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2月を暮らす

2月終わる

今日で2月が終わる。毎年のことであるが、2月は(終わるのが早いなぁ)と感じる。実質 2日も短いのだから当然かも知れない。
働いてたときは、月給もらう際に 得した気分がしたものだが、現在は逆になにか損したような気分だから可笑しい。
3月は春の月だから、(あぁ、とうとう今年の冬も終わったなぁ)とホッとする。

今年の冬は、少雪・暖冬で、報道によれば記録的にも2番目とか3番目だというから、過去にもこのような冬が1・2度あったのだなぁ
今年のそれを、即 地球温暖化と決めつけることは当たらないのかも知れない。地球規模で言えば豪雪や低温で困っている国もあるという。
それにしても、今年の冬は暮らしやすかった。雪掻きの回数が極端に少なくて済んだし、屋根の雪下ろしは1度もやらなかった。
また雪で運転が困ったということもなかった。
屋外で働く人々には、助かった冬だったろう。

例年の2月なら、白鳥が楽しめる時なのだが、今年はどうしたことかそれが叶わなかった。いつもやってくる白鳥たちはいったいどこへ行ってしまったのかなぁ
白鳥たちの飛翔する姿を見られなかったが、なんとも寂しいというか、ものたりなさを覚えるが、しかたない。
それでも2月をふり返れば、それなりに充実した、納得できる暮らしができたという気がする。

やってくる春が 例年より早いというから、さくらんぼ剪定をできるだけ早めに済まさなければならないだろう。
春到来のことを思うとこころが弾む。いくら暖冬・少雪だったとはいえ雪国の冬は閉塞感が伴うものである。
2009年も2月を暮らしたが、いよいよこれから活動的な世界が広がると考えると嬉しくなる。

雪が消え、若草が萌え出るのは間もなくで、福寿草が開き、梅の花咲けば、春は百花繚乱となり、桃源郷が出現する。
イチリンソウ、シュンランが春風に揺れ、やがて桜が爛漫と咲く。

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今朝の気温-1度、晴
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  1. 2009/02/28(土) 07:02:31|
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学習障害の偉人たち


クローズアップ現代(NHK7:30pm)をほとんど毎日みる。
2月8日(火)は、「どう支える“学習障害”の子供たち」がテーマで、興味深くみた。以下はその番組の説明(リードないしは惹句)である。

 普通に生活できるのに、読み書きだけできない、計算だけできないという学習障害(LD)児。
 こうした子供たちは、外見では障害が見えないため、本人も親も「なぜ特定の勉強ができないのか」悩み、孤立してしまう。
 いじめや不登校といった深刻なケースに至る場合も少なくない。
 こうした児童を支援するため、昨年12月の臨時国会では、「発達障害者支援法」が成立し、ようやく早期支援の体制作りなどが始まった。
 学習障害児を取り巻く現状や、国のモデル事業に選ばれた学校の取り組みを描きながら、支援への模索を見つめる。

2日に、民生委員たちが授業参観し、学校と懇談会をもったことはすでに書いた。
学習障害は、発達障害(小中学生の6.3%)のひとつの現れで、(同4.5%)にみられるというから、身近にいるのである。
2年前、該当する子のいる教室の授業を見て、驚いたのを忘れられない。
学校側もいろいろ研修を重ね、対応策を講じているのが分かり、(たいへんだなぁ)と思った。今年の懇談会も、時間の多くを学習障害について話し合った。

今、書こうとしているのは、学習障害や発達障害についてではない。子どもの頃 発達障害ではなかったかと思われる偉人についてである。
「病跡学」とよばれる分野の学問がある。その子どもバージョンを書こう(転載)と思う。
病跡学は、精神医学の一分野で、歴史的に著名な人物の精神医学的研究をおこなう学問。パトグラフィー(Pathographie)とも呼ぶ。(Wikipediaより)

発明王とよばれるエジソン
彼は、小学校時代 先生の言うことを聞かずにいたずらばかりしていた。教室では「なぜ?」「どうして?」と質問ばかりして、授業を進ませない。
先生に「君の頭はくさっている」と言われたのをきっかけに、不登校となり、実験ばかりするようになった。
エジソンの書いた手紙は、つづりの間違いが多く、LD(学習障害)だと思われる。

アインシュタインは、難解な相対性理論を確立した人だが、3歳までまったく喋れなかった。話せるようになってからも、友だちと遊べず、運動も苦手だった。
学校の成績も数学だけが群を抜いてよく、ほかのはさっぱりで、特に語学が苦手で、大学も試験のない大学を選んだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
イタリアルネサンス期の巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチもLDだった。彼はメモ魔で、何万ページにも及ぶ膨大なノートを残していて、その多くが右から左に書かれた鏡文字。
鏡文字は LDの特徴の一つで、彼はそれだけでなく、無口で弁論が苦手、読みにも困難があり、暗算も弱かったという。その弱点をカバーするために、絶えずメモをとったと...

エジソン・アインシュタイン・レオナルド・ダ・ヴィンチについてのそれは、上野一彦(東京学芸大学教授)著「LD 学習障害」 ナツメ社 から転載

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今朝の気温0度、曇
  1. 2009/02/27(金) 07:30:30|
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あたためて待つ

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あたためて待つ

       大寒の朝に逝きたる人ありて霊安室をあたためて待つ      八戸市・山村陽一
『おくりびと』がアカデミー賞に輝いた。タイトルの英語名「デパーチャーズ」とは『旅発ち』だそうな... 
「日本人の繊細なもてなし方を感じ、非常に心が癒される映画だ。世の中いろんな大変なことが起きているけれど、そういうシンプルな感情やメッセージは伝わると思うから自信を持ってほしい」主演の本木雅弘さんの言葉が印象的。
なお、この映画は山形県庄内地方を舞台にしており、酒田市役所では大看板を掲げて受賞を喜んでいる。

       おかあさんちゃわんについたごはんつぶあつまれしてよもったいないから 匝瑳市・いしはらゆうご
石原悠吾さんは4歳だそうな 「もったいない」という言葉(こころ)が嬉しいなぁ

       綿雪の降り静かにて思ふなり何ごともなきさいはひとふもの   仙台市・坂本捷子
若いときは、決して「何ごともなきさいはひ」などとは思えなかったけれど、70を目前にしてようやくその幸せが実感できるようになった。
ただ存在していることが幸せとは面白いものだなぁとしみじみ思う。

       お互いに大事な人と言いながら今日も飽きずにケンカしている  広島市・富松義典
っふふ 似たような夫婦がいるものだなぁ 

       ふり積もる雪の重みに耐えいるは過疎集落の人住まぬ家     群馬県・眞庭義夫
耐えてるのは家ではなくて、眞庭さん自身だろう。似たような情景に接し、同じような感慨をもったことがある。

       茹で立てのブロッコリーの柔らかさ春が確かに近づく予感    飯塚市・甲斐みどり

       カーテンを翻しああ春が来た      福岡市・田上悌三
       あな嬉し冬将軍のお立ちかな      松山市・亀田イチヱ
       新幹線蜷には蜷の道のあり      大牟田市・石橋武子

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(23日付)より

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今朝の気温2度、靄
  1. 2009/02/26(木) 06:43:24|
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深掘温泉3

温泉小旅行時に撮ったのがまだ残ってる。
あまり時が経てばおかしいのでアップする。

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宿の4階からぱちり

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雨降りで、なんだか春先のような景色になってきてる。あと4日たてば3月だものなぁ
  1. 2009/02/25(水) 13:40:46|
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深掘温泉を楽しむ

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深掘温泉を楽しむ

蘭展を楽しんだ後、寒河江市から河北町谷地へ向かう。最上川を見たい(撮りたい)ためである。
最上川は、山形の母なる川である。山形では今、ちょっとした話題になっている。少し前から、最上川を世界遺産に登録する取り組みがある。
ところが、知事が替わって「見直し」が行われ、その扱いが議論され賑やかなのだ。平泉の中尊寺でさえすんなり通らないのだから...という悲観論が目立つ。
登録への取り組みには、かなりの予算が組まれる。はたしてそれだけの金を使って登録すべきなのか。もっとちがった形で最上川を捉えるべきではないか等の議論が強い。

山は月山、川は最上川。県民の象徴であり、誇りに思えるものがあるのは嬉しい。
最上川は、山形盆地を潤す。そうした実用だけでない風致というか、そこにあるだけで、それを眺めるだけでこころが潤いを感じる。
最上川船下りの三難所の一つである「碁点」を見る。
そこから次ぎに「真下慶治記念美術館」へ。ここはすでに来たことあるが、「最上川の四季 冬」を展示中なのでそれを鑑賞する。
最上川は、真下慶治のライフワークだっただけに、安心して楽しむことができた。

大石田「深掘温泉」は、最上川のほとりにある。大石田は豪雪地帯である。が、今年はここも雪が多くない。といっても、「天童の家」あたりよりはずーっと雪深い。
午後2時半に温泉に到着。早いが入館し、さっそく風呂を楽しむ。
「深掘温泉」は、開湯15周年という。そんなになるのかと驚くが、考えてみればもっと長い歴史のある温泉場が多い。それと比較すれば、とても新しい湯と言える。

宿は、1軒しかない。豪雪の中にあるそれがなんともいい。
田圃の向こうにある集落の灯が、とても情緒ある。三脚を立て撮ろうかと思ったが、窓を開ければ寒いし、硝子越しと考えたが(硝子に金網が入ってて)ダメだった。
ふむむ、欲張ってもしかたない。この目で楽しめばいいことだ。

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今朝の気温3度、曇
  1. 2009/02/25(水) 06:44:43|
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ラン ラン ラン 2

ランの画像がいっぱいあるので、並べる
月並み写真ばかりだが、なにせ花の少ないときなので...

