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定番画像


パソコンモニターの右端に、時計・カレンダー・気温掲示・サムネイル画像・メモ帳の5つが表示されている。
これがけっこう役立っている。時刻は、画面右下にも出てるが 小さいので、妻は「今何時?」と言いながらよく右上のそれを見る。
カレンダーは、パソコンの置いてある壁面の右上にも張ってあるが、パソコンのそれは該当日を赤くディスプレーしてくれるから間違わなくていい。(笑い)
サムネイル画像は、これまで使用した画像の中からランダムに、時間をおいて換えながら表示する。(あぁ、こんなのもあの時に撮ったのだったなぁ)と懐かしく見る。
気温のそれは、毎日エントリーの最後に書くために重宝している。なにかトラブルで見られないとなんとも落ち着きない気分になるから可笑しい。
メモ帳のスペースは狭く、短文を4行ほどしか書けない。今書いてあるのは、「ミスミソウ3.30」と「ザゼンソウ4.1」の二つだけである。

メモ帳には、これから撮影する被写体の撮影日を備忘録としている。毎日見ているから、決して忘れることがない。
日付の数字は、過去2年くらいを確かめてその日を割り出している。
今書いてある「ミスミソウ3.30」と「ザゼンソウ4.1」も、例年なら大きなズレもなく撮影できるはずであった。
しかし ミスミソウ(ユキワリソウ)の 3.30は、今年はハズレてしまった。残雪が多くて花どころか土地さえ出ていないのである。

春を告げる花として、マンサクとミスミソウはその年真っ先に登場する花で、もうすっかり定番画像になってる。
マンサクは、地に残雪がありながらも咲いており、30日に 定番の役を果たしてくれた。(笑い)
でも、ミスミソウは3月末の出番に間に合わなかった。何日後になるか 後日、ちゃんと登場してもらう予定である。

さて、もう一つのザゼンソウだが、この近辺では山形野草園に限られてる。野草園は毎年4月1日が開園日で、その前には見られない。
したがって、いくら開花の早い年でも撮影は開園日となる。
しかし、今年の残雪状況では、4月1日の開花はムリだろう。ガソリンなど気にすることがなければ、早春の野山ドライブと洒落てもよいのだが...... 出かけたところでザゼンソウには出合えないだろう。

「天童の家」では、もともと花や景色を撮るためにわざわざ遠出をすることは少ない。
山形野草園までは12㌔あるかないか...... それでも、今はムダな運転はできない。
それにしても、今年はいつまでも雪が残っている。明日から4月なのだから、ね もうちょっとあたたかくなって欲しいものだなぁ

*
今の気温2度、みぞれが降ったり、陽が照ったり、今は曇りとめまぐるしく変わる不安定な天気


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  1. 2011/03/31(木) 08:19:06|
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日常茶飯事の幸せ


あつこさん(イギリス在住)のブログから、また拝借した。
                http://myfordfarmdiary.blogspot.com/

  地震によって日本や日本人は変わるかという話ですが、個人的なことではやっぱり考え方というか、見方が変わりましたね。
  たとえばうちの場合、地震以来いくつかトラブルが起こってます。まずお風呂場の水漏れで一階の天井とバスルームの壁にしみができ、まだ水漏れ自体も完全には収まってません。
  それから掃除機が壊れました。チャーリーが図書館の本を失くしました。

  水道のこと、普段ならかなり心配したりストレスになったと思うんですが、今はストレスっぽくなってくると、「ちょっと待って。これを全体像に当てはめて考えてみよう・・。こんなの地震や津波に比べたらトラブルとすらいえないよな。」 って思います。
  ほんと、こんなことでいらいらしたり悩んだりするのあほらしいよなって。
  先週の水曜も掃除をしてると10年近く使ってたダイソンがついに死んでしまいました。それでその場で車を走らせて隣町まで行って新しい掃除機を買って、そのまま家に帰って何も無かったように掃除の続きをしました。

  チャーリーが本を失くしたときは、図書館に行こうと家を出るときに気づいたので、仕方なくその日はそのまま行って、学校においてきたなどと嘘を言って延長してもらいました(イギリスでは遅延すると罰金なので)。
  子供が物を失くしたり壊したりというのはちょこちょこあることで、そのたびに子供には思いっきり小言を言うところですが、今回は「まあいいか、3週間延期してもらったからそのうちでてくるよ。」という感じで、チャーリーはラッキーにもあまりしかられませんでした。

  今までならいらいらしたり怒ったり心配したりする場面でも、一歩後ずさりして全体の構図を見渡して、「こんなことしょうもないことやん。私ってホンマつまらんことで悩んでたわ。」と思うようになりました。
  たくさんの人が亡くなったこと、多くの人が愛する人を失くしたり、家や職場や所持品を一切なくしたこと。そんなことに比べれば、我々が普段愚痴を言ったり文句を言ったりしてることって、なんと些細なことが。
  命があって、家族が元気で、温かい家でおいしいご飯を毎日食べれる。つまらない、取るに足りないことを口実に、そういう幸せをぜんぜん感謝しないで暮らしていることか。

  このことは地震のほとぼりが冷めても忘れないでいたいです。

次は、あつこさんのブログへコメント
   こんの said...
  あつこさん 今日のを読んで、ね 心の底から共感、そして敬意を覚えました
  >普段愚痴を言ったり文句を行ったりしてることって、なんと些細なことが。命があって、家族が元気で、温かい家でおいしいご飯を毎日食べれる。つまらない、取るに足りないことを口実に、そういう幸せをぜんぜん感謝しないで暮らしていることか。

  自分のブログにも書きましたが、人生観が変わりました
  なにもかも剥ぎ取られたような自分を感じました
  3.11は、3.11からなにかが大きく変わりました
           29 March 2011 23:11

   Atsuko said...
  こんのさん、敬意なんてとんでもない。でも共感を持っていただけて嬉しいです。
  やっぱり昨日も書いたように、個人的な人生観が変わった人っていうのは多いんじゃないかなあ。
  それがいいことならば、地震のほとぼりが冷めればなくなるのではなく、忘れないようにしたいですよね。
           30 March 2011 00:09

そう、「忘れないようにしたい」と思う。
あつこさん ありがとう

*
今朝の気温2度、日脚はだいぶ伸びてきてるが、まだ朝日が射さない


  1. 2011/03/31(木) 05:41:41|
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党方針に反して

国会では......

    子ども手当:つなぎ法案31日にも成立   (毎日 J P 30日より)
 10年度の子ども手当(15歳以下に月額1万3000円)を6カ月間延長する「つなぎ法案」が31日にも参院本会議で可決、成立する見通しが強まった。
みんなの党の寺田典城参院議員が党方針に反して賛成する方針を固めたためで、与党と共産、社民両党などと合わせ過半数(121議席)を確保できる見込みとなった。

 政府は30日午前の持ち回り閣議で、11年度から0~2歳児に限って月額7000円を上乗せする子ども手当法案本体の取り下げを決定した。
これを受けて、自民、公明両党はつなぎ法案の参院審議に応じる方針だ。

 みんなの党はつなぎ法案に反対したが、同党の寺田氏は毎日新聞の取材に「(子ども手当を)政争の具にしてはいけない。子育てを社会で支えるのは私のライフワークだ」と述べ、賛成する意向を表明した。
30日午後に渡辺喜美代表に伝える。

 つなぎ法案は31日の参院厚生労働委員会と参院本会議で採決される見通し。与党は参院で否決された場合、衆院の3分の2以上による再可決を目指す方針だった。【野口武則】


社説:震災と国会 駆け引きしている時か
  3月11日を境に日本列島は様変わりした。被災地の人々を取り巻く環境の激変は言うまでもないが、遠く離れた土地でも、子どもからお年寄りまで、くらしや意識の切り替えを迫られた。
  ところが、ここだけは何も変わっていないのではないか、と怒りを覚えずにはいられない場所がある。

  11年度予算が成立した。子ども手当を6カ月間、延長する「つなぎ法案」は、共産党などの賛同を得て成立を目指すという。
  だが、肝心の、赤字国債発行に必要な法案は成立のめどが立たない。
  大震災から間もなく20日。補正予算の編成など対策が本格化しているべき時期だが、永田町はまるで震災前のようである。

  当面の被災地支援に中長期の復興計画、そのための財源確保や、もともと6月までに決めることになっていた税と社会保障の一体改革。
  夏場に向けての電力対策に、原子力発電の今後の扱い……。課題山積の一方で時間の余裕はない。
  ところが、菅直人首相の原発視察が適切だったか、などという相変わらずの責任追及が行われている国会だ。

  「あとは決断と実行だ。何をいまさら議論しているんだ」--。津波で家族が犠牲になった黄川田徹衆院議員の言葉である。
  被災者支援における政府の対応を批判したものだが、国家が危機的状況にありながら、なお駆け引きを優先させる与野党の有り様全体に当てはまる。

  何か決定的な隔たりがあるから、進まないというのではない。
  優先度の高いものから速やかに実行する、費用は能力に応じ被災者以外の全員で負担する--。原則を共有すれば、小異は党首の決断と党内説得で越えられるはずだ。
  国民が「自分は何をすべきか」と自問し、協力し合っている中、政治家が党のメンツにこだわっているようでは情けない。

