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雪灯ろう祭り 3


雪像を作り、ロウソクを灯し、お餅を食べ、甘酒を飲み、好きな男たちは辛い水?を呑む。(笑)
交通安全を祈願する祭りではあるが、どんな雪像を作るかを話し合い、楽しい祭りにするためにそれぞれが智慧を出す。
そういうコミュニケーションの場があること自体が楽しく、かつ重要なことなのだろう。地域の連帯感が生まれる。そう、絆が育まれる。

それぞれが得意の技を発揮しながら、祭りを盛り上げてく。
マイクからは、交通安全の標語が流れ、それをバックグラウンドミュージックみたいにして冬の夜を過ごす。
昔、冬季レクリエーションを体育館でやっていたのを、雪祭りに変えたのだそうな......
「天童の家」のある干布地区では、現在も冬季レクをやっている。

町内毎に公民館や公園に大きな雪像を作る。各家々の門口に、その家らしい雪灯ろうを拵えて配られたロウソクを灯す。
体育館でやるレクリエーションは、参加する選手が限られている。
だが、雪灯ろう作りは、全戸参加である。老いも若きもみんなロウソクの明かりが楽しめる。地区全体がほのかな明かりにつながる。


それを見ていると、こころが騒ぎ、やがてこころの安らぎを覚える。
燃える火
火は、人間だけが使いこなしてきた。

人は明かりを手に入れた。
恐ろしかった暗闇が、明かりで照らされ、不安が消えた。

人間は、明かりを楽しむようになった。
いろいろな色した明かりをつくる人間。

やがて......

話を戻そう。
雪の厄介さを忘れ、寒く厳しい冬を、こんな形や色で楽しむ。
雪灯ろう祭り
愉しむは、愉しむこそよけれ
明日知らぬ人生なれば

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今朝の気温-3度、曇


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  1. 2012/01/31(火) 06:49:27|
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雪灯ろう 2

雪灯ろう その2

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午前9時50分になるが、いまだに気温-5度、曇


  1. 2012/01/30(月) 09:50:09|
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雪灯ろう

雪灯ろう 2012

毎日寒い日が続いてる。雪も断続的に降り、今年の冬は(いかにも雪国の冬だなぁ)と思う。
1月下旬から2月中旬ごろは例年最も冬らしい景色になるのだが、今年はとくにそう見える。
強大な寒気団が居座りつづけてるかららしい。

雪景色は、きれいで魅力的なのだが、こうも毎日寒く、降り続く雪を見てると、さすがにイヤな気分になる。
やはり(歳とったせいかなぁ)と思うが、歳のせいばかりでもないだろうと自分を慰める気にもなるから可笑しい。
気分転換に少し外出しようかと思うが、どうも腰が重く感じ、家に閉じこもりがちになる。
大工さんらの接待もしなければ、というワケ(思いや役目)もあるのだが......それもなんだかていのいい言い訳かも知れないなぁ。(笑)

29日は、隣の荒谷地区の「交通安全雪灯ろう祭り」である。これまで毎年その雪灯ろうを撮ってきた。
グズグズしてるわけにはいかない、と重い腰を上げることにした。(笑)
「ママ、行こう!」妻に運転してもらい、私は撮影に専念するのが、例年のあり方である。
妻が文句も言わずにつき合ってくれる。

昨年は、雪像作りの雪不足で、雪は山からもってきたのだ、と大工さん(Rさん)が話してくれる。
Rさんは、雪灯ろう祭りをはじめた年に、消防団分団長をやっており、いろいろ深く関わったこともあって、今年も仕事を休んで祭りを楽しむという。
うん、働くだけが能じゃない。雪国に暮らす者にとり、雪を厄介視しないで、逆に雪を楽しむ。それが前向きというべきだろう。

今年は、雪に不足はない。公民館の屋根に積もった雪を降ろし、それが雪像つくりで利用される。
っふふ、雪下ろしと雪像作り、一石二鳥。
「天童の家」でも、29日に2回目の屋根の雪下ろし(一部)をやった。下ろした雪は何の役にも立たない。が、それでも(安心)を得たのだとホッとする。

撮ってきた「雪灯ろう祭り」をね、共に楽しもう。

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たくさん撮った。後刻にまたアップの予定

今朝も寒い -5度


  1. 2012/01/30(月) 06:04:30|
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「休日」に思う


23日にはじまった風呂場改装工事も26日で一段落、コンクリート打ちを28日にやるまでになった。
新築とちがって、リホーム作業は既存のそれを取り壊して、ユニットバスを組み込むまでにもっていくたいへん面倒な仕事である。
27日は、ここまで懸命に取り組んだ大工さんや設備職人さんたちの休日。
毎日職人さんたちの接待に気遣ってきた妻と私も「休日」の気分となる。(笑)

とはいいながら、前夜に娘から電話が入り、孫を学校まで、同時に娘のお義母さんをもセレモニーホールへ乗せてくれるよう頼まれる。
午前6時起床し、45分には娘の家へ向かう。孫を学校前でおろし、さらにお義母さんをセレモニーホールへ。
遅い朝食を済ませると、雪掻き。どこもかしこも雪まみれ。全国的な雪だから「天童の家」も例外ではない。
愚痴を言ってもはじまらないので、とにかくやらなければならないことは済ますしかない。

「これで終わり。パパ行きましょ!」雪掻き終えた妻の言葉に頷き、天童温泉「ふれあい荘」へ車を走らせる。
公共浴場までは、10分未満で行き着く。駐車場満杯の場合は、最上川温泉「ゆぴあ」を考えていたが、幸い車が駐められた。
自家風呂が使えないから、代わりに公共浴場を利用するというのは久しぶりである。
天童市には、「ゆぴあ」と「ふれあい荘」、それに身体障害者のための「鎌田荘」の3つの公共浴場がある。
「ふれあい荘」は、近いし、入湯料が100円と安い。かけ流し湯である。

23日から4日間、入浴していない。久しぶりの湯である。(あぁ、やっぱり湯はいいなぁ)と手足をのばす。
母と息子は、前日に「ふれあい荘」に行った。接待の役目がないからいつでも行ける。
久しぶりの温泉。これがこのまま宴・宿泊につながるのであれば文句ない。(笑)
だが、そうはならないから世間はそう甘くない。

「ふれあい荘」を出て、次にコインランドリーへ。洗濯機が使えないから、溜まった衣類3日分を機械へ入れ、待ち時間をショッピング。
(世の中便利だなぁ)と思う。
風呂は温泉、洗濯はランドリー、食べ物・飲み物はショッピングセンターで手に入る。
外は雪だらけだが、車中は温かく、道路は除雪されなんの支障もない。
なにも考えなければ、こんな便利な社会は、まさに幸せいっぱい、これ以上なにを望むことあろう......


ここまで書いてきて、(いったい自分は何を書こうとしたのだろう?)と思う。
ここまでが「はじめ」で、本論はこれからはじまるような気がしないでもない。

これが現在の暮らし。だが、これからもこうだという保証はどこにもない。
むしろ、これからはなにかが欠けていくのではないか?というかすかな不安が見え隠れする。
「ふれあい荘」の湯船につかりながら、自分の下肢を見ていたら、靴下のゴムの当たったあたりが凹んでいるのに気づく。
(あぁ、腎機能が低下してるなぁ)

「それがどうした。どうだというのだ?」という声も聞こえてきたような気もする。

うう、久しぶりの「休日」なのだから、ね ゆっくりと、良い写真が撮れた夢でもみていたい。
そういえば、しばらくカメラを持っていないなぁ
飛翔する白鳥たちの姿を見たい。白鳥たちは、この雪の中、どうしているのだろう。


今日は、コンクリート打ちで職人さんたちがやってくる。
その前に 雪掻きをしなければならない。
が、外はまだ暗いのでルチンワークのパソコンのそれを済ましておこう。


今朝の気温-4度、小雪


  1. 2012/01/28(土) 05:50:20|
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プロたちの会話



風呂場の改装に伴い、大工さんを中心に風呂釜・ユニットバスの担当者、水回り配管業者などがそれぞれの作業の打ち合わせのためにやってくる。
打ち合わせの場として「天童の家」の洋間を提供するが、わたしらは、依頼主としてそれぞれの担当者たちの会話を黙って聞いてることが多い。
訊ねられたことに応えるだけで、主体的に(具体的に)会話に加わることは、まずない。
たとえ訊かれても「大工さんに任せているので......」との返事で済む。後は、茶菓を揃えておくだけでいい(笑)

