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山形県天童市の日々、つらつらと
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「日本一」の防潮堤


以下は、今日の新聞記事の転載である。(朝日新聞 20日付)
東北関東大震災の津波の大きさを如実に表してる記事であると思い、備忘録を兼ねたものとして写した。

     「日本一」の防潮堤無残  宮古・田老地区  住民「津波、倍の高さ」

  「日本一の防潮堤」「万里の長城」......。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。
  岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、未曾有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。
  「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。

  「津波は堤防の倍くらい高かった。。防潮堤の近くに住んでいた漁師小林義一さん(76)は顔をこわばらせて振り返った。
  11日の地震直後、いったん堤防に避難した。だが、山のような津波が海の向こうから押し寄せてくるのが見えたため、急いで丘に駆け上り、難を逃れた。
  自宅は押し流されて跡形もない。
  小林さんは「防潮堤は安心のよりどころだった。『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか。堤をもっと高くしないと、これでは暮らしていけない」。

  約4400人が暮らす田老地区は「津波太郎」との異名がある。
  1896年(明治29)の明治三陸津波で1859人が、1933年(昭和8)の昭和三陸津波で911人が命が奪われた。
  防潮堤は、昭和三陸津波襲来の翌34年に整備が始まった。海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10㍍、上辺の幅約3㍍、総延長約2.4㌔と、まるで城壁のようだ。
  二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類がない。総延長も全国最大規模という。

  60年のチリ地震津波では、三陸海岸の地域で犠牲者が出たが、田老地区では死者はいなかった。
  しかし、今回の津波は二つの堤防をやすやすと乗り越えた。海寄りの防潮堤は約500㍍にわたって倒壊し、所々にコンクリートの残骸が転がっていた。

  今後の津波対策をどうするのか。
  漁師の川戸治男さん(69)は「漁師なら海の近くに住みたいと考えるだろうが、やはり高台の方に移住すべきではないか」と話す。
  
  宮古市は津波防災都市を宣言している。
  市地域振興課長の鳥居利夫さん(59)は「防潮堤は、これまで経験した大津波を想定して整備された。だが、今回は想定外だった。今後、どう津波対策を立てるのか。今のところ思いつかない」と肩を落とす。(吉村治彦)

田老には、観光で幾度か行っている。リアス式海岸は、風光明媚でね 絶景がつづく。海岸の岩肌には、過去の大きな津波がどの高さまで到達したが印されてたのを思い出す。
田老では、「日本最長防波堤」が観光スポットになってたし、あの高さ50㍍の奇岩「三王岩」が今回の津波でどうなったか?
過去に経験したこともない巨大津波に襲われた人々。負けずに、雄々しく立ち上がることを念願せずにはおれない。

*

気温12度、 午前は晴だったが、午後から曇 


  1. 2011/03/20(日) 12:53:56|
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被災者救援が


東北関東大震災発生から10日目。3.11は忘れられない日になった。その被災状況は日ごとに明らかになり、死者は7320人・安否不明19447人以上(19日午後5時現在)である。
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災の死者(6433人)を大きく越えて、戦後最悪の大惨状を呈してる。
地震・津波に加え、フクシマ原発の危機は、大勢の避難者をさらに増やしているし、牛乳やホウレンソウの放射能汚染も明らかになってきてる。

救援活動は、ようやく軌道にのりはじめた。が、それに伴って被害状況の大きさも判明し、唖然とする。
通信手段を奪われ、いまだに孤立無援の人々も多いことが分かる。
避難者が345,946人と多いことの他に、まだに安否がわからない人が19,447人以上もいるのは、そのことの証左だろう。

さいわいなことに山形県は、被害は軽微だった。福島や宮城県からの避難者を受け入れていることにホッとする。
停電もなく、また食料品等の物資も品薄感が否めないけれど、それでも毎日の食生活に大きな支障はない。
いま困ってるのはガソリンと灯油の入手が困難なことである。ここしばらく寒い日が続く。それでも暖房を極力抑えて暮らしてる。
いちばん不自由なのはガソリンの欠乏である。それで命にかかわるようなことはないのだが...

明日が彼岸で、今日は 実家にお参りに行き、その後に孫の卒業祝いを予定していたが、ガソリンを考えとり止めにした。
電話が通じるし、メールも届くから、ね みんな状況を理解し、納得してくれる。

また、市役所から電話が入る。23日に予定してた民生委員の市民文化会館での表彰式も中止だという。
(あぁ、当然だなぁ それでいい)と思う。今は、震災被害者の救援が最優先である。

*
今朝の気温3度、晴




  1. 2011/03/20(日) 08:55:15|
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計画停電 2

計画停電 2

次は、「ころ」さんが書かれたもので、コメント欄で終わらせるには もったいない内容なので、別にエントリすることにした。

   計 画 停 電

  計画停電で思ったのですが、夕方に構想が発表になって翌朝実施というのはちょっと無茶ではないかと思います。原発事故対応に後手後手な東京電力が、これだけはとんでもなく早い対応です。
  そして結果的に中止では混乱を助長するだけです。
  中止の理由が、節電の結果、需給バランスが取れたからということなら、はじめから節電を呼びかけたほうが良かったのでは?。
  原発事故が収束しても今後原発の再生や新設は全面的に見直しや反対運動等厳しい状況にあり、早急に電力事情が回復するとは思いません。
  お願いではなく積極的節電策を法律により規制してはどうかと思います。

  深夜の自販機の節電、コンビニの照明の節電、深夜のネオンや広告、看板照明の消灯
  深夜のテレビ番組の再考、建造物等の深夜のライトアップの消灯、電車の運転間隔の再考(通勤ラッシュ時とはいえ2分間隔の必要はないのでは?)
  冷暖房の温度設定、数え上げればきりがないほど無駄な電力を消費しています。

  家庭においても一人ひとりが心がければ、国全体でかなりの節電が出来ると思います。
  オイルショックの時も同じようなことが言われて一部実行されました。
  しかしのどもと過ぎればいつの間にかエスカレーとしています。
  それは法規制がないからです。
  これらを法律で規制して省電力すべきではないでしょうか?

  資源がなければ節約しなければならないのは当りまえのことです。
  われわれの生活の中で当たり前になって慣れてしまい、電力の無駄使いに気づいていないことがあまりにも多いようです。
  今度の計画停電が考え直すよいきっかけではないでしょうか。

  長々と書いてしまいすみませんでした。
  あくまでも私見ですから、語弊、批判、反論等あるかと思います。
                    2011/03/19(土) こ ろ



  1. 2011/03/19(土) 14:58:07|
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イギリス国民の篤い志


以下のそれは、コメントでお馴染みの「あつこさん」ブログからの転載(後半部分)である。
            http://myfordfarmdiary.blogspot.com/
とにかく読んでください。

  午前中はヨガを教えに行きました。金曜のクラスはいつも人数が少ないのですが今日は多めで13人でした。
  昨日スーパーで買物をしたときに日本向けの募金バケツがおいてありましたが、見てみるとそれほど集まってる気配はありませんでした。
  確かに日本はハイチなどに比べると豊かな国だし、無理もありません。
  でも私が直接お願いしたら募金してくれるかな。誕生日だと言えば、プレゼント代わりに協力してくれる人もいるかもしれない。
  そんな気になり、レッスンのあと生徒さんに募金をお願いしました。

  死亡者数や避難した人の数、食料や水がなく植えかけている人たちもいる窮状などを話すつもりでしたが、話し始めるとなぜか胸がつまり涙声に・・・。
  ぜんぜんそんなつもりはなかったんですけどね。そうすると涙の威力ってすごいですね。生徒さんたちも目を赤くしています。寄って来てハグしてくれる人、中には私以上に涙をためてる人もいました。

  入り口の近くにきれいな茶筒を置き募金をお願いしました。
  このクラスに来るだけでもう私にお金を払ってくれているので、さらにお金を出してくれというのはちょっと気が引けたのですが、みんなお金を入れてくれます。
  ジャラジャラと財布の小金を全部入れてくれた人、わざわざ駐車場の車にお金を取りに行ってくれた人。今日お財布を持ってこなかったので、郵送するから住所を教えてくれと言ってくれた人もいました。

  そのあとその茶筒の中を見て言葉を失いました。
  20ポンド札や5ポンド札が入ってます。今はポンドが弱くなっちゃいましたが、こちらの生活感覚で言うと5ポンド札は1000円札、20ポンド札は5000円札のような感じです。
  数えてみると 54ポンドもありました。1万円近くです。13人の生徒さんでそのうち二人が持ち合わせがないので来週持ってくるといってくれたので、11人でこれだけの額です。
  イギリス人ってチャリティー精神が旺盛で、なんやかんやでよく募金があるんだけど、これには本当に驚きました。

  日本に何のかかわりもない人たちが、テレビで地震のニュースを見て、私と係わり合いがあるというだけでこんなにたくさんのお金をその場で気前よく募金してくれる。
  外国語ができるとか海外情勢に詳しいとか、そういうことが国際人の条件のように思われていますが、本当の国際人って私のヨガのクラスのおばさんたちのことじゃないでしょうか。
  世界の果ての人たちの窮状を見て、その重荷を少しでも一緒に担いであげようと思えるその気持ち。

