言だろう
「利き役者」、「おだつした」という言葉には、標準語にないこころにしみる素直で意味深なそれが伝わってくる。

なぜ、地震の後に、地震とは無関係なことを考えたのだろうか?
そのわけが分からない。けれど、そんなことにこだわったのである。
もしかしたら、晩酌に飲んだ銘酒「菅名岳」に快く酔ったためかも知れない。(笑)

*
今朝の気温3度、晴


  1. 2012/03/29(木) 06:26:18|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

「フクシマ」論


「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼 博 著 青土社 を読んだ。
この本は、2011年1月14日に東京大学大学院学際情報学府に「戦後成長のエネルギー---原子力ムラの歴史社会学」と題し修士論文として提出、2月22日に受理され、3月15日の修了の確定を待っていた。
年明けに論文をとめ、息もつかぬ間に3.11以降の事態を迎えた著者は、「こんなことになるのを予想でもしていたんじゃないか」と言われることもしばしばある。とあとがきに記している。

論文を書籍化する際、導入部の追加や全体にわたり最低限の加筆修正をほどこしたこの本は、毎日出版文化賞(人文・社会部門)に選ばれた。
3.11以降のそれは「福島からフクシマへ」という補章が加わっている。
論文を基本にしたそれは400ページを超えるもので、読み応えがある。

3.11以降、地震・津波・原発事故関係の書籍を11冊読んだ。
  「春を恨んだりはしない」震災をめぐって考えたこと 池澤夏樹著 中央公論社
  「災害がほんとうに襲った時」阪神淡路大震災50日間の記録 中井久夫著 みすず書房
  「三陸海岸大津波」 吉村 昭 著 文春文庫
  「科学と宗教と死」 加賀乙彦著 集英社新書
  「瓦礫の中から言葉を」わたしの<死者へ> 辺見 庸 著 NHK出版新書
  「犠牲のシステム 福島・沖縄」高橋哲哉 著 集英社新書
  「原発・放射能 子どもが危ない」小出裕章・黒部信一 著 文春新書
  「内部被曝の真実」 児玉龍彦著 幻冬舎新書
  「裸のフクシマ」 たくきよしみつ著 講談社
  「プロメテウスの罠」朝日新聞特別報道部著 学研パブリッシング
  「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 

もちろん、この他に文芸書や3.11以外の新書や文庫本も読んだ。
でも、振り返れば圧倒的に3.11関係本だった。
それらの本の中で、「フクシマ」論は、特異な内容で他を抜きん出て面白く読んだ。
その中から、2ヶ所を書き写すことにする。

  これまで愚かにも一昔前と同じ過ちを幾度も繰り返してきた私たちの社会は、福島をもまた忘却していくことは確かだろう。
  福島が一昔前のこととなったとき、そこに待ち構えるのは何ものなのだろうか。

  この「社会による忘却」とは、精神分析学的にいうところの「無意識」化とも換言できるかもしれない。
  無意識には、普段表出することのない性や暴力、目を背けたくなるような欲望が押し込められ抑圧されている。
  しかし、それは時に狂気と見做される症状として表出して長きに渡りその生を拘束することにもなる。

  本稿が分析してきたとおり、原子力とは戦後社会、あるいは近代日本の根底にあったものであり、しかし一方で見過ごされてきたものでもあった。
  原子力を現代社会が抱擁しつつ「無意識」へと追いやってきたものだと捉えるのならば、3.11はその狂気の表出に他ならない。
  私たちは、これまであらゆる角度から捉えられてきた可視的 であり分析可能性の高い社会にとって意識化された対象への注目と同時にいわば「社会無意識」と呼べるものをも意識的に視野に入れる必要があるのかもしれない。
          「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか 368ページ

  原発の危険性をあえて報じようとせず「安全・安心」の大本営発表を垂れ流す旧来型マスメディアへの批判は既にあり、それは今後も追求されるべき点であろう。
  しかし、一方で、圧倒的な「善意」「善き社会の設立」に向けられているはずの「脱原発のうねり」もまた何かをとらえつつ、他方で何かを見落としていることを指摘せざるを得ない。
  原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。
  そして、その圧倒的なジレンマのなかに原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごさされていることにこそ最大の問題がある。

  とりあえずリアリストぶって原発を擁護してみるか、恐怖から逃げ出すことことに必死で苦し紛れに「ニワカ脱原発」になるか。
  3.11以前には福島にも何の興味もなかった「知識人」の虚妄と醜態こそあぶり出されなければならない。
  それが、40年も動き続ける「他の原発に比べて明らかにボロくてびっくりした」福島原発を今日まで生きながらえさせ、そして3.11を引き起こしたことは確かなのだから。
           上掲書 372ページ

*
今朝の気温4度、曇


  1. 2012/03/28(水) 06:53:29|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

3日経って

上の2枚は、24日に撮ったさくらんぼ畑
そして下が、今日撮った画像である。

「籾がらくん炭」を撒いてあるので、その効果がぐんぐんと現れる。
雪が消えた畑には、ネズミ穴がいくつも見える。
ネズミ駆除のため、薬剤を穴に入れる作業をやる。

土中に埋めておいたカブが、かなりネズミに噛じられていた。
午前中、カブ掘りし、それが分かったので、午後、雪が消えたさくらんぼ畑を確認し、ネズミ対策をやる。

20324-03.jpg

20324-04.jpg

   20327-10.jpg

   20327-20.jpg

   20327-30.jpg

午後5時の気温8度、晴


  
  1. 2012/03/27(火) 16:55:32|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

3月はまだ冬


暦上では、3月は春だろうが、みちのく山形では冬のそれからなかなか抜け出せない。
彼岸が20日で、それまでは冬で、それ以降が春と云えなくもないが、それでも今年はまだまだ冬の3月だった。季節、気持ち的には「春」なのだが、実際はまだまだ冬の続きというべきだろう。

そういう意味では、3月は卒業と重なって冬へおさらば、そして4月が新しい気分で入学や入社と気分も新たに春がはじまる。
みちのく山形の季節は、そこらへんが妥当なところかもしれない。
今年は特に雪が多く、3月はまだ冬の季節と言えた。そのへんをもう一度、画像を見ながら確かめてみる。

春が近づいてくる足音は日毎にはっきり聞こえてくる気がする。
特に彼岸以降は、雪降りの日もあったけれど、降雪はすぐ消えてなくなり、それ以前に降り積もった雪の嵩も日毎に減っていくのが分かる。
残雪をいえば、4月に入っても日陰にはまだ残ってる。だが、残雪の有無でなしに、光が春のものであるのがはっきりと感じられる。吹く風もまちがいなく春風となる。


矛盾した(というより混乱)書き方になるが、ここしばらく連日春の雪が舞う。
特に昨日などはめまぐるしく天気が変わった。陽がさしたかと思うと吹雪きになったり、まったく気まぐれ天気。
今朝もうっすらと雪が積もる。
でもさすがに陽がさせば降った雪はすぐ消える。気温が温かくなっているからだ。

3月も後4日、間もなく4月。
4月になれば、もうまちがいなく春がくる。

20324-10.jpg

20307-20.jpg

20301-10.jpg

20217-10.jpg

20208-50.jpg

20207-40.jpg

今朝の気温1度、晴


  1. 2012/03/27(火) 06:51:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

3本勝負


「天童の家」では毎年干し柿作りをする。自分でいうのもなにだが、けっこう美味しい干し柿になる。
干し柿の大半は、友だちにあげる。楽しみに待っている方々がいるので、毎年1000個近く作っている。
昨年は、1000個以上吊り下げ、美味しく出来あがるのを待った。

ところが、雨続きでうまく乾かないうちにカビが生じた。
慌ててアルコール処置し、どうにか干し柿が出来あがったけれど、大半がきれいな干し柿にならなかった。
「パパ、今年は送るのをやめよう。やっぱりきれいなのを送りたい!」妻の意向に否やはない。
というわけで、大量の干し柿が冷蔵庫入し(冷凍)、それがこの冬のお茶うけになった。

朝食後の喫茶時に5個(母1・妻と私2)、昼食後に4個(妻・私各2)と1日に9個づつ食べる。
カビの処置で、多少は色づきがわるいけれど、味はむしろこれまでで最高といえる文句なしの美味。
豊富な糖分が干し柿表面に抽出し、いわゆる白粉をふいて、いかにも干し柿らしい。

どうにか友だちに送れるかなぁと思うものは、別に小袋で保存してた。
そのほとんどが、風呂場改修時、職人さんたちの休憩に、お茶うけとして出し「美味しい!」と喜ばれた。
とはいえ、家族で食べられる数は多く、毎日9個ずつ食べても90日近く食べ続けられるとは”幸福”そのものであった。(笑)

その干し柿が、25日朝で、残りが4個になってしまった。
食後の喫茶で、母に1個やり、妻と私が1個ずつ食べる。
最後に1個だけが残った。
「ママ、食べたらいい」と男が残った干し柿を指して言う。
「パパの分よ」女が言う。
「ママのだ」、「パパが食べたら」と互いに譲らない。(笑)

「勝負しよう! ジャンケンで勝った方が食べる」男の申し出に、「3本勝負で決めよう」女も承知する。
1本目 女はチョキ 男がパー
2本目 女はグー  男がパー
へへ これで1勝 1敗、3本目が勝敗の分かれ目

こうなったら意地である。勝負に勝たねば男がすたる。男は秘策を練る。
女も目をつむって長い思案。
3本目 女はパー  男がパー 
なるほど、そう読んだか! 

