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明日から3月


今年の冬は、なぜか短く感じられる。どうしてそうなのか考えてみたが、よく分からない。

昨年末に相当の雪が降って、(この冬もまた屋根の雪下ろしをしなけりゃ)とうんざりしたものだが、その後は降らずに消えた。
積雪のない年越しになったが、元旦から降り出した雪は、その後も降り続いて、元朝詣では雪道を歩くことになった。
雪掻きは、元旦から4日の朝まで毎日やった。

しかし、今シーズンの雪掻きは、全部を数えても10回やったかどうか、少なくて済んだ。
雪は、降らなかったわけでなく、少量ながら毎日のように舞った。屋根にも積もったけれど、消えては降り、降っても間もなく消えた。
今年は、雪の始末に困った思いをしないで済んだ。

今日で2月が終わる。これからも降雪はあるだろうが、3月の雪はすぐに消えてしまうからこわくない。
3月という語感からは、やはり”いよいよ春がはじまるなぁ”との思いが強い。
今年の冬は、ほんとうに短かかったなぁ

これまで過ごしてきた冬とは、なぜか感じ方がちがう。
厳しいと思ったことが少ない。本格的な吹雪は二日ほどだけだった。
繰り返しになるが雪掻きも屋根の雪下ろしも苦労なしだった。

真冬とは思えないほどの暖かい日が続けてあった。このように厳しさのない冬は、今年だけだろうか?
バンクーバーオリンピックのあった冬は、暮らしやすかった、となるのか。
それとも、あの冬から以降は、ずーっと雪の少ない温かい冬が続くようになった、と言われるようになるのか。

宇宙的な時間単位(規模)でいえば、数年間の気候変動などは変動ともいえないのだろうか?
地球温暖化が叫ばれて久しいけれど、今年の日本の気候は、その影響の現れといえるのだろうか?
確かなことも分からないまま、なんとなく今年の冬は、ほんとうに短かかったなぁとの思いに囚われている。

いずれにしても、2月が終わって、明日から3月。
いよいよ待ち遠しかった春が、またやってくる。

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今朝の気温3度、曇



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  1. 2010/02/28(日) 07:01:01|
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蔵王が招くか

2月もあと2日で終わる。毎年2月は(はやく終わるなぁ)と感じる。28日しかないからであろうが、その他にもそう思う何かがあるのだろうか?
うう、今年は蔵王の樹氷を観に行かないことになるのか?  樹氷は、例年2月が見頃である。なのに、今年はまだ行く予定がない。
樹氷は、第一に天候がよくなければダメである。高山の冬山は、一歩まちがえば遭難につながるから、快晴の日を選ばなければ行けない。

もちろん、地蔵岳から歩きだし、熊野岳を経て、馬の背に行き、お釜を見ることが前提である。
単に地蔵岳の樹氷を見るだけなら、ちょっとした晴れ間さえあればいいのだが、お釜まで歩くとなれば話はまったくちがう。
朝から夕方まで高気圧におおわれ、快晴の見通しがたたなければ行けない。
2月では、そんな日が25日であった。が、私はそれを知っていながら行かなかった。これまでなら、逃さず行ってたのだが...
(老いたのだなぁ)と思う。気概が萎えてしまった。決して見飽きたわけではない!
地元にいながら、あんなにすばらしい景色や空気を楽しまない手はない。行けば楽しいというか、別世界を堪能できる。

第一は天候であるが、その他にこちら側の都合がある。仕事とか、なにかよんどころない野暮用があって行けないことがある。
気象条件と行ける条件(用事が入っていないこと)があれば、たいてい行ける(行く)のだが、今年は(行きたい)という思いがわかなかった。
しかし、蔵王行きをぜんぜん諦めたわけではない。私は過去のそれをみてみた。以下のようになってた。

2006年は、2月24日に行った。
2007年は、2月14日と2月20日の2回行った。
2008年は、3月16日と3月25日の2回だった。
2009年は、1月29日に行った。
2008年と2009年の蔵王(冬山)については、このブログで見ることができる。もしよかったら覗いてください。

2009年。
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-621.html
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-620.html
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-619.html

2008年。
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-134.html
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-133.html
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-132.html

行くとすれば、やはり樹氷(モンスター)の写真も撮りたい。ただし、3月になると樹氷が崩れてしまうこともある。
2008年の時は、2度とも3月に行っているが、どちらも樹氷がちゃんと観られた。
そういう観点でいえば、まだこれからも冬の蔵王を楽しむことができる。(行きたい!)と思う気持ちがわいてくれば、まだチャンスがある。

ただムリして行こうとは思わない。
はたしてどうなるか? 気分次第であるなぁ

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今朝の気温6度、曇



  1. 2010/02/27(土) 06:00:00|
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ままごと農業

冗談と本音

「パパ、この肥料をやってみようか... 同じものばかりでなく、ちがったのをやれば 木も喜ぶのでは... パパ、そう思わない?」農協から配布されたチラシを見ながら妻がいう。
農協ではいろいろなチラシを作って、機材や肥料などの販売に努力してる。今回のチラシは、「さくらんぼ」生産者の皆様へ!ということで、「品質向上に総合ミネラル入り苦土肥料・マルチサポート1号」が扱われている。
チラシには以下のようなことが多色刷りで読みやすく書かれている。

 1.苦土の効果で葉色を濃く仕上げ、光合成を活発にすることにより、果実の糖度向上や着色、肥大に役立ちます。
 2.微量要素の吸収により窒素代謝を向上させ、徒長の抑制や樹勢回復に役立ちます。
 3.成分はすべて吸収されやすい速効性ですので、雪融け直後から開花前の施用が効果的です。

 苦土欠乏  ・葉に現れる場合は、葉脈間の黄化や早期落葉がある。また新鞘にも発生しやすく、結実歩合の低下.不稔を助長する。
 ホウ素欠乏 ・葉や新芽に現れず果実に発生する事が多く、落果などの結実不良や、肥大期頃から変形果.みそ玉の発生が見られる。

施用時期・施用量などが具体的に表になって出ているから、分かりやすく、っふふ つい(使ってみようか)と思ってしまうのはしかたない。
「どうせ同じ仕事をするなら、ね パパ、美味しくならせた方がいいでしょ」
「それはそうだよな。ママの思うようにやったらいい。ママは、旅行などでも同じ場所よりちがった所へ行きたいというし、肥料もきっとそうだろう」
「食べ物だって、毎日同じものより、いろいろとちがったのを食べるのが体にいいっていうじゃない。さくらんぼの木だってそうよね」

「あぁ、おかずねぇ 同じものばかりだと飽きちゃうこともあるけど... ちがったものは新鮮な感じで美味しと思うことってあるよね」
「そうよ、だから木だって同じと思うんだ。美味いさくらんぼをならせなきゃぁ」
「同じものだけでなく、たまには別の女の人でもいいかなぁ...」私は呟くように言う。

「パパ! 何を考えている。そういうのは、わけがちがうでしょ! ちがう人はダメ、パパはすぐにそういうことを考えてしまうのだからぁ」妻の顔がけわしくなって私を睨む。
「冗談 じょうだんだよぉ、いまさら本気でないことくらい分かるだろう。70にもなって誰が相手にしてくれるか、言ってみただけだよ、あっはは」
もちろん、冗談であることは本当だが、へへ こころのどこかに本音が隠れているのかもしれない。だって、こころにないことは、言葉(冗談)にさえならないからである。

「パパは、時々へんなことを言うから、油断できない。人に笑われるようなことは、もう言わないようにしたら...」
「分かった。そう怒るなよぉ 冗談ぐらいは言わないとストレスがたまるからなぁ」
「注文書、農協へ出してくる。何か食べたいものない?  ついでに買ってくるから」
「もらった塩辛もまだあるし、ママの料理に不満はないし、そう気遣わなくてもいい」

さくらんぼの剪定も完了した。枝焼きも済ました。あとは施肥、その後は消毒と作業はつづく。
「ままごと農業」ではあるが、楽しみはちゃんと?あるから他愛ない会話を交わしながらもやるべきことはきちんとやっている次第である。

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今朝の気温5度、曇




  1. 2010/02/26(金) 07:00:48|
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春の足音

春の足音が、近づいてきてるようだ
散歩道の黒いアスファルトも見えてきた

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午前中に撮ってきた

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午後3時の気温12度、晴




  1. 2010/02/25(木) 14:57:47|
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ブレーキ踏むタイミング


       生業は機械工なれど仕事なくひねもす妻の内職手伝う       東京都・馬場武三郎
奥さんと一緒の仕事をするのは、わるくないけれど、なんとも悲哀の気分がでてくるのは如何ともしがたいことただろう

       0歳は食べられぬから節分の豆を一粒ママに足します       高槻市・有田里絵
いい歌だなぁ お子さんすくすく育ってね ママの願いが叶うことでしょう

       ブレーキを踏むタイミングが少し遅い気がしてわたし疲れる   春日井市・田中詢子
田中さんのそういうこと、う~む よく分かる!なぁ 
昔は、長旅で妻が運転することがよくあった。私を労る気持があったからだろう。また、助手席でじーっとしているよりはハンドルを握った方が退屈しないだろうと考え、妻に運転を任せたものである。
しかし、田中さんの歌にみるように、本音を言えば 自分で運転する方が楽だった。
妻は、この頃、私の方から「ハンドル代わって」と言わないかぎり、二人の時は、自ら運転することはなくなってる。

       地震のくれば埋もれる身かとも思いつつ大江戸線の深き階段    東京都・栗原ふじ子
似たような感慨を奥山寺・遊仙峡の大きな巌石の下をくぐり抜ける時などに強く意識することがあるなぁ
よく考えれば、地下階段や岩窟などだけでなく、いろいろな場所が、ね そういうリスクを抱えているはずだが... 通常は、あまりそれを意識しないでいる。

       融けたかまくら一つ庭に置き過疎の真昼は静かなりけり      鹿角市・柳澤裕子
よくわかる情景が浮かぶ。寂しいほどの静けさ...

