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昨日の日記

11月29日(土)

昨日(29日)の晴天とうってかわり今日は雨降り。新聞を読み終え、厚生年金基金からの問い合わせはがきに返事を書き、読書でもしようかなぁと思ったが、あまり気乗りしない。
パソコンに向かい、昨日の日記をつけようと思う。特別のこともなかったから、面白い内容ではない。しかし、なんでもない日だからこそ後日に読めば、かえって(あぁ、こんな日だったなぁ)と懐かしくなるかも知れない。
日記には、そんな効用というか楽しみが含まれる。

土曜日の朝は、妻の学童保育も休みのことが多く、のんびりと朝寝ができる。しかし、昨日はちがった。隣の市である東根市から施設見学があるので、クラブは休みだが、見学者たちの案内と懇談があるので出かけるという。
ゆっくりした朝食を済ますと、妻は午前9時過ぎには行ってしまう。
ルチンであるパソコンを済まし、あとは何をしようかなぁと考えたが、晴天なら青菜洗いをする予定だったのを思い出し、(仕方ないないなぁ)と舌を打つ。
青菜洗いは、妻とやる予定だった。なのに妻は勤務?に行ってしまった... うむむ、一人で洗うかぁ

青菜漬は、越冬食として4樽漬ける(一つは娘の家にくれる)。樽1つが70リットルある。その分の青菜洗いはけっこう手間暇がかかる。
午前9時半頃からやりはじめ、正午になってもまだ少し残ってる。へへ 昼食を摂らずに洗い続ける。
(昼までには戻ると妻が言っていたから、妻が帰ってきたら一緒に食べるつもりだった)
が、妻が姿を現し「これ洗い終わしてからご飯にする?」との問いに、「そうする」と返事し、う~む 洗いが完了したのは午後1時を過ぎてた。
間もなく完了する仕事を、昼食のために中断するのは面倒くさい。ご飯がすこしぐらい遅くなっても終わしてしまいたい気分が強い。

後片付けやなんだかだで妻も忙しそう。
その間、私はサンシュユの赤い実の撮影をはじめる。午後2時前、太陽の位置がちょうどいい。逆光がサンシュユを透き通るように美しくみせる。
90枚近く撮りまくって、画像処理をやりはじめる。う~む、意図したようなサンシュユが嬉しい。
「パパ、ご飯にしよう」妻に促され、昼食をはじめたのが午後2時半を過ぎてる。
もうこうなったら腹を括り、うふふ 晩酌には早いけれどコップ(グラスではない)になみなみと冷や酒を注ぐ。

画像処理を終わし、洋間のソファに腰を沈め、足をながながとテーブルの上に投げ出す。
テレビを観るつもりだったが、いつの間にか口を開けて眠る。
夕食支度を済ました妻が傍にきてテレビを観る。「パパ、ご飯どうする?『人生の楽園』を見てからにする?」
「夕ご飯、もう要らない。風呂に入って寝る」
「もう寝るの? まだ眠いの?」妻が問う。
「うう 疲れた。一人であんなに洗ったんだぞぉ」
「パパ、ご苦労さんだったねぇ。ありがとぅ」
7時のニュースを観終わって、風呂を遣い、自室へ。
ふ~っう なんともまぁ それでも、直ぐには寝付けず、ラジオで落語を聞き、うん いつの間にか寝入ってた。

午前11時半の気温4度、雨
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  1. 2008/11/30(日) 11:25:03|
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雪国賛歌

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雪景色賛歌

春雨とちがい、秋の雨は冷たい。
また、春の雨には明るさがあるけれど秋の雨は暗い気がする。先入観だろうか?
そうかも知れない。春の雨は、雪を融かし、花を呼ぶ。秋の雨は、一雨毎に寒くなってやがて雪となる。

「昨日 野菜を洗ってよかった」妻が言うのに、私は素直に頷く。
昨日(27日)は晴天だったから、白菜と青菜を天日に広げた。畑に行き、大根と蕪をとり洗った。
先日は、大根と蕪を庭の畑に囲った。それは冬になってから掘り起こして食べる。
昨日 洗った大根と蕪と葱は、米袋に入れて小屋に置き、順次食材として使ってく。

今日も晴天なら、青菜を洗って漬ける準備をするつもりだったが、生憎の雨降りだから、二人とも家でのんびりする。
こんななにもしない日があるのもわるくない。こころが落ち着く。
12月に入れば、この雨もみぞれに変わり、やがて雪になるだろう。

雪になれば、景色も美しくなって、また忙しく?なる。
雪国に暮らすと、得というか、同じ場所に居ながらも無雪季と冬季ではまったく趣のちがう景色が楽しめる。
冬の海が観たくて、仙台の海に行った時のことである。海までの道中、雪の無い風景がなんだかもの足りなくて、落ち着かなかった。

雪国では、降雪によって風景はまったくちがってきれいに見える。汚れ物は白い雪に隠され、銀世界となる。
全くのモノクロームになるわけでなく、常緑樹の緑はそれなりに緑だし、赤い実は白い雪を染める。
景色全体が淡い色彩となって美しい。日が照れば、まさに銀世界となって輝く別世界となる。

富士山一つをとってみても、はっきりする。真っ白な雪を頂く富士山と、雪のない富士山ではその存在感があきらかにちがって見える。
それと同様に、雪の積もった山川がきれいに見えたとてなんの不思議もない。
裸木に降った雪は、満開に花咲いたそれに匹敵する美しさがある。積雪期の川は、よりいっそう川(水)の美しさを際だたせる。

最上川船下りの船頭は、「ここの美しさを充分に楽しむには、最低4回乗ってください」とPRする。
四季それぞれの美しさがあるのだという船頭の言葉にウソはないだろう。
特に、冬の『寒鱈まつり』の頃の船下りは、絶景となる。一昨年、妻と一緒に川下りしたのを思い出す。

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今朝の気温8度、曇
  1. 2008/11/30(日) 06:41:10|
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晩秋の散歩道で

格別にきれいだとかいうわけではない
それでもカメラを向け撮った
派手ではないがこういう美しいものもある

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今日は晴天だったので、漬物用の青菜を洗う
  1. 2008/11/29(土) 18:49:04|
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お願い

モニターの個性

写真が好きで、毎日のように撮っている。
テーマはない。目の前に(きれいだなぁ)と思うのがあればカメラを向ける。さまざまなものが被写体になる。
「ねぇ 見て!」と思うようなのを選んでアップしているつもりである。
(なるほど...)と共感してもらえれば嬉しい! 単純明快というか、ひとり悦にはいってる次第。

そもそも「天童の家」の原点が、共感。
さまざまな想いを、できれば多くの人と共感できれば嬉しいとはじめた。
ある感情を共有したとき、つながりというかコミュニケーションが成り立つ

共感への方法・手段は、いろいろあるだろう。
映画や写真などの映像、演劇、演奏、詩歌、言葉や物語、絵画や彫像等々 いわゆる芸術といわれる分野がそれであろう。
毎日オンエアーしている「天童の家」が芸術などとは言えないが、原点というか出発点は、それに似ている気がする。

インターネットは、テレビ画面と同じようにモニターを介してディスプレーされる。
電気店でも分かるように、モニター画像には個性がある。色味、コントラストなどによって画像印象はかなりちがう。
ブラウン管方式よりも液晶の方が繊細というか、キャパシティが狭い?ような気がしてならない。
具体的に言えば、液晶の場合はモニター画面と視角のあり方によってディスプレーされる画像が大きく変わってしまう。

