未分類日記以前の天童の家RSS|

ユキワリソウ

90330-a.jpg

90330-b.jpg

ユキワリソウ(ミスミソウ)

ユキワリソウを撮りたくて、幾度も近くの里山に通った。
今年は雪も少なくて、ユキワリソウも早く咲くのではないかと思って、3月18日に行った。
里山にはまだ残雪があり、ミスミソウの咲く場所の半分が雪だった。それでも消えた場所にはミスミソウの葉が蕾を抱えてた。
(あぁ、咲くのは時間のもんだいだなぁ)と考えた。

良い天気がつづいたので21日にまた出かける。残雪はなくなっていたが、花はまだ咲かない。
再び26日に行ってみた。が、花はまだだった。
そうしているうちに28日・29日の両日に降雪があった。(花は遅れるだろうなぁ)

30日は陽が射した。「天童の家」ではさくらんぼと梅の消毒をやった。
午後、またユキワリソウを見に里山へ出かける。
18日にはじめて行った時から、4回目である。全部ではないがいくつかの株が開花してる。

自生しているユキワリソウ(ミスミソウ)は、なんとも可愛い花をつける。
仙山線を越えて登った里山に、ひっそりと咲いている。うう、(私だけのユキワリソウ)みたいな感じで納得いくまでカメラを向ける。
まだ咲きはじめたばかりだから、4月上旬は観ることができるだろう。

90330-c.jpg

90330-d.jpg

明日から4月 みちのくもいよいよ本格的な春到来となるなぁ
スポンサーサイト
  1. 2009/03/31(火) 06:17:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

ニワトコ

90328-40.jpg

ニワトコ萌える

28日の朝、カーテンを開けてみて少々びっくりの気分。外が真っ白である。雪景色は驚くことはないのだが、彼岸もすぎ だいぶ経った今朝の雪には(異常気象かなぁ)と思う。
気温や大地がだいぶ温かくなっているから、陽が射せばすぐに消えてしまう雪だから気にするほどのこともない。
とはいえ、梅が咲き、春を告げる花たちも開花しているのだから、雪はやはり季節外れのものと映るのはしかたないだろう。

「歩いてくる」妻にそう告げ、サイクリング・ロードへ。陽が射しているのだが、吹く風が冷たい。
こんな日は、撮るべき被写体が期待できないから黙々と歩く。身体を動かす(散歩)ことが自分の仕事だと割り切るしかない。
とは言いながらも、目は(なにか良い被写体がないか)と忙しく動く。うう、風が冷たく、カメラを持つ手がかじかむ。

朝には真っ白に見えた景色も、日陰をのぞき枯れ葉色というか、早春のそれである。樹木はまだ裸木のまま風に揺れてる。ネコヤナギがわずかに春の色を見せているだけだ。
枝焼きの煙が風に吹かれ左右にたえず揺れ動く。剪定した枝を燃やしているそれがなんとなく(絵になるなぁ)とカメラを向ける。
なんという名の小鳥たちなのか忙しく動き回ってる。春先になって目立つのは、う~ん 小鳥たちの動きが活発になったことだなぁ

工事中で通行止めだったサイクリング・ロードも再び通ることができるようになって、久しぶりで山寺の始発点まで歩く。
帰り道に、例のニセアカシア林床に入ってキクザキイチゲを撮る。そこでニワトコの萌えてるのを見つけ、カメラを向ける。
マンサクはいちばんはじめに咲くが、ニワトコの芽は春真っ先に萌えるからなんとも嬉しい。

ニワトコの葉や花を煎じて飲むと利尿・発汗作用があるという。枝や幹を黒く焼いたものは、骨折や打撲傷の薬になるといわれ、接骨木の別名をもつ。
古名の「山たづ」は、「迎へ」の枕詞だそうな。大きな複葉が向かい合って対生するそれが、迎えに結びついたのであろう。
萌えたそれを見て、(なるほど!)と頷ける。

90328-50.jpg

90328-60.jpg

90328-70.jpg

今朝の気温1度、晴
  1. 2009/03/31(火) 06:09:24|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

節約しながら

いろいろな対応

新聞には毎日多くの折り込み広告が入ってくる。新聞が重く感じるほどである。
その広告を点検し、ヤマザワ・おーばん・ヨークベニマル・カワチのそれを妻に渡すのが新聞を読む前の仕事である。
妻は、食卓でそれらの広告を見ながら買うべき品名と店名をメモする。

ヤマザワ・おーばん・ヨークベニマル・カワチの他にもショッピングの店はあるのだが、食料品等はこの4店でだいたい揃えられる。
買い出しに出かける際、そのメモ用紙を持参し、チェックしながらモレのないように買う。
29日もはじめにヤマザワ(ここにはクリーニング店もある)で用をたし、次ぎに おーばんへ。ここの目玉商品(日曜は卵・醤油など)を買っていると、一緒に定年退職したKさんと出合う。

Kさんは、看護師長として有能な同僚だった。
「退職した時、小学校へ入った孫が、今年東高等学校受験してね、合格したのよ」とKさんが嬉しそうに語る。「東高等学校」は県内一の進学校で優秀な生徒が受験する。
「よかったですねぇ、さすがにKさんのお孫さんだなぁ」私の言葉に、Kさんの笑顔がいっそう綻びる。Kさんの嬉しさがよくわかる。
東高等学校に合格したという言葉もさることながら、私は 定年退職してから9年が経ったということに改めて深い感慨を覚えたのである。

ヨークベニマルの隣りには100円ショップがあってゴム手袋を、またホームセンター・ジャスコも並んでて 消毒用マスク 他を買った。
最後にカワチに行った。ふっふ、そこでまたKさんに出合った。カワチは飲物等が安価に求められる。Kさんもケース買いをしている。
カワチではKさんと私の会話はなかった。二人とも頷き、笑っただけで別れた。
妻は、カワチでトイレットペーパーを買った。

「みなさん、やはり安い店を選んで買い物してるのねぇ」妻が言う。
「年金生活ということだけじゃなくて、こういう世の中だもの、みんな賢くならないとなぁ」
「パパ、今日はタケノコ買ったからタケノコ汁よ」
「うん、旬の味っていうけど、たまには初物もわるくないなぁ」
「旬ていえば、タケノコはまだまだ先だもの...ねぇ」
「この辺では6月だから、あと50日もあるなぁ。たまには鹿児島の味もいいだろう」

今朝(29日)は春の雪だった。
なのに、というか、だからこそ、たまには鹿児島のタケノコ(孟宗竹)汁も楽しいといえる。
食はたしかに旬の味なのだけれど、ときには「初物」も味わう楽しさが捨てがたい。

90324-d.jpg
マンサクの黄色がぼーっと浮かぶ

90327-10.jpg
カンゾウの若芽萌える

90327-20.jpg
茹でて食べるとぬるみがあって春の味がする

90328-30.jpg
キクザキイチゲ 雪や寒さでなかなか咲けきらない
でも今週中には盛りを迎えるだろう

今朝の気温2度、晴 今日こそ消毒をしようと思う
  1. 2009/03/30(月) 06:13:22|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

春の雪

28日、29日と続けて春の雪が降った。
日中陽が射し、直ぐにとけてしまう春の雪だから、少しも驚かないのだけれど... それにしても寒い日が続く。
28日、29日と消毒作業を予定していたが、取りやめる。まぁ、焦ることはない。
久しぶりに季節はずれの雪景色を並べる。今年最後の雪景色...