       積もる雪村を大きくしたりけり       山形県・小山田恒吉
       紅梅の枝に不満や老庭師        大和郡山市・宮本正勝

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(22日付)より

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今朝の気温0度、晴




 
  1. 2010/02/25(木) 06:56:31|
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ネコヤナギ

ストック画像が増えたので並べる

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今日もこれから さくらんぼの剪定作業




  1. 2010/02/24(水) 09:02:48|
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白鳥の記 3


21日、朝食も食べないで白鳥を撮りに行った。飛翔する白鳥を撮るのは、楽しかった。
だが、楽しいからといって、いい写真が撮れたわけではない。ふ~む 楽しさがいい結果につながらないのは残念だがしかたない。
それでも、楽しんで撮っただけの画像が得られたと満足している。

満足したと言っていいのかどうかなぁ
実は、画像処理が終わったのは、正午近かった。どの画像を使うかはまだ決められなかった。要するに、納得できるのがないのだった。
う~む、満たされない気分を処理できなくて、私は昼食を食べずに、再度 あの白鳥たちのいる現場に向かった。

もう一つちがった何かを得たかった。それが具体的に何なのかは自分でも分からない。
とにかく、もう一度、気が済むまで白鳥たちを眺めたいという気分が強かったのである。
ブログで使う画像は、確保?したけれど、もうちょっとちがう白鳥の情景が欲しいと欲張ったのかもしれない。

空は晴れ渡り、冬には珍しいほどのいい天気である。青空に飛翔する白鳥のイメージが勝手に浮かんでくる。
現場に駐車し、見ると、どういうわけか白鳥の飛ぶ姿が見える。白鳥たちの近くに、観にきたであろう人が二人うろうろしている。
慌ててカメラを取り出し、飛び上がる白鳥たちを見て(なにか変だなぁ)と感じる。朝にはあんなにたくさんいた白鳥の姿が少ない。

要するに、うろついてる男女二人が、白鳥たちの警戒距離の内側に入ってしまったために、白鳥は逃げてしまったことを知った。
侵入者がちょうど、警戒距離に入って行った時に私は居合わせたのだった。二人は、逃げる白鳥たちを追いかける形だった。
な、なんということか!

呆然として私は見ているしかなかった。
「みんな、驚かさないよう遠くから見て楽しんでるのですよぉ あんなに白鳥に近づいたら、逃げてしまう」
「近くで見たかった...」その男は、ぽつりという。女は何も言わない。

白鳥のいなくなった田圃を私は萎んだこころで後にする。
あの男女を責めてもしようがない。でも、なんという無恥というか、うう 無知なのだろう。
楽園を追われた白鳥たちは何処へ行ってしまったのだろう

22日の朝、あの白鳥の飛び去った田圃に行って確かめたいと思った。だが、もう戻って来はしないだろうという思いも強い。
朝食後には、さくらんぼの剪定を行うこともあって、あの田圃に確かめに行くことはしなかった。
今年は、うん 諦めていた飛翔シーンが撮れたし、白鳥はまた来年の楽しみにとっておこうと自分に言い聞かせたのであった。

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今朝の気温0度、晴




  1. 2010/02/24(水) 07:02:23|
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再度、白鳥たちへ


寝ながら思った。
もしかしたら、今日もまたあそこへ来るかも知れない。あそこで飛んでくるのを待っていれば撮れる。
その可能性はどのくらいあるのだろう。全然ないわけではないだろう。

朝から天気が良い。
「白鳥を撮ってくる。今日もあそこへ来るかどうか分からないが...行ってみる」私の申し出を 妻は了解し、頷く。
バレンタインデーでもらったチョコレート3つを鞄に入れ、朝食も食べずに車を走らせる。うう 朝食代わりのチョコである。

昨日 白鳥を撮った現場には、午前7時45分に着いた。白鳥たちはすでに第一陣が飛来してた。
待つまでもなく、次々に白鳥たちが飛んでくる。うう 送電線が邪魔だなぁ
白鳥たちとの距離を推し量り、撮影の邪魔物がないような場所を確保するのは、なかなか難しい。

場所の確保を迷っている間はない。白鳥たちは次から次へとやってき、着地してしまう。
狙いは、青空で真っ白い羽を広げて飛翔する姿である。とにかくまごまごしている暇がない。邪魔物があろうと、とにかくカメラを向けて撮るしかない。
さいわい、白鳥たちの着地点は目前であるから、飛ぶ速度が遅くなっており ピント合わせが容易なのが助かる。
最新機ならピント合わせは AF でよいのだが、なにせ旧型なので 青空をバックに飛翔する白鳥をうまく捉えられないので、手動で合わせるしかない。

白鳥たちは、いったい夕べは何処を塒にしたのだろう。北方から飛来するから、もしかしたら寺津沼なのかなぁ
まぁ、その詮索はどうでもいい。今は、できるだけ多くのシーンを撮るだけだ。

撮り始めてからどのくらい時間が経ったのか? 時計を見る。まだやっと8時を少しまわったばかりである。正味20分も経っていない。
飛来する白鳥の姿がなくなる。もしかしたら、もっと遅く塒を出立する白鳥もいるかも知れないが... これまでと、切り上げる。

撮影カウンターは200枚近い数字を示してる。見られるのが数枚あれば上等!と思う。
画像処理しながら、やはり(飛翔は難しいなぁ)と思う。これぞと思えるものがなかなかない。しかたないことである。

鞄にしまったチョコレートを食べる暇もなかった。でも、なんとも楽しい時間だったなぁ
白鳥たちへの未練を感じながら、帰途へつく。妻は朝食を済ましていたが、私への給仕をしてくれる。ありがたいことである。

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今朝の気温0度、晴




  1. 2010/02/23(火) 06:47:08|
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白鳥に合う

白鳥との出合い

20日(土)、朝食後 アルミ缶を集め公民館へ運ぶ。新たに降り積もった雪が数センチほどだが、気にするほどでもなくトッラクは走る。
集積場前はまだタイヤの跡もなく、一番乗りなのが分かる。こんな寒く積雪のある日は、みなさん 動き出すのも億劫なのだろう。
アルミ缶を集積場へおろし、児童クラブへ顔を出す。妻が一人でパソコンに向かっている。午前8時半を過ぎても子どもたちが来ていない。
「今日は、誰も来ないようだから、これ(パソコン)終わったら閉めて帰る」という。

家と地区公民館を往復するが、この時期・時間は静かというか、人の姿が少ない。見えないといってもいいほどひっそりとしてる。
みなさん、家でオリンピックでも見ているのだろうか... 人の姿が見えないのは、やはりちょっと寂しい気がする。
昼食を済ますと、妻と一緒に出かける。先ず最初に散髪をしてもらう。カットのみだから二人で2000円。

その後は、娘のお母さん(義母)が入院しているので、その見舞いのために病院へ。
う! そこで驚く。民間の病院であるが、 なんとも人に溢れている。駐車場は満杯に近く、また外来が休みだというのに院内は人の姿がいっぱいなのだ。
病室を訪れたところ、睡眠中だったので、待合室でオリンピック(カーリング)をしばらく観て時間を過ごす。
その待合室(面会室も兼用)がまた賑やかでほぼ満室。ここ四階は整形外科ということもあって、病院の湿っぽさがなくあっけらかんと賑やかなのである。

言い方が妥当かどうかだが、まるで銀座のような(まさか!)賑やかさなのにびっくりする。
この病院だけが特別に流行ってるというわけではないだろう。っふふ、今人々が大勢集まってるのは、もしかしたら病院だなと思い、笑ってしまった。
土曜日の午後ということもあって見舞いの人々が多いのかも知れないなぁ
再度 訪室し、目的を果たす。右膝を手術し四日目であるが、リハビリに精出しているという。整形外科だからの経過だなぁ

病院から、次ぎに娘の家へ行き、おかずを差し入れする。
娘の家から「天童の家」へ戻る途中、田圃にたくさんの白鳥たちが餌を摂っているのを見る。私は迷わず車を駐め、カメラを向ける。
このように多くの白鳥を見るのは、今シーズンはじめてである。間もなく北帰行の時期であろう。
この白鳥たちは、これまで何処の川(湖)を塒にしていたのだろう。近くの寺津沼ではないし...