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午前10時40分の気温-2度、雲多いが日がさしてる
  1. 2009/02/24(火) 10:43:44|
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ラン ラン ラン

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最上蘭園 09

深掘温泉へは午後3時まで行けばいいので、「天童の家」を出たのが午前10時。
まず最上蘭園へ向かう。蘭園は寒河江市にある。曇りのち雨の予報とはちがって青空。陽がさしてるのが嬉しい。
ハウスになってる蘭園内では 三脚が使えないから、できれば太陽が欲しい。少しでも明るいと助かる。

蘭展は、今年が第8回。2年前にはじめて行った時に名前と住所を記帳した。昨年に続いて今年も案内のはがきが届いた。
園主は、宇井清太氏。蘭栽培に情熱を傾け47年になるという。会期は2月21日~6月6日までで、入場無料である。
1000坪の蘭園に、年 10万人が訪れるという。観光バスまでやってくるから凄い。氏は、私と同年である。

蘭の切り花、肥料、本、写真等を販売している。妻は切り花を二束(1450円)を買った。
三脚が使えないが、手持ちで撮るのは自由である。
妻が「これきれい!」というのを全部撮った。しかし使えるのはわずかしかない。やはり光がもっとほしいのだがやむを得ない。
たくさん撮ったので(見られるかぁ)と思うのを並べることにする。

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/02/24(火) 07:16:29|
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深掘温泉

22日に大石田町 深掘温泉に行った。
帰って、とりあえず今日のページをアップする。
小旅行については明日 報告の予定

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深掘温泉へ

屋敷内の梅や柿の剪定をしたことは先に書いた。
さて次はいよいよさくらんぼをやろうとしていた矢先に雪が降った。2月の半ばだもの降雪があっても不思議ではない。
剪定は、樹液が動きはじめる前までに済ませばいいのだから、まだまだ時間がある。

断続的に降る雪の合間に散歩したり、写真を撮ったりする。それ以外には もっぱら読書三昧で、なんともいいものだ。
仙台の友が貸してくれた『壺 霊』(上下)内田康夫著 角川書店 をのんびりと楽しんでいる。
温かい室内で読む推理小説、いつの間にか眠っているから可笑しい。

『白川 静』漢字の世界観 松岡正剛著 平凡社新書 を楽しみにしている。白川 静 評伝というか、入門書である。
毎日気侭に散歩したり、本を読んだりしてたが、さていよいよ温泉小旅行で、大石田町「深掘」へ出かける。
う~む、久しぶりの温泉行である。真冬に、豪雪地帯である大石田町の温泉。

22日、まず寒河江の最上蘭園に行く。「深掘」へは午後ゆっくり着けばいい。それまでにぶらぶら寄り道をする。いつものことである。
蘭園は22日が開園初日で、案内状をもらったので行った。


温泉から帰ってきた。
蘭園や温泉の報告は明日ということで、とりあえず今日のページをアップする。

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午後3時40分の気温3度、雲多いが日が照ってる
  1. 2009/02/23(月) 15:44:49|
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りんごの香り

「パパ、ほら 香りが立ってきたのが分かるでしょ」昼食後の茶を飲んでる時に妻がいう。
「ん? レモンの香り?」
「りんごの... こんなに香るのにパパには分からない?」
「匂わないんだ。鼻がダメになってる」

この会話の少し前のこと
妻は りんごの皮を剥いて、大きな鍋に入れてる。それがいかにも旨そうだったので、手を伸ばして食べる。
「あぁ、もっと美味いのを剥いたのにぃ、旨いのとそうでないのがあるのが剥いてると分かるんだ」妻の言葉を聞き、先に剥いたりんごを取り出そうと鍋を持ち上げ振り返す。
「パパッ! 動かしてダメ! 一つ一つ隙間なく積んで置いたのだから、そんなことしたら隙間が出て、鍋の蓋ができなくなる。鍋底にはちゃんと砂糖も敷いてるんだから」

妻は、皮剥き・鍋に入れる段階から手順を考えてやっている。それを知らない私は、旨いりんごを取り出そうと積み重ねた鍋のりんごを崩してしまい、怒られてしまう。
「はぁ、申し訳ないことをしてしまったなぁ、ママにはどのようにお詫びしたらいいのか、お詫びのしようもありません。いかようにしたらお許しくださいますでしょうか」
私が畏まって言うのを妻が可笑しがってゲラゲラと大口開いて笑うから、私も一緒になって馬鹿笑いをする。
誰も見ていないからいいものの、他人が聞いてたら、きっと(おかしな夫婦だなぁ)と軽蔑されるにちがいない。

昨年はリンゴが豊作で、農家は豊作貧乏だった。そんなわけでたくさんのりんごをもらった。生食やジュースで味わったが、妻得意の料理は、りんご煮である。
味が少々よくなくても、砂糖とレモンを加えて煮たりんごはどんな菓子よりも美味しい。食後のお茶うけによくあう。
石油ストーブに大鍋をかけてゆっくりと煮る。冒頭の会話はそんな時のものである。

「鼻だけでなくて、歯も耳も目もいかれてしまったなぁ。頭も体もぜんぶガタガタ。なにもかもダメになってる」私の嘆き節がでる。
「パパ、なにもそんなふうに言わなくても... あのね、ダメな部分じゃなくてさぁ いいところだってあるんだから、そのいいとこを言えば気持ちもよくなる気がするんだけど」
「いいところ? そんなのあるかなぁ」
「パパは優しいでしょ、優しいってとてもいいことだと思うんだけ。頼りになるパパだし、さがせばいっぱいあると思うんだけど」
「ふ~む、ママに言われると、なんだかそんな気になってくるから可笑しいね」
「おかしいことない。泣いても一生、笑っても一生っていうじゃない。ダメと思うより、まだまだ出来る、ダイジョウブと思った方が気持ちいいでしょ」

「さようでこざいますですねぇ ママさんのおっしゃるとおりでございます。これからはそう思うようにいたしますので、どうぞよろしくおつきあい下さい」
「パパ、あまりおちょくらないで!」
「あぁ、またご立腹の段、ご容赦くださいますよう。以後肝にめいじて気をつけますです」
妻は、呆れたような顔で私を睨めると、またぷーっと吹き出し笑いをはじめる。もちろん私もまた大声で笑ってしまう。
な、なんともおかしな夫婦だなぁ

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追加画像

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カメラを向けた時には、こんな威嚇表情。でも、危害なしがわかると穏やかに...

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十数頭が群れて食事中のよう。山寺(五大堂)で撮る

今朝の気温-5度、晴
  1. 2009/02/22(日) 07:11:15|
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冬の山寺 2

不満な画像なのだが... 
山寺の冬景色を並べる

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根本中堂 

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奥の院への登り口

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奥の院手前の仁王門

12時半の気温-2度、先ほどまで吹雪いてたが、今は日がさして青空が見える
  1. 2009/02/21(土) 12:36:25|
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冬の川

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冬の川

       この朝零下九度の久慈川に生れたる氷河のきらめきやまず      鶴岡市・大沼二三枝
氷河(しが)とフリガナされてるが、天童辺りでは(すが)と言っている。そう あの童謡(どじょっこ・ふなっこ)「天井っこ張ったと思うべなぁ」もそうである。
それはどちらでもいいのだが... 澄んだ水面に急速に張った氷は、大きな枝状のそれを伸ばし、きれいだ。まして陽が当たればキラキラと輝き美しさを増す。

       冬の川意外に浅し石の彩小さき魚影も橋より見ゆる         高松市・沖津秀美
意外さが分かるなぁ そういう風に感じる冬の川。澄んだ川がそういう感じを与えるのだろう。陽が弾け、いっそう鮮やかな彩りが見られるのが嬉しい。

       一月の雪のあがれば競ふかに葡萄畑に人声のせり          長野県・沓掛喜久男
よくわかる歌である。が、こちらでは姿見えるけれどなぜか人声はない。それぞれが黙々と作業している。

