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きれいな仕事

30日にユニットバスが組み立てられた。職人さん3人で1日がかりの仕事だった。
31日には設備の2人が水回りをやって風呂釜と繋がってユニットバスが完成した。

これで風呂が使えるようになった。今日、使い方の説明をしてくれる。
旧い風呂を最後に使ったのが22日である。数えてみたら10日間風呂が使えなかった。
街にある温泉(公共浴場)もわるくはないのだが、やはり家庭の風呂とは使い勝手がちがう。

振り返れば、冬季でも極寒の日々での改修になった。
「こういう時が、やはり凍結などでトラブルが多くなって忙しい。今日も電話がかなりかかってました」設備屋さんの言葉である。
「天童の家」の風呂釜、今年の不具合も(例外ではないのだなぁ)と納得する。ちなみに今朝(1日)の気温は、-7度である。

「これからもう一度お伺いしますが、よろしいでしょうか?」31日夕食時に、設備屋さんから電話が入る。
なにか作業に手抜かりがあって、(やり直すのかなぁ)と思った。が、ちがった。
気象情報によれば、31日夜から1日朝にかけ、気温が零下8度まで下がるというので、凍結防止のための処置をしなければというのが再度やってくる理由だった。
新しい風呂が、使う前から凍結では話にならないからね、万全の状態にしておくのは当然のことかも知れない。

大工さんは今 洗面台と洗濯機を据える所をやっている。
出来上がった風呂場や工事中のそれを見ながら、(ふ~む、ふむ、きれいだなぁ)と思う。
なにがきれいか? 新しく出来た、また出来上がりつつあるそれがである。
単に新しい(新品)からだけでない気がする。
絵をみて、(あぁ、いいなぁ)と感じるあの感情というか、その作品からうける気持ちよさと似たそれを作業現場で思う。

被写体(その情景)を見て、美(という感情)を感じないと私はカメラを向ける気がしない。
一見、どんなに汚いようなそれにも「美」を感じれば、迷わずにカメラを向ける。
が、逆にそうでないものは、他人がいくらカメラを向けていようが、私は撮る気がしない。

工事場のごちゃごちゃした中でも、(きれいだなぁ)と思うのがある。
それを芸術作品とはいわないけれど、それでも(きれいだなぁ)と感じるのは、どうしてだろう?
大工さんには、工作現場はアトリエであり、出来上がるそれは「作品」といえるのではないのか?
意図したように、理にかなった、拵えたそれは、いわゆる「作品」とみてもいいのではないか、そんな気がしてならない。

住居という目的がはっきりしているそれには、機能性(合目的性)は最重要課題である。
と同時に、ね 空間的なありようもだいじな気がする。
さらに、その限られた空間の中で、合理性が備われば、きっと美を感じさせるのではなかろうか......
大工さんの動作や出来上げるそれを見てると、上で書いたようなことごとを思うのである。

きれいな仕事をする人、仕事ぶりを見ていると、嬉しくなってくる。
きれいな仕事をやれる人は幸せだなぁと思う。
きれいな仕事をやれる人のこころは、きっと満たされてるのだろう。

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いちばん下の画像は、大工さんが帰った後に写した
当然といえばそのとおりなのだが、道具類が整然と片付けられてるのも嬉しい

今朝の気温-2度、この冬最悪の猛吹雪!
雪掻きすら躊躇される とほほ......


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  1. 2012/02/02(木) 06:17:10|
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