(飛翔する姿を見たい!)と強く思う。
が、飛ぶのは、田圃(餌場)への往復か、または安全な場所への移動に限られるから、いつでも飛ぶ姿が見られるわけではない。
「パパ、時間があるから、少し待ってようすをみたら... もしかしたら、飛ぶかも」妻の言葉が嬉しい。
「白鳥も、そろそろ帰る時刻だよなぁ」時計は午後4時近い。

「ほら!飛んだ」妻の声が弾む。私はカメラを向けシャッターを押す。光量不足が気になるが、かまわず撮る。
イメージしてるような飛び方ではないが、しようがない。やはり朝の光が望ましい。
午後4時25分までねばって、切り上げる。
画像処理し、やはり光量不足は否めない。

「写真はダメだけど、この目でしっかり楽しんだからね、いいとしておこう」と私。
「そうよ、思いかけずあんなにたくさんの白鳥に出合えたのだもの...よかった」妻の言葉を聞いて、私も納得する。
いつか、きっと見られる写真を撮ることもあるだろう...

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今朝の気温0度、晴



  1. 2010/02/22(月) 06:51:26|
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アレンジ

ごっちゃまぜな思い

19日の朝、カーテンを開けると雪が降ってる。たいした積雪ではないのでホッとする。
雪掻きしないで放っておいても、間もなく消えてしまうかも... 半分願望的な観測(判断)でパソコンに向かう。
これから降る雪は、さらさらした粉雪とちがって、ふんわりした牡丹雪。それだけ気温が温かくなっているからだろう。

とは言っても、除雪した道路は乾いているが、畑や野原はまだ雪が残ってる。
散歩道(サイクリングロード)も積雪があり、シャーベット状の雪がざくざくと歩きにくい。
が、仕事代わり?の散歩だから、少々の歩きにくさは我慢する。ふふ、仕事とはそういうものだと自分に言い聞かせて歩く。

10時過ぎてからの散歩だったが、誰の足跡もついていない。根雪上にさらに 数センチ降り積もった新雪の上を足跡を残しながら進む。
並の速度で歩くのだが、汗がにじんでくる。やはり雪があると歩行にはそれなりの負荷がかかる。
通常なら、山寺の宮崎公民館で折り返すのだが、こうも歩きにくいと再び雪道を戻るのが億劫になる。というわけで、帰り道は山寺街道の歩道をとる。

その道は、山裾についてやや高所にあって景色が俯瞰的に眺められる。左向こうに立谷川が見え、その向こう岸を仙山線が走ってるのが眺められる。
立谷川のこちら側(右手)に、先ほど歩いた散歩道が見える。(あぁ、いつもはあそこを歩いてるのだなぁ)
11時20分頃、仙山線の下り電車がやってくる。迷わずカメラを向ける。アングルがちがうと感興もまたわいてくる。
たまには、こんなふうに変わった所を歩くのもわるくないなぁ

とは言いながら、大型バスやダンプカーも走る公道だから、いくら歩道を歩いてるといってもなんとなく落ち着かない。
やはり散歩するのは、あちら川沿いのサイクリングロードがいいと心底思う。
散歩道の選択肢は、いくつもある。たまにはアレンジして歩くのもわるくないと思うけれど、馴染んで 安心して散歩できるコースは決まってしまう。

ルートがちがえば、出合う事物もまた変わってきて面白さもある。
でも、いちばん落ち着いて歩けるコースってやっぱりある。なんとも矛盾というか、ごちゃごちゃした思いがわいてきて呆れてしまう。
へへ 今日はいったい何を書きたかったのか...

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今朝の気温1度、曇か晴れか、まだ明けきらぬ




  1. 2010/02/21(日) 06:03:52|
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氷がとけると


以下は、今日の「天声人語」からの転載(部分)である。

 氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」でなく「春になる」と答えたという話を、先ごろの小欄で書いた。
 伝聞だったので「虚実はおいて」と断ったら、子ども時代を札幌で過ごしたという60代の女性から便りをいただいた

 セピア色した「りかのてすと」のカラーコピーが入っていた。
 「ゆきはとけるとなにになる」の問いに「つちがでてはるになります」と鉛筆で書かれている。
 残念ながらバツをもらい、全体の点数は85点。
 お母さんが取り置いていたのを、遺品の中から見つけたそうだ。

 電話で話をお聞きした。
 子ども時代、クロッカスなどの球根を庭に植えた。春になると真っ先に球根の上の雪がとけ、丸く小さく地面が見えた。
 やがて美しい緑の芽が出る。その印象が答案になったのでしょう、と話しておられた

 テストで「春になる」と答えた人は他にもおられることだろう。
 昨日は二十四季節の雨水だった。水ぬるみ始めるころ。
 もうひと辛抱、ふた辛抱で、幼い答えを正解とすべく、季節がめぐる。


以下の画像は、っふふ 自画像
顔と声にコンプレックスをもつ身 へへ 顔の見えない自画像なんてあり??
よく見れば、な なんと肥ってることだろう

氷がとけたら、もっとガンバッテ運動しなけりゃ

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  1. 2010/02/20(土) 10:43:26|
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光 紋

「光 紋」

18日は、関東地方で雪になったという。暦はまだ2月だし、雪が降ったといっても驚くことではない。
18日は、寒いけれど 晴れたいい天気になった。梅の剪定が済んだので、いよいよ さくらんぼ の剪定にとりかかる。
妻と ああでもない、こうでもないと枝を眺め、眺めながら良い塩梅になるよう願いを込めて剪定する。
剪るのは簡単だが、切ってしまえば 後でなんだかだ言っても後の祭りで、納得ずくでやるしかない。
二人とも、果樹栽培にはまったくの ド素人であるから、ああだ、こうだと言っても、玄人筋から見たら、まずお笑いものだろう。

ままごと農業で、適当にというか いい加減な剪定でも、さくらんぼは見事な花を咲かせ、またそれなりに実をつけてくれるからありがたい。
午前中(9時半~11時半)かかって、1本の木を済ます。なにしろ さくらんぼの本数が少ないから1週間もあれば完了する。
天気の良い日だけ、のんびりやるつもりである。

そんなわけで、午後は妻が児童クラブへ出勤すると、私は散歩へでかける。
関東の雪などウソのように晴れ渡って気持まで青空のようにスッキリするから嬉しい。
「水温む」には、まだ早い時期なのだが... それでも三寒四温の「四温」を感じ、足が自然に川に向かう。
枯れ葦に着いた氷がまだ溶けきらずにキラキラと輝いてる。

太陽が流れいっぱいに射しこみ、水中にきれいな光の模様をつくってる。この光模様が大好きなのだ。
静かな水面に石を投げれば、幾重にも波紋が広がる。また、広い砂地には風がつくりだす風紋が生まれる。
水中に射す光は、光紋となってリズミカルに動くさまが美しい。はたして「光紋」という言葉があるのかどうか知らないが、そう呼びたい。

過去の「天童の家」では、繰り返し光紋をアップしてきた。言えば、この時期の定番画像である。
水がいちばん澄むのが、寒入りの九日だという(新潟の酒造会社でいう「寒九の水汲み」)。
そういうこともあってか、この頃になると、私は決まって川に入って光紋にカメラを向ける。
意識して、そうやってるわけではなくて、気がついたらそうなっていた、ということである。
人の行動って、面白いなぁと思う。

「天童の家」をずーっとやってきて、飽きもしないで毎年同じような場面を撮ってアップしている。
そうやって1年1年を暮らしてきてる。それでいて、昨年と、過去のそれと同じだなぁという気持がない。はい、今年はまた今年だけの画像、風物と思う。
うう、もう見飽きちゃったという思いがないから救われる(笑い)。

過去に感動したそれが、今年は見られなかったというのがある。具体的にいえば、白鳥の飛行する姿である。
ぜんぜん見られなかったのではなく、飛翔するそれは見ている。それが美しかったからこそ、撮れない今年を残念に思う。
でも、来年は見られるかも知れないという期待がある。っふふ、その期待感があるから元気でいきられるのかなぁ...