       束の間の雪の晴れ間に作業する我もからすも食わねばならん     石川県・吉川明彦
吉川さんの句もよくわかる。でも、天童辺りでの作業姿は無言ではあるけれど、必死さは感じられない。むしろ、労働を楽しむ雰囲気さえ感じられる。

       労農を偲ぶかんじき掛けておく    札幌市・岩本京子
       竹馬の足芸に音ありにけり      八代市・山下接穂

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(16日付)より

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今朝の気温-2度、雪
  1. 2009/02/21(土) 07:12:24|
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冬の山寺

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冬の山寺

「ここの美しさを知るには、やはり4回乗ってください」最上川船下りをしたとき、船頭が言った。
春夏秋冬にそれぞれの美しさがあるということだった。それはどこでも同じだろう。
近くに、交際観光地?である宝珠山立石寺(通称 山寺)があるので、そのことは山寺にも通じる。

四季がはっきりしている日本では、その季節の旬があり、その季節にあった旬の風光がいちばん美しい。
旬といえば、通常は野菜や果物などを指すが、それだけでなく季節にもいえると思っている。
暦で春といえば、3・4・5月だろうが、その内でもさくらの旬があり、景色でもいちばん春らしい旬の景色がある。

冬景色にもいちばん旬のそれがあると思う。もちろんそれは一つだけではない。
初雪ひとつにも旬の時がある。初雪が舞った翌朝の風景は絵になる。珍しさも加わってるかもしれない。それも旬の一つの条件だろう。
降り積もった雪が、いかにも雪国を表す時(情景)がある。そういうその時季にかぎりなく美しく感じられるそれこそ旬の風光となる。

山寺といえば、人はあの俳句を思い浮かべる。
       閑かさや岩にしみ入る蝉の声  芭 蕉
やはり山寺は夏か... 夏もいいなぁ
でも、山寺が観光客で賑わうのは、さくらんぼの6月と 紅葉時である。初夏の、また秋の山寺もたしかにいい! 
だが、冬の山寺がまた捨てがたい。というよりも山寺がいちばん美しく見えるのは、冬だろう。

杉の大木に降り積もった雪の下、長い石段をひとつひとつ上ってく。風が杉に積もった雪をはらはらと吹き飛ばす。
舞った雪がきらきら輝きながら汗ばんだ顔にふりかかる。雪国だからこそ見られる(味わえる)風景がこころにしみる。
汚れたものを隠す雪、清らかな石段を滑らないように上り下りする。その行為すらこころを浄化するような気がする。

冬に山寺を訪れる人は、多くない。
それがまた静かな山寺を楽しめる。
石段の除雪をするお坊さん。長い階段を上る郵便配達人。挨拶を交わしながら参詣者が道を譲り合い、冬の山寺を楽しむ。
雪国の山寺、旬の姿が美しい。

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今朝の気温-1度、雪
  1. 2009/02/20(金) 07:08:37|
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冬には雪が

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冬には雪が

暖冬・少雪ということで、なんとも落ち着かない毎日だったが、16日からの降雪が断続的に続いている。
今週いっぱいこんな冬型が続き、来週からまた晴れとの気象情報である。
暦的にいえば、まだまだ真冬なのだから 降雪はあたりまえで、(また雪かぁ)という気分は少しもない。

   Re: 雪 阿蘇望亭 - 2009/02/17(Tue) 20:20
    こんのさん
   先ほどニュースを見ていたら、積雪量0になっていた山形市で、今日は30cmを記録したんだとか!
   今どき積雪量0の山形なんて珍しいようですね。久しぶりの雪掻きに安心感も?(^。^)?

2月17日に降った30cmの積雪がニュースになるということが、そもそもおかしなことであろう(おかしいからニュースになるわけだが)。
雪国に暮らしていて、この時季に積雪がないのは、繰り返しになるがほんとうに落ち着かないことである。
17日に、久しぶりに雪掻きをして (あぁ、やれやれやっと冬の気分だなぁ)と妙に安堵した。

豪雪時なら、「今週いっぱい降雪が続く」の予報には(まったく厄介な雪だなぁ)と切に思うのが通常だが、今年はいっこうにそう思わないから可笑しい。
雪国で30cmの積雪といっても、たいした雪とは思わない。その雪を眺めながら、しみじみと落ち着きを覚えるのだから、やはり根っからの雪国人である。
今週いっぱい降ったとて、来週からまた晴れるというのだから(もう少し降ってくれたらいい)という気分もどこかにある。

果てしなく降り続く雪は、たしかに恐ろしい。だが、来週から晴れということは、22日からということで、その頃には先が見えてる。
寒さは続いても、降雪の峠は越えている。2月最終の週を迎えるのだから、もういくら降っても怖くない。
3月に入れば、雪はもちろん降るが、気温も徐々に高くなって、雪融けがはじまる。3月のドカ雪はもう恐れることはない。

2月下旬から3月になれば、山の天気も落ち着いてくる。積雪も堅雪になってかんじきなしでも抜からないで歩ける。
そうなったら、山は無雪季よりも歩きやすくなる。それでいて雪山の楽しみが味わえるから、また蔵王へ行きたい。
雄大な雪山を歩き、遙かな鳥海山や朝日連峰や飯豊・吾妻の山々が輝くのを楽しみたい。

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今朝の気温-2度、小雪
  1. 2009/02/19(木) 07:18:52|
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題名と見出し 2

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題名と見出し 2

昨日の文の最後に、次のように書いた。
   文の題名とブログ見出しが違う”わけ”については、別に書くことにする。
なんだか特別な”わけ”があるような書き方だが、実はそうではない。「わけは後述する」と先に書いたので、言い訳したまで。

文に題名をつけるのは、保存上の便宜(必要)からで、特に急いでいる時(妻から「ご飯」と促された場合とか)には真っ先に浮かんだ字句をつけてしまう。
ブログにアップする時に、もっといい題名があったら「見出し」で変えればいいと簡単に考え、そのように扱っている。
保存する時は、まったく仮題だと思っている。保存時の題名はブログアップ時にしばしば変えているのも事実である。

保存時につけた文の題名が、そのままブログの見出しになることもまた多い。
ところが保存時につけた題名が曖昧だったり、もっと適切なのがあったりすると迷うことなく変えてしまう。
と同時に、はじめにつけたのをそのまま文の題名に残し、ブログの見出しをより表現したい字句に変える場合がある。
そうする方が、なんとなく伝えたい気持ちをより強く表すことができるような気がするからである。

文とは、伝えたいこと(表現したいこと)を文字でまとめて綴ることだから、題名は本文に匹敵するだけの表現力をもってると思う。
見出しは、さらにその日のブログを一言で表現することであると考えているから、文の題名とブログ見出しによって、二重の強調になると思いたい。
そのように思っているだけで、はたしてそうなっているかどうかは分からない。

コメントがあれば、文にたいする関心なのか、画像へのそれであるかははっきりするけれど、単に拍手だけだと文へなのか、それとも画像に対する拍手なのか不明である。
と、まぁ ごちゃごちゃ書いた。自分でもなにが言いたいのか分からないままだもの、他人さまにはなおさらであろう。
うう 今日もまた、ごめんなさい。ご寛恕くだされたし

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今朝の気温-3度、曇
  1. 2009/02/18(水) 07:09:11|
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題 名 または見出し

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題 名(見出し)

「天童の家」をブログ形式に変えて(2007年11月26日)から、今日までに548の文を書いてきた。
その文には題名をつけ、その日の見出しにすることが多い。もちろん文の題名とブログ見出しが違うこともある(最近はしばしばちがう)。
それにはわけがあるのだが、それについては後述することにし、まずは題名について書く。

「天童の家」のブログは、こうだという決めた形式があるわけじゃない。
その時々に感じたり、考えたことをまとめ、面白いとか、そんな見方があるのか等の受け取り方をしてもらえるような文と、季節の旬となるような画像を並べてきた。
文(自分ではエッセイと思っている)と画像の両方を自分では等価と思っている。

画像にはほとんど説明文をつけない。見られた画像から何かを感じてもらえれば、それでいいと考えているからよけいなキャプションはつけない。
文のテーマも決まっていず、その日その日で(これは纏まるかなぁ)と頭に浮かんだのを深く考えもせずに書きはじめる。
適当な話題にこと欠き、時々は妻に向かって「ママ、なにか面白い話し ないかなぁ」と文の種(ネタ)を問いかけることもある。

書いた文には、必ず題名をつけ保存するわけだが、その題名はあまり深く考えずに、その時頭に浮かんだのを適当?につける。
ところが、保存する段階で『同じ題名の文があります。上書きしますか』とのメッセージが出て慌てることが度々ある。
もちろん『いいえ』をクリックし、(さて、何とつけようか)と考えてしまう。似たような、また同じ題名を意外とつけてしまうのである。