インターネット画像も、それぞれのモニターによってディスプレーされる画像印象がちがうようだ。
設定されるモニターの輝度や明暗によって、インターネット画像は大きなちがいとなる。
発信する画像と受信するモニターの輝度や明暗の差が大きければ、発信側の意図する画像は意図通りには届かないことになる。
レタッチが加えられたコントラストの強い画像は、特にそのちがいが顕著になる。雪景色などは、その最たる画像であろう。

「天童の家」にアクセスしてくださった方にお願いしたいことがある。
画像の映り具合(暗い・白飛び・コントラストつきすぎ等々)をコメントして頂きたい。
今後の画像処理の参考にし、より楽しめる画像を発信したと思う。よろしくお願いしま~す。

  1. 2008/11/29(土) 09:09:02|
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みちのく賛歌


今年の初雪は11月19日で、20日も雪降りだった。降雪量は多くなかったし、地面(大地)がまだ冷え切っていないので、雪は日が照れば溶けてしまう。
雪景色は、まさに冬到来となるが、雪が消えた後は再び晩秋のうらぶれた景色にもどる。
一度冬景色になった後の晩秋風景は、なぜか妙に寂しさを覚える。親しい友人との久しぶりの歓談にこころが充実する。が、その友人が帰った後の寂しさ、それと似た気分が雪解け後の景色に感じる。

25日に再び雪が降る。
朝食前にカメラを抱え、スーパー農道へ走る。先日歓談した友人に再会したような嬉しさを覚えながら、シャッターを切る。
雪そのものは、暮らしには厄介物であることは繰り返し書いた。でも、雪景色は文句なしに美しい。
雪景色を撮るのは コントラストの関係でなかなか難しいのだが... 雪景色は絵になりやすいからトライする。
難しければ難しいほどトライする気分が奮い立つ。ダメ(失敗)でもともとだし、リベンジすればいいことである。

撮りはじめるとご飯のことも忘れ、100枚から200枚近く撮ってしまう。
うう、数撃ちゃ当たるだろうとの思惑もあるからめちゃくちゃに撮ってしまう。
もちろん大多数はゴミ箱へとなるが、まぐれ当たり的に(見られる)のが数枚から十枚ほど生き残って、3日分くらいはブログで使える。
25日に撮影した画像は、26日~28日のブログで使うことになる。

春は南方から北上してくるが、冬は逆である。
東北に住んでいるのだから、南国より一歩早く雪景色が撮れる。うう 従って初物として冬景色を発信できるのが嬉しい。
っふふ 下手な画像でも(初物)の珍しさで見てもらえる。

言っていいものかどうか逡巡するのだが... 東北地方はこれまで、後進県と見られて侮られてきた(被害妄想とも言えないだろう)。
しかし、その東北に住む者としての本音は、東北にこそ他にない豊饒な景色、文化、人心の豊かさがあるのだと思っている。
四季の豊かさだけでなく、さまざまな時代を映す遺構、また民芸(歌舞伎・能・舞楽・踊り・民謡)や文学、言葉や人情や風俗などが多彩にある。

わざわざ100キロ200キロ走らなくても、身近くに豊かな風景や行事、季節を表す風物詩が撮れる。
「天童の家」の画像の大半が、車で十数分以内の場所で撮ったものである。
みちのくは、陸奥であるが、だからこそ今でも豊饒な詩情がある。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」を旅したのも、そこに人のこころを感動させる風物や人情があるのを知っていたからであろう。

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今朝の気温7度、晴
  1. 2008/11/29(土) 06:33:13|
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季節の狭間で

いつもの散歩道で、昨日撮った
タイトルを何んとしようか迷いながら... 晩秋にみる月山
月山は、もう完全な冬

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以下のヒメリンゴは、初雪前に撮った

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今日は終日雨。読書で暮らす
  1. 2008/11/28(金) 17:29:02|
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こころの拠りどころ

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宗 教

26日は 義父(妻の親)の33回忌で、母・妻・息子・私の4人が寺参りをした。
住職の都合で、午前8時の法要となり、読経が朝のお堂に清々しく響きわたってとても落ち着いた気分になった。
徳正寺(真宗大谷派)住職・東谷師は、精神科医師でもあり、読経後の説話は癌で亡くなった遺族の心のケアのあり方だった。

1周忌・3周忌・7周忌・13周忌・17周忌・25周忌・33周忌とある年忌も、特定の故人のそれは33周忌で一応の区切りとなる。それ以上はその家の仏、守り神(仏)として祀るのだという。
真宗の読経は、長くない。また他宗と比べれば 面倒?なしきたりもなく、法話も宗教臭みがあまり強くない。
先日行われた報恩講では、神主が仏堂に招かれ 神道のあり方が 阿弥陀仏の前で語られた。

住職は医師として働いておられ、また師の奥様も小児科医師として開業、さらに師のお母様は幼稚園をやっておられる。
それと法要は、直接にはなんの関係もないけれど、布施・賽銭・供物料などを包む時、よけいな心遣いをせずに済む。
要するに、金額にそれほど拘らずに、それぞれの家庭の経済状況に応じたムリのない気持ちを包めばいい。

今年から、その寺の世話人となった。同じ町内に住む総代から頼まれ、断るわけにもいかなかったが、そういう住職だから引き受けた次第である。
宗教がどうの、寺がどうだということにはあまり関心ない。しかし、こころの拠り所として寺や宗教はないがしろに出来ないとも思う。
無宗教者と自認している人でも、気持ちの上ではなんらかのこころの拠り所、または信念をもっているはずだ。
その信念こそ、言えばその人の宗教なのではないかと思ったりする。

難しいことは分からないが、ある時なぜか神々しいものを感じることがある。
卑近な例で言えば、元日の朝日とか、ある日の落日にそれを覚えることもある。
先日は、伯父さんの骨にそれを感じて熱いものがじわりとわいてきたのだった。

人は生まれ、生き、そして死んでいく。父母がいたから生まれてきた。その父母もまた同じこと。命は、そうやって継がれてきた。
それは人だけでなく、命あるものたちはそうやって生き継いでる。ずーっとつながっている命。
命や宗教を突き詰めて考えてくと、いつも分からなくなってしまう。
それでも、生きている命のたしかさに感動し、さまざまな時(場面)に神々しさを感じることがある。

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今朝の気温6度、雨
  1. 2008/11/28(金) 07:00:15|
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ある対話

「あくあ」さんとの対話

以下は、「あくあ」さんのブログ(http://acquaminerale.at.webry.info/)での対話の転載(抄)

(大きな省略)
でもね、ボーナスの心配をしていられる人はまだ幸せなんですよ。倒産の危機にある会社もあれば、職を失っていく人もたくさんいるんですからね・・・。
例えば私のような管理職は、来年はコストを10%カットしろ、20%カットしろと言われるでしょ。
来年一年間の総コストをそんなにカットしようと思うと、うちのような業界はコストの大半は人件費なんですから、人を切るしかしょうがなくなるんですよ。
                                                               (あくあさん)

労働組合の執行委員長や組織の管理職をやっていた頃(昭和の時代)は、馘首(リストラ)は容易にできませんでした
あの頃の日本社会は、みんなが「日本丸」に載っており、「護衛船団」が守ってくれていました
グローバル化が進み、「護衛船団」はいつしか姿が消え、今のような日本になった。勤労者を守る(大事にする)社会がなくなってしまった
これでいいいのかなぁといつも考えます。自由競争を野放しにしておいた当然の結果が今の世界経済(恐慌)なのです    こんの 2008/11/25 07:09