3本目の2 女はグー 男がパー
「パパ、そんな、まさか今度こそはパーではないと考えたんだけどなぁ」と女がのたまう。
っふふ 勝負あり! 男2勝1敗で干し柿を手にする。

男、干し柿を手に入れ、??と思う。
勝った方が食べる、のではなくて、負けた方が罰として食べる、というのがセオリーではないのか?(笑)
まぁ、それはどっちだっていい。干し柿を手にし、男は小皿に置く。

「パパ、どうして食べない?」
「あぁ、食べるも食べないも、勝者の権利! これは昼食後に食べる」
「ふ~ん」女はなんだか空気の抜けた風船のような顔つきでいる。
男としては、昼食後の喫茶時に、女と半分に分けて食べようと思っているのである。


へへ、なんとも締まらない、バカ丸出しの愚行だと思う。
でも、他人さまからなにを言われようと、やってることは事実だし、それで楽しんでいるのだから、なにおかいわんやであろう。
っふふ 67女、72男 こんなことでほんとにいいのだろうか?と思いながらも息災に暮らしている次第である。
*

今朝の気温3度、春の綿雪 ゆっくりと静かに降ってくる


  1. 2012/03/26(月) 06:41:58|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

再 掲


以下は、「天童の家」昨年3月27日ブログの再掲である。

   たいせつなこと
暇さえあれば、3.11関連の放映を見ている。語弊があるのを承知で言えば、見飽きないのである。災害以外の番組も少しずつ増えている。選抜野球もちらっと見たりする。が、いつの間にかまた震災のそれに目がいく。
そして 思うのは、惰性的ともいえるあまり変わり映えのしない毎日の暮らしが、なんとも(たいせつなことなんだなぁ)という 感情がじわーっとわいてくる。
うう、なんとも次元の低いことと笑われるかも知れないが、それが正直な実感である。

2月頃に読んだ、池波正太郎著「その男」(二)文春文庫にも、そのような記述があった、とページを開いてみる。

  「おもえば、礼子と暮らしておりました約一年半の間、私は時勢のうごきなど、まったく気にかからなかったもので......。それは、いろいろと耳へ入ってくることもございましたが、もう右から左へ筒ぬけというやつ。
  ま、どちらにせよ、夫婦・親子の和やかな家庭の暮らしというものが人間には、いちばんたいせつなことなのでしょうけれども、天下の移り変わりというものは、同じ人間たちがかかわり合っていることながら、これは別ものなのでございますね。
  天下の政権をうばい合う。それがためには双方がちからのかぎりをつくして叩き合い、たがいに叩きつぶし合おうという......そのためにはもう、ささやかな庶民の暮らしなどというものが目に入らなくなる。
  前にも申しあげましたが......人間という生きものは、つまるところ、男と女がいて、子が生まれる。食べてねむる場所があって、日々を送る。これだけのことなので。
  その、人間はほんらいの有様というものが、わかっていながらわからなくなってしまう。これが政治であり戦争であるのでございましょう。
  そして、こうしたことを人間たちは、飽きもせずに、むかしむかしからくり返してきているのですね」
                                   「その男」(二)131ページ

「人間という生きものは、つまるところ、男と女がいて、子が生まれる。食べてねむる場所があって、日々を送る。」
本から、なにか教訓めいたものを得ようとは思わないのだけれど、上のようなフレーズにであうと、やはり心深く刻まれるようである。

3.11大震災により、「食べてねむる場所」を失った多くの人々の難儀をみていると、あらためてそのことを強く思わずにはいられない。
外は雪で、寒い。けれど、家の中は温かく、安穏のテレビを見ていられる。変わりない日常の暮らしが、ね なんとも ありがたいなぁと強く思える。
「食べてねむる場所」は、とてもたいせつなことなのである。いまだにこんなことを言ってと笑われようが、そういう思いが 脅迫的に浮かんでくる。


次も翌28日にアップしたものである。
リンクすればいいかなぁと思ったけれど、再掲することにした。

   回復ピッチ
娘から「1時間ほどで詰められた。これから買い物してくから、少し遅くなるかも...」との電話がある。1時間とは、もちろんガソリンを詰めるにかかった時間である。
近所のKさん(妻の従姉妹)から「2時間かかったけど満タンしてきた。買い物に行くなら、乗って行かない?」との誘いの電話もある。
日曜(27日)で、みんな明日からの通勤などのために注油に並んだのだろうが、先日のような 5時起きしてとか、4時間以上も並んだという状態ではなくなったようだ。

寸断されていた道路も通れるようになって、ガソリンや灯油などが運ばれて来るようになったようだ。
彼岸のお参り、ガソリン欠乏で行けなかったのだが、いつまでも行かないのも気になって出かける。
途中、ショッピングセンターでいつも買っている品物を買い物篭に入れる。だいたいの品は揃っているが、それでも棚は空が目立つ。「食べる煮干し」は買えなかった。

また、ガソリンスタンド近くでは、並んでる車の列が長く続いてる。はやり1時間ないしは2時間くらいはまだ待たなければならいのが分かる。
午前中に散歩したスーパー農道の交通量も少なく、南進車両は2台、北進は5台とまだいつものそれにはほど遠く、閑散としたもので、やはりちょっと寂しい気分。
大地震から16日(27日現在)が経ったけれど、人々の行動はいまだに抑制されているのが実際だろう。

はじめに娘の家へ行く。孫の卒業祝いを約束していたが、ガソリン欠乏で行けなかったからで、1週間遅れで約束を果たす。
孫は、卒業証書を広げて見せてくれる。被災地の卒業式がいろいろと放映されて。孫たちのそれは18日で、例年通りの式だったようだ。
娘の家も被害はなく、みんな元気だった。3人の孫のいちばん下の敬君が、小学校を卒業し 4月から中学生になる。彼にとっても今回の地震は忘れがたいものとなろう。

次いで、実家へ行く。義姉が地震の怖かったことや、縁戚の被害状況、また知り合いの人々のいろいろな状況を話す。
それを聞きながら、第二次世界大戦時の戦争疎開を思い浮かべる。あの時も何人かが実家のある田舎に疎開してきたのだった。今回のそれは、戦争疎開とは違うけれど、疎開は疎開である。
津波や原発による疎開が、身近な山形にも行われているのを知る。疎開は、する方もそうだが、受け入れる方のたいへんさがある。
疎開先でだいじにされるありがたさを知る人もいるが、逆に、ね 人間の冷たさ、非情さを味わう人も少なくないだろう。

3番目に次兄を訪ねる。
知らなかったことだが、今日が次兄の誕生日だという。十歳ちがいだから82歳。
「運転免許証を返納した」という。兄夫婦はかなり迷ったらしいが、「事故を起こしてからでは遅い」という息子の意見に従ったという。
賢明な判断(決断)だと 私の考えを伝える。兄の歳まで生きられないと思うが、もしそれまで生きられたら、私も免許証更新をしないつもりである。

兄のそれと、震災の話は、なんのつながりもない。けれど、なんとなく通底するなにかを私は感じた。
「運転できない不便さはたしかにある。でも、運転しなくても、ね 寝るところがあって、食べられ、毎日暮らしていければ、それでいいのではないかなぁ。津波に遭った人たちは、その寝るところ、食べることに難儀してる」
「そうだなぁ、お前の言うとおりだ。車などなくても死ぬわけじゃない。この歳まで生きられたのだから、感謝してる」兄のことばに、大きく頷く。

今日はいったい何を書こうとしたのか...... 身の周りに、ね 予想もしないことがらがおきている。想定外のそれに戸惑ってる自分。
錯覚の余震はおさまりつつあるが、3.11地震のもたらした影響の大きさにたじろいでいる自分を覚える。
一応は「まけるな日本・がんばれ日本」などと息巻いているが、うう こころよわい自分がうろうろしているのを感じてるのである。


あれから1年が経った。
今3.11を思うといろいろ書きたいことがある。
なのに、どう書けばいいのか迷ってる。

3.11の影響を大きくうけている自分をどう表現したらいいのか?
迷っている。

20324-10.jpg

20324-20.jpg

       20324-30.jpg

今朝の気温1度、曇


  1. 2012/03/25(日) 06:32:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

効果あり

「パパ、さくらんぼ畑に行こう」妻が誘う。
先日撒布した「籾がらくん炭」の効き目を見せたいという。
「よし!カメラを持ってこう」
昼食をゆるりと済まし、風もないので出かける。

ほんとに狭い畑に植えてあるさくらんぼ
ままごとみたいな農業だが、楽しんでやっていることは繰り返し書いてる。
残雪を少しでも早く消し、土を温め、開花を早くさせたいと黒い灰を撒いた。
その効き目が現れたので、ぜひ見てみろと言う。
妻の誘いは、断るわけにはいかない。(笑)