担当者は、もちろん現場をくわしく見る。そして 打ち合わせでは設計図やカタログを見ながら細部を確かめ、いろいろな話が交わされる。
職人さんたちの仕事ぶりを眺めるのも楽しいが、そうした打ち合わせのようすを見る、というか、彼らの会話を聞くのも面白く感動にちかい感情を覚える。
話の大半は理解できないのだが、図面を前に、数字が確かめられ、打ち合わせが進んでくのを傍観してると(あぁ、プロの世界だなぁ)と嬉しくなる。
設計図が、数字が、ちゃんとイメージされ、互いの意思が通じ合う。そういう世界が面白く感じられる。

手術場で、医師たちが交わす会話内容が患者には理解できなくても、そこで話される場の雰囲気が頼もしく思われるそれに似ている。
素人には、数字や図面の具体的な内容は分からないのだが、職人同士で互いに通じ合い、それでことがスムースに進捗してくようすが嬉しく、頼もしいと感じる。
プロの世界では、そうした場というか、レベルが存在するのだなぁと分かる。

そういう「もの」や「こと」のあり方が、こころに響くその媒体が音楽になったり、絵や彫刻に、あるいは踊りや詩歌になれば、それこそが「芸術」といわれるのだろう。
プロたち(職人)の会話がある種の感動を呼ぶのは、それが芸術に近いとは断言できない。が、それでも自分の仕事に真摯に取り組む姿が、芸術家の姿や作品とどこか通底するものがあるからではないだろうか......

へへ なんだか訳のわからない文章になってしまったが、自身ではなんとなしに書いたそれに納得しているのである。(笑)
分かってもらえるだろうか...... やっぱりムリかなぁ

*
今朝の気温-2度、曇


  1. 2012/01/27(金) 06:38:02|
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喪失への戸惑い

23日、風呂釜と洗面台撤去のために業者が入る。
水回りは、いわば文字通りに縁の下の力持ちで、地味だがだいじな仕事である。
若い職人さんが3人、てきぱきと作業をすすめてく。

午前10時、午後3時の休憩、それにお昼の弁当を洋間でとってもらう。
休憩に熱い茶、昼食時にはお汁をだす。出された茶菓は遠慮なく食べてくれるのが気持ちいい。
午後4時過ぎには予定の仕事を終え、きちんと挨拶して帰る。

24日、大工さん(Rさん)がユニットバスを据えるための拵えをはじめる。
Rさんは、「天童の家」のお抱え大工さん的存在である。我が家の保守は全て彼の手になる。
今回の風呂場改装もRさんから引き受けてもらった。風呂釜・浴槽・洗面台購入は別にして、それ以外の仕事の窓口はRさんにお願いした。

25日、前日に続いて旧い風呂場の撤去と新しい浴槽を据えるための作業が続く。
タイルやコンクリート土台の撤去はなかなかたいへんな作業である。轟音が出てうるさいのだが、その仕事をやっている人の難儀を思えば、(うるさい)などと言えない。
破壊のそれではなく、建設のための作業だから、細心の注意と手順を踏まえてやるそれを眺めると、(さすがプロだなぁ)と感動すら覚える。

23・24・25と3日間、風呂・洗面台が使えない。洗濯機は別ホースを引いて使えるのだが、それも昨夜ホースが凍ってしまいアウトになった。
これまで使えたそれらが使えないと、うう 暮らしのリズムが狂ったような気分になる。
「風呂に入らなくても死にはしない」と言っていたが、実際に入れないと、寝る前、ふとんに入るのが億劫なのである。
近くに温泉(公共浴場)があるから、それを使えば良いと仮設の風呂は設置しなかった。
だが、家についてる風呂に入るようにはいかないので、気軽に温泉へ行くことも気が重い。
でも、もう限界?なので温泉へ行くことになろう。しかたない。

朝、起床し、いつもなんの気なしに洗面台に向かって髪にクシを入れたり、ヒゲを剃ったりするのだが、いつもある所に洗面台がないと大きな戸惑いを覚える。
湯は、台所で必要なだけ使えるのだが、そこで歯磨きするのに抵抗感がある。顔を洗うのもなんとなく落ち着かない。
洋画を見ると、便器の蓋の上で野菜を切ったりしてるシーンを見ることがたまにあるが、あの真似がとてもできない。

そんなわけで、毎日なんとなく落ち着かない。
でも、考えてみれば、昨年の大震災で避難所暮らしをした人々は、もっと不自由な思いをしたのだなぁと思う。「天童の家」では、風呂と洗面所以外 ちゃんと機能している。寒くもなければ、プライバシーも侵されない。
なのに、風呂と洗面所の2ヶ所が使えないだけでも、なんとも大きな不全感を覚えてしまうのである。

家全体を流され、かけがえない人を亡くした人もいる。職場を失った人々。代々受け継いできた田畑の耕作をできなくなった人々の喪失感は、わずか1週間か10日そこそこの不自由とはまったく質がちがう。
そのことを思うと、ね なんとも愚痴っぽい自分を恥ずかしいなぁと苦笑する。
ふ~む、それでも、実際に落ち着かなくて、戸惑いを覚える。うう なんともなさけない!

*

今朝の気温-5度、さすがに寒い ぶるっ! 曇り



  1. 2012/01/26(木) 06:48:45|
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凍み大根 2

23日のそれは、「凍み大根」だった。
「みなさんのコメントが楽しみ」夫唱婦随ならぬ、「婦唱夫随」の協働作業の凍み大根作りに、妻が期待を込めて言う。

「凍み大根」に期待通りの嬉しいコメントが並び、妻は喜びを隠さない。
そういう彼女の素直さ、無邪気さというか、大人になると失われやすい感情表現のあり方だが、妻は自分の気持ちをストレートに表現する。
そういう性格、子どものような彼女を(得な人だなぁ)と思う。(笑)

妻のそれを措いて、私はあの「凍み大根」に大きな不満があった。
大根を畑の囲いから掘り起こし、皮を向いて適当な大きさに切って茹でる。それを吊るすまでの作業は22日にやった。
気象情報を調べてした段取りである。

23日、起床すると早速前夜に検索しながら整えた文章に添える画像撮影にとりかかる。
早朝の曇り空で、光量不足は否めない。...が、この際だから かまわずシャッターを切る。
出来た画像は、明らかにいかにも眠いようなもので、本音を言えば(使いたくない)ものだった。
...が、(証拠写真ということで、しかたないかぁ)と不満を抱えながらアップする。
まぁまぁに使える写真が、いつ撮れるか分からないということもあった。

「凍み大根」へのアクセス、またコメントがあればあるほどに、出来損ないの画像に対する不満が膨れ上がる気分を抑えがたい。
24日、青空が見え、吊るした大根に陽光が降り注ぎ、いかにも撮影日和。
すでにアップ済の被写体であるが、カメラを向ける。

不満の画像(23日撮影)と、24日に撮り直したそれを同時に並べてみることにした。
24日撮影したそれが、けっして満足できるものではない。しかし、23日のそれよりは不満が少ない、というか、どうにか我慢できる画像である。
別の言い方をすれば、撮影にとって光量がいかに大事なファクターであるかを言いたいのである。(笑)

画像上が23日早朝撮影、下が24日昼に撮った画像である。

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↑ 23日撮影

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↑ 24日撮影

午前10時50分の気温-3度、曇


  1. 2012/01/25(水) 10:49:18|
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灰色の雪


       乗組員の言葉それぞれ異なりてサバ漁つづく八戸港は       八戸市・山村陽一

八戸港は サバの水揚げ、気仙沼港は サンマ水揚げを分担しながらやってきたという。
しかし、気仙沼港は3.11 で港や市場の施設がダメになり、サンマの水揚は釧路港と遠くなった。
コストや諸事情を考えると、三陸沖のサンマ漁を休むことになるという。
以上のことから、サンマ漁師たちは、出稼ぎという形でサバ漁船に乗っているのだろうか......?