まあものごとにはいい面と悪い面があって、どちらかだけになることはないってことなんでしょうね。自由を制限しすぎるとソ連・東欧のようなことになるし、自由にしすぎると今回のようなことになるし。
ベストソリューションはないんでしょう。おそらく上がったり下がったり、ゆらぎながら進んでいくのが人間であり、世界であり、歴史であり、自然なんでしょうねぇ。 
特にリストラに関しては、やはりどうがんばって個々人のことは考えないようにしていても、どうしても心が揺さぶられてしまう 
ので、朝方、目が覚めたらそのことを考えてもう眠れなくなったりとか・・・しちゃうんだなぁ。          管理人(あくあさん)2008/11/25


自由競争社会 はっきり言えば、弱肉強食の世界ですからねぇ 弱者(子ども・老人・ハンディキャッパー・無能力者・大多数の人々)たちには辛く、冷たい社会です
弱者にも温かい社会であって欲しい! 大多数がやがて弱者になってしまうのですからねぇ  こんの 2008/11/26 06:14


難しいところですね・・・本編に書きたいと思います。 管理人 2008/11/26 21:53
以下あくあさんの本編

   自由競争社会の是非 2008/11/26 22:48

私はその昔、大学でロシア語を専攻していました。
後期課程で専門を選ぶ時、多くの人たちは言語学とか文学を選んでいたのですが、私は政治経済を選び、ロシア語科ですから、自然の成り行きでマルクス経済学を学び、ソビエト連邦および東欧諸国の政治や経済について勉強しました。
マルクスの「資本論」を読んでいたとき、はたと疑問を抱きました。それにはまるで資本家は極悪人で、一般市民を搾取することに生きがいを感じている人種であるかのように書いてあります。

当時、私の父は経営者でした。私の眼から見るに、経営者は大きなリスクを抱え、自らの所得を犠牲にし、従業員の雇用の安定を考える人種でした。雇用されている人々は、毎月決まった給料をもらって、のんきに働いているように見えました。
「資本論」は大ウソだ。そもそも人間というものには欲があり、楽しようとする性質を持っているのだから、少なくともそれがもっと高尚な動物に成長するまでの間は、共産主義のような「公平」な社会の中では、どうせ同じものしか得られないのであれば出来るだけ楽をしようとしてしまい、各人が能力を発揮するインセンティブがないので、トータルでみると社会を発展させることなんて出来るわけがない、と思いました。

研究対象であったソビエトや東欧の経済状況は私の仮説を裏付けていました。そして私は資本主義の経済学を勉強し直したいと思い、別の大学の経済学の大学院を独学で受験し、「近代」経済学を勉強しなおしたのです。
その「近代」経済学は、ケインズのマクロ経済学であり、ミクロ経済学であり、そしてアダムスミスの「見えざる手」でした。いわゆる自由競争社会の根幹にある理論です。
この理論は私にはとてもしっくりはまり、とても面白く、ほとんどバイトばかりしていた大学時代とは打って変わって、よく勉強をした2年間でした。

日銀から出向してこられていた指導教官の元に修士論文を書きあげ、そして彼の影響もあり、日本の銀行に就職しました。その後、それに飽き足らず、米系の投資銀行に転職し、欧州系に移り、今に至っています。
私は今でも人間は欲によって最もやる気を刺激され、能力を発揮する傾向があると思っています。その「欲」は、お金に対する欲だったり、権力欲だったり、家族を守る欲だったり、知名度だったり、人からの尊敬だったり、人によっていろいろ異なると思います。でもそういうモチベーションがあるからこそ、持っているポテンシャルを発揮し、何かを生み出す力を最大化出来るんじゃないかと思うんです。逆に言うと、人間は、結果が同じだと知っていれば、がんばろうとは思わない、楽な方に流されてしまう生き物なのであると。

そういう意味で、「がんばればもっと欲を満たすことが出来る」という自由競争社会は、結果的に世界全体が生み出すバリューを最大化すると思うんです。それ自体は悪いことじゃないと思うんです。
悪いのは、何らかの理由で同じようにがんばることのできない人たち、あるいは同じ努力をしても同じバリューを生み出すことのできない人たちが取り残され、それ以上に搾取され、ひどい目にあうこと・・・。

そういうことさえなければ、具体的に言うと、老人、子供、障害者、失業者、病気の人、その他の理由による弱者の人たちが、安心して普通に暮らしていける社会でさえあれば、あとは自由競争社会であった方が、かえって弱者を支えるペースとなるバリューを生み出す力は増すと思うんです。つまり、強者が最大限の能力を駆使して生み出したバリューを弱者に配分した方が、強者もやる気を出せないがために、世界全体のバリューが不足し、弱者は餓えて死んでしまわなきゃいけないような状況を脱するのにはいいのではないかと。

昨今のアメリカや日本の問題は、弱者に対するセーフティネットが軽視されすぎてきたことであって、自由競争社会のコンセプト自体が悪いんじゃないと思うんですね。自由競争社会と、弱者に対する十分なセーフティネットは共存しうるものだと思うんです。
このバランスをうまく取っていくのが政治の役割だと思うのですが、そこがうまく機能していないんですよね・・・。
そこさえうまくいけば、つまり自分が弱者になってもそれなりに幸せに暮らしていける保証があるならば、強者でいる間は、がんがん競争させておいた方ががんばって価値を生み出してくれると思うんですよね・・・。

要は、今の私はまだ元気なので、がんがん競争させておいてくれた方がいっぱい価値を生み出し、いっぱい税金を納めますが、いざ病気になった時や、いざ年老いた時は、ちゃんと面倒みてよね・・・ってことです。先に不安があると妙に守りに入ってしまうので、先の不安を取り除いてもらえば、自分のためを越えて、世のため人のためになるくらいいっぱい働くんですけれど。
そういう意味で、私は今もグリーンスパンを尊敬しています。彼とクリントンの組み合わせは良かったんですよ。結局のところ、ブッシュの問題だったんだと私は思っています。もちろん、グリーンスパンは、インフレだけじゃなく、資産バブルもモニターし、バブルが起きないように適度な規制をかけるべきだったというのは、事後的評論としては正しいと思いますけどね。

アメリカの大きな双子の赤字を黒字転換したクリントンを支えたサマーズさんたちがオバマさんをうまくサポートし、自由競争社会と、セーフティネットのうまいバランスをみつけてくれることを切に願っています。
日本について言えば・・・・私は自民党にも民主党にも失望しています。もっとまともな人はいないのか・・・。


あくあさん 「本編」よくわかります。ありがとうございます
自分が生まれ育った時代(昭和14年生)の日本は、敗戦後で貧しく暮らしも楽ではなかった。けれど、こころの豊かさは、今よりもずーっと豊饒だった
テレビが出て、たくさんのCMが毎日これでもかと流され、隣の家の冷蔵庫や電気洗濯機が気になりだし、男たちは都会へ出稼ぎに出かけるようになった
その頃から、人々のこころは温かさを失っていった
格差社会が拡大し、そして終身雇用の世界が壊れてしまった
リストラされる人間の悲哀 苦悩 それがどれだけ辛く切ないか  こんの 2008/11 /27

*
  1. 2008/11/27(木) 09:45:03|
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義 歯

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義 歯

繰り返し書くことになるが、奥歯(臼歯)がないと食べ物を前歯で噛む(というより切る)しかない。
自分ではちゃんと噛んでいるつもりなのだが、食べ物は歯のない方へ転んでしまい、なんとも歯がゆい気分になる。
食べ物が、本来臼歯のあった方(空間)へはみ出るのである。食べ物を前歯(切歯)で切った後、すぐに奥歯の方へ行くように口の動きが自然にそうなっているのだろう。
うう 意図しないでも、食べ物は行く先へちゃんと進んでくようにできているのだ。