花にはまだ日にちがあるから、うふふ 雪の花(華)見と洒落こもう
うん、雪の華だなぁ

90329-10.jpg

90329-20.jpg

90329-30.jpg

90329-40.jpg

午前9時10分現在、屋根の雪はもうすっかりとけてしまってない
  1. 2009/03/29(日) 09:08:40|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

極楽往生

90328-20.jpg

90327-70.jpg

宗教や説話では、極楽がまことしやか?に語られる。ふ~む、ほんとうに極楽世界があると信じているのだろうか?
そのことが不思議でならない。というか、信じられなかった。極楽などあるわけがないと考えてた。
だが、ある事実(状況)を知ると、そのような状況下では、極楽往生を信じることが救いだったのかなぁと分かるような気がしてくる。

平安から鎌倉時代への移行期の頃、大震災や度重なる飢饉に見舞われている。
具体的には、1257年には関東南部でM7級の大地震があり、鎌倉では社寺は全滅し、山くずれ、家屋転倒、地割れが生じ、また三陸沿岸では津波が起こり多数の被害がでた。
1260年前後には飢饉で「老少男女多くの人々の死」が出てる。正嘉元年(1257年)から弘長3年(1263年)まで数年間の慢性の飢饉状態と天変地異は、現在では考えられないような惨状であったようだ。

 困憊しきった者たちが、歩いていたかとおもうと、たちまち道に倒れ伏して、動かなくなる。土塀の外、道傍に、飢餓した者たちが、数えきれないほどである。
 取片つけるすべもわからず、屍体の臭いは、あたりに満ちて、腐ってゆく屍体の形の変わりようは、目もあてられないことがおおい。
 まして、河原などには、馬や車の行き来もならぬほど、屍体が転がされている。

 また、たいへん哀れなこともあった。離れられない妻や夫を持っているものは、愛の深いもののほうが、必ず先にたって死んだ。それは、わが身のことはあとにして、愛するものをいたわしいと思うから、まれに手にいれた喰い物をも、さきに喰べさせてしまうからである。
 だから、親子で暮らしているものは、きまって親が先に死んだ。また、母親のいのちが尽きたのも知らずに、頑是ない子が、なお乳を吸いながら横ざまに臥せているなどもあった。

         以上は、京都の街の有様を『方丈記』から抽きだしたもの

 虫のように生き、そして生きることが苦痛以外にない衆生がいるかぎり、かれらにとって、浄土へゆけるという信仰が一切の解決であることも確かだった。
 眼前に捨てられた飢餓の死を、蘇らせることもできないし、飢餓の死を防ぎとめる方途を実現できないとすれば、一念、多念にかかわらず、称名念仏によって一挙に浄土へ横超できると説くことは、異様ではあるが解決のひとつである。

当時の悲惨極まる状況の中で、ふ~む なるほど「極楽浄土」は 衆生の救いだったのだろうなぁと考えられる。
しかし、念仏をとなえても、嬉しい気持ちにならないし、すみやかに往生をとげて浄土へゆきたい気もおこらない、という現実もあった。
 
宗教と親鸞、というか『親鸞』を読んでいるが、なかなか難しく、一度読んだだけでは理解できない。
まぁ、焦らずにじっくり読んでいきたいと思っている次第である。

* 今日のブログは、『最後の親鸞』吉本隆明著 ちくま文庫 を読んで書いた。

90326-10.jpg

90327-80.jpg

90327-60.jpg

今朝の気温0度、曇 夕べも降ったようで、屋根は真っ白 3cmほどの積雪
  1. 2009/03/29(日) 07:01:22|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

衣替え

90324-c.jpg

90318-20.jpg

衣替え

24日は、池を覆っていた発砲スチロールを取り外した。池が雪に覆われたり、氷が張ってしまうので、せめて半坪ほどでも雪なし・氷なしの場所を確保してやりたいという思いである。
そうすることが、はたして鯉たちにとって良いことなのかどうかは分からない。他所の家(池)でもそうやっているので真似ているというのが実情である。
本格的な降雪がある12月末頃に覆いをし、そして今年は3月24日に取り外したというわけである。もちろんその後は、スダレを掛けて日陰をつくった。

春の陽光が池いっぱいに差し込み 池は明るくなって、鯉たちには(春がきたなぁ)と思われた?だろう。
うふふ 少なくとも人の目にはそう感じられるから可笑しい。それまでは発砲スチロールの下で姿が見えなかったが、スダレと水面に空間が出来 鯉たちが眺められるから嬉しい。

「パパ、タイヤ交換しましょ」妻が冬タイヤから夏タイヤに履き替えることを促す。
「分かった。今年は雪が少なくって助かったなぁ。もっと早く交換してもよかったんだけどなぁ...」
「枝焼きも終わったし、タイヤ交換済まして...春を迎える準備しておかないと忙しくなる」妻はこれからさくらんぼ消毒用の薬剤をたしかめるのだと言う。

冬を迎える準備より、春を迎える準備は、比較できないほどこころが弾むものである。
剪定や枝焼き、池の覆い外し、冬タイヤ交換などはいわば春を迎えるための衣替えである。
冬タイヤは、走行時に発する音も重いが、夏タイヤは冬タイヤのような音がしないし、走りも軽やかになったような感じがするから面白い。

「さくらんぼの植え替え、いつする?」妻が問う。
「あぁ、いつでも。今日する?」
「今日は少し寒いから、パパ 暖かい日にしよう」妻の言うことがなんだか矛盾しているような気がするけど、さして異論はない。
同じ畑にあるさくらんぼの若木を、倒してしまった木の後に移し替える作業だが、まだ細い木だから難儀なこともないだろう。

うう 果樹消毒のためのスプレイヤーの音が聞こえてくる。
(あぁ、いよいよ今年も春になって農作業がはじまるなぁ)

追 伸 26日にさくらんぼの植え替えをした。
 「植え替え、どのくらいかかる?」妻の問いに、「30分もあれば終わる」と答えたが、9時からはじめて終わったが11時だった。
 根を傷めないように掘り起こすのがたいへんだった。無事に活着してくれるといいのだが...

 消毒のための動噴を試運転し、注油をしたり、必要な用具を点検し揃える。28日にはさっそく梅の消毒をするという。

 冬期間、畑の小屋にしまってた自転車(マウンテンバイク)も家に移動し、タイヤの空気もいっぱいに入れる。
 自転車に乗るのが好きだし、良い運動だから、サイクリング・ロードやそちこちを颯爽?と走り回ってる。

今朝、起きてみたら雪で真っ白。うう これでは消毒などできないなぁ
ふむむ、今日のブログとしては、ミスマッチの内容になってしまった。

90324-a.jpg

90324-b.jpg

今朝の気温2度、雪
  1. 2009/03/28(土) 06:27:36|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

農業労働の賃金

90324-10.jpg

90324-20.jpg

農業労働の賃金

天童市の農業労働賃金(21年度)が通知された。以下はその表の中からいくつかを抜粋してみた。

  果 樹 剪 定     10000円(1日)・ 時間給の場合(時給1300円)
  さくらんぼ収穫    6500円(1日) 
  果 樹 作 業      6000円(1日)摘果(花)袋かけ  *桃袋かけ(100枚 200円)

  さくらんぼ雨よけハウスビニール張り 1m 1000円 ・ 連棟(800円)・ ビニール撤収 500円

  耕耘代かき    16000円(10アール)
  畑 耕 耘    11000円(10アール)
  コンバイン稲刈り 18000円(10アール)

  機械田植え    26000円(10アール) 育苗から田植えまでとする。稚苗25箱使用を基準に、増箱分は1箱につき750円を加算

  精  米       600円(1俵)
  畦 ぬ り      45円(1m)

表には 29項目があって、作業名にそれぞれの金額が明記されている。それに付随し、以下のような説明が付されている。

  1.農作業別の賃金とし、労働時間は1日8時間を基準とする。
  2.(略)
  3.賃金及び料金は、すべて食なしとする。
  4.男女別による賃金の格差はつけない。
  5.機械利用料料金は整理地を基準とし、未整理地は割り増しとする。
  6.(略)
  7.機械利用料金は消費税抜きの金額です。

天童市農業委員会が天童市農業労働賃金協定協議会との連名で今年の農業労働の賃金を協定したものの通知である。
これを見ると、うふふ 自分のやった(働いた)仕事の金額が見えてくるから可笑しい。
剪定作業の賃金が、1日1万円だから、へへ 3日やれば3万円... さくらんぼ雨よけテント張りなど、うう 1m単位だから、すごい金額になるなぁ
知人が、「テント張り(さくらんぼの)だけで10万円かかった」というのも頷ける。

田畑を持っていても高齢化などで、農作業を他人に頼まなければならない農家も増えているのが実情である。
農作業にはいろいろな機械を使わなければならず、機械貧乏などと言われている状況だから、こうして機械と労力を他人に依頼する農家もいておかしくない。
その際に支払う賃金が、このように基準化されているのは合理的で納得できるというものだ。

農作業では消毒が欠かせないが、スプレイヤーが200万円から800万円もするのだから、なかなかたいへんである。
「天童の家」では、動噴をトラックに載せ、ノズル式の噴霧器でやっている。ママゴトみたいなさくらんぼ栽培だから、それでも間に合う。
農作業は楽しみで、妻と二人でやっている。今のところ誰かに頼むこともないので、賃金表は(そのくらいのものか)と納得している次第である。