       草の実のびっしり刺さりし防護服に玄関開くる一時帰宅は     郡山市・渡辺良子
       あの日から初めて入る家の中曲がりし時計の二時四十六分     郡山市・渡辺良子
渡辺さんの注に「11月11日、富岡町に初めての一時帰宅」とあるそうな


       モロビトコゾリテクルシミテイマスフクシマニフルユキハハイイロ 福島市・美原凍子

       こんねんは大震災の死亡者へのレクイエムとして除夜の鐘つく   三原市・岡田独甫

       
       元日に地震あり地の神何言はむ     熊谷市・斉島真樹慧
ああ、夕べも福島沖を震源とする比較的強い地震(震度5弱)があった。

       東北の雪国として雪の降る       新庄市・三浦大三

          短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(23日付)より

*
今朝の気温-2度
        この時刻(そう6:24)はまだ薄暗い



  1. 2012/01/24(火) 06:24:58|
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凍み大根

凍み大根作り

昨日の日曜日、畑に囲ってた蕪(8個)と大根(5本)を掘り起こしてきた。
1週間の食材としては多すぎる。が、これには訳がある。
妻が、「凍み大根を作る」のだという。

今日は、凍み大根作りの報告である。
以下は、ネットからの転載である。
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「凍み大根」は、極寒地方の独特な干し大根で、極寒を利用した凍結乾燥によって干し上げられます。
                  http://www.kiriboshi.com/syurui/simidaikon.htm
極寒地方での「凍み大根」の作り方です。
「凍み大根」は、まず生大根を洗って皮をむきます。次に地方によってさまざまですが、長さ一寸~三寸(一寸は約3.03cm)ぐらいの輪切りにする(太いものは二つか四つ割)ものや、または大根1本そのまま(太いものは縦に半割り)のもあります。
さらにそれらの大根を煮えたち湯でゆでます。そして輪切りのゆで大根を、数個づつワラに通します(個数は地域でばらばらですが、乾きをよくするため間をあけて通す地域もあります)。また1本そのままや半割にした大根は、2本づつワラでつなぎます。
それからそのワラでつなげたゆで大根を川の水に浸けたり、雪の中に投げ込んだり、屋外に吊るしたりして凍みさせます。
そしてその凍みた大根を軒下で干すことにより、昼は溶け、夜は凍るといった凍結と解凍を繰り返しながら、1ヵ月~1ヵ月半で乾燥し、「凍み大根」が出来上がります。
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次のそれのURL
http://www.ruralnet.or.jp/syokunou/ui102/ui102_d.htm

凍み大根が作れるのは、真冬の厳寒期。
その時期を逃すと、せっかく作っても、かびが生えたり腐ったりしてしまう。積もった雪の中から大根を掘り出し、茹でて干す。凍み大根は、山形でも寒いところでしか作れない。

合の原分校は、山形市の中心から北東へ約15キロメートル、標高306メートルの山間の学校である。1月の大寒の頃には、校舎内でさえマイナス5、6度になる。1・2年生だけの分校で、今年度は1年生2名、2年生9名、計11名である。
分校には、1アールほどの「みどり畑」があり、いろいろな作物を育てている。児童の祖父母が、畑の先生として栽培活動を全面的に援助してくれている。

分校のある合の原地区の数件の家の軒下に、凍み大根が下がっているのを見つけた。子供たちに話すと、「おばあちゃんが作る。」「茹でて干すと、いつまでも食べられるんだって。」などと教えてくれた。
 次の年、凍み大根を作ることを前提として、みどり畑で大根を育てた。たくさんの大根がとれ、砂場に埋めておいた。

3学期が始まって間もない1月中旬、7、80センチも積もった雪と土を掘り起こし、埋めておいた大根四10本を掘り出す。埋めたところがわからなくなり、わいわいと大騒ぎ。みんなで洗い、凍らないようにして乾かしておく。翌日、畑の先生に教えてもらいながら、皮をむき、適当な大きさに切る。外に竈と鍋を用意し、薪を燃やして湯を沸かし、大根を茹でる。茹であがった大根は、箸で穴をあけ、わらを通す。2つの大根のわらとわらを結び、竿に掛ける。1、2年生の子供たちには、「結ぶ」という作業がなかなか難しいが、全部の大根を干し終わる頃には、とても上手になる。

わらを通すのはなかなか難しい

干しておくと、夕方から凍り始め、朝にはかちんかちんになっている。日が当たる日中、水分がぽたぽた落ちる。この繰り返しで、約1か月、大根の水分がなくなり、からからの凍み大根ができる。うまく乾燥させると1年は保存できる。

凍み大根を水につけて戻すと、子供たちはその変化に驚く。黄色みがかっていた大根が白くなり、太くなり、ふにゃふにゃになるからである。竹輪や昆布などと一緒に醤油で煮ると、分校中に大根の匂いが広がる。「凍み大根なんて年寄りの料理で嫌いだ」などと言っていた子さえ、「おいしい、おいしい。」と食べる。凍み大根を家庭に持ち帰った子供たちは、家族とともに料理して味わう。

凍み大根作りをとおして、親の世代が忘れかけたこの地域の良さを子供たちとともに味わうことができたと思っている。
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凍み大根作りを妻とやった。
「茹であがった大根は、箸で穴をあけ、わらを通す。」
そのやり方は、わかるのだが、肝心のわらが簡単に入手できない。しかたないのでビニール紐を使う。

夕ご飯前に大根3本分を茹で上げ、紐を通した。
「パパ、吊るし終えたらご飯にしましょ」妻はそういうと、自分は夕食の準備をはじめる。私は外灯を頼りに、ゴーヤを育て、また干し柿を吊るした例の場所に、今度は茹でた大根を吊るしはじめる。

生大根と違って茹でたそれは柔らかいので、慎重に扱わないと、せっかく結んだ大根が落ちてしまう。
丁寧に扱ったつもりだが、それでも3個が落下してしまい、再度結びなおした。
気温が零度以下にならないと凍み大根はできない。
はたして「天童の家」製造のそれがうまくいくかどうか...... 今後の気温任せ、気温次第である。

温かい冬、雪の少ない冬が望ましいのだが、凍み大根作りをするとね、むしろ寒い冬が期待されるから可笑しいことである。
ふ~む 結果や如何である。

今日から風呂場改装のための業者が来る。作業にはむしろ温かい方がいいのだが......
へへ ジレンマだなぁ(笑)

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今朝の気温2度、曇


  1. 2012/01/23(月) 08:40:20|
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今日の風景

前夜から予想(想定)していた通り、起床し、身支度すると雪掻きをはじめる。
降雪量は、たいして多くないが、べとつく雪だから重い。
間もなく、息子も手伝う。ホッとする。

雪国に暮らしているのだから、雪掻きはしかたない作業。
それでも(今日も雪掻き)と思うと、少々うんざりの気分もわいてくる。
汗が肌着をぬらす。

雪掻きを終わし、今日の景色を撮る。
もう見なれた、変哲もないそれだが......

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今朝の気温1度、曇


  1. 2012/01/22(日) 10:06:29|
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天童ふるさとだより


次のそれは、毎週木曜日に配信されるものである。

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天童市ふるさとだより 2012年1月19日
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====も く じ====

【季節のおたより】
【耳より☆イベント情報】
  1.西沼田遺跡国指定25周年記念事業
   『いにしえ』から『現代(いま)』そして『未来』へ
  2.ベストシーズン到来!天童高原スキー場

=========
 季節のおたより
=========

 縁結びのご利益で知られる鈴立山若松寺に取材に訪れたときのこ
と。天気も良かったので、鳴らすと良縁に恵まれるという縁福大風
鈴を写真に撮ろうかと思い、大風鈴のある見晴らしのいい場所へ足
を運びました。すると、寒そうにたたずむ学生さん?らしき男子2人
の姿が。そして、「今かくれんぼしてるんですよ~」とのこと。
えぇ!?どうやら、この見晴らしのいい景色を写メールで送って、
それをヒントに友達がたどり着くのを待っていたらしいのです。範
囲は天童市内という、なんと壮大なかくれんぼ!天童を知り尽くし
ているからこその楽しみ方なのかなと関心(?)させられました。
 若松寺までの道のりは道幅も狭く、現在は圧雪道路になっていま
すので、参拝に訪れる方は十分に注意してくださいね。

《若松寺からの市内の眺めです》
http://yamagata-np.jp/furusato/photo_tendo/


この後に、さまざまな行事・記事などが「おたより」される。
また山形新聞に掲載された天童市関係の記事も採録されている。

ここで紹介したかったのは、上の『季節のおたより』である。
「壮大なかくれんぼ」 写メールでやるそれが、ね (あぁ、現代のあそび!)と新鮮に感じたのである。

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今朝の気温0度、曇


  1. 2012/01/21(土) 06:53:36|
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屋根の雪


19日のこと。
それまで洋間でテレビを観ていた妻が、チャンネルを替えようとしたが「ダメ」といいリモコンを差し出す。
BSは正常に映るのだが、地上波がダメで何かのメッセージがでる。
茶の間のテレビを確かめると、やはりBS正常、地上波が映らない。

寝室のを確かめると、BSも地上波もちゃんと映る。
(アンテナの不具合だなぁ)いくらメカ音痴でも、この程度の判断ができる。(苦笑)
というのも、はじめての不具合でないからである。毎年この時期に生じる不具合であり、学習済みだからだ。