これまでの 548文の題名をあいうえお順に並べてみた。その中で同じようなのが幾つも並んでるのに驚く。
「あるがまま」「あるものがない」「ある気鬱」「ある戸惑い」「ある出来事」「ある暖房」「ある日の出合い」
「さくらんぼ」「さくらんぼの周辺」「さくらんぼ狂想曲」「さくらんぼ狩り」「サクランボ狩り」「さくらんぼ通信」
「妻そして母」「妻と歩く」「妻の企み」「妻の誕生日」「妻の髪飾り」
「雪が降る」「雪のはじめの頃」「雪景色賛歌」「雪乞い」「雪道はこわい」「雪融け」
「白い雲」「白というもの」「白鳥」「白鳥がきた」「白鳥は首をのばして」「白鳥賛歌」「白鳥遭難」「白鳥飛び立つ」「白鳥贔屓」

548もの文に題をつけるのだから、似たような、あるいは同じ題名が並んでしまうのはしかたないのかも知れないなぁ
別の言い方をすれば、私という人間は意外に狭い世界で暮らしているのかも知れない。または、プアーな存在なのだろう。
シビアにいえば、へへ これ以上でもなく、またこれ以下でもないと考えればこころ乱れることもない。

ふぅ~む、今日はいったい何を書こうとしたのかなぁ

* 文の題名とブログ見出しが違う”わけ”については、別に書くことにする。

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今朝の気温-2度、雪 久しぶりの雪掻き
  1. 2009/02/17(火) 06:56:39|
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チョコの日に


14日も晴れた。
っふふ チョコレートの日である。チョコは娘から届いた。
妻からは別のものをもらった。実用的なものだった。ふむむ、やはりチョコをもらいたかったなぁ
と、ここまで書いて(いまさらなんということを!)と吾ながら可笑しく、苦笑してしまう。70を前にして思うことではないなぁ

12日・13日と剪定をやったことは書いた。14日はその枝片付けを妻とやった。
いつかも書いたことだが、屋根の雪下ろしよりもたいへんな作業は、下ろした雪片付けである。
それと同じことが剪定にも言える。剪定作業よりも、むしろ剪定した枝片付けが面倒である。
書いたように、剪定自体は楽しいくらいの仕事である。だが、散らばった枝を集めそれを処分するのはちっとも楽しくない、というよりイヤな作業である。

でも、枝を片付けなきゃ その後の仕事に支障が出るから、イヤでも始末しなきゃならない。
イヤだからと妻に押しつけることもできないから、ガマンしてやる。うう がまんしてやる作業は一層イヤになるから、なんとか自分をごまかし、だましだましやる。
(体を動かしたいけれど、思うように動けない人がいる。こんなに暖かい日に、妻と一緒に働けるのだから幸せなんだよなぁ)などとムリに思う。
実を言えば、この頃はムリではなくて、自然にというか、なんとなく幸せにさえ思えるからおかしい。

こうして仕事(仕事だけではないが)が出来るって、自然に意識することなく(いいなぁ)と思えるのである。
別に大きな感動とか覚えるわけではないけれど、ここに今存在している自分をなんとなく認められるというか、へんな言い方だが”許せる”気分に近い。
周りの景色を眺め、働いている人たちを目にしながら、自分の存在を含め、すべてを受け入れる気分になるのはわるい気分じゃない。

これっていったいどうことなのだろう? っふふ 生きさきが短くなったからだろうか...
へへ ムダな詮索は止める。枝片付けも昼前に終わってしまう。汗で濡れた肌着を着替え、さて午後からはなにをやろうかなぁ
こんなに温かいと気分がいい。
(この文は14日に書いた)

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今朝の気温0度、雪
  1. 2009/02/16(月) 07:02:05|
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剪定ことはじめ

剪定の仕事

12日は晴れで、13日は雲が多いけれど太陽が時々雲間からのぞく。
例年なら雪に閉ざされ、地吹雪が荒れる頃なのに、今年は積雪が少なく、降雪もないので農家の人々は果樹の剪定作業をはじめている。
13日のニュースが下の如くだから、家にじーっとしていられない。

九州に春一番、6月の陽気
2009年2月13日 12時20分 KYODO NEWS
 気象庁は13日、低気圧の影響で西-北日本の広範囲で14日にかけ強風や大雨など大荒れとなる恐れがあるとして、警戒を呼び掛けた。
九州北部と山口県では13日、「春一番」が吹いた。低気圧に向かって暖かい南風が流れ込んだことから、13日未明の最低気温は、長崎県・五島列島の福江17.6度、鹿児島県の志布志16.9度と、6月上-中旬並みとなった。
同庁によると、低気圧が日本海を発達しながら東進。

そういうわけで、「天童の家」でも剪定をはじめる。屋敷内には梅の木が4本、柿の木が2本ある。さくらんぼ畑は後回しに、まず梅の木からはじめる。
屋敷内の木からはじめたのにはわけがある。梅の木(2本)は隣の家との境にある。これまでは建物から離れてあったのだが、今度新築した家は、梅の木にぐーっと近づいたのである。
枝が越境して迷惑をかけたら(マズイなぁ)と考え、隣人が新宅に越してくる前に大鉈を振るっておこうと取りかかる。

「パパ、もっとバッサリ切って。葉っぱが出て、枝が伸びるんだから... 惜しいなどと思わないで短く、短くしてしまおう」
「そんなにしたら、花も少なくなってしまう。まるで丸坊主だぞぅ」
「いいの、いいの。また伸びてくるから...」妻が言うことは命令?だからと諦め、剪定鋏だけでなくノコギリで太い枝もごりごり伐る。

剪定は、ただ剪ればいいわけじゃない。木の姿や日照などを考えながら刃物を入れる。
花や実つきは大事だ。しかし、妻のリクエストを満たすには、もうそれは度外視しなければならない。
妻のそれを受け入れることはしかたないとして、姿をどう整えるか。大鉈を振るうわけだから姿だけはなんとしても釣り合いのとれた良い姿に仕上げたい。
どちらから眺めても恰好よい形にしたいとの思いが強い。

うう その作業がなんとも楽しい。剪定する前の木は、枝が混み合って五月蝿いほどになっている。
剪定鋏でやっていたら、「もっと短く!」と言われ、ノコギリで伐る。そうするとこれまでの形が無くなるほどになる。新しい形を作るような作業になる。
うふふ それが意外に楽しい。伐ってしまえば、元に戻らないから慎重に検討しながら(あぁでもない、こうでもない)とそれがけっこう楽しいのである。

そういうことで、12日は梅の木を2本やった。
13日は、柿の木(きざわし・甘柿)1本、梅の木2本を剪定した。
剪定作業は、ちっとも辛くはない。むしろ 楽しんでやれる仕事である。

屋敷内の剪定が済んだら、いよいよさくらんぼに取りかかる。
こちらは梅や柿と違って、真剣勝負?でやるつもりである。とはいっても素人だから、っふふ はたして上手くいくかどうか...

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今朝の気温4度、晴
  1. 2009/02/15(日) 07:58:02|
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愛の言葉は

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愛の言葉は

       魚焦げる鍋吹きこぼれるチャイム鳴る二匹の猫と病妻が呼ぶ   さいたま市・石塚義夫
石塚さんの姿が彷彿と浮かぶ。そういう忙しさの中で感動をよぶ歌が生まれるのだから凄いなぁ

       この人が私を守って二十五年愛の言葉はいまだ聞かずも       越谷市・黒田祐花
言葉はだいじだけれど、言葉なしでも伝わる愛がある。祐花さんの旦那さんが、奥さまをどれほど愛しているかが十分に伝わってくる。

       老いし吾施術せし目に深雪し時には雪に色ありて見ゆ        山形市・三浦トミエ
どんな病で手術したかは分からないけれど、真っ白な雪のはずなのに、ドカ雪の際には色づいて見えるという三浦さんのそれが分かるような気がする。

       山寺に猫と籠もりて出ぬ母が朝青龍を応援に来る        さいたま市・齋藤紀子
       北斎漫画から抜け出して土俵にて朝青龍は今日もまた勝つ      茨木市・瀬川幸子
無礼とか品格を云々されている朝青龍だが... 彼の闘魂に拍手を送るひともまた少なくない。

       死にたると風の便りや焼薯屋      東京都・加藤容子
       寒鯉の動かざること山の如し     いわき市・鈴木昭光
       今朝とりしひときは大き寒卵      多久市・松枝さよ子

       電柱に雪の速さをはかりをり      可児市・金子嘉幸
「電柱に」は、雪国の人でないとわかりにくい句かもしれないが、こういうことはしょっちゅうやっていることである。
なんでもないこのような行為さえちゃんと句にするのだから、(凄い!なぁ)と思う。

              短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(9日付)より

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今朝の気温7度、濃い靄
  1. 2009/02/14(土) 07:34:40|
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異常気象

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異常気象

ある方の11日掲示板に次のようなレスポンスがあった。
   今日、熊本では黄砂が観測されたそうです。これまた3週間ほど早いそうで・・・、今年の春は早く来そうですね。
また、その日の気象情報欄には「水曜日、黄砂が観測された西日本は、引き続き黄砂が飛びそう。 」と12日を予報する。

12日の朝の気温が5度、まだ真冬だというのに景色はまるで春先のようで、日向は雪が消え黒い土や庭木の緑が色濃く見える。
黄砂は、例年春先に多く(あぁ 今年も春が来たなぁ)と春を告げる現象と思っていたが、今年はこんな真冬に黄砂が観測された。
またオーストラリアでは連日の猛暑の下 火災が方々で起き、多くの死者がでる大火災害となってる。
地球規模で異常気象が起こっているのだろうか?