  家でそのお金を数えて、私は本当に胸が熱くなりました。そしてイギリスってやっぱりすごい国だなあと思いました。

  日本でも義援金はたくさん集まってるようですね。ユニクロの社長が私財でドンと寄付したとか、ダルビッシュが5000万円出したとか。
  阪神でも金本、城島、藤川球児の各選手がそれぞれ個別に1000万円寄付したそうです。
  一般の人でも募金活動をしたり、寄付したりしてる人はたくさんいることでしょう。

  でもこれは日本人の皆さんに胸に手を当てて正直に自分に聞いていただきたいです
  「もしも海のの向こうの自分にぜんぜん関係のない国で同じようなことが起こったら、あなたはこのイギリス人のおばさんたちのように気持よく気前よく寄付に協力できますか?涙までためて、何かできることをしようと思えますか?」
  「政府単位では国際援助は大々的にしているけれど、個人単位で、自分の懐からお金を出して、災害にあった外国人を援助できますか?」

   イエスと答えられる人たちもたくさんいることでしょう。実際これまでもやってきた人たちもたくさんいることでしょう。
   でも全体的に見ると、日本はまだまだ国内レベルでも国際レベルでもチャリティー後進国だと思います。

  今回の地震や津波の被害から回復するにはそれこそ何年も何年もかかることでしょう。でも日本は先進国だしまだまだ底力があります。
  個人個人の悲劇はどうすることもできませんが、国全体としては必ず立ち直ることと信じています。

  その時に日本人はお財布をひっくり返して募金してくれたイギリス人や、世界中でテレビを見て涙し、援助の手を差し伸べてくれた見も知らずの外国人のことを覚えていたいものです。
  そして日本がまた強い国に戻ったときには、その同じ温かさを別の国の人々に恩返しして行きましょう。

転載については、「あつこさん」の承諾をまだ得ておりません。時差のこともあり時間がかかるかも、ということで未承諾でアップしました。
「事後承諾」ということで許しを得たいと、勝手にそう思ってます。
あつこさんは、東北関東大震災についていろいろと発信されてます。
URLを上に置きましたので、アクセスして読んでください。

*


  1. 2011/03/19(土) 14:36:18|
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長蛇の列

結果を先に書けば、ショッピングセンターには野菜・魚・肉等の食材が並ぶようになった。

昨日、「明日リックサック持って、散歩を兼ね、買い物 行きましょ」妻が言うのに否やはない。
歩いてくのだから、一番近いマートに行くことにした。そこは時々利用してる店である。
午前9時半、妻と私はそれぞれ登山用リックを背負って家を出る。

はたして何分かかるか分からない。まだ轍しか消えていない道を歩く。
さいわいに陽が照ってい、風もない。
10分ほど歩くと県道に出る。そこで(あぁ、ここもかぁ)という情景に出合う。ガソリンを詰めるため長蛇の列。

目指すマートに到着するまでの20分間、びっしり並んだ車を左側に眺めながら歩く。
いったい何台並んでるのだろう。もう数える気にもならない。
ガソリンスタンドの近くの方で近所の知人に出合う。
「何時頃から並んだの?」問うと、5時からだという。その時でも、前に長い行列があったと笑う。
ちょっと計算しれば、間もなく5時間並んだことになる。
「間もなくだね。頑張った甲斐がある」 っふふ、空振りないだけよしとしなければなるまい。

マートへは、片道30分でついた。品薄は否めないが、それなりに買うことができた。
リックへ詰め、帰途へつく。また30分の歩行。うう、散歩代わりとしてちょうどいい距離である。
「パパ、牛乳、午後から自転車で買ってきて」妻のそれに従うつもりである。

ガソリンを求める長蛇の列。その情景を並べる。
買い求められるだけよしだろう。
ただ、「sagawa」急便の車(軽トラック)が何台も並んでるのには驚いてしまった。

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今の気温8度、曇


  1. 2011/03/19(土) 13:50:25|
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暖はごちそう

今朝6時の気温が-3度だった。ので、フアンヒーターをつけないでパソコンをやった。
さすがに寒いが、ガマンする。
被災者の苦労をね 少しでも共感したいからである。それでどうなるものでもないことは承知している。
その上でやってる。バカみたいなことだが...

書斎の窓から見えるつららがきれいに光って見える。
吹雪くよりはましだろう。うん、晴れれば少しは気温も上がるだろう。
寒いときの「温かさ」は、ね まさにご馳走である。

今朝撮った、隣の家のつららを並べる

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今の気温-2度、晴


  1. 2011/03/19(土) 09:12:39|
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さまざまな動き


東北関東大震災が起きて、今日(18日)で1週間になる。
災害の状況は、日ごとに明らかになり心がキリキリ痛む。
まさに国難!

被災者の方々の心労は、極限に近いだろう。
16日・17日と雪が降り、寒さも厳しい。
ガソリンだけでなく、暖房用の灯油も手に入りにくい。被災者のことを思って、ストーブをつけずに頑張ってみたが、ガマンできずに点火した。(苦笑)

18日は、さいわいに晴れた。運動不足では身体によくないだろうと散歩した。
そこで驚くのは、車の少なさである。やはりガソリン不足が大きく影響しているのだろう。
スーパー農道はじめ、生活道路やいつもは交通の頻繁な地方幹線道にも車が半分以下、いやもっと少ない。

街のようすがどうなってるのか、気にもなるが、ショッピングセンターやガソリンスタンドのそれが分からない。
降雪がなかったなら、自転車でようす見にいってもよかったのだが... 積雪が20㎝を超すほどで、雪掻きをしたし、除雪車も稼働したので自転車はムリと諦めた。
この際だから、そうじたばたする必要はない、と開き直ることにした。(笑い)

テレビを見ながら、家でじーっとしていても、身の回りではけっこうの動きがある。
一つは、4月10日に統一地方選挙山形県議選があり、それに関連し3月21日に天童選への候補者の総決起集会が予定されていた。
しかし、「未曾有の危機が出来し、まさにこの国難時をかんがみ、総決起集会は中止すべきものと判断」した、という通知が入る。

二つは、3月23日に「天童市民生委員・児童委員連絡協議会総会」と、永年務め辞任した人の「表彰・感謝状贈呈式並びに懇親会」が予定されてた。
市役所の担当者から電話が入り、「天童ホテルから受け入れが困難になったとの申し入れがあり、懇親会は中止、表彰式は市民会館で行う」との連絡が入る。
この社会状況では、さもありなんと了解する。表彰式には出席するつもりだが、ただガソリンが詰められなければ欠席になるかも知れないなぁ

世の中が平穏無事にいってる時なら、表彰式や懇親会もわるくはないのだが、今日の状況では止めるのは当然のことである。
浮いた経費は、ね 被災者や避難者たちのそれへ廻せばいい。そうして欲しいと思う。

*

今朝の気温-3度、晴



  1. 2011/03/19(土) 06:26:11|
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フクシマ原発


次のそれは、「ころ」さんから届いたメールである。

こんのさん
朝のメールが今頃(17:52)とどきました。
多分私の返信がないので電話を頂いたのだと今わかりました。
携帯のメールも5~6時間遅れて届く場合があります。
家内が出先から「今から帰ります」と言うメールを入れたのに、帰ってきてご飯を食べて寝てから夜中に『今から帰ります』とか
息子から「こちらは無事です」と言うメールが、すでに電話が通じて確認したのに、夜中に届いたりしています。

コタツに入ってテレビばかり見ているのは被災者に申し訳ないのと運動不足にもなるので、ガソリン倹約もかねて1.5キロほどのコンビニへ募金をしに歩いて行ってきました。
悲しい性というか 習慣と言うか、帰りに車をさがしてしまい自嘲しきりです。
(略)
福島の原発は東京にしか給電されていないということを東京の人はわかっていないということが新聞でわかりました。
福島が全滅の今、東京の電力の主な部分が 新潟柏崎の原発から送電されていることなどまして知られていません。
福島も新潟も地元には送電されていないことを理解して欲しい。

東電は安全安全と言うならなぜ東京に原発を造らず人のところに造るのか、そして挙句の果てにこの有様には憤りを感ぜずにはいられません。
いろいろ書いてすみません、また女房にしかられそうです。

以下は、上のメールと重複する部分もあるが、「ころ」さんが ある方のブログに書かれたものの転載である。


福島の原発の電力はすべて東京に送電、地元では使われていないと言うことをご存知でしょうか?
万一知らなくても許せますが 東京の人が全然知らないで、停電に対して文句を言うことは許せません。
福島が壊滅した今、新潟の原発が東京の電力の大部分をまかなっていることなどまして知られていない発言を新聞で見てさらに腹立たしい思いです。
新潟の原発も地元には給電されていません。

東京電力は絶対安全と言っていながら東京には原発を造らずよそにだけ作って、挙句の果てにこの有様、福島は踏んだりけったりです。
おまけにニュースは原発のみに集中、この寒空の避難者のことは隅に追いやられてしまっています。
また長野や新潟でも地震による土砂崩れで道路や鉄道が寸断され、孤立している地区がありますが全くといっていいほど触れられていません。