「アンテナ線が外れたかしてるのだ。屋根に上がってみるしかない」言って、外へ向かう私。
「パパ、もう暗くなってる。風が冷たい。今日はもう屋根に上がらない」妻が制止する。
「茶の間も映らない。お母さん、見たいだろテレビ」
「BS映るからいい。屋根は危ないからいいの」
うう、正直に言えば、黄昏時に雪の積もった屋根に上がるのはイヤである。
しかし、テレビが見られない母のことを思えば、直さざるをえないと思い、外へ出たのだった。
が、妻のたっての言葉を(これ幸い!)と素直に受け入れることにした。(苦笑)


20日。
空は晴。風もない。朝食を済ますと、妻は眼科へ出かける。定期通院である。
(やるしかないなぁ)重い腰をあげ、梯子を屋根にかける。降り積もった雪の量は、そんなに多くない。
スコップで雪を掻き分けアンテナ線を掘り起こし、闇雲にいじくり回す。どこがどう不具合なのか分からないものだから、そうするほかないのである。
またアンテナの向きを少し変えてみたりする。

それでもダメなら、電気屋に頼むしかない。メカ音痴にはそうするしかないのだから頼りないこと甚だしい。
屋根に上がったついでだから、吹き溜まりになって相当量になっているところの雪下ろしをやる。
雪下ろしをはじめると、っふふ 次から次へと際限なくやろうという気持ちになる。

でもなぁ 72という自分の歳を考えると、一時的な気分でことをやっては後に響くのを忘れていけない、と自分に言い聞かす。
それでも、どうしても寝室上のそこだけは下ろしておかねばならないと、梯子を移す。
そこは北側で、位置的にどうしても吹き溜まりになって積雪量が多くなり、庇に無理な荷重になってる。
今すぐ崩壊とかの心配はないのだが、これ以上降り積もったら、やはり心配ではある。
予防措置としての雪下ろしで安心していたい。

雪国で暮らしていると、雪に関して家の保守は欠かせない。
民生委員をしていた時は、自分の家を措いても高齢者のそれに配慮しなければならなかった。
今は、我が家のそれだけでいいのだが、自身が老いてきているのだからせわがやけるというものだ。(笑)

汗をかきながら、屋根の雪下ろしを終わす。
梯子を片付け、洋間のテレビをつけ、地上波チャンネルにする。
う! 映る。アンテナの向きを変え、アンテナ線をちょこちょこっといじくり回しただけであるが、直ってる。へへ わけ分からずだが嬉しい気分。(笑)

*
午前11時の気温2度、雲多いが青空


  1. 2012/01/20(金) 11:01:50|
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ツララ 5

風呂場の改修で、ちょっと忙しい気分
アメニティを高めることですから、わるい気分じゃない。(笑)
とはいいながら、なんとなく落ち着かない。

散歩も雪が多くて、コースが確保できない。
というのは違うかなぁ......
言い訳で、除雪されて道路は黒いアスファルトが乾いてるところさえある。(笑)

積雪量と寒さが、ね 例年よりも多く、寒い気がする。
これも、もしかしたら加齢のせいかも......
長く伸びたツララがその証左のような

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今朝の気温-3度、曇


  1. 2012/01/19(木) 07:18:52|
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色の面白さ


寒い日が続いてる。
こんな日は、あたたかい湯にどっぽり浸かるのが極楽である。
できれば、温泉の湯がいいのだけれど、家の風呂でもわるくはない。
寒いところでは、温かさがなによりのごちそうであることを繰り返し書いてきた。(笑)

と、ところが皮肉なことに、そのお風呂の調子がよくない。
湯沸し釜が不具合で、いわゆる「追い焚き」ができなくなってしまった。
ん? 逆だな 「追い焚き」はできるのだが、「差し湯」が出来ないのである。
毎日使う風呂だから、ちょっとイヤな気分、イエかなりの不便感がある。というより不安感が強い。
シャワーが使えない。洗髪できないって、ね やっぱり不便である。

現在の風呂釜設置後30年あまり経つ。よくもまぁこれまで故障もなく働いてくれたものと感謝している。
...が、同時に、器具疲労から火災になったりしないか? という危惧感が常に離れないこのごろである。
友人の家の火災原因が、風呂釜過熱からだったのを知っているからだろうか、どうしてもそれに関連して考えてしまう。

この際だから、やはり思い切って風呂釜を交換しようという気になった。
妻は、これまでおりにふれ「ちゃんとした洗面所が欲しい」と言ってきた。
風呂釜を更新するなら、現在屋内にある釜を屋外に移し、空いたスペースに妻の望む洗面所を設けたらいい。
いろいろ考えているうちに、うふふ この際だもの、浴槽ももっとアメニティに富んだそれにしたい!と思うようになった。

妻は、「天童の家」財務大臣である。電卓で通帳を確認し「やりましょう!」と頼もしい発言。(笑)
こうと決めれば、妻の動きは早く次々にことが進捗してく。
16日にはユニットバス展示場へ向かう。

展示場係員・大工さん・妻と私の4人でパソコンモニターを見ながら、浴槽・壁・床などの色を決めにかかる。浴槽は淡いピンクに決めた。現在のそれはステンレスだが、今度は少し艶のある色にした。(笑)
床の色も悩まずに決まった。
迷ったのは壁の色である。浴槽がピンクだから、はじめ浴槽と同じピンクでいいかなぁ、と思ったが......ピンクがあまりにも広すぎて(強すぎ)て、へへ 落ち着かない。

淡い黄土色(大理石ふう)のそれにしてパソコンで調子をたしかめる。
(わるくないなぁ)と思う。
そして、面白いことに気づく。浴槽のピンクの彩りが壁の色によって微妙に違って見えるのである。
なお確かめるために両方のそれをプリントアウトして見比べる。
浴槽は、どちらも同じピンクなのだが、壁の色を変えると、浴槽の色が違って感じられるのである。

(色って不思議だなぁ)と強く思った。
同じ色なのに、ね 周りの色彩によって、同じはずの色が、かなり別の色に見えてしまう。
頭(思考)と目(感覚)で異なる感じ方(感覚)になることは、頭では理解してても、実際にこの目で体験してみると、ね っふふ、かなり(面白いなぁ)という感動すら覚えたのであった。

展示場で実際の大きさのそれを見た。
さらに、小さな模型とパソコンでいろいろな色を組み合わせて見て、(これにしよう)と決めた。
だが、何日か経って、完成した「天童の家」の風呂場を見れば、そこには展示場でイメージしたそれとはまた違う雰囲気が現れるのだろうなぁ
多少の違い、それはいたしかたないことだろう。

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今朝の気温-2度、晴


  1. 2012/01/18(水) 06:53:02|
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第28回 朝日歌壇賞

先ずは、今週の入選作から......

       還りくる白鳥あれど帰り来ぬ人ら数字に記されて冬       宮城県・大友道子

       ここでまだ生きてゐますと柿吊るす家ありけり福島の里     青梅市・津田洋行

       夫呼べば夫の声する娘を呼べば娘の声する閖上の海       宮城県・須郷 柏

       小名浜の大きな工場の中見えて構内をだれもあるいてゐない   川越市・小野長辰

       白波の音遠けれど海の子の丘の仮設に笑い声立つ        仙台市・佐藤牧子

       この気持ち誰に話せば落ち着くの被災者の中で温度差がある   福島県・泉田ミチ子

       放射線貫き通す去年今年     京都市・清水光雄

       鮟鱇の腸煮え返る放射能     川崎市・多田 敬

       初日割れ三陸の海鬼哭す     三郷市・岡崎正宏

       原発や今年も去年の山河在り  いわき市・馬目 空

         短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(16日付)より

同日「第28回 朝日歌壇賞」が発表されてる。

       山なりにカーブを切れど三陸の見なれた町のどこにも着かない  宮城県岩沼市・山田洋子

佐佐木選者の歌壇賞歌である。
「天童の家」では、6月6に掲載されたそれを翌7日のブログでエントリーしている。


       福島を「負苦島」にして冬が来る汚染されたるまんまの大地      福島市・美原凍子

高野選者の歌壇賞歌である。
「天童の家」では、11月28日に掲載されたそれを29日ののブログでアップしてる。


       いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば     つくば市・野田珠子

(↑)永田選者の選んだ歌。


       ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に      いわき市・吉野紀子

馬場選者歌壇賞の歌。2011年5月16日に、4人のうち3人の選者に選ばれた共選歌である。
「天童の家」では、ふ~む 取り上げていない。位牌という言葉に、ね 逡巡しパスしたのだった。宗教観はそれぞれであり、少しズレを覚えたのを記憶している。
「瓦礫の中に発見した位牌の強烈な存在感と衝迫的なお清めに籠もる悲しみ。」馬場選者の評。


4つ(4人)の年間歌壇賞のうち「天童の家」で取り上げた作品2つ(2人)が受賞したのだから、うふ 俳壇賞のそれと同じように、ね 良い線(選)をいってると「自分を褒めてあげたい」気分。(笑)
特に、美原さんのそれ(負苦島)は、当日のブログ見出しに使ったほどである。

*
今朝の気温-2度、曇
やはり(寒だなぁ)と感じる寒さ。もっと低い気温のような気がする......