90324-30.jpg

90324-40.jpg

今朝の気温-2度、曇
  1. 2009/03/27(金) 06:52:40|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

社会変革の道筋


以下は、「私の視点」(朝日新聞 26日付)からの抄である

   小沢氏秘書起訴  まず民主党が動きを起こせ   山口二郎(北海道大学教授・政治学)

 検察という官僚組織が政治的に中立でないことは、今までの政治家に絡む事件を見れば明らかであった。今回、検察は総選挙直前というタイミングでその政治性を発揮した。
 政権交代がまさに権力の奪い合いであるという政治の現実を思い出させてくれたことは、この事件の第一の教訓である。
 また、政権交代に対する期待水準を引き下げてくれたことに、今回の事件の第二の意義がある。

 自民党の腐敗、堕落ぶりは国民の忍耐の限度を超えている。しかし、これに取って代わると自称する民主党も、清新な救世主ではなさそうだ。
 自民党から民主党に政権交代しても、世の中が劇的によくなるわけではないだろう。小沢代表の資金疑惑は、民主党に対する根拠のない期待を打ち砕いた。
 実は、そのことは有意義な政治交代のためには必要なことである。根拠のない期待感が膨らんだ状態で政権をとっても、民主党は国民を満足させることはできないだろう。
 国民の期待はすぐに幻滅に転化し、安定した政権が課題に取り組むという体制はできないであろう。

 政治家や政党を選ぶのは、よりましなものを見分ける作業であり、真に必要な政策を徐々に実現することこそ社会変革の王道だという感覚を持つことこそ、政権交代可能な政党政治を支える国民の気構えというものである。
 
 現下の経済危機を打開するために政府が為すべきことは明白である。
 たとえば、親の経済的事情によって進学を断念する若者をゼロにするなど、具体的な政策は有識者の意見を拝聴しなくてもすぐに実行できる。
 民主党に何より必要なことは、政府の無為無策を批判し、戦闘態勢を構築することである。

 そのためには、やせ我慢でいいから企業団体献金の禁止に踏み出すことと、政権交代によって実現する社会保障や雇用の再構築を具体化することが急務である。
 代表交代というカードを戦略的に使うことも必要である。小沢氏が党首である限り、政府与党を攻撃する破壊力は持ちえない。
 そう遠くない時期に新たなリーダーを立て、政府与党を攻撃するための資格と正統性を回復することが不可欠である。

今朝の新聞には、他に面白い記事があった。またWBC関連のスポーツ記事も拍手したいのがあり 嬉しかった。
世の中の出来事をみていると、(あぁ、生きてるってこういうことなのだなぁ)との思いがわいてくる。


午前9時半の気温2度、晴 屋根の雪はもう消えてしまった
  1. 2009/03/26(木) 09:29:45|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

「哀しみも生の豊かさ」


       トラックの荷台ひらきて首のないマネキン二体運び出されつ     沼津市・森田小夜子
ずーっと以前に似たような歌を読んだ気がするけれど... っふふ なんとなく艶っぽさを感じる。

       歯車が大いに狂い意外なる計画外の施設に居つく          花巻市・菅原京子
人がたてる計画なんて、やはりあてにならないもの... 意外性があるから、また面白いのかも知れないなぁ

       「哀しみも生の豊かさ」出遭いたることばを胸に病む母に添う    栃木市・飯塚哲夫
喜怒哀楽は、求めて容易に得られないもの(こと)だから、こういう場にであうのもまた人生と納得しながら看病にはげむ飯塚さん。

       がやがやと授業にならぬ教室が「きいてやれよ」の声で静まる    石岡市・武石達子
なぜか知らないが目頭が熱くなるのを覚える。武石さんの複雑な心境がじーんと伝わる。生徒たちのその後もいろいろと想像される。

       ぬばたまの夜に服役の日数をかぞえてみれば八千七百       アメリカ・郷 隼人
八千七百日は、約24年。うむむ 償いの日々とはいえ、なんとも切ないなぁ

       七分の至福の時間寒き日はコイン・シャワーを一身に浴ぶ    ホームレス・公田耕一
風呂やシャワーを使用する場合、いったいどのくらいの時間使っているかなどあまり考え(気にとめ)ない。
子どもの体をを温めるため「30数え終わるまで入っていよう」などの手をつかうが、その30がなかなか長く感じられる。他方、歯磨きなどに要する時間はすぐに数分間が過ぎてしまう。
7分という時間が短いか、長いか... 公田さんには至福時間に感じられるが、なんにも感じない人もいるかも知れないなぁ

       山形に生まれてすでに蕎麦好きの五歳と蕎麦食む鄙めく部屋に    山形市・小林武子

       漁港あり美術館あり山笑ふ     浜田市・大島一二三
       麗らかや信じるものは我が五感   三重県・石田 勝
       剪定の枝に蕾のありにけり     千葉市・篠崎義昭
       暮らしむき今も変わらず猫柳    川西市・上村敏夫
上村さんの句を読んで、年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず を思い出す。この句をどう読めばいいのかなぁ と迷った。

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(23日付)より

90318-d.jpg

90318-e.jpg

90318-f.jpg

今朝の気温1度、晴
  1. 2009/03/26(木) 06:37:54|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

イチリンソウ咲く

毎日が日曜日だから、勝手気侭に動けるはずなのだが、実際はそう簡単に動いていないのが実際である。
身体を動かす(散歩とか山登りなど)ことを自分の「仕事」と決めて、なるべくそれを実行しようと思っているが、それさえなかなか果たしていない。
歩くこと、山登りなどは好きだから、できるだけやりたいと思うのだが、風雨など気象条件がわるいと、へへ 止めてしまう。

毎日の暮らしの中で、いちばん大きく行動を左右するのは天気である。
晴れ上がっていれば、少々の風があっても気にしないで出かける。雨降りならもう はなから出かける気が失せてしまう。
イヤ、雨はキライじゃないから、傘をさしてでも歩くことを厭わないが、今はなにも撮るものがないから、つい雨天時は敬遠してしまう。

「パパ、今日は午前中が晴れで、午後からは曇ってくる。散歩は早い方がいい」妻が私の気持ちを先読みしアドバイスする。
「分かった。そうする」
出かける前に池の発泡スチロールを片付ける。前の池に2枚、裏の池に1枚のスチロールを浮かべ、越冬対策とした。
彼岸も過ぎたので、その発砲スチロールを取り外し、水洗いして、年末雪の降る前に再び池に浮かべ覆いとする。

午前9時、立谷川のサイクリング・ロードへ向かう。車を止め、カメラを持って歩きはじめる。
そろそろイチリンソウが咲きはじめる頃(例年より7日から10日早いはず)だからと、散歩道から川沿いのそこへ入ってく。
ニセアカシアの林床に真っ先に咲くのがイチリンソウなのである。

予想通りにイチリンソウの蕾がある! まだ時刻が早く、蕾の状態だが気温が高くなればまいちがいなく花が観られるだろう。
それを確認し、散歩道を大股で歩いてひとまず家に戻る。
昼食を済まし、再びサイクリング・ロードへ。迷わずにアカシア林の中へ入ってく。

白いアズマイチゲがまず目に飛び込んでくる。(春を告げる花だなぁ)と嬉しくなり、カメラを向ける。
紫色のキクザキイチゲもひっそりとしたたたずまいで咲いてる。どちらが好きとは言えないが、数でいえばアズマイチゲの方が圧倒的に多く、キクザキイチゲは控えめに咲いてる感じがする。
咲きはじめのイチリンソウなので、本格的なのはこれからまだまだ楽しめる。

イチリンソウの後は、シュンラン、カタクリが楽しめる。あぁ、その前にミスミソウ(ユキワリソウ)も観られるなぁ
そうした花々を探しながら、春の陽射しのもと里山を彷徨するするのはなんとも楽しい。

90324-n.jpg

90324-o.jpg

90324-p.jpg

90324-q.jpg

90324-r.jpg

90324-s.jpg

今朝の気温2度、曇


昼食をしている頃から、白いものがちらりほろりと舞いはじめる。
午前中に農協とSさん家まで出かけ用事を済ましてきた。
午後からは専ら読書(親鸞)で過ごす。
午後5時現在、隣の屋根が白くなってる。まだ雪が降るともなしにおりてくる。