新潟も山形もわが町でさえも福島からの避難者を多数受け入れています。
マスコミの偏った報道に怒っています。
こんなところに怒りをぶっつけるのは筋ではありませんが問題提起として許してください。


「ころ」さんの怒りの気持が、よく分かります

■天童市の避難所の開設状況■
 (平成23年3月17日午前9時現在)
○避難所
 天童市総合福祉センター(宮城県からの避難者受け入れ施設)
 天童市スポーツセンター(福島県からの避難者受け入れ施設)
○対応状況
 毛布等あり、食事は朝夕のみ
《避難希望の方へ》
 10人以上の場合は、事前に天童市災害対策本部にご連絡ください。
◎避難に係る総合調整窓口 村山総合支庁(電話023-621-8267)

*

今の気温-5度、晴   相変わらず寒いけれど、春の陽射しが嬉しい。外はどこも積雪で白く眩しい


  1. 2011/03/18(金) 08:51:17|
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御礼とお願い


東北関東大震災の情報は、主に テレビで得ている。その他にラジオや新聞、インターネットも使ってる。
計画停電などの詳しい情報は、ネットで確かめてる。ネットがなければ(不安だろうなぁ)と思ったりする。
「天童の家」もインターネット上にあるわけだが、情報的はまるでちっぽけな存在でしかない。数量的なそれでいえば「ナシ」に等しいくらいだろう。(笑い)

しかし、そうとも言えないかもしれない、と矛盾した思いもある。
たしかに数的には、そうだろうが......  アクセス数を問題にせずに言えば、それなりの存在価値があるものと思う。(笑い)
「天童の家」のアクセス数は次の通りである。

   3月10日   87
     11日   80
     12日   76
     13日  116
     14日  152
     15日  129
     16日  215
     17日  217

東北関東大震災は、11日午後2時46分頃に起きた。
「天童の家」へのアクセス数は、13日から急に多くなった。16日には 215 にもなった。
インターネットのおける数字でみれば、215は砂漠の中の砂粒でしかないだろう。
しかし、「天童の家」にとっては「砂粒」ではなく、「宝石」のように輝いてる。
うふふ、そんなふうに思える。(笑い)

ちっぽけな「天童の家」ではあるけれど、けっして「砂粒」ではない!
アクセスしてくれたうちの何人かが、共感・納得してくれれば存在の意味があると信じてる。
かりに アクセスしてくださった方の中から 一人でも二人でも、地震被災者の力になってあげようという実践者が生まれたなら、それこそ嬉しい!

そういう意味では、このアクセス数は、「天童の家」にとって「宝石」なのである。
何千・何万のアクセス数を示すサイトもあるだろう。それはそれでいい。
でも、百や二百のささやかなアクセスでも、そのみなさんの中に、ね こころ優しい人々がおられることを確信している。
そういう方々へ、今回のできごとがどういう意味をもっているのか、どう感じ、なにを願っているのかを私なりに発信している。

アクセスしてくださった方々に御礼申し上げながら、お願いもと欲張っている次第である。(笑い)
「天童の家」の分不相応の欲張りを笑ってご寛恕くだされたい

*

今朝の気温-7度、晴  寒い! 暖房をつけずに頑張ってみたが... 耐えられず、つける


  1. 2011/03/18(金) 06:46:25|
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避   難

避 難

次のそれは、天童市役所「ふるさとだより」(17日付け E-mail )から

 天童市の天童温泉、東根市のさくらんぼ東根温泉には、既に大勢の被災者が避難してきている。

 福島県南相馬市から避難してきた女性(66)は東京電力福島第1原発の半径20キロ圏内に住んでいるため避難指示を受け、長女がいる天童市に逃げてきた。
 津波襲来時は乗用車で懸命に避難したが、親類や知人は何人も波にさらわれたという。
 海に近い地域は壊滅状態だった。「まだ夢を見ているようだ。現実感がない」と体を震わせた。

 仙台市若林区の女性(60)は夫、長女と東根の旅館に避難してきた。
 同区の海岸部では200~300人の遺体が見つかり、長男が勤務する同区内の会社も津波で流された。
 沈痛な表情で「被災者はどこに行けば受け入れてくれるのかを知りたがっている。私たちは無事だっただけありがたい」と話した。

 両温泉の各旅館、ホテルはそれぞれ数十人から100人規模で被災者を受け入れている。
 栄屋ホテル(天童)の女将は「節電、節水を強いられているが、できる限り何とかしたい」と語った。
*


  1. 2011/03/17(木) 17:15:21|
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ナマの体験

石巻で津波体験

次のそれは、新潟の「ころ」さんへ届いたメールである。
発信者は、「ころ」さんの知人である。
3月11日のあの大津波を体験された方のメール、驚きと感動を覚えながら読み、みなさんにも読んでもらって、できる協力をお願いしたいと考え、メール公開の了承を発信者と「ころ」さんへ頼む。


メール有難う御座いました。
地震が起きた時は石巻に居ました。津波が来る前に会社の3Fに逃げましたので、命は助かりました。
近所の赤ちゃん連れの夫婦や数十人の人たちがずぶ濡れになりながら避難して来たので、受け入れて社服に着替えさせて、寒さで震える人には若い人たちが身体をこすって温めてあげて、一晩ほとんど寝ないで夜明けを待ちました。

私の車は津波で流されて他の車が車の上に乗っかってしまいました。使えない状態になってしまいました。
水が引いた後、歩いて全員で会社を脱出し、津波の到達しなかった所の中学校の避難所まで、ひざ上までの水の中を歩いて到達しました。
1時間半以上かかって給水車から水を貰い、食糧はイオンまで行ってスナック菓子やジュースを無料で貰ってそれを食べて飢えはしのぎました。

石巻の路上でタクシーを捕まえ交渉し、石巻から内陸を通って仙台駅まで出ましたが、在来線も新幹線も動いてない事が判り、山形経由と考えバス乗り場を探した所、長蛇の列で何時間かかるか判らないので新庄行きの路線バスで東根まで来て山形メイコーにたどり着きました。
そこで、会社の車を借りて、自宅にたどり着きました。

震度7の地震の恐ろしさ、津波のエネルギーの凄さと、貴重な経験をしました。
避難所では、水、食糧、毛布などまったく不足している事と、携帯電話関係の中継器が津波と停電で壊れてしまい、全く、外部との連絡が取れない事が一番困りました。
衛星電話等が指定避難所にあればどれだけ助かったか判りません。
そのため、最近になって石巻市で10万人の避難民がいる事がようやく判った状況です。

今回感じた事は、より多くの情報収集とその中から最適な方法を考え瞬時の決断が、その先を左右するという事です。
すべての局面でそれが必要でした。運も良かったと思っています。
お陰で今は韓国に来て、スケジュール通りの打ち合わせをこなしています。
今週、土曜日に帰ります。


「ころ」さんから、幾度もお見舞いの電話をいただいたが、これまで不通だったそうである。
今日、こちらから電話をさし上げたところ 直ぐに通じ、話ができた。

妻が宮城県の友人に電話してるが、ひと方にはすんなり通じたが、もう ひと方にはいまだに不通である。
まだまだ状況は厳しいのが分かる。
                

今の気温1度、雪降り止まず


  1. 2011/03/17(木) 10:51:04|
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逆境に立ち向かう

沈着で節度ある態度

東北関東大震災を報じる記事に胸が締めつけられ、胃がキリキリ痛むようなのが多い。
そうした中で、(あぁ これはいい記事だなぁ)とホッとするのもある。長い記事であるが、それを転載する。(朝日新聞 オピニオン 16日付)

    ザ・コラム  逆境ジャパン  立ち向かう姿に賛嘆のまなざし    山中季広 ニューヨーク支局長

  津波の直撃を受けた東北の街で住民が屋上や校庭に書いた大きな「SOS」や「HELP」が連日、世界各国のテレビに映し出されている。
  どの国のメディアも、まずは日本で地震に遭遇した自国民を探し出し、その肉声を報じた。
  インド紙ビジネスラインは、同国のタイヤ大手幹部が出張先の宇都宮市で、生まれて初めての地震にすくみ上がった話を取り上げた。
  「日本人はだれもパニックに陥らなかった。動揺する外国人を机の下にもぐらせ、避難場所へ手際よく誘導してくれた」と体験を紹介。
  「地震にここまで冷静に対処できる国は日本しかない」とたたえた。

  中国の環球時報も「数百人が広場に避難したが、毛布やビスケットが与えられ、男性は女性を助けていた。3時間後に人がいなくなった時、ゴミ一つ落ちていなかった」という滞日中国人の声えお拾い「日本人の冷静さに世界が感慨を覚えている」と報じた。

  今月11日以来、世界の目が日本に注がれている。
  日本ほど周到に地震に備えてきた国はない、その日本が壊滅的な被害を受けたいま他国はどう備えたらよいのか----。
  他国人々はこの未曾有の地震をわがことと受け止め、かってない恐怖を感じている。