18日の散歩では、多くの画像をゲットできた。これぞという傑作はないのだが、自分ではそれなりの感動を得たものである。
その感動をちゃんと表現できれば文句ないのだが、それがなかなかそうならない。しかたない。
なんだかだ言っても、健康で毎日を暮らせることはありがたいことであるなぁ

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今朝の気温0度、小雪



  1. 2010/02/20(土) 06:28:20|
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仕事のしかた

ぶざまな姿

16日朝日新聞の山形版に、「県の雇用プラン次は2年2万人」の見出しで、次のような記事(抄)だった。
 吉村知事が今年掲げた「雇用創設1万人プラン」を引き継ぎ、2011年度末までの2年間で2万人分の雇用機会創出を目指す。
 県雇用労政課は昨年12月の県内の有効求職者数2万8440人と有効求人者数1万921人の差を埋める意味合いで設定したとし、達成に2年必要と判断した。

 2万人のうち正社員をどの程度見込んでいるかについては「まだ不明」と言葉を濁している。
 安定雇用に結びつくとする重点分野雇用創出事業など新たな対策(1300人分)は、国が今年2次補正予算化したもの、県独自では従来通りの対策にとどまる。

求職者数と求人数のアンバランスがかなり大きな中で、いかに雇用を創設していくか、容易な課題ではないのが分かる。
緊急雇用創設の一環として、先日、サイクリングロードに覆い被さる樹木の枝切りの場をアップしたのだった。
枝打ち作業を新しい仕事場として創り出したということだろうが、折角の緑のトンネルがなくなってしまう。
でも、それもしかたないのかなぁと惜しむ気持を飲み込んだ。

だが、枝打ちした後の樹木の姿を目にし、口惜しい気持が日毎に強まってくる。
その仕事ぶりが、うう あまりにも無惨なのだ。無様としか言いようのないその姿が堪らない。

果樹の剪定は、必要なことだから毎年やる。鋏やノコギリを入れ、かなりの枝が切り落とされる。それでも終わった後の果樹の姿は醜くくはない。
むしろ、伸びた頭髪を刈ったような清々しささえ感じられる。
庭木は、美しい姿になるように鋏をいれるが、果樹の剪定にも主目的ではないが、美しさも念頭にいれてやる。

そういう観点で、サイクリングロードの枝打ちを見ると、美しさも清々しさもない!
サイクリングや散歩をする人たちは、単に自転車を走らせ、歩くだけではないだろう。川沿いの美しい景色を楽しみながらやっている。
それなのに、この枝の切り方を見れば、なんとも残酷な姿が突きつけられた気分になる。
なぜ、もっと風景を大事にした切り方ができなかったのか! うう、怒りの気持がわいてくる。
断っておくが、すべてこのような姿ではない。でも、大半がこのようだから口惜しい。
雇用創設が聞いて呆れる。う~む、管理監督の問題ではあろうが...

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今朝の気温0度、雪




  1. 2010/02/19(金) 07:10:14|
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白い闇


       地吹雪の音しづまりて暮るる峡一戸が灯れば五戸みな灯る       岩手県・佐藤 忠
激しく吹き荒れた地吹雪もおさまり、長い夜がはじまろうとしている。どこの家でも夕食の準備のため台所の灯りをつける。
うう その時を打ち合わせているわけでもないのに、なぜか一斉に灯る。

       ひとつ得てふたつ失いひとつ得てみっつ失うそんなこのごろ      福島市・美原凍子
失うことに慌てる気分はない。これが自然なすがた、ありかたなのだと思える。そういう穏やかな気分が伝わってくる。

       冬の風厳しき海辺のどんど焼き風の形に炎燃えたつ          横浜市・鶴川 博
風は見えないけれど、炎の形なって現れる。勢いよく真っ直ぐ上に伸びようとする炎を風が押す。炎と風が乱舞し、そこから情念の音さえ聞こえてくる。

       沼べりの日だまりにいてだんまりの寒鮒釣りは釣れても寡黙      館林市・阿部芳夫
釣り人のこころの中が見えるなら... やはり、釣れた時のこころは確かな歓声をあげ、弾んでいるのがわかるだろう

       白き闇閉じ込めて今朝結氷す       熊谷市・時田幻椏

 「白き闇」の詩的表現に惹かれる。「閉じ込めて」が分厚い結氷を思わせ、説得力のある句になった。(大串選者評)

 (略)大串章選、主席に我が句をお取り頂いていたのである。勿論、3週で2度の首席入選など初めてであり、文字通り「有難い」事である。
 節分を前に酷く冷え込んだ朝、甕の水が分厚く凍っていた。どんな加減なのか、その氷は白濁をしていたのである。(略)
 私自身とすると、面映ゆい句だったのであるが、掬い取ったままを素直に詠んだ事が良かったのだろうか。(略)

時田さんがまたまた秀句を詠まれ、首席になった。なお上のそれは、時田さんのブログからの転載(抄)である。
おめでとうございます

       除雪にも除雪の美学雪に住む       札幌市・前田豊作
       外はすでに四温を連れし雨ならん     生駒市・好川忠延
       里芋といふ極上の土食らふ        養父市・足立威宏

                短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(15日付)より

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今朝の気温 マイナス1度、晴




  1. 2010/02/18(木) 06:54:17|
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確定申告

納税の義務

ブログで浮気を書いた時、『男は黙って』というコメントがあって、(そうだよなぁ)と汗を感じたことがある。
なんでも書いてかまわないのだけれど、ふふ やはり書くべきでない(黙ってたほうがいい)内容もけっこうあるように思う。
つい先日も 妻の検閲?にあって、書いた文のかなりの量を削除したのだった。

実際には、珍しいことではないのだが、それを真っ正面から書いてしまうと不都合なことがある。
浮気などという倫理上のそれもあるが、建前と実際がかなり違って行われている法的なこともたくさんあるような気がする。
軽犯罪法第一条二十六 街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者 の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する、とある。
上のそれに該当し(立ち小便で)逮捕されたということを聞かない。また未成年者の喫煙、飲酒の場合も同じみたいだなぁ

交番へ行って、「まだ二十歳前だけど、ビールを飲みたい。いいかなぁ」と訊ねれば(そんなアホはいるわけがない)、警察官は決して「飲んでいい」とは言わない。
だが、いかにも二十歳前の青年と見えても、彼の青年がビールを飲んだからといって逮捕されることはまずないだろう。
しかし、二十歳前であることを宣言し、煙草を吸ったら、警官は現行犯で逮捕するかもしれない(実際はどうだろう?)

へへ、なぜにこんなおかしなことを書くかと言えば、先ほど 確定申告してきたからである。
「納税相談」の名目で、公民館で市税務課職員の手助けを受けながら申告をした。順番を待ちながら、いろいろなことを考えた。その延長上に、上に書いたようなバカげたことも考えた次第である。
申告は、あくまでも申告であって、立ち小便や成人前の喫煙・飲酒と似たような所がある。仮に、なにがしかの収入(所得)があったとしても、申告しなければ納税しなくても済む。
我々のそれ(額)は、某国政党々首や幹事長のそれとは桁が違って、鼻くそよりも少ない。(だから申告しなくてもいいとは言えないが)

「天童の家」の申告でいちばん注意しなければならないのは、農業所得である。「ままごと農業」ではあるけれど、さくらんぼを少し出荷している。
ブログでも出荷のことを書いた。所得が大きければ書いたことに大きな不安というか、課税されるのではないかという懸念が生まれる。
しかし、経費その他を差し引けば、収支決算はマイナスとなる。 はい、脱税のおそれは毛ほどもないのである。

とまぁ、今日は何を書こうとしたのか? その目的も見失ってしまった。
確定申告で待つ間、暇潰しにいろいろな仮定で考えた。ふ~む、その結果が今日の文になったという次第である。

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今朝の気温 マイナス2度、晴




  1. 2010/02/17(水) 07:04:46|
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老いて

老いて思う

15日の天声人語は、全国老人福祉施設協議会の第6回「60歳からの主張」川柳部門の作品を紹介してた。
以下は、その天声人語からの抜粋である。

       掛けてきた年金実は賭けていた
       日本発武士道にない派遣切り
       敗戦国興した老後報われず

       カラオケで美声聴かせて入れ歯落ち
       置き場所を思い出せない備忘録
       角が取れ丸くなるのは背中だけ
       遼君のスイング真似て腰痛め

       定年前の肩書き言うな居酒屋で
       買った墓地嫌いな奴の相向かい

       新婚と思って老々介護する
       補聴器が老妻の愚痴ひろってる
       老妻とダジャレの応酬日々楽し
       婆さんや茶柱立って何がある

       喜寿祝い寿司に集まり我れ孤独
       子や孫が無理はするなとこきつかう
       物忘れ嘆くな頭のダイエット

「老妻とダジャレの応酬日々楽し」からの連想で、今朝の妻とのそれを思い出した。
「パパは、我慢太りだねぇ」妻が私を眺めながら言う。
「ん? ガマンブトリというか... 初耳だなぁ どうして?」と私
「パパは、いつも私のやること、言うことを我慢してるのでしょ。なのに...そんなに太っているもの『我慢太り』 はっはっは」 笑って宣うから可笑しい。