さくらんぼ畑に着いて、正直驚いた!
周りがまだ真っ白い残雪がうずたかいのに、「籾がらくん炭」を撒布した所は、土が見える。
「あぁ! ほんとだ。効き目があるんだなぁ」
「そうでしょ パパに見せたかった」
「さすが ママだなぁ」

絵になる光景ではないけれど、迷わずにカメラを向ける。
妻の仕事をこころから褒めてあげたいと思った。

20324-01.jpg

20324-02.jpg

20324-03.jpg

20324-04.jpg

午後3時半の気温6度、晴



  1. 2012/03/24(土) 15:30:50|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

春待つこころ


昨年は3.11があって、春の訪れが遅く感じられた。実際にもさくらやさくらんぼ等の開花が例年より遅く、その影響がずーっと秋まで尾を引いた。
今年は豪雪で、やはり春のくるのが遅く感じられる。
残雪のようすやネコヤナギの花などを見比べたところ、そう大幅に遅れているのでもないようだ。
待つ気持ちが大きいほど、どうも遅く感じるような気がする。今年は3,4日か1週間の遅れかなぁ

暖かい地方から梅など春の花が咲いた便りを聞く(画像を見る)と、なんとなく(今年の春は遅い!)と思ってしまうから可笑しい。
天気がわるいとそうでもないのだが、春の日差しがさすとさすがに落ち着かず、ついカメラをもって出かけてしまう。
昨日も庭のネコヤナギを撮ったあとに、それだけの画像では物足りない気分で、川原へ出かける。
しかし、川原のネコヤナギは、まだ小さく硬いものだった。

散歩道(サイクリングロード)にもまだ残雪がかなりあって、歩くには不向きだ。
マンサク、ユキワリソウなどを思い浮かべたが、とても生えてくる状態ではない。
しかたないから、その残雪風景を証拠写真として撮った。(笑)

焦ってもどうなるものでもない。早晩、必ず春はやってくる。
それは承知しているのだが、へへ やっぱり(早く来ないかなぁ)と思ってしまう。
雪国の春は、一気に、爆発するようにやってくる。その春がいい! 百花繚乱、一斉に花開く。
あの春は、やはり雪国だから見られる春だろう。

20323-20.jpg

20323-a.jpg

20323-b.jpg

20323-c.jpg

20323-30.jpg

今朝の気温1度、小雨


  1. 2012/03/24(土) 06:39:00|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

辛気くさい話

彼岸なので、実家へ行き 仏前に額づく。
長兄は、両親と共に額縁に入って並んでる。80まで生きたのだから格別に言うこともないのだが、兄弟の死は他人ごとではないと思う。
義姉といろいろ話をする。10歳年上だから82歳だが、見た目にはまだまだ丈夫なものだなぁとみる。
しかし、身体は正直で(笑)、歩行が不自由で、お座りができない。要するに下肢にガタがきているのである。加齢と共に、身体は確実に弱ってくのは しかたながない。

次いで、次兄の家へ。
彼は、10年歳上である。雪消しをしながら庭木の剪定をしている。
糖尿病が持病で、歳相応に老いが見える。それをどうこう言う気がしない。
兄は、80歳の時に運転免許を返上した。それを悔いるというのではないが、やはり「不自由だなぁ」と強く感じるという。
さもありなんである。自分も、もし80まで生きたとしたら(笑)、たとえ不自由だろうと免許返上を考えてる。
ただ、80まで生きたい気分がないから、あくまでも仮定の話だから、現実感がない。

実家と次兄の家での話では、やはり豪雪のこと、老いと生のこと、そして 3.11に話がいってしまう。
兄たちの地域でも、地震や大洪水などの際の避難場所、あるいはそれへの具体的な対応策が明らかになったという。それはわるいことではないなぁと思う。
これまでが、あまりにも自分たちには起こりえないこととして無関心であったのだ。
いつかも書いたけれど、生きてるとは常にリスクを伴ってることを承知し、いろいろな危難に遭遇した際に対応すべきことを予め考えておくことがだいじであるだろう。

そして、現在 大きな差し障りもなく、毎日を平穏無事に暮らしていけることがとてもありがたいことだとお互いに確認できたのである。
次兄は10歳上で82である。誰が見ても老いたと思う姿である。先は長くないだろう。しかし、兄はそれを承知しながらも意外に明るい。
そのようすを眺めながら、(偉いなぁ)との感慨がわく。自分にはとうていあれほど明るくいられないだろう。
っふふ、なんだか今日も辛気臭い話になってしまった。

「暑さ寒さも彼岸まで」光も空気もまちがいなく春のものだ!
さくらんぼ畑に、先日撒いた「籾がらくん炭」の効果を確かめに行く。
「パパ、やっぱり効いてる。もう土が出てる所がある!」妻の弾んだ声が響く。

*
今朝の気温5度、晴


  1. 2012/03/23(金) 06:31:00|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

ままならず

21日、春の雪が舞う。
訊ねたいことがあって kさん宅を訪ねる。午前9時にアポイントメントをとり妻と二人で行った。
kさんとは友人つきあいだから、アポとる必要はなかったのだが、ぜひ聞きたいというか、相談要件なので事前に伺いをたてたのである。

直ぐに用件を話しだせばよかったのだが、先ずは差し障りのない世間話をはじめる。
ところが、いよいよ肝心の話をしようとしてたら、kさん近所の人(Jさん)がやってきて、用件が後回しになる。それはしかたないことだ。
Jさんを交え、5人で世間話に花が咲く。それはそれなりに楽しい時だっだ。

そこへ今度はkさんの同級生(Hさん)が訪ねてくる。
先にいたJさんが、Hさんと交代する形で帰られる。
今度はHさんを加えた5人でまたまた話が弾む。

Jさんとのそれは30分ほどだったろう。
Hさんが加わってからは、ゆうに40分は過ぎてしまう。
妻と二人でkさん宅に居てから1時間あまりが経っても、なかなか肝心の用件が話せない。
とにかく他の人には聞かせたくない用件だから、Hさんの帰るのをじーっと待つ。

kさん宅に行ってから、じりじりと時間が過ぎ、時計はすでに11時になろうとしてる。
Hさんが帰る気配はない。
kさんの家に訪ねた用件をきりだせないまま、私は諦め、妻に「帰ろう」と促す。
妻も頷いて、2時間いたkさん宅を11時に辞去する。
なんだか納得できない気分が残る。(笑)

世の中だから、こういうこともある。


下の画像は、5日間かけてやった書斎片付け、ようやく完了の証拠写真(笑)である。
書棚は、全部処分してもいいかなぁと思ったけれど、少しさみしい気分もあり、それとなお恰好つけたいそれもあって、お飾り的にわずかの本を残した。
紐で十字に縛って出した書籍類は、トラック1台分になった。
「ずいぶんとたいへんな仕事だったでしょう」回収業者は笑顔で慰めてくれ、ご褒美としてトイレットペーパー18巻をくれた。

長年、後生大事に書斎を飾ってくれた(笑)書籍たちが、わずか18巻のトイレットペーパーと交換になった。
なんだか書籍たちに(済まないなぁ)との気分がわくのを覚える。

それにしても、書斎のなんと広く、すっきりしたことか!
(うん、これでいいのだ!)と自分に言い聞かせ、納得する。

20321-10.jpg

20321-20.jpg

20321-30.jpg

20321-40.jpg

20321-50.jpg

今朝の気温3度、晴


  1. 2012/03/22(木) 06:32:11|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

想いが届く


Tさんは、別府の方である。
Tさんとはネットで知って、以来ずーっと友人としておつきあいいただいている。
先年には、阿蘇からまわって別府でお会いし、楽しい時をすごせた。

Tさんのメールに次のように書いてある。
   今、エコバック作りにはまっています。
   仲間の一人が素敵な籠を持っていましたので、教えていただき 全員ではまってしまいました。

ということで、実はTさんのブログで毎日素敵なエコバックを拝見している。
(あぁ、できればこんなすてきなのを妻にあげたいなぁ)と思っていた。
ところが、私の思いが届いたようで、念願のエコバックが今日届いたのである。
もちろん、Tさんに願ったわけではない。
南国の光をいっぱいにうけた真っ赤なトマトも一緒だった。

Tさん ありがとうございます
妻がとても喜んでおります

     20321-70.jpg

       20321-80.jpg

午後2時の気温5度、晴


  1. 2012/03/21(水) 14:08:12|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

ストレスの捉え方


彼岸の中日、寺では勤行が行われる。寺の世話役だけでなく門徒衆も多く集まる。
勤行の前に、住職の話があった。住職は産業医でもあるから、ふだん仕事場で使ってるスライド映写を用いての話は少しも抹香くささを感じない。
「ストレスに囲まれても健康で暮らせるには」という日常生活で役立つ話だ。次に、その話の中身を書くことにする。

リーマンショック前後のサラリーマン事情
  *リーマン・ショック(Lehman Shock)とは
   2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資 銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻した出来事を、
   これが世界的金融危機(世界 同時不況)の引き金となったことに照らして呼ぶ表現
                   Wikipediaより
リーマンショック以前は、長時間労働で時間外手当が多額だった。
リーマンショック以後は、短時間労働で時間外手当がなくなった。