午後5時の気温1度
  1. 2009/03/25(水) 06:32:57|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

未完な製品

90321-g.jpg

90321-h.jpg

未完な製品

一眼レフは、レンズ交換ができ、また焦点合わせも自在にできるから便利というか、好きである。
しかし、一眼レフデジカメの場合、レンズ交換を頻繁にやるので どうしても内部にゴミが付着しやすく、それが画像に現れるのが最大の弱点である。
フイルムカメラはそういう心配が少ないが、デジタルカメラのゴミ付着は容易に起きるから困ったものである。
いまではゴミ付着を防御する機能が着いてるのも発売されているが、そう簡単に買い換えるわけにもいかない。

デジカメ一眼レフを2台所持しているが、2台ともにゴミが見える。そのうちの1台が、我慢ならないほど汚れたのでクリーニングをヤマダ電機に頼んだ。
ヤマダから「修理代が32000円ほどかかるそうですが、どうなされますか?」との問い合わせがある。
迷う。(どうしてそんなにかかるのだろう?)(新品を買おうか?)
迷ったが、いつまでもおたおたしてるわけにはいかない。すぐに返事しなければならない。「修理してください」とお願いする。

返事をして、受話器を置いてからも迷った。(どうしてそんなにかかるのだろう? ゴミ取りに32000円は高いなぁ)
(新しいカメラを買った方がいいかなぁ...)とも考えたが、年金生活者にはそんなに簡単に買えるわけもない。
この間のこと、あの時 財布をなくした(実際は、あったのだが)と思えば、うふふ なんとか自分を納得させることができる、とも考えたりした。

修理を依頼して8日目に、カメラが戻ってきた。
修理(処理)内容として、『撮像に関連する電子部品を交換致しました』[交換部品]CCD基板ユニット と書かれてある。
物理的・機械的にゴミを取り除いたのではなくて、電子部品を交換したのであるから、やはりそれだけの経費がかかったのだなぁと思った。

それにしても、一眼レフはレンズ交換することを前提にしているのだから、レンズ交換でゴミが付着するというのはおかしなことではないのかなぁ
極端に言えば、欠陥商品。本来はゴミ等による汚れがでない製品にしなければならないのだろう。
だからこそ、新しい製品にはゴミ付着防止機構が取り入れられてるようだ。
うう、まだ未完な製品を買ったことになるだろう... そうだったら、修理(処理)代は、もっと少額にすべきではないのか...
へへ 自分に好都合な主張が次々にわきあがるから可笑しい。

32,504円を修理代として払い、カメラを受け取った。

90321-i.jpg

90321-j.jpg

今朝の気温2度、晴
  1. 2009/03/24(火) 06:14:30|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:10

愚痴る

20日・21日・22日と連休になった。
毎日が日曜日だから、世間的な連休は羨ましくもないのだが、それでも世の流れの中で暮らしていれば、こころはなにがしか動くものである。
20日は、お彼岸の中日ということで実家に行って仏前で合掌、午後は寺で「お勤め」と講話を聞いたことはすでに書いた。
21日は、快晴で絶好の春山登山日和となったが、アルミ缶の出荷作業があり行くチャンスを失った。
22日は、「児童クラブ」との交流会があり、そちらへ出席した。

毎日が日曜日であるが、なかなか勝手気侭に暮らせるわけでもない。
野暮用といえば野暮用で、頭では(しかたないなぁ)と思いながらも、一方では(面倒だなぁ)という気分も払拭しきれない。
実家へ行き、いろいろな話をするのもわるくない。また寺での集会?もけっこう楽しかった。
アルミ缶出荷作業は、3ヶ月に1度くらいで、たいした労働でもないから大きな不満があるわけでもない。むしろ大きな収入が得られる(善意銀行として)から納得できる仕事だった。

ところが、世界的な大恐慌にともなってアルミ価格が急落してしまった。
恐慌以前は、単価(1Kg)が100円前後だった。しかし今の時価は20円に下落し、そのあまりの落ち込みに気分まで落ち込んでしまう。
具体的いえば、21日には360Kgを出荷したのだが、7200円にしかならなかった。
恐慌前なら、36000円にもなったというのに... うむむ、あまりの違いに愚痴も言いたくなる。

アルミ缶出荷は、M金属へお願いしている。いつもなら作業を午前9時前からはじめ、10時半頃には終わってたのだが... 
21日は、M金属の都合(コンクリート打ち作業中)で、搬入を10時過ぎにして欲しいというので、出荷が完了したのは正午に少し前だった。
いつもの通りだったら、出荷後にでも蔵王へ行けたのに、午後からでは時間的余裕がなく、春山(実際は雪山)登山はできず、大きな不満が残った。

22日の交流会は、午前11時からで昼食を食べながらの懇談会。会の前に、ショッピングセンターへ行った。
3連休といっても、なかなか自分の思うままにはならない。いろいろと浮き世のしがらみがからむからしかたない。
というわけで、今日は愚痴になってしまった。愚痴からはなにも生まれないことは承知しているけれど、うう たまには愚痴りたくなる。

我慢はからだにわるいというから、うう 愚痴ってしまった(ごめんなさい)

90321-k.jpg

90321-m.jpg

90321-n.jpg

今朝の気温11度、アップ時は晴てたが... 7時現在では曇
  1. 2009/03/23(月) 06:16:26|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

ワーキング・プアー


差し障りのない範囲内で書くことにする。
妻は、学童保育に指導員として勤めている。指導員などと仰々しいような名称だが、資格が必要でもなく、誰でもなれる。
要するに、放課後の子どもたちを家族の迎えがくるまでに一緒に遊んだり、おやつをあげたりしながら過ごせばいい。

「人さまの子どもみるのだから、危害から守ること、居場所を確保すること、それだけをちゃんとしていればいい。あとはできるだけ楽しめる場作りをやれれば上等だよ」
妻にはそう言っている。自分の子どもや孫をみていると同じように思っていれば肩も凝らないだろう、と思うけれど、他人の子どもをみているのは実際には楽ではないようだ。
それに対する報酬(賃金)もあるのだから、それ相応の苦労があるのはしかたない。

妻の受け持つ「児童クラブ」には10人の子どもがやってくる。対象者は小学生(1年~6年生)なのだが、ほとんどが3年生までで、4年になると塾やスポーツクラブなどに通うようになる。
学校の授業がある時は、午後1時半から午後6時半までで、春休みとかで授業がない時は、午前8時半から午後6時半までの勤務となる。
指導員3名で、10人の子どもをみる。1名は正規雇用形態であるが、2名は時給となっており、報酬はけっして高いものではない。

午後1時半から午後6時半まで働き、月に18日から20日間の稼働だから、その報酬は中途半端な数字になる。
たいへんな思いをする割には、手にする賃金は少ない。だから、指導員もなかなか長続きしないのが実際である。
数ヶ月で止めてしまう人が少なくない。ハローワーク経由で募集することになる。
今の世の中、こういう状況だから、「応募者があるから助かる」と妻が言うのを聞いて、喜んでいいのかどうか戸惑いを覚える。
「昨日1人、今日も1人面接がある」と妻が言う。応募者の面接に妻も加わっているようだ。

ワーキング・プアーという言葉が、身につまされる。
無収入より、低額でも働かざるを得ない、ということで応募してくるのだろう。早く欠員確保ができるのは助かる妻の気持ちが分かるけれど、なんとも切ない気分がのこる。
指導員の待遇を改善するには、児童クラブに通わせてる保護者に負担増をお願いすることになるが、それはおいそれと出来ない。
もちろん市からの助成金も受けているが、他の学童保育とのバランスも考えなくてはならないだろうし、なかなか難しい課題である。

学童保育などは、やはり社会資源として存在することが望まれる。勤務時間が短いといっても放課後という限られた時間だから、それはそれとして認め、せめて社会生活ができるくらいの報酬を考えるべきだろう。
そうしない限りは、指導員はめまぐるしく変わってしまうし、またワーキングプアー問題も解決できないだろう。
「子どもは国の宝」というのであれば、もっと本腰を入れた放課後対策が必要である。