  海外から見ると、ふだんの日本はよくも悪くも目立たない国の一つだ。めまぐるしく首相が交代しも「力量不足がまたひとり降板した」と突き放した調子で論評される。
  国内総生産(GDP)世界2位の座を中国に抜かれても「日本が今まで2位だったことをみんな忘れていた」と素っ気ない。
  しかし今回はちがう。震災は日本に向ける世界の視線を一変させた。各国が日本の経験から一つでも多くの教訓を学びとろうと懸命になっているのだ。

  各国の取材陣が驚きの視線で報じているのが、甚大な被害を受けながら日本の人々が少しも節度を失わないことだ。
  先のインドや中国の報道でもわかる通り、災害見舞いのリップサービスといった書きぶりではない。
  すすんで食べ物を分け合う被災者の姿に感じ入り、怒号もけんかも起きない避難所の静けさに心動かされているのだ。

  そのひとり、ニューヨーク・タイムス紙のニコラス・クリストフ元東京支局長は「罹災しても日本社会は整然としていて秩序に乱れがない。日本人の忍耐力と回復力は尊い」と書いた。
  本人に思いを尋ねてみた。
  「阪神淡路大震災で会った被災者が実に立派だったからです。繁華街で店という店のガラスが割れ、商品が手の届く先に見えているのに、誰も盗もうとしない。救援物資を待つ行列が長くても奪い合いすら起きない。感心しました」
  神戸市で取材中、念頭にあったのは各国で地震のたびに起きる商店襲撃のことだった。きっと神戸でも混乱で商店街は荒らされるだろうと予測したが、ついに略奪の実例を見かけることはなかったそうだ。
  
  なるほど天災の直後には多くの国で略奪や強奪が起きている。昨年の中米ハイチ地震では住民がスーパーからどやどや勝手に商品を持ち出した。
  ハリケーン・カトリーナに襲われた米ルイジアナ州では6年前、群衆が店のドアを蹴破り、液晶テレビやDVD、バスケットボール練習台まで盗み出した。
  こういう開き直ったような略奪は日本ではまず起きない。今回の地震でも実際には盗みの被害が出ているが、群衆によるものではない。
  海外の感覚からすると、暴徒を見ない日本の被災地の静穏さはそれだけで称賛に値する。

  もうひとつ海外メディアが注目している現象がある。
  日本では被災地であからさまな便乗値上げが横行しないことだ。水や米が地震前と同じ価格で売られ、しかも人々はがまん強く、店の前に何時間でも列をなして待っている。
  「日本以外ではまず考えられないことです」と話すのは、マイケル・サンデル米ハーバード大学教授。
  日本でも有名になった哲学講義「白熱教室」で、フロリダ州の被災地で実際に起きたあくどい便乗値上げをクラス討議の題材に取り上げてきた。
  ハリケーン被災者の窮状に業者がつけこみ、ホテルの宿泊料はたちまち4倍になり、発電機の価格は8倍に跳ね上がり、倒木処理費が200万円に高騰した。
  ほんの7年前のことだ。

  「日本では、いくら街が廃墟になっても、人々は自制心をゆるめず、わが街のために結束している。被災後の市民のふるまいには胸をうたれました」。
  教授は日本に友人知人が多く、先週来、テレビやネットにかぶりついて日本の動きを追っていると話した。

  百年に一度とも千年に一度とも論じられる地震の破壊力を目の当たりにして、各国が、これまで世界一と信じた日本の震災対策の限界を悟った。
  日本ですら津波を予知予防できない現実におびえ、安全を誇った原子力発電所からあがる白煙に身震いした。
  それでもなお海外の人々は、日本の被災者たちの沈着で節度ある態度に賛嘆を惜しまない。
  苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合う。日本の市民社会に対する世界の信頼は少しも揺らいでいない。

*

今朝の気温-4度、雪  春の雪と洒落てることが出来ないほどの積雪量。まるで真冬並みの気温と雪



  1. 2011/03/17(木) 06:46:46|
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ノーカーで

車なしで

午前5時前に目覚める。夕べから、今朝は早起きして...... と思ってたので、すぐに起床し、洗面を済ますと文庫本・飴・新聞をもって車に乗り込む。
春の雪が数センチも積もってる。雪掻きもせずに車を発進させ、農協の給油所へ向かう。
昨日は、朝食を食べ 午前7時頃に行列したが、詰めることができなかった。それで、今朝は5時半前に行ったのだが、行列はすでに昨日と同じ所まで出来てた。

顔馴染みの人々と出会う。
「昨日ダメだった。今朝は5時に来て、どうにか詰められそうだ」などと話す。
30分遅いだけで、もう昨日と同じ所。(これはいったいどういうこと...... )とあきれかえるが、後の祭りである。(笑い)
営業開始まで、まだ2時間半もあるというのに...  夕べのうちから並んでる人もいたとか、いないとか...そんな会話が聞こえる。

ガソリンがなければ、車が走らないだけで、命にかかわるわけではない。(笑い)
交通頻繁な道路にいつまでも駐めて待つわけにはいかない。そのうちまた農協職員が来て、「今日の分は終わりました」と告げるだろう。
そうやって交通の邪魔になってる車を排除するはずである。っふふ、昨日の体験からそう推察し、今朝も諦めて帰った。


東北関東大震災によって、さまざまな被害が発生した。
テレビでは、太平洋沿岸大津波による被災のようすや福島原発の危機状況を詳しく報じ、内陸部のそれはなかなかふれない。
実際には道路が不通になって、救援物資も運べない状況が続いてる。だから食料品やガソリン等も品薄で買えないのである。

次は、ある方からのメールである。
  (前略)
  そちらは、まだまだ寒いようですね。
  天童の家ブログでご無事な事が分かり安心しました。

  ガソリンや生活用品がご不自由なとこもあるようですね。
  ストーブの前に座ってテレビで大惨事の特番を見ている事に罪悪感を感じます。
  いつ、00に起こってもおかしくない状態です。
  たまたま運が良かったとしか思えません。

  美味しいトマト(塩水を使用する)が手に入りますので 天童へと思いましたが、宅急便が受け付ける事は受け付けますが
  荷物はいつ届くか責任を持てません  とのこと 生ものですので送る事が出来ずに残念です。
  (略)
  私の町内のお役目も今月いっぱい、やっと解放されます。
  激動の日々を過ごしたように思っていましたが、地震津波に遭われた皆様の事を思えば、なんと小さな事かと思っております。
  (後略)

地震発生からすでに6日目。国土交通省の努力もあって、東北の道路も徐々に回復しつつあるようだ。
牛乳や納豆などの食料品も店頭に並ぶようになってきた。またタンクローリー車も動けるようになったとの報道もある。
計画停電なども行いながらも、徐々に復興へ向けた動きがはじまりつつある。

昨日は、岩手で92時間ぶりに75歳の女性が救助されたし、石巻では25歳の男性が96時間(4日)ぶりで助けられたのは、明るいニュースである。
福島原発の危機的状況はまだ続いてるが、これについては最悪のそれに至らぬよう祈るほかない。
「明日は(午前)4時起きして並ぶ?」妻が問うけれど...... もう並ぶのは止める。車はしばらく使わない。自分の足で歩くか、自転車を使おう。
さいわいに 孫の送り届けがなくなったし、当面は車を使わなくても暮らせる。使えれば便利なのはもちろんだが、この際だから不便でも車なしでやってみようと思う。


春の雪が止むことなく降り続く


  1. 2011/03/16(水) 11:00:34|
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計画停電

東北電力は、15日に「計画停電」を行うことを発表した。
そうしなければならない理由があるのだから、この際だからやむを得ないだろう。
今日から3日間で、それ以降についても検討中のようである。
天童市は 第3グループ・第7グループで、次のような市町村と一緒である。

<3月16日(水)午後5時~午後8時>
 ■第3グループ
下記市町村の一部のエリア
【山形県】山形市、新庄市、村山市、東根市、天童市、尾花沢市、寒河江市、最上町、舟形町、河北町、大石田町、西川町、大江町、小国町、中山町、真室川町、金山町、鮭川村、戸沢村
【新潟県】新潟市北区、新潟市東区、新潟市中央区、新潟市江南区、村上市、胎内市、新発田市、阿賀野市、聖籠町、阿賀町、関川村

<3月17日(木)午後5時~午後8時>
 ■第7グループ
下記市町村の一部のエリア
【山形県】山形市、天童市、上山市、長井市、南陽市、山辺町、中山町、朝日町、大江町、白鷹町
【新潟県】新潟市中央区、新潟市東区、新潟市西区、新潟市江南区、新潟市秋葉区、新潟市南区、新潟市西蒲区、五泉市、田上町

<3月18日(金)午後5時~午後8時>
 ■第3グループ
下記市町村の一部のエリア
【山形県】山形市、新庄市、村山市、東根市、天童市、尾花沢市、寒河江市、最上町、舟形町、河北町、大石田町、西川町、大江町、小国町、中山町、真室川町、金山町、鮭川村、戸沢村
【新潟県】新潟市北区、新潟市東区、新潟市中央区、新潟市江南区、村上市、胎内市、新発田市、阿賀野市、聖籠町、阿賀町、関川村


