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1月を暮らす

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1月を暮らす

09年1月31日、予報通り朝から雪になった。
08年12月は降雪が続いたが、09年1月は温かい日が続き、暖冬・少雪かなぁと思われた。
だが、31日の雪は降り止まずに積雪の嵩を増している。(やはり真冬だなぁ)と思い、へへ ホッとした気分もあるから可笑しい。

雪があれば厄介だと思うが、あれほど雪が降らないとなんとなく落ち着かない気分になってた。
降り出した雪を見ていると、(また雪掻きだなぁ)と思いながらも、(しかたないさ)と割り切る。それが意外にすっきりした気分。
あまりに長く降り続くのを見れば、うんざりするけれど、今年はまだそういう気分にならない。
久しぶりの雪掻きだから(良い運動かなぁ)と思え、可笑しい。

雪掻きを済まし、汗で濡れた肌着を着替えて飲むホットミルクが格別に美味く感じる。
2月には、どこかの温泉に行こうと思ってる。妻が行きたい所を探しているが、近辺の温泉へはほとんど行っており、新たな穴場探しがなかなか難しい。
妻のようすを横目で窺うと、近場の温泉地よりも九州のガイドブックを眺めていたりするから笑ってしまう。

「一度行ったところでもいいじゃないか」佳いところへは何度でも行ったらいいと思うのだが...
「新たな感動が得られる所がいい。行ったことのある所は、そんな感動がない」妻の言い分には納得しがたいが、そう言うのだからしかたない。
「そうかなぁ... 良いところは何回行ってもいいと思うけどなぁ」これまでも何度も同じことを言ってきたが、妻の主張は変わらない。
妻の気持ちをだいじにしたいから、自分の考えを押しつけるわけにもいかない。だからどこへ行ったらいいのかなかなか決まらない。

それでも暖かな部屋でガイドブックを広げ、(どこか良いところがないかなぁ)と悩む?のもわるいことではないみたい...
歯がゆい気分がないでもないけれど、言えば贅沢な時間かも知れないなぁ
雪は相変わらず降り続いてる。

今日の土曜日は、学童保育が休みで、妻と二人 のんびりすごしている。
こんな時間があるのは幸せというものだろう。

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午後3時の気温1度、雪
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  1. 2009/01/31(土) 15:00:24|
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晴れても

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特異な世界

オバマ氏激怒、金融界けしからん 高額賞与に     2009年1月30日 09時26分 KYODO NEWS

 【ワシントン29日共同】オバマ米大統領は29日、米金融機関が巨額の公的資金による救済を受けたにもかかわらず、役員らが昨年も高額のボーナスをもらっていたとして「無責任の極みだ。けしからん」と怒りをあらわにした。
 ガイトナー財務長官らとの会談後、記者団に語った。同日付のニューヨーク・タイムズ紙によると、ニューヨークの金融機関が昨年支払ったボーナスの総額は推定約1兆7000億円。

むむ、オバマ大統領の激怒、理解できるというか(もっともだなぁ)である。

  Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some, but also our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age.

  また、私たちの経済はひどく弱体化してしまっています。これは、一部の人の強欲と無責任の結果ではありますが、厳しい選択をしたり、国を新しい時代に向けて準備してくることに私たちみんなが失敗したことにもよります。

オバマ大統領の就任演説を思い出せば、まともな怒りであると頷ける。
(上の日本語訳は 「あくあさん」による)

さて、自分のブログに戻る。
樹氷をつづけてアップしてるが、次のようなコメントをもらうと、どんなレスポンスをすべきか迷う。

  昨年歩いた辺りにモンスターが出現ですね。
  毎年拝見していますが、その度に歓声をあげています。
  実物を見てみたいと夢を膨らませています。
                   
TANOUEさんからのそれは、とても嬉しい!コメントである。が、「それでは直ぐにも蔵王へいらっしゃい」とお誘いできないからである。
TANOUEさんは、雪国で暮らされたことがあるから、冬の厳しさはご存じである。でも、蔵王(高山)の冬のそれは天気次第では想像を超えてしまう。
穏やかな日の蔵王の冬山は、それこそ美しく、感動を覚える。誰にでも「ほら、見て! 見て!」と言いたくなる。
厳しい冷気と強風が樹氷を育てる。その厳しい環境でだからこそいっそう美しく輝いて見えるのだろう。
温かい陽射しの日には、さしたる防寒も不要で、それこそ快適な雪国が楽しめる。そのような日になら南国の人にも異国情緒を堪能してもらえる。

ところが、荒れ出した蔵王は過酷な低温と吹雪で手足は痺れ、顔が突っ張り、呼吸さえ困難になる。
もちろん視界は閉ざされ、ただ寒さに震え、真っ白な暗闇にうろうろしなければならない。極寒の真っ只中で台風に出合ったような状態となる。
冬の蔵王は、そういう厳しい日が多い。穏やか快晴の日は、シーズン中でも10日もあるだろうか...
地元に暮らしていれば、山の天気を見てたしかめてから出かけることができる。
しかし、遠くからやって来られる方には、快晴の日とばかりとは限らない。運が良ければラッキーと喜べるが、逆の場合は不運では済まない。
「いつでもお出でください」と無責任にお誘いできないジレンマがある。

晴れ上がった蔵王は、ほんとうに誰にでもお観せしたい魅力がある。
樹氷はもちろんだが、地蔵岳から熊野岳への雄大な雪原は、アルプスとも違った広々とした風景が堪能できる。
また、雪で真っ白”お釜”(噴火口湖)も特異な景色だ。
遠くにいくつかの連峰が連なり、高山の稜線から見渡すそれは、日常とはまったく違う世界である。

TANOUEさんの膨らんだ夢を、ぜひ実現できたらどんなに良いだろう。
春の月山ですら、なかなか姿を眺められなかった。
真冬の蔵王で樹氷を楽しまれる時がくることをこころ待ちにしている。

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冬山は、晴れてればラッキー 
  1. 2009/01/31(土) 07:02:34|
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モンスターたち

残ってるモンスターたちを並べる

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今朝の気温2度、雪降りはじめる
  1. 2009/01/31(土) 06:48:43|
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冬の蔵王 09

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冬の蔵王 09

「天童の家」から蔵王温泉までは40分もあれば行ける。
蔵王の樹氷は、だから”地元の名所”と言っていいだろう。蔵王ロープウエーに乗ってしまえば、樹氷が観られる地蔵岳にすぐに着いてしまう。
世界に誇れる? 樹氷の地元にいて、観に行かなければ恥ずかしい? というものだ。そういうわけで、毎年行っている。

冬の蔵王は気温・風が厳しい。平地でさえ冬は厳しく感じるのだから 高山の場合はなおさらである。
気温-10度、風速10mの日常である。そうした厳しい条件が揃って、あの美しい樹氷ができ、またモンスターに育つ。
樹氷が観られるようになるのは1月中旬頃からで、3月下旬まで楽しめる。

アオモリトドマツに付着した雪が、風と冷気によってエビの尻尾状態で成長する。
樹氷は、はじめは樹状であるが、次第に奇っ怪な姿(モンスター)となって想像の世界を豊にさせてくれる。
今年は、1月28日に行ったが、地蔵岳の中腹から上は完全なモンスターとなってる。

1月の気象は不安定で、晴天になる日はめったにない。
2月中旬頃から晴れの日が次第に多くなる。日中、高くなった気温が雪面を融かし、融けた雪が夜間に凍る。それを繰り返すことで堅雪となる。
堅雪になれば、長靴のままで雪面上を抜からずに歩けるようになる。

地蔵岳頂上付近はトドマツがなくなり、南東に聳える熊野岳へ向かって道標だけが続く雪の大地となる。
遙か北方に浮かぶ鳥海山、その手前に円やかな月山の姿、その裾のを繋ぐように西方に雄大な朝日連峰が連なってるのを眺めながら真っ白な雪原を南南東に歩く。
右手西方に飯豊連峰、そのさらに南方に吾妻連峰を望み、アップダウンしながら熊野岳をめざして進む。
熊野岳の稜線に立てば馬の背の向こうに刈田峰が聳え立つの見え、馬の背の左方に五色岳。そこに目指す”お釜”(噴火口湖)がある。

昨年、お釜まで歩いたのは3月下旬近くだった。
その頃は、雪面は堅雪を通りこし所々アイスバーン状態になってる。もちろん表面近くだけであるが...
無雪期より、晴れてれば積雪のこの時期(堅雪)が楽である。ブッシュや石ころのない雪原が歩きやすく、また最短距離がとれる。
3月になれば、天気は安定し、晴れの日も多くなり、北方の鳥海山はもちろん、遙か南方の磐梯山さえ眺めることができる。

うう 雪国に暮らしてると、どうしたら楽しめるかなぁと、そんなことを考えて日を過ごす。
”思い”が 想い”になって、楽しみを生み出す

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今朝の気温5度、曇
  1. 2009/01/30(金) 07:20:41|
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蔵 王 へ

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蔵 王 へ

27日 午後7時の気象情報を見たら、28日の日本列島は高気圧に覆われ 快晴なのが分かった。
「明日、蔵王へ行く。いいだろう」
「お日さまがいっぱいね。何時に出かける?」
蔵王へはいつも朝早く出かけるが、冬場は違う。山が晴れてるのをこの目で確かめ、ゆるりと行くつもりだ。どうせまだ”お釜”までは行けないだろう。
「夏場と違うから、ゆっくり行く」
「おにぎりは?」
「一つだけ握って」

28日、起床時は日が照ってたが、朝食ごろから雲が出た。雲というより、蒸発した水分が靄になったのだろう。
気にすることはない。やがて晴れ上がるはずだ。
「飴も持ってったほうがいい」おにぎりと一緒に飴の袋を用意してくれる。

蔵王温泉への道を上りはじめる頃、予想通りに雲が途切れ、真っ青な空をバックに白い蔵王の山が望まれる。
午前10時、駐車場はすでに満車。係員が隣接してる無料の駐車場を教えてくれる。
ロープウエーもそれほど待ち時間もなく、比較的スムーズに乗れる。

防寒のためのそれはザックに入れたが、着用するほどの寒さではない。
樹氷は、山の中腹から上部がきれいに出来上がってる。すでに形はモンスター。早速撮影はじめる。
雪はさらさらと粉雪で、堅雪になっておらず、人の踏み跡は抜からないが、そうでない場所はずぶずぶと抜かって歩けない。