  福島第1原発の事故をめぐっては、なお緊張が続いている。だが、このままでは、原発がもたらす損害を、政治のもたつきがさらに拡大してしまうのではないかと危惧せざるを得ない。
  政治不信が一層深まるのを恐れる。国民の信頼を失った政府に、例えば原発が最悪の事態に陥ったような場合の国家の統率ができるだろうか。
  あるいは、国民に一段の我慢や負担増を求めねばならない時、協力を得られるだろうか。

  投資家や格付け会社を含め、国際社会も日本の政治の行方を注視している。
  国民や企業や自治体の頑張りで何とか保たれている国の信頼を、本来、先頭に立つべき政治家が台無しにするようなことは許されない。
  防災服姿のアピールより、国民の代表として結果を出してほしい。

寺田典城参院議員の良識に拍手し、また毎日の社説に同感する。
以上を 備忘録に入れることにした。



  1. 2011/03/30(水) 12:50:26|
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マンサク 2011


昨日(29日)アップしてもよかったのだが...... 一日遅れでエントリーする。
地にはまだ残雪があり、イチゲやユキワリソウなど春を告げる花たちは、雪解けをじーっと待っている。
それで、ね 地上から出てる枝に咲くマンサクに一縷の望みを託して行った。もしかしたら...... 咲いているかも知れない。

残雪のある仙山線沿いに歩き、線路下の隧道(水路)をくぐる。
目前の里山には、もちろん残雪があるのだが、木々たちは残雪に関係なく空に向かって伸びている。
厳しかった冬を乗り越えて、ね 来る春を待っているのである。うう、間もなく「山笑う」はずだ。

残雪を踏みながら マンサクの木に近づいて行く...... と、そこにぼーっと黄色が見える!
地にはまだ残雪があるけれど、マンサクは咲いている!
例年この時期には咲いてるマンサク。残雪があろうと、なかろうと、時期が来れば たとえ雪があっても開花するマンサクを改めて知った。

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今朝の気温-1度、晴 



  1. 2011/03/30(水) 06:40:51|
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錆びた鉄路


例年なら 今頃は 春を告げる花たちが咲いてるはずなのに、今年は地上にまだ残雪がある。
それでもじーっとして居られず、自転車を漕いで「偵察」に出かける。
大森トンネルをくぐり抜けた所で自転車を置き、仙山線沿いに歩く。土手や道の脇にはまだ残雪があって、いちばんに咲くイチゲの姿はもちろん見られない。

仙山線の線路を見て(うう、こうなるのだなぁ)と納得する。
鉄路情報によれば、仙山線は次のようになっている。
  仙山線は宮城県側の八ツ森-奥新川間で線路の盛り土が流出する大規模な被害が確認されており、山形-仙台間での運行再開のめどは立っていない。
 山中に重機を持ち込んでの大規模工事となるため、作業は長期化が予想されている。当面、両区間での折り返し運転となる。
2011/3/29 16:12:10

電車の走らない線路は、錆びてしまう。これまで、こんな鉄路を見たことがない。

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  1. 2011/03/29(火) 17:10:22|
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津波の高さ

3.11津波のこと

以下は、備忘録として保存したもの
  東日本大震災 各地の津波の高さ (朝日新聞 29日付より転載)
       八 戸    8.4
       宮 古    8.5
       釜 石    9.0
       大船渡    9.5
       南三陸   15.4
       女 川   17.6
       石 巻    5.0
       仙台新港  14.4
       相 馬    7.3
       福島第一原発14.0
       大 洗    4.2
   数字は㍍。相馬は7.3㍍以上、宮古は8.5㍍以上と推定。
   大洗・相馬・宮古は気象庁、福島第一原発は東京電力、仙台新港・石巻・大船渡・釜石・八戸は港湾空港技術研究所、女川・南三陸は早稲田大の調べ
*

  東日本大震災:指定避難所に津波 死者・不明100人超す
毎日 J P (29日)より
    主な自治体指定避難所の津波被害状況

  東日本大震災で、自治体が定めた指定避難所のうち少なくとも64カ所が津波に襲われ、確認されているだけで100人以上の死者・行方不明者が出たことが分かった。
  このうち岩手県陸前高田市では35カ所が被災し、70~80人が避難していた同市民体育館の生存者は3人だけだった。
専門家は「想定外の津波のため自治体を責めるのは酷だが、浸水想定区域など対策を大幅に見直す必要がある」と指摘している。【沢田勇、松谷譲二、岸本桂司】

  陸前高田市によると、津波被害予測を基に避難場所に指定した68カ所のうち半数以上が浸水。被害者数は不明だが、多数に上るのは確実だ。
市民体育館は住民が集まってから高台に逃げることになっていたといい、戸羽太市長は「高齢者が1人で高台に逃げることは難しく、集まった住民の力を借り避難してもらうはずだった。
想定より津波の到達時間が早かった」と話した。

  同県山田町では、町指定の避難所2カ所が津波にのまれた。
町によると、同町船越の「小谷鳥コミュニティセンター」には12~13人が避難したが、うち11人が津波にさらわれ行方不明となった。

  同町の漁業、川村司さん(37)は、父進さん(71)と自宅から海抜10メートルほどの同センターに逃げ込んだ。
避難所まで波が来るとは思わず、避難者全員が海を眺めていたが、堤防を乗り越える津波を見て山の斜面に駆け出した。
逃げる際に振り返ると、センターの建物も進さんの姿も消えていたといい、司さんは「父を助けたかった」と悔やんだ。

  同町の避難所は、1896年の明治三陸地震津波(町内最大6.58メートル)に耐えられる設定だったが、佐藤勝一副町長は「想定外だった」。
ただ、同センターについては地震前に住民から「位置が低すぎる」との声が上がり、見直しが始まっていたという。
宮城県では少なくとも20カ所が浸水。各自治体などによると、仙台市では市立荒浜小学校が、東松島市でも小中学校2校が津波に襲われ、いずれも死者が出た。石巻市では北上総合支所で職員らが死亡した。

  静岡大防災総合センターの牛山素行准教授は「指定避難所は、過去の大地震や近い将来起こるとされていた宮城県沖地震の浸水想定区域の外側にあった。
自治体の想定が甘かったと言うのは酷だろう。しかし、浸水想定区域を大幅に見直し、市街地に強固な避難所を設けたり、住民もなるべく高い場所に早く逃げるという意識を再確認することが必要だ」と話している。



今の気温4度、晴  今日はこれからぐんぐん気温が上がるだろう。嬉しいことだ



  1. 2011/03/29(火) 09:39:08|
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自主防災会活動

自主防災会と記念品代

書こうか、書くまいかと思いながら、まだ書いていないことが 二つある。どちらも 3.11 に関わること。

13日に、町内自治会総会があって出席した。
1号議案は、平成22年度事業報告並びに収支決算の承認である。総会資料にはいろいろな事業内容が書かれてる。
その6番目に 自主防災活動があって、前年度総会で「災害時の給水確保」について質問(提案)したそれへの対応が書かれてる。
それはそれで良いのだが、前々日に起きた大地震時の具体的な取り組みについて糺した。

自主防災会(主に自治会役員たち)では、地震発生後に直ちに対策本部を設置し、独り暮らし高齢者等の見廻りと情報提供を行い、余震が続いて不安を感じている方には避難所へ移ってもらった。
干布地区の避難所設置は、ラジオでも放送され、それを聞いて(早い設置だなぁ)と安心したものである。
これまで訓練をやってきたが、実際に避難所を設けたり、いわゆる災害弱者と言われる要援助者への実際行動を行い、いろいろな不備や困難がはっきりしたという。
無線はぜんぜん使い物にならなかったし、ケータイがダメということもはっきりした。いちばん確かなのは足だという。

さいわい大きな被害はなくて済んだからよかったが、建物の倒壊等がひどければ、人命の危機に対応する行動が求められたかもしれない。
火災もなく、やれやれと胸を撫で下ろしたとの報告(説明)を聞いて、自主防災会の存在の大きさをあらためて認識した。
うう、自主防災会を立ち上げた当事者として、自分の方向性は間違いなかったとホッとした次第である。

議事がはじまる前、それなりのセレモニー的なことが行われる。区長挨拶の後、感謝状贈呈があり、今年はただひとり自分が感謝状を受けた。
単にそれだけなら、ここに書かなくてもよいのだが... 9年間、民生委員・児童委員として活動したことへの賛辞とともに記念品代(現金)をいただいた。
正直いえば、(あぁ、これで温泉宿泊代一人分ができたなぁ)と思った。(笑い)
妻も、その金についてはなにも言わなかった。のし袋に入ったまま、しばらく書斎に放置されてた。

大震災の報道を毎日見ているうちに、(これは災害見舞金にしよう。個人のためには使えない)と思う気持ちが出てきた。
民生委員を務めてきた間、身近で大きな災害もなかった。無事その任を終えたのも、運がよかったことと、みんなの協力があったからだ。
自治会からいただいたそれは、感謝状で十分だ。記念品代は被災者への見舞いに廻しても誰からも文句はでないはずだ。

こういうことは、書いたりすることではない。そう思ってこれまで書かないできた。
でも、まぁ ムリして隠しておくことでもないだろう。こころに少し引っかかっていたことだから、書くことですっきりしようと... (笑い)