  1. 2012/01/17(火) 06:58:59|
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「瓦礫の中から言葉を」


辺見 庸さんは、自著「瓦礫の中から言葉を」わたしの<死者>へ NHK出版新書 のはじめにこう書く。
  わたしは宮城県石巻市に生まれ育ちました。ですから、東北の三陸、それから福島の浜通り一帯まで、テレビや新聞にでてくる地名で、足を運んでいないところはほとんどない、というくらいよく知っています。

彼が書いたそれを読み、こころに残ったところを次に書き写す。(抜粋)
(またか)と思われる方がおられるかも知れない。私にとって 書き写す作業は、深く読み返すことに繋がる。
いえば、まぁ 自分のための確認・深化作業である。

  3.11 は言語活動にも地殻変動をもたらしました。言語環境に”悪気流”がただよいはじめたとも言えます。
  大震災直後のテレビ、ラジオは大脳中枢にダメージを受けた怪獣のようにうつろになり、いつもの躁状態かた一転、重篤な抑うつ状態のような機能不全におちいりました。
  ほとんど全局が震災と原発事故報道一色になり、多くのスポンサーがCM放送を自粛したために、民放テレビ各局が「ACジャパン(旧公共広告機構)」が作成したCMをくりかえし放送しました。
  (略)CMは、モノとしての商品はなく、もっぱら「意識の宣伝」でした。それは耳にたこができるほどくりかえし放送されました。

  はてしなく反復される言葉が人びとの頭蓋でこだましつづけました。
  「<思い>は見えないけれど<思いやり>はだれにでも見える」という宮澤章二の詩行も、まるで洗脳のように反復放送されました。
  わたしはこの反復放送がとても気になってなりません。これはサプリミナル広告のような社会心理学的に重要な効果を生んだと思われます。
          同書79ページ
  
  経験したこともない大きな出来事に遭遇すると、ニュースメディア内部では異論の提起、自由な発想がとどこおり、沈黙と萎縮、思考の硬直とパターン化におちいったりするものです。
  だれが命じたわけでもないのに、表現の全分野で自己規制がはじまります。
  昭和天皇逝去のころの報道もそうでした。だれが決めたわけでもないのに、ほとんどのメディアが「崩御」という、きわめて特別な言葉をもちいました。
  戒厳令などなくても、「心の戒厳令」はありえるのです。
          同書91ページ

  人間は他者の死や不幸に、じつは、なんら責任をとれないものだ--- という切ない感情は、2011年3月11日の大震災でも多くの人びとの胸で爆発したにちがいありません。
  津波でさらわれていく妻や子ども、親たちを視界に入れながら、助けることがかなわず、ただ叫び泣くしかなかった人びとのなかには、故郷のわたしの友人もいます。
  
  しかしながら、津波に呑まれ倒壊した建物の下敷きになった人の顔を思い浮かべて「人間存在というものの根源的な無責任さ」を自分自身に感じたという、堀田(善衛)の重大な告白に類するような、つきつめた内省の文章は、このたびの大震災では寡聞にして聞いたことがありません。
  
  <大震災に負けない日本人の勇気>をオウム返しに言うより、「人間存在というものの根源的な無責任さ」について考えてみるほうが、わたの性にあっているからでもあります。

  --- 大火焔のなかに女の顔を思い浮かべてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ、それはもう身動きもならぬほどに、人間は他の人間、それが如何に愛している存在であろうとも、他の人間についてなんの責任もとれぬ存在物であると痛感したことであった。
  (上のそれは、堀田善衛著「方丈記私記」)

  右(上)の文をわたしは頭の中で、次のように言いかえてみていました。
  <...大火焔のなかに女の顔を思い浮かべてみて、私はおのれというものの根源的な無責任さを感じ、それはもう身動きもならぬほどに、私は他の人間、それが如何に愛している存在であろうとも、他の人間についてなんの責任もとれぬ存在物であると痛感したことであった。>

  このようにくだくだ考えるのも、大震災の衝撃波がわたしのなかではまだいっこうにおさまっていないからにほかなりません。

  わたしの故郷、石巻市の死者は2011年11月30日午前8時現在、3279人(うち身元不明119人)で、行方不明者はこれに加えて651人います。
  このなかには、友人たち、知人たち、とても親しい友人の母、祖母らがふくまれます。
  想い出をたぐっては、ひとりひとりの顔をなぞっております。
  ああ、寒かろう、つらかろうと毎日、毎夜、想います。
  これというわけもなく、逝った人びとを「あの死者たち」と総称したくない思いが最近、頭をもたげ、胸のうちでは「わたしの死者」と呼んでおります。
  大したちがいはないようで、これらの言葉は個人的にはちがいがあるのです。
          同書178ページ

抜粋のしかたがマズイような気がするけれど、それはいたしかたない。
文学者の緻密なシンタックス(構文)で上梓されたそれのなかから、素人が抜粋すること自体が不遜というか、暴挙なのである。
それを承知しながら、あえてやったことである。なにおかいわんやであろう。

*
今朝の気温-2度、小雪


  1. 2012/01/15(日) 07:14:50|
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ツララ 4

「プロメテウスの罠」などのようなテーマは、やはり面白くないのだろう。
コメントがゼロである。
(しかたないなぁ)と苦笑する。

画像フォルダーを覗いたら、ツララが残ってた。
月並み以下のものだが、枯れ木も山の賑わいだろうから並べる。
アクセスしてくださった方への御礼のつもり(笑)

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  1. 2012/01/14(土) 07:07:06|
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ママレード 2

妻のレシピ

   美味しそうでとってもきれいですね♪
   私も食べたいです(^-^)V
   奥様秘伝のレシピを是非、教えて下さい!!
                 2012/01/11(水) ゆ き
晩白柚のママレードに、ゆきさんから上のようなコメントをいただいた。

だいたいの作り方は、傍で見ていて分かるのだが、詳しいそれを知らない。
妻は、喜んでノートを開いて教えてくれた。
そのノートには、カラー刷りのレシピガイドが貼ってある。
その写真と妻の説明でよくわかったのだが......
さて、その写真のところ(肝心の果皮の切り取り方)をどう書いたらいいのか、困惑する。

まず最初に、晩白柚は、果実も皮も全部ムダなく食べられる素敵な果物である。
果実は、グレープフルーツに近い食べ方で美味しい。

  皮(綿様のそれも含め)を剥き取る。(これが写真だとよくわかるのだが...)

   上部果皮を包丁で切断する
   縦に八等分位、中身を傷つけない程の深さに切り取る
   切り取った単片は、メロンのような長方形(舟形)になる
   その単片をさらに横に1~2センチ位に切る

  切った果皮を鍋に入れ、ミョウバン小匙1杯を加え沸騰させ、すぐに火を止めて水洗い
  これを2回繰り返す

  その後、24時間水につけておく(アク抜きのため)
  この間、水を2回取り替える

  翌日、水分を切って、水200cc 、砂糖カップ5杯を加え沸騰するまで強火で煮る
  その後、弱火にして皮全体が透き通るまで煮込む(好みの柔らかさまで)
  仕上げに酢を少々入れ、10分位煮立てて出来上がり

ゆきさん 難しく考えなくてもいいようです(笑)
     先ずは、作ってみるのがいいようです。

「天童の家」に昨日2人、今日3人の来客がありました。
お茶うけに出しまして、お客から喜ばれました。妻も嬉しそうです。


午後3時18分の気温-1度、晴


  1. 2012/01/12(木) 15:19:28|
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ツララ 3

ツララが虹色で輝いてた。
それを見た目通りに写したい!とカメラをむける。
......が、そうはなかなか撮れないものだなぁ

それにしても寒い!
仮設住宅は、もっと厳しいことだろう

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今朝の気温-4度、小雪


  1. 2012/01/12(木) 07:01:53|
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死者の前で


以下は、11日付け記事(朝日新聞)の写である。

    自殺 14年連続3万人超  2011年 前年よりは1177人減少

  昨年1年間に自殺した人が 3万513人だったことが10日、警察庁のまとめでわかった。
  3万人を超えるのは14年連続だが、前年より1177人減っており、2年連続の減少になった。
  東日本大震災で大きな被害があった岩手、宮城、福島の3県を含む34道府県で前年より減った。

  都道府県別では東京都が3100人で最も多く、大阪(1899人)、神奈川(1824人)、埼玉(1645人)、愛知(1630人)の順。
  全体の68%が男性だった。
  (略)
 
  「前年比で減ったとはいえ、年間3万人も自殺せざるを得ない事態は異常だということを忘れてはならない。東日本大震災の影響で、今後は被災地で自殺のリスクが高まることも懸念されている。楽観できるような状況ではない」(自殺対策に取組むNPO法人ライフリンク清水康之代表)


東日本大震災での死者と行方不明数は19.294人(10日午後6時まで判明分)である。
3月11日午後2時46分に起きた地震と大津波によって失ったあまりに多くの命に愕然とした。

新聞記事は、昨年365日間で自死したそれである。年間3万513人。
毎日83.6人が自殺していることになる。
今日もまた、83.6人が自死しようとしているのか?