詳しいことは分からないのだが、これが地球温暖化のせいだとしたら、うう これまで人間がいろいろやってきたそれへのしっぺ返しの現れなのか?
宇宙船地球号とよばれる我々の青い豊かなこの惑星が、人間が放出しつづけてきた二酸化炭素等によって温暖化を促進し、惑星をとりまく環境を変えつつある。
これは見過ごせないことで、早急に手を打たなければ取り返しのつかないことになるおそれがある。

単に異常気象であるならば、例年とは異なるけれど、その年だけで終わってしまう。
あるいは、異常的それが毎年繰り返されれば、もはやそれが通常のものとなり異常とは思えなくなる。
長年雪国に暮らし、雪のあるのが当たり前と思ってはいたが、少雪の冬はやはり暮らしやすい。
ならば、このように雪の少ない冬が続けば、そこに暮らす人々はいつしかその環境をわるいものではないと思ってしまう。
ただし、生業とする果樹や稲作などの栽培に悪影響がないという条件が満たされることが必要であるが...

はたしてそうなるかどうかが問題だ。
リンゴ、サクランボなどは適地があって、地味だけでなく、気温など気象条件が満たされなければ栽培は難しい。
野菜などは1年で結果がでるけれど、果樹の場合は十年単位でなければ結果を云々することができない。
気候と植生には大きな関係がある。地球温暖化によって栽培作物が大きく変わって食料需給に破綻が生じれば大問題だ。
そんなことを考えると、やはり昨今の気象変動は気楽に見過ごせないなぁ

今日(12日)も、晴天で春先のようで暮らしやすい。
こんな冬が毎年なら、なんと楽というか(いいなぁ)である。

なお今日の画像は、12日散歩中にスーパー農道で撮った。日向の雪融けした地に咲いていた。
旬の画像を心がけているが、こんなに早く咲いてるのは上の文を裏付けるものとしてアップする。

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上と同じ場所で(1月18日撮影)
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相違が分かるように、定点撮影をしたつもりなのだが... 

今朝の気温1度、曇
  1. 2009/02/13(金) 06:57:56|
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久々の外出

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「パパ Sさんの所へ行かない?」
「なにしに?」
「久しぶりの顔見...雪もないし、りんごとか漬物もあげたいから」
Sさんは仙台にいる友人で、これまでも度々「天童の家」に登場している同級生である。
妻の誘いに否やはない。妻がさっそく電話する。

「ソバを打って待ってるって」
妻のそれを聞き、お土産にソバ粉とりんごと青菜漬を車につける。
ここしばらくどこへも出かけない私をみて、不憫に思った妻が誘ってくれたのだろう。

昨秋、とりたてのソバ粉をもって行った時には、Sさんは癌術後の薬剤合わせで入院中だった。
直腸癌が肝臓に転移し、直腸腫瘍は摘出したが、肝臓の方はそのままに抗ガン剤でようすをみてきたが、昨年 ようやく肝臓腫瘍も摘出した。
Sさんは、思ったより元気で、ソバを打ってご馳走してくれた。
「カイモチ用のソバ粉を使って打ちました。試食してして下さい」Sさんは、私をソバ打ちの師匠あつかいするからこそばゆい。
「つなぎを多めに使いましたが、精選した粉とはちがう風味があると思うのですが」Sさんは研究心が旺盛で、粗っぽいカイモチ用の粉で、見た目は田舎風ソバに仕上げている。
「いかにも田舎ソバですねぇ。たまにはこういうのもいいなぁ」ザル仕立てはまぁまぁだが、天ぷらをあげた かけそば仕立てがなかなか旨い。

Sさん夫妻と私ら夫婦の笑い声が続く。
3月1日には天童ホテルで古希を祝う会がある。それぞれにさまざまなことがあったが、とうとう古希を迎えるまで来てしまった。
「再発のおそれがあるけれど...」さりげなく口にするSさんだが、私には重い言葉だ。けれど大ごとではないかのように受け応える。

和やかな会話が時間を忘れさせ、あっという間に辞する時刻になる。
3月1日には「天童の家」でソバ打ちをやる。再会を約し、R48を天童へ走る。
作並温泉あたりを境に雪が眺められるが、仙台方面は少しもない。今年はなんとも少雪の冬だなぁ

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今朝の気温5度、晴 まるで春先みたい
  1. 2009/02/12(木) 07:12:26|
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日本の持ち味

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日本の持ち味

「百年に1度の恐慌」と表現されるそれが、何を根拠にしているのかよく分からない。過去何百年の間に、幾度か似たような恐慌があったのだろうか?
時代背景が異なるのに、どうしてそのような比較(言い回し)ができるのだろう? と、子どものような疑問を覚えてならない。
世界恐慌といえば、歴史的に知っているのは、1930年代のそれしかない。正確にいえば、それは80年前のことであり、それ以前のことは分からない。

「百年に1度の恐慌」の百年とは、過去の、あるいは将来の時間を言っているのではなくて、恐慌の大きさを表現しているのだと理解すべきか...
そう理解すれば、納得?できる。
(恐慌とは、景気循環の過程のうち、好況段階における深刻な景気後退。なぜならば、まだまだ景気や株価が上昇していくと予測されている最中での突然の下落こそ恐慌と定義されているからである。
 経済学の研究分野の一つであるが、この現象を重要視するのはマルクス経済学である・Wikipedia)

以上のことを措いて、当面の緊急課題を言えば、目前の不景気や雇用不安(失業対策)への対策である。
先日、企業の雇用責任についてみてみたが、非正社員(正社員も含め)等の労働者をどう守るかが大きな課題だ。その対策の一つとしてワークシェアリングがある。
ワークシェアについて朝日新聞が世論調査を行った結果が報じら(10日付け)れていたので転載する。

     ワークシェア賛成68%
 企業による雇用調整の動きが広がるなか、朝日新聞社は全国調査(7,8日、電話)で雇用に関する考え方を聞いた。
 1人あたりの働く時間を短くして仕事を分け合う「ワークシェアリング」については、賛成68%、反対19%だった。
 年代や職業層での差は比較的小さく、幅広く理解されていることがうかがえる。

 企業のあり方について、「利益のために雇用をある程度犠牲にする」と「雇用のために利益をある程度犠牲にする」との二つの考えを示し、利益と雇用のどちらを優先して守るべきかを尋ねた。
 「利益優先」は20%で、「雇用優先」が69%と圧倒した。
 自営業者層や事務・技術職層で「利益優先」が比較的多いものの、それでも30%と25%にとどまった。

 「非正規の社員の待遇改善のために正社員の待遇を下げるべきだ」との考え方に対しては、反対が51%で賛成の32%を上回った。
 反対は若い年代ほど多い。

ふむむ 結果には、(なるほどなぁ)と頷ける気がする。
いずれにしても、日本人にはまだまだ米国流の経営には馴染めない人々が多い。これまでの日本の労使関係のあり方を大切に思う人々が健在だ。
小泉内閣以降、米国流の改革に引きずられ、大きな破綻に直面している今こそ、日本独自の持ち味を生かした労使のあり方を確立すべきだろう。

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今朝の気温1度、晴
  1. 2009/02/11(水) 07:28:54|
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過去への拘り


まだ真冬。一番寒さが厳しい時である。
正月は降雪で暗く感じるが、2月は寒いけれど明るさがある。
散歩道(サイクリングロード)にはまだ積雪があり歩きにくい。だから敬遠し、長靴を履いているので川辺に足が向く。

「寒九の水」という言葉が新潟にある。寒に入って9日目の水がいちばん澄んでいて、旨い酒造りに適した水だという。
そういえば、奇妙なことに毎年この時季になると同じような光景を撮っているに気づき笑ってしまう。
枯れ葦を中心にして丸い氷がたくさんできる。それらが陽光を反射し、煌めくようすが美しく感じシャッターを切る。
また水中の光紋が動いて面白く、さらに水が澄んでいるから、じーっと眺めると絵になる構図を楽しみながら何枚も撮る。

昨年も、一昨年も似たような写真をアップしているから可笑しい。
水が澄むだけでなく、光に春の気配が漂ってるのが分かる。(あぁ、春が間もなくやってくるんだなぁ)と嬉しくなる。
もちろんまだ真冬だから、本格的な春はずーっと先のことである。それでも、かすかな春の香りを感じることができる。

立春が過ぎたとはいえ、それは暦上のことで、これからも雪が降り、寒さもまだ続く。
だが、光は確実に春の輝きをもち、空気の色も春になってきてるのが感じられる。
少雪だといいながらも、地はまだ積雪に覆われてる。暮らしは冬のそれだが...
無雪地からは、福寿草や梅の開花便りが掲示板に多くなる。(あぁ、春は確実に近づいてきてるなぁ)と思う。

今年の冬は、繰り返しいうが、雪が少ない。また青空が多い。
雪国に暮らす者には、こんなに嬉しいことはない。
けれど、はたして本当に喜んでいいものかどうか、一抹の不安がある。これが地球温暖化の現実であるとすれば、決して喜べない。
昨年は暑さと水不足で野菜が不作だった。気候変動は農業に大きく影響する。生態系に変化をもたらし、やがては食料不足につながると考えるのは杞憂だろうか?