だが、臼歯のない今、奥へ進んでもどうしようもない。慌てて、舌で奥から食べ物を引き出し、前歯の方にもっていくことを繰り返すことになる。
うっふふ まるで漫画みたいなおかしな動きをずーっと繰り返している。
このなんとも不甲斐ない気分は、体験した人でなければ理解できないだろうなぁ

歯科通院で、今日(25日)ようやく義歯になるはずのそれを口に入れて生身の顎と、人工物のそれがうまく適合するかの調整を行った。
奥歯がなくなった時、「歯を食いしばる」所作ができず、なんとも気合いの入らない気分をあじわったのだが、今日その人工物を口に入れてホッとした。
「ゆっくり噛んでください。はい、軽く何度も噛んでみてください」技工士の指示通りに、人工物のそれを噛む。
(う~む、こういう感じなのかぁ)まだ、試行段階だから「歯を食いしばる」まではいかないけれど、うん 奥歯が復活した感じに近い。

「今日は、これで終わります。来週には義歯として使えるようになります。はじめから完全とはいきませんが、徐々にならしていくことになります」技工士の言葉が嬉しい!
義歯を使うのは、はじめて。人工物を口に入れることには少なからぬ抵抗感があった。
だが、今日の感触では、そう大きな違和感を覚えない。むしろ、奥歯の復活を感じる。

目がわるい時は眼鏡、耳の場合は補聴器(集音器)、足の場合は義足、心臓にはペースメーカー等々の補助器具がある。その点でいえば、義歯はもっとも原初的・効果的な人工的代替物なのだろう。
眼鏡と集音器はすでに使用中である。それに義歯が加わる。さて、次は何が必要になるのやら...
頭髪がかなり薄くなった。早晩目立つ禿頭になるだろう。アデランスは使う気がしない。アデランスに百万円遣った人を知っているが、自分には不要だ。
余計なことを考えるのは止そう。
69歳を目前にし、義歯を使う。それに対しとやく云う必要はない。奥歯がダメになったから、代替えの義歯を作っただけのこと。

とは、言いながら...やっぱり、いろいろな想いがわいてくる。
うん、もう少しの間、食べ物をちゃんと噛んで、元気に生きていかねばなるまい。
義歯を使うのは、眼鏡や集音器と同じなのだ。生身の顎に直接嵌めて使うだけのちがい...

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今朝の気温1度、晴
  1. 2008/11/27(木) 06:53:12|
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雪景色 5

画像がたくさんあるので、並べる
今日は晴天だったので、積雪はもうほとんど消えてしまい、野は最晩秋?のくすんだ風景

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今日のページの画像は、25日の朝に撮った
「天童の家」近くのスーパー農道近辺の景色

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晴天なので、ソバ(の実)を乾かし、青菜(漬物用)を陽に晒し、干し柿を取り込んだ
午後3時40分の気温7度、青空に白い雲
  1. 2008/11/26(水) 15:40:40|
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真鶴半島


       舞茸のひとひらほどの左手にどんぐりみっつ握られており     高槻市・有田里絵
モミジのような手とはよく言われるが、ね 舞茸のようなとは... 柔らかい小さな手がイメージされる。
幼児には、どんぐりもきっと宝物!

       八王子 ー 美しい名と想いみる君が栖むまち吾が識らぬ市(まち) 福岡市・森 ジツ子
森さんと似たような想いをもったことがある。
その人がいるのは、真鶴半島にある真鶴町だった。あの方は、いまどうしておられるのだろう... もう40数年も前の淡い思い出

       呆けしと云はずに置かう老い夫が少年の日を語るかがやき    南魚沼市・五十嵐とみ
五十嵐さんの接し方が大きな正解!
たとえ認知症になった人でも、よい思い出をたくさんもっている。残っている宝物を愛おしむことが生きがい。それをみんなで認め、大切にしていきたい。

       ほろ酔いの出湯の里の炉辺では民話にのって秋の夜が来る     埼玉県・中里史子
至福の時だなぁ

       湧き水をごくんごくんと頂けば乾坤の味、蔵王山麓        福島市・美原凍子
蔵王にも名水といわれる湧き水がある。うう 美原さん、蔵王を楽しまれたのですねぇ

       巻物の端に我あり山紅葉     横浜市・青山文一
       水の音にも冬の来たりけり    西宮市・吉田邦男
       菊師いま篤姫様にかかりきり   埼玉県・山崎マサ子

               短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(24日付け)より

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今朝の気温3度、晴の予想。外はまだ暗い
  1. 2008/11/26(水) 05:46:34|
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雪景色 4

画像ストックが増えたので、また並べる

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今日の画像は、22日に撮った

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1年ぶりの雪景色だから、っふふ 珍しい気分で何枚も撮ってしまう
うう 似たような画像が並んだなぁ

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今朝は雪が舞う。午後からは晴れ、青空
歯科受診 義歯ができつつあり、来週から使えるという
  1. 2008/11/25(火) 14:56:55|
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冬迎え

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冬を迎える

初雪は、毎年11月に降る。
野菜が雪を被ると 甘味を増し、柿は渋みを薄らぐ。初雪が降ったからと云っても直ぐに冬になるわけではない。
本格的な降雪は、やはり12月になってからで、それまでは雨やみぞれで、ひと雨毎に寒さが増してく。

人々は、初雪がくれば冬支度にとりかかる。
大根や蕪などを畑から、屋敷内の畑にまとめて囲い、大雪になっても埋めておいた場所が分かるように目印の棒などを立てる。
越冬用の漬物(青菜漬・白菜漬・近江漬・沢庵漬等)の準備に忙しくなる。越冬用の食材確保は、雪国に暮らす人々には必須だった。

しかし、ショッピングセンターに行けば、真冬でもいろいろな野菜や欲しい食材が買えるようになった。
『わが家の味』に拘らなければ、いつでも・なんでも入手でき、わざわざ越冬用としての食材確保は心配不要となってる。
便利な世の中になった。
けれど 『おふくろの味』・『わが家の味』は、ショッピングセンターでは買えない。だから「天童の家」では、漬物をたくさん漬ける。

越冬用食材を確保しておくと、豊かな気持ちになる。
青菜漬などを作る過程で多少のたいへんさはあるけれど、そのプロセスが楽しめる。こころが冬を迎える姿勢になる。
雪掻きや屋根の雪下ろしはたいへんだけど、雪を楽しむこころの余裕もできてくる。

いつかも書いたけれど、「天童の家」の台所兼食堂からは真っ赤に熟したウメモドキが眺められる。
雪になると、その実を啄みにヒヨドリたちがやってくる。
食事や茶を飲みながら、バードウォッチングや里山に降り積もった真っ白な雪景色を楽しむことができる。

雪は、暮らしにとって厄介なものだが、反面 とても美しい。
秋までにうす汚れたものが全部白い雪で覆われ、朝日に輝く雪は清らかできれいだ。
手のかかる雪であるけれど、一方では心待ちにしているのも事実なのである。

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今朝の気温1度、雪
  1. 2008/11/25(火) 06:39:16|
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伯父さんは、84歳で亡くなった。
ご飯が食べられなくなったので、やせたのはやむを得ない。入院してたから点滴などはもちろん受けたが、長期間食べなかった身体はやせ細った。
もともと小柄の方だったが、筋肉のなくなった身体は、まるで子どものように小さくなりきって、別人のように感じられた。

健康で、元気な時は、身体は大きく見える。
だが、燃え尽きるようにして逝った亡骸は、信じられないくらい小さく、軽かった。
命があるときは、いくら下顎呼吸や肩呼吸をしていても生命体としての存在感があるものだが、そうでなくなった途端に亡骸は物体化してしまう。