妻は、きっと「やせ我慢」のそれをもじって言ったのだろうが、っふふ 「我慢肥り」とは言い得て妙かなと感心してしまった。
それにしても、妻は、自分の言動に対してちゃんと自覚しているのが分かる。それでも夫にはいつも我慢を強いているのだから(参ったなぁ)である。
へへ お互いに愛を感じているから、許される?強制かもしれないなぁ
気持のどこかに「新婚と思って老々介護する」に似たそれをもっているのかも知れない。

3月になったら、南三陸の方へ旅して牡蛎鍋を食べるのだと「何処の宿にしようか?」と懸命に宿探しをやっている。
先日観たテレビの旅番組の影響であることは間違いないのだが、少しは私を喜ばせたい気持もあるのがほの見えるから嬉しい。
老いれば、老いるほど、夫婦仲良しがいちばんだなぁ

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今朝の気温 マイナス2度、晴れ



  1. 2010/02/16(火) 07:02:13|
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習慣またはクセ

無意味的な中に

土曜日の起床は、いつもより1時間くらい早く、午前5時半となる。
妻が 8時に間に合うように出勤するためである。
月曜から金曜までは、正午までの出勤でいいが、土曜日は学校が休みなので、朝からの学童保育となる。

クラブも休みになることが多いのだが、時には保育が必要な子もいるからである。
だから 土曜日は、いつもの日とは違う暮らしのリズムなる。なんとなく慌ただしい気分だなぁ
「土曜日もクラブを休まない」が建前になっているから、しようがない。

朝1時間早く起きるというのは、寒い朝は、っふふ なかなか億劫というか、辛い気分は否めない。
毎日がそういうリズムであれば、慣れて「当たり前」になってしまうのだろうが、1週間に1度だけだからなかなか”普通”にならない。
(もう少し寝床にいたなぁ)と思っても、(起きなきゃぁ)と言い聞かせて起き上がる。いつもなら、外も明るくなっているのだが、1時間早いと、外はまだ暗い。

土曜日以外の朝食は、ゆったりしたもので食事が終わるのが9時ちかい。食後のお茶を飲みながら他愛ない話にはなが咲く。
果物(今はりんご)を食べ、ばんぺいゆで作ったママレードに舌鼓をうつ。改めて(幸せだなぁ)とは言わないけれど、至福の時間である。
けれども、土曜日の朝食後には、そういう余裕がない。8時まで行かなければという気分が先に立つ。

土曜日の朝食後もお茶はちゃんと飲む。食後の「食べる煮干し」も用意する。りんごも皮を剥いたのが食卓に並ぶ。
妻は食後の後始末(食器洗い等)を済まし、出勤する。食器洗いなど私がすると言うのだが、させてもらえない。
「あっ なにか落ち着かないと思ったらママレード食べるのまだだった」妻が笑いながら言うので、私は妻の口にママレードを運ぶ。
妻は皿洗いの手を休めないで、ママレードを食べる。
「あぁ、これで落ち着いた気分!」とまた笑う。

人間の行動は、よく考えてみれば可笑しい。ふだん、考えもせずに毎日決まったようなルチンワークをこなしている。
朝起きてから、夜寝るまで、なにか特別なことがない限りはさしたる意識もせずにリズムにのって暮らしてなんの支障もない。
だが、たった一つ いつも口にしているママレードを食べないというだけで、っふふ 落ち着かない気分になる。

それをクセというか、または習慣というか、はたまた何と呼ぶかは別にして、たかがママレード一つを気にするというそれが可笑しい。
考えてみれば、それがママレードだからではない。朝起きがけに、互いにちょっと軽く抱擁する何気ない仕草を省略したりすると、なんとなく落ち着かない気分になることさえある。
ふだんは何気なくやっているさまざまな事柄にも、それ相応の意味や儀礼が込められているのかも知れないなぁ

単なる通過儀礼といってバカにできないことって、身の周りにはけっこうあるような気がする。
通過儀礼的なものを意識しすぎて、それに囚われて苦悩する人も中にいる。
世の中いろいろ、うふふ なんとも面白いなぁと思った次第である。

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今朝の気温 -2度、曇



  1. 2010/02/15(月) 06:54:20|
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つらら

毎年のことであるが、2月は過ぎるのがなんとも(速いなぁ)と思う。
今年も、もう半月を暮らしてしまった。
冬季オリンピックも開幕し、みなさん熱くなっているようだが、気温は2月がいちばん寒いような気がする。

昨日、近くで「つらら」を撮ってきたので並べる。

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今朝の気温 -2度、晴れ




  1. 2010/02/14(日) 07:21:50|
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文明の・・・

昨日の「天童の家」で、なんか焦点の定まらないことを書いた。
そんな中途半端な文でも丁寧に読んでくださって コメントをもらうのは嬉しいことである。
さらに、そのコメントを読んで、またいろんな思いも浮かんでくる。

   3日前、帝国ホテルの若い音響技術者と話していたらオープンリールのテープレコーダーやレコードプレーヤーを知らないというので驚きでした。
   わずか30年ほど前の話ですが考えて見ると彼らはまだ生まれていないという現実に二度びっくり。
   そんな彼らと一緒に仕事をしている自分がi居るというのも不思議な感じでした。
            2010/02/12(金)   ころ

次のフレーズは、あつこさんのブログからの転載
 それにしても、つい7年位前まではうちにはコンピューターは無かったし、しかも我が家に2台あるようになったのはここ2年くらいなんだけど、その前っていったい何してたんだろう?どうやって夜の時間をすごしてたのかしら?
 今夜直った車で仕事に行って来ました。帰りにすいている夜の道を走っていて、ああ、自動車ってこの世の最高の発明としみじみ思いました。

あつこさんへのコメント
  こんの said...
   あつこさん そうです、確かに(いい時代に生きている)と私も強く感じます
   特に、日本ではここ60年以上も戦争をしておりません
   「飽食の時代」と言われるほどで、飢餓もありません
   車に乗り、インターネットで世界を知り、テレビとかビデオとかの利器で楽しんでいます
   過去に、こんな時代はありません
   でも、あくまでもちゃんと動いているからであって、いつまでもそうあり続ける保障はない
   まぁ、あまり悲観的に考えることもないでしょうね

同 あくあさんのコメント
   あくあ said...
   確かにパソコンや携帯電話がなかった時代もあったって今じゃ信じられないよねぇ。昔は手紙書いたりしてたもんなぁ。待ち合わせに行けなくなっても連絡のしようもなかったし。
   10~20年くらいしたら、きっと家庭にロボットがいて、掃除、洗濯したりしてくれて、「昔はこれを自分でやってたんだよなぁ。信じられないなぁ」なんて言ってるんですよ、きっと。

こういう話題(テーマ)になると、決まって思い出す情景がある。
小学生の頃、「家の光」という農家向けの月刊誌があって(今もある)、付録として子ども向けの小冊子が楽しみだった。
その付録には絵入りでアメリカの農業や暮らしぶりが載ってあり、人が乗って田植えや刈り取りをする機械やドライブを楽しむ家族のようすが紹介されてた。

60年前頃のアメリカの生活が、まるで夢のような世界だった。あの頃は まさか、日本でも大型トラクターや乗用車が利用できるなどとは考え難かった。
しかし、子どもの頃に夢物語のように思った世界が、うう 現実となってある。
「日進月歩」という言葉があるけれど、その言葉さえ時代の流れに置いて行かれそうな速い時間の進み具合である。

ん? 時間の進み具合ではなくて、進歩発展の進みである。
こんなに文化・文明の潤沢な恩恵を受けてもよいのだろうか?
ある時、思いがけないしっぺ返しを食らうのではないか...

じっくり見てみれば、歪み・ひずみももけっこう耳にし、目にする。
地球規模の現象から、社会状況のそれ、個々人のこころの問題まで多岐にわたって存在する。
平和ボケになって、このままでいいのか?...