11日の地震発生から約30時間の停電があった。それに比べれば3時間だけのそれだから、ね ガマンできないことではない。
繰り返し書くが、被災者のことを思い...... あるいは、置かれている状況を考えれば、多少の不便は忍ばなければなるまい。

*
なお、よく調べてみたら...
「天童の家」のある 上荻野戸は、第7グループであることが東北電力のHPによって分かった。
停電は、17日の1日のみのようでホッとしてる。19.20.21日は未実施で、その後はまた行うらしい。

第7グループ
平成23年 3月17日(木)17時~20時 停電必要量:100 万kW
第7グループ
【山形県】
山形市
あかねヶ丘1丁目,あかねヶ丘2丁目,あかねヶ丘3丁目,あけぼの1
丁目,あけぼの2丁目,あこや町1丁目,あこや町2丁目,あこや町3
(略)
天童市
一日町1丁目,一日町2丁目,一日町3丁目,一日町4丁目,駅西1丁
目,駅西2丁目,駅西3丁目,駅西4丁目,駅西5丁目,下荻野戸,下
荻野戸干布,下荻野戸原町,下荻野戸石倉,下貫津,下荒谷,灰塚,鎌
(略)
寺津,
小路2丁目,松城町,上荻野戸,


今朝の気温0度、曇   春の雪が積もってる
今朝も5時起きし注油に行ったが... その顛末は、後刻 あらためてアップ予定


  1. 2011/03/16(水) 06:13:30|
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耐乏生活

今朝は、5時起きし朝食をさーっと済まし7時前に近くにある農協のガソリンスタンドへ行く。
始業まで1時間もあるのだから(詰められるだろう)と思ったが、すでに長蛇の列となってる。
正確に数えたのでないが150台~200台くらい並んでる。昨日もそうだったようである。農協の組合員でなければ詰められないというふれ込みだが... 実際はちがうような感じだ。

とにかく待ち覚悟で並ぶ。ガソリン残量がないのだから、並んでも詰めるしかないのである。
新聞と文庫本を持参し、車中で読む。「3号機も水素爆発」「2号機も冷却不全」「計画停電が開始」「被災地ガソリン不足」「首都圏『買いだめ』」「M7余震確率減り40%」大きな活字が禍々しい。
ケータイが振るえ、「緊急地震速報・秋田沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」を伝える。(午前7時29分)

  約1万人の安否が確認できていない宮城県南三陸町で、津波にのまれ一時気を失いながら、電線にしがみついて生還した男性が避難所にいた。
  海の近くにいたはずが、目を覚ました時には高さ約30㍍の丘の上だったという。
紙面いっぱい 5葉の写真(津波が到達する直前の街並み 3時4分・海水が道路へ・家屋が呑み込まれ・水没・全てが流される 3時16分)が津波の恐ろしさを如実に示してる。

「待って居られても、(ガソリンは)もう詰められません」農協職員が触れ回る。(そうだろうなぁ)と納得(諦め)し 家に戻る。
妻とあらためて茶を飲みながらいろいろ話し合う。妻の通勤(車)は、まだしばらくは間に合うようだ。私のはもうガス欠限界に近い。息子のは地震前に満タンしてたという。
「パパ、自転車 小屋からもって来よう。耕耘機や動噴用のガソリン、あれを車に入れよう」妻の提案に同意する。
道路には雪がほとんどなくなったのだから、自転車が使える。また農業機械用のガソリンを車に使える。それで約30Km位走れることが分かる。

ガソリンはじめ、食料品や暮らしに必要な品々がいつまで欠乏するかは分からないが、とにかく家があり、それなりの食料等(備蓄)があるのだから、しばらくの間辛抱するしかない。
30時間近い停電を経験したばかりだし、数時間の計画停電はたいしたことでない。
原子力発電所のそれは、庶民にはいかんともしがたい。大事にならないよう祈るしかない。
地震発生からすでに5日目。津波に襲われた方々(被災者)の暮らしが、少しでも早く復旧に向かうこと。そして今も繰り返し襲ってくる不安に対するフォローアップをしっかりやらなければならない。
被災地から離れ、直接力になってあげられないが、何らかの形で協力したいと考えている。

「パパ、牛乳 午後から入る(入荷する)と言ってた。何時頃になるか確かなことは分からないけど、パパ、自転車でリックサック背負ってね 買ってきて」妻の頼みに、大きく頷く。
買えるだけ良しである。
そう悲観的にならないでもいいような気がする。へへ、あくまでも希望的思いであるが...(笑い)

*

今の気温6度、曇


  1. 2011/03/15(火) 10:18:09|
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東北関東大震災

東北関東大震災

以下は、メール・コメントなどからの写しです
すぐ下は、「天童の家」14日への「ころ」さんのコメント

  今野さんこんばんわ
  こちらでも同じです。
  茨城の息子夫婦から懐中電灯と乾電池、ろうそく、ホッカイロなどが取手市ではすでに入手出来ないので送ってくれと頼まれて、スーパー、ホームセンター、電気店を回ってみました。
  驚いたことに地震の影響はまったくなかったわが市内でも殆んど入手できず、パンなどは初めから全然入荷しなかったそうです。パンの棚がガラ~ンとしていました。
  餅とスナック菓子を少し買ってきた程度です。
  買い物中の数人に聞いてみると、皆さん東京の息子や娘、親戚に頼まれて買いに来たけれど何もないといっていました。
  幸い自宅用に昨日買っておいた懐中電灯と乾電池と今日買った餅、お菓子家にあるろうそくホッカイロ等を明日送ります。東京電力の計画停電に付随する東京からのオファーによる現象のようです。
  ガソリンはいまのところ割合簡単に入手できますが、1リッター148円~151円しています。

  明日から2泊3日で群馬の温泉に予約を入れていたのですが、こんな時期にいかがなものかと思案していたところ、先方からキャンセルして欲しいと電話がありホッとしました。
                   2011/03/14(月) 「 こ ろ 」

次は、イギリス在住の「あつこ」さんのブログから、コメントの写し

   こんの said...
  こんのです
  東日本大震災に際し、心温まるお見舞いの数々 ありがとうございます
  ほんとうに大きな力になります
  さいわいに被害もなくホッとしてますが、被災者のことを思えば心がキリキリ痛みます
  世界中から救援の手が差し伸べられ、ありがたいことだと心から思い、感謝の気持でいっぱいです
  あつこさん イギリスでも応援してくださってるのが分かりとても嬉しい!!です
  ありがとうございます
                13 March 2011 22:58

   Atsuko said...
  こんのさん、東北地方の人だけにかかわらず、これからまだまだ厳しい状況が続くようですね。くれぐれも余震等に気をつけて、がんばってください。遠くから応援しています。

  次は、九州のお友だちからのメールの写し
  (前略)
  被害がなくて本当によかったです。
  が、被災地のニュースを見る度に胸が痛みますし、何もできない自分たちが申し訳ない気持ちで一杯です。
  なぜか、このところ東北地方に大きい地震が集中して起きますね。これも神のみぞ知ることなのでしょううか?
  こちらは、平穏です。宮崎県の火山爆発のニュースがかすんでしまっていますが、これも今回の地核変動の一部だったのかもしれません。
  この火山爆発の数ヶ月前、我が家の温泉に砂が混じることが度々あって、我が家のモーターの故障かと思っていましたら、ご近所や少し離れた友人宅もそうだったらしく、改めて地球というものを考えます。

  今はまだ物を送る事が出来ませんが、何か必要な物があればご連絡下さい。
  こちらではインフルエンザがまた流行り始めました。ご自愛下さい。
  (後略)

未曾有の大惨事出来!地獄絵を見るような惨状におろおろと暮らしている。まさに世紀末、この世の終わりを感じさせる気分。(笑い)
これまでは、自分ではけっこう自分を頼みにしていたが、頻繁に起きる(私だけの余震)に辟易している。苦笑するしかないなぁ
あの日に受けた地震の恐ろしい思いが、ね きっとトラウマになってるのだろう。(弱い自分だなぁ)としみじみ思う。
それにしても錯覚以外の、実際の余震のなんと多く、また長く続くことか......

*
  1. 2011/03/15(火) 06:07:12|
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東日本大震災

自分ができることを

見通しが甘かった。停電はそんなに長くはないだろうと思っていたが、大きく外れた。
11日は、外が明るいうちに「ろうそくの灯り」で夕食を済ました。
「天童の家」の炊飯や煮物はガス(ボンベ)でやってる。また反射コンロ(3台)もあるので湯沸かしや煮炊きは不自由しない。
ところが、あいにく炊飯器の電池切れでご飯が炊けない。それだからといってちっとも困らない。麺類が好きだからそうめんやパスタを食べた。

懐中電灯にも欠かせないので電池を買いに行く。「パンとホッカイロも買ってきて」と母のリクエストもある。
途中にコンビニがあるけれど、そこははじめからパスし、ホームセンターへ。ところがそこは長蛇の列で「こんなに並んで...... もうダメだ」と判断し、ショッピングセンターへ向かう。
ホッカイロは買えたが、パン類はもうほとんど品切れで、味噌パンと菓子パンをようやく入手できた。
電池はみごとに売り切れ! 「懐中電灯の電池で点火し、炊飯終わったら、また懐中電灯に電池を戻せばいい」ということで対応するしかない。

12日、続く余震に戸惑いながらも、さいわいに天気がわるくないので、気分転換にと散歩をする。
考えれば、散歩などしてる時ではなく、食材の確保やガソリン補給をしっかりやるべきだったのだが...... その考えが浮かばなかったのが悔やまれる。
12日も停電が続いてる。ラジオで情報を集めながら震災の惨状に驚く。
「冷蔵庫の掃除をやるから手伝って」妻に言われ、せっせと冷蔵庫の掃除や整理をやる。
今回の停電は、30時間ほどだったが、その途中のこの時点でも冷凍庫内のそれは全部解凍してしまった。孫たちのために保管してあるアイスキャンデーは全部捨てた。
東京電力は、今日(14日)から計画停電を実施するという。3時間~数時間だから、全部ダメになるということもないだろうが......