Aサラリーマンは、以前の状態を、過酷労働で、時間外労働がとてもきつくて「たいへんだった!」と思った。
Bサラリーマンは、以後のそれを、所得は少なくなったが、家族と過ごす時間ができ「良くなった」と思った。
同じ状況に立ちながら、AさんとBさんの認識がちがってる。Aさんは「たいへんだ」との気持ちが勝ってた。一方のBさんは「良くなった」という方に気持ちがいく。

「良いこと」「嬉しいこと」「楽しいこと」に目を向けるか、それとも逆方に心が向くかでストレスの荷重が違ってくる。
前向き、プラス方向を見ることでストレスはちがった働きをする。
プラスを見つける練習をすることで、自分が変わることができる。

マズイ、ダメという言葉を使わない。良いことを見つける努力をする。
例えば、マズイ蕎麦屋でソバを食う。でも、決して「マズイ」とは言ってならない。(笑)
すると、ソバ以外の蕎麦屋の調度とか器、店の雰囲気とか接待の良さが見つけられ、それを口に出す。そういう練習もしてみる。

雪国でない所で育った人が、「雪国で春の喜びを知った!」と言う。
季節、景色を見る自分の見方が変わった、という発見、または啓蒙の喜び。
長所、美点を探し、言葉で言うことで、自分の意識が変わり、ストレスのあり方(バランス)が変わる。

粗大ごみになれる能力、忘れられる能力、遊べるという能力、マイナスだけでない、それらにはプラス能力があることを知ることもだいじ。
なにもしないでいられる能力、それも大きな力。ストレス・バランスを考えたらいい。
(ストレス・バランスについての詳細は割愛する)

話を聞きながら、(あぁ、やはり精神科医師だなぁ)と思うし、また住職の話でもあるなとも思った。
話は、「天童の家」でも時々とりあげる交流分析のストローク技法のそれと同じだなと嬉しくなった。
お寺で聞く話だが、堂内には時折どーっと大きな笑い声がながれ1時間の話があっと思う間に過ぎた。

彼岸に、寺のお堂で勤行をやり、帰りにはお土産(供物)のお餅までいただいて帰宅した次第である。

*
今朝の気温1度、晴 今朝も春の雪が舞う


  1. 2012/03/21(水) 06:47:26|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

春分の日に雪


20日の朝、カーテンを開けると雪が積もってた。春分の日に雪は、そう珍しいことではない。過去に幾度も降雪をみている。
「春分の日」の休日を利用し 春の海を見に行き、その帰途、月山道を越すことができず、余目経由で遠回りしながら戻ってきたことがある。
また太平洋の春の海を楽しんでの帰途、関山峠の雪道(R48)で難渋したこともある。
もっと極端なことを言えば、4月にはいってからでも降雪があるのだから、3月のそれはそれほど驚くことではない。

とはいいながら、春分の日の雪は、やっぱり目立つ、というか 特別に珍しく、驚くほどではないけれど、(ほぅ 今年も春の淡雪になったか!)と思う。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、冬は彼岸で終わり、それ以降は春の気分が強くなる。
昨年の春も遅かった。3.11があったから特に遅い春を意識している。

「天童の家」で春を告げる花たちを昨年アップしたのは23日だった。
フキノトウ・フクジュソウ・クロッカス・ネコヤナギ等を撮ったのが22日である。
今年はまだ残雪があって明日(22日)の開花はムリである。
このままの移り具合なら、今年の春も遅れるのだろうか?

さくらんぼ畑に「籾がらくん炭」を撒布し、消雪促進を試みてるのだが、はたして効果があるのかどうか?
昨年に続いて、今年も色づきが遅れるのだろうか? うう、?記号が続いてしまうなぁ(笑)

今日(20日)は、彼岸の中日恒例の「勤行」があり 寺へ行く。
勤行の前に、住職の話がある。震災の影響、大雪、経済的な不透明感など、明るい話題の少ない毎日の暮らしの中でさまざまなストレスに囲まれている。そうであっても健康で生活できるような話であった。
ちなみに住職は、精神科医師でもあるから、住職でも抹香くさい話とは限らないからありがたい。

春の淡雪は、数センチ積もったのだったが、春の日差しをうけてたちまちにとけてしまう。
それでも長い時間かけて降り積もった残雪は、淡雪のようには消えることがなく、時間をかけて融けてく。
三寒四温 春の季節は、それでも確実に近づいてきてるのが感じられ、嬉しい。

*
午後5時の気温1度、曇


  1. 2012/03/20(火) 17:07:03|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

証が必要なのか


書斎片付けをやって5日目、ほぼ90%が済んだ。後は、机2つの上を整理整頓すれば完了である。
2.8m×4.7mの空間が額面通りに広くなって感じられるから面白い。十何年ぶりでの片付けである。
作業しながら、昨日もちょっとふれたが、「時間」とか「人生」などふだんはあまり考えないようなことも気になった。
その時々に関わったできごと、あるいは旅先での記念撮影、または書き綴った文などを見たり読んだりしながら、あれはいったいどういう意味だったのか?とか、その時はそういうふうに考えたのだなぁなどの想いに耽ったりしながら「時間」という不思議なもの(こと)、そういう中での自分の行動や位置を通し「人生」とは何?なのだろうなどと考えたりした。

具体的なことを書けば、例えば、人はなぜ写真を撮ったり、文を書いて保存するのだろうか?と考えた。
自分で書いた文章をコピーしファイルに収め保存する。その量が75冊にもなってる。1冊が40袋だから1冊80ページである。75×80=6000ページと膨大な量である。

デジタルカメラ以前のフイルムカメラで撮ったフイルムもネガ、ポジ合わせ、その量も自分で驚くほど撮って、保存している。アルバムも32冊。

書籍は、棚に収まらないで床にまで積み上げ、書斎が狭くなってしまう。
なぜ、記録し、それを保存しておくのだろう? 片付けにうんざりしながら考える。

昔、親しい同僚の家が火事になってすべてが灰になったことがある。
「いちばん切ないのは、写真が燃えて無くなったことだなぁ、なんだか過去の人生がなくなったようで、さびしい」としみじみ語るのを聞いて、(自分のルーツを証明するようなのが写真なのだろうか?)と強く思ったことがある。現在の自己は、過去の積み重ねの上に存在するのだとも考えたりした。
そういう意味で、その時々に関わったできごと、それをあらわす写真や文や、その時に読んだ本などは、やはり保存しておきたい欲求が生じるのだろうか?

よく分からない。
今回の片付けで、下のようなものを目にした。賞状や卒業証書等である。このようなものが何か役立つというのだろうか?
妻は、「捨てる!」というけれど、しかし、今日まで何十年間も保存してきたから、現在もあるのだ。
保存していても特別に役立つものではない。それでも捨てずに保存してきた。似たようなことは私にもたくさんある。

書斎が狭くなるほどの本、雑誌類、あるいは旧式で使わなくなったカメラが10台近くをカバンにしまって保存してた。もう二度と使用しない物なのにである。
ある時間の中で生きる人生、生きた時々に関わった物や文や思い出を「形のあるもの」に託して保存しておく。
それには、はたしてどんな意味があるのだろう?

今回、大量のものを処分した。けれど、それだからといって私の人生から失われたものはない、と感じる。
なのに、これまでどうしていろいろなものを保存してきたのかなぁ
生きた、生きてきた、という証が必要なのだろうか?
なぜ?

時間は曲者である。
時が経てば、記憶は薄れてしまう。
いろいろな思い出が、時間とともに消えてく。

過去の人生なんて、誰のであろうとなくなってくのかも知れない。
......もしかしたら、違うかなぁ

今がいちばん幸せ、そう言える、そう思える人生がいちばん幸せなのかも知れない、と思うのだが
今がいちばん幸せなら、過ぎ去った思い出などなくてもいいような気がする。
今がいちばん幸せなら、それ以上なにも望むことはない。
でも、それでいいのかなぁ?

20319-10.jpg

20319-20.jpg

今朝の気温0度、春の淡雪


  1. 2012/03/20(火) 06:47:41|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

部屋片付けながら


書斎片付けをして思うのは、時の流れである。
本、雑誌、コピーファル、パンフレット、アルバム、スケッチブック、マニュアル(リファレンス)等々が混在して出てくるのを手にし、(あぁ、こんなものがある、あんなこともあったなぁ)と思い出す。
いちばん時の流れを実感するのは、やはり写真アルバム(現像フィルム・プリント画像)である。

たいていの写真には、撮影日付がついてる。
時間が、人の姿をこんなにも変化させるのかぁと驚く。「百聞は一見に如かず」であることを画像がなによりも雄弁に語っている。
1990年以前の写真はアルバムに比較的きちんと収められている。見慣れているせいか(若かったなぁ)と思うけれど、驚きの感情はない。

ところが、どういう訳か知らないが、1900年辺りを境にアルバムに貼られない写真が多くみられ、今度の整理整頓で多数の写真が出てくる。
それを見ると、(こんなに若かったの?!)と驚くのである。
中には、そいう写真に写っている場所へ行った記憶さえ定かでないのもあり、記憶の欠落そのことへ対する驚きもある。