ここまで書いたことだからついでに書こう。
第5号議案は「役員改選」。今年は自治会役員改選(任期2年)の年にあたり、臨時総会までして規約改正を行い、はじめての役員改選である。
いろいろ動きがあったけれど、新しい自治会長(区長)・副会長・評議員も決まった。
へへ 私も監事をやれといわれ、役回りだからと引き受けた。

町内自治会は、共同体社会であるから、ね とにかく「みんなが楽しく暮らせる地域社会作り」を目指さなければならない。
その中で、「みんなの命と財産を守る」ことも忘れてはならないことである。
そいうことでは、今回の大地震は、自主防災のあり方をも真剣に考え、必要な備えをきちんとしていく大きなきっかけになった。
この災害から多くのことを学び、今後に役立てることもだいじなことである。


今朝の気温-4度、晴   日中は温かくなりそう


  1. 2011/03/29(火) 06:05:53|
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復旧急げ

17日目のようす

今朝はどういう風のふきまわしか午前5時少しすぎに起きてしまった。ルチンワークであるパソコンをはじめていると妻もやってきて「学童へパソコンをとりに行ってくる」という。
4月から入ってくる子どもたちの数が増え、今のままでは手狭でどうしようもない。それを少しでも解消するため、押入れを取り払ってスペースを広げる。そのための大工さんが今日から来るという。
それでがたがた振動するのはパソコンによくないだろうから「天童の家」へ疎開させるのだと笑う。

「パパ、農協のに並ぶ? 今ならまだ詰められるようだった」パソコンを抱えて戻った妻が、車へ ガソリンを詰めないかという。
「分かった。今行く」応えて、パソコンの前を離れ、ヒゲそり・新聞・単行本を鞄に入れ、6時きっかりに出かける。
最後尾に並んで待っていると、農協職員が整理券を配って歩く。(私は)49番目で、まちがいなく詰められると笑う。

顔見知りの人も何人かいて、挨拶を交わす。車中で待ちながらヒゲを剃り、新聞を広げる。月曜日の今日は『朝日歌壇・俳壇』が掲載されてるので、その中から気に入った(共感した作品)のを選びマークする。
そうしているうちに車列が動き出す。まだ6時半なのに... 先日のSスタンドと違って、いつもの業務開始時刻よりも2時間も繰り上げて注油をはじめたようである。
地元農協ということで、このような粋なはからいに大きな拍手をおくりたいと思った。持参した単行本は読む暇もなく、車がずんずん進んで行く。

10㍑(1500円)を詰めてもらい、近くの車屋へ。先程、待ちながら車検を今日やってもらえることを確認したのである。
妻に、車屋へ迎えに来てもらうよう電話し、待っているとケータイがぶるぶると震える。(妻からかなぁ?)と見ると、緊急地震情報の信号である。(28日午前7時24分)
(あぁ、また大きな余震だなぁ)
余震は、ずいぶんと少なくなったようだ。3.11 からすでに17日が経過した今でも、まだこのようなのがあるのにうんざりする。

「パパ、ガソリン詰めた?」あまりにも早い迎え要請に、妻はまたの空振りを懸念したのだろう。
「今日は詰められた。時間 早くはじめたんだ」
「よかった。パパ、先っきの地震、分かった?」
「うん、ケータイが知らせてくれたんだ」
今日のガソリン詰めは、家を出てから1時間20分もかからないで入れられたことになる。このように徐々に待ち時間も少なくなり、余震も弱まってきてる。

朝食を済まし、妻が学童へ行くのを見送り、散歩へ出かける。
スーパー農道にも、少し車が多くなったようで、はじめ南進・北進などと数えていたが、っふふ、なんだかバカバカしくなって止める。
ガソリンもそう入手困難でもなくなり、道路の車数もだいぶ多く感じられる。これはやはり徐々に回復してきたせいだろう。

津波被災者たちはまだまだ暮らしに困っている。でも、わずかずつ復旧活動が活発化している。
時間がかかるだろうが、きっとねばり強く復活することを信じたい。


今の気温7度、晴



  1. 2011/03/28(月) 13:52:19|
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東日本大震災を詠む

以下は、朝日新聞が「東日本大震災を詠む」俳句を緊急募集。応募1300句の中から朝日俳壇選者4人が特選3句を選んだ。

       ものの芽の天地裂くとも萌え出でよ    埼玉県蓮田市・斎藤哲哉
       みちのくの地震鎮もれよ花辛夷         大分市・富尾和恵
       雪囲解かざるままに津波来て       神戸市垂水区・浜崎素粒子
                以上 稲畑汀子選

       生きていて生きてるだけで燕来る    東京都江戸川区・飯田 操
       世界中の瞳と思え春の星         滋賀県野洲市・鈴木幸江
       涅槃西風海から瓦礫地獄まで       横浜市戸塚区・猪野鳳保
                以上 金子兜太選

       乾坤の未曾有三月十一日         横浜市金沢区・藤田定雄
       春の海津波の牙に変わりけり       東京都目黒区・横田貞子
       避難所に顔つつみ寝る日々余寒    大阪府河内長野市・古川眞澄
                以上 長谷川櫂選

       春月や瓦礫の町に嬰生まる       名古屋市昭和区・坂倉公子
       毛布なき君に熱燗飲ませたし       大分県別府市・河野靖朗
       避難所の春の暖炉の明りかな       神戸市垂水区・浜崎素粒子
                以上 大串章選

以下は、3月28日付の朝日歌壇より

       地震による停電岩手を包み込む3.11雪降りやまず         岩手県・田浦 将
       ぐらぐらと畑がゆれる施肥をするわれは咄嗟に四つん這ひになる  長野県・小林正人
       大地震津波の前に詠みし歌春は近くて脳天気なり         東京都・夏目たかし

       冷蔵庫に庭の雪氷詰めにけりランプで暮らす日々の続けば     盛岡市・佐藤忠行
       ケータイはつながらないのに充電の残量気になる余震の夜に    山形市・渋間悦子
       被災地を視ては夫婦で涙ぐむ温かき部屋にて熱き物食べ      飯田市・草田礼子

地震:石巻市で震度5弱
 28日午前7時24分ごろ、東北地方で強い揺れを感じ宮城県石巻市などで震度5弱を観測した。
震源地は宮城県沖で、震源の深さはごく浅く、地震の規模はM(マグニチュード)6.5。この地震にともなって、気象庁は宮城県沿岸に津波注意報を発令した。

*


今の気温-1度、晴




  1. 2011/03/28(月) 09:24:26|
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回復ピッチ


娘から「1時間ほどで詰められた。これから買い物してくから、少し遅くなるかも...」との電話がある。1時間とは、もちろんガソリンを詰めるにかかった時間である。
近所のKさん(妻の従姉妹)から「2時間かかったけど満タンしてきた。買い物に行くなら、乗って行かない?」との誘いの電話もある。
日曜(27日)で、みんな明日からの通勤などのために注油に並んだのだろうが、先日のような 5時起きしてとか、4時間以上も並んだという状態ではなくなったようだ。

寸断されていた道路も通れるようになって、ガソリンや灯油などが運ばれて来るようになったようだ。
彼岸のお参り、ガソリン欠乏で行けなかったのだが、いつまでも行かないのも気になって出かける。
途中、ショッピングセンターでいつも買っている品物を買い物篭に入れる。だいたいの品は揃っているが、それでも棚は空が目立つ。「食べる煮干し」は買えなかった。

また、ガソリンスタンド近くでは、並んでる車の列が長く続いてる。はやり1時間ないしは2時間くらいはまだ待たなければならいのが分かる。
午前中に散歩したスーパー農道の交通量も少なく、南進車両は2台、北進は5台とまだいつものそれにはほど遠く、閑散としたもので、やはりちょっと寂しい気分。
大地震から16日(27日現在)が経ったけれど、人々の行動はいまだに抑制されているのが実際だろう。

はじめに娘の家へ行く。孫の卒業祝いを約束していたが、ガソリン欠乏で行けなかったからで、1週間遅れで約束を果たす。
孫は、卒業証書を広げて見せてくれる。被災地の卒業式がいろいろと放映されて。孫たちのそれは18日で、例年通りの式だったようだ。
娘の家も被害はなく、みんな元気だった。3人の孫のいちばん下の敬君が、小学校を卒業し 4月から中学生になる。彼にとっても今回の地震は忘れがたいものとなろう。

次いで、実家へ行く。義姉が地震の怖かったことや、縁戚の被害状況、また知り合いの人々のいろいろな状況を話す。
それを聞きながら、第二次世界大戦時の戦争疎開を思い浮かべる。あの時も何人かが実家のある田舎に疎開してきたのだった。今回のそれは、戦争疎開とは違うけれど、疎開は疎開である。
津波や原発による疎開が、身近な山形にも行われているのを知る。疎開は、する方もそうだが、受け入れる方のたいへんさがある。
疎開先でだいじにされるありがたさを知る人もいるが、逆に、ね 人間の冷たさ、非情さを味わう人も少なくないだろう。

3番目に次兄を訪ねる。
知らなかったことだが、今日が次兄の誕生日だという。十歳ちがいだから82歳。
「運転免許証を返納した」という。兄夫婦はかなり迷ったらしいが、「事故を起こしてからでは遅い」という息子の意見に従ったという。
賢明な判断(決断)だと 私の考えを伝える。兄の歳まで生きられないと思うが、もしそれまで生きられたら、私も免許証更新をしないつもりである。