一般市民に対する天童市長の弔辞は、決まり文句が印刷されたものを誰かが代読する。だが、伯父さんの葬式には市長本人が来て弔辞を述べた。
確かな生き方をしてこられた伯父さんであったが、その誇り得るそれまでの人生のあり方が、その骸からは微塵も推し量れない。
骸は、言葉を選ばないで言えば無惨に感じらる。
人生の最後に、このような姿(形)で人目にさらすのは(残酷だなぁ)と無念の思いを強くする。

祭壇に飾られた遺影は、伯父さんの人柄を比較的よく伝えるものだった。
しかし、病院から家へ戻り、入棺から火葬までの間、弔問に訪れる親しい人々は、最期の亡骸と面会する。
どうしようもないことなのだけれど、人生の最後の最期に、そういう姿になるのは堪らないなぁ

火葬が終り、台車の上には、骨だけになった姿?が、むしろ清々しい。
84年生き抜いた骨格が、そこに清々しい白さであった。
よけいなものが全部灰になって、確かな骨格が、頭部から足先まできれいな姿であった。

その骨格を見て、はじめて目頭にあついものがじわーっと感じた。
生前のたしかな生き方が、その骨から(そうだったなぁ)と伝わってくる。
うう おかしな言い方かもしれない。それは否定しない。けれど、骨がこんなに美しい?かったのかと驚く。
伯父さんの元気な時の姿と、この白いきれいな骨が重なって見える。うう、なぜかホッとする。

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今朝の気温4度、晴
伯父さんの初七日
  1. 2008/11/24(月) 06:54:34|
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冬景色 3

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変わり得た

長い間無沙汰していた人と、葬式ということで再会した。
人の性格は、なかなか変わらないものとされているが、久しぶりに会って(変わったなぁ)と感じることがある。
率直に言えば、性格的にかなり個性の強い人で、敢えて言えば問題的言動のあった人が、穏やかに丸みをおびてきているのに驚く。

年月がやさまざまな試練が、鋭角的な性格だった人のトゲを抜き、角をすり減らし、全体として包括力を増し、穏和な人になった。
いわゆる大人になったのであろう。
そういうことで言えば、性格も長い間には変わる。
そもそも、性格とは、諸状況・諸問題等にどのような反応(言動)を示すか、その反応パターン(特性)である。
その人を取り巻く環境や状況・立場によって、人の考えや言動も変わり得る。その点、人の性格もかなりフレキシブルなものなのだなぁ

性格が悪しく変わるのは困るが、良い方に変化するのは好ましいことである。
「あの人、なんか品が出てきたような気がする」妻が言うのに素直に頷ける。
「その点、私など逆にだんだん品がなくなってくるなぁ。特に、この前歯が歪んできて、下品になった。もう全部抜いて、総入れ歯にしたら、少しはましな顔つきになるのかなぁ」私の言葉を、妻は否定するけれど、私の本音である。
「立場、居場所が安定してると気持ちも落ち着いてくるのね」
「ママの言う通りだ。その点、私はダメだね。ちっとも品など出てこない。イヤになってしまう。家ではいちばん気侭にしているのに... あまり我が侭し尽くしてるからいけないのかなぁ」
「パパ、そんなふうに考えなくてもいい。今のパパのままでいい」
「そうならいいのだけど...」うう、後の言葉が続かない。

「パパ、電話があって、ね 明日の初七日、午前8時半までお寺へお願いしますと」
「分かった。夜は公民館で『自主防災』の会議だし、25日は歯医者だし、忙しい」
「25日は8時半まで行かなきゃ。じいさん(妻の父)の寺参り。花も用意しなきゃ」

いろいろやらなければならないことが続く。繰り返し書くが、それが生きているということなのだろう。
性格云々も特に問題になることではない。
久しぶりに再会し、歳をとり、穏やかな笑顔をみて、(変われば、変わるものだなぁ)と思っただけ...

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正午の気温2度、雨
  1. 2008/11/23(日) 12:01:28|
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雪景色 2

伯父さんの死についていろいろ考えることがあるのだけれど、容易には書けない
時間をかけて、失礼のない書き方をしなければ...

先ずは、雪景色を並べる

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積雪がもう少し多ければ、またちがった眺めが得られたのだが...
チャンスがあれば、同じ場所でもう1回撮りたい気がする
パターンもようが面白く感じた

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雪景色は撮るのが意外と難しい
一面の現世界もそうだが、暗い色が残ってる場合もコントラストがつきすぎ、雪の色が飛んでしまうのが悩み

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上の民家は、うふふ もう「天童の家」初冬の定番画像になったしまったなぁ
それでも毎年ちがった姿なあのが救い

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親子の猿のようだった(こちらは母親?)

今朝の気温4度
朝食頃からずーっと雨が降っている。これからは一雨毎に寒くなるなぁ
  1. 2008/11/23(日) 06:22:31|
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サザンカ

サザンカに雪は、20日に撮った
昨日は伯父さんの葬式で、カメラは持たなかったが、今日はまた雪景色をたくさん撮ってきた
画像がいっぱいなので並べることにする

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午後7時半の気温4度
日中は寒さをそれほど感じなかった
  1. 2008/11/22(土) 19:34:04|
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晩秋の画像たち


  または紅葉未練

早晩のちがいはあるが、遅かれ早かれくる雪が19日から20日にかけて降った。去年より3日遅いという。
降ってみれば、(あぁ、とうとう今年も降ったなぁ)と思い、ある覚悟?みたいなものが出来る。
12月・1月・2月・3月は、雪国にとっては暮らしにくい。そうはいってもどうにもならないから、腹を括る(覚悟?)しかない。

毎年自分に言い聞かせるのだが、雪や寒さをただ辛いと嘆いても仕方ない。
逆に、それを地域の特性と考え、美しい雪景色や寒さを利用した暮らし方のいろいろを発信していくことを楽しみたい。
みちのく雪国にしかないような楽しい行事や出来事を、自分自身が楽しみ、その楽しさがアクセスしてくれた方に伝わるようなページをつくっていきたい。

(ここまでが前書きで、ここから言いたいことがはじまる)
雪が降るまでに、撮り溜めた画像がストックされ、それなりにある。ところが、雪が降ってしまったので、ストックされた画像が時節にマッチしなくなった。
捨ててしまうには未練がのこる。(せっかく撮ったのに...)と処分できない。この雪は、すぐに消えてしまうから、次の本格的な降雪までの間、晩秋の画像を使うことにしようかなぁ

撮った日付とアップする日にちをあまり厳密に一致させなくてもいいのではないか?(と自己弁護というか、っふふ 我田引水的に考えている)
まだアップしていない画像は、18日に撮った。
初雪は、19日から降りはじめ20日朝には約十数センチほどに積もった。降りはじめも撮ったし、20日もにたくさん撮った。20日以降のは使えるのだが、18日のをどう扱うか迷う。

頑なに考えなくてもいいとは思うけれど、実際にはやはり抵抗を覚え、18日に撮った画像をどう扱ったらいいのか迷う。
が、腹を括って、それらの画像(18日撮影)を、ね 今日は並べることにする。

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今朝の気温2度、晴れ間が見える
  1. 2008/11/22(土) 06:59:24|
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物価変動

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賢いはずなのに

「パパ、公民館の事務長がね、『アルミ缶(の価格)が暴落し、20~30円(Kg当たり)になってしまった』と最上金属から電話があったそうよ。出荷をどうするパパに伝えてくれと言ってた」
「あぁ、分かった。冬期間はアルミ缶の集まりも多くないから、しばらく出荷を見合わせてもいいかなぁ。この頃はガソリンも安くなっているし、それとの関連だろう」
あれほど騒がれたガソリン高騰だったが、天童辺りの今日(20日)の価格は120円/にまで下がっている。