13日、日曜のルチンワークとして買い出しがある。ので、いつもの通りに買い物に出かける。
が...... 途中の道路が渋滞しちっとも進まない。不審に思って調べるとガソリンを詰めるための順番待ちと分かる。それが方々の場所で同じような情景なのである。
自分のタンクを見ると、残量が少なくなってる。(しまったぁ!)と思うが後の祭り...

いつものショッピングセンターに行き、さらに驚く。買う物がない!
「入荷しないのです」店員が困惑顔で説明する。いつもは活況を呈してる店内の陳列棚がガランとして、まるでゴーストタウンのような感じである。
「あるもので食いつなぐしかない。まだ食べるものがある(缶詰やその他の食材)しなぁ。畑の大根も掘り起こしに行こう」

東日本大震災:マグニチュード 9.0に 世界史上4番目 (毎日JP)
 気象庁は13日、東日本大震災の規模をマグニチュード(M)9.0に修正した。これまでは国内の観測史上最大のM8.8としていたが、地震波のデータを詳しく解析し、再計算した結果、9.0になったという。
M9.0は世界の地震の観測史上4番目となる。Mが0.2高いと、地震のエネルギーは約2倍となる。
 また、気象庁はM7以上(震度6強~4程度)の余震が発生する確率について、13日午前10時から3日間以内が70%、その後3日間以内は50%と発表した。余震確率70%は国内の地震で過去最高。
 横田崇・地震予知情報課長は記者会見し、「余震の数と規模は過去の地震と比べけた違いに大きい。震度6弱~6強程度の余震が今後も2週間程度は続く恐れがある」と注意を呼びかけた。【福永方人、飯田和樹】

東日本大震災:給油に長蛇の列 新たな供給のめどなく (毎日JP)
 ガソリンスタンドで給油するために並ぶ車の列。場所によっては1キロ以上の列になっているスタンドもある。東日本大震災で被災した東北各地のガソリンスタンドで、給油を待つ車が長蛇の列を作っている。
 停電の影響でポンプを動かせる店が限られていたり、緊急車両以外の給油が制限され、一般車両が給油できるスタンドが限られているためだ。
 盛岡市内の中心地にあるスタンドには13日朝、約30台が並んだ。自家発電で12日から緊急車両に限り営業しているため、ガソリンはほとんど底をつきそうだが、新たな供給のめどは「ない」という。

今回の大震災を思えば、多少の不便さや不満はあっても忍ばなくてはなるまい。
今回のような大規模な計画停電にも対応しなければならないものと思われる。
愚痴や不満を言うより、この窮状に自分がやれることはなになのかを考え、実践すべきだろう。


今朝の気温2度、晴

また大きな余震!を覚える......  が、私だけの錯覚だった...


  1. 2011/03/14(月) 07:10:50|
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大 地 震

2011年3月11日

2011年3月11日午後2時46分、この時刻をながく忘れないだろう。
洋間の長椅子に腰を沈めて、池波正太郎著「戦国幻想曲」新潮文庫を読んでいた。
揺れは、激しく、長く続いた。これまでに体験したことにない地震だった。(地震だ!)とは分かったが、いったいどうすればいいのか分からない。
驚きのまま、長椅子から腰を浮かし窓を見る。左右に動いて、(もしかしたらこのまま家が倒壊するのでは......)と思った。
そう思ったら、立ち上がって、外へ逃げようと部屋を出た。母は、すでに外へ出てた。
「火、消してきたか?」母の問いかけに、「消した!」と応じる。
外へ出ても、大地がまだ揺れている。

後で考えたのだが、(あれは本当にまだ揺れていたのだろうか......? )と。というのは船酔い後に陸地に上がった時に、地が揺れてるような錯覚を経験する。
特に、今回の地震は大きな余震が何度も起きた。そうした後には、実際は揺れていないのだが、なにかの弾みで「ない」揺れを感じてしまう。
似たような感覚を妻も体験してるようだ。不安がそうさせるのだろうか。とにかくない揺れを感じてしまう。
あの経験したこともない揺れが、きっとトラウマになっているのかも知れないなぁ

余震を感じる度に、電灯から下がってる紐が揺れているかどうかを見る。
見れば、70~80パーセントくらいは揺れているから、(あぁ、また余震)と分かるが、30~20パーセントくらい錯覚なのに苦笑してしまう。
錯覚の揺れは、特別の場所や時間にでるのではなくて、いつでも現れる。
今朝、二日ぶりに風呂に入った。入浴しながら浴槽の湯を手で動かしていたら、また余震を感じた。でも、それは錯覚の揺れだった。
鏡を見ながら ひげ剃りしてたら、また揺れた。うう、それも自分の身体が動いたために覚えた余震(錯覚)なのが分かった。

こうしてタイピングしてる時(13日 7時15分頃)にもまたかなり大きな揺れが2度きた。それは間違いなく震度4近い余震だった。
13日 8時30分頃にもまた本当の揺れがきた。妻と朝食中で、横揺れでなく、直下からビビビと震えるはっきりしたそれである。
はじめのそれは、「平成23年 東北地方太平洋沖地震」(東日本大地震)は、マグニチュード(M)8.8 という国内観測史上最大のものだった。
それで度肝を抜かれた。それ以降も限りない程の余震が起きた。11日の夜は、停電で真っ暗闇の中で、「あっ!  また起きた」と幾度も身を固くした。
12日になっても家屋を揺るがす余震がいくつもあって、慣れることができない。

停電が30時間近くあって、ようやく復旧(12日午後8時近く)したけれど、起きてテレビを見るのがやっとである。
パソコンする気持にならない。泥のように重たくべったりした気分...... 時間的には、十分に眠っているはずなのに気分は寝不足。
実質的な被害はなにもなかった。津波に遭った人たちに比べれば、ホッとしていいはずなのに......
「天童の家」のそれは、下の写真くらいでしかない。こけしが倒れ、本の函が散らかったにすぎない。
なのに、揺れの錯覚が度々現れる。それがとてもイヤというか、不安な気分になる。

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今の気温11度、晴



  1. 2011/03/13(日) 13:24:31|
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無 事

被害もなく、無事でした
お見舞い ありがとうございます

停電で、二晩 ろうそくの灯りで夕食をとりました
詳しいことは後刻、書きます

  1. 2011/03/13(日) 06:36:53|
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春の雪

見出しを「春の雪」としたが... 雪国みちのくの3月上旬は、まだ冬の続きで、残雪があり、またなんの花も咲かない。
「春は名のみ」なのである。
でも春の季節なので、そこに降る雪にはある感慨を覚える。それで久しぶりに雪景色を撮った。

梅とか椿の花に、春の淡雪などであれば「絵」になるのだろうが...
ほんとに何もない。
昨日と今朝、久しぶりに雪掻きをやった。スノーダンプなどは、もう小屋に収納してしまってたが、雪ベラだけは出してたので、それで掃いた。

春の雪は、もうなにもしなくてもすぐに融けてしまうのだが... いかにも不精と思われたくないのでやったのである。(笑い)

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雪は夜に降ったようで、今朝は晴れ上がり、光はやはり春のものである。
間もなく、道路は黒いアスファルトが顔を出すだろう


  1. 2011/03/11(金) 09:29:54|
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北 帰 行

北 帰 行

  酒田市の最上川スワンパークで越冬していたハクチョウの北帰行が11日、始まった。
  酒田市白鳥を愛する会の池田昭三会長(82)が同日午前8時10分ごろ、編隊を組んだ群が北に飛んでいくのを確認したという。
  第1陣は昨年と同じ日で、北帰行は4月まで続く見込み。
(朝日新聞 地方版 2月12日付け)
新聞を読み、寺津沼の白鳥たちも間もなく飛び発ってくのだなぁと思った。
酒田のそれから 4週間が経った。寺津沼の彼らはいつなのかと気にかかる。

田圃の雪も消えはじめ、黒い土が所々まだらに見える。
白鳥たちは、午前8時ころになると数羽ごとのグループで田圃へ飛びたつ。
朝日を受け、純白の飛翔姿がえも言えず(きれいだなぁ)と感動する。

みちのく雪国の冬は厳しいけれど、その辛さを忘れさせてくれるもの(こと)も多いから救われる。
白鳥たちのそれも大きな慰め、癒し、感動を与えてくれるから嬉しい。
寺津沼で越冬した彼らも間もなく北帰行する。

北帰行だと断定できないが、先日それらしき白鳥たちの編隊飛行を見た。
遠くの空でのそれなのでうまく撮れていないが、(こんなふうにして長旅するのだなぁ)と じーんとするのを覚えた。
いずれにしても、つつがない旅をと念願せずにはいられない。

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今朝の気温-1度、晴   
昨日の朝と今朝、久しぶりに雪掻きする。雪掻きといっても雪ベラで軽く掃いただけ
3月の雪は、放っておいてもすぐに融けてしまう


  1. 2011/03/11(金) 06:45:26|
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また白鳥 2

午前にアップしたのとたいしてちがわないのだが... 思い切りわるく捨てられない。
いちおう並べておこくとにする。

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今の気温2度、太陽が照ったりするのだが...時折 雪もちらりほらりと


  1. 2011/03/10(木) 12:58:56|
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また白鳥

今日は、3ヵ月毎の歯科受診日なので5時過ぎには起床。
時間にあまり余裕がないので、また白鳥に会いに行ったので、それを並べるだけにする。
っふふ、「また白鳥?!」と思われるかもしれないなぁ

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今朝の気温-1度、空はようやく白じんできたが...