兄のそれと、震災の話は、なんのつながりもない。けれど、なんとなく通底するなにかを私は感じた。
「運転できない不便さはたしかにある。でも、運転しなくても、ね 寝るところがあって、食べられ、毎日暮らしていければ、それでいいのではないかなぁ。津波に遭った人たちは、その寝るところ、食べることに難儀してる」
「そうだなぁ、お前の言うとおりだ。車などなくても死ぬわけじゃない。この歳まで生きられたのだから、感謝してる」兄のことばに、大きく頷く。


今日はいったい何を書こうとしたのか...... 身の周りに、ね 予想もしないことがらがおきている。想定外のそれに戸惑ってる自分。
錯覚の余震はおさまりつつあるが、3.11地震のもたらした影響の大きさにたじろいでいる自分を覚える。
一応は「まけるな日本・がんばれ日本」などと息巻いているが、うう こころよわい自分がうろうろしているのを感じてるのである。

*

今朝の気温-3度、曇 



  1. 2011/03/28(月) 05:30:25|
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たんすに乗って漂流


以下は、「毎日 JP」より転載
   東日本大震災:たんすに乗って漂流し助かる 大船渡の男性
2011年3月27日 18時23分

 津波で家ごと流された岩手県大船渡市の会社役員、金野健一郎さん(37)は、たんすにつかまり大船渡湾を漂っているところを小型船に助けられた。
船長の男性は、名前や住所を頑として名乗らなかった。金野さんは「船長の恩は一生忘れない。落ち着いたら捜して、もう一度お礼を言いたい」と話している。

 地震が起きた11日、金野さんは公民館にいったん避難したが、スーツから着替えるために港から約300メートルのところにある自宅に引き返した。
2階の窓から外を見ると、「真っ黒な波が渦を巻いて迫ってきた」。
 みるみるうちに2階まで浸水。倒れて浮いていたたんすの背に必死にしがみついた。
そのまま天井まで約30センチのところまで浮き上がると、「バキバキ」と音をたてて家が回転し、突然、大きな衝撃音と共に屋根が吹き飛び視界が開けた。たんすの上に乗ったまま沖に向かって流されていた。

 日が暮れ始めたころ、「多賀丸」という船名の小型船が通った。「助けてくれー」と叫んだが、コンテナや民家、木とあらゆるものが海に漂っており、「無理だ」という船長の声が聞こえた。
「このまま沖に流されたら終わりだ」と絶望的になった。
 だが約1時間後、多賀丸は引き返し、ロープを使って救助してくれた。「信じられない。助かった」。涙をボロボロと流し、何度も「ありがとうございます」と繰り返すと、船長はただ黙ってうなずいていた。

 そのまま一晩を船上で過ごした金野さん。夜は一睡もできず、落ち込んでいた。「命があるだけでいいんだ」「またやり直せばいい」。船長は金野さんを励ましてくれた。
 12日夕、金野さんは別の漁船に移り、大船渡湾の東側に上陸。数時間歩いて公民館にたどり着き、避難していた家族3人と抱き合い無事を喜んだ。
「助かったのは奇跡。家族と頑張って、一から生きていきたい」【鈴木一生、山本将克】

こういうニュースには、こころがじーんとする。
「約1時間後、多賀丸は引き返し、ロープを使って救助してくれた。」というそれに、ね ドラマを感じる。
ドラマという言い方は、不遜だと承知してるが、まさにドラマだろう。

人間、この不可思議というか、だからこそ人間なのだと嬉しくなる。

*
今の気温2度 ストーブがないと寒い



  1. 2011/03/27(日) 19:06:31|
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たいせつなこと

暇さえあれば、3.11関連の放映を見ている。語弊があるのを承知で言えば、見飽きないのである。災害以外の番組も少しずつ増えている。選抜野球もちらっと見たりする。が、いつの間にかまた震災のそれに目がいく。
そして 思うのは、惰性的ともいえるあまり変わり映えのしない毎日の暮らしが、なんとも(たいせつなことなんだなぁ)という 感情がじわーっとわいてくる。
うう、なんとも次元の低いことと笑われるかも知れないが、それが正直な実感である。

2月頃に読んだ、池波正太郎著「その男」(二)文春文庫にも、そのような記述があった、とページを開いてみる。

  「おもえば、礼子と暮らしておりました約一年半の間、私は時勢のうごきなど、まったく気にかからなかったもので......。それは、いろいろと耳へ入ってくることもございましたが、もう右から左へ筒ぬけというやつ。
  ま、どちらにせよ、夫婦・親子の和やかな家庭の暮らしというものが人間には、いちばんたいせつなことなのでしょうけれども、天下の移り変わりというものは、同じ人間たちがかかわり合っていることながら、これは別ものなのでございますね。
  天下の政権をうばい合う。それがためには双方がちからのかぎりをつくして叩き合い、たがいに叩きつぶし合おうという......そのためにはもう、ささやかな庶民の暮らしなどというものが目に入らなくなる。
  前にも申しあげましたが......人間という生きものは、つまるところ、男と女がいて、子が生まれる。食べてねむる場所があって、日々を送る。これだけのことなので。
  その、人間はほんらいの有様というものが、わかっていながらわからなくなってしまう。これが政治であり戦争であるのでございましょう。
  そして、こうしたことを人間たちは、飽きもせずに、むかしむかしからくり返してきているのですね」
                                   「その男」(二)131ページ

「人間という生きものは、つまるところ、男と女がいて、子が生まれる。食べてねむる場所があって、日々を送る。」
本から、なにか教訓めいたものを得ようとは思わないのだけれど、上のようなフレーズにであうと、やはり心深く刻まれるようである。

3.11大震災により、「食べてねむる場所」を失った多くの人々の難儀をみていると、あらためてそのことを強く思わずにはいられない。
外は雪で、寒い。けれど、家の中は温かく、安穏のテレビを見ていられる。変わりない日常の暮らしが、ね なんとも ありがたいなぁと強く思える。
「食べてねむる場所」は、とてもたいせつなことなのである。いまだにこんなことを言ってと笑われようが、そういう思いが 脅迫的に浮かんでくる。

被災死亡者 10,418人   安否不明 19,768人   避難者 244,635人 (26日現在)

*
今朝の気温-3度、青空も見えるのだが...... 小雪が舞う。屋根にはうっすらと雪が積もってる


  1. 2011/03/27(日) 07:18:28|
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春の雪

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるから、ね 彼岸に降雪を見るのは、そう珍しいことではない。
昨年は、4月17日に雪が降った。
それにしても、今年の雪降りはひどい。2月下旬頃は、もうすぐ春到来と思われる陽気が続いた。しかし、3月に入り、特にあの3.11以降の寒さのぶり返しと断続的な降雪には閉口する。
例年なら、もうマンサク・イチゲ・ユキワリソウなど春を告げる花が咲いているのだが、今年はまだ残雪が多い。

北国、雪国には「温かさは、ごちそう」とも言えるのだが、震災のそれに追い打ちをかける寒さであり降雪である。
春の雪といえば、ロマンチェックな響きをもつが、今年はちがう。
草花たちは季節が来れば花開く。今朝もクロッカスが雪の下で融けるのを待ってる。
今また強く雪が降ってきた。

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気温0度、小雪



  1. 2011/03/26(土) 08:09:46|
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友人の安否

友からの便り

次のそれは、私信である。仙台のお友だち(二人)のうち、なかなか連絡がつかなかった方(Sさん)から はがきが届いた。
Sさんとは23日にようやく電話で話すことができた。はがきの消印は23日なので、通話する前に書いて投函されたようである。

  庭の福寿草が、大震災など知らぬ顔して 黄色の花を咲かせています。クロッカスも満開です。なんとしあわせなことよ! とながめております。
  お陰様で 当地はだいじょうぶでした。沿岸部の人達のことを思うと心が痛みます。
  この一週間、電気も水もなく大変不便でしたが、鍋でごはんを炊き、あたたかなもそ汁を食べれるだけ しあわせでした。
  まだ断水はありますが、一週間ぶりに風呂に入り、さっぱりしました。

  冬中 今野さんのネギをいただきました。このごろは、食べるものが不足し、カレーライスを作ろうと思うと「玉ネギ、人参がない!」という始末です。
  越冬の為の大根、白菜で豚汁作ったりと、いろいろ工夫し がんばります。
  生の果物など手に入らぬ今、サクランボを煮ておいたものが、冷凍庫にあって助かっております。甘く、なんともしあわせな気持になります。
  ありがたく筆を走らせたところです。

  山形も物資不足で大変なようですね。一日一日とライフラインも回復しているようですから、もう少しと思います。
  お互いに気をつけてすごしていきましょう。
  一日も早く平穏な日が戻るよう祈っておるところです。

電話で話すのとはまたちがう大変さが読みとれる。
電話不通・停電・断水、その中で回復したのもあるけれど、断水がまだ続いてるというから、その不便さが分かる。
貯水池に近い秋保温泉なども断水だというから、仙台市全域がそうなのだろう。

被害の少なかった山形でさえ、ショッピングセンターの棚はがらがらに空いている。
牛乳や野菜、さらには水にも原発の影響が及んでるようだし、それらがいわゆる風評被害でますます悪化するのをおそれる。
冷静に、賢く、あらねばと思っているのだが......