地蔵岳の頂上付近は吹雪いてるのがはっきり分かる。(”お釜”までは行けないなぁ)と判断する。予想してたことだ。
雪が堅雪になり、スノーシューなどを着用しないで歩けるのは、やはり2月になってからだろう。
それでも地蔵岳山頂めざし、登る。
空は晴れているのだが、風が雪を吹き飛ばし、さらさら流れる。寒い、冷たい。山頂は真冬の吹雪。
吾妻連峰、飯豊連峰ともに霞んでる。朝日連峰がわずかに望める。うすい雲が月山を包んでる。鳥海山は片鱗さえ見えない。
真冬の雪山なのだから、視界がきないのはしかたない。
2月になれば、もっと澄んだ晴れた空になるはずだ。その時にリベンジするしかないなぁ

久しぶりの冬山。樹氷に限っていえば、上々の日和だ。十分に楽しめた。写真もたくさん撮った。
来月あたり、良い空があればまた来たい。その時は”お釜”まで歩こうと思う。

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午後3時45分の気温1度、晴
  1. 2009/01/29(木) 15:46:50|
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モンスター

昨日、蔵王の樹氷(モンスター)を観てきたので並べる

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まだまだたくさんあるので、後日アップしよう
  1. 2009/01/29(木) 07:13:51|
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『国民的俳句百選』

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27日 「石段日本一」をアップした。あれで一番人気は「金刀比羅宮」であり、私が調べた石段数は1368段だった。

長谷川 櫂 著『国民的俳句百選』講談社を読んでた(何回も繰り返し読んでる)ら、金刀比羅宮で詠んだ 一茶の句が出てきた。

       おんひらひら蝶も金ぴら参り哉   一 茶
 一茶は若いころに西国を旅したとき、金比羅さんに参っているが、この句はそのとき詠んだのではなく、その二十年後、故郷の信州に帰ってからの作。
 きっと若き日の金比羅参りの印象が、長い歳月を経て信心深い一羽の蝶になったということだろう。
 目もくらむ高い石段を登る善男善女のかたわらを、真昼の夢のようにひらひらと蝶が舞う。蝶々もお参りとは、何とのどかな金比羅さんの春。

 おもしろいのは「おんひらひら」という祝詞のような言葉。よくも「ひらひら」などという擬態語に「おん」をつけたものだ。
 金比羅さんにお参りする蝶なら、ひらひらと飛ぶ、その「ひらひら」さえ、まことに尊い。
                     248 ページ
上に転載した文は、終わりの約四半分である。
また、「おんひらひら」の「ひらひら」の繰り返しの「ひら」は、平かなの「く」を長くしたような繰り返し記号?であることを断っておく。

著者の文は、転載文の先の部分が面白いのであり、興味ある方は全文を読まれたらいい。
そのある箇所に、次のような記述がある。

 金比羅さんをただの神社と思ったら、大間違い。琴平山をおおう照葉樹の緑深い森のあちこちに、社やお堂などの施設が散在する。
 それを結ぶ表参道の七百八十五段の石段、琴平山全体を一つのお城と考えれば、実際の姿に近いだろう。

うう、石段の数がだいぶ違う。1368 - 785 = 583 ずいぶんと差があるけれど、これはどうしたことだろう。
石段の数が違うからといって、述べていることが本質的に変わるとかということでは勿論ない。
っふふ、読んでいて(う~ん、もう少し数が多かったのじゃないかなぁ)と思っただけである。
それで確かめたら、違いが分かった。どんなふうに数えられたのか知らないが、「こうである」と分かれば(面白いなぁ)である。

『国民的俳句百選』は、俳句の奥深さを如実に教えてくれるいい本である。
百句の他にもいくつもの名句が紹介・解説されているから面白い。ちょっとした暇に繰り返し楽しんでいる。

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今朝の気温0度、晴
  1. 2009/01/29(木) 06:40:58|
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親子の情愛


2008年11月19日のブログは「生きる悦び」の見出しで短歌と俳句を例の如く並べた。
下は、その時に掲載させてもらった歌で、その作者から27日にコメントをいただいた。

       知恵うすき吾娘なればこそかくのごとかき抱かせる十八の体  天理市・乾 喜宏
哀切がじわーっと伝わってくる。この気分をうまく表せない。

   掲載御礼
 私の歌を取り上げてくださってありがとうございます。
 私にとってこの短歌は朝日歌壇に8年ぶり2回目の入選となる記念すべきものとなりました。
 まあ、そんなに熱心な投稿者でもなく、これまでの投稿歌のできも悪かったので当然のことではあるのでしょう。
 この歌もちょっとわかってもらえるかなあというような気持ちで投稿したのですが、幸綱先生に拾っていただきました。
 尚、前回8年前の入選も幸綱先生選でありました。
 さて、この歌の意はもう汲んでいただいているとおりです。
 女の子も18歳くらいになりますと親特に父親なんかは遠ざけてしまいます。いや、もっと早くからかもしれません。
 うちの娘は重度の知的障害があり、自閉的傾向を持つと診断されています。養護学校に通っており、この3月で卒業し、地域の作業所に通勤する予定です。
 私達夫婦は結婚以来9年目に超未熟児一歩手前の低体重で生まれてきた子を他の子と比べて遅れるのは仕方がない、ぼちぼちと長い目で育てていこうと見守っていましたが、2歳半頃にいよいよその障害がはっきりとしたものになってきたとき、随分と落胆したものでした。
 一生の重荷を背負った…というような気持ちだったでしょうか。
 しかし、そんな嘆きは一時のこととし、妻は懸命に我が子の療育のために少しでもいい環境をと走り回り、私も休日にはできるだけ一緒に何か体の運動になるような活動を心がけました。
 そんなことをしながらのこの18年間でした。そして、ついに学校とはおさらばとなるわけですが、いよいよ社会の荒波にさらされると言うのは大げさですが、年をとっていく親達にとっては将来に対し暗然たる不安を抱かざるを得ません。
 娘は私が両手を広げて抱擁を要求するといやな素振りを見せながらもそれを受け入れてくれます。
 私と娘とのスキンシップができているのです。
 私はそれを喜びながらも娘が健常に成長し、やれ携帯を買え、服を買えだの要求をし、またどこの学校へやらそうかと世間一般の親が悩むような悩みを持ちたかったなあなどと詮無い思いがふとした瞬間に湧き上がるようなことがあります。
 しかし、そういう思いにもう立ち返ることはない、私の目の前にはこの子がいるだけなのだという思いをより強くする意味もこめて私はこの子を抱きしめるのです。

                   2009/01/27(火) 21:17:32  乾 喜宏

もちろん 乾さんを少しも存じ上げていない。だが、31文字で表現される歌のこころがじわーっと伝わってくる。(いい歌だなぁ)と感激し、作者に断りもなく使わせてもらった。
本来なら、作者の了解を得るのが筋だと思う。それをせず無断で拝借している。申し訳ない気持ちの一方で、逆の気分も否定しきれない。勝手なものである。
乾さんのように「掲載御礼」を頂くと、ほんに恐縮する。ありがたいことだと嬉しくなる。

  1. 2009/01/28(水) 08:01:04|
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悲しみは

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       転がった錠剤二人で探した日今はおろおろ一人で探す        広島市・山田ミサ子
       あなたよりわたしがさきに死ぬだろう病む妻いえり死なせるものか  浜松市・松井 恵
『山田さん、伴侶を亡くした寂しさは、こんな些細な行為の中に不意に際立つ。松井氏、結句「死なせるものか」が悲しく、しかし強い響きで読者を衝つ。』永田選者が二席・三席に選んだ歌への”評”にも共感する。

       悲しみは乗り越えるものではなくてゆっくり忘れていくものである  甲府市・網倉てる美
悲しいことは十全に悲しみ、悔しいことも逃避せずに悔しむことで、それらの感情は自然に消退してゆく。無理して乗り越えたり、忘却することではない。
いわゆる『喪のしごと』といわれる過程を経ないと、心的外傷をのこすことになる。

       大晦日帰省の息子二夫婦吾が打つソバのよき客となる        佐久市・西村忠士
美味く食べてもらえるのが最も嬉しい。自分もソバを打つから、西村さんの気持ちがよくわかるなぁ

       野に遠く木曽の大河は蛇行して枯れ田を分かち海へなだるる     愛西市・坂元二男
大河は陽に煌めきながらゆったりとした蛇行を繰り返し、やがては海に入る。そういう大河を眺めるのが大好きだから、坂元さんのそれも目に浮かぶ。

       かじられて「おうち帰る」と大泣きの二歳よ獅子はお父さんだよ   鹿角市・佐藤拓子
親子の姿や声が鮮やかにイメージされるなぁ

       三日連続全便欠航に肉・野菜・卵・牛乳消えし島のコンビニ     稚内市・藤林正則
日本の食料自給率の現状と日本列島を重ねて考えれば、日本のおかれている食の状況は、島のそれと大差ない。時間(期間)がわずかに長くなるだけで、早晩 それらは消えてしまう。

       追羽根のつひに泣かせてしまひけり     玉野市・勝村 博
       薄氷が薄氷に触れ流れゆく         飯塚市・千代田景石
       見回して蜜柑ついばむ目白かな      新居浜市・堀ノ内和夫

次の歌も気に入り、また面白いと思った。
       除雪車のひびきにわかに近づきて峡の夜明けの常より早し      群馬県・真庭義夫
       わだちこそ頼みと歩む雪道を人も車も譲り合いつつ         山形市・大沼武久
       親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす    ホームレス・公田耕一
       屋根があるだけの違いよ公田さん年金生活薄氷の上        北九州市・中村テルミ

                   短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(26日付け)より

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今朝の気温-4度、晴
  1. 2009/01/28(水) 07:14:54|
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オバマ大統領就任演説

池上 彰(ジャーナリスト)が27日の朝日新聞「新聞ななめ読み」に書いたそれを面白く読んだ。
以下に、その後半部分を転載する。
 
     「オバマ大統領就任演説」 日本語訳でも各紙奮闘

 演説でオバマ大統領は、アメリカが過去の危機を乗り越えられたのは、指導者の能力ばかりでなく、人民が建国の理想に忠実だったからだと語った上で、こう述べます。

 「これまではそうだった。そして、この世代の米国人もそうあらねばならない」(朝日)
 「ずーっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない」(読売)
 「それが我々の伝統だった。我々の世代にとっても、そうありつづける」(毎日)
 新聞によって演説文の雰囲気が異なりますね。