  1. 2011/03/10(木) 05:38:34|
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朝の光の中で

今年は、白鳥を朝の光で撮ったことがない。
夕方、塒に戻って来たときのそれだけだった。

白鳥の飛翔は、やはり朝の光の中でみるのがいちばんきれいだなぁと思う。
昨日の朝、朝食を慌ただしくすまし、寺津沼に向かった。

念願叶って、北帰行まえにやっと撮ることができた。

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今朝の気温-1度、晴 夕べ降った雪がうっすらと積もってる


  1. 2011/03/09(水) 06:36:40|
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スタンバイ

白鳥を眺めていると、いろいろな姿があるなぁと思う。
いちばん(いいなぁ)と思うのは、やはり飛翔する姿である。
塒の沼でゆったり優雅に水面を移動する姿は、(あぁ、白鳥だなぁ)とホッとする。

田圃で羽を泥で汚しながら餌を啄む姿は、うん(生きるために頑張ってるのだなぁ)と言うしかない。
白鳥のあの優雅な姿は、微塵も感じられない。(笑い)
安息の地である沼では、いちばん白鳥らしいすがたであるけれど、時には激しい動きも見られる。

喧嘩(らしきようす)で追いかけたり、飛翔前のそれは全力を出し切るのだなぁと納得する。
そこに白鳥の優雅さとはまた違う力強さを感じ、頷いている自分に気づく。
そんな姿を並べる。

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今の気温5度、晴れて、光は春の色 


  1. 2011/03/08(火) 14:17:04|
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夕暮れ前に

孫は今テスト中なので帰りが早い。7日も昼ちょっと過ぎに電話が入り迎えに行く。
家へ送り届ける道すがら、田圃で餌を啄んでる白鳥たちの姿を数多く目にする。
道路脇の田圃で、なんだか脇目もふらずに餌を食うことに夢中のようす。

「いっぱい居るのだね」孫が驚いたような口ぶり
田圃の所々に雪が消えて黒い土がでている。そこに白い白鳥が餌探しに必死のようす。(あぁ、そうなんだなぁ、食べなきゃ帰れないんだ)と納得する。(笑い)
再び寺津沼に行った。

沼には1羽の白鳥もいなかった。
でも、夕方には必ずここへ戻って来る。そういうことで7日もまるで恋人を待つように白鳥を待ったのである。

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白鳥たちは、田圃で夕方まで餌探し。沼に(塒)帰って来たのは太陽が赤く燃え尽きるころだった。
撮影に、光量不足は困るのだが... しかたない。
そういえば、今年は朝の光で撮ったことが一度もないなぁ

北帰行前に、一度は明るい光のなかで撮りたい。切実にそう思う。


  1. 2011/03/08(火) 13:56:46|
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かりそめの色


       数分後煮らるる貝はゆつくりと向き変へてをり春灯の下に       横浜市・笠松一恵
『笠松さん、一寸先の死を知らぬからこそ生きていられるのは人も同じ。』と永田選者のコメント
こういう歌を詠まれる人を(凄いなぁ)と思わずにはいられない。

       先に逝くなと言いて先にゆきし人よこちらは雪です湯豆腐ですよ    岐阜県・棚橋久子
棚橋さんの想いがじーんと伝わってくる。

       巡回の途中立ち寄り駐在が拳銃腰に布団干しをり           香取市・関 沼男
非日常的な拳銃といかにも日常的な布団干し、うふふ(面白いなぁ)と情景が目に浮かぶ。

       呉れるひとが和尚さんにはあるまいと檀家のばばがチョコレート呉るる 三原市・岡田独甫
岡田さんの視点が、ね いつも楽しみである。

       毒リンゴ白雪姫の顔よりも大きく作る舞台前日            岩沼市・山田洋子
大きなリンゴを食べた白雪姫、ばったりと倒れてしい、小人たちが悲嘆にくれるあのシーンが...
上演へ至るまでの苦労も、また一つの喜び、楽しみである。

       鶺鴒の数羽と百舌の番とが虫探し合う春田起こせば          所沢市・若山 巌
「天童の家」あたりでは、特に百舌が多く集まってくる。百舌にはどうして田起こしだと目敏くわかるのか不思議な気がするほど、確実にやってくる。
もちろん、田圃だけでなくて畑を耕してても同じであるなぁ

       いくさ世もアメリカ世も大和世も命限り咲く沖縄緋桜         沖縄県・和田静子
よけいな言葉はいらない歌であるなぁ

       スコップもすぐに売り切れ雪の朝       横浜市・橋本青草
       秋よりも彼方へ去りし白の蔵王        藤沢市・長谷川礼而
       今年竹まだかりそめの竹の色         大津市・西村洛葉

       雛の間となりし仏間の華やげる        大村市・小谷一夫
       人面のやうな木の瘤日脚伸ぶ        八王子市・大串若竹

           短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(7日付)より

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今朝の気温-4度、雲多いがうっすらと青みが...



  1. 2011/03/08(火) 06:59:09|
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さくらんぼ剪定


梅の後、さくらんぼの剪定を、4日と5日にやった。
両日とも午前中は妻とふたりで、午後は妻が児童保育へ行き、独りでやる。
梅は1日に3本を剪定できた。さくらんぼは太い木と細いのが混在してい、二日かかった。

妻が不在だと、どうしても思い切った剪り方ができない。
5日の午後、4時に学童から帰ってきた妻が畑にやってきて、「パパ、まだ濃すぎる!」と枝が混んでいると指摘する。
言われたのを改めて眺めると、確かに混み入ってるのが分かる。やや太い枝を2本カットし、それですっきり感が出る。
「今度はいい!」妻の太鼓判を得る。(笑い)
そうやって所々をやり直す。こうやって妻の指示(同意)で切ったのだから、「切りすぎてならなかった」と言われないで済む。
「葉っぱが出れば、これくらいがちょうど良い」妻の自信ありげな言葉に、(そうだね)というふうに頷く。

なんだかだ言っても、木には蕾がなくては花が咲かない。花芽がたくさんついてる枝を剪るのだから、ある意味勇気が必要なのである。
サラリーマンだった自分には、農業のことはよく分からない。だからどうしても臆病になってしまう。
妻も農業のことは知らないのだが、誰彼構わず聞いて(耳学問)知識を増やしてる。その根性は(見上げたものだなぁ)と思う。
専業農家からみれば、まさに(ままごと)なのだが、へへ そのままごとが楽しいのだから、なにおか言わんやである。

とは言いながら、二日間もなれない仕事をやると疲れるのはしかたない。
6日の朝は、かなり寝坊してしまう。仕事疲れもあるが、前日の仕事後に舐めたウイスキーの量が若干 過ぎたせいがあるかも知れない。(笑い)
6日午前中に、ルチンワークになってる買い物を済ませ、早めの昼食を摂る。妻が午後1時からはじまる干布地区の婦人会総会で監査報告をしなければならないという。

「これで良い?」着替えた姿を書斎に見せて 問うている。
「あぁ、ママ 惚れ直した! 文句なしで良い」
「パパったら、おちょくらないで。午後からはゆっくり休んで、疲れをとってね」

妻を見送り、さてどうしようか...という気分で、ね この文章をタイピングしている。
ん? うう、いったい今日は何を書こうとしたのだったっけ...