今朝の気温0度、うっすらと積雪  こういうときなに、いつまでも雪が降るなぁ



  1. 2011/03/26(土) 05:44:08|
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石巻方面への旅

2010年3月21日~22日、私ら夫婦は 石巻~鮎川港~田代島の旅をした。
旅の感想を、当時 次のように書いてる。
   20日~21日の強風は、春の嵐だったが、「私たちの行くところはいつも(天気が)良くなるねぇ」妻が言う通りになるから面白い。
   遠くもない小旅行だったが、たいした支障もなく楽しい旅だった。
   久しぶりで、大好きな海が満喫できたことに感謝したい気分である。

ちょうど1年前の旅である。彼の地が未曾有の大地震・大津波に襲われた。
あの風光明媚な地が 大災害に遭い、人々は 呻吟しているという。
誰もが、このような姿を想像しなかった。彼の地は美しく優しかった。

「天童の家」ページを捲れば、2010年3月24日から5日間にわたり彼の地のようすをエントリーしており、見られる。
あの島でお世話になった人たちは、無事だろうか? 
とても気になる。

それとはまたちがう日(7月20日)に、南三陸を旅した。そこのも別にアップするつもりである。
...... 心配だが、今はどうしようもない。

ここでは当時の旅で撮った(石巻~鮎川~田代島)の写真をならべる。

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  1. 2011/03/26(土) 05:39:11|
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南三陸町への旅

2010年7月18日~19日に、妻と二人で南三陸へ旅した。そのようすを 当時 8回エントリーしている。

好きな海を見て、美味しい海の幸を食べようと思い、場所探しをした。
妻が「ここがいい!」というのが、南三陸町にある「清観荘」。私に否やはなく、そこに予約した。
宿の案内(ガイドブック)に次ぎように書かれてある。
   歌津のシンボル、田束山は標高512mで本吉郡内の最高峰。山頂からは、南三陸の海岸美はもちろん、太平洋の大海原を一望できる。
   晴れた日には、遠く金華山や、蔵王連峰までグルリ360度の展望だ。
   そのふもとに歌津がある。気仙沼の南約30Km、志津川湾の北に位置している。
   広い砂浜と入り江が多く、リアス式海岸とは違う、女性的な景観だ。南三陸金華山国定公園のほぼ中央にある。

あそこの人々は、無事だろうか? 気仙沼があれだけの大被害をうけたのだから......
あの旅で出合った人々、そしてあの優美な風景が目に浮かぶ。
当時撮ったそれを並べる。

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  1. 2011/03/26(土) 05:37:26|
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復旧のきざし

メールで知る復旧

娘経由で、夕べ 次のようなメールが入った。
ガソリン・灯油はしばらく間に合うが...... 山形内陸部の事情を知るよすがになろうとエントリーする。

こんばんは
カメイ㈱DDセルフ山形県立中央病院前店、店長の白坂です。いつも当店をご利用いただきありがとうございます。

震災後、当社では燃料油の価格を据え置きし今日まで皆様にご提供してまいりましたが、今回入荷分よりコスト上昇分の値上げをお願いすることとなりました。
地域の皆様に緊急時こそ最安値でご提供すべく、今後とも努力してまいりますので、ご理解を宜しくお願いします。

営業のご案内
明日3/25(金)10:00~16:00まで
ガソリン・軽油・灯油・満タン給油でご提供いたします。
※大変申し訳ありませんが、終了時間は厳守させていただきます。
※営業時間内でも在庫切れで終了する場合がございますのでご了承下さい。

・今回の出入口
県道22号線県立中央病院側のみ
※SS裏手側からは入店できません。
※近隣住民様の敷地出入口は絶対にふさがないで下さい。
※県道22号線、天童長岡郵便局方面から当店まで1列にお並び下さい。(途中の交差点から並ばないようにご協力お願します。)
※並ぶ際は安全の為ハザードを点灯させ、車両通行の妨げにならないようご注意ください。
※路上の車両放置は警察の巡回指導がおこなわれていますのでご遠慮ください。

混雑により給油まで時間がかかることが予想されますが皆様のご協力とご理解をお願い申し上げます。


商品が入荷しはじめてることやその他の事情も読みとれるだろう。




  1. 2011/03/25(金) 08:55:58|
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津波の高さ

津波 女川14.8メートル

以下は、「毎日JP」に出てた記事で、備忘録として保存のために引いた。

     東日本大震災:津波…女川漁港で14.8m、軒並み5m超
                                 2011年3月24日 22時29分 
  入り江の奥にある町を津波が襲い、大きな被害を受けた宮城県女川町。
  東日本大震災で、東北から関東にかけた広範囲の太平洋沿岸が軒並み5メートルを超す大津波に襲われ、最高約15メートルに達していたことが、港湾空港技術研究所と東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。
  浸水跡などから宮城県の女川漁港で高さ14.8メートルと判明したのを筆頭に、南の茨城県や千葉県でも7メートル超を記録するなど、これまでに気象庁の検潮計で確認された実測値を大きく上回った。
  高い津波が広範囲に及んでいることから、専門家は「国内最大級の大津波だ」と指摘する。

  港湾研は、青森~宮城県の港や空港で、被災した構造物に残った浸水の跡などから津波の高さを割り出した。
  その結果、主な港の観測値は、青森・八戸8.4メートル ▽岩手・釜石9メートル▽同・大船渡9.5メートル ▽宮城・女川14.8メートル ▽石巻5メートル ▽仙台新港8メートル。
  戸田和彦・特別研究官によると、港湾では防波堤で津波の高さが抑えられる効果があるため、周辺ではさらに高い津波が押し寄せた可能性もある。

  一方、東大地震研究所の都司(つじ)嘉宣准教授(地震学)は、茨城~千葉沿岸で調査を実施した。
  死者・行方不明者が十数人に及んだ千葉県旭市飯岡では調査対象で最高の7.6メートルを記録した。
  津波は浅い海岸付近に来ると高さが急激に増す特徴があり、飯岡沖の浅い地形的特徴が被害を広げた可能性が高いという。

  気象庁の検潮所では、宮古で1923年の観測開始以降最高の8.5メートル以上を記録したが、大部分の検潮所が津波で破壊されたとみられ、これ以上の高さの数値は正確に観測できていない。

  都司准教授は「単純比較はできないが、(国内最大級の)明治三陸津波(1896年)より防波堤などの設備が整った中で出たデータであることを考慮すると、今回の方が規模が大きかった可能性がある。
  400~500年に1度の大津波だと言える」と指摘する。【八田浩輔】




  1. 2011/03/25(金) 07:20:21|
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被害の大小

千差万別の被害

以下は、朝日新聞(24日付)記事の写しである。
     宮古の津波8.5㍍超  観測値で最大
  11日の東日本大震災で発生した津波について、気象庁は23日、岩手県宮古市と同県大船渡市の津波観測施設で、それぞれ8.5㍍以上。8.0㍍以上の波の高さを観測していたと発表した。
  いずれも、データの送受信が途絶えていたが、現地調査で機器に残ったデータを回収、解析した。
  気象庁によると、一連の津波では、これまで福島県相馬市沿岸で観測された7.3㍍以上が最高だった。

次のそれは、同紙オピニオン記事の写し。(部分)
     原発依存からかじを切れ   川勝平太さん(静岡県知事)
  マグニチュード9.0は想定外。10㍍を超す津波も想定外。福島第一原発の事故(略)これも想定外です。
  「想定外」のオンパレードです。
  東海地震の想定では、地震の強さはマグニチュード8.0。東海、東南海、南海地震が連動した場合はマグニチュード8.7、津波の高さは10㍍以下です。
  東日本大震災は、この想定を超えています。

今回の地震の規模、並びに被害状況が明らかになるとさまざまな課題も明確になってきた。

今日、ここで書こうとしていることは、上のそれとはあまりかかわりがない。
M9.0という巨大地震でも、震源からの距離や地形、おかれてる状況により、被害のありようが千差万別であることに驚いている。
激甚な被災地である岩手・宮城・福島のそれと比べれば、山形の被害は些少と言ってよいだろう。
「天童の家」では、飾り物が落ちて壊れたくらいで済み、実害がなかった。

しかし、同じ町内でありながら、土蔵の白壁が大きく落剥し 無残な姿を曝してるのを見ると(やはりたいへんな地震だったなぁ)と思う。
剥がれ落ちた土蔵の修理には多大な費用を要するだろう。怪我人がなかったことを不幸中のさいわいと思わなければ、と言われてもね、なかなか納得しがたいだろう。
耐震性がなかったのだと言われれば、たしかにそうなのだが......  不平等というか、割り切れない気持をもつのは理解できる。

そういう意味では、津波で助かった人、亡くなった人たちも 不平等感というか、そういう思い(感情)が強くあるはずだ。
同じ建物の屋上に避難したのに半数の人々が津波に呑み込まれてしまったという。助かった人、亡くなった人の境目というか、運命の分かれ目のそれを思ってしまう。
生きているからには、みなが似たようなリスクを抱えながら(承知しながら)暮らしている、という理屈は分かるけれど、実際に被災した、しないではまったくちがう。
とにかく、被災した人々に対しては、同胞の苦難として分かち合い、1日でも早く平穏な暮らしができるよう、自分にできることをまずやることである。


今朝の気温-2度、曇



  1. 2011/03/25(金) 06:36:27|
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3.11以降

なにかが変わった?