蒼い宇宙船 地球号
このままいつまでもダイジョウブなのだろうか?
地球温暖化一つを取り上げても、なんとも頼りない

「なんとも頼りない」とぼやいても、ね なんの解決にもならないなぁ
杞憂なら、それにこしたことはない。

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今朝の気温 -2度、外はまだ暗い



  1. 2010/02/13(土) 06:05:11|
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身の丈

身の丈で

小さい頃、もっと具体的にいえば、小学生のころは、大人がとても大きく見えた。
また、村の役員などをやっている人に出合うと「こんにちわ」と挨拶したり、言葉にださなくても頭をさげものである。
とにかく大人はある種(こわい)存在であったことを思い出す。

中学になって歴史を学ぶようになると、江戸幕府の開幕が何年前とか、幕藩体制が崩壊し 1868年元号が「明治」になった等を知る。
歴史とは、はるか以前の出来事で、自分たちとはちがう世界のように感じたものである。
       降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男
この句は、昭和6年に詠まれたというが、その昭和6年ですら今から78年前になる。
中学生の頃、78年前とか、ましてや明治のはじまりとなれば141年も以前のことで、それは遠い昔のできごと。まさに「歴史」でしかないと感じたものである。

ところが、自身が暮らしてきて70年(70歳)になって、その歴史というか、過ぎてきた時間の中のできごとが、子どもの頃に感じたそれとだいぶ違う気がする。
同じことを別にいえば、例えば 第二次世界大戦は、今の小・中学生たちには完全に歴史的できごとであろうが、私には、確かに歴史ではあるけれど、この身に実際のできごととして認識される。
70年前のそれは、歴史といっても絵空事でない。百年前のできごとでも、そうずーっと以前のこととは思えない。

何を言いたいかといえば、要するに時間感覚(認識)といえども、それは身の丈に応じた捉え方になるのではないか。
子どもにとっては、50年という時間はかなり長い時間と思われる。けれど、70年生きてきたものには、そう長い時間とは思われない。
大人が大きく、こわく感じたのも、「そう見るものの存在が対比して小さかった」から、そう感じられた。
70歳の大人といえば、小さい子どもたちの目には、草臥れた「おじいさん」としか映らないのではないか。それで当然だと思う(笑い)

天空にある太陽は、眩しく直視できない。
ところが、没する前の太陽は、なんとも大きく見え、びっくりすることがある。
(直視と大きさのそれは無関係だが)

いろいろなことが次々と浮かんできて纏まらない。
とにかく、人は 身の丈に合った思考や暮らしや認識をやっているように思えてならない。
ある方のブログのコメントにも次のように書いた。
     
   人は「身の丈にあった生き方をする」しかないのかも...
   凡人には凡人の、天才には天才しか生きられない生き方があるのかなぁ
   また、生きている時代の空気というか、趨勢の中で、その影響を受ける人、まったく意に介さないで生きられる人とさまざまななんでしょう
   子は、自分の意思を持たないまま生まれてくるといわれておりますが、親子関係ってなかなか難しいなぁと思います
            こんの said... 6 February 2010 17:21

上のコメント、今日の内容と直接には関係もないのだが、1行目のそれが、ね 考え方や認識の仕方だけでなく、生き方そのものが「身の丈」に左右されるのだろうと考えた。
「身の丈」という言い方が曖昧といえば言えるけれど、なんとなく「身の丈」に拘っている自分が可笑しくもある。

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今朝の気温 -2度、小雪




  1. 2010/02/12(金) 07:03:32|
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茗荷のやうな尻



       認知症で英語なくせし友見れば異国で老いる不安が募る      アメリカ・大竹幾久子
忘却は、新しい記憶からはじまるからね、生まれ育った国の言葉より先に失われてく暮らしにだいじな英語・・・
大竹さんの不安がよく理解できるなぁ

       小荷物にかけたる紐のゆるみおりああ故郷の母の老い見る      大阪市・浅生有記
以前の荷造りは、もっとしっかりしていた。紐のゆるみがなんとも気になる浅生さんのこころがよく伝わってくる。

       みづうみに鴨は潜りてさかさまに茗荷のやうな尻を浮かべる     東京都・嶋田恵一
うふふ、たしかに茗荷のような ねぇ 

       会いたいひとに会えない淋しさより会いたいひとのいないさびしさ  福島市・美原凍子
たしかに、そうだろうなぁ 

       横なぐりの吹雪の雪を貼りつけてむかしの医専の煉瓦塀のみち    新潟市・伊藤 隆
そう 吹雪は「雪を貼りつけ」る。6日のそれも凄い吹雪だったなぁ ガラス窓が張りついた雪で真っ白の状態だった。

       たたきつつ血管さぐる初仕事     安曇野市・芝波田和恵
細く見えにくい血管をたたくと、怒張してくる。それも技術のうちである。

       鯛焼を懐炉に浜を歩きけり      高知市・竹本一光
       冬帽子目深にじっと鳥を待つ     東京都・藤森荘吉

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(7日付)より

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今朝の気温1度、曇




  1. 2010/02/11(木) 08:08:41|
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図上訓練

大震災図上訓練

7日の午後1時半~5時まで、地区公民館で「大規模災害想定図上訓練」があった。
干布地区には6つの町内会があり、「干布地区自主防災連絡協議会」を作ってる。
その協議会と市消防団第九分団が主催する恒例の図上訓練である。

15年前の阪神淡路大震災を教訓に「地域の命と財産は 自分たちの手で守る」を合い言葉に自主防災会を立ち上げ、協議会を通し毎年さまざまな訓練を行う。
避難・救助訓練など実地でのそれの他に、地区公民館にて「災害イメージゲーム(DIG)訓練」「シミュレーション訓練」などのいわゆる図上訓練をする。
それで得た課題や方向性を最後にそれぞれ発表し、学び会う。
この訓練には、市長(一番下の写真)はじめ消防署の方々も来賓として招かれ、講評というか「祝辞」?をいただく。

震災想定がかなり大掛かりなもので、そんな無茶なという思いもあった(笑い)が、しましまぁ 普段は気づかなかったいろいろな課題もたくさん見つけることが出来た。
世の流れ(趨勢)は、個別化に向かっていて、地域共同体も年々薄まってきている。そうした中で万一大震災などは起き、救助が必要になった場合、どうなるのか...
地域がもつ大きなエネルギーを有効に引き出す(発揮する)には、やはり強い連帯意識がある方がいい。

暮らしやすい共同体は、濃い連帯意識でできあがる。普段は広い機能体組織(行政)でいいのだが、道路寸断・停電・電話(通話)不能・火災多発等の場合、行政はあてにならない。
はじめは、町内会(向こう三軒両隣)で助け合うしかない。とにかく命だけはなんとか助け合う態勢をつくることが必要だ。
そんな思いが、今回の図上訓練でもはっきりと確認でき、体制作りを充実するためのモチベーションになった。

訓練の一部を撮ったので並べる。

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今朝の気温2度、霙




  1. 2010/02/10(水) 07:19:39|
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声を聴く


今日の『声』欄から二つ 転載する。

     「この悪玉!」憎しみつつ楽しんだ     大学生 小野孝蘭(東京都豊島区 22)
  朝青龍引退報道で、我が家も大いに賑わった。
  彼が勝つと痛烈な批判をし、負けるとそれ見ろと言わんばかりに喜ぶ祖母は、当然引退賛成派。
  ゴシップ好きの母は、週刊誌の話を早速持ち出してきた。
  父は「負けが続いて引退するなら分かるけど、優勝したばかりだからなあ」と反対派寄りの意見。
  
  私は、世間の側に立てば賛成、相撲界側に立てば反対だ。
  一度の過ちは大目に見られても、二度以上になると信頼を大きく失う。
  それも他人への暴力など決して許せない行為だ。

  が、私生活では悪役でも、相撲では誰もが一流と認めざるを得ないし、憎まれ役もいることで盛り上がりや話題性は増す。
  一芸に秀でる大変さ、トップならではの重圧は一般人には理解できない。
  5日朝刊では元横綱曙太郎氏が横綱経験者だからこその説得力ある発言をしていた。

  朝青龍に同情するわけではないが「この悪玉、本当憎たらしい!」と言いつつも楽しそうに観戦する祖母の姿を見られなくなるのは寂しい。

この「声」に賛成(同意)するから転載したわけだない。あぁ、こういうふうに考える人(声)もあるのだなぁと面白く思った次第である。
次のそれは、大きな同意で、みなさんから読んでもらいたい気持での転載である。

     心溺れた人に、手伸ばせる社会に      主婦 岸 園子(東京都大田区 52)
  「100円を落としたよ」。82歳の父が病院待合室で椅子をどかし始めた。
  その場から離れる隣の男性、驚き見つめる女性、本に目を落とす男性。場の空気が冷たくよどんだ。
  「また認知症状か」と思いつつ一緒に椅子を動かす私。

  父は諦めきれないのか、なおも捜し続ける。
  その時、40代男性が椅子をどかし始めた。一緒に捜し始めてくれたのだ。
  結局、見つからなかったが、周りの空気や父の心の中の何かが溶け始めたように思えた。

  落合恵子さんの本誌連載(1月23日)に心を打たれた。
  「波間で手を振る人が、実は溺れて助けを求めていたのに、私は手を振り返してしまった」という内容の詩を引用、「近く『手を振っている人』はいないか。手を振り返すことが我々の返事でいいか」と結んでいた。

  誰にも聞こえない、真実の心の声を聞く人の存在の大切さを実感した。
  共に100円玉を捜してくれた人のように、心が溺れた人に手を差し伸べる人がいる社会であって、と思った。
  その日の父は機嫌も良かった。そして100円玉は父の靴の中から出てきた。