その時代をどう生きたのかという記憶が全然ないわけではないが、かなり曖昧というか、あやふやなのだ。
それはいったいどういうことなのだろう。記憶に残るような大きなできごとがなく、毎日が平穏無事、平々凡々の暮らしだったのだろうか?
それとも記憶に残せないような? なにかいやな生活が続いたのだろうか?
遡って、思い出そうとするのだが、記憶として甦るものがないのだから、なにも思い出せない。(苦笑)

撮影年月日が分かる写真を眺め、この年に、ここへ行ったのだなぁと今さらながら思うだけで、行ったという実感がわかないのも不思議なことである。

「90.07.21」の日付がある写真が出てきた(下の画像3枚)。写っているのは、猪苗代湖での妻と私である。
が、妻がこんなにもスマートであることが信じられない!し、また自分の姿もウソっぽく見えてならない。(笑)
現在の自分たち(下の画像2枚)と見比べれば、いくら22年前の写真といえども、信じがたいのである。
「時間」とは、ほんとうに無常だなぁと思う。無常というより無情だというべきか。
身体全体がぶよぶよと膨れあがって、我ながら自分の無様さが堪らない。
これはなにも時間の責任などではなくて、自身の不摂生以外のなにものでもないのは承知している。
それにしても、22年という時のながれは如何ともしがたい。

72年間、生きてきたということは、いったいどういう意味なのか?
乱雑な部屋を片付けながら、ふとそんなことを考えてしまう。
22年前の妻は、うう スマートだったなぁ
自分の出っ張った腹をさすりたくなる気分を抑え、なおも(時間って無情だなぁ)と思う。いや、無常というべきか......

20318-10.jpg

20318-20.jpg

20318-30.jpg

↓ 昨年秋 月山と栗駒(下)で

10926-j.jpg

11005-04.jpg

今朝の気温1度、曇


  1. 2012/03/19(月) 06:39:05|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

入試結果発表


真ん中の孫 克行君の公立高校入試が10日に行われたことはすでに書いた。
私立高校も受験し、すでに合格通知を受けとっている。でも家族と本人志望は公立高校の方である。私立は、いわば滑り止め。
10日の受験終了後、「天童の家」へ寄った。克行君本人の手応えは、まぁまぁ良かったようで、娘の質問に笑顔で応えている。
面接試問もあって、「中学ではサッカーをやりました。合格したら サッカー部へ入りたいです」と答えたのだと笑うのを眺め、(合格するようだな)と思った。
そういう判断をする自分を、(大甘だなぁ 親バカ丸出し、イヤ、じぃじバカだなぁ)と苦笑したのだった。

16日、中学校卒業式。
17日、公立高校入試の合格発表日。

17日午後4時、克行君から電話がはいる。
「合格しました。お世話になりました。ありがとうございます」
おめでとうを言ってから、妻へ受話器を渡す。妻の弾んだ声が、書斎に響く。
(良かったなぁ)とホッとする。やはりちゃんと発表を確かめるまでは不安がある。もし万が一ダメだったら何と言おうか考えたりしたのだった。

5時過ぎには娘からの電話もある。親としての気苦労に「ご苦労さん」、また合格に「おめでとう」と言う。
妻もまた、私以上に喜びをかくさないで話している。
克行君と同じ学校から23人が受験し、10人が不合格だったそうな。なかなか厳しい入試だったのだなぁ。

18日、午後から娘たちが「天童の家」へやってくるというので、克行君の合格祝いをすることにした。

「パパ、そろそろ買い出しに行こうよ」妻が、腕によりをかけ、なにか美味いものを作ってくれるようだ。
ギョーザ、グラタン、ピザが並ぶのだろう。
あま酒で乾杯となるようで、ストーブ上の鍋からはあま酒の香りが漂う今朝(18日)の食堂である。

*
午後6時の気温5度


  1. 2012/03/18(日) 18:13:11|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:8

「感性」がすべて

寒い日や天気がわるい時は、畑へ出ずに、書斎の片付けをやっている。
その進捗がはなはだのろい。片付け作業よりも手にしたその中身を読んだり、その思い出に耽ってしまうからである。
10年あまり前、定年退職後に一度大整理をやったことがある。半分近くの本類を処分し、書棚も整い、室内空間も広がって、少しはすっきりしたかなぁと思った。

退職後は、年金生活になるのだから、本はできるだけ買わずに、図書館で読もうと考え、実行した。
だが、いつの間にか図書館から足が遠のき、また書斎に本がたまっていったのだから、なんとも始末にわるい。意志薄弱なのだろう。そのうえぐうたらで、図書館へ返本しに行くのが面倒に思うのだから救いがない。

他人の目さえ気にしなければ、乱雑というのは特別わるいことではない。
むしろ、ある種の豊饒さを感じさえする。ここに宝物が埋まってあると思えば、とても豊かな気分になる。(と笑)
うふ、無精者にはそれなりの理由があるものだ。

だが、それはあくまでも自分だけの価値観であり、他人さまには分かってもらえない。
持ち主がいなくなり、その品物(部屋)を整理する者には、なんとも迷惑な仕事を残してくれたと慨嘆することだろう。
そうだとしたら、やっぱり現在の所持者が整理しておくべきだとはじめた後片付け作業なのだが、なんとも時間がかかる。

先日は、仕舞い忘れた画帳を見つけ、「天童の家」へ拙い画像を並べた。思いがけないさまざまなコメントをいただき嬉しかった。想定外の喜びだった。
書棚前のそこを片付けてたら、また画帳が出てきた。うふ 二匹目のどじょうを思った。
どじょうでもふなっこでいいじゃないか、と再びアップすることにした。

実を言えば、コメントでお馴染みの「ころ」さんのブログで、「これだ!」と共感する文に出合ったのである。   
http://otk01.blog111.fc2.com/

以下は、「ころ」さんのそれから拝借したもので、自分の考えてるそれと一致(合致)する良い文で、ぜひここで読んでもらいたいと思ったのである。
リンクをはればいいのかなぁとも考えたが、ページ全体の体裁とか、画像との塩梅を思うと、リンクではなしに拝借することにした次第である。


「感性」がすべて

写真がうまいって?
写真がうまいって何だろう?。
というコラムを読んだ。
この「写真」をそのまま「絵」におきかえても全く同じことが言えるので「絵」に置き換えて読んだ。

*******
何を基準にうまいって言うのだろうか?
写真にうまい、へたということばは不適切。

写真は技術も大切だがそれよりもっと大切なのは『自分が持っている感性』である。
そして感性は一人一人違っている。
そう考えると「写真がうまい」と言われても今ひとつピンと来ない。
「感性」に上手も下手も無いからだ。

唯一つ「写真がうまい」といわれる人はカメラやレンズのことを熟知して、普段人が見ない目線や人とは違った表現が出来る、レンズ、フレーミング、そして露出を選んでいる。
ここが一般に言われる「写真がうまい」ということなのだと思う。
だとすれば誰でも写真がうまくなれる。
カメラやレンズのことを知りそれなりの実践経験を積めばいいから。
勿論それなりの時間は必要となる。

「感写のすすめ」
感写は感謝と引っ掛けた造語、つまり自分の感性を大事にして写真を撮るということ。
自分の感性が何も感じない被写体を撮っても、つまらない一枚になってしまう。
逆に言えば「自分の感性が何かを感じとり、感動した被写体はすばらしい一枚になる」ということ。

写真を比べるのもいいけれど
カメラ仲間と比べあうことも、中にはコンテストに応募する人も多い。
確かに比較をすることで技術の向上や知識を増やすことが出来ていいと思うが、あまり「優劣」にこだわらないほうが良い。違う人が違う感性で撮った写真に「優劣」をつけるのはある意味不可能といえる部分が多大にある。
コンテストなどでも審査員が替われば入賞者が変わってくる。

写真、絵、書、句、etc. 芸術というものは全て感性に支配されるので「優劣」というよりは見る人の感性と合うかどうかが好みの問題。

***********

これを読んで全くその通りと思った。
私の絵も上手、下手ではなく見る人の感性と合うか合わないかなので自分の思うままに描けば良いのだと意を強くした。


以上が「ころ」さんから拝借したものである。
上の文をうけて、その後に出てきた画帳からのパステル画を並べることにする。
はい、上手・下手ではない「天童の家」のそれである。

20317-10.jpg

20317-20.jpg

20317-30.jpg

20317-40.jpg

20317-50.jpg

20317-60.jpg

今朝の気温6度、曇


  1. 2012/03/18(日) 06:34:38|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

二つのこと


17日のブログに「ころ」さんから次のようなコメントをもらった。
   感 性
  昨日の私のブログに書いたように、写真、絵、書、句等の芸術はうまい下手という基準は無い。
  自分との感性が合うかどうかだという。この理論で言うと料理も同じで、うまいまずいは好みの問題で上手下手ではない。勿論文章はいうに及ばずです。
  今野さんの文章が面白いか面白くないかは今野さんの問題ではなく、読む人が面白いか面白くないかです。  それは受ける人それぞれの感性なので気にせずどんどん書いてください。
  私はいつも楽しみに読んでいます。
             2012/03/17  ころ

そのコメントを読んで、私はすぐに次のようにレスポンスした。
  「ころ」さん コメントありがとうございます
         コメントに半分だけ同意します(笑)
  感性 感情 感 感動 感応 
  それぞれみんな難しいのを抱えてますですね
  「天童の家」の原点は、「感動の共感」ですから......