ガソリンや食料などの物価が下がるのは、ありがたい。
しかし、ここ数ヶ月の物価変動をみると、その変わり方の激しさに驚く。
物価がこんなに大きく上下するのは、けっしてよいことではないだろう。

アルミ缶一つをみても、(先日も書いたが)数年前までは60円後半できたが、今年になってからは100円から120円まで上がった。
それが、なんと20~30円まで急落したというのだから、開いた口がふさがらない。
このように変動の激しい世の中は、なににつけ暮らしにくい世の中と言わざるを得ない。というか、好ましい世の中ではない。

アメリカのサムプライムローンから発した経済破綻は、世界中を恐慌の嵐に巻き込みつつあるようだ。
マネーゲームに関わった人々が影響を受けるのは仕方ないことだが、関わりない多くの人までその嵐に揺さぶられるのは迷惑なことである。
とはいっても、世の中の流れの中で暮らしているわけだから、無関係とすましておれないから困る。
とにかく、賢いはずの人間なのだから、もうちょっと安心・安穏に暮らせる世の中になってもらわないと笑われてしまう。

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今朝の気温4度、晴れてはいるが...
  1. 2008/11/21(金) 06:16:17|
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初雪の日に

19日に撮った画像を並べる

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お念仏に妻が行ったので...
  1. 2008/11/20(木) 20:36:22|
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初 雪 2

初雪が降ったので、やはり珍しく感じてたくさん撮った
多くの画像をどうしたらいいのか戸惑っている
とにかく並べることにする

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午後6時半の気温0度、やはり寒い
  1. 2008/11/20(木) 18:30:22|
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初 雪

11月19日、朝はみぞれ。その後、断続的に雪降りとなる
20日の朝は、今年はじめての雪掃きをした

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おさんどん

三度の食事をつくるというのは、考えてみればとてもたいへんなことであるなぁ
なにかの都合で妻がいなく、また母も具合わるい時など、食事をどうしたらいいのか戸惑ってしまう。
妻に頼まれて卵焼きなどをこしらえることがあったけれど、なにからなにまで一通りのおかずを調えるとなると大きな困惑を覚える。

母から頼まれるのは、カボチャを切ってくれということである。硬いカボチャを切るのは、男でもそうとうな力が要る。
15日の土曜日、「カボチャのコロッケをつくるから手伝って」と妻からカボチャ切りを頼まれた。
切り終わって、(もうこれでいいのかなぁ)と思ったら「皮を剥いて、種を取り除き、なるべく小さく切ってくれ」と言われる。

「それが終わったら、洗って鍋に入れ、油と塩を少々 砂糖をいっぱい入れる」という指示が出る。
「柔らかくなったかどうかみて」と妻
「もう煮えた」と答えると、妻は煮汁を捨て、「これを潰して」と言うから、スリコギ棒でカボチャを潰しにかかる。

その直前に、納豆汁を作るために納豆をスリコギで潰したばかりだったから、洗ったスリコギ棒がそこにあった。
潰し終えたカボチャがまだ熱かったので、氷水に鍋を浸し、団扇で煽いで冷ます。
天ぷら鍋で油を熱し、大皿3枚に小麦粉・生卵・パン粉を用意し、妻がコロッケつくり開始する。
「パパ、きつね色になったら、裏返し。それも色づいたら油を切って皿に取る。あぁ! 卵割って、ほらパン粉も追加よ!」妻の指示が次々に飛ぶ。

コロッケと言うけれど、作るのはなかなか手間暇かかるんだなぁ 息つく間もなく、卵を割って、パン粉や小麦粉を追加し、揚げたコロッケをすくい取って皿に盛る。
形や色はさまざまで、決して店で売っているようなスマートな出来上がりではないが、へへ 食べてみると、これがなかなか美味しい。
カボチャ3つも使ったのだから、うふふ コロッケだけで食卓はいっぱいになってしまうぐらい。
それに納豆汁が加わるから、それだけで腹いっぱいになってしまい、夕ご飯は食べないでしまう。
その結果、16日の朝ご飯は炊かず、15日の残りご飯で朝粥と焼き餅(とろろ餅)。

16日の夕ご飯は、朝に摘んだアスパラ菜のお浸しと、本格的?な雑煮餅。
妻に頼まれ、また夕飯の手伝いとなる。
「パパ、もし万が一、私がいなくなったら、パパが自分で出来るように料理覚えておいてね」
(ん? ママが先に居なくなる?! そ、そんなことあってたまるかぁ)

うう それは別にして、料理を覚えることは、(わるいことじゃないなぁ)である。
それにしても、三度三度の食事(献立)づくりは、けっこう大きな仕事であるなぁ

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今朝の気温0度、小雪舞う
  1. 2008/11/20(木) 07:09:15|
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男は弱い


次は、2004年10月の「天童の家」の一部である。

       復員し洋服あまた仕立てたる叔父の太骨拾う真夏日     横須賀市・戸村 健児
先日、伯母さんの骨を拾った。伯母さんは大正生まれ、昭和19年に結婚、叔父さんは間もなく応召。敗戦後の日本で3人の子を産み、育ててきた。大正・昭和・平成を暮らし、81歳の生涯を閉じた。
そういうこともあり、戸村さんの歌が身近に感じられる。叔母さんの骨はけっして太いものではなかったが、一人の女性として、娘・妻・母・そして最後にはいい祖母として存在した。孫娘の読んだ弔辞がとてもよかった。その孫娘も二人の子の親である。
骨を拾いながら、少しの間、人の一生を思ったのだった。
***
なぜ上のそれを再掲したのか、そのわけを言えば、18日に亡くなった伯父さん(Mさん)の奥さまが、上の伯母さんだからである。

危篤の知らせを受け、親戚の4人が私の車に同乗し病院へ向かう車中での会話
「男は、奥さんを亡くすと弱いもんだ。Mさん、一人になって変わってしまった。寂しそうで、元気がなくなった」
「うん、女の場合、旦那がいなくなっても、茶飲み友だちとかいて、旅行を楽しんだり、けっこう元気だよなぁ」
「女性は、旦那がいようと、いまいと関係ない。居ない方がのびのびして見えるもの...」
「男は、その点ダメだね。奥さんには偉い顔してても、いなくなるとまるっきり勢いなくなってしまう。男は弱いんだ」

伴侶を亡くした男性は、妻を追いかけるように死に、女性は逆にますます元気で長生きすることが統計でも分かるという話しを聞いたことがある。
「うん、女房には自分より早く逝ってもらいたくないなぁ。一日でも長く生きていてもらいたい」
「奥さんをだいじにすることだね。あまりえばらないで...」
「だいじにしているつもりだけれど...」
「だいじにし過ぎてもダメなんだよ。可愛がりすぎると毒になるから」
車中は気心の知れた者ばかりだから、大きな笑い声でいっぱいになる。

妻81歳、夫84歳の生涯だったから、年齢に不足はないだろう。
ただ、長年連れ添った夫婦だからこそ、先立たれ、残された者の悲哀はやはり大きいのだろう。
しかし、寿命だから、こればかりは如何ともしがたいなぁ

ふ~む、男は弱い そうなのだろうなぁ 異議はないが、なんとも可笑しい。
「だいじにし過ぎてもダメなんだよ」の言葉が、なんかくすぐったい気分だ。

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断続的にみぞれ。山は雪だろう
  1. 2008/11/19(水) 14:17:53|
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伯父の死