命あるものは、いつか必ず死ぬ。
そのことは分かっているつもりなのだが...... こうした数字を前にすると、いつも言葉を失ってしまう。
今日もまた......

*
次の長い文は、辺見 庸さんが震災直後に書いたものである。

3月16日付 共同通信加盟各紙 「震災緊急特別寄稿」より

「日常の崩壊と新たな未来―非情無比にして荘厳なもの」  辺見 庸

 「風景が波とうにもまれ一気にくずれた。瞬間、すべての輪郭が水に揺らめいて消えた。わたしの生まれそだった街、友と泳いだ海、あゆんだ浜辺が、突然に怒りくるい、もりあがり、うずまき、揺さぶり、たわみ、地割れし、ごうごうと得体の知れぬけもののようなうなり声をあげて襲いかかってきた。

その音はたしかに眼前の光景が発しているものなのに、はるか太古からの遠音でもあり、耳の底の幻聴のようでもあった。水煙と土煙がいっしょにまいあがった。

それらにすぐ紅蓮の火柱がいく本もまじって、ごうごうという音がいっそうたけり、ますます化け物じみた。家も自動車も電車も橋も堤防も、人工物のすべてはたちまちにして威厳をうしない、プラスチックの玩具のように手もなく水に押しながされた。

ひとの叫びとすすりなきが怒とうのむこうにいかにもか細くたよりなげに、きれぎれに聞こえた。わたしはなんどもまばたいた。ひたすら祈った。夢であれ。どうか夢であってくれ。だが、夢ではなかった。夢よりもひどいうつつだった。

 それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。

わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死になった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示録的光景はそれじしん津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生まれ故郷が無残にいためつけられた。

知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・。一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。

 津波にさらわれたのは、無数のひとと住み処だけではないのだ。人間は最強、征服できぬ自然なし、人智は万能、テクノロジーの千年王国といった信仰にも、すなわち、さしも長きにわたった「近代の倨傲」にも、大きな地割れがはしった。とすれば、資本の力にささえられて徒な繁栄を謳歌してきたわたしたちの日常は、ここでいったん崩壊せざるをえない。わたしたちは新しい命や価値をもとめてしばらく荒れ野をさまようだろう。

時は、しかし、この広漠とした廃墟から、「新しい日常」と「新しい秩序」とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようにことなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりとわかっていることがいくつかある。

われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。

 愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の「個」が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかでなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。

家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか、すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。

カミュが小説『ペスト』で示唆した結論は、人間は結局、なにごとも制することができない、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられない、というかんがえだった。カミュはそれでもなお主人公のベルナール・リウーに、ひとがひとにひたすら誠実であることのかけがえのなさをかたらせている。

混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他にたいしいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。

 いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いったい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。

わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。」


10カ月経った今、読んでこころが震える。
*
今の気温-3度、小雪


  1. 2012/01/11(水) 16:48:26|
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ママレード

ママレード 2012

妻の誕生日に、なにか欲しいものがあったらプレゼントするよと言った。
だが、妻は「なにもない」という。
なにかリクエストがあれば、むしろ気楽なのだが、ないのだからどうしようもない。(苦笑)

8日は日曜日なので、定期的な買い物に行った。ショッピングカードのポイントが10倍になるので、日曜を買物日にしているのである。
チラシ広告を見て、品物と買う店をきめて、3つの店を回る。年金生活者だから、少しでも低廉な買い物に気遣うのは当然であろう。
時間もたくさんあるのだから、ショッピングを楽しむのがいい。社会との接点でもあると思う。知人にも会うことがあるから、ね おかしな恰好もできない。(笑)

主な買い物を済ませ、2つ目の店に行く。そこは他の2つの店にない品物、例えば焼き上がったばかりのパンとか、南国の珍しい果物なども並べてる。
妻は、イクラ(鮭卵・ハラコ)が好物で、値段が少し高めだが......それを承知すれば、そこの店で入手できるから嬉しい。というか、重宝している。
この日も、特別そこで買いたい品物はなかったが、ざーっと見て歩く。

「パパ、これ......」妻が曖昧な言い方で果物棚を指し示す。
「あぁ、ある、ある、ママ これ欲しい?」
「うん、誕生祝いに、これ......」妻の意向が分かる。
「いいよ、買おう。ママにプレゼントする」

妻が欲しいというのは、晩白柚。ママレードにするのだという。
「上手く作るから、パパ写真に撮ってアップして」妻は、ママレード作りが得意なのである。
以前、九州の知人から頂いた晩白柚。それにはレシピが同封されてて、それを見ながら作ったママレードが美味しかった。
雪国で食べる南国産の晩白柚、それはなんともいえない嬉しい気分になる。
南国から送られたそれは、雪国に暮らす者には珍しいばかりでなく、まさに南国の香りと味が楽しめる。

「晩白柚なんて、ね それまで知らなかったけど、ママレードはやはりこれでなきゃぁっていう感じ」妻がそういい嬉しそうに笑う。
雪国の暮らしが厳しければ厳しいほど、南国の香りと味が癒しの力を発揮するような気がする。
「上手くできるといいね。ママのママレード、楽しみだなぁ」
「任せなさい、ちゃんと美味いのを作るから」妻の自信に満ちた声が頼もしい。(笑)

誕生祝いの晩白柚、どちらがプレゼントを受け、どちらが贈る側なのか分からないような会話になってしまうから可笑しい。
でもなぁ、そういうことはどっちだっていいのである。
画像(下)は、8日に入手したそれを妻がママレードに作ったものである。
これまで作ったうちで、今回の出来上がりが最高!のものになったような気がする。
うふふ、やはり気合の入れ方がちがってたのだろう。

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今朝の気温-1度、小雪


  1. 2012/01/11(水) 07:01:09|
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山寺あたり

先にアップしたそれの続き
今日の画像は、「山寺」(宝珠山 立石寺)の周辺で撮った

山寺は、「天童の家」から車で数分で行ける
国際観光地(笑)であるが、冬は訪れる人も少ない
静かな冬の山寺もなかなかいいのだがなぁ

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今の気温-1度、曇


  1. 2012/01/10(火) 11:15:37|
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雪国で暮らす

雪国に長年暮らしていると、いつ頃にスノータイヤに履き替えたらいいのかとかがだいたい分かる。
初雪が降っても、それはすぐに消えてしまうから、慌ててタイヤ交換しなくてもいいと思う。
降った雪が、消えずに、また新雪が降って積り、いわゆる根雪になるのは年があけてからというのが例年のことである。

この冬もそうなるだろうと思っていた。ところが、根雪は年があけてからという見通しはみごとに外れてしまった。
昨年末に降った雪が、その後も断続的に降り積もって、消えずに重なって、とうとう今年は年越し前から根雪になってしまった。
越冬用に畑の土中に囲った蕪と大根も雪を被り、雪に埋まってしまってる。もちろん埋めた場所が分かるように目印の棒を立ててあるからいいのだが......