 アメリカの経済が危機に陥った原因を、オバマ大統領は、こう分析します。
 「それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果でもある」(朝日)
 「一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である」(読売)
 「その原因は一部の人々の貪欲さと無責任さにあるものの我々は困難な選択を避け、次世代への準備にも失敗している」(毎日)
 米国民としての自己批判のトーンは、読売が一番厳しい表現になっています。

 演説は佳境に入ります。
 「さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅してきたかを」(朝日)
 「だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう」(読売)
 「我々が誰なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたか。今日という日を、それを記憶に刻む日にしよう」(毎日)
 平易に、しかし格調高く。心に響く演説を書くことが、いかに困難なことであるか。
 各紙の奮闘ぶりを見れば、それが分かります。


転載を頻繁にするのは、褒めたことでないのは承知している。
ただ、こうして書き写していると、読んだだけでは分からないこともちゃんと分かってくるから嬉しい。
書き写すことの重さを噛みしめている。

午前10時25分の気温1度、先ほどまで小雪舞う。今は日射しが明るい
  1. 2009/01/27(火) 10:24:26|
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石段日本一

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石段日本一

朝日新聞 連載に「案内人と決める『日本一』は?」がある。
日本一にもいろいろあって、それがラーメンだったり、お好み焼きなどと種々雑多。
21日は、石段だった。

石段日本一は、案内人 大林宣彦(映画監督)氏と編集部で候補を選び、朝日新聞「アスパラクラブ」のホームページでアンケート調査(複数回答)したのを纏めたものである。
回答総数は8401人で、その結果は次の通り

   1位 金刀比羅宮(香川)     2777人    1368段
   2位 山寺・立石寺(山形)    1617人    1015段
   3位 日光東照宮・奥院(栃木)  1230人    1425段
   4位 三寧坂(京都)       1135人      46段(長い石畳の道)
   5位 熊野那智大社(和歌山)    938人     467段
   6位 姫路城(兵庫)        863人
   7位 尾道・千光寺公園(広島)   860人
   8位 知恩院(京都)        810人
   9位 室生寺・奧院(奈良)     795人     197段
   10位 羽黒山(山形)        776人    2446段

ちなみに日本一長い石段は、釈迦院(熊本県)3333段(御坂遊歩道)のようであるが、昭和63年3月完成で歴史が浅く、候補にも上がってないようだ。

山形の 山寺と羽黒山の2カ所が入ってる。っふふ それが嬉しくて、このようなページを立ち上げた。
なお、石段数は、自分で調べたので、正確かどうかは自信がないが、山寺と羽黒山はまちがいない。どちらも四季を通じ佳景であり、自慢に思っている。

上の10カ所の内、山寺・羽黒山は地元だからよく知っているが、他に 金刀比羅宮と日光東照宮に行ったことがある。
しかし、まだ行ったことにない所がたくさんある。できればそういう場所を観たい気がする。

うふふ 自身、高いところが好き。うん 階段上るのも好きで、登り切ったときのそれは登頂した時の気分に通じる。
やはり体力があるうちでないと行けなくなるなぁ

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今朝の気温2度、曇
  1. 2009/01/27(火) 06:37:53|
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晴天つづき

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晴天つづく

「こんなに晴れた天気が続いて助かる。いつもはどんよりした日が何日もで 気持ちまで塞ぐんだけど、今年はいいなぁ」妻がいかにも気持ちいい顔でいう。
「うう やはり温暖化なのかなぁ 雪がないのはいいのだが、水不足になると困る。まだこれから降るんだろうけど...」
「雨が降れば、心配ない。雪は山にだけ降ればいい」妻が断定的に言うから可笑しい。
「そんなふうにうまくいかないよ。地球温暖化でいちばん困るのは、気候変動でね、影響が深刻なのは食料が確保できないことだな。100年に1度の恐慌などと騒いでるが、温暖化でいちばん恐ろしいのは気候変動で起こる食料不足、それは金融恐慌を超える大問題なんだぞぉ」
「こんなに暖かい日が続くのを喜んでばかりいられないの?」
「う~ん、晴れが続いてるは温暖化だと断定できないけれど、もし温暖化のせいなら喜べない... でもなぁ 冬の温かいのは嬉しいねぇ」
雪掻きや雪片付けをしなくていいのは大助かりだ。

なによりも良いのは、晴天が気持ちまで晴れやかにしてくれる。
どんよりと曇った空は、鬱陶しくこころまで重たく塞いでしまう。
しかし、もしこれが地球温暖化のせいだとしたら、うう 嬉しがってばかりはいられないなぁ

雪国に長く暮らしてきた者にとって、冬の温かさや雪の少なさはほんとうに嬉しいものだが、また反面ある落ち着きなさを覚える。
雪国の冬は、やはり雪があった方がこころ落ち着く。
今日(25日)は、当地区では”雪灯籠まつり”である。しかし、雪の量が少なく はたして思うような作品が出来るかが心配である。
雪祭り等は、積雪量が多いほど盛り上がるものだろう。このように少なくては創作意欲も削がれてしまうかも知れない。

っふふ、考えてみれば、人間はなんと勝手な生き物だろうと可笑しくなる。
雪が降れば、いろいろと厄介だ思うけれど、逆に ね、少ないと落ち着かないと思うから身勝手だ。
うう なにが基準になるかは明らかではないが、冬にはやはり適当?に雪が降り積もった方がいい。

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今朝の気温-1度、晴
  1. 2009/01/26(月) 07:25:20|
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知事選挙

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雪融け

降り積もった雪が、春になると融けるのは不思議ではなく、ごく自然のことである。気温が高くなっているから融雪がはやい。
「誰かが盗っていくようだ」と言ったとか... まさか雪を盗む酔狂者はいないから、昨日あった雪が見当たらない融雪の速さを言ったのだろう。
それにひきかえ真冬の雪融けは、日が照っても気温が低いから目に見えるほどはやくはない。

しかし、22日・23日の春先みたいな陽気は一気に雪融けを加速させた。
散歩して、里山の南面が山肌を現しているのに驚いた。もちろん日が当たらない北面にはまだどっさりと雪がある。
それにしても、平地には同じ日が照っていたのに雪が残っているのに、里山の南面には黒い地面、草の緑が鮮やかに見える。
里山の北面は雪深く、平地は積雪の嵩は減じているがまだ20センチ近くある。なのに山の南面は無雪というぐあいである。

風景を南側から見れば、まるで春先のようなまだらもよう。しかし、北側から眺めるそれはやはり冬景色。
スーパー農道から観る里山の北面は白く、南面はまるで春先のような風景がちぐはぐで面白い。

(ここまで書いたところに来客あり。結局、Tさんと酒を酌み交わすことになる)
町内自治会総会も間もなくだ。今年は役員改選の年だからなにかと落ち着かないだろう。
そういえば、明日(25日)は知事選挙だ。Tさんは投票管理者だから、朝6時半から夜9時まで公民館に缶詰で、ご苦労なことだ。

うう 再び書きはじめるが、うむむ 何を書こうとしたのかわからなくなってしまう。
そんなに呑んだわけでもなのだがなぁ
「また降りはじめた」妻が書斎に顔を出して言う。やはりまだ真冬だものなぁ

明朝は、また雪掻きしなければならないのだろうか。でも、それはしかたないことだ。

今日の画像もスーパー農道で撮ったものである。

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/01/25(日) 07:30:02|
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スーパー農道 2

下のキジ画像が、あまりに見苦しいので... 同じスーパー農道で撮ったのを並べよう

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  1. 2009/01/24(土) 07:35:44|
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スーパー農道

キジのいいわけ

この頃しばらく降雪がない。雪でなく雨が降ってる。だからといってかならずしも温暖化と決めつけられないだろう。
いまのところは、温かい少雪の冬であり、暮らしやすく助かっている。
降り積もった雪がまだ消えずに屋根や田圃・畑に残っているが、道路や雪が落下した屋根、あるいは土手の日当たりの良い所などは雪がないので景色はまだらになってる。

無雪季の散歩道である立谷川沿いのサイクリング道路は、まだ雪が残ってて歩きにくい。だから除雪されてるスーパー農道を歩いている。
もちろん車が行き交うが、それはしかたない。街の道路とちがって交通量も多くないから散歩には支障ない。
片道30分をメドにして、気が向けば足をのばす。眺めもサイクリングロードとはかなりちがうので新鮮な気分もある。

ブログに使う画像も、ほとんどスーパー農道で撮ったものである。
里山の裾に沿った道なので往路は右方が山、左方に家並みや田畑が広がってる。復路は逆になる。比較的直線的な道なのだが、けっこう起伏があって、往路は下りとなっている。
サイクリング道は、往路がややのぼりで、帰りは下りとなって高低差をそれほど感じないが、農道は逆だし、また帰路が上り坂だから汗をかき、疲れも覚える。散歩から戻ったら着替えが必要となる。

散歩時はカメラを携行するのだが、草花や蝶などを撮るときは望遠レンズを装着し、主に景色を撮ると思う際は広角レンズを使う。
冬はほとんど景色が被写体というか、広角で間に合う。
ところが、先日キジに出合った。持ってるカメラには広角レンズがはまってる。(あぁ、望遠が欲しい!)と思ったが、ない。
しかたないので広角で撮る。散歩後に望遠に変え、車でキジがいた場所に向かう。しかし、キジの姿はどこにも見えなかった。

翌日から、望遠と広角を携行する。
何枚か撮るが、全部広角だけで、望遠を使うことは皆無だった。うう、けっこう重たい望遠を往復持って歩き、へへ 汗が流れる。
散歩は仕事代わりだからと自分に言い聞かせる。

歩いていたら、地元のT市会議員と出合う。知事選と県会補選中なので「よろしくお願いします」と投票を頼まれる。
「傑作を撮ってください」と励まされ、うう カメラ 2台持って、なんとなく恰好だけは良いかなぁと可笑しくなる。
っふふ とまぁ いろいろなことがあるものだなぁ

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今朝の気温2度、晴
  1. 2009/01/24(土) 07:02:35|
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アメリカに学ぶ

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アメリカに学ぶ

師走だ、お正月だ といってたのに、もう23日になる。
ここ数日間は、降雪もなく温かく穏やかな日が続いている。うん なんとも暮らしやすく助かる。雪でなく雨だから、積もった雪も溶ける。
そうは言っても、屋根にはまだ20センチを超える雪があるし、除雪しない道は歩くのに骨がおれる。
隣家へ来る職人たちは、雪をダンプトラックで運びながらの仕事だからたいへんだなぁ