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伯父さんの死

母の姉の夫(いわゆる伯父さん)の容態がよくないという電話があり、病院へ駆けつける。
伯父さんを見舞い(あぁ、危篤状態だなぁ)と思う。呼吸が肩呼吸で、下顎も大きく上下(下顎呼吸)する。
しかし、意識混濁は少なく、面会者が4人であることや問いかけにもそれなりの反応をしめす。
「水が飲みたくないですか?」と話しかけると、「飲みたくない。ご飯も食べた」と応える。
しかし、酸素マスクを嫌がって取り外してしまうという。ベッド脇に腰掛け、マスクを鼻先に持っていき保持するとなんとなく呼吸が楽になるようすなので、しばらくマスクを持つ。
痰が絡んでるようで、喉がごろごろするので、「痰を取ってもらう?」かと問いかけると、「うん」と言う。
ナースコールし、痰を吸引してもらい、酸素マスクをすると、こころなし顔色がよくなって寝息をたてる。

いつまでも付き添っていることもならずに、家族に後を任せ、病院を出る。
家に戻って間もなく、また「様子が急変した」との電話があり、再び病院へ急ぐ。
伯父さんは、すでに逝っていた。
体力が落ちるところまでおち、燃え尽きたのだろう。

家に戻った伯父さんは、率直に言えば小さな物体のように見える。
仏さまになった伯父さん。枕経があげられ、葬式の準備がはじまる。セレモニーの内容と日程が決まる。
19日夕方入棺、20日が友引なので空日、21日午前9時野辺送り、10時火葬、午後1時半葬儀。

21日は、町内自治会の役員研修旅行(新潟月岡温泉泊)が予定されてた。
旅行は、もちろん行けないので、旅行担当役員と区長に電話し、参加できなくなったことを告げる。

話しが変わる
今朝、里にみぞれが降った。里山は雪で白くなっている。
降るべくして降った雪だなぁ

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今日の画像は、18日に撮った
  1. 2008/11/19(水) 11:55:44|
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生きる悦び

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生きる悦び

       どの家も菊の花蒸す匂いして南部の里は冬近づきぬ      八戸市・山村陽一
岩手では、菊の花を蒸して食すのだろうか... それとも何のために蒸すのだろう?
いずれにしても、菊の香りが漂って、やがてくる冬を告げている。岩手の晩秋 それがたしかに伝わってくる。

       知恵うすき吾娘なればこそかくのごとかき抱かせる十八の体  天理市・乾 喜宏
哀切がじわーっと伝わってくる。この気分をうまく表せない。

       運動会決行するから集まれと知らせる花火がドカンと響く   牛久市・齋藤吉民
「運動会だぞー」という合図の花火 聞きようによってはパーンともバーンとも聞こえる。
だが、うっふふ ドカンと爆発するような威勢の良い音! オノマトペは、感情まで表現できるから面白い。

       灯台の明滅波涛とふ秋思      熊谷市・時田幻椏
  10月末、熊野古道への旅で得た1句である。
  勝浦温泉「ホテル浦島」に一泊した。料理も施設もサービスも馴染めず、気分は落ち込んでいたが、洞窟風呂なる、浴場施設だけは良かった。
  熊野灘の荒波が打ち寄せる磯の間近にある温泉で、波音は洞窟の中にまで響き、波濤を見詰めながら繰り返される波音をじっと聴いていた。
  暫らくすると日は落ち,暮行く沖の灯台の赤い灯が強さを増して来た。灯の明滅と、繰り返される波音がある時から同調していく事に気付く。
  全てのものがリズムを刻み、その全てを抱えて1つの同期を得たとき、何故かたまらなく今在る自分を思っていたのである。
上は、時田さんのブログから拝借(部分)した。はじめ難しく感じた句であるが、ご本人の解説を拝読すると(なるほど!)と納得できる。
金子選者が三席に選んだ句である。

       塵取の華やいでゐる紅葉かな    神戸市・加藤睫子
       人間が驚いてをる威銃       松山市・吉武宗史
       柿紅葉散って梢に空のこる     新潟市・岩田 桂
       尾の先に生きる悦び石たたき    刈谷市・山本泰弘

                  短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(17日付け)より

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今朝の気温6度、先ほどまでみぞれが落ちていた。不安定な空もよう
  1. 2008/11/19(水) 06:58:27|
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物の値段

無関心でいられない

16日のブログは、新聞折り込みチラシを見て目玉商品を買う内容だった。
それに対し、次のようなコメントがあった。

   うちの母もそうやってますねぇ。私はまるっきりだめですが・・。
   2008/11/16(日) 09:04:23  あくあ

次は、それへのレスポンス
   うふふ う~む、年代にも大きく関係するでしょうねぇ
   同じ品物なのに、高い・安いがあるを知れば、多少遠回りでも安いのを買い求める心理...
   価値観みたいなのもあるかも知れませんですねぇ。わざわざガソリン代や時間をかけてペイするのかと疑問に思われるかもしれませんがねぇ...
   2008/11/16(日) 10:14:08  こんの

16日の朝食時は、次のような会話をした。
「ママ、今日の予定は?」
「パパは 菜っ葉を摘んで、ね。その間、私はゴミ焼きしてるから。その後 買い物につき合って」
妻が言う菜っ葉とは、畑に植えてあるホウレンソウとアスパラ菜である。
また、買い物は「おーばん」今日の目玉商品である卵と砂糖で、どちらも1パック・1袋と制限されているので、私が行けば2パック・2袋買える。

特売日でない日は、卵が1パック198円くらい、砂糖は1袋198円(なぜかどちらも198とか298半端な数字が多い)なのに、16日は卵が78円、砂糖が78円(この数字も半端だ)だった。
卵・砂糖が通常日の値段より120円安い。二人だと480円(120円*4)安く買えるから、ふ~む 都合つけて行くだけの(得)がある。
他にも買わなければならない品があるから、ガソリン代や時間は問題にならない。

ガソリンと言えば、先だってはリッター当たり170円まで高騰したのだったが、16日のそれは124円で、あの高騰は何?だったのかと驚く。
需要と供給で価格が決まるのではなく、ガソリンなどのそれは株相場や為替によって大きく変動するのがよく分かる。

話しが逸れるが、金相場は日毎に変わるのは承知していたが、アルミ缶(資源)出荷も変動相場なのだから面白い。
3年前ころは 1Kgが60円後半だったのが、数ヶ月前(3月15日・7月19日)頃は110円で出荷できた。
しかし、前回(10月18日)は90円に下がって(それでも670Kg出荷し 60.300円になったが)しまってた。

世の中の仕組みが複雑になって、単に需要と供給だけで価格が決まるわけではないのは承知しているが、それにしても短日時に物価が変動するのには驚く。
マネーゲームのようなものでそうなるとしたら、やはり(拙いなぁ)と思う。
物の価値は、そんなゲームみたいなもので簡単に変わってしまっては困る。

うむむ、こ難しいことは措いて、物価の変動はわれわれ庶民にとって影響力が大きい。
安定したものであることが望ましい。っふふ、物価はできれば高さをあまり感じさせないほどほどで推移してもらいたい。
特に「食」と「医療費」はできるだけ家計負担にならないよう願っている次第である。

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今朝の気温10度、曇
  1. 2008/11/18(火) 06:25:25|
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連想から