ところが、「不正」コメントと判断され、受け付けてもらえない。
時間をおいて再度、同じことをやってみたが、またダメだった。
いったい上のどこが「不正」と判断されてるのか? 不思議でならない。

それで、不本意ながら次のようなレスポンスを試みた。
   不具合
  「ころ」さん 午前中からコメントへのレスポンスしてるのですが......
  どういうわけか受け付けてもらえません
  なにか間違った判断をされているよです(苦笑)
  はたしてこれも受け付けてもらえるかどうか....?
  当人のレスポンスなのにおかしなことがあるものです
             2012/03/17 こんの

この内容では、なんの問題もなく通った。
先に書いたそれのどこが「不正」なのか分からない。


さて、レスポンスが通らなかったことだけなら、この文はアップしなかったのだが、その上にもう一つのわけがあった。
上のそれは、あまりありがたくない話題だが、これからのそれは嬉しい内容である。

「天童の家」にも”拍手”システムがついており、コメントを書くほどでもないけれど、まぁ拍手だけでもしておこうと思われる方は”拍手”をクリックすれば結果が数字として出る。

「天童の家」の場合、めったに拍手はないのだが、14日「天童の家・画廊」と本日の「平穏な暮らし」に拍手1がついた。
14日のそれは久々の拍手で、(パステル画を認めてくださったのかなぁ)と嬉しかった。
二匹目のどじょうを意識した15日「画廊その3」には、コメントがあったけれど、拍手はゼロで、っふふ 目論見が外れた気がした。(笑)

ところが、本日の「平穏な暮らし」に再度拍手があった。自分としては不本意な内容だったが、それでも拍手は意外ながらも(あぁ、拍手してくださる方がいられる)と、大きな嬉しさを覚えた。
コメントは励みになり、嬉しくありがたいと思う。と同等に 拍手から(頑張ってるね)という力をいただいたような気分になる。

というわけで、匿名さんの”拍手”に感謝の気持ちを伝えたくてこの文を書いた次第である。

*
午後5時の気温5度、曇


  1. 2012/03/17(土) 17:02:26|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

平穏な暮らし


風のない温かい日を選びながら、さくらんぼの剪定作業をやった。
「天童の家」のさくらんぼ畑は、こじんまりとしたもので、さくらんぼの木も10本未満と、まさに零細という文字があてはまる規模だ。
いわば”ままごと農業”だけど、私ら夫婦には、しんけんそのもので取り組んでいる。と書けば、半分ウソである。

定年退職後の趣味的なもので、たとえ失敗しても生活に打撃をうけるようなものではないから、気楽に楽しみながらやっている。
とは言いながら、しんけんでないわけではない。半分以上は真剣そのもである。へへ こんな言い方が可笑しいのだが、まぁ本当にそうなのだ。
素人農業ながら、その道のプロたちから話を聞いたり、農協に行って教えてもらったりして、美味しいさくらんぼを作りたいという気持ちは他人に負けないと思っている。

「3日間で終わったなぁ」
「半日ずつの3日だもの、実質1日半よね」妻の言い方が本当だなぁと笑って頷く。
「(雪が)こんなに多くて、今年の春も遅くなるのかなぁ」
「去年みたいに色づき、遅れないといいのにね」妻の懸念がよく分かり、1日も早い融雪を思う。

「ママ、次は梅の剪定だぞぉ」
「明日からね」
「天気しだい。でもなぁ 暖かい地方では、もう花が咲いてる。こっちはまだこんなに雪がある。北と南ではずいぶんと違うよなぁ」
「そうだ、忘れるとこだった、明日、目医者だった」妻の眼科通院は、あくまでも定期のそれで、術後の経過は順調そのものである。

「天童の家」の日常は、上に書いたようにかわったこともなく平穏そのものである。
残雪が多いといっても、それは自然界のことだから気にしたってどうにもならない。
たわいのない話を交わしながら、畑から家へ戻る。

* 話がズレるが、妻は今日(16日)ホームセンターで籾殻を焼いた黒い灰(モミガラくん炭・40㍑ 2袋)を買ってきて雪の上に振り撒いた。消雪が約10日ほど早くなるそうな。

妻は、この頃オーブン料理に凝っている。グラタンを作ったり、ピザを焼いたりして「どう?美味い?」と訊くから、「美味い!うまいよぉ」と褒め言葉を連発している。
拙いのをうまいと言うわけではなくて、本当に美味いのだから、抵抗なく、素直に言える。(笑)

16日は、朝から天気がよく、梅の剪定もはかどり、朝からはじめて午後4時には終わった。梅の木3本、柿の木(甘柿)1本、夫は脚立に上がって剪定、妻が枝拾い。
「パパ、ご苦労さま、朝からずーっとで疲れたでしょ」
「イヤ、疲れたというほどのこともない。ホッとした」

うう、ちっとも面白い話ではないなぁ 単なる日記。日記以下かも...... 支離滅裂な文だなぁ
でも、まぁ 当人たちには、なんとも満ち足りた1日であった。
こんな冗漫なのを読まされた人には、お詫びしなければならないかなぁ
というわけで、本日のブログ、平にご容赦くだされたい。

*
今朝の気温1度、曇


  1. 2012/03/17(土) 06:46:41|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

書斎片付け


書斎片付けをはじめた動機は、先にちょっとふれたが、風呂場と洗面所改修後 妻が方々の整理整頓に忙しく、「ほらね、気持ちいいでしょ!?」妻の言葉に頷かざるを得なかった。
そして妻の督促はなかったけれど、自分の書斎の乱雑さを目にし(片付けやるかぁ)と腰をあげたのである、と書いた。
そのことにウソはない。だが、書かなかったけれど、それとは別に、もっと大きな契機があった。ただ、書けば辛気臭くなることだろうと思ってやめた。
しかし、辛気臭くなると逃げてはおさまりがつかない気分がだんだん大きくなる。この際だから、もう書くしかない。

いちばん親しかった友人のSさんが、3年前に70を目前にし亡くなった。肝臓癌原発転移性大腸癌が死因で、肝臓癌や大腸癌摘出手術なども受け、数年間の闘病生活後の逝去である。
Sさん夫妻は、仲良しで、それは羨ましいほど、私たちを自宅へ招いてくれたり、あるいは「天童の家」へ さくらんぼ狩りに来てくれたり、互いに親しく交誼を重ねていた。

Sさんは読書家で、たくさんの蔵書をもち、惜しみなく「これを読んでみたら」と貸してくれた。多くのことを啓発された。
ある日、Sさんから数冊の本が届いた。同封された手紙には、「あげるので読んでください」とあり、私は驚いた。
Sさんからは幾度も本を借りたけれど、一度も「あげる」という言葉は聞かなった。当然である。
送られた(贈られた)本と手紙を読み、(あぁ、形見分けだな!)と受け取った私は即 妻を伴ってSさんの家に向かった。
ベッドに横たわったSさんに会い、一瞬言葉を失った。仕事上、多くの死にいく人々を見ている私は、Sさんにどういう言葉を言えばいいのか困惑した。なまじの言葉は発せられない。

Sさんは、冷静に自分の状態を把握していて、戸惑いを隠せず困窮している私に、穏やか声で見舞いに対する礼を言う。
Sさんの言葉、具体的な内容は、あまり記憶していない。私も妻も落ち着きなく、頷きながらSさんの話すのを聞いてるだけで精一杯だった気がする。

ずーっと後で、奥さまから聞いたことだが、蔵書のそれは「誰々さんにはこの本、誰さんにはこれ」と、蔵書の中から本を選んで、蔵書を通してSさんの意が友人たちに伝わるような形で送らせてもらったのだという。
葬式のしかた、お別れ会へ来てもらう方々の名前・住所のたしかめなど、奥さまと二人でやった、と聞いた。
(あぁ、そういうことがやれるご夫妻だったなぁ)と頷いた。

Sさんのそうした振る舞いというか、人生の最後をどうするのがいいのかを教えられた気がする。
自分の書斎の乱雑さを見るにつけ、Sさんのそれを少しでも見習わなければという思いが強くなった。
書棚に並んでるそれは、Sさんのとは違って雑多で、他人にはあまり見られたくないようなものばかりだ。
誰かに読んでもらいたいようなのがない。こんなのを残されたら、へへ 妻は始末に困るだろう。

妻の迷惑にならないように、せめて書棚の整理だけでも済ましておくべきでないのか?と考えた。
書斎の片付けは、乱雑さがあまりにも目にあまる、ということではあったが、それよりも大きく私を動かした動機は、死亡後にまで大きな迷惑をかけたくないという理由だった。
そろそろやれることからやっておこう。というのが第一の動機である。
(なんとも、まぁ、早々と)と思われるかもしれないが、自分では決して早いとは考えていないのである。

というと、やっぱり辛気臭い話だなぁとなる。
だから、こういうことは書きたくなかったのである。
でも、整理整頓などという柄にないことをやると、いろいろのことが思い出されたり、意外なのが見つかったりするから面白い。
所在が分からなくなってたスケッチブックが出てきたり、写真がたくさん見られたり、うう 他人さまから見られたら恥ずかしいような物件が見つかったりする。
それらを、そーっと処分しておけば、妻もそんなに赤面しなくても済むだろう。

というわけで、書斎片付けでは、まだまだ面白い話がでてくるような気がする。(笑)

20315-10.jpg

20315-20.jpg

20315-30.jpg

20315-40.jpg

今朝の気温1度、晴


  1. 2012/03/16(金) 06:16:06|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:7

画 廊 その3

「天童の家・画廊」その3
今回はクレパスをならべた

20314-01.jpg

     20314-02.jpg

     20314-03.jpg

     20314-04.jpg

          20314-05.jpg

     20314-06.jpg

          20314-07.jpg

いつか油彩を並べられるといいのだが......