NHKクローズアップ現代は、21日・22日の両日 オバマ新大統領特集だった。
彼の就任演説は、リンカーンやケネディのそれに並ぶ名演説と人口に膾炙されたことを伝えてる。
アメリカ国民は、全世界の人々に希望を与え、また数々の課題に取り組みはじめた大統領に大きな拍手をおくり、共に歩みたいと語っている。
アフリカ系(黒人)の彼を大統領にしたのは、それまで政治に無関心な庶民たちであることを彼等は自覚しはじめ、今後も政治に注目していきたいと話す。

オバマ陣営は、インターネットを最大限に活用し、それまでの選挙戦を変えた。
アメリカ国民は、ネットを通じて政治に参加し、自分たち庶民の力を発揮することを知った。民主主義の最大の武器は選挙だということを実感した。
ネットを通しコミュニケーションが活発になり、活動資金が集まった。庶民の意思が政治に反映されることを知った意義は大きい。
政治や社会は、決して一部の人々だけのものじゃないことを誰に遠慮なく主張できる喜びをあじわった。

オバマ政権の進む道は、難問・課題が山積している。戦争・経済・医療保険など容易に片付く事柄ではない。
期待が大きければ大きいほど、挫折したときの失望感は深刻である。
新大統領が示した希望が、現実世界でどのように実現していくのか大きな楽しみである。
ネットは、これからも大きな力を発揮してくだろう。情報の収集、意思決定の過程、政策の具体的な説明、中身の濃いキャッチボールが繰り返され、人々はその都度必要な行動をおこすことになろう。

それにしてもアメリカという国は、若い。アメリカ初代大統領ワシントンが国父といわれ就任したのは1789年で 220前だし、奴隷解放をはたしたリンカーンが第16代大統領になったのが1861年で 138年前。
1861年の日本は、NHK」篤姫」で観たあの徳川家茂将軍時代で、前年には日米通商条約批准交換のため新見正興らが品川沖よりアメリカ軍艦ポーハタンで渡米してる。また桜田門外の変で井伊直弼が殺される。
翌62年には皇女和宮が家茂に降嫁し、尊皇攘夷とか公武合体などの動きが活発化する。そういう時代背景をみると、つくずくアメリカの若さ、柔軟さに驚く。

アメリカにもさまざまな見方がある。その一端を次ぎに転載する。
2009年1月21日 16時53分  毎日ニュース【ワシントン草野和彦】
<オバマ新大統領>市民「責任」に戸惑いも
 「我々は希望を選んだ」。オバマ米大統領が呼びかけると大観衆からオバマ・コールがわきあがった。
 大統領就任式が行われた米ワシントンは、深夜まで祝祭ムードに包まれた。パレードや舞踏会が花を添える。人種差 別や金融危機、紛争を乗り越え、相互理解と統合を目指そうと呼びかける就任式は、人々に勇気と感動を与えた。一方、「責任」を求めるオバマ氏に戸惑う市民の姿もあった。

 ただ、オバマ大統領は就任演説の中では「希望」という言葉を3度しか使わなかった。沸き立つような観客の盛り上がりも乏しかった。
 「責任を果たすべき新しい時代だ」。現実を突き付けられた聴衆の中には立ち去る人もいた。
 「彼も今日からは、大統領として言ったことの責任を持たねばならない」。白人女性のビアタさん(40)は冷めた声で指摘した。

一方、日本の政治状況をみれば、なんとも肌寒い。
しかし、他人事のように肌寒いと言ってはいられない。
早晩、総選挙が行われる。アメリカ国民を羨ましがってるだけでは済まされない。真の民主主義が行われる国をつくっていかねばならないと考える。

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今朝の気温5度、雲多い
  1. 2009/01/23(金) 06:46:15|
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柚子風呂

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柚子風呂

       我もまた靴を投げつけたき人のあると思ひて靴ひもを締む     尾道市・堀川 弘
ブッシュ米大統領が8年の任期を終えた。20日、44代米国大統領にオバマ氏が就任。ブッシュ氏の功罪はいろいろ言われているが、うう 靴を投げられたあれは象徴的な事件だったなぁ
誰にでも靴を投げつけたい奴が一人二人いるだろう。うん、いるけれど、それは心の内だけで抑えるしかない。

       残るもの切られ去るもの言言わず見守る守衛も無言にて立つ    本宮市・廣川秋男
それぞれがそれぞれの思いを抱きながらも、それは言葉として発せられない。いつからこんな人間社会になってしまったのだろう? 
人は霊長類の頂点に立って、賢く、弱肉強食の動物世界とはちがうと思ってきたが、もはや区別がなくなってしまったなぁ

       日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る   ホームレス・公田耕一
社員は家族 終身雇用制の日本では、そう言われてきた。だが、いつの間にかリストラという名で馘首がいとも簡単に行われるようになった。
仕事と住む所を失った人々が多くなってる。これが今の日本の姿。なんともうら悲しい。

       雪降れば雪を喜び雨降れば雨に感謝す山寺暮らし         群馬県・酒井せつ子
上3首だけではあまりにも切ない。癒しの歌も欲しいと思う。酒井さんの歌が嬉しい。

       愛情込めて呼ばれる「おまえ」なら呼び方なんかにこだわりません 大津市・纓坂佳子
「おまえ」は、「御前」からでた言葉だろうか。「きさま」も「貴様」からかなぁ。もともとは「御前様」とか「貴殿」などと同じように使われていたのだろうが...
言葉は、使い方によってニュアンスが変わり、同じ言葉でもまったく逆の意味になってしまう。
「あなた」もひらがなと漢字(貴方)ではだいぶ違った感じになるなぁ

       少年の自転車で来し年賀状     郡上市・曽我真理子
       白菜の石垣のごと積まれをり    春日市・白石典子
       柚子風呂に山の幸ある泊まりかな  大阪府・辻 千緑
       ひっそりと職失ひし年暮るる    弘前市・三浦博信

                  短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(19日付)より

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今朝の気温2度、曇
  1. 2009/01/22(木) 06:54:34|
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旅の準備

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旅の準備

5月の連休に九州旅行を予定している。できればゴールデンウイークを避けたいところだが、妻の仕事で平日は続けて休めない。
でも、考えてみればゴールデンウイークと言われるように寒くなく暑くない梅雨前の気候は、まさに絶好の旅行時期といえよう。
長い間温めてきた九州旅行だから、なんとも嬉しい気分で、ガイドブックを眺め、いろいろ検索などしながら準備を進めている。

ゴールデンウイークは、やはり多くの人々が行楽に向かい どこも混むだろうから、早めに足や宿を確保したいと旅行会社に出かける。
100年に1度の金融恐慌と騒がれ、不況風が吹きまくり、生活防衛に必死という世情だから、旅行なども控えめになるのかなぁとの思いは、的はずれというか、旅行会社の店先は混んでいる。
すでに何組ものクライアントが熱心に話し合っており、妻と私は順番待ちで、次々に待ち席も塞がってく。ここのようすから不況風は感じられない。

案内パンフは2ヶ月前に発行されるようで、5月のそれは3月になって出来るという。
係員は、いろいろな案を話してくれる。「まだ日にちがありますから、パンフが出来ましたら改めてご案内いたすます。今日は飛行機の予約だけにさせてもらいます」
山形空港からの発着は、便数も限られ割高。仙台空港の場合は「お勧めできるパック商品が」あるので、それまでにいろいろ検討したらいいとのアドバイスを受ける。
妻の意向は、近くの山形空港からの発着が望みらしいので、私もそうしたい気分が強い。でも、係員の親切?もあるので、すぐに断定しないで旅行会社を後にする。

飛行機は、3日に山形空港を午前に飛び、伊丹空港経由で午後のはやい時刻に熊本入りする。
その日の午後は観光できる時間がだいぶあるだろう。
6日は大分空港から午後に飛び立ち、やはり伊丹経由で山形空港へそんなに遅くない時刻に着く。
当面はそういう日程であるが、旅行会社のもっと良いパッケージがあれば変更もあり得るが、まぁ 大きくは変更ならないだろう。

3日の宿は、熊本にお住まいの方から紹介していただいた南阿蘇の「四季の森温泉」に予約した。
4日の宿も別のところ(阿蘇)をとった。
5日の宿(別府)は、旅行会社との相談で決める(腹案はあるが、パッケージとの絡みで申し込みはまだ)つもりだ。

5月の連休だから、まだまだ先のことだが、予約だけはちゃんとした。うう こういう準備がけっこう楽しい。

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今朝の気温0度、薄明
  1. 2009/01/21(水) 06:33:06|
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高齢者の陥穽

                
      三遊亭円楽 同じ日に両手首バキッ!ボキッ!
                          2009年1月20日 06時02分   スポニチ
 07年2月に引退表明した落語家の三遊亭円楽(76)が、両手首を骨折する大ケガを負っていた。20日発売の女性誌「週刊女性」(主婦と生活社)が報じている。

 円楽は昨年末に自宅内の階段で転倒し、片方の手首を強打。さらに同日中に再び階段で転倒し、もう一方の手首を床に打ちつけたという。
 家族によると、円楽は当初、骨折したとは思わず病院には行かなかった。
 だが、年明け以降も痛みと腫れが引かないため、都内の病院で診察を受けたところ「両手首の骨折で全治約1カ月」と診断された。
 19日も診察を受け、順調に回復しているという。円楽は05年10月に脳梗塞(こうそく)で倒れ入院。07年11月には胃がん、昨年4月には肺がんの摘出手術を受けている。

上のような記事を読むと、う~んと唸ってしまう。
老いると骨折し易くなる。さらに骨折してもそれと気づかずに放置してしまう。運動能力(平衡感覚)が鈍くなって畳の縁でも躓き転倒する。骨が脆くなってるから骨折に結びつく。
さらに感覚も鈍くなっているから、痛みにも反応しにくくなり、骨折でもそれと気づかない。
老人は湯たんぽや炬燵で火傷を負うことがしばしばである。若い人には考えられないようなことが老人の身に出来する。

昨年は「後期老齢者医療保険」料金を年金から天引きする件で世間に大きな話題をよんだ。というより「後期高齢者」という名称が不適切ということだった。
たしかにもっと適切な名称があるかもしれない。しかし、その名称をどのようにしようとも高齢者の実態は変わらないのも事実である。
高齢者でも元気いっぱい活躍している人も勿論いる。だが 総じていえば、老齢者の身体は衰え、脆弱になってるのは否定できない。