ガソリンを積んだタンクローリー車(出光)が Sスタンドへ入ったのは、23日である。
同日、長い列をつくってガソリンを詰めた。車1台につき2000円分(約13㍑?)買え、ホッと息をついた。
特別な用事がない限り、車は乗らないつもりである。妻は、学童保育があるから車で出勤する。

あの日(3.11)に地震が起きるなどとは予想しなかったので、車のガソリン残量は僅かだった。明日にでも詰めればいい、そう思っていた。
また、灯油タンク(風呂・ストーブ用)の残量も少なくなっていた。いつもなら、業者へ電話すると即日、満杯詰めに来てくれた。
......が、あの日以降、ガソリンも灯油も品薄になり、ガソリンは早朝から並んでも注油できない(空振り)し、灯油も買えなくなった。

多少の不便、ないしは寒さなど、岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければと、車を使うことを止め、ストーブも使わずに節約に努める。
皮肉なことに、それまで比較的温かな陽気が続いていたのに、あの日以降は寒い日が続き、雪が降り積もった。
風呂は毎日 使ったが、ストーブは使わないで エアコン暖房で 凌いだ。エアコンはどうしてもストーブのようには温かくないが、我慢した。
津波被災者のことを思えば、家があって、エアコンが使えるのは、多少寒くてもガマンしなければならない、極楽だと言い聞かせた。

いったいどのくらいの期間ガソリンが買えず、灯油が入手できないのか? それが分からないのが不安だった。
けれど 23日にタンクローリー車が来たのを見た時、(あぁ、これでガソリンはダイジョウブだ!)と思い、暗闇に光明を見た思いがし、元気が湧いた。
そして...... 24日の昼近くに、いつも配達してくれてる人が 灯油タンクを搭載した車で「天童の家」にやってきた!
「みんなに配らなければならないので50㍑ということで..... 」馴染みのスタンド店主の言葉に、否やはない。

「当分はそれでやれる。ありがとうさんね」妻が笑顔で話してる。
あの日から12日目でガソリンが来た。13日目で灯油も入れてもらった。
被災者の多くは、まだ不自由な避難所暮らしで苦労しているはずである。住む家を流され、これからどうして行けばいいのかさえメドが立っていないだろう。
そのことを思えば、家があり、風呂が使え、食べられ、寝る所もある身をなんともありがたいと思わずにはいられない。

先に、「岩手・宮城・福島の被災者のことを思えばガマンしなければ」と書いたが、茨城・千葉などでも大きな被害を受けているのである。
そういう人々のことを見落としてはならない。
放射能による水や食材問題が大きく取り上げられている。それは、ないがしろにできない。でも、というか、寒さや食べ物、トイレやストレスの問題で危機状態になっている人たちの救済は、優先しなければならない。
異論があろうが、自分はそう思っている。

津波で壊滅状態になったその街作りをどうやっていくか、また発電(原発)のことなど大きな課題がたくさんある。
が、「天童の家」では、この地での状況を地味に報告していくつもりである。
(あぁ、また大きな余震だなぁ 17:22 ) これは、錯覚でない地震だ!

「天童の家」では、これから、ね どういう形で関わっていくか? それをはっきりしなきゃならない。
3.11 は、まさに大きな出来事であるのを自覚する。人生そのものが、あの日を境にだいぶ変わって感じられるようになった気がしてならない。大袈裟でなく、そう思う。



今の気温3度、曇


  1. 2011/03/24(木) 17:39:44|
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3.11大地震の名

3.11大地震(命名)

2011年3月11日午後2時46分頃に起きた地震は、M9.0 というとてつもない巨大地震だった。
この地震の呼び方が、時間の経過にしたがい変わっていたりする。
以下は、それに関したHPからの転載である。
     http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87

名称地震が発生した3月11日当日、気象庁はこの地震を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名したと発表した。
大規模な被害を出した地震の場合、関東地震に対する関東大震災、兵庫県南部地震に対する阪神・淡路大震災のように、地震そのものと震災で名称・表記が違うことがあり、今回の震災についてもマスコミなど各組織はいくつかの名称を用いている。

現在使用されている主な名称・表記 名称 使用しているメディア・組織
  東北関東大震災   NHK、日本赤十字社、中央共同募金会
  東日本大震災    朝日新聞、時事通信社、ウェザーニューズ、共同通信社、共同通信加盟社(産経新聞・フジテレビ・毎日新聞(3月12日午後から)・東京新聞・中日新聞・TBS)、日本経済新聞(3月19日朝刊から)、テレビ朝日
  東日本巨大地震   読売新聞
  東日本大地震    日本テレビ、TOKYO FM、BS11デジタル
  3.11大震災     河北新報社(3月14日から)

また、過去に使われていた名称として
  「東北沖大地震」   - 毎日新聞が地震当日から3月14日まで使用
  「東北・関東大地震」 - 共同通信社と毎日新聞、東京新聞、中日新聞など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用。
などがある。


「天童の家」では、主にNHKや朝日新聞での呼び名を使ってきたが、必ずしもその呼び方が一致して(定まって)いるのではないことを知った。
できれば、呼び名(命名)は一つにした方がいいように思うのだが......

*
この度の地震の名称、「東日本大地震」や「東北関東大震災」「東北地方太平洋沖大地震」など、テレビ局や新聞で異なっていますが、どれが正式な名称なのでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答 rhpa7123powerさん

最終的には気象庁が発表した「東北地方太平洋沖地震」が正式な名前になると思います。
歴代、気象庁が付けた名前が正式名になっていますし、名前の付け方が「震源地」を指していることで統一されています。
テレビ局がつけた名前は語呂がよくて言い易いものになっていますし、間違ったものでもないので放送上はそれを使っています。
*

今の気温1度、晴


  1. 2011/03/24(木) 09:40:02|
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ガソリンゲット

ガソリン入手

娘から注油できる所のメールや電話がはいる。
息子もその最新情報を詳しく、具体的に語る。それを毎日聞いていると、(あぁ、並んででも入手しようかなぁ)という気になる。
東北関東大震災から12日が経ったけれど、相変わらず入手が困難である。いつまでも車を使わないでいるのも限界というか、不便さもガマンし難い気分が強くなってきてる。

「車を使う予定がない。行列してまで詰めなくてもいい」。夕べまでそう言ってたが、妻の通勤のことや暖房、風呂(燃料が灯油)のそれを考えると、もう並んででも確保しなければの気持になる。
(「だめもと」でもしかたない)と、息子の情報の中から1箇所をしぼり、出かける。午前8時半頃、最後尾に到着。係員が「このへんならダイジョウブでしょう」という。
だが、30分ほど待った頃に、先程の係員とはちがう人がきて、「今日は、もう詰められません」と詫びて歩く。っふふ、(空振りだったなぁ)と引き返す。

帰途、Fマートに寄って油揚げ・梅干し・ナメコを買う。モヤシは入荷していないという。
Fマートの筋向かいのSガソリンスタンドに目をやると、そこにも多くの車が並んでる。スタンドの係員に尋ねると「灯油ならあります」ということでポリタンク(20㍑)に詰めてもらう。
さらに、午後からはガソリンの販売もすることが分かる。店員とそんな話をしているとタンクローリー車が姿を現し、スタンドに入ってくる。
それを見た時、(あぁ頼もしい!!なぁ)と、子供のように嬉しくなる。店員もタンクローリーの運転手も笑顔で私に頷いてくれる。

妻の車(ガソリンは半分近くある)を車庫に置き、自分の車(ガソリン残量僅少)に乗り換え、すでに長くできてる列に並ぶ。(午前9時半頃)
タンクローリー車が入ったことをこの目で確認しているので、(空振りはない)と安心して待つことができる。
販売開始時刻を早めてもいいのではないかと思ったが、予定通り午後からの販売だという。それならそれでしかたない、腹を括って待つことにする。
「ママのにも入れようか?」息子から電話がはいる。「3時間近く待つことになるが、それでもいいか?」問うと、「確実に入れられるのならいい」という。
まもなく妻の車でやってきた息子が列に加わる。息子に金と飴を渡し、待つ。息子も私も単行本をもって行ったし、また選抜高校野球大会も今日からはじまって、その放送を聞きながら待つ。

正午過ぎて、やがて長い列が動きだす。ガソリン2000円分(制限量)を入れ終えたのは午後1時40分だった。
ガソリン量は まだ目盛りの半分以下だが、これで必要な時は車が使える。そう思うと安心感がわき、肩の緊張がほぐれる。その気分が嬉しい。
列に並びながら、池波正太郎著「剣客商売・浮沈」222ページのうち206ページを読み、あと16ページで読了であった。
約4時間並んだことになる。被災者のことを思えば、たいしたことではない。

妻は、学童保育へは息子の車で送ってもらった。今は春休み中で午前8時から午後6時半までの勤務である。
今日(23日)妻の勤務は、8時から12時まで。帰りの足がなく、歩いて帰宅した。
今日只今からは、妻も息子も、そして何か必要な時は私もなんの支障もなく車が使える。この安心感・安定感がいい。
被災地のみなさんにも、出来るだけ早くこの安心・安堵感が取り戻せることを念願せずにはいられない。