政治や経済に対する「声」もだいじであるが、こうした庶民の暮らしに関した「声」も大切にしていきたいなぁ
こういう「声」に元気をもらい、うん 生きることをまっとうできれば他にいうこともない。

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午前10時50分の気温2度、小雨




  1. 2010/02/09(火) 10:52:07|
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ばんぺいゆママレード

雪国のママレード

南国 九州から「ばんぺいゆ」が届いたことは、すでに書いた。
はじめて送られてきた時は、その大きなみかんに驚き、どうやって食べるのかにかるい戸惑いを覚えたのだった。
だが、今回で3年目であり、美味しい食べ方をすっかり覚えてしまった。豊潤な身(果肉)の美味さはいうまでもなく、その厚い皮がまたおいしい。

妻は、ママレード作りが得意で、うふふ ばんぺいゆが送られてくると早速調理にとりかかる。
いちばんのコツは、皮の苦味を上手にとることにあるらしい。重曹を加減しながら入れている。
「パパ、旨く作るから ね、そしたら写真に撮ってアップして」妻はいかにも自信ありげに笑う。

「任せてくれ!」と大声で言った手前、どんな撮り方がいいのかいろいろと考える。
南国の味と香りがうまく表現できたらいい。どんな演出?でやろうか・・・ 考えた結果は、うう 自ずと落ち着くところに落ち着いた。
「天童の家」は、みちのく雪国にあるのだから、この季節だもの やはり雪を使わない手はない。

南国の果物ばんぺいゆで作ったママレードを、ね 雪の上に置いて撮る。
「うまいでしょ あとはパパに任せたから、ね 上手に撮ってアップして(九州の)Tさんや A さんが、きっと それ見てくれるんだから」
「分かった。こころ込めて撮るから ダイジョウブ」 

ガラス容器に盛りつけ、はじめナンテンの葉と実を添えて撮った。しかし、イメージしたようなのが撮れない。
次ぎによけいなものを捨て、ママレードだけをクローズアップしてやったが、それもなんか意に叶わない。
あまり気負ってやるからダメなのかなぁ・・・  そう思い直し、自然な形で撮ることにする。

イメージ通りにはなかなか出ないけれど、まぁまぁのところで妥協するのもしかたない。
はたして、こんな画像でいいのかどうか... 妻が婦人会の会議で天童温泉「舞鶴荘」へ行った。帰ってきたら見せ、意見を聞くことにする。
私は、これから地区公民館へ行き、「災害図上訓練」(午後1時半~5時)である。 うう、なんだかだといろいろ野暮用があるなぁ
*

「砂糖をまぶした方がよかったかな 写真、まぁまぁで いいじゃない」妻がそっけなく言う
へへ 妻の検閲が済んだのでひと安心(笑い)

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今朝の気温2度、雲多いが青空もかすかに





  1. 2010/02/09(火) 06:56:59|
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雪国賛歌 その2


見出しというか、題が「雪国賛歌 その2」である。
しかし、よく考えてみれば「その2」などではなくて、時々似たようなことを書いているから「その5」くらいかなぁ イヤ「その10」くらいかも知れない。
とにかく、(よくぞ雪国に生まれたなぁ)としみじみ雪国の暮らしを楽しんでいるのはまちがいない。

雪は、たしかに暮らしの負荷になっている。
だが、その負荷は、弾み車というか、大きなモチベーションと言うべきかも知れない。
負荷イコール モチベーションとはならないのだが、弾み車のような具合なのである。上手く書けないのが残念だが、解ってもらえるだろうか...

雪がない冬は、寂しくてもの足りない。だから、立春後だろうと雪が降るのが嬉しいのである。
雪は寒くて冷たいからイヤという人がいる。それは否定しない。が、私には雪があるからこころが豊になる気がする。
雪のない景色は貧弱で気分が滅入ることが多い。嵩高く降り積もった雪は(豊饒な気分)を内包している。
具体的にそれを画像でみてみる。

昨日の画像もそうだが、今日のも説明しないとよく分からないかも知れない。
繰り返しになるが、説明しないと分からないそれは、下手な写真である。そういう意味では、昨日と今日のそれはたしかに下手な写真である。
ここで下手・上手を論じるつもりはない。下手を承知で説明する。
もっと大きな画面(画像)なら、私の撮った意図が分かってもらえると思うのだが... 雪面がキラキラ輝いてきれい!だった。
まるで小さな宝石をまき散らしたようにキラリキラキラ光を放って、思わず(きれい!だなぁ)と呟き、シャッターを切った。

このような世界は、雪国でなければ見ることが出来ないだろう。
こういう世界の中で遊べるしあわせを(ありがたいなぁ)と感じる。
ないものねだり(海を見たい)と思うのもわるくはないが、現に今、目前にあるきれいなものを楽しむのがなんとも嬉しい。
せっかく目前にくり広げられている豊かな世界に注目すること、それは(恩恵だなぁ)と思う。

雪国にはまだまだいっぱい楽しいことがある。
なにか特別な行事だけが楽しいとはかぎらない。
雪の存在、雪国の世界、それ自体が ね 感動を内包しているのに気づけばいい。それで十分である。

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今朝の気温 -2度、晴れ




  1. 2010/02/08(月) 07:10:47|
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いまだ冬

季節を楽しむ

節分の豆撒きも済んで、立春も過ぎた。(春遠からず)の気分が嬉しい。
とは言え、春はまだずーっと先のことであるなぁ
新潟の「ころ」さんからのメールによると、一晩に60cmの降雪、外は100cmほどの積雪量とのことで 26年ぶりの大雪らしい。

雨は洪水などの被害を起こすが、雪も交通混乱、あるいは屋根の雪下ろしなど暮らしに大きな影響を及ぼす。
「天童の家」あたりは毎日雪だるまマークが続いているけれど、さいわい大雪にならず 雪掻きもたいへんさを覚えるほどでなく助かっている。
おかしな言い方かも知れないが、季節に見合った雪の量であり、なんとなく落ち着いた気分である。

吹雪でないかぎりは、多少の降雪でも気にせず散歩ができる。
雨とちがい、雪で濡れることはない。たとえ帽子や衣服に降り積もった雪でも、振り払えば済むことである。
「散歩が仕事」であるから、毎日欠かさず散歩している。
除雪していない道は、さすがに歩くに難儀するけれど、たいていの道路は除雪なっているからルート選びに苦労することがない。

ベースは、やはり立谷川沿いのサイクリングロードであるが、時にはスーパー農道であったり、または山寺の村落等をも歩く。
みちのく雪国で暮らしているのだから、冬にはやはり雪景色を楽しむのがいちばんだなぁ
雪が作る造形の面白さがあるし、また雪が引き起こす瞬間的?な景色もある。
今日の画像は、木々に積もった雪が落下するときに見られる瞬時のそれを写したものを並べた。

まさにたった一度の、瞬間的な風景
カメラを構えながら、雪が落下するそれを待つ
ある条件が揃うと、方々で雪が舞い散る

冬の中でも、ごく限られた情景
見て(美しいなぁ)と感じるのは逆光
光が飛び散る雪に反射しキラキラと輝く
瞬の間に現れ、瞬の間にきえる

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今朝の気温 -2度、小雪

昨日は雪掻きを2回、今朝も今終わった。昨日はこの冬いちばんの大吹雪だったなぁ




  1. 2010/02/07(日) 07:25:47|
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健康教室

健康教室の顛末

市が行なっている健康教室には、これまでも幾度か参加している。
病院勤務医や開業医などから最近の診療の在り方、健康増進や疾病予防策を聞くのはためになることだった。
ところが、今回の教室は、講師が市職員である管理栄養士で、基本的な栄養知識を聞いた後に料理実習が あった。

いつもの通りと考えて参加したが、今回はエプロンと三角巾持参となっている。そのことは教室に行ってから知った。
妻に問うと「ちゃんと持ってきたからダイジョウブ」と言う。
講義の後、受講者25人が調理室に移動し、先程 教室で聞いた料理(ごま風味石狩鍋・菜の花とあさりの芥子和え・びっくり豆腐・ホタテの炊き込みご飯)を拵えはじめる。

妻からエプロン、そして頭に手拭いを被せられた私はうろうろする。まさか調理実習があるとは思わず、戸惑いの気分が濃い。
手洗いを済ませた他の参加者たちは、班の人々と一緒にもう料理に取り組んでいる。私は腹を括ってカメラをとりだし調理する人々を撮りだす。
妻は、そんな私を見て なにも言わない。きっと(しかたないなぁ)と諦めたのだろう。

受講者たちのようすを見ると、私のようにうろうろしてる人はいない。みんな活き活きした動きをしている。
25人の受講者の内、夫婦は私たちだけで、残り23人は男性独りでの参加で、各自が協力的な姿で野菜を切り刻み、魚(鮭)を処理している。
こういう場に、自分用のエプロンや帽子などを持参する受講者に、私はある驚きというか、(凄い人たちだなぁ)との感慨を持ったのである。