何時、骨折や火傷や交通事故にあうか、その陥穽はいたるところに隠れている。
肉体の衰えは、運動能力を、身体感覚を鈍らせ、気づいた時には手遅れになってることがこわい。
認めたくないことだが、認めなければならない。それは高齢者の義務というか、あり方だと思う。

若いときには分からないことや感じなかったことが、歳をとることで(なるほど、こういうことだったのかぁ)と豊な気分になることがよくある。
大袈裟に言えば(生きていてよかったなぁ)と思うことがある。だから毎日をだいじにいきたい。
と同時に、やはり高齢者のありようも現実に即したもので対応せねばなるまいと自身に言い聞かせている次第である。
どこあるか分からない落とし穴には充分に気をつけていきたい。

午後1時15分の気温3度、雲多いが日射しあり
  1. 2009/01/20(火) 13:14:49|
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応分の楽しみ

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歳相応の楽しみ

あまり書きたくないことだが... でも、書かないのも癪だなぁ、と思うから可笑しい。
加齢による行動・意欲の減退のこと。
退職した当時のことを思い出すと、暇さえあればどこかに遊び歩いていた。特に、温泉が好きで、一人ででも気軽に湯浴びをしに行った。
また撮りたい所には、少々遠方でも車を走らせたものである。好きな登山もした。樹氷を撮りに何度も冬山へ出かけた。

なのに現在の自分をみると、明らかに行動力が減退というか、少なく(小さく)なっているのをはっきり自覚する。
まず好きだった湯浴み、近くに日帰り温泉”ゆぴあ”があるのに、もうしばらく行っていない。以前は、山辺や寒河江、さては大江町の”柳川温泉”などまで行ったものだ。
1月も中旬過ぎれば、蔵王の樹氷も見頃になる。地元(と言っていいだろう)に居ながら目前の蔵王へもなかなか腰が重く、出かける気分にならない。
冬の最上川がきれいで、被写体の少なくなるこの季節にはいそいそと、まるで恋人にでも会いに行くような気分だったが、最近はその恋人に会いに行く気も希薄になってる。

これらはすべて加齢による意欲・行動力の減弱によるものであろう。
「パパ、今日『雪中カルタ取り』があるけど...」妻が「行ってみたら」という思惑で話しかける。
「うん、もう何回も撮ったからなぁ」と、「行かない」を前提にした返事になってしまう。
「ママ、一緒に歩かない。スーパー農道辺りを歩こうよぉ」天気も良いし、のんびりと妻と二人での散歩がしたい。
人混みの中に出かけるのは、なんとなく億劫になってしまった。これも気力の衰えだろうなぁ

加齢による衰えを強調したくはないけれど、これはやはり避けられない現実である。この現実を直視しないわけにはいかない。
古希ともなれば、気持ちではいくら若い気分でも、肉体は歳相応に老いてくのを実感する。
気持ちでは、まだまだ冬山だって登れると思うし、マイペースさえ守ればやれきれるだろう。しかし、(ムリ出来ないなぁ)との気分が上回る。

妻と一緒に除雪されたスーパー農道をゆっくりと歩く。他愛ない会話を交わしながら、へへ 手をつないだりして... 誰かが見たら おかしな夫婦と思うかも知れない。
でも、いくら好天とはいえ、冬道散歩で出合ったのは年老いた男性が二人だけだった。そういう意味では、誰からも邪魔されずにのんびりしたいい散歩ができた。
ハッとするような大きな感動を受ける景色には出合えなかったけれど、それでもほんとうに身近な、そう卑近な風景に小さな感動をみつけてシャッターが切れた。
妻とほのぼのしたこころかよう濃密な時間をもてたことがなによりの幸せなひとときだった。これこそ穏やかな幸せだなぁ。

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今朝の気温2度、曇
  1. 2009/01/20(火) 07:20:17|
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行 動 化

「行動化」

「行動化」といえば、それまで動かないでいた人が、動きはじめることだと思うのが通常だろう。
「考えを行動に移す」とか「勝手な行動をする」などで表現されるようなことをさすように思う。
だから、「憲章の行動化に向けて」などという使い方がされ、だれもおかしいとは感じない。

ところが、精神医学で「行動化」という場合は、別の意味で使う。
 「行動化」(acting out) 精神分析学の概念の一つ。
 言語化(verbalization)を治療者・患者間の交流の主な手段とすべき精神療法過程で、患者が治療場面内で言語を用いるかわりに、治療場面内の行動または治療場面外の言動によって自己表現を行う現象をいう。
               (精神医学事典 弘文堂)

分かり易い具体例をネットから転載する。http://blog.goo.ne.jp/smf405/e/85f7e559c9393463d6e0b9a9368efd54

  少し前のニュースで、ピカソの名画「夢」の所有者の資産家が、長年所有していたこの作品を他人に譲ることが決まり、いよいよという時になって、うっかりよろめいてこの絵に肘鉄を入れて破いてしまい、契約がポシャったというものがありました。
  しかし、この話、非常に興味深いです。 特に、このオーナーが長年愛して已まなかった 作品で、いよいよお別れ、というその時だった だけに、精神分析論的には、明らかな行動化 (Acting Out) が推測されるわけです。
  行動化とは、人が、様々な 言語化できない 無意識の心的葛藤を、文字通り、行動(Action) によって表現することで、多くの場合、当の 本人はその行動を意識的に、意図してやっている わけではありません。

  ある人との約束をうっかりすっかり忘れて すっぽかしてしまったり、お金を払い忘れたり 寝過ごしたり、誰かに連絡しようとしたら 連絡先の書いてあるメモをなくしたり、 会議の前夜に熱を出したり、セックスしていて 間違えて昔のパートナーの名前呼んじゃったり、
行きたくない目的地に向かっている時に 事故を起こしたり、パチンコに夢中になっていて 子供を車の中に置き去りにしていることを 忘れてしまったり、乗り気でないプロジェクトの 文書を作成中誤ってデータを消去してしまったり・・・ と、
枚挙にいとまがないけれど、 本人にとっては、 「あぁ、やっちゃったぁ。どうしてかなぁ」 っていう、一見うっかりミスのように見えることが 実は無意識の願望や、葛藤や、受け入れがたい想いが そうした形をとって表現されることは非常に多いです。

  Act(行動)で、Out(気持ちを外に)出すわけです。 そして、少なくともこころのどこかで不本意だった その計画は、こうした突発的な「間違い」によって サボタージュされることになります。
  ホントに単純なうっかりミスなのか、そこに 何かしら本質的な意味があるのかは、やはりその 行動の起こったタイミングだとか、様々な背景的な 状況などが判断材料になりますが、この肘鉄は・・・
  きっとやっぱり、お別れしたくなかったんですね・・・ 大丈夫、「夢」は永遠にあなたのものです。

  そういうわけで、自分でも不可解な、 「え~なんで!?」というミスを犯した時、 その根本的な心的要因について自己分析して みると、普段得られないような気付きが 得られたりします。行動化は、無意識からの 貴重なメッセージです。

うう、先日の夢で、妻の顔を殴ったのが「行動化」とは言えないかも知れないが、こうやってこころの中を眺めると、ね なんとも不可思議な世界が広がっているんだねぇ。

正午の気温5度、雨
  1. 2009/01/19(月) 12:03:06|
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夢 分 析

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夢分析

先日、夢をみながら妻の顔を殴ったことを書いた。
妻は、ドンマイというけれど、(なぜ? いったいどういうことなの?)と解せない。
夢についていろいろ検索してみたが、行動化?したことに関しては、よくわからい。

検索しながら「夢分析」の具体的な内容に出合い、あまりにも理路整然した分析にかえって(本当?)と首を傾げてしまった。
学問的な論文に、素人が疑念をもつなど失礼だと思うが、あまりにも分かり易いので、逆にそんな感じを抱いたのであろう。
以下にその全文を転載する。 http://homepage1.nifty.com/eggs/houhou/yume/yumehowto.html

 夢分析の方法
   Ver 1.0 2000/01/25
 私たちは眠っている間に夢を見ますが、この夢とは何かというと、精神分析では抑圧された願望などが夢という形で表現されるのだというふうに理解します。たとえば、雨が降って遠足が中止になったとき、遠足に行っている夢を見るようなものです。遠足を楽しみにしていたのに、雨が降って中止になってしまったので、実現しなかった遠足を夢の中で体験することで、ある種の欲求不満を解消しているわけです。こういった欲求不満の解消というと、空想の働きと似ているところがあります。好きな人に好きと言えずに、空想の中で何度も愛の告白をしているようなケースです。しかし、夢の世界は空想とは違って、何でもありの世界なのです。たとえば私たちは理性によって反社会的な願望を抑えることで社会生活を営んでいますが、人間としての本能的な欲望は社会的な制限を受けません。つまり、私たちは理性ではとても受け入れられないような危険な願望を抱くことがあるのです。たとえば、実の親と性交したいとか、親しい人を殺してしまいたいとかいう願望は、とても現実の世界では実行できませんし、そういう願望を抱いているということさえも認めることさえできなかったりします。そういった危険な願望は意識から除外されて無意識の世界に追いやられ、深く抑圧されてしまいます。しかし、そうやって抑圧された願望は、遠足に行けなかった子供と同じように、夢という架空の世界で実現しようとします。しかし、危険な願望であるがゆえに、夢の中であっても、それを実現しようとすることから来る恐怖感などに彩られたりすることが多いのです。たとえば必死になって逃げようとするのだけれども足が思うように動かずに、だんだんと追っ手に迫られてしまい、凄まじい恐怖感を味わうというようなケースです。ということは、つまり、このような夢の意味を理解することができれば、自分の隠された願望を知ることができるわけです。これがいわゆる夢分析となるわけです。
 神経科学的にいいますと、レム睡眠の時に夢が出現します。レム睡眠というのは、素早い眼球運動を伴う睡眠状態ことを言います。これを英語で書きますと Rapid Eye Movements になりますので、その頭文字を取って REM 睡眠と呼んでいます。まぶたは閉じたままなのですが、その下で眼球がきょろきょろとせわしなく動き回っていて、そばで見ていると少し不気味な感じがします。この状態の時に無理やり本人を起こしてやると、だいたい80%の人が夢を見ていたことを報告します。眠っているときというのは一種の感覚遮断のような状態にあるために、心の底に埋もれている過去の記憶や未処理のまま残っている感情などが、気持ちの整理をつけようとして次々と想起されたりするのですが、覚醒時と違って論理性や合理性がまったく無くて、思考は非常に原始的な形を取ります。