今朝の気温-1度、晴



  1. 2011/03/24(木) 06:33:36|
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ネコヤナギ咲く

ネコヤナギが咲いて、春を告げている。
春がたしかにやってくるように、震災からの復興も力強く進めなくてはならい。

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今朝の気温0度、曇   6時半、陽が射してきた。屋根にはうっすらと雪



  1. 2011/03/23(水) 05:41:07|
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ゴーストタウン

すかすかの道

春分の日(21日)には、すでに書いたように寺に行って勤行を行った。
勤行の前に、山形済生病院 健康増進センター勤務の山口 武氏(健康運動指導師)から健康講話があった。
講話というより、『座ってできる健康体操』の指導を受けたというのが当っているかも知れない。

これがなかなか良いというか、これまでも勤行の前にいろいろな講師の話を聴いてきたのだが、今回のそれは最高!!の企画だった。
肩胛骨の運動・足(特に足首より先の)・腹筋の鍛え方など、身体を実際に動かし、みんなでやった。
1時間ちょっとがアッという間に過ぎて、とても得したような時間であった。

「歩くのは、片足で(片足ずつ交互に)歩くのです」という言葉、それが意外!というか 新鮮に聞こえ(あぁ、さすがに運動指導師だなぁ)と思った。(笑い)
あまりにも当然なそれを、改めて言われると、ね その意味が明瞭になる。なぜ、そういう言い方をしなければならないかが分かるのである。
筋力が弱くなると、片足立ちが出来なくなる。負担軽減のために歩幅が小さくなる。歩行姿勢が老人のそれになってしまう。(あぁ、そういうことなのか!)

22日の散歩で、前日のそれを思い出しながら歩く。ニヤニヤ独り笑いしながら... 誰かが見たら、きっと(おかしなヤツ)と思うだろう。
午後1時ちょっと前に家を出て、スーパー農道へ向かっている途中でケータイが振るえる。(誰からの電話?)と見る。「福島で地震が起きたので注意しろ」との知らせ。(緊急地震情報)
(あぁ、まだ余震が)と思うと、どうしても被災者のみなさんのことや原発の方へ考え(思い)が行く。

今日は晴れて、比較的過ごしやすいのではないか。静かな道を歩いていて、そのうちに(ん? なんかへんだなぁ)との思いがわく。
なにが(へん)なのか、はじめは分からなかったが、しばらく歩いてるうちに(そうか! あぁ、大きな へん なのだ!)と気づく。
道に車が走っていないのだ。片道30分、往復で1時間を歩いたのだが、出合った車は 南進車2台、北進車4台、1時間歩いてたった6台の車にしか出合わなかった。

いつもならけっこう通行量の多いスーパー農道(広域農道)で、例えはおかしいが、立ちション便をしている間にも1~2台の車が通過するほどである。
なのに、22日の農道は、車が通らない。やはりガソリンの欠乏のせいだろうか...
何年か前に、北海道に行ったあの時の道路を思い出す。あの時は(さすが広い北海道!)と思ったが、ここ農道のそれでは ゴーストタウンを思い出してしまった。
ふだんなら立ちション便も注意深くしなければならないのだが、今日は誰に見られることなく悠々とできるなぁと苦笑してしまった。

散歩も終わりに近く、スーパー農道から家への小道に入るのだが、そうせずにしばらく広い農道の路肩で(車が来ないだろうか)と待つ。
南を見ても、北を眺めても、車が現れない。(車が来るのを見たら帰ろう)と思い、5分待ち、10分待っても来ないので、へへ 痺れを切らし、諦めて帰途につく。(笑い)
剪定してる畑には、自転車が見られる。いつもなら車で来てるのだろうが...




  1. 2011/03/23(水) 05:33:53|
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春 到 来

ここしばらく厳しい冬が続いた。春は名のみだった。
が、昨日春を告げる花たちを見つけ、カメラを向けた。
並べよう

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  1. 2011/03/23(水) 05:31:19|
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地震酔い

「後揺れ症候群」

イギリスの あつこさんから、「地震酔い」ではないかという問いがあった。
検索してみたら、次のようなのがあったのでアップしておくことにする。

いわゆる 地震酔いについて、次のHPからの転載である。
          http://www.j-cast.com/2011/03/18090871.html?p=all

東北関東大震災以降に、地震でもないのに揺れている感じがする、目まいがする、吐き気がするといった症状を訴える人が急増している。
病気ではなく、地震が相次いでいるために「地震酔い」している可能性があるのだという。
気象庁の調べによると、2011年3月11日の大地震以降に、マグニチュード 7以上の余震が3回、6以上は49回、5以上だと263回も日本で18日朝までに地震が発生している。

めまいの専門家、聖マリアンナ医科大学病院耳鼻咽喉科の肥塚泉教授によれば、「地震酔い」は「後揺れ症候群」と呼ばれるもので、例えば、船に乗った後に陸に上がると自分の体が揺れているように感じるのに似ている。
人間の脳には「速度蓄積機構」というシステムがあり、自分が直前に体験した加速度や回転の情報を蓄えている。個人差はあるが、直前のそうした情報が残っているため起きる。

症状が出ても特に心配する必要は無い
地震は人体に与える刺激が強いため揺れている感覚が残りやすい。さらに、今回は地震が繰り返し起こっている。
「大震災のショックで、多くの人は揺れに対するストレスを溜めている。ストレスに対抗するためホルモンが分泌されるものの、このホルモンは耳に良い方向には働かない。
こうしたことによって目まいなどの症状を訴える人が増えているのではないか」と肥塚教授は説明する。

乗り物酔いは車から降りれば治ると同じように、「地震酔い」の症状が出ても特に心配する必要は無いという。
今後も地震が続いたとしても、ほとんどの人は揺れに体が慣れてきて「地震酔い」しなくなってくる。
苦しければ乗り物酔いの薬を飲むという方法もあるが、できるだけリラックスするようにし、運動したり、違った景色を見たりしてこれまでの感覚をリセットする。
そういったことが効果的だと肥塚教授はアドバイスしている。

あまり気にしない方がよいようで、忘れることにしているが... っふふ、それでも時折ゆらゆら揺れるのには慣れることが出来ない。
時間がなによりの薬だろう。実際の余震も徐々におさまってきてるし、2~3週間経てば、ね 消褪するはずだ。
余震がね、昼過ぎにまた福島であったなぁ...




  1. 2011/03/22(火) 16:06:30|
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余  震


東北関東大震災が起きてから10日が経った。(21日)
夕べ(20日)も大きく揺れる余震があった。
余震は、その回数、大きさも日ごとに減少してるようである。身内で感じられる余震(錯覚的地震)も比例して減っているのが分かる。

マグニチュード9.0という巨大地震は、その後も東日本全体で活発な余震活動が続いてる。
18日正午現在、マグニチュード5.0以上の余震は、262回で観測史上最多だという。
震度5弱以上の地震は、本震を含め15回。これまでで最大の余震は11日午後の茨城県沖を震源とするM7.4で、震度6を観測した。

気象庁によると、余震は次第に落ち着いてきたが、18日から3日以内にM7.0(最大震度5強)以上の地震が起こる確率は30%、その後(21日15時から)の3日以内に20%と予想されることを発表した。
結果については、不祥だが、余震は起きてるのが分かる。

これまで71年間生きてきたが、このような激しい揺れを体験したのは初めてである。
そして、地震は(怖い!)と思ったことがあるけれど、身体が錯覚の地震を感じたことはなかったような気がする。
ところが、今回いちばん厄介というか、イヤなのが実際の余震もさることながら、錯覚の地震である。

洋間でテレビを見ているとき、書斎でパソコンをやってる時、あるいは食事中にゆらゆらする余震を感じる。それが実際の地震ではないと分かるまで耐え難い気分だ。
むしろ、実際の余震の方が耐えやすい。
錯覚のそれは妙にふやふや?と不安定に揺れる。その不確かな揺れは 一層の不安を呼び、始末に悪い。
これはすでに書いたことであるが、3月11日午後2時46分、洋間で読書中に体験したあの激しい地震の揺れが、トラウマになってるのだろう。

少しずつ錯覚の揺れは減退している。いましばらくは続くだろうが、いつかそう遠くない時に消滅すると思っているのだが...
10日経っても、どうしても慣れることのできないイヤな余震(笑い)である。
甚大な被害を受けた被災者は、もっと激甚な揺れでさらに深い心の傷(トラウマ)を受けたろう。


話が少し変わる。
春分の日(21日)、寺恒例の勤行があって行った。いつかも書いたことだが、住職は精神科医師でもある。(東谷メンタルヘルス研究所所長)
勤行のはじまる前、東谷師から次のような話があった。

  今回の大地震の後に体調不良を訴える方が増えている。実際に出現する症状は、(1)ボーッとする。ものごとに集中できない。やる気が起きない。
 (2)ちょっとしたことに神経がたかぶってイライラする。感情をうまくコントロールできない。(3)気分が憂うつである。訳もなく不安になる。
 (4)夜眠れない(寝付けない。途中で目が覚める)。悪夢を見る。(5)食欲が出ない。
 (5)動悸・めまい・頭痛・発汗・呼吸が苦しい・吐き気・腹痛など