年老いたせいなのか、世の中の変化、気候の変化、これまで暮らしてきた世界(環境)の変わりように危惧を覚える。
若人には、このような危惧や懸念はないのだろうなぁ
少雪で暮らしやすければ(それでいい)と思えばいいのに、なかなか単純にそう思えない。っふふ、落ち着かないのである。
柔軟なこころがなくなったということだろう。寂しい。

*
新潟の友人からメール(文と写真)をもらった。
  今朝の新幹線でいつも雪の多い長岡市付近で撮った写真です、田んぼは勿論、山にさえほとんど雪がありません。
  十日町では冬季国体と雪祭りが始まるというのに雪が足りず、トラックで雪を運んでくると言っています。
  雪祭りはともかくとしても、国体はねえ。記録も??公式記録にはなりえないでしょう。
  これで夏の水不足にならなければ・・・と心配です。

その返事
  写真を拝見し、新潟がこんな風景とは信じがたい!です
  雪祭り 冬季国体 困りますですねぇ

  水不足もそうなのですが、地球温暖化のせいだとしたら、それこそ人類の危機
  ほんとにどうなるのかなぁ

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今朝の気温0度、晴
  1. 2009/02/10(火) 07:06:54|
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企業は公器


派遣労働者の大量失業が大きな社会問題になっている。
メーカー・派遣会社密着ルポ(7日 NHKスペシャル)を見た。こころが痛くなる。(日本は、な、なんという社会になったものか!)と苦々しく思う。
終身雇用制は、いったどこへいってしまったのか?

「企業の雇用責任どこまで」
8日の朝日新聞は、上のテーマで 立場がちがう3人の主張(耕論)を載せた。備忘録的に次ぎに転載(抄)する。

     労働者守る自覚取り戻せ    小谷野 毅さん(ガテン系連帯事務局長)
 数年前のIT不況までは、日本企業の経営者に、雇用を守るのは当然という意識があった。大量の人員削減をした企業はあるが、非正社員を、がけの上からいきなり突き落とすことはしなかった。
 だが経営者の意識は大きく変わった。原因が二つある。
 一つは小泉政権による構造改革の弊害だ。製造業派遣が解禁され、メーカーの経営者も痛みを感じることなく人減らしができるようになった。
 もう一つは、ものづくりの世界で周期の短い生産システムが主流になったことだ。(略)

 経営者に「従業員の首を切るのは『死ね』と言うのと同じですよ。その自覚がありますか」と問いかける。
 昔の経営者ならそこでたじろいだが、今の経営者はひとごとのように聞いている。
 どうしても人を切らざるを得ないなら、経済的保障や再就職支援といったセーフティネットの構築で、企業も責任を分担すべきだ。

 再就職や生活支援のために社会的基金をつくる。原資は主として派遣切りした企業が出す。正社員の労働組合も拠出する。さらに一般人も金を出せる仕組みにして、現在の危機を社会全体で手当てすべきだ。
 社会制度の設計を一からやり直す。
 再生産には労働力が不可欠だから、内部留保の一部を労働者に振り向けるのは当然だろう。

 企業というのは本来、社会の公器であるはずだ。経営者はその自覚を持ってほしい。


     競争に勝つのが最大使命    島田晴雄さん(千葉商科大学長)
 世界規模でコスト競争を迫られている企業にとって、非正社員の存在は、経営の柔軟性を確保するために欠かせない。
 製造業への派遣を禁止すべきだという意見が出ているが、そんなことをしたら、今以上に生産拠点が海外に移ってしまい、それこそ国内での雇用が減ってしまう。
 企業に雇用責任があること自体は、私も否定しない。
 しかし、生産があるから雇用が生まれるのであり、雇用というのは生産の「派生需要」に過ぎない。つまり企業にとっての最大の社会的責任と使命は、生産性を上げて競争に勝つ以外にない。

 それができなければ生き残れず、新たな雇用も創出できない。
 企業が今やるべきなのは、雇用調整と同時に、競争に勝つ戦略を立てることだ。
 
 雇用問題の矛先を企業に向けるのは筋違いで、政府の施策が生ぬるいことが最大の問題だ。
 セーフティネットでいえば、300万人近い失業者のうち、どんなに頑張っても職が見つからず食べていけない人を把握し、100万円ずつ支給するなど、思い切った策を取るべきだ。
 数十万人に配っても、定額給付金で使う2兆円の一部で済む。

 企業の生産基盤を強化するのも国の責務なのに、法人税率引き下げや、海外からの投資が入りやすい環境整備などは一向に進んでいない。政府の怠慢は目を覆うばかりだ。


     人員削減の流行に乗るな    大坪 清さん(レンゴー社長)
 「機械をつぶし工場を閉鎖するならともかく、まず人員カットを考えるのは、一種の流行に乗っているだけではないか」と言ったら、大議論になった。
 出席者の3分の2は賛同してくれたが、残りは「そうは言っても会社はつぶせない」と人員カットに走る立場だ。
 
 この10年間、アメリカ型資本主義全盛の中で労働をも商品化する動きが強まったが、労働は神聖であって商品化すべきでない。
 企業活動が土地と労働と資本を使って財貨とサービスを生む出すものである以上、サービスはもちろん財貨にも人間の心がこもらないと本当の利益は生み出せない。
 雇用の安定は、労使協調、成果の公正配分と並んで、生産性を向上させる原則の一つでもある。

 土地も労働力も、社会と切り離せない。それを使って製品やサービスを生み出すのだから、企業は株主に対してだけでなく、従業員や顧客、地域といった社会全体に対しても責任を負う公器だ。
 材料ではなく財である「人財」をどう有効活用するか、労使でよく話し合う時だ。


むむむ、派遣労働問題は、なかなか難しいかも知れないが、解決しなければならない。
第二次世界大戦に敗れ、ズタズタに傷ついた日本だったが、不死鳥の如くに立ち直り、世界を驚かせた実績がある。
明治維新・第二次世界大戦後のそれを上回る危機かも知れないが、断固として新しい国を目指さねばならない。
上の(耕論)で見るとおり、政治も頑張らねばならない。今年行われ国政選挙には、この重大危機を乗り越えるために働く政治家を選ぶのが我らの仕事になる。

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今朝の気温2度、青空が覗く
  1. 2009/02/09(月) 06:21:06|
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記 憶

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記 憶

政府紙幣からの連想で、松本清張の『西郷札』を読んだことを書いた。
『西郷札』は、松本清張短編総集(講談社)のトップに収められてる。昭和38年(1963年)に発行された1058ページの分厚い本は、何度も繰り返し読んで 手垢に汚れてる。
今また読みかえし、記憶がうすれることのはやさというか、記憶の不確かさに驚いている。

『西郷札』もそうだが、その他の作品の全てが記憶の底にわずかにとどめてるだけで、詳細はほとんど朦朧としてる。
しばらく読み進めているうちになんとなく(あぁ、そうだったなぁ)とおぼろに思い出す。
だからこそ、まるではじめて読むような感動が得られるのかも知れない。

何年か毎に繰り返し手にとっているから、目次をみれば作品の筋が蘇るものもある。
西郷札・或る「小倉日記」伝・いびき・地方紙を買う女・カルネアデスの舟板・黒地の絵 等は概要がぼんやりと思い浮かぶ。数えてみたら、43編のうちわずか6編。
その他のそれはかなり読み進まないと思い出さない。うう、人間の記憶ってなんて曖昧というか、忘れっぽいのだなぁ。