 そこで、このような夢の意味をどうやって理解したらいいのかといいますと、フロイトは連想という手法を使うことによって夢を解釈しました。たとえば危険な願望などは、そのままの形で現われるのではなくて、いろいろと形を変えて表現されるのですが、それを自由連想を駆使することによって本来の意味を探り出すのです。たとえば性的な夢では、ペニスがそのままの形で現われるのではなくて、蛇であるとか、拳銃であるとかいうふうに、ペニスを象徴するようなものに置き換えられて表現されたりします。女性性器は穴とか窪みとかいうものに置き換えられ、母親的なものは家などに置き換えられたりします。具体例として、私の見た夢を例にとって、その意味を解釈してみましょう。

銃撃戦の夢
「私は地面の細長い楕円形の窪みに身を伏せていた。前方からは機関銃の乱射があり、弾丸が私の頭上をビュンビュン通りすぎていく。通りすぎてゆく弾丸をよく見ると、驚いたことに鮮やかなピンク色をしていた。さらによく見ると、弾丸の胴体にはなにか文字のようなものが書かれていた。弾丸は非常に速い速度で通りすぎていくのだが、私には文字が読めそうな気がした」

 私はよくエディプス・コンプレックス的な夢を見るのですが、この夢もそのひとつです。エディプス・コンプレックスというのは、男性が自分の母親に対して性的な願望を持つと同時に、母親の夫である父親から報復されるのではないかという恐怖に脅える、というものです。この夢は、そういうエディプス・コンプレックスを如実に表わしています。地面の細長い楕円形の窪みとは、もちろん女性の性器を表わしています。私は母親の性器の中に身を隠して、機関銃の乱射から身を守っているのです。では機関銃の乱射とはなにかというと、すぐに想像がつくと思いますが、父親のペニスからの攻撃を意味しています。弾丸がピンク色をしているというのは、ペニスの色だと思うのですが、いま改めて振り返ってみますと、鮮やかなピンク色というのはちょっと不自然な気もします。もしかしたら、なにか他の意味を持っていたのかもしれませんが、なにしろこの夢を見たのはずいぶんと昔のことですので、いまとなっては意味は定かではありません。弾丸の胴体の文字は、ペニスの胴体に浮かび上がった血管のことではないかと思います。つまり、素早いピストン運動をしている父親のペニスを、幼いころに「はっきりと見た」ことがあり、そのペニスから激しい攻撃を受けているのです。そして、なぜ攻撃されるのかというと、母親の性器、つまり地面の窪みに身を伏せているから、つまり母親を性的に独り占めにしているからなのです。つまり、私が近親相姦願望を抱いているから攻撃を受けているのだということになります。

 おそらく、みなさんの中には、このような夢の解釈をグロテスクでおぞましいと感ずる人がいるかもしれません。しかし、人間の本能的な願望というのは何でもありなのです。性欲は対象を選びません。しかし、正常な発達を遂げていれば、一時的には性欲が母親に向かったとしても、やがて母親以外の第三者へと向かい、近親相姦願望は発展的に解消してゆくのですが、両親の性行為の目撃と分離不安が重なったりしますと、正常な発達プロセスが阻害されてしまうことがあります。女性の場合には、母親への分離不安と性欲が一緒になると、母親への同性愛願望となり、レスビアンになったり、あるいは母親を性的に独り占めにするために、母親に対して自分が夫の役割を受け持ちたいという願望から、レスビアンのタチといいますか、男役をするようになることもあります。このような同性愛については、他にもいろいろと複雑な要素がありますので、他のところで書きます。このような両親との性的な三角関係というのは、べつに特殊なことではなくて、神経症の症状の背後に潜んでいることがよくあります。ですから、神経症患者を精神分析していくと、エディプス的なものが明らかになることがよくあるのです。

 さて、夢の象徴性について、もうひとつ私の夢を例に挙げてみましょう。

斧(おの)を使った殺し合いの夢
「私と相手は互いに斧を持って、チャンバラのような切り合いをしていた。二人とも腕前が互角なので、この殺し合いはずっと平衡状態のまま、いつまでも続くように思えた。私はこんな状態から逃げ出したいのだけれども、少しでも隙を見せると、力のバランスが崩れて、相手に殺されてしまう。かといって、相手を殺そうと思っても、たがいに同じ腕前なのでそれもできない。私は、行くことも引くこともできず、恐怖感に耐えながら、殺し合いを続けるしかなかった。やがて私は恐怖感で目が覚めた」

 この夢も、殺し合いをしている相手は誰かというと、恐らくは父親だろうということは容易に推測がつくのですが、斧が何を意味しているのかということがよくわかりませんでした。自由連想をしてみてもうまく行かないので、切り合いをしている場面を絵に描いてみました。すると、斧が互いに柄のところで交差している絵を見て、自分でもびっくりしてしまいました。斧が柄のところで交差している絵というのは、なんと、漢字の「父」という文字の形そのものを象徴していたことが分かったからです。そういえば「斧」という漢字自体も、その文字の構成からいって、上の方は「父」という字ですし、下の方の「斤」という字は「斥ける」という字に似ています。つまり、この夢の意味とは、私は父親を亡き者にして、排斥してしまいたいという願望を表わしているのです。しかし、相手もそれなりの力を持っていますので、願望を実現しようとすると、凄まじい殺し合いになってしまいます。もうこんな恐怖に満ちた状態はいやだと思っても、逃げ出そうにも逃げることもできずに、ただひたすら殺し合いを続けるしかないのです。ということで、この夢もまた、エディプス状態を如実に表わしているのです。

 このように、夢の象徴性を連想によって解き明かしていけば、第三者でも、ある程度はその夢の意味を推測することができます。しかし、象徴性というのはその人の非常に個人的な体験に基づいていることもありますので、類型的な象徴性だけを頼りに分析を進めていくと、本来の夢の意味を理解できなかったりします。その具体例として、私の夢を分析してみましょう。これは、第三者には、絶対に本当の意味を分析できない夢です。

引っ越しの夢
「夢の中で、美人の女性が現われて、『さあ、引っ越しよ』と言う。私は、何が何だかよく分からないままに、あわてて引っ越しの準備を始める」

 ただこれだけの夢なのです。最初は特に気にも留めなかったのですが、同じ夢が三日も連続したとなると、どうやらこの夢はただ事ではないと思い、本格的に分析してみることにしました。そこで、引っ越しとは何を象徴しているのだろうかということになるわけですが、これが私しか知らない個人的な体験に基づいていたのです。その個人的な体験とは何かというと、当時、私が住んでいた長屋風のアパートには、実は日越(ひごし)さんという若い女性が住んでいたのです。さて、このヒントで、みなさん、もうおわかりでしょうか。そうです。ひっこし → ひごし(日越)という、いわばダジャレのようなつながりがあったのです。つまりこの夢は、私が日越さんに、無意識的に好意を抱いるという意味だったのです。あのころの私の精神状態は「暗黒の嵐」状態でしたので、彼女に好意を抱いても、そういう感情を意識レベルでは受け入れられる状態ではなかったのです。ですので、日越さんへの好意の感情は抑圧されてしまい、眠ってい間に夢という形でその願望が出現したのでした。そして、夢分析によって、「ああ、そうだったのか」と気付くことが出来たのです。そして、夢の意味がわかったあとは、もう引っ越しの夢は見なくなりました。このようにして夢分析が成功しますと、無意識とはなにかとかいうことを、実感として理解することができるようになります。

 このような夢分析のやり方について、科学的ではないとして否定する人もいます。たしかに科学的なやり方ではありません。つまり、第三者が検証することもできませんし、同じことを再現してみることもできません。ですから、科学的ではないと言われれば、たしかにその通りですと言うしかないのです。しかし、そもそも、こんな夢を見たと言っても、間違いなくその人がそういう夢を見たのかどうかということは、第三者にはまったく検証不可能なことであります。夢の内容は、あくまでもその人の自己申告によるしかありません。そして、夢の解釈においても、たしかにそういう意味だったのかということについても、その人の自己申告によるしかないのです。ですから、科学的でないと言われてもしょうがないのです。しかし、実際に夢分析を体験してみれば、「引っ越しとは、日越さんの意味だった」ということが、実感として理解することができるのです。もし、これを科学的に立証しようとするならば、脳のシナプスでやりとりされる電気信号を電極などで取り出して、それをコンピューターで解読して、いまこの人はどんな夢を見ているのかとか、その夢は願望が発する信号によって出現したものであるとか、そういうことが科学的に調査できるようになってからでないと、立証できないと思います。

 さて、次に夢分析をする上で、知っておいた方がいいようなことなどを書いてみたいと思います。まず最初に、「夢分析がすべてだ」というふうにならないように注意した方がいいと思います。特にエディプス的な夢になりますと、現実離れしたドロドロとした世界が展開しますので、そういう世界にはまってしまって、現実が見えなくなってしまわないようにすることです。それと、夢の象徴性を図式的に当てはめて、観念的に理解するのも要注意です。あくまでも、自由連想によって、実感に基づいた理解を進めるようにした方がいいと思います。たとえば、蛇の夢であっても、すぐにこれをペニスの象徴であるという風に、図式的に理解するのではなくて、人によっては蛇が、ずるがしこさの象徴だったりすることもありますので、自由連想によって意味を探っていった方がいいでしょう。第三者が象徴性によって、夢の意味を推測することもできますが、あくまでも夢の本当の意味は、その夢を見た本人の心の中にあるのです。

 夢を分析するときは、枕元にメモ用紙などを置いておいて、忘れないうちに書き留めた方がいいでしょう。目が覚めた直後は、はっきりと夢を覚えていることもありますが、ぼんやりとしか思い出せないこともありますし、夢を見たということだけは覚えていても、どんな夢を見たのか、まったく思い出せないこともあります。そんなときには、思い出そうと努力してみることです。関係ありそうないろんなことを手当たり次第に連想してみると、なにかのイメージかきっかけとなって、芋づる式に次々といろんな場面が思い出されることもあります。あるいは、それでもだめであきらめていたのに、トイレに入っているときやテレビを見ているときに、突然思い出すこともあります。このような思い出せない夢というのは、あまりたいした意味のない夢か、あるいは逆に非常に重要な意味を持っている夢です。重要な意味とは、意識レベルでは受け入れ難いような意味のことです。ですから、そういう都合の悪いことを思い出そうとすると、無意識的にブレーキがかかってしまい、思い出しにくくなってしまうのです。もし、夢の内容を思い出せたら、細部まで思い出して、その要点をメモしておいた方がいいでしょう。夢の中には、延々と続く長い夢もありますが、それをすべて分析するのは大変ですので、これはと思う部分に的を絞って、記録しておくのもいいのではないかと思います。