約1時間で4つの料理が出来上がり、教室で栄養士の解説(カロリー・塩分量など)を聞きながら試食する。
市職員があらかじめ食材や調理の段どりをしておいたから、実習といってもほんの一部分でしかない。が、話を聞くだけよりは、ずいぶんと違う健康教室だった。

少し枚数が多くなるけれど、写真を並べる。室内だし、遠慮しながらの撮影だったからというわけではないが、月並みな写真でしかない。
はじめから撮ることを目論んでいたのなら、もう少しましなのが撮れたような気がする。
うう ここで画像を云々してもしかたないから止めよう。とにかくいろいろと考えさせられる健康教室であった。

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今朝の気温 -4度、外はまだ暗い





  1. 2010/02/06(土) 05:43:54|
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晩白柚(ばんぺいゆ)

南国のそれが雪上に

毎日が日曜日の身だから、っふふ 優雅に晴耕雨読の悠々たる生活を送っている(笑い)。
雨や吹雪でないかぎりは、積極的に歩いてる。いつもの散歩コースから外れることもまれではない。
通常のルートを外れることで、平坦というか、単調になりがちな暮らしにそれなりの刺激を与えてくれてるようだ。
やはりいつも同じコースよりは、変化があった方がいろいろなことに出合うことが多くなるのは当然かも知れないなぁ
だが、悪天候の時は、散歩をきっぱりあきらめ、読書をする。最近読んだのを書けば、次のようになる。備忘録として記しておく。

「名短編、ここにあり」北村薫・宮部みゆき編(ちくま文庫)、「親 鸞」(上下)五木寛之著(講談社)、「百寺巡礼」(東北編)五木寛之著(講談社文庫)
「いまを生きるちから」五木寛之著(角川文庫)、「他 力」五木寛之著(講談社文庫)、「秀吉の枷」(上中下)加藤廣著(文春文庫)
今は「秀吉の枷」中の巻を読んでいる。

加藤廣をはじめて読んだのは「信長の棺」で、次いで「明智左馬助の恋」、そして本能寺三部作である「秀吉の枷」を読んでいる。
上巻の終わり近くは「本能寺の変」である。秀吉は、主君である信長が、朝廷に対して何を要求しているかを推測するあたりが次のように記述されている。

 太政大臣、関白、将軍の要求ではありえない。そんな三職は、信長は、これまでも鼻先で笑っておられたではないか。
 となると、やはり退位要求か? これはあり得る。正親町の君はすでに六十六歳。年齢的には十分お務めになられた。
 誠仁親王をご自分の傀儡とされた今の信長には、正親町の君は煩わしい存在でしかなかろう。(略)

 切支丹の国教要求か。しかし、これはないな。ご自身改宗されていないし、ご本心は切支丹は利用するだけと割り切っているはずではないか。

 暦がどうのこうのと、信長が朝廷の暦博士にぶつぶつ苦言を呈しておられるのを聞いたことがあるが、これはどうだ。
 確かに近頃の暦は、できが悪く、季節感にずれが大きいが、自分が尾張中村にいた頃、民百姓は、すでに暦を当てにせず「二十四節気」を使って、田植え時期などを独自に決めていた。
 暦に問題があるとしても別に御帝にとやかく文句をいうほどのことではなかろう。(略)

 となると、信長さまの要求は、やはり(略)
                         「秀吉の枷」上 293ページより

長く引いたのは、大きなわけがあるのではない。暦のことが書かれてたからである。「近頃の暦は、できが悪く、季節感にずれが大きい」という箇所である。
それと「二十四節気」。
信長が、朝廷に要求す重要事項のなかに暦の存在がクローズアップされてる。暦はやはり暮らしの中で大きく重要なアイテムだったのがよくわかる。

こじつけになるかも知れないが、節分・立春という昨日今日の天気を考えたのである。3日から4日の朝にかけて、かなりの降雪があった。
立春とは、文字通りなら「春がはじまる」日の謂いである。っふふ、節分の日から立春にかけての雪に(季節感にずれが大きいなぁ)と可笑しかった。
そういうこともあって、「秀吉の枷」のその部分を鮮明に思い出したという次第である。

もう一つ、季節感を大きく感じたのは、熊本名産の「ばんぺいゆ」が送られてきたことが与る。
熊本城の紅梅が咲きはじめたという便りと、大きなみかん(ばんぺいゆ)や(パール柑)(ポンカン)など南国の香りと味がどっさり届いた。
それが立春の日である。その日にかなりの積雪があったことの特異性みたいなことに、こころが反応したのがはっきり分かる。

先日、別府から、やはりばんぺいゆが届いたとき、「雪灯り」を楽しんだ。
今回、阿蘇からのばんぺいゆは、3日から4日にかけ降り積もった雪の上に並べて撮ることにした。
南国の果物をみちのくの雪の上において、真っ白な雪をバックに鮮やかなみかん色を撮る。その彩りが、ね うう、なんとも嬉しい!

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今朝の気温 -4度、晴れ




  1. 2010/02/05(金) 07:04:20|
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立春の朝

あつこさんから、次のようなコメントがあった。
そのリクエストに応え、あらためて「立春の朝」の景色を撮ったので並べる。

 少雪とはいえこんなにつもってるんですね。なんとなくわかりましたが、どのくらいの大きさか、想像はつくのですが。
 まだありますか? あればバックと一緒に写った写真もぜひ。

                2010/02/04(木) 08:37:40 あつこ
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「雪灯り」を作ったそれがまだぽっかり口開けて見える

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裏の池のようす 立春といってもまだ残雪がこんなにどっさりと...

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「天童の家」の真っ正面

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書斎前の廊下からの眺め

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道路の向こう隣りのキャラボク(イチイ)の雪吊り

午前10時37分の気温 -4度、曇空だが明るい



  1. 2010/02/04(木) 10:37:34|
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雪灯りの雪

雪灯りの経緯

次は、2日のブログへのコメント
  この雪灯篭、ただ地面の雪の上にミニかまくらのようなものを作るのですか。なかなか風情があって良いですね。
  人の命ってはかないですよね。いろいろ思うところがあり、コメントが難しいです。
                       2010/02/02(火)   あつこ
   雪灯籠
   あつこさん いろいろと詳しく書きたい気分もあるのですが...
   想像しながら楽しんでもらうのもいいかなぁと考え、説明を省略です

   命のことは、ね そう気安く書けないですよねぇ
   コメントありがとうございます
                        2010/02/02(火)  こんの
あつこさんの雪灯籠への問いかけに、応えていなくて心苦しい気分が残った。
なぜ十分な説明をしなかったか、その訳(弁解)を次ぎに書こう。

『写真を見て、いろいろ想像(創造)して欲しい』というのがその理由である。
最初から詳しく説明してしまうと、想像する余地がなくなり、(ふん そういうことか)で終わってしまうことを懸念したのである。
見る人ごとに、それぞれに感じ方が違う。枠に嵌らない(制約を受けない)で自由に想像の世界で遊んで欲しいと思ったのである。

他のブログで、少雪のことを書いている。なのに画像ではちゃんと一応の「かまくら」みたいなのが写ってる。
この画像の雪は、どうなっているのだろう? やはり何処かから運んだものか?
灯籠の大きさ(かまくら)は、果物などから大体が分かるから、それだけの積雪、ないしは雪の量が分かるので、その雪は何処で確保したのか?
どのような方法で、この雪灯籠を拵えたのか? 

想像することは、ある意味では創造につながる(と考えてる)。
想像は遊び、遊ぶことは楽しい。創造は能動、創作には楽しさが加わる。
そんなふうに考えているものだから、他人にもそれを当て嵌めてしまう。
他人のそれと自分の思いが一致するとは必ずしも思わないけれど、なんとなく自分のそれ(考え・思い)に立ってしまうから可笑しい。

う~む、ここで 実際を明かそう。あの雪灯籠の雪は、小屋の屋根に積もった雪が、軒下に滑り落ち うずたかく残ってるものである。
屋根から落下したものだから、ある程度の硬さがある。その小さな雪山の脇腹をショベルで掘り、灯籠の空間を作っただけである。
種を明かしてしまえば、っふふ ね、(なぁんだ、そういうことか)と興ざめな気分かなぁ...

でもね、そもそも(雪灯籠を作ろう)という気分が遊びごころ
「天童の家」にアクセスしてくれる方々にも遊びの楽しさのお裾分け。そういうサービス精神を分かって欲しい(笑い)
とまぁ、考えた次第である。

次の画像は、作った場所を今朝撮った。
うう 立春の朝である

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今朝の気温 -6度、粉雪




  1. 2010/02/04(木) 08:03:44|
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