  1. 2012/03/15(木) 07:25:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:7

画 廊 その2

「天童の家・画廊」昨日の続き

20314-10jpg.jpg

20314-20.jpg

20314-30.jpg

20314-40.jpg

20314-50.jpg

20314-60.jpg

20314-70.jpg

20314-80.jpg

後刻、またアップの予定

今朝の気温3度、曇


  1. 2012/03/15(木) 06:47:50|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

「天童の家・画廊」


書斎が乱雑になって、さすがに不精な自分でも(なんとかしないといけないなぁ)と気になる。
風呂場や洗面所がきれいになった後に、妻が部屋を整理整頓しはじめ、ふ~む 気持ちがいい。
妻は、なにも言わないけれど、書斎が本や雑誌でごちゃごちゃなのが目立ってきた。
雪降りだし、外仕事ができない。(やるかぁ)と私も書斎の片付けをはじめる。

本格的な整理整頓は何年ぶりだろう? 10年ぶりか、それ以上かもしれない。
まだ在職中にはじめたネットHP作りのためのガイドブック、あるいは看護学校で講義した時の教科書が下の方から出てくる。
講義用の教科書には付箋がベタベタ貼って、赤ペンでいろいろと授業の際のポイントが書いてある。それをつい読んでしまうから、肝心の整理がなかなか進まない。

写真と一緒にネガフィルムなども出てくる。そういうのを見ると、ある種の戸惑いを覚える。フィルムやフロッピー等をどう扱えばいいのか?と困惑する。
定年退職前に使ってた画帳もたくさんある。クレパスで描いてた時のそれが蘇ってくる。もうずいぶん長い間描いていないなぁ

最近の「天童の家」は、うう 文字ばかりで画像がない。
そうだ、久しぶりで「天童の家・画廊」をやろうと思う。
他人さまに見てもらえるような代物ではないのだが、「枯れ木も山の賑わい」ということだから、恥さらしを承知で並べることにする。
たくさんあるので2,3回に分けてアップの予定である。

20314-a.jpg

20314-b.jpg

20314-c.jpg

20314-d.jpg

20314-e.jpg

20314-f.jpg

20314-g.jpg

20314-h.jpg

20314-i.jpg

20314-j.jpg

20314-k.jpg

正午の気温2度、晴


  1. 2012/03/14(水) 11:55:06|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

春の雪舞う日に

12日・13日と春の雪が降った。
13日朝、カーテンを開け驚く。半端な積雪量ではない。着替えるとすぐに雪掻きをする。
春の腐れ雪で、湿気が多く、重い。雪掻きに難渋する。30cm近い積雪、玄関から道路まで除雪、汗が流れる。

さくらんぼの剪定作業は休み。
『帰省』藤沢周平著 文集文庫を読む。未刊行エッセイ集の文庫版である。
没後15年にもなりながら、いまだに未読ものを手にすることは嬉しい。
例によって、ぜひ書き写したいエッセイが二つある。次にその抜き書きをする。


 人間はたとえば自然からうつくしさ、さびしさなどを感じ取ると、ただ感じるだけでは満足出来ずに、その感動を何かの形にあらわしたいと考えるのがつねである。
 同じ感動を、ある人は音楽であらわし、ある人は絵にかき、またある人は舞踊にするかも知れない。
 そういう形をあたえることで、人は感動を自分の手中にすることが出来るわけで表現とはそういうことかと思う。
         『帰省』長塚節の歌 246ページより

 私は庄内散歩の特集記事を読み、久保田さんが撮影した、湯野浜電車のカラーページを幾度もめくって日を暮らした。
 そのとき私はおさえ難い郷愁にひたっていたようである。久保田さんの美しい写真のせいであった。
 美しいといったが、久保田さんは、どこかから何かを持ってきたりして、写真を美しく飾ったわけではない。 眼の前の風景の中から写真家の眼で美を探索し、発見し、構図を決定したわけである。
 その写真が美しいのは、そういう対象の選択が適切で、しかもそれをネガに固定する技術が確かだということであろう。

 それは湯野浜電車の写真の中から、仮に北大山-安丹間を写した一枚をとりあげてみればわかる。
 カーブを曲がろうとしている電車の手前の空間を埋めて、一群の屋根がある。この雪をのせた屋根の美しさは比類がない」。
 そして、この屋根と背後にひろがる雪の野の間を走る小さな電車は、ほとんど可憐にとらえられている。
 ここに、あたたかく繊細な心情と、シャープな感覚をあわせ持ち、しかもすぐれた撮影技術を駆使する一人の写真家がいることを、この一枚の写真が立証している。
       前掲書 風土に固定した電車 316ページより

上に書き写したような内容だけではなく、幅広く、多岐にわたったエッセイ等が読むものの心をとらえてはなさない。
断続的に降りつづく春の雪を時折眺めながら読むエッセイは、まさに至福の時をつくってくれる。
妻は、テレビも見飽きたようで、傍らで眠っている。前日、剪定の枝拾いで疲れたのだろう。

*
今朝の気温-3度、晴


  1. 2012/03/14(水) 06:49:36|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

剪定はじめ

3月11日は、町内自治会総会だった。毎年3月の第二日曜が規約で「総会」と決めてある。
開会は午前9時で、3.11被災者への黙祷ではじまった。総会での黙祷ははじめてのことだ。
自治会では監事の役割なので、先月25日行った「会計監査」を形通りに報告した。

いろいろな議事が進行し、総会は11時前に終了した。
続いて懇親会があった。が、右膝不調で座りにくいので宴には加わらないで帰宅した。
妻は、私の早い帰宅を訝しがったが、なにか問題があったわけではなく、畳の上で足を伸ばしす姿勢がなんとも苦痛というか、様にならないなぁと思ったのである。

「こんなに天気がいいし、さくらんぼの剪定しない? パパの気持ち次第でいいけど......」
さくらんぼ剪定は、気になっていたことである。(そろそろはじめていいかなぁ)の気分である。
「やろうか...... やろう」
ということで、昼食後の喫茶を済ますと畑へ行く。

畑には、まだ残雪が多く、長靴がズブズブと雪の中に沈む。
脚立に上って剪定をはじめる。妻は散らばった枝をひろう。
剪定を正式?に習ったことがない。私も妻もまったくの素人である。それでも見様見真似でこれまでも剪定鋏や鋸を使ってきた。
ままごとみたいなさくらんぼ栽培だが、それでもなんとかそれなりに収穫してきた。そこには大きな楽しみがあったし、いくばくかの収益もあった。
なによりも、自分たちで作ったさくらんぼを友人たちに送れることが嬉しかった。

美味しいさくらんぼを作りたい。喜んでもらえるようなさくらんぼをならせたい!
そんな気持ちが、年ごとに強まってく。
どういうふうにしたら旨いさくらんぼになるのか?
施肥管理などもたいせつだが、剪定などもないがしろにできない。太陽光をたくさん当て、色づきいいもの、大粒のをならせたい。

二人で、「ああでもない」「こうでもない」と言いながら剪定をすすめる。
玄人筋から見たら、うふ 笑われるかもしれないようなことを真剣になって言い合い、剪定鋏をいれる。
思いきって、太い枝に鋸をあてることも辞さない。その結果については二人の責任だ。たとえ失敗でも、それはお互いに責めることにはならないから、気軽なものだ。(笑)

さくらんぼで生計を立てているわけではない。楽しみ半分のままごと農業である。
「ああだ、こうだ」と言いながらやるそれが楽しいのである。
まだ雪がいっぱい残ってる畑で、雪に足をとられたり、寒風に吹かれながらもする作業がなぜか嬉しい!

後で思ったことだが、この日午後2時46分には、全国民が震災で亡くなった方へ黙祷を捧げる要請が政府からあった。
それを知っていたが、畑で剪定していて、時刻になってもすっかりそのことを失念してしまってた。
過ぎてから、(しまった!)と思ったが...... 総会で黙祷しているから、許してもられるかと弁解の気持ち。

12日、来客があった。
「雪降だから、(畑仕事ができない)お茶飲みにきた」6日ぶりにkさんが顔をみせる。
kさんは、専業果樹農家である(田圃も耕作してるが)。さくらんぼ・ぶどう・ラ.フランス・りんごなどを栽培している。
妻も混じって3人で、たわいない世間話をする。外は春の雪。こちらよりは太平洋側の降りが激しいという。
「被災地は、こんな雪降りでたいへんだなぁ」
「昨年も、地震・津波の後に雪だった」今日も雪と寒さで難儀しているのだろうか?