 夢の解釈のやり方ですが、これはなるべくノートなどに書きながらやった方がいいと思います。自由連想というのは、できるようでなかなかできないものです。そこで、夢の中に出てきた物の色や形、人物の特徴、そういったことについて連想されることを、とりとめのないままに書いていって方がいいと思います。紙の上に思いついた言葉が並んでいくことで、さらに連想が広がっていきます。あるいは、文字だけではなくて、夢の場面をスケッチしてみることによって、なにか発見があることもあります。ただ、最初から意味を解釈してやろうという風には考えない方がいいです。最初から意味を理解しようとすると、どうしても現実的で論理的な思考になってしまいますので、自由連想が死んでしまいます。全体がバラバラになってもかまいませんので、とにかく思いつくことを書いていってください。そうすればなにかのきっかけで、意味が理解できるようになったりします。しかし、どの夢もすべて分析できるわけではありません。夢分析を続けていっても、さっぱり意味の分からない夢も結構あるのです。

 夢の中でも重要な夢というのは、感情を伴った夢なのですが、時には何でもないような夢でも、重要な意味を持っていたりします。まあ、ケースバイケースということです。そして、繰り返しますが「夢分析がすべて」みたいにならないようにしてください。あくまでも夢分析は、自分を知るための「補助手段」の一つであると考えた方がいいと思います。夢日記をつけて、毎日夢の分析に明け暮れるというのも、夢分析のトレーニングになっていいかもしれませんが、現実が見えなくならないように注意した方がいいと思います。

 このあと、私の夢分析の例をいくつか書きますので、良かったら参考にしてください。


長い文を読んでもらって ありがとう。もっと詳しく「夢分析」を知りたい方は、http://homepage1.nifty.com/eggs/houhou/yume/yumehowto.htmlへアクセスしてください。
もう少し、夢と行動の関係を調べてみたいと思う。なにか分かったことがあれば、また報告することにする。

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今朝の気温6度、雨
  1. 2009/01/19(月) 07:09:43|
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大河ドラマ

「天地人」

「篤姫」を毎週楽しんで見た。
「天地人」は直江兼継が主人公で、魚沼郡(新潟)・会津若松(福島)・米沢(山形)が活躍の場所となる。
それぞれが豪雪地帯であり、次のような場面が描かれる。

 「天の時と人の和はともかく、われら北国の者は、生まれながら地の利に恵まれておらぬ。この人の行き来をさまたげ、暮らしに重くのしかかる雪がなければ、のう」
 「いや、それがしはそうは思いませぬ」
 兼継は妙高のくっきりとした稜線を見つめ、
 「雪は苦しみだけをもたらすものではない。雪がなければ、稲も育たぬ。雪の多い年は山野に水が満ち、豊作となるのは伊達(政宗)どのもご存じでありましょう。長い冬をじっと耐えたあとの桜は、ことさら美しく咲くもの」
 「言われてみれば、そうかもしれぬ」
 「それがしは、上杉家がここまで、過酷な乱世を生き延びてくることができたのは、雪のおかげだと思っております」
 「ほう......」
 「雪国人の粘り強さ、しぶとさが、それがしにも、伊達どのの体にも沁みついている。最後の最後まで勝負をあきらめず、雪の中で春を待つ。それこそが、われらが身上ではござらぬか」
 「最後まで勝負をあきらめず、か」
 政宗が、やや酸いたような顔をした。
                        「天地人」下 火坂雅志著 236ページ NHK出版
また以下のような記述もある。

 「北の国では、人が望むと望まざるとにかかわらず、冬には身の丈をこえる大雪が降り積もる。雪国の者は、七十、八十の腰の曲がった老婆であっても、屋根の上にのぼって雪掘りをせねばならぬ。
  辛い、苦しいと文句を言ってもはじまらない。それを当たり前のこととして、ただ黙々と為すだけだ」
 兼継の言葉に、
 「あるがままを受け入れる。それが雪国の心......」本多政重(兼継の娘婿)が目を細めた。
 「そうだ」
 兼継はうなずき、
 「辛い冬を、じっと耐えて春を待つ。ゆえに、雪国の者はおのずと我慢強くなる。いかなる試練にも、おのれを殺して耐え抜くことができるのだ」
 「......」
 「だが、それは雪国の人間がただおとなしいということではない。一見、柔順なようだが、心の底には熱い炎を秘めている。いざとなれば、その炎が雪を溶かし、外へ向かって烈しく噴き出すことがある」

                        「天地人」下 火坂雅志著 223ページ NHK出版

著者は新潟県生まれということもあるだろうが、雪国人気質をかなりよく見ているなぁと嬉しくなる。
「天地人」の滑り出しはなかなかいい。この調子で最後まで楽ませて欲しいと思う。
伊達政宗・最上義光などが登場するし、米沢や山形が舞台になるからどんなドラマになるのかと期待している。

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/01/18(日) 07:22:45|
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夢 ん 中

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「寝耳に水」という諺がある。
その諺について書こうとしているのではない。

私は寝言をいう。イヤ 正確に言えば寝ていながら怒声をあげる、と妻が言う。
妻に身体を揺り動かされ、目覚め、(あぁ、またかぁ)と苦笑する。
「パパ、どうした?」と問われ、夢の中身を反芻する。たしかにその夢の中で、私は怒っていた。まざまざと思い出す。
もちろん妻を怒っているのではない。在職中の場面が多い。夢だから支離滅裂な内容だが、怒りの場面だけはしっかり覚えてる。

そのような夢を月に1回くらいの頻度でみる。その度に妻に揺り動かされて目覚める。
妻の場合は、悲鳴に似た寝言というか、言葉ではなく哀しそうな声をあげる。その時は、私が妻の身体を抱いてやる。強く抱きしめられ夢から覚める。
人は夢の中でこころの傷を癒し、元気を取り戻す。夢をみることはわるいことではない。夢の中で自分を立て直しているのだろう。

ただ、怒り声、あるいは悲鳴に似た寝言は、たしかに気持ちいいものではない。
お互いに眠っている最中に突然に聞く寝言は、「寝耳に水」に近いものである。
実害がないからいいものの 安眠が妨げられる。といっても目くじら立てるほどのことではない。
だから互いに相手のイヤ?な夢を中断してあげる。が、はたして中断することがよいのかどうか...
夢のメカニズムがまだ決定的に分析されたわけではないから、なんとも言えない。
「夢は、見たいからみる」J.フロイトが言うけれど、どうしてあのような怖い、あるいは不条理なことがみたいのか?

うう ここまでが前置きで、書きたいことは以下のことである。

夕べ、いや 今朝(午前2時頃) 妻にまた揺り動かされ目覚める。「パパ! なにするの! 」いつもの声とちがう。必死さがある。
「なぜ! 殴る。どうしたの?!」妻が叫ぶ。
(ん? どうしたのかなぁ)と私自身戸惑う。
眠っているところを突然 顔を殴られ、目覚めた妻になおもなにか言いながら殴りかかる私に驚いたという。
たしかに殴ってる夢をみてた。しかしまさかほんとうに妻を殴りつけたとは意外というか、信じられない気分。
「五発くらい殴られた。唇あたりが切れたような感じがした」妻がウソをいうわけがない。血とか鼻血が出てないか手でさわりたしかめている妻を見ると(あぁ、申し訳ないことをしてしまったなぁ)の気持ちが猛烈にわいてくる。

これまで、こんなことはなかった。はじめての事態だ。寝言なら笑って済ませられるが、暴力が伴えば話しがまったくちがう。
顔面を5回も殴ったというのは、夢の中のできごととはいえただごとではない。ふ~む、これこそ夢中のできごとだからいっそう重大な気がする。
意識清明な時なら、理性がはたらき行動や感情もある程度コントロールできるけれど、睡眠中のできごとだからどうしたら抑制できるのか?
それが分からないから不気味が気がする。うう 夢遊病にちかい状態だろう。

「ママ、ごめんね。どうしたらいいのかなぁ」
「パパ、心配ない。気にすることない」
「でも、なぁ またするようなことになったら、もう一緒に寝られない」
「そんなことない。でも、思い出すと可笑しくなってくる」妻は、いかにも”可笑しい”というように思い出し笑いをする。
「どうして、だいじなママを殴ったりしたのかなぁ。夢の中では、もちろんママじゃなかったよ。ほんとだぞぉ」
「信じてる。パパ、心配ないって...」

っふう~ ため息がでる。
「ドンマイでいきましょ。ドンマイ、ドンマイ」妻の声を聞きながら、私も「ドンマイ」と言おうとしたが、声にならない。
「パパ、私の目を見て」言われて、妻の顔を見る。その目に、私は大きな安心を得る。
それにしても、なぜ? という疑問がこころの隅に残る。

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今朝の気温0度、晴
  1. 2009/01/17(土) 07:29:54|
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バカな話で


不安定な天気で、激しい吹雪が吹き荒れたかと思うと、一転 晴れ間から青空が覗く。
昼食中は、屋根に降り積もった雪が強風に吹き飛ばされて舞い上がる、まさに真冬の嵐のようだったが、それから30分も経たっていないのに抜けるような青空が広がる。
陽射しをうけた雪が、青空をバックにいかにも清々しい。先ほどの吹雪がウソのように思われ(きれいだなぁ)と思う。

繰り返し書いたことだが、冬の陽射しや温かさは、雪国に暮らす人々には大きな恵み。
気象情報の太陽マークを見ただけで、妻は嬉しそうな顔になる。逆に雪だるまのそれを見ると「雪はいらない」と呟く。
「山にだけ降ればいい。雪はいらない」ふ~む、それは妻だけでなく、雪国暮らす人々の正直な気持ちだろう。
だが、いくらそう思っても雪は降る。それは承知しながらもつい言ってしまう。

「ママ、なにか面白い話しない? 明日アップするのがない。困ったよぉ」
「なにも困ることない。なければ休めばいい」妻はあっさり言う。たしかに妻の言うとおりだ。しかし、なにか面白い話しがあればなぁと割り切れない気分。
「面白いかどうか知らないが、話しならいっぱいある」食後の茶を飲みながら妻がいろいろな話しをする。
身につまされる話しもある。病身の嫁の話、子どもの尋常でない状態、学校の「個人情報」に関する頑なな姿勢、学童保育に関するさまざまな話題が話される。