昨日と一昨日は剪定仕事、今日は買い物、雨降りである。散歩ができない(したくない)。運動は踏み台でごまかそう。
というわけで、カメラを使わないから 添える画像がない。
あぁ、そうか! 結局、写真がないことを言い訳しようと書き始めたのだった。
っふふ、弁解の文章である。

*
今朝の気温4度、曇


  1. 2011/03/07(月) 06:46:37|
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言 葉(文化)の力


昨日のブログで次のフレーズを使った。
  俺のそだたどご(育った所)は 東・西・北村山郡のさがいめ(境界)だげ、村山盆地のまんなが(真ん中)だべちゃ。んだてごと(ということ)は村山弁の標準語だべ。
  「ざらんぼ」てやねが?。語源はおど(音)だ。葬式の行列でおっさま(僧侶)が鳴らす「チン」→小さなカネ、「ドン」→太鼓、「ジャーン」→シンバルみだえなものがらきてんだど、としょりがら(年寄りから)きいだごどがあんなだ。
  このジャーンがザランボン→ザランボてゆうなだて。こっつのほう(こちらの方)がほんきくさぐなえがえ(由来としての正統性があるのでは......)。

上のそれは、あるHPから借用したのに手を加えてものである。HPのそれ(原文)はこういうものだった。

  俺のそだたどごは 東、西、北村山群のさがいめだげ、村山盆地のまんながだべちゃ。んだてごとは村山弁の標準語だべ。
  「ざらんぼ」てやねが?。語源はおどだ。葬式の行列でおっさまが鳴らす「チン」→小さなカネ、「ドン」→太鼓、「ジャーン」→シンバルみだえなものがらきてんだど、としょりがらきいだごどがあんなだ。
  このジャーンがザランボン→ザランボてゆうなだて。こっつのほうがほんきくさぐなえがえ。

上で 言ってる(書いてる)こと、理解できますか? 分からないのが当然ですよね。意味が通じるように書くと、次のようになる。
  俺の育った所は、東、西、北村山郡の境界の地である。そこは村山盆地(山形盆地)の真ん中に位置する。そういうことで言えば、村山方言の中心地であり、まさに「村山弁そのもの」(標準語)であるよなぁ
  昔、な「ざらんぼ」と言わなかったか? 「ざらぶ」の語源は音である。葬列の先頭で、お上人様が鳴らす鐘、太鼓、シンバルのようなものからの由来である、と 年寄りから聞いたことがあるのだよ。
  シンバルのようなそれから発せられるジャーンという音が、ザランボン→ザランボ→ザラブ(と転訛し)そう言うようになったのである。こういう説明が、ね っふふ、いかにも本当のように思うのだが...... そう思えるだろ!

山形NHKが制作しているバラエティ番組に「今夜はなまらないと」という面白いのがある。訛るとナイトを掛け合わせた命名だろう。
山形方言と一口に言っても、村山地方・置賜地方・庄内地方でかなり違う。同じ村山地方でも南村山と北村山ではニュアンスが違う。
その辺の違いを実際に方言を使いながら面白可笑しく見せるローカル番組で、なかなかの優れものだ。

4日のそれは、高畠町出身の童話作家浜田広介の名作『泣いた赤鬼』をベースにしたものだった。
『泣いた赤鬼』を山形県出身のタレントたちと一緒になって、山形放送局のアナウンサーが方言を使って寸劇を演じる。
この日は、酒田出身のタレントと尾花沢のタレントが徹頭徹尾方言で押し通す。アナウンサーが負けじと方言で応じる。

金曜日午後7時のニュースの後、8時45分まで1時間15分がなかなか楽しかった。
ブログで扱った「ざらぶ・らんば」が方言かどうかは確かでない(なんとなく方言と捉えてる)が、たまたま方言を扱ったバラエティ番組「今夜はなまらないと」と重なってしまった。
それが、なんとも面白いと思ったのである。

マスメディアの力は大きく、方言が駆逐されてしまった感がある。若者たちにはもう方言が話せない。
だが、方言はこころの中に眠ってる。う~む、DNAとして受け継がれているかのような気がする。(笑い)
だから、ね 方言をベースにしたバラエティ番組がかえって新鮮に感じられ、人気があるのだろう。
老若男女からツイッターやケータイからいろいろな感想や方言が番組に寄せられ、それが即放映される。

寺津沼に白鳥を撮りに行き、その時に見た「焼き場」から、ね 「らんば」を思い出し、「ざらぶ」が浮かんできたのだった。
それが、方言かも知れないし、あるいは仏教語かもしれないが、現在では心の奥隅にしまわれ使われなくなってしまった。
だが、そういう言葉のもつ力というか、自分が育ってきた環境や文化はそんなに簡単に消え去るものではないと思ったのである。
だからこそ、今ではめったに使われなくなった方言が、ね なんとも懐かしく、温かい気分になれるのではないだろうか......

*
今朝の気温-1度、曇 


  1. 2011/03/06(日) 08:06:38|
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ざらぶ・らんば

3日のブログで次のように書いた。
『なお「らんば」(火葬場)について検索したが、ついに「らんば」はヒットしなかった。まったくの方言(古語)なのか... もしくは記憶違い(ではないと思うが)』
そのことが頭の片隅にあったのだろうが、ふと「ざらぶ」という言葉が浮かんだ。
「ざらぶ」を済ました後に死体を「らんば」で焼いたのを思い出したからである。
「ざらぶ」が ゲットできたら、きっと「らんば」もわかるはずだと...検索した。

次のようなHPに出合う。
  http://books.google.co.jp/books?id=1aRnXrnf404C&pg=PA52&lpg=PA52&dq=%E3%81%96%E3%82%89%E3%81%B6%E3%80%80%E8%91%AC%E5%BC%8F&source=bl&ots=txEWg3QyTy&sig=4Nd3SrNscihhsDF_4Qc1o-M6JO8&hl=ja&ei=0RJvTZvsBM2qcZmWifkC&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CDQQ6AEwAA#v=onepage&q=%E3%81%96%E3%82%89%E3%81%B6%E3%80%80%E8%91%AC%E5%BC%8F&f=false
以下は、その写し(抄)である。

    ざらぶ(葬式)の話
  人生の二大セレモニーに「むがさり」(婚礼)と「ざらぶ」(葬式)がある。
  むがさりは人生の最良の幸せであり、ざらぶはもっとも悲愴で残された身内にとっても実に悲しい。
  しかも火葬に臥されるため、住み慣れた我が家を出るときは、玄関ではなく、縁側などから送り出されてしまう。
  ざらぶは、自分のセレモニーでありながら、自分で演出することも出来ず、ひたすらあの世とやらへ旅立ってゆくのである。

  ざらぶの語源は、昔、私の子供の頃、お葬式のことを「ざらんぽん」と言っていた。
  僧侶を先頭に行列を組み、野辺送りするときに僧侶がシンバルのようなものを二枚摺りあわせ、ザラザラと音を出し、木魚かなんかでポンと音を出したことで「ざらんぱん」となり、この音の組合せがやがて「ざらぶ」となったと思われる。
  お葬式というより「ざらぶ」と言ったほうがやはり身内や近所の人たちで野辺送りをし、土葬していた当時の方が、人生の終焉にはふさわしいようであった。

また次のようなのもあった。
  俺のそだたどご(育った所)は 東・西・北村山郡のさがいめ(境界)だげ、村山盆地のまんなが(真ん中)だべちゃ。んだてごと(ということ)は村山弁の標準語だべ。
  「ざらんぼ」てやねが?(と言わないか)。語源はおど(音)だ。葬式の行列でおっさま(僧侶)が鳴らす「チン」→小さなカネ、「ドン」→太鼓、「ジャーン」→シンバルみだえなものがらきてんだど、としょりがら(年寄りから)きいだごどがあんなだ’ある)。
  このジャーンがザランボン→ザランボてゆうなだて。こっつのほう(こちらの方)がほんきくさぐなえがえ(由来としての正統性があるのでは......)。

さて、「らんば」はどうか... うう、あった!
  http://www.kurazo.info/modules/tinyd0/content/hogen_03.html
     山形県寒河江・西村山地方の方言
   ざらぶ(名)―葬式。葬送の際に僧がたたくシンバルの音にちなんだものか。
   らんば(名)―火葬場 「 やぎば (焼き場)とも 」 おぼやぎ・おんぼやぎ(名)―①火葬。②火葬場。 ...


「おぼやぎ・おんぼやぎ」も見えるが、この「おぼ・おんぼ」を検索してみたら、次のとおりだった。

  隠亡(おんぼう)は、戦後まで、火葬場において死者を荼毘に付し、遺骨にする仕事に従事する作業員の意味に用いられていた。隠坊や御坊とも表記し、地域によりオンボとも呼ぶこともある。
  この職業は、現在で言う被差別部落出身者が大半だったため、軽蔑的に用いられることも多く、現在は差別用語とされ用いられなくなっている。一般には、『斎場職員』もしくは『火夫(かふ)』と呼ばれている。
  中世から江戸時代までは、えた(穢多)やひにん(非人)とはまた違った賤民階級で、寺院や神社において、周辺部の清掃や、墓地の管理、とくに持ち込まれる死体の処理などに従事する下男とされていた。

                   (上は Wikipediaによる)
*
   らんば
    仙台弁
   らんば 【名】 お墓

仙台では、焼き場ではなくて、お墓とね

なお、「らんば」の語源は、修羅場だというのもあったが... 仏教用語(例えば梵語?)かと考えたのだった。いつか「罹婆」というのをみたような気がするが、語源は分からずである。

*

今朝の気温-2度、雲多いが青空も...



  1. 2011/03/05(土) 06:31:15|
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