90315-90.jpg
15日撮影

90318-10.jpg
   18日撮影

90321-a.jpg

90321-b.jpg
   21日撮影

今朝の気温2度、曇
  1. 2009/03/22(日) 06:53:42|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

梅開花

南国や東京ではさくらが開花し、1週間後には満開なるそうな
みちのく雪国にも春がきて、梅が咲きだした
「天童の家」の庭に咲いたのを撮ったので、並べる

90321-c.jpg

90321-d.jpg

90321-e.jpg

90321-f.jpg

午後5時15分の気温8度、晴
  1. 2009/03/21(土) 17:14:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

悪魔の手


AIG(米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ)がオバマ政権を揺るがしている。
AIG の金融子会社の幹部ら418人に今月13日、計1億6500万ドル(約158億円)を支給したという。1人当たりの最高は640万ドル(約6億1500万円)。73人がそれぞれ100万ドル(約9600万円)以上支給されたようだ。
オバマ大統領は、AIG にボーナス支給撤回を要求。「ガイトナー財務長官に、あらゆる法的手段を使って阻止するよう指示」したという。

「経済危機で職や家を失う人が増えているのに、高額ボーナスを受け取って良心は痛まないのだろうか」議員たちは公聴会で「庶民の声」を代弁した。
そもそも、ボーナスをもらったのは、米大手金融機関の中でも断トツの総額約1733億ドル(約17兆円)の公的資金注入を受けたAIGの、その実質破綻の原因をつくった金融子会社の幹部たちだ。
本来は事業失敗の責任を負わされるべき人たちとも言える。

皮肉なことに、リディCEOはボーナス支給を撤回できない理由の一つに「有能な幹部を辞めさせないこと」を挙げた。
彼らは複雑な金融派生商品(デリバティブ)の専門家で、その商品が多額の損失の元凶になった。
政府の救済後、損失を最小限に抑えるためにデリバティブの契約解消を進めているいるが、その作業に彼らが必要だというのだ。
       (以上、朝日新聞<20日付>から取捨しながら書き写す)

うう なんという不条理! こんなバカげたことがあっていいのか? いいわけないなぁ
新聞記事を読む前に、「あくあ」さんのブログを読んでいたから、記事がよく分かる。
以下、「あくあ」さんのブログから転載(部分)

金融機関にも、その核たる、社会にとってとても重要な、信用を創造し、お金の需給をつなぐという大事な役目があります。例えば間接金融では、集めてきた預金を企業に貸しますし、直接金融では上場して広く資金を集めたい企業の上場をサポートします。国や企業が発行する債券を引き受け、広く販売したりもします。
そういうことをやっている限りにおいては、金融機関はとても健全なんですよね。

しかし、一方では自己勘定でトレーディングをします。いわゆる売った・買ったです。
ここから生まれる儲けは、核たる業務から得られる手数料とはまったく桁が違うんですよね。
また儲けたいと思っている素人投資家の目をくらますため(?)、とても複雑な商品を開発して売りまくり、さやを抜きまくり、大儲けしたりします。

こうしたトレーディングやら、複雑な商品をわけがわからない人に売って儲ける・・・という部分は、全く社会のためになっていないと思うのです。
複雑な商品に関しては、表向きはきれいな理由があるんですよ。
例えば、「為替レートがいくらまでなら元本は保証されます」といった商品を作ります。この商品によって、元本割れを防ぎたい素人投資家のニーズに応えた、とも言えるわけです。がしかし、実際にはそんな為替レートは超えちゃって、素人投資家は大損したりもするわけです。

世界中の富は、世界中の人が作り出した価値とイコールであって、誰かがたくさん取ると、誰かが損をしているというゼロサムゲームなんでしょうけれど、金融の世界はそうではありません。「信用」とか「レバレッジ」という妙なものが介在するので、膨らみすぎたり縮みすぎたりします。
例えば私が今100万円持っていたとして、これで債券を買います。100万円の債券を担保に入れて500万円を借り、これで500万円の仕組み債を買います。そしてこの500万円の仕組み債を担保に入れて1000万円の別の仕組み債を買い・・・とふくらませることが出来るんですよね。この仕組みのせいで、今、世界の金融機関がどのくらい本当に痛んでいるのかがわからなくなっているわけなのですが。

で、そういうふうな架空の世界で儲けを作り出す人が偉いということになっているがために、その人達がたくさんの給料を得ます。たくさんの給料を得られるからたくさん優秀な人がその仕事に集まってきます。実際、メジャーな投資銀行でトレーダーやセールスとして雇われるためのハードルはとてもとても高く、いったん雇われたとしても、その中で生き残るのは並大抵なことではありません。
てなことで、私が一番問題だと思うのは、人類の中のとても優秀な人々のうちかなりの数の人がこうした仕事につき、レバレッジを効かせた架空のお金をぐるぐる回すだけで、地球や人類のためになる実際の価値を何ら生み出していないことなんですよね。


「儲けを作り出す人が偉い」とは、けっして思わない。そういう一握りの輩が金融界を牛耳っているということがやるせない。今回の恐慌は、いわばこうした連中の悪魔の手で世界中が掻き回されてしまったことによる。
そう思うと、なおさら高額のボーナス支給など言語道断というしかない。
はらわたが煮えかえるような感覚をどうしたらいいのか... なんともやりきれない。

90313-70.jpg

90313-80.jpg

90313-60.jpg

今朝の気温3度、晴
  1. 2009/03/21(土) 06:26:59|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

彼  岸

彼岸の「お勤め」

彼岸の中日、仏前におはぎを供える。実家に行き、仏参りする。午後はお寺に行って永代経を厳修。
永代経の前に講話があった。お寺の講話といえば、抹香くさい話を連想するが、ちがう。
講師は、K胃腸科医院院長 K医師で、『健康と音楽』がテーマで、話と歌が半々の楽しいものだった。

昨年秋の彼岸のそれは、神主の話であった。阿弥陀如来おわすお堂で、神主の講話をきくというユニークな内容に拍手した。
今回は、消化器専門医であるK医師が、大勢集まった善男善女を前にオカリナを奏で、ギターをつま弾いて歌う。
歌の合間に講演をする。「今日は音楽が主で、話は従」とK医師が笑わす。

歌を聞かせ、演奏を楽しませてくれるだけでなく、お堂に集まったみんなと一緒になって全員で懐かしい歌を合唱する。
「春よこい」「さくらさくら」「うれしいひな祭り」
「荒城の月」「春の小川」「花」などの歌をギターを伴奏にみんなで歌う。それがなんともいえずいい雰囲気なのが嬉しい。

もちろん、血圧・喫煙・胃カメラ・ストレス・音楽療法・スポーツの話などが歌の合間に語られる。
約1時間がアッという間に経ってしまう。
その後に「お勤め」を済まし、おみやげに餅をもらって帰る。

お寺とかお経といえば、よく「葬式仏教」などと言われるが、我が寺のそれはちがう。
「生きている幸せを考える」という言葉を住職はよく言う。
住職は、また精神科医師でもある。
「親鸞」に関する本を2冊買ってきて、今それを読んでいるところである。

午後3時半の気温7度、晴
  1. 2009/03/20(金) 15:30:42|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

舞鶴山のカモシカ

天童には、出羽の三森(でわのみつもり)がある。舞鶴山(まいづるやま)・八幡山(はちまんやま)・越王山(こしおうやま・標高225m)の三山である。
これは「大和三山」を模したもの?で、天童市の東方に連なる奥羽山脈からは田畑などが間にあって離れ、またそれぞれの山も独立してる。
山脈に近い方から 越王山・八幡山・舞鶴山と並んで、舞鶴山は市街地に接してある。

三森と言われるくらいだから、三山とも標高は低い。
奥羽山脈からいちばん遠い舞鶴山にカモシカがいる(Mさんによれば 5頭)のだから、なんとも長閑というか、自然が豊だからだろう。
舞鶴山にやって来るには、何本かの道路を越えなければならない。カモシカたちはいつ道路を横切るのか...
もちろん冬には積雪があって、カモシカは食べものに困るはずだ。ひもじさに耐えながら冬を越すしかない。

雪がとけ、真っ先に食べられるのがシュンラン・ミスミソウ・オウレン・オオイヌノフグリなどだろう。
春浅い里山に行くと、カモシカに食われた早春の草が目につく。
ウサギ・サル・カモシカたちは、人間以上に春がきたことを喜んでいるはずだ。

カモシカたちは、人間をそんなに恐れないようだ。カメラを向けても逃げだすようなようすはない。
オウレンを観に行ったときも、カモシカは私がいるのを認めながら近寄ってきたのだから、可愛いものである。
う~む、人がいても空腹を満たすために 恐怖に打ち勝って食べに来たのだろう...