妻に頼まれ、その蕪と大根を掘りに畑へ一緒に行く。この時期にしてはずいぶんと多く降り積もった雪を掻き分け掘り出す。
「ネズミに食われなくていいね」昨年、大根がずいぶんとネズミに噛じられたことを妻は繰りかえし言う。
「杉(の小枝)を被せて囲ったのがよかったのかな?......」
掘り起こしたあとに再び雪をかぶせる。雪そのものは冷たいけれど、雪をかぶせた方がむしろあたたかく凍みないのである。


「ママ、なにか面白い話ない? 書くもの(ブログの話題)がなくなってしまった」
「面白いことが毎日あるわけでもないしね。そういう時はムリしないで休めばいいのよ」
「ふ~む、それはそうなんだけど......」

「雪の下から掘り出す蕪とか大根ね、雪のない所ではどうやっているのかなぁ」保存方法を問う妻に、私にも分からないから答えようがない。
「特別面白い話などでなくても、こういう雪国の暮らしそのものを書いたらどうかなぁ」と妻がいう。
「そんなの読んでもつまらないと思うんだ......」

妻との些細な会話がヒントというか、示唆になることがある。
そうだなぁ 雪国に暮らしているのだから、身の回りのそれにもっと注目してもいいのではないかと思う。
見慣れている景色や暮らしが、ちがって見えてくることがある。そいう作業というか、見直しがだいじなことかもしれない。
ということで、繰り返しになるかも知れないが、もう一度身近な景色や暮らしを見つめ直してみようと思った。

まず、なんといっても雪景色だなぁ。雪国に暮らしているのだから、それに目を向けてみよう。
雪景色といっても、ね へへ 絵になる所とそうでない場所がある。できればやはり絵になる場所を撮りたいと山寺に出かける。
これまで撮ってきたそれの繰り返し的になるのに、(しかたないなぁ)と苦笑がでる。

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今朝の気温0度、晴


  1. 2012/01/10(火) 07:22:07|
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「ほだげんちょ」


       ほだげんちょ、ふくしまの米、桃、りんご、梨、柿、野菜、人も生ぎでる  福島市・美原凍子

9日の朝、朝日歌壇をずーっと見ていき、美原さんのそれを読みながら、うう 胸に迫り来るものを感じ、歳甲斐もなく頬を熱いものが流れ落ちる。
わずか31文字であるけれど、万感の主張・想いが伝わってきてこころを揺さぶる。すごい「うた」だと思う。
「うた」というより、胸を焼き焦がす叫び!

       いつもよりやさしくゆっくり年賀状の宛先を書く「福、島、県」と     浜松市・石田佳子
明後日で 3.11 から10カ月。復興への進捗は遅々として歯がゆい。
寒さは、これから一層増してくる。
津波から逃れながらも、今 生きる気持ちを失いつつある被災者も少なくないという。


       初漁や市場も漁具もあたらしく     久慈市・和城弘志

       原発や七十億人捨案山子        横浜市・大井みるく

       被災の地冬が棒立ち困惑す      名古屋市・鈴木 誠

       除去されて土へ還へれぬ柿落葉     筑西市・大森 薫

       福島のコメが泣いてる寒さかな     香取市・関 沼男

          短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(9日付)より

9日には「第28回 朝日俳壇賞」が掲載された。
畏友「時田幻椏」さんが金子選で受賞している。

       樹下に居て天思ふ音梅雨に入る     熊谷市・時田幻椏
  投句を始めて12年、努めて1日1句、我が日常を詠んできた。
  厳しい時代状況の中、私が私でいられたのも、俳句という最短詩形に出会えたから、と幸運を感謝する。
「天童の家」では、7月4日掲載のそれを、7月6日にブログで取り上げている。

       虎落笛さへも絶へたり津波跡      芦屋市・酒井湧水
稲畑選の句である。
「天童の家」では、12月20日のブログで取り上げている。

       七十億の二人と思ふ夜長かな      弘前市・千葉新一
長谷川選の句である。
「天童の家」では、11月22日のブログで取り上げている。

       万緑や空を歩いて見たくなる      神戸市・森木道典
大串選の句である。


年間俳壇賞4句のうち、「天童の家」では3句を取り上げているのだから、へへ かなり良い線(選)をいっているのではないかと「自分を褒めてあげたい」気分。(笑)


  1. 2012/01/09(月) 10:58:16|
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ツララ 2

ツララ その2
また撮ってみた。が、イメージの虹の輝きがでない。
捨ててしまうのも癪だなぁと並べることにした。(苦笑)

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今朝の気温-5度、薄い雲が広がってる


  1. 2012/01/09(月) 07:15:22|
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妻の誕生日

妻の誕生日 2012

妻は、1945年1月8日に誕生した。今日で67歳になる。
生母は、妻が2歳の時に逝去した。妻は父の母親と生母の妹に育てられた。
今の母は、叔母にあたる。生母の死去にともない父と結婚したのである。

母には子がいない。
妻は、一人っ子として育った。いわゆる「バァちゃん子」である。
だいじな子どもということで、水泳など危険と思われる遊びはさせてもらえなかったという。
近所の子どもたちと近くの川原(立谷川)へ行きはしたが、自分は水に入らず、岸辺でみんなの泳ぐそれを眺めながら着物番?をしてた。

妻は、海で泳げる。
結婚してから、自分の子どもたちを海に連れてくようになって、その頃に覚えた泳ぎである。
だから、沖までは泳げない。足が届く浅瀬で子どものように楽しんでる。
それで良いと思う。別に速く、遠くまで泳げなくてもいい。

妻は、我がままだと思う。(笑)
自分の欲しいことは、たいてい満たしてもらったのだろう。かなり強い自己主張をする。
その割におっとりしており、他人と争ってなにかを得ようとする気持ちが少ない。
自己主張とのバランスをうまくやっているように思われ、妙に感心する。(笑)

妻は、他人の喜ぶ姿をみて嬉しがる気持ちが強い。
他人の嬉しさを、ね 自分の喜びとしてしまう。
この人と思うと、なんでも惜しげなく与えてしまう。
さくらんぼ・干し柿・青菜漬物などは、自分たちのためというより誰彼にあげるために努力しているような気がする。(笑)

その割には、夫への思い遣りに欠けるような気がしてならない。(笑)
「ママ、みんなへはとても優しいのに、夫へは厳しい。ママ、みんなへの優しさの何分の一でも欲しいなぁ」つい愚痴がでる。
「バカ言わないで! パパをいちばんだいじにしてるじゃない」そういう妻の目がこわい。

ほんとに、みなさんへは優しいママなのだが...... 自分には、なんだかこわい妻。(笑)
でも、なんだかだ言っても、やっぱり自分には過ぎた妻なのだと思う。
ママ、誕生日おめでとう

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  1. 2012/01/08(日) 05:45:05|
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餓鬼魂


4・5・6日の3日間、パソコンが使えなかった。
昨年12月7日に新品(バージョン7)に交換したばかりで、1月も経っていない。
4日の朝、いつのもようにパソコン起動スイッチを入れる。が、いつまでも起動しない。
メカ音痴だから、困ってしまう。

「3~4日入院になる」息子の言葉に、(しかたないなぁ)と諦める。
雪掻きが終われば、あとは何もすることがない。
しかたないのでテレビをつける。BSで「日本の名峰」をやっている。2時間近いそれが素晴らしい!
(あぁ、得したなぁ)としみじみ思う。9時半から11時20分まで、3日間じっくり楽しんだ。

パソコンが平常に使えるのであれば、その時間はきっとパソコンに向かっているか、取材?で動きまわっている。それができないからテレビを見てた。(あぁ、こういう世界もあるのだなぁ)と思う。
テレビ見たし、さて次は書き物がしたい気分になる。白鳥飛来地もたしかめたいとも思って書斎に向かう。
......が、パソコンが使えないのに気づき、(そうかぁ、ダメなんだ)と歯ぎしりする気分。

いまさら紙に書く気がしない。また検索なしで書けるものではない。これまでに書いてたことが、いかにパソコンという便利なツールに頼っていたのかを改めて思い知る。
パソコンのない生活が、うふ 気のぬけたビールみたいなそれなのを実感する。
パソコン依存とはちがう。一度知ってしまった道具の便利さ、その使い勝手が捨てがたいのである。

3日間、パソコン抜きの暮らしもわるいものではなかった。それなりに充実したというか、(あぁ、こういう時間の過ごし方、感じ方もあるのだなぁ)としみじみ感じることができた。
パソコンがなくても暮らせないわけではない。むしろ、そういう世界が新鮮にさえお感じた。

6日の夕方にパソコンは使えるようになった。
......が、復旧は嬉しいと思った。けれど、
「これから遅くまでかかるの?」妻に問われ、「イヤ、今日はしない。明日に」と応えてた。

7日の朝、少し早起きしパソコンに向かう。いつものパソコンのある日常が戻った。
そこで改めて 思ったのは、一日いちにちにやっている作業はたいしたものではないのだが、3日間が溜まったそれをこなすのは、うう なかなかエネルギーを要することなのだなぁ
自分が毎日アクセスするサイトは多くない。10件前後である。それらにちょっとしたコメントを書く。気になる作業量ではない。