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連想の妙

奥歯(臼歯)は7本抜歯し、もう1本もない。前歯も動くのだが、「こちらは保存することにし、今日は義歯を作るための準備をします」医師の言葉に頷く。
なんだかだ言ってもはじまらないから、この際 医師の判断に委ねることにした。
はじめに下の方の歯型をとる。口いっぱいに粘土のような物が詰め込まれ、その上に歯型をとる器具を押し当てる。
「直ぐに固まりますから、ちょっと辛抱してください」医師の言葉は丁寧だが有無を言わせない。頷くしかない。
別に痛いわけでないからかまわないのだが... 口中いっぱい異物が押し込まれた違和感が辛い、というか切ない。

「今度は上をとりますからね。気分はダイジョウブですか?」
「はい、ダイジョウブです」と応えるしかない。
再び口いっぱいに異物が押し込まれる。
「顎を引いて、肩の力を抜いて、鼻で呼吸してください」医師の指示だから従うしかないが、うう きっと緊張して肩をいからせてたのだろうと可笑しくなる。
もちろん、鼻で呼吸するしかないのだが、なんとなく気分が塞ぐのを覚える。

診療予約時刻が11時だったが、10分前に受付した。11時5分前に診療開始し、終わったのが11時10分。わずか15分で歯型を取り終える。
次回は11月25日、午前11時の予約。
義歯を作る気分は、やはり気鬱だなぁ しかし、なんだかだ言っても仕方ない。前歯だけでは咀嚼できないので、義歯に頼るしかない。

家に戻って昼食を摂る。
夕べは今朝までぐっすり熟睡したはずなのに... なんだか眠い。きっと診療(歯型とり)で緊張したせいだろう。
我慢せずに午睡する。

(「10月さくら」を撮ろうかなぁ)と思ったが、行動が伴わない。
妻が学童保育へ出勤するのを見送り、足下の敷石が乱杭歯のようになっているので、(雪が来る前に直すかぁ)と作業にとりかかる。
その作業は、いかにも唐突のように思われるかもしれないが、だいぶ前から修理(修繕)を要する状態になっていたのである。
歯の修理(義歯つくり)と敷石直しは、なんか似ているというか、うふふ 連想の結果が、敷石修理作業になったのかなぁ
そう思うと、一見唐突な自分の行動が分析できたようで、なんとなく可笑しかった。

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今朝の気温12度、小雨ぱらつく
  1. 2008/11/17(月) 06:31:23|
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庶民の工夫

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庶民の暮らし

起床し、洗顔を済ますと、例の如くにパソコンに向かう。
パソコンを離れ、今度は洋間で新聞を広げる。記事を読む前に、折り込み広告を点検?する。
たいていはよく見ることもなく一昨日の新聞と一緒に古新聞として片付ける(昨日の新聞は念のため一日だけ保存する)。

「あんなに沢山のチラシがもったいない。資源のムダ使いだから、規制することできないかしら」いつだったかある民生委員がそんな発言をしたことが忘れられない。
まさか規制などできるわけがないのだが、そう言わせる気分はよくわかる。
パチンコの広告は意外と多い。たいていのチラシは表裏に印刷されているが、どういうわけかパチンコのそれは裏白である。
次兄などは、パチンコ・チラシの裏白をメモ用紙として利用しているから、ね それなりの利用価値がある。

チラシで注目するのは、ショッピングセンターのそれである。
「おーばん」「ヤマザワ」「ヨークベニマル」「ジャスコ(イオン)」「ジョイ」「カワチ」などが入っておれば、妻に渡す。
朝食後にお茶を飲みながら、「お買い得」の品物と店名をメモする。

そんな買い物をしないと、我々庶民の暮らしはなかなか厳しいものがある。
「パパ、今日は買い物につき合って」妻の要請には、もう頷くほかない。それには、うふふ 深~いわけ?があるからだ。
例えば、14日「おーばん」のチラシには、『塩焼きで美味しい! 宮城県産生さんま 1尾19円 お一人様5尾限り』とある。
妻と一緒なら、さんまが10尾(190円)買える。目玉商品は、たいてい買える数が1袋とか1パックとなっているから、二人なら倍買える。
っふふ、そんなふうな生活防衛法で対応している。「毎日が日曜」である私だから、そんなかたちで役立つしかない。

それが別にみじめだとかは思わない。価格は、需要と供給で決まる(販売戦略も大きな要素だが)のだから、安い方を選ぶのは当たり前のことだ。
生活者の知恵(生活防衛)は、市場競争で活かされていい。チラシで情報を得て、廉価な商品を手にするのは暮らしの常套手段。
目玉商品は、たいてい旬のものが選ばれる。美味しい旬の食材が、安く手に入るのはありがたい。

目玉商品が並ぶ時は、店内も賑やかになる。
っふふ 顔見知りとも出会うが、(あぁ、どこでも工夫しながらやっているなぁ)と納得する。
それが庶民の暮らしの実態だろう。

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今朝の気温12度、曇
  1. 2008/11/16(日) 06:47:42|
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今日もまた

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今日もまた

毎日よい秋日和が続いてる。
13日の朝、濃い靄でどこもぼんやりとした景色。秋にはよく出る靄だが、今年はまだだった。ようやくの靄で(待ってました)と朝食前に出かける。
靄の中にある紅葉を撮りたかった。紅葉は、陽が当たったのもわるくはないが、靄に霞むモミジがなんともいいムードを醸し出す それが狙いだった。

視界がどのくらいなのか? 対向車が突然現れる感じなので、ライトを点けて走る。
ところが、山寺を通り過ぎ、山道にさしかかると靄が無くなり、紅葉の盛りを過ぎて枯れ葉色になりつつある山肌が朝日に輝き、ムードもなにもない。
靄はどういうかたちで発生するのかよくわからないが、肝心の撮影場所に靄がないのだからどうしようもない。

空振りで戻り、朝食を食べる。
うん、山寺まではほんの一走り。車で数分の距離である。私の撮影(妻は『パパの取材』と言うが)は、地元がほとんどである。
他所様のように、撮影のために遠くまで走るようなことはまずない。ご当地の景色や事物を撮る。それが私の方針?である。
みちのく天童の風物や景色を発信していく。天童の春はおそいけれど、当地特産のさくらんぼをめぐる彩りを撮る。
みちのくの秋は早く、美しい(と思う)から、当地の紅葉を撮って発信してく。

12日に、山モミジの散り際に出合って楽しんだ。その余韻がまだ残っており、朝食後に再び山へ出かける。
「少し家でじーっとしていたら」妻の言葉に逆らって家を飛び出す。
昨日の場所のモミジは完全に終わってた。昨日のあれ(さくら吹雪ならず、モミジ吹雪)があったことが信じられないほど、痕跡もない。
自然とは、一日ちがいでまったく姿を変えてしまうのに驚かされる。

未練もなく、昨日の場を通り過ぎ、上流に向かう。場所によって紅葉の姿がかなりちがう。
そこは今日が最高の紅葉だった。明日は、もう終わっているだろう。紅葉とはそういう微妙なというか、繊細な彩りなのである。
感動しながら、写真をたくさん撮る。
まいにち、毎日いっぱい撮る写真がストックされ、季節にズレが生じないか心配だ。
が、まぁ 紅葉にはある程度の期間があるから、許容範囲内でアップしていきたい。

一日で撮る枚数は、100枚前後である。その中から使えるのが数枚。ときに10枚にもなることもある。
一日にアップするのは数枚だから、写真はだんだん溜まってく。

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今朝の気温8度、晴
  1. 2008/11/15(土) 06:26:48|
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落ち葉の彩り

文章が先にあって、画像が遅れてしまう
たくさん撮った中から選んで並べよう

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この辺で文章を入れたいのだが、また文が先行してしまうので...
画像を並べることにする

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今日の歯科診療は、抜歯でなく、義歯の型とりだった
  1. 2008/11/14(金) 16:45:25|
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