間もなく木々は萌え、緑が繁る。花も咲きだす。
食べるものが不自由しないのは、生きてるものにとってなによりありがたい。
春爛漫の舞鶴山公園では人間将棋が行われる。
カモシカたちは人間どもの賑やかな声を聞きながら、若葉を腹一杯食べ 生を謳歌するにちがいない。

90318-a.jpg

90318-b.jpg

90318-c.jpg

今朝の気温13度、雨


Kさんへ コメントですが、今日のこれでやってみてくださいな
  1. 2009/03/20(金) 06:50:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

啓翁桜

今野さんこんにちわ
今日の新潟は20度を越して暑いです。
以前に頂いた啓翁桜を挿し木したものが、4年目にして見事咲きました。
やさしい色とたたずまい、素敵です。まだ3分咲き程度ですが満開が楽しみです。
いち早くお知らせしたくてあまり良い写真ではありませんがとりあえず送りました。

♪おおたけ♪

keio.jpg

keio2.jpg

keio3.jpg

大竹さん
啓翁桜 4年目にして開花ですね
おめでとうございます

優しい色 やや小振りですが
ソメイヨシノともまた趣がちがっていいですねぇ

ありがとうを言わなければならないのは
こちらの方です
嬉しいですねぇ
             今野拝

午後6時40分の気温16度、晴のち曇
  1. 2009/03/19(木) 18:41:49|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

オウレン

90318-h.jpg

オウレン

今日(18日)のMさん(天童)のブログにオウレンがアップされていて素敵だった。
Mさんのホームグランドである舞鶴山の麓にある愛宕沼の東側に咲いてると説明があった。
自分の目で(見たいなぁ)と思った。

今日は小学校の卒業式で、出席すると言ってたが、叔父さんの初七日参りで寺に行かねばならず、小学校へはお祝いを持参し、断りを言った。
お寺参りを済ました後に、愛宕沼へ車を走らせる。路肩に駐車し、沼の東側の山道を登る。細いけれど登山道がついている。
なかなか急勾配で、息を切らしオウレンを探しながら登る。どのあたりに群生しているのか期待しながら進むが、なかなか見つからない。
とうとう舞鶴山の東側の峰に出る。けれどオウレンはとうとう見つけられない。

しかたない。諦めて山を降り、沼のすぐそばの道を南に向かって歩く。沼には鴨たちが春の陽を浴び、のんびりしている。
20mほど歩き、左手の山のやや上方に目をやると、うう そこにオウレンが咲いてる!
あぁ、なんたる見当違い! 沼東側の山道を登るのではなくて、沼東側の道沿いのやや高い所に群生していたのである。

天気も良くて、たくさんのオウレンをじっくり楽しむことができた。
さらにおまけ(儲けもの)さえついた。う~む、カモシカが近くまで寄ってきて(なにしに来たの?)と言いたげに見つめてる。
オウレンの撮影をやめ、カモシカを撮る。(カモシカは明日アップの予定)
Mさんに教えてもらい、楽しい思いが出来たと喜んでいる次第である。
Mさん、本当にありがとうございます!

90318-m.jpg

90318-g.jpg

90318-i.jpg

今朝の気温9度、晴
  1. 2009/03/19(木) 06:17:49|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

宗教研修

門徒会研修

16日「門徒会研修」というのに行った。
昨年、檀家寺の役員になった時に、そういう「会」があって 研修(年2回)と総会(協議)に出席するのだと言われ、気軽に頷いたものである。
ところが、会に行ってみて驚いた。門徒会員は、寺の門徒衆を代表するのだという。そこに集まった顔ぶれをみると、なんともまぁどっしりとした面々である。
午後1時半に「お勤め」ではじまり、会議(役員選任)や研修が終わったのが午後3時半をすぎていた。

会のはじめは、まず「お勤め」で、本尊に向かってお経を唱えるのであるが、僧侶のように教典もみないで本格的?にお経をあげるのに驚いた。
会に出席するのに教典・数珠。袈裟(肩掛け)を持参するのも知らないで、気軽な気分で行った(無知)のがまちがいだった。
さらに言えば、檀家寺に行くようになったのはつい最近のことであり、教典を見てでもお経を唱えるのは難しい状態だから、お経を諳んじて唱えることなど出来ない。

「門前の小僧習わぬ経を読む」と言われるが、生まれ育った実家は日蓮宗(法華経)で、それは毎朝聞いて育ったから今でもなんとか唱えられる。
しかし、結婚したのが28歳であり、「天童の家」では毎日お勤めをすることはない。真宗のお経を聴くのは葬式や法要のときだけである。
大まかに言えば、「ご門徒」といわれる真宗大谷派のセレモニーは簡単(簡素)である。面倒くさい儀礼が少ない。
そういう中で今日まで来てしまったから、「お勤め」などのやり方が身についていないのである。いまさらながら(困ったなぁ)と呟くしかない。

本番の研修は、『平安浄土経から鎌倉新仏教へ』がテーマで、テキストは「今昔物語集」・「拾遺往生伝」・「大日本国法華験記」・「平家物語」等からの抜粋文である。
「口称念仏と観想念仏」・「自力作善」・「来迎信仰」等々の聞き慣れない言葉が次々に出るのに閉口する。
講義というか、講話の内容はとても面白い。説話への興味がわいてくる。
しかし、極楽往生ということを昔の人々(現代の人々も)は、ほんとうに信じていたのだろうか?という思いを抱きながら耳を傾けたのだった。

正直言えば、まだ自分の家の宗教をよく理解していないのである。
いつまでもこのままでいるわけにもいかないだろうから、一度は真剣に親鸞聖人の説く真宗を勉強しなければなるまい。
「真宗の教えと宗門の歩み」という本をもらったので、てはじめに それを読んでみることにする。

90316-50.jpg

90316-60.jpg

90316-70.jpg

今朝の気温5度、晴
  1. 2009/03/18(水) 06:35:40|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

ソクラテスの如き


       エクセルで我の作りし雛形の解雇通知を押し頂きぬ      吹田市・小山安松
うう なんという皮肉... 苦い笑いが切ないなぁ

       「お宅の屋根危ないですよ」とリフォームを言い来し男前歯なかりけり 柳川市・山下雪江
(余計なお世話よぉ! それより自分の歯でも手入れしたら)と言いたいところだろう

       にしき鯉池に一匹残りしが雪の日鼬に狙われて果つ      広島市・末田洋香
命は、なにかを食しなければ維持できない。それは分かっているのだが...

       最終の授業を了へてゆっくりとやや湾曲の黒板を消す     船橋市・岩瀬孝雄
ずーっと以前、似たようなことを体験したような気がする。あれからもう8年経つなぁ

       つい文字が大きくなってしまったと夫のたまいし出生届    高槻市・有田里絵
幸せな4人家族のようすが目に浮かぶ

       まだ私を待っててくれる人がいる遠石一丁目バス停降りる   防府市・波多野桂子
自分を必要と思ってくれる人がいるのは嬉しいことである。控えめながらも桂子さんの弾むこころが感じられる。

       厭ひたる菜飯なりしに懐しや      愛知県・北出風光
       ソクラテスの如き土筆も摘みにけり  北九州市・伊藤信昭
       ふるさとの訛とびかふ野火最中     東京都・田治 紫
       ホームレスながら子猫を手離せず    東京都・松村登美子

                 短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(16日付)より

90316-10.jpg

90316-20.jpg

90316-30.jpg

90316-40.jpg

今朝の気温4度、雨
  1. 2009/03/17(火) 07:08:57|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

マンサク 他

春到来の証を並べよう

90315-20.jpg

90315-30.jpg

90315-40.jpg

90315-70.jpg

おまけのフクジュソウ

90315-c.jpg

午後4時45分の気温10度、曇
  1. 2009/03/16(月) 16:43:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