記憶がそのようなものだから、繰り返し読めるのだろう。
もちろん、比較的しっかり記憶している作品でも、再読したくなるのもある。だから、必ずしも記憶の有無が読書欲を促してるわけでもないことは承知している。
それでもなお、記憶に残っていないことで面白さが増すことは否めないだろう。
『火の記憶』は、記憶そのもののありかたを作品にしたサイコドラマで、松本清張作品がたんなる推理小説ではない面白さを堪能させてくれる。

一度読んだら二度と開かない本が多いけれど、再読、さらに幾度も読む本も何冊かある。
あのことを書いてあるのは、あの本だ。という記憶はあまり忘れないのがありがたい。まぁ、そういう本は繰り返し手にするからだろう。
そういう意味では、忘れるのがはやくてもたいした苦痛は感じない。むしろ忘却があるから、このよう平穏な気持ちで暮らせるのだろう。

もし、もろもろの記憶がいつまでも鮮明なままだったら、それこそ辛く切ない毎日となる。
選択的に不要な出来事は忘れ、忘れていけないことは記憶にとどまって、必要時に思い出される。
うう 人のありようがなんともうまい具合にできているのだなぁ

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今朝の気温4度、小雪
  1. 2009/02/08(日) 06:56:28|
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政府紙幣

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政府紙幣

政府紙幣を発行し、景気を回復すべきだと提案する代議士(渡辺喜美氏・菅 義偉氏・田村耕太郎氏・山本一太氏ら)がいる。
政府の面々(謝野馨経済財政大臣・中川昭一財務大臣・細田博之幹事長ら)、また日銀の白川方明総裁も否定的発言をしている。

貨幣の発行は、これまで日銀が行っていると思っていたが、500円硬貨等は政府が発行していることを知り驚いてる(無知さが恥ずかしい)。
だから「政府紙幣」で検索し、いろいろ勉強した(にわか勉強)。それで、一概にダメとかいうものでないことを知った。
もっと議論を深め、選択肢の一つとして考えてもいいのではないかと思う。

次ぎに比較的穏当というか、分かり易いのをネットから引いてみる http://www.nsjournal.jp/column/detail.php?id=135367&ct=1
                                        2009年1月19日 15:25   NSJコラム
     経済アナリスト森永卓郎の日本経済探索  もはや政府紙幣の発行しかない
                        
 自民党を離党した渡辺喜美代議士が麻生総理に突きつけた「7項目の提言」には重要な提案が含まれている。
 景気対策の財源としての政府紙幣を発行するということだ。政府紙幣というのは、中央銀行ではなく、政府が発行する紙幣で現行法上も発行は可能だ。
 政府紙幣の発行自体は、目新しい提言ではない。ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツは昔から提言していたし、日本でも10年以上前から経済学者の丹羽春喜氏が提言し続けている。
 また、実際、アメリカではニューディール政策の中で政府紙幣が発行されたし、日本でも明治維新の直後に太政官札の発行で膨大な財政需要が賄われた。

 本来、通貨供給増による景気対策は、中央銀行の仕事だ。
 しかし、今の白川日銀総裁は金融緩和に極めて後ろ向きだ。これだけの経済危機に直面しても、量的金融緩和どころか、ゼロ金利にもしていないのだ。
 日銀の金融緩和の遅れが急激な円高をもたらし、景気失速の原因をつくったことに対して何の反省もしていない。日銀が金融緩和をしなければ、政府がするしかないのだ。
 政府紙幣の発行には日銀の量的金融緩和よりメリットがある。日銀の通貨供給では、例えば、国債を購入する代金として日銀券を発行する。購入した国債の金利は、日銀の経費を差し引いた後、最終的に政府に納付金として納められる。通貨発行益だ。
 しかし、政府紙幣の場合は、発行額を政府の負債とする必要がないから、発行コストを差し引いた全額が政府の造幣益となる。それを景気対策に活用できるのだ。

 もちろん、政府紙幣をあまりに膨大に発行すれば、通貨への信任が低下して、ハイパーインフレを起こしてしまう。しかし、デフレスパイラルに直面している日本経済にインフレの心配はない。発行限度は明確でないが、GDP(国内総生産)の10%程度であれば、何の問題もないだろう。
 丹羽春喜氏は、政府がわざわざ政府紙幣を発行しなくても、日銀に発行権を売れば、印刷の必要がないと主張している。理論的には正しいが、いまの日銀は受諾しないだろう。白川総裁が理事時代にスティグリッツの政府紙幣発行論を批判しているからだ。

 だから、政府が日銀券と同じデザインの紙幣を国立印刷局に発注すればよい。もちろん非常手段だから、政府紙幣はいずれ回収・償還した方がよい。
 だからGDPの10%、50兆円のうち、半分を景気対策に使い、残りの半分で市場を通じて国内株を買えばよいのだ。昨年末の東証のPBR(株価純資産倍率)は0・7倍だ。
 投資家心理が正常化すれば、すぐに2倍にはなる。つまり、莫大(ばくだい)な景気対策がコストゼロで実現できるのだ。

ただ、新聞報道をみると、政府紙幣発行の動機がいかにもおかしい。この記事をどう読むかによるのだが、こういう発想はいただけないなぁ
以下は記事の転載(3日 朝日新聞)
 菅氏らの念頭にあるのは総選挙対策だ。公明党の求めで第2次補正予算に盛り込んだ「定額給付金」は首相発言の迷走も手伝って政権浮揚策としては空振り。
 政府紙幣なら赤字国債の追加発行も必要なく、財形再建逆行との批判も受けず「大盤振る舞い」できるという計算も働く。党内では「100兆円規模で配ればいい。国民1人あたり50万~60万円」との声も漏れる。

うう、政府紙幣発行の動機がこんな次元であるのなら、困った次第であるなぁ
こんな新聞記事を読んだせいか... 松本清張の『西郷札』を再読した。西南戦争で薩軍が発行した不換紙幣(軍票)をめぐる名作。
今度の政府紙幣とは直接の関係はないが、貨幣というものを考えるに恰好の物語かなぁ

それにしても松本清張って凄い作家だなぁ

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/02/07(土) 06:59:24|
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頑張らなくても


       亡きひとのこえふる水に木に土に ゆきひらとなりはなびらとなり   福島市・美原凍子
       障子戸に冬木の影の淡ければま白き猫は半眼のまま          福島市・美原凍子
上は、高野選の三席、下は永田選の二席に選ばれた歌。どちらも澄んだ空気と潤みを感じさせてくれる。

       中華なべ伏せたるような臨月の腹を両手であたためる冬       高槻市・有田里絵
二人目のお子さんの誕生が間もなくなのだなぁ 

       注連縄も餅も飾らず正月もただただ生きむ妻逝きてから       福岡県・手柴俊光
慶び、哀しみを分かちあえる人がいたから、正月飾りがやれた。連れ合いを失った今、注連縄も餅も虚しい。

       失職の吾に明るい母の声頑張らなくても春はきますよ       アメリカ・ソーラー泰子
いいお母さんをおもちでねぇ

       されるよりする幸せの介護とう老妻が居て今日生きており      浜松市・太田忠夫
いい妻がいる嬉しさですねぇ

       戦争を知らない子らと戦争しか知らない子らの住むこの地球     浜松市・石川治子
       ガザ悲しガザより他を知らぬ児ら撃たれ死にたり両脚伸べて     大阪市・村山香代子

       詩一つ生まれて日向ぼこを立つ     飯塚市・千代田景石
       日向ぼこ時には犬に吠えてみる     町田市・服部じゅん
       似ていると言はれ見直す福笑ひ     盛岡市・浅利清香

                   短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(2日付)より

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今朝の気温3度、晴
  1. 2009/02/06(金) 07:16:37|
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共に楽しむ

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一緒に楽しむ

3日、娘から電話があり、子どもの授業参観にきて欲しいという。娘の頼みだし、孫のそれを観るのは願ったり叶ったりと学校へ行った。
57年前に卒業した懐かしの母校である。もちろん当時の木造校舎ではないけれど、まったく変わってしまったわけでもない。
中野城跡にある小学校だから、窓から眺める景色は当時の面影を色濃く残してる。傍の逆川(さかがわ)の流れは変わっていないし、月山や奥羽山脈も同じ眺めだ。

子どもたちの服装などは、さすがに昔のそれではない。自分は 昭和21年入学だから、まだ着物姿の子どももいたのを思い出す。
石炭(亜炭に近い代物)ストーブで、持参の弁当を温める。たくあん漬の香りが教室に漂ったのも鮮やかに蘇る。
今はエアコンだし、スチームさえ出ている教室は、恵まれていると思う。

さて、授業参観であるが、これがなかなか楽しい。
2日に地元の学校で授業参観をしてきたばかりだから、ついそれと比較してしまう。学校によってこんなにも違うものだなぁ
親たちに観てもらうために二日間練習したのだという発表会が クラス毎に音楽室や体育館などスペースの広い所で親たちの至近距離、目の前でやる。
全校生徒が体育館に集まってやる大々的な発表会とはちがって、自分の子どもたちと同じ場で 手の届く距離で繰り広げられるそれを観る楽しみはいい。
子どもたちの息遣いが、楽しみながら一生懸命やっているそれがストレートに伝わってくる。