けれども、それこそ個人情報に抵触する話しで、夫婦間では許されても、「天童の家」に書けるような内容ではない。
考えてみれば、「天童の家」に書けるのは、まさに氷山の一角にすぎない。ほとんどそのままに書けるような話はないのだなぁ
そういう書けない話を、普遍化し、どこにでもある話しとして面白可笑しく書くことはなかなか難しい。
夫婦間の話しでは、お互いがある状況を承知した上で、語り合う。ところが 書く場合は、その状況を他人でも分かりやすいよう説明したうえで肝心のところを書くことになる。
その「ある状況を説明」する段階で個人情報が漏洩しやすい。そこの部分の一般化がなかなか面倒である。

だから、へへ 夫婦間のくだらない話しを書いてごまかす方がずーっと楽?である。
妻は、私のお尻を湯たんぽ代わりにしているとか、男が妻に「ママがいちばん好きだよ」などとくだらないことを言っているのをぬけぬけと書く。
でも、まぁ そんな馬鹿話を書いても、毎日仲良く暮らしているのだから、なにおかいわんやであろう。

ここまで書いたら、また雪が降り出した。明朝はまた雪掻きをしなければならないのだろうか。
腰痛は、ほとんど回復した。明日は、妻と二人で雪掻きできるだろう。

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今朝の気温1度、晴
  1. 2009/01/16(金) 06:41:37|
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虹のばらまき

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写真説明

写真は、多くの情報をもって語りかける。見れば、何を写して、何を伝えたいかが分かる。そういうのを撮りたいと思っている。
しかし、なかなか思うようには撮れない。伝えたいことが何なのか分からないのが多い。
うう 写した目的が何なのか分からない、独りよがりになってしまう。

キャプションがなくて分からない写真は、ダメ写真と言われている。
「パパは、何を撮りたかったの?」妻に度々そう言われる。自分では、伝えたいものがあるから撮ったはずなのに、他人には伝わらない。
誰が見ても分かる写真、それも撮った時の感動が伝わり、共感してもらえる写真を撮りたいと思う。

そういう意味では、今日のそれは失敗写真である。説明しなければ何を撮ったのか分からない画像になってしまった。
ごちゃごちゃ言わずに 説明すると、雪面を撮ったのである。雪面が赤・青・黄色とキラキラ光ってきれいだった。
雪国に暮らしている人には珍しい光景ではない。晴天の日には誰でも見られる。
その美しさを撮りたいと、見る度に思う。そしてカメラを向ける。

だが、去年もその前も失敗というか、撮りきれなかった。
今年もダメで、こんな言い訳の文を書いてる。
肉眼では雪面が七色の虹をばらまいたようにキラキラ光り、それはそれは美しく、感動的に見える。だから、迷うことなくカメラを向けシャッターを切った。

しかし、画像処理して、落胆!! あの美しさがどこにも見つからない。
単なる赤い点、青い点にすぎない。どうしたらあの美しさが表現できるのだろうか
もしかしたら、クロスフィルターを使用したらあの感動的な情景が写せるかも知れない

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今朝の気温0度、小雪
  1. 2009/01/15(木) 07:10:33|
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白というもの

「色の白いは七難隠す」という諺がある。
顔かたちにはいろいろの欠点があっても色が白ければそれらの欠点を補うから、みにくいところが目につかない。
人工によって色を白く見せる方法が発達したのもそのせいであろうなぁ。化粧とはよくもまぁ言ったもので、まるでちがった印象になる。
うう 「米の飯と女は白いほどよい」などとも言われるから可笑しい。

なぜこんな諺を思い浮かべたかを言えば、美しい雪景色を眺めていたら、っふふ(あぁ、白いっていうのは確かに不思議な力がある)のだなぁと思った。
四季それぞれに美しさがある。春のパステルカラー、夏の芳醇、秋の絢爛、そして冬には静謐さがある。
白には純潔さがある。雪は汚れものを隠してしまう。目にする景色は美しい。
白は、人のこころを澄ませる。それを意図し具現化したのに 白無垢、白装束などがあろう。

白の熟語で真っ先に浮かぶのが 潔白で、白衣・白米・純白・白菜・白銀などが続く。
っふふ 横綱 白鵬もいるなぁ 白星は相撲とりには嬉しいもの。
白衣も清潔感を表したものだろう。

彩りで言えば、たしかに春夏秋の方が豊潤かもしれないが、それ以上に冬に色を感じさせる時がある。
雪は多くの色を消してしまう。だからちょっとした色でも目立って感じられる。
さらに、雪に反射した光はすべてにまんべんなく当たって景色を明るくする。それが冬景色を印象的にするのである。

冬の眩しさは、他の季節よりも増して感じられる。夏も眩しいけれど、冬のそれは夏に負けない。
真っ白な雪に反射した光は、カメラの測光能力を超えて白飛びを生じさせる。
雪の白さは、じーっと見つめられないほど美しい。そこには七色の世界がきらきらとひらけている。
その白さは、七難どころか無限の難を隠してくれる。

それが静謐さとして、こころを落ち着かせるのだろう

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今朝は、メンテナンスがありオンエアーが遅れてしまった(ごめんなさい)

今朝の気温-4度、晴
  1. 2009/01/14(水) 09:22:11|
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「もうけ空」


       蒟蒻を山河豚と言い海を恋う西上毛の山の国びと     相模原市・中村健次
山河豚かぁ(なるほど)と納得。山形あたりでは「刺身こんにゃく」といって、これがけっこう人気ある。
また海のヒジキは黒い海草だが、畑で栽培するそれはオカヒジキ。海から遠い人々は海のごちそう(食材)に憧れに近い感情を持っている気がする。

       雨の予報外れ朝より晴れくれてもうけ空の下菊芋を掘る   鶴岡市・大沼二三枝
「もうけ空」とは面白いなぁと思った。でも、高野選者の評には『もうけ空(冬の晴天)という語を活かした』とあるから、大沼さんの独創ではなく、これまでも使われてきた言葉なのだろう。
それにしても、うん 実感が伴う言葉であるなぁ
また、菊芋を掘るもよく分かり、こころが伝わり大沼さんの姿が見えるようだ。

       長男の結納長女の離婚調停同時進行我が家の師走      高崎市・土屋 掌
喜怒哀楽、禍福は糾える縄のよう、佳いこともわるい事柄も暮らしているから(生きているから)生じるもの。どちらか一方ということはない。
そういうものだと思って生きるしかない。

       雪吊の将棋の町で称号のかかる一局駒しずか        旭川市・大原武而
「雪吊の将棋の町」は、うう 天童のことかなぁと思った。ちがうかも知れない。でも、佳い歌だなぁ

       蕪穢にて平べつたい愛撫冬の月     時田幻椏
金子選で二席の句。
蕪穢(ぶあい)という言葉が難しく広辞苑を開いた。「土地の荒れていること」とある。なるほど、今度は句がわかるような気がする。

   辞書を引きながら言葉探検です。イメージと韻律の良い言葉に触発されて俳句を作ることが結構多いのですが、
   せっかくある巨大な言葉という文化を少しでもかじろうと思っています。
上の二行は、時田さんからのメールである。句は、言葉との格闘でもあるなぁと感心せずにおれない。

       旅路めく影あり冬の葡萄棚       入間市・大矢 勲
       朝刊が氷ばりばり踏んでくる      高岡市・四津三樹夫
       初暦十二月まで繰つてみる      名古屋市・伊藤幹彦
       粕汁を温め直して待つ帰宅       姫路市・黒田千賀子

            短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(12日付)より

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今朝の気温-2度、雪
  1. 2009/01/13(火) 07:28:53|
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ばんぺいゆ

雪国に暮らす者には「ばんぺいゆ」は馴染みがない。
南国の果物というが うう どんなものだろう?
箱を開けてみて(あぁ、これ! 見たことがある)
大分のTさんからいただいて美味しく食べたことを思い出す

箱から出して眺めているうちに、(積もった雪の上に置いたら...)と突拍子もないことが思い浮かぶ
さっそく天の邪鬼なこころを実行してみた

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午後1時の気温0度、曇
  1. 2009/01/12(月) 13:14:58|
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旅の楽しみ

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旅を楽しむ

旅行の楽しみ方にはいろいろあるだろうが、一つには旅行に行く前の楽しみがある。
どんな日程で、どこを観るかという段階での楽しみ。計画を練りながら、まだ観ぬそれを雑誌やネットで確かめる作業、それがけっこう楽しい。
ガイドブックを見ながら、(あぁ ここにも行きたい)(ここも観たいなぁ)と、すでにこころは旅の空に遊んでる。

旅を具体的に詰めるにはネットが便利である。必要な時刻表は検索すればたちまち出てくる。
何時発の飛行機に乗り、どこで乗り換えし、目的のそこへは何時に到着するまではっきりする。すでに旅行がはじまっている気分である。
とは言っても、分からないこともたくさん出てくる。泊まる宿がどこがいいのか(資料がありすぎて困るのと、まったく資料がなくても困惑する)に迷う。

旅慣れていないから、はたして宿が思い通りにとれるのか心配になる。特にゴールデンウイークの場合は混むだろうなぁと心配である。
ガイドブックを見ると、電話での予約は6ヶ月前、ネットでのそれは2ヶ月前から受けつけると書いてある。
「パパ、2ヶ月前でだいじょうぶよ」妻がけろっとした顔で云う。
「でもなぁ、栗駒のあれだって『半年前から受けつけております』だったけど、『でも、紅葉の頃はすぐ満室になります』って言ってたろう」
「あそこは一度は泊まってみたいところよねぇ」
「ゴールデンウイークはどこも混むのじゃないかなぁ」私の言葉に、妻も頷いてしまう。

っふふ、そんな困惑だって一つの楽しみ。いくらでもリセットできるからちっとも深刻さがない。
旅行は、旅そのものが遊び。いくらでも変更でき、またリセットがきくからいろいろ練り直すのが楽しみでもある。

旅自体が楽しいのはいうまでもない。楽しむことが目的なのだから当然である。

旅の楽しみ三つ目は、旅行後の思い出の楽しみ。
ああすればよかったとか、こうもしたかったということもあろうが、楽しかった旅を振り返り、楽しかったことを反芻するのも楽しい。
そうしたいろいろな楽しみ方があるなかで、今は旅行へ行く前の段階を妻と楽しんでいるところである。

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今朝の気温-2度、晴
  1. 2009/01/12(月) 07:29:06|
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