待望の春が

90315-d.jpg

90315-e.jpg

待望の春が

3月も早いもので半ばを暮らしたなぁ
いかにも季節のかわりめらしい天気で、名残雪が降り、激しい吹雪の日もあった。春の嵐が吹き荒れ、半月が経った。
春の足音は日毎に近づいてくるのが分かる。十数センチ降り積もった雪でさえ、日が照ればウソみたいに消え、黒い地肌が見える。
真冬の積雪とちがい、気温が高くなり、地が温まっているからである。

そうは言っても、吹く風はまだ冷たく、外出をしぶる気持ちが強い。春を告げるフクジュソウ、フキノトウは萌えたけれども日陰や山裾にはまだ残雪がみえる。
山のマンサクやイチゲが咲けば、(春が来た!)と出かけるのだが、それももう少し先のようである。
春は目前まできているのが分かるのだが、そこからこっちへなかなかすすまないのが焦れったい。

小学校の卒業式が18日である。案内があるので出席し祝意を表したいと思う。
民生委員総会が27日、天童温泉で行われる。そうした一連のセレモニー(通過儀式)を済ますと本格的な春到来となる。
待っていた春がやってくる。待ち遠しい気分が、日々の暮らしを豊に膨らませる。

毎日のきまりきった暮らしの他にも、16日午後1時30分から「門徒会研修」(漆山・廣善寺)があり、また同日午後7時から「公民館等利用団体打合せ会」がある。
20日午後1時半に「永代経」(徳正寺)があるし、21日はアルミ缶(回収)出荷作業が予定されてる。
22日午前11時から「児童クラブとの交流会」(泰光)があり、野暮用といっては済まされない用事が並んでる。

そうした日々を暮らし、3月もアッと思う間にすぎるのだろう。
うん、待ち望んだ春は、もうすぐである。

90315-f.jpg

90315-g.jpg

90315-h.jpg

今朝の気温4度、晴
  1. 2009/03/16(月) 06:47:57|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

生きて

90313-10.jpg

90313-20.jpg

生きて

母の弟は、77歳で亡くなった。自分は69歳だから、8年の差である。ほとんど同世代のように思える。
身近に接してきた人が死ぬ、それも自分とそんなにちがわない年齢の人であるとなおさら命のありようというか、死(生命)のことを考えてしまう。
考えるというより、感じてしまう。
命は、それなりに分かるような気がするけれど、死については漠然として分からない。だが、身近なもの(こと)として感じる。

怖いとか、そういう恐怖感ではない。もっと漠然としたものだが、感じる。
「なにを?」と問われても、はっきりこういうものと説明できないが、感じるのである。
これまでは、そういう感じはなかった。死というのを理解してたけれど(本当に理解してたかどうか不確かだけど)、死を感じることはなかった。
もちろん今でも、はっきりと感じてるわけではない。だが、漠然と感じる。

理解することと、感じることとの間には大きな差というか、ちがいがある。
理解するとは、頭(観念)でわかることで、そこには差し迫った実感がない。命あるものは、いつかは死ぬと理解しているが、それが自身の問題とはストレートに結びつかない。
自分もいつかは死ぬのだと理解しているけれど、まだずーっと先のことであり、死を感じることはない。

ところが、70歳を目前にして、身近な人たちの死をみるにつけ、(あぁ、死ってこういうことなのだなぁ)との思いが観念と共に実感されるようになる。
今のところ、切迫した感じがないけれど、やがては切迫感も加わるのだろうか?
もし、そうだとすれば怖いというか、辛いだろうなぁと考えるけれど、そうした切迫感が必ずしもあるわけでもないとも思える(思いたい)。

今は、死を考えるより、命を感じていたいと思う。死が怖いとかいうのではなくて(もしかしたらそうなのかも知れないが)、生きていることの素晴らしさを強く感じるから、その感じを素直に実感(味わい)したい。
「ママ、生きているからこそだね」という言葉が気張らずに出る。
「今がいちばん幸せ」妻のことばに素直に頷ける。
死ぬまで生きる、のではなく、生きて、生き抜いた後に死があるのだと思いたい、そう自分に言い聞かせてるこの頃である。

叔父さんの葬送があって、うう なんとなく死(生命)に思いがいくのはしかたないだろう
夕べから今朝にかけ、また雪が舞う。屋根や地がうっすらと白い。
昨日の葬儀中は吹雪もようだった...

90313-30.jpg

90313-40.jpg

今朝の気温3度、晴
  1. 2009/03/15(日) 07:05:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

骨をひろう


骨については、昨年11月に伯父さんのそれを書いたことがある。
今日また叔父さんの骨をひろいながら、同じような感じをもった。

台車に乗ったそれは、いかにも清々しい白さで横たわってた。
これまで見たこともないほどにしっかりした骨で、頭蓋骨が丸いままであったし、四肢(上肢・下肢)骨も崩れることなく、まるで骨格標本でも見るような姿であった。
あまりにも確かな骨格なので、肉親にはすこし辛かったかも知れない。

釜に入る前の遺体は、いくら整えたり、また花で飾ったりしてもどこか汚れた感じがあるものだ。
だが、釜から出てきたお骨には、そのような汚点めいたものはどこにも感じられない。
繰り返して書くが、清々しく白い。
(あぁ、この骨格が内臓を守り、肉体をしっかりと形作って、自由自在に動き回っていたのだなぁ)と納得する。

筋肉も血管も神経もなにもかも削ぎ落とした骨は、曖昧さがなく、それだけに一層存在感があった。
偉丈夫というほどの人ではなかったけれど、硬い骨は崩れず、骨箱にすんなり収まりきらないほどの嵩があった。

午後6時15分の気温1度、雪舞う
  1. 2009/03/14(土) 18:15:19|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

葬 式

続けて二人

母の姉の夫(伯父さん)が亡くなったのは、昨年11月18日である。
「天童の家」では当時「伯父さんの死」として書いた。その最後は、次のよう文章だった。
   今朝、里にみぞれが降った。里山は雪で白くなっている。
   降るべくして降った雪だなぁ
あの日が、冬のはじまりの雪降りとなった。

母の弟(叔父さん)が亡くなったのは、3月12日で 久しぶりの雪になった。
(おくり雪だなぁ)と思った。
「おくり雪」という言葉はない。「おくりびと」という映画がアカデミー賞をもらった。それからの連想である。

冬のはじめと、冬のおわりに、叔父さん二人が逝ってしまった。私にとっては、なんか連続しているような感じがする。
4ヶ月の時間があるのだが、それでも続けて亡くなったような思いが強い。
今日が葬式である。朝からしとしとと雨音がつづいてる。

朝ご飯を早めに済まし、妻と二人ででかける。
  1. 2009/03/14(土) 07:11:38|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

権力を行使するからは


『私の視点』(朝日新聞)を読んだ。以下は、12日に載った全文の転載である。

   違法献金事件 検察には説明責任がある ジェラルド・カーティス 米コロンビア大教授(日本政治)

 今回の東京地検特捜部による小沢一郎・民主党代表の公設第一秘書の逮捕と事態の展開には、解せないことがある。逮捕から1週間余りたつのに、検察当局は強制捜査に踏み切った理由などについて、国民に対して公式の説明をしていない。これは一体どうしたことか。
 私は、公共事業に絡む建設業界と政治家の腐敗構造がなくなっていない事実を軽視するつもりはない。また、検察が不正献金の問題を追及するのも当然のことである。
 しかし、この事件は普通の政治スキャンダルとは質的に違う。数ヶ月以内には総選挙が行われ、政権交代が取りざたされている。その微妙な時期に、「政治資金規正法違反」という形式犯で、次期首相になる可能性がある人物の公設秘書をいきなり逮捕するとは、極めて異例である。だからこそ、検察の説明責任が問われるのだ。
 
 検察が自民党のために動いたとの憶測が出たり、民主党から「国策捜査」の非難が飛び出したりした。検察当局は沈黙を守るが、マスコミは「関係者によると」などの形で様々な情報を流している。公共事業をめぐる「あっせん利得」の疑いがあるとか、事件はさらに二階経済産業相に飛び火するとかいう報道が事実のように語られ、当局のリークなどによる巧妙な情報操作への疑念も生じさせている。
 検察当局は、逮捕した秘書の拘留期限が来る3月24日に記者会見し、起訴か否かも含めて事情説明すると見られている。だがこの間、逮捕されただけでも世間的には「有罪」の印象を持たれ、次期首相の最有力候補の政治生命も奪いかねない。
 私は、小沢氏の肩を持ったり、特定の政党の側に立ったりするものではない。検察が政治的に動いているとか、検察のやっていることが怪しいとか言うつもりもない。