家があり、暖房で温かい部屋で、茶のみ話に花が咲いてる。降る雪を眺めながら、今の自分たちを(ありがたいなぁ)と思う。
良い機会だからと、剪定の仕方をkさんに教えてもらう。
「これが絶対だという剪定はない。人によっていろいろなやり方がある。単に大きくなれば良いというわけでなく、作業がし易くということも考えた剪定の仕方もたいせつ」kさんの講義は、実際的で有益である。

晴耕雨読という言葉があるけれど、春の雪が舞うそれを眺めながらの茶飲み話もわるくない。
明日晴れれば、kさんから聞いた話を念頭にしながら、またさくらんぼの剪定作業をやる。
見た目も良し、食べても美味いさくらんぼを目指したい。

*
12日から13日にかけ、春の大雪となった。30cm近く積もった。
湿気の多い春の腐れ雪だから、雪掻きに苦労した。びっしょりの汗で肌着を着替える。


今朝の気温0度、雪


  1. 2012/03/13(火) 07:34:37|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5

忘れられない3.11

こういう時であり、あまり大きな声では言えないことかもしれない。
生きるとは、常にリスクを背負って生きているということを踏まえたうえで生きているのである。
おかしな言い方をしたが、もっと極端な言い方をすれば、生は死を伴ってる。死のない生などない。
生まれた時から、死は常に傍に潜んでる。生まれた後すぐの死もあれば、百年の生の後の死もある。

理屈ではそう言える。
でも、日常ではいろいろな生があり、死がある。そこには平均的な生と死もある。
70まで生きたのだからもう十分の生であると思う人がいる。一方で、まだ平均余命に達していないから、その前の死は早すぎると考える人がいる。
人それぞれでいいのだが、周りとの比較で考える人の気持ちも分かる。

生や死は、理屈ではない。
多くの人は、幸せで、長い命を願う。
それが極当然のことであり、誰からも非難されない真っ当な思いだろう。

東日本大震災で、2万人近い死者と行方不明がでた。
その突然の死に、理屈ぬきで驚いた。
そういう死があるのか!と大きな衝撃をうけた。

3.11後の報道で、たくさんのさまざまな生や死のありようを知った。
そこには、理屈ではない生と死があって、突然の喪失に立ち向かう人々がいた。
生きている人たちの後ろに、死者の生があった。それがなかなか忘れがたい。
死者・生者それぞれに生きていた時の感情が色濃く息づいて、今も生きてる者の胸に残ってる。
理屈ではない、感情がそこにあるのを強く感じるのである。

人は、感情の動物である、とは言い古された言葉かもしれない。
だが、感情こそが、人を人たらしめる源泉かもしれない。

2011年3月11日、あれから1年が過ぎたというのに、あの時の衝撃がなかなか消退しない。
優格観念になって、なにかを考えても、いつの間にか 3.11の出来事に取り込まれているような状態である。
上の文章も、客観的にみればかなり異常というか、おかしなものだろう。通常の場合、こういう文章は書けるものではない。

でもまぁ、この際だから、バカ丸出しでも(しかたないかなぁ)と認めてもらおうと思う。
自身、いったい何を書きたかったのかはっきりしていなのだから、困ったものである。
ただ、書きたいことは書いたという気分があるから、よしとしておこう。

*
今朝の気温2度、晴 夜に少し降雪があった


  1. 2012/03/12(月) 06:32:50|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

3.11から1年


2011年3月11日、東日本大震災が起きた。あれからちょうど1年経った。
「天童の家」では、感動の共有を原点に毎日のように新しいページをアップしている。
毎年3月のページ数は、次のとおりとなってる。

   2008年  35
   2009年  44
   2010年  36
   2011年  66
3月は31日だから、2011年には毎日複数ページをアップしたことになる。
そのほとんどが東日本大震災(3.11)で感じた内容になっている。

3.11から1年が過ぎて、いろいろと思うことがある。それを書くのもいいのだが......
その前に1年前に書いたそれを、ここで改めて2つほど、再掲してみることにする。


   なにかが変わった?

ガソリンを積んだタンクローリー車(出光)が Sスタンドへ入ったのは、23日である。
同日、長い列をつくってガソリンを詰めた。車1台につき2000円分(約13㍑?)買え、ホッと息をついた。
特別な用事がない限り、車は乗らないつもりである。妻は、学童保育があるから車で出勤する。

あの日(3.11)に地震が起きるなどとは予想しなかったので、車のガソリン残量は僅かだった。明日にでも詰めればいい、そう思っていた。
また、灯油タンク(風呂・ストーブ用)の残量も少なくなっていた。いつもなら、業者へ電話すると即日、満杯詰めに来てくれた。
......が、あの日以降、ガソリンも灯油も品薄になり、ガソリンは早朝から並んでも注油できない(空振り)し、灯油も買えなくなった。

多少の不便、ないしは寒さなど、岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければと、車を使うことを止め、ストーブも使わずに節約に努める。
皮肉なことに、それまで比較的温かな陽気が続いていたのに、あの日以降は寒い日が続き、雪が降り積もった。
風呂は毎日 使ったが、ストーブは使わないで エアコン暖房で 凌いだ。エアコンはどうしてもストーブのようには温かくないが、我慢した。
津波被災者のことを思えば、家があって、エアコンが使えるのは、多少寒くてもガマンしなければならない、極楽だと言い聞かせた。

いったいどのくらいの期間ガソリンが買えず、灯油が入手できないのか? それが分からないのが不安だった。
けれど 23日にタンクローリー車が来たのを見た時、(あぁ、これでガソリンはダイジョウブだ!)と思い、暗闇に光明を見た思いがし、元気が湧いた。
そして...... 24日の昼近くに、いつも配達してくれてる人が 灯油タンクを搭載した車で「天童の家」にやってきた!
「みんなに配らなければならないので50㍑ということで..... 」馴染みのスタンド店主の言葉に、否やはない。

「当分はそれでやれる。ありがとうさんね」妻が笑顔で話してる。
あの日から12日目でガソリンが来た。13日目で灯油も入れてもらった。
被災者の多くは、まだ不自由な避難所暮らしで苦労しているはずである。住む家を流され、これからどうして行けばいいのかさえメドが立っていないだろう。
そのことを思えば、家があり、風呂が使え、食べられ、寝る所もある身をなんともありがたいと思わずにはいられない。

先に、「岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければ」と書いたが、茨城・千葉などでも大きな被害を受けているのである。
そういう人々のことを見落としてはならない。
放射能による水や食材問題が大きく取り上げられている。それは、ないがしろにできない。でも、というか、寒さや食べ物、トイレやストレスの問題で危機状態になっている人たちの救済は、優先しなければならない。
異論があろうが、自分はそう思っている。

津波で壊滅状態になったその街作りをどうやっていくか、また発電(原発)のことなど大きな課題がたくさんある。
が、「天童の家」では、この地での状況を地味に報告していくつもりである。
(あぁ、また大きな余震だなぁ 17:22 ) これは、錯覚でない地震だ!

「天童の家」では、これから、ね どういう形で関わっていくか? それをはっきりしなきゃならない。
3.11 は、まさに大きな出来事であるのを自覚する。人生そのものが、あの日を境にだいぶ変わって感じられるようになった気がしてならない。大袈裟でなく、そう思う。


上は、2011年3月24日の再掲である。
下が、同年4月12日の再掲である。

   4.11 大きな余震

3.11 から1月経った昨日、洋間で「仇討群像」池波正太郎著 文春文庫 を読んでいた。
と、また大きな揺れを感じる。4.7 のそれに次ぐ激しい揺れである。午前中にもはっきりわかる余震があり( 3.11 からちょうど1月だなぁ)と複雑な感慨。
テレビをつけ 見ていると、情報がなんだか混乱してるような...... M7.1 になったり、M6.0 、震度も6弱かと思うと4になったりくるくる変わる。

しばらくして、実は情報が変わったのではなく、わずか10分の間に余震が3回も起きたのだということに気づき驚く。
はじめのそれは午後5時16分ごろ(M7.0・震度6弱)、次いで17分ごろ(M6.0 ・震度5弱)、さらに26分ごろ(M5.6 ・震度5弱)と続いた。
気象庁は、いずれも東日本大震災の余震としている。
その後も時間の間隔を広げながら20分後、40分後もM4 震度4程度の余震をくりかえし続いた。

4.7 余震でも死者がでたが、今回のそれでもまた死者が出たようで、地震の恐さを強く覚える。
東大地研の平田直教授は「余震の数は減る見通しだが、引き続きM7級、M8級の余震が起こる可能性がある。海域なr津波の警戒も必要だ」と指摘しているという。

今朝は、春の雪が舞った。
紅梅に積もったそれを撮ろうとカメラをもったが、降り積もるほどの降りではなかった。


今年(2012年)は豪雪だったが、昨年も遅くまで残雪が残り、降雪もあって寒かった。
東北の冬は、厳しい。被災者たちには辛く長い冬だったろう。
1年が経ってようやく復興へむけての動きはじまったようだ。
今更、誰を、何を責めても詮ないことだ。過去を語るのでなくて、これからのありように目を向け、力を注がなければならないのだと思う。

*
今朝の気温1度、晴


  1. 2012/03/11(日) 06:38:49|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:5