授業参観だから、いわゆる授業のようすも観られる。「いつでも見てください」と言われるし、実際に見た。
でも、参観案内の日は、授業光景よりもむしろ 親と子どもと教師が一緒になって楽しいことをやるというそれが(いいなぁ)と思う。
なんといっても子どもたち自身が楽しんでるのが嬉しい。教師と子どもと親たちが一体感になれる場になってるなぁ
そうするだけの余裕というか、授業はちゃんとやってて、確たる自信があるからこういうやり方ができるのだろう。ちゃんとした授業の結果は、成績に反映されるからである。

ここで くだくだ書くよりも、論より証拠の写真を並べるのがいいだろう。
光の具合があまりよくなく(外が明るすぎる)、また限られた場所での撮影になったから出来はよくない。けれど、みんなが楽しんでるようすは写ってる。
六年生(音楽室)と四年生(体育館での合唱)のそれを並べる。

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/02/05(木) 07:18:00|
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人間の多面性

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多面性に富む

学校(校長・教頭・事務)と民生委員との懇談会が2日にあった。毎年定期的にこの時期にやっている。
はじめに授業風景を見て、その後に校長室で「協議」となっているが、実際は懇談会である。
まず校長から「学校経営と児童の様子」が話され、それについて質疑応答的な話し合いが行われる。

プライバシー上、具体的な内容は書けないが、守秘義務を心得てる民生委員がメンバーだから、かなり突っ込んだ内容となる。
いちばん長く話題になったのは「発達障害」をもつ子どもへの対応で、今年で3年つづけて同じ話題を語り合う。
ひどくなれば学級崩壊につながるおそれを抱え、教育現場は苦労してるのが分かる。

民生委員は、各地区から出ているので、地域の情報交換も行われる。
そこで気づいたのは、家庭・地区・学校・学童クラブ等で子どもたちの顔がちがうという思いを強くもった。
家庭ではなんの問題もない子どもが、学校で「障害」が発露したり、学校では問題行動のない子どもが、それ以外の場で「病的」な姿を呈したり、ある場面で問題的行動がある子どもが親の前では「いい子」であったりと、子どもは多面性をもっているなぁということである。
もちろん、大人だって場面によってちがう顔や言動をみる。誰だって多重人格的なものをもつものだ。
しかし、子どもの場合はそれが極端というか、多面性に驚かされることが多い。

例があまりよくないが、何かの事件を起こしたときに「まさか あの人が、あんなこと(犯罪)を起こすとは考えられない」という言葉が聞かれる。
しかし、「あの人」に関心を抱き注意深く見ていれば、なんらかの予兆というか シグナルが分かるはずだ。
そういえば、あれがそうだったのか、後になってから気づく言動がある。そいう些細なシグナルが積み重なって事件や事故になる。
そういう情報(シグナルなど)を把握していなければ、「何事もない」と思ってしまう。事件などが発生し「まさかあの人が、あんなことを」ということになる。

なんとも奥歯にものが挟まった書き方で、申し訳ないが、今回の懇談会を通じて子どもの多面性を強く思った。
人は、目前の姿しか見ていない。目にしている以外にも、もっとちがう姿、性格があると考えてみる必要がありはしないのか?
特に、教育の場では、そういう複眼的な視点が必要な気がする。

もっと具体的に書けばいいのだが、守秘義務から外れることができない。
人間は多面性に富むものだ。それが書きたかった。

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今朝の気温-4度、晴
  1. 2009/02/04(水) 06:59:57|
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確定申告

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税の確定申告

税の確定申告を30日 公民館でやった。
毎年この時期に、公民館に市役所から出っ張ってきて申告を受けつけてくれるから助かる。
我が干布地区のそれは、29日と30日が割り当てられ、両日の午前午後 4ブロックに分けられて行われる。地区民にとってはありがたいサービスである。
もちろんこの他に税務署へ行かねばならない人がおり、また市役所へ出向いてやる人とさまざまである。

納税額の大きな人は、税務署へ行く。
公民館で済ませられる人は、まぁ 我々庶民たちと言っていいだろう。当日は、妻と二人で行った。受けつけで整理番号札をもらって待つ。順番が来るまで顔見知りの人と話しが弾む。
この日も、ある人の家人からパーキンソン氏病についての相談があり、一応の結論を出すことが叶った。
順番待つこと30分、番号札(29番)が呼ばれ、指定席に妻と座る。

年金受給者である私は、もうその他の所得がない。控除額や税、種々の保険料等の合計が 課税対象額を超えているので、新たな課税はない。そのことは分かっているから、今日の申告はいわば通過儀礼みたいなものである。
妻の場合、学童保育の仕事で得た所得があるから、追加徴収があるのかどうか分からないので、固唾をのむ。
「去年は還付金があり得した気分だったけどなぁ」妻が笑う。
「パートから、そうでなくなったので、今年はわからないぞぉ。どっさり引かれるかも...」
「パパ、威かさないで。そんなにもらってないもの」

吏員がパソコンから顔をあげ課税額を告げる。(あぁ、やっぱり引かれるんだなぁ)
決められてる計算式ではじきだされた結果だから、しかたない。
「ママ、その分だけ働いてるっていうことだからねぇ。税金が納められるっていうのは幸せと考えなきゃぁ」
「うん」妻が頷く。

我々庶民の税金額は、そうたいしたものじゃない。
でもさまざまな制度に加わっているから、それ相応の負担がある。それはしかたない。というか、そうやってこの国が運営されている。
税金以外にも、この国のありかたにそれぞれが応分の負担と関わりを担っている。一人ひとりのパイは小さくても、その総和はバカにできない。
極端なことと承知でいえば、どんなに多額の納税者であろうとも、参政権の一票はみんなと同じである。納税額の多寡で左右されない一票の意味を噛みしめなければならない。

子ども(無所得)・労働者(有所得)・老人(無所得<高所得老人もいる>)という流れでいえば、無所得者は順送りに所得者の税によって生かされている。
そういう意味では、税のムダ使いは許されないし、汗の結晶である税は効率よく生かされなければ申し訳ない。
為政者は、納税義務を果たしている国民の意思を尊重した予算をたて、執行するのは当然である。

我々庶民の税の確定申告から、うう ずいぶんと遠く離れたところまできてしまったなぁ
へへ たまにはこんなこともいいかなぁ

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今朝の気温1度、晴
  1. 2009/02/03(火) 06:29:53|
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2月を思う

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2月を思う

毎月のはじめには、その月にあると分かってる事柄(予定)などをあげ、確認したり、なんだかだと妻と話し合う。
誰それの病気見舞いに行かなければとか、婦人会の総会が何日にあるとか、そういえばあれも今月だったなぁ等と思い出す。
2月は2日に民生委員たちが小学校の授業参観をし、その後 校長との懇談会。子どもたちのあれこれについて話し合う。

「光浩(娘の長男)の誕生日、今月ね」
「あぁ、12日」
「3年生(中学)、いつの間にかそんなに大きくなって... 生まれた時のあの顔、こんなに器量よくて いったい誰に似たのかとびっくりした」妻が言うのを聞いて
「おいおい、ママ それはどういう意味だ。っふふ 他人が聞いたら、親や祖父母たちがみんなブスみたいに思うべなぁ」
「そういう意味じゃないけど、あまりにきっりっとした品のある顔立ちだったものぉ」
「うう それもおかしな言い方だぞぉ。今の光浩は醜男みたいに思われる。大人っぽくなっていい顔じゃないか」
「パパ なぜいちいちケチつける。自分の孫だもの可愛くないはずないでしょ! そういう意味で言ってるんじゃない。生まれた時のあのびっくりした気持ち、親たちそれを超えたような嬉しさを言ったのよ」
「っはは そんなにムキにならなくてもいいじゃないか。ママの気持ち分かってるよ。来春は受験だからなぁ」

「ママ、温泉 どこへ行く?」
「深掘がいいかなぁ」
「あぁ 大石田のあそこだな、行こう! 深掘に行こう。いつにする?」
「月末がいい。11日と15日は都合わるい。月末ならいい。パパの予定は?」
「よし月末にしよう。ネットで確かめてみる」
と、まぁ そういうことで大石田町にある「深掘温泉」へ決める。

「毎日が日曜日」とはいいながら、それでもなんやかやと野暮用もけっこうもある。
1日も朝食後に雪掻きををし、その後に買い物に行く。なにもないようでも忙しい思いをすることがある。
生きてるっていうことはそういうことだろう。感動もあれば、ときには悲哀にも出合う。
今年の2月は、どのような月になるのか、楽しみでもある。

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今朝の気温0度、晴
  1. 2009/02/02(月) 06:58:20|
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