 しかし、総選挙を前にして、動き出した検察が沈黙し、公の場で説明しないということは、国民の間の政治不信ばかりか、国家権力に対する不信感を深めることになりかねない。この危険の重大性こそを、検察は認識すべきである。
 なぜ、検察の説明責任を求める声がもっと強く出てこないのだろうか。朝日新聞は3月10日、「民主党、この不信にどう答える」と題した社説を掲げたが、どうして「検察、この不信にどう答える」と問いかけないのか。マスコミは検察側が不機嫌になるような報道を自己規制して控えているからか。

 検察当局は、現時点ではまだ捜査中なので、すべてを明らかにすることはできないという立場なのだろう。だがそうであれ、記者会見をして説明できることは説明し、話せないことは話せないと言えばいい。肝心なのは、国家権力を行使する機関の姿が国民に見えることだ。
 国家権力があくまでも公平・公正に使われていると国民が信じられることが、民主主義の絶対条件である。いま日本では政治家もマスコミも、さらに国民一般も、この問題にあまりにも鈍感になっていないか。
 
 今回の事件は一人の野党リーダーの問題だけではない。党利党略ばかりを考えず、法治国家としてのプロセスの正当性を守る意味においても、麻生首相をはじめ与野党の政治家たちは、検察の責任が公の場に出てきて国民に説明責任を果たすよう求めるべきだ、と私は思う。


筆者が言うように、われわれは逮捕されれば、即 有罪との印象を強くもってしまう。その結果が世論調査に反映され「党首はやめるべき」と出る。
「政治資金規正法違反」という形式犯で、いきなり逮捕するとは極めて異例だとすれば、やはりなぜそうしなければならなかったのかとの説明があるべきだろう。
総選挙を目前に控えてるこの時期だから、検察は逮捕しなければならない理由を国民に納得いくかたちでやらねば、公平・公正さが疑われてもしかたない。

長期的スパンでみれば、検察がやった今回の正当性の可否はいずれ明らかになる。が、今はその時を待っていられない微妙な時期である。
ぜひ国家権力者たる検察の説明を聞きたいと切望する。

*
法相、捜査の説明「必要ない」 巨額献金事件で
2009年3月13日 13時38分 KYODO NEWS
 森法相は13日午前の記者会見で、民主党内に小沢代表の公設秘書逮捕で東京地検特捜部に説明を求める意見があることについて、今後の捜査に重大な支障が出る可能性があるとして説明の必要はないとの認識を示した。
森法相は「捜査で判明した事実を公判以外の場で公にした場合、その後の捜査や公判に重大な支障が生ずる恐れがある。要望に応じての説明の必要はないと考える」と述べた。

90313-a.jpg

90313-z.jpg

今朝の気温13度、雨
  1. 2009/03/14(土) 06:27:21|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

ホッケを焙る


       世の中にうまい話があるわけないさ夕ぐれホッケを焙る    千葉市・田口英三
うん、うまい話はそうそう簡単に転がっていないけれど...
あぶらをじゅーっとしたたらせながら焼いた焙りたてのホッケはそれなりに美味しいものである。
ん? はぁ、歌のそれとミスマッチな感想だなぁ(ごめんなさい)

       二百個の八朔をもぎ剪定も寒肥も終えて夜は雨となる     日置市・切手清夫
収穫作業後の満足感が、慈雨の音とともにこころにひろがる。似たような自分の感慨を思い出す。農業をやってよかったなぁと思える時...

       退院を出迎えくれし梅の花生まれたての子のくちびるに似て  高槻市・有田里絵
有田さん 第二子お誕生おめでとう 

       ホームレス歌人の記事を他人事のやうに読めども涙零しぬ ホームレス・公田耕一
住所がない公田さんに、投稿謝礼も応援の声も届けることができないという記事が、2月16日付け新聞に載った。それを読んだ(詠んだ)公田さんの歌。
永田選者が三席に、佐佐木選者が一席の共選歌。

       胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のやうな一室にいる   ホームレス・公田耕一
横浜市寿町のドヤ街にいるらしいが...
はがきには「皆様の御厚意本当に、ありがたく思います。が、連絡をとる勇気は、今の私には、ありません。誠にすみません。」と添え書きがあった、という。
以下は選外の歌
       後ろから呼びかけられた嬉しさに先週来の風邪も和らぐ  ホームレス・公田耕一
       名も知らぬブラジル人のその後を想ひて今朝の寒さに耐へる
       体調を崩しこのまま寝込みたき日でも六時に起きねばならぬ
       我が上は語らぬ汝の上訊かぬ梅の香に充つ夜の公園
                  上4首は、朝日新聞(9日付)記事より

       耳鳴りは超能力と思ふ春     熊谷市・時田幻椏
  金子先生の3席に御取り頂いた。「充分実感、何かしら自信も充分。」と句評が添えられていた。
  最近、耳鳴りが酷く往生している。ならば肯定的にと、この1句に成ったのだが・・・、真に超能力の欲しい毎日である。
上のそれは、時田さんご本人のブログから転載。

       月詣で掌にもあふるる蕗の薹   東京都・岩崎玲子
       一日を春の吹雪の大暴れ     札幌市・岩本京子
11日は、朝から雪降りとなり、時には真冬なみの吹雪になった。せっかく咲いたフクジュソウも雪の下になってしまう。
けれど、いくら大暴れした吹雪でも、止んでしまえば春だもの... 華やか?とも言える吹雪に見えるから可笑しい。

                  短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(9日付)より

90310-50.jpg

90310-60.jpg

90310-70.jpg

今朝の気温0度、晴
  1. 2009/03/13(金) 07:00:20|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

3月の雪

今朝、叔父さんが亡くなった
あの雪は、「おくり雪」だったのかなぁ...
顔出し(悔やみ)に行く前に、今朝の景色(家の周り風景)を撮った

90312-10.jpg

90312-20.jpg

90312-30.jpg

90312-40.jpg

午後3時の気温4度、晴
  1. 2009/03/12(木) 15:04:26|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4

おくり雪

春の雪が

朝から降り出した雪が、途中で吹雪になり、今は静に降ってる。そのようすをこころ穏やか眺めてる。
吹雪いてたときは勢いがあったけれど、いまのそれには少しも力が感じられない。
(あぁ、春の名残雪だなぁ)

「食べたくないと」母の朝食を茶の間に運んだ妻が、お膳を持ったまま戻って言う。
「どこか具合わるいのかな?」問いかけに
「先ほど電話があって今日か明日かのようだって」妻は、母の弟の状態を説明する。

母は、7人兄弟の下から二番目である。すぐ下の弟が入退院を繰り返していたが、先日また入院し、昨日見舞いに行った。
肺炎になり、人工呼吸器をつけているという。
(あぁ、そのせいで食欲がないのだなぁ)
7人のうち4人が他界してる。3人のうちの一人がいまわの際にあるといえば、食欲がなくなるのも理解できる。

母は、誕生日がくれば 84歳になる。
入院しなければならないような病気ではないけれど、気分不良は日常で、通院も頻繁である。
そのような時に、「今日か明日か」というような弟がいれば、気分は滅入り、食欲不振になるのはしかたない。

70歳を目前にし、老いて考える「命」は、やはり切実感を覚える。
「ばあさん(母)がまた病院に行くので、なにか電話があったらパパ お願いね」要件次第ではすぐ病院に行って欲しいとの妻の言葉に頷く。
これまでもそうしてきたし、そういう役目はいやだというわけにはいかない。

いつ電話がかかるか、家を不在にすることはできない。
雪が、断続的に降り続く。真冬のような降り方ではあるけれど、圧迫感はない。どうみても春の名残雪である。
降れ、もっと降るがいい。もう少しも驚きはしない。

*
「パパ、見舞いにね 何時頃病院へ行く?」
「なるべく早く行こう。朝ご飯終わったら...」
起床しながらそんな会話中に電話が入る。

「今朝早くに亡くなって、家に連れ帰ったそうよ」妻が言う。
「うう おくり雪だったなぁ...」

90310-10.jpg

90310-20.jpg

90310-30.jpg

今朝の気温0度、晴
  1. 2009/03/12(木) 06:52:52|
  2. 未分類|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2