だが、溜まった3日間となると、話がちがってくる。(笑)3倍の30件、その書き込みはやはりなかなかたいへんだなぁと感じる。
まぁ 焦ることなく、マイペースでやるしかない。
インターネットの世界は、なんだかだ言いながらもやっぱり素晴らしい世界である。
パソコンなし、インターネットのない世界は寂しい。豊かで便利な道具は暮らしを、人生を厚くしてくれる。
パソコン3日間の入院で、長くかけてつくりあげた日常の暮らしがやはりかけがえないものであるのを実感した。
これが、我が身の入院であったなら、さらにもっと大きな出来事だったろう。幸いにわずか3日間の欠乏感で済んだ。
これからの毎日に、ね パソコン入院で感じた事柄を忘れずに、教訓として生かしていきたい。
へへ 転んでもただでは起き上がらない餓鬼魂?を発揮していくつもりである。(笑)

+*
今朝の気温-2度、晴


  1. 2012/01/07(土) 09:54:35|
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時を生きる

以下の文は、3日に書いたものである。

お正月の話題にそぐわないかも知れない...... が、備忘録というか、恥さらしだが記録しておくことにする。
3日、寺へ 新年の挨拶をした後、孫たちへ他所からもらった「お年玉」を届ける。
その後、実家と次兄の家へ年始へ行く。
実家の兄は、4年前に亡くなってるので兄嫁といろいろ話す。兄の思い出が語られるが、もう「喪の仕事」も済んだようで悲哀の感情はないようで、正月らしい笑いが広がる。

次いで次兄の所へ。次兄の顔が思ったより良いのでホッとする。しかし、次のような言葉を聞く。
「夕べ、風呂場で気分わるくなって......」身体が思うようにならず焦り、不安が大きかったという。
(あぁ、やっぱり歳だなぁ)と思う。十歳年上だから82歳で、いつどんなことがあっても不思議ではない。

「親父が亡くなったのは、何歳だった?」恥ずかしい話だが、自分は親のそれを知らない。
次兄は、両親の写真が入ってるそれを差し出す。命日と享年が書いてある。
父親は 65、母は77であるのを知る。本当に恥ずかしいことだが、この時まで知らないできたのである。

長兄は79歳で亡くなった。

次兄は82歳である。そして自分は72歳...... 
うう、もういつの間にか、こういう歳になった。いまさらながらその歳を改めて驚きにちかい感慨をもつ。

正月の話題にはそぐわない。だが、話はそっちへいってしまう。
なんとも辛気臭い話だが...... それが実際なのである。(苦笑)


4日にアップしようと思っていたが、パソコンが不具合でできなかった。
次は追加のそれである。

新年になって、同じ町内で2件(軒)の葬式があった。
一つは、96歳の女性。もうひとつは84歳の男性(Mさん)のそれである。
Mさんは近所でもあり、告別式に参列した。その人は、「たがや」と呼ばれ、桶などのタガ(箍)を結うことを仕事にする職人だった。

通りから見える仕事場でタガを結うMさんの姿が見られたのは、もう40年も前のことである。
木製の桶は、いつの間にかプラスチック製のそれに代わり、タガを結う仕事は見られなくなって久しい。
同じ町内には、「からかさや」「いかけ」「すみやき」「ばしゃひき」「とうふや」などと呼ばれる家々があった。
それらの屋号も今では古老しか知っていない。屋号の時代はすでに「歴史」になってしまってる。

Mさんの逝去は、町内に住む最後の職人のそれであった。
大正元年は、西暦1912年であり、今年がちょうど100年め。明治はおろか、大正の世も遠く、昭和さえ歴史になっているのである。
新年もはや今日が7日。七草粥で健康をたしかめたい。

明日は、妻の誕生記念日。うふ 忘れずに言葉をかけなきゃぁ (笑)


  1. 2012/01/07(土) 06:15:14|
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入  院

4日朝、パソコン起動のボタンを押す。
......?? いつものそれとようすが違う。
いつまで経ってもパソコンが起動しない!

どうしたらいいのか? 
しばらく待って息子にレスキューを求める。
息子の手にも負えないトラブルらしい。

「入院させた。3~4日かかるようだ」息子の言葉に、ただ頷くしかない。

4日・5日・6日 パソコンのない日を過ごした。
うう、なんとも落ち着かない3日間だった。
詳しいことは追って書くつもりである。

先ずは、とにかくパソコン不具合で3日間入院したことだけを報告する。
明日からは、ね 再びちゃんとアップすることができる。

今午後6時56分 気温-1度、小雪
周り中が雪、ゆきだらけの世界


  1. 2012/01/06(金) 18:59:57|
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娘の挨拶

娘と孫たちが二日にやってくるので、朝から(イヤ、昨日から)いろいろと準備をする。
妻は、独り娘で兄弟姉妹がいないし、子どもも長男と長女の二人だけだから、孫たちがやってきて賑やかになるのが大きな楽しみなのである。
いちばん下の敬君(中1)が好きなのはりんごジュースと卵焼き、真ん中の克行君(中3)はエビが好物、いちばん上の光浩君(高2)は「あじまんが食べたい」と言う。
孫たちの好物について、自分は知らなかった。上のそれは妻が話すのを書いたのである。さすがに妻は、(よく知っているなぁ)と感心する。(笑)

りんごジュースは、Kさん家で作った自家製ジュースを確保してある。卵焼きは食べる前に焼けばいい。
エビは、冷凍ものだが、それも揚げたてなら美味しく食べられる。
「パパ、『あじまん』ってどこで買える?」妻に問われるが、分からない。
「ショッピングセンター前あたりでやってるあれじゃないかい? 」ということでオードブルとか刺身などの買い物時に確かめることにする。

お正月の初売といえば、以前は二日だった。......が、最近は元日からやっている。
「昨日は混んでたぁ、今日もまた賑やかになりそう。みんな、なんだかだ言いながらよく買い物するんだねぇ」妻の言葉に深く頷く。
「ママ、ほらぁ 『あじまん』そこにある!」ホームセンター前の出店ふうのそこで「十勝あんこ」を使ったそれを売っているのを見つけて買う。

予定してた買い物を終え、帰宅の車中で、妻が「年賀はがき持ってくるのを忘れた」と気づく。追加分のそれで、夕べ書いたものである。
「ママ、そう言えば、アイスも買い忘れたみたい」と私。
「あぁ、ほんと。やっぱりメモしないとダメね」と妻。
「はがき持って、もう一度出直して来る。ママは料理の続きをやればいい」
へへ、正月そうそうから買い物一つとっても失敗のはじまりである。が、目くじらたてるほどでもない。

追加の食材を買い終え、妻は調理を続け、自分は再度街へ出かける。葉書をポストへ入れ、買い忘れたアイスを仕入れる。
孫たちが大好きなアイスは、やはり切らすことはできない。


追加の買い物から戻り、今日配達された年賀状を読み、パソコンをやっていると孫たちの到来である。
先ず仏壇の前で神妙に手を合わせてるようす。
その後、孫たちは 書斎にいるジィジの所へ来て挨拶する。なんだか恥ずかしそうな表情である。っふふ、いったいなにが恥ずかしいか? 挨拶するのに恥ずかしがることなど何もないはずだ。
ん? あぁ そうか そういえば、(そういう年頃なのだろう)と思った。

孫たちが茶の間へ立ち去ると、娘がひとり書斎にやって来、膝まづいて両手をまえに挨拶する。
(おいおい、なんの真似だ?)私は、なんだか恥ずかしいような妙な気分である。
これまで娘にこんな形で挨拶されたことがない。結婚式の時だって娘は立ったままだった。
なのに今日はいったいどうした風の吹き回しだ?!

これまで、孫との間には、他人行儀な挨拶などは一度もなかった。それでなんの支障もなかった。血の通った間柄だもの、挨拶など意識したことがない。
なのに、今年はちゃんと挨拶がなされた。孫たちが孫たちなら、娘まで膝まづいて挨拶する。
うう、なんとも照れくさいというか、(どうしてそのような他人行儀な)という思いがする。

娘と孫たちが、なにかを話し合い、こうした挨拶をすることになったのだろうか?
「親しき仲にも礼儀あり」という俚諺がある。孫たちも大きくなって、ね そろそろ人間としてのつき合い方を身につけるようになったと理解すべきか?
それなら、それで良しと思う。いかに血の繋がった間柄であろうと、人間としての繋がりにはそれ相応の節度があっていい。

昨年の字が「絆」だった。絆をよりいっそう太く確かなものにするためには、むしろ互いを認め合うそれが基本だ。孫や娘の挨拶が、一つの形として、その証といえば言えるかも知れない。
今年4月、光浩君は高3、克行君が高1になる。よくもまぁ、ここまで健康で元気に成長してくれたと思う。
これからは、君たちの時代だ。心底そう思う。

*
今朝の気温2度、曇


  1. 2012/01/03(火) 06:53:57|
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