  大きな災害はとても大きなストレスであり、脳にとっては強い衝撃だ。
  体調不良が出現すると、「自分だけがおかしいのではないか、病気ではないか」と心配する。...... が、これらは、大災害という異常な事態に対する正常な反応であり、多くは場合 1~2ヵ月程度の時間経過の中で落ち着く。
 
  対策として、(1)こころが不安定になるような刺激(衝撃的な映像など)を避け、気持が落ち着く環境づくりに心がける。
  (2)ゆっくりと休養(睡眠)をとり、きちんと食事をとる。温かくする。(3)家族や友人など、親しい人との会話、コミュニケーションを心がける。
  (4)なるべく独りで抱え込まないで、可能な範囲で喋るようにする。(5)からだを動かすのもよい。深呼吸・手のひらを開いたり閉じたり、肩を上げ下げする。ちょっと家の回りを歩く。

  「いつも揺れが感じられるが......」という質問があり、(あぁ、自分だけではないのだなぁ)と思いホッとする。(笑い)


パソコン不具合が断続的に続いてる。それでエントリーができないでいた。
ウイルス・バスターにブロックされた状態でコメントへのレスポンスもできなかった。
息子のレスキューでようやく復旧、やれやれである。


  1. 2011/03/22(火) 07:49:56|
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数字の意味


計画停電も実施猶予のようだし、原発事故のそれも小康状態みたいで、少しはホッとした気分。
だが、今回の地震と関係あるかどうか分からないが、ブログがいつもの通りにいかなかった。当日の分がエントリできないのである。
こういう時だから、いろんな所で、さまざまな不具合が発生するのはしかたないことだろうか?

メカ音痴だから、どうすればいいのかよく分からないままに、そちこちいじくっているうちに、アクセス解析へ行って驚く。

  18日  153
  19日  186
  20日  547
  21日  315
うう、20日になぜアクセス数が急に増えたのだろう? 21日も午前中に、すでにそれまでの1日分に達してる。

アクセス数の多寡には拘りたくない、そう思う反面、気にもなるから可笑しい。
それなりの理由(裏付け)が、はっきりしているならいいのだが、なにも訳も分からずに増えるのは気味悪い。(笑い)

目に見えない放射能が増えてるのは、憂慮される。
それにくらべ、アクセス数の増加など、目やにが増えたようなものだろう。(笑い)
こういう訳があるから、こうなった(なる)というのであれば、よろしいのだが、理由も不明のままなのが不快感さえ覚える。

世の中の声にも、それに似たのがある。いわゆる風聞で増幅するそれだ。こういう非常時状態の時に起こりやすい。
事例に当たるかどうかだが...... 地震発生翌日だったか、「4m近い津波が15分後には海岸に到達するもよう」という ヘリコプターからの情報があった。
それは直ちに津波情報として流された。

しかし、気象庁は、「そういう事象はない」と発表した。
さいわい、津波はなかったからよかったけれど、もし津波が実際にきてたら、たいへんなことになったろう。

アクセス数のそれなど、あっても、なくても、実害はない。
だから、へへ 目やに(目糞)が増えたくらいだと笑っていられる。

死者数(8,649人)、また安否不明数(18,400人)となれば、話はまったくちがう。(21日現在の数字)


今朝の気温-1度、曇



  1. 2011/03/22(火) 07:42:54|
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雁 風 呂

雁 風 呂

テレビ、新聞など連日「東北関東大震災」の速報的なそれに絞られてた。...... が、地震発生から10日経ち、ようやく少しずつ震災以外のニュース・記事がでるようになった。
昨日(昨夜)は、NHK大河ドラマ「江」が放映された。
今日の新聞には、朝日歌壇・俳壇が載ってる。(あぁ、そろそろ旧に復しはじめたのかなぁ)ホッとする気分がわく。
もちろん、まだまだ復旧の緒についたばかりで、困難はこれからハードル高く立ちはだかってて、ため息がでるはずである。
でも、いつまでも嘆いてばかりでは、なにもはじまらない。新たな日本をつくる覚悟で、気構えで、前向きに進まなければなるまい。

久しぶりで、朝日歌壇・俳壇から、ね いくつかの作品を並べることにする。

       足を病む母はかなしも浴槽に胸打ちしこと隠しゐにけり        佐世保市・宮崎たみ枝
       見舞いおえバス通りから振り向けば窓にはりつくガウンが見えた    茅ヶ崎市・和田光子

       島の町ふるさと祭りであのひとのこのひとの抱く海のゆたかさ      尾道市・山崎尚美

       思い切り泣いてもいいよ採用の通知の来ない砂漠のラクダ        彦根市・日比野美鈴

       やると決め寒き夕べも素振りするこの子はわれに似ておらぬなり     佐倉市・船岡みさ

       ギター弾くおゆびの先に春の来てトレモロ水のごとくこぼるる      福島市・美原凍子
       どんな時も話を聴いていてくれる湯呑み茶碗の底にいる夫(ひと)    福島市・美原凍子

       美しき心の中に雪の寺      山形市・松浦敬次郎
       屋根に降る雪美しや日本国    川崎市・竪山二郎

       雁風呂を偲び波音聞く湯浴み   大阪市・真城藺郷

雁風呂
   雁風呂を知るや暴虐の海鎮む    幻椏

 雁風呂(がんぶろ)と言う季語がある事を御存知だろうか。
 青森県外ヶ浜(そとがはま)に残る伝説で、秋に渡来する雁は海を渡る時くわえて来た枝を海に浮かべて翼を休め、陸に着くとその枝を海岸に落とし、春に再び北へ帰る時にその枝をくわえて帰ると言う。
 海岸には、帰れなかった雁の数だけの木片が残る。
 浦人は帰れない雁を憐れんでそれを拾い、死んだ雁の供養の為に風呂を沸かすのだと言う。如何にも哀れな季題である。

「雁風呂」のそれは、畏友 時田さんのブログから拝借(転載)させてもらった。
時田さん ありがとうございます(事後承認 お許しください)




  1. 2011/03/21(月) 11:20:49|
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10日目の街で


昨日(20日)に予定してた実家と娘の家へ行くことは中止したが、その代わりというか別の用事をした。
19日に、Tさんが先日入院したことをKさんから知らされ、Nさんの車に同乗させてもらい妻と3人で温泉街にある「天童S病院」へ見舞いに行った。
日曜ということもあるが、病院は特に変わったようすもなく、普段通りだった。また Tさんも重い状態でないようすなのに ホッとする。
Tさんには次々に見舞いの人がやってきて居場所もなくなるので、私たちは早々に辞した。

せっかく街まできたのだから 牛乳を買いたいと妻がいうので、Nさんにお願いし、近くのショッピングセンターで牛乳・おはぎ・トイレットペーパーを買う。
おはぎは制限がなかったが、牛乳とトイレットペーパーは1人1個に限られている。品物はだいぶ揃ってきたのが分かるが、買い占めを憂慮しての制限だろう。
牛乳をもっと買いたかったと妻言うけれど、この時期だからやむを得ない措置だろう。

なぜ牛乳に拘るかをいえば、うう 放射能のそれとは無関係である。(笑い)
「天童の家」では、これまで長い間 毎朝、食卓にヨーグルトが出てる。種を絶やさないように毎日牛乳を足して作る自家製ヨーグルト。
そのための牛乳が、地震後 買えなくなって困ってたのである。ずーっと続けて作ってきたヨーグルトが途絶えるのは寂しい。
牛乳さえ注ぎ足していけばいいのに、牛乳がなくなれば自家製ヨーグルトがなくなってしまう。

さいわい 2本買えたが、あと3本は確保したい、と妻が言う。それと「食べる煮干し」も欲しいらしい。
「ママ、Tマートへ行ってくる。自転車で...... 」
「日曜は休みよ」 Tマートは、主に勤め人を客にしているので、日曜が定休日だと妻がいう。
「21日も休みだし、こういう時だから、休まないでやっているかも...... 空振りでもともと、行く」と出かける。

Tマートは開店してた。(あぁ、やっぱり来てよかった!)と喜ぶ。...... が、牛乳は売りきれだった。(うむむ、残念!)
妻の恨めしい顔が浮かぶ。(こうなったら、少し遠いがYショッピングセンターへ行こう!)と自転車に跨る。
Y店には牛乳があって、しかも無制限だった。3本で間に合うらしいのだが、4本を買い物篭に入れる。
「食べる煮干し」も買う。

店内には、けっこう買い物客がいて、賑やかに見える。しかし、地震直後のような長い行列はない。みなさん落ち着いたようすである。
帰途に見るガソリンスタンドは、軒並み「営業は終わりました」のはり紙が見られ、がらんと寂しい。
ガソリンと灯油は、まだまだ欠乏してる。テレビではタンクローリーでの出荷を報じているが、この辺にはいつ頃届くのだろうか?
備蓄もあって、早晩、入手できるということだから、それまで動き回るのを控え、じーっと待つべきだろう。
動きたいのなら、自転車のペダルを精一杯漕ぐのがいいのかも......  (笑い)

*
今日のエントリーがどこかの不具合で遅くなったこと、迷惑 ご寛恕ください

今朝の気温3度、曇


  1. 2011/03/21(月) 10:17:33|
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