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言葉がすべて

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言葉がすべて

麻生内閣の国土交通大臣だった中山成彬氏が、在任5日で辞任した。
中山氏の発言が、国会審議や総選挙への影響を最小限に抑える必要があると判断しての辞任だという。
氏の発言とは、次のような内容だった。
 「成田空港の整備遅れは『ごね得』」
 「日本は単一民族」
 「日教組が強いところは学力が低い」「日教組の子どもなんか成績が悪くても先生になる」

氏は、翌日に発言を撤回し謝罪したが、一度放たれた言葉は『覆水盆に返らず』で、大臣を辞任せざるを得なかった。
うむむ、やむを得ない、というより、当然の成り行きだろう。

人は、何を言おうが 誰からも制限されることはない。発言は自由である。それは国会議員も同じであろう。
自分が考え、信じていることを表現するのは、自由であり、この国では誰にも認められている。
だが、執政府のポストについた人には、タガがはめられる。麻生総理が『政治家と閣僚は重さが違う』と言っているが、単に重さだけではない。

あるポストにつけば、たとえ自分の考えや思いから離れていようが、ポストに求められている任務(仕事)がある。
個人の信条(心情)を抑え、ポストに課せられた仕事をやり抜かなければならない。それが執政府の責任なのである。
一代議士の立場であれば、極端に言うなら、何を発言してもかまわない。その結果は、次の選挙の当落につながるだろう。

しかし、大臣に就任した時から、即その役割(役目)を果たさなければならないわけで、個人的にはタガがはめられる。
代議士の時は、逆説やアドバルーンで反応をみたりすることはあり得るけれど、大臣にはそのような意図は許されない。
言葉がすべて、話された言葉そのままが政府の方針となり、それが大臣の意思表明となる。
中山氏は、そのことをはっきり認識してたのかどうか疑わしい気がしてならない。

本題から離れるかも知れないが...
『日教組強いと学力低い』という中山説が、そもそもズレているという。
 小6の全科目でトップ、中3もすべて上位3位に入った秋田の(日教組)組織率は5割以上。組織率が9割近くと全国トップを誇る福井は、中3の3科目で1位だった(27日付朝日新聞より)。

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抜けるような秋空
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  1. 2008/09/30(火) 10:35:19|
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結婚披露宴

結婚披露宴で

28日、午前は敬老会(報告済み)で、午後には結婚披露宴によばれた。
その宴には400人超の人々が招待され、えんえん3時間を超す披露宴になった。宴には山海の珍味が次々に出され、望みのアルコールが運ばれる。
酒を飲む場は数多くあるけれど、美味く飲めるのはなんといっても結婚披露宴がいちばんである。美しい花嫁姿を見ながら、また楽しい余興を肴に飲む酒ほど旨いものはない。

花婿の父親は、実業家で、国会議員や市長(複数)など豪華?な顔が揃い、宴のはじまる前から名刺交換などがあって社交場となる。
また、花婿は、地元の御輿会のメンバーであり、新郎新婦の宴会場への入場は、木遣り歌とともに法被姿の御輿会の先導という珍しいものだった。
飲めば、こころもゆったり、うん 日頃なかなかゆっくり話し合うこともない人との会話も弾む。

旨い酒を飲み、楽しい会話をし、そして持参のカメラで花嫁姿を撮り、友だちの寛いだ表情を写す。
自身、かなり酔っているから、写真の出来具合などにかまわずに適当?にシャッターをきった。
結果は... この際だから、なにも言うことはない。

けっこう数多く撮った気がするが、うう 数枚だけ並べることにする。

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9月が今日で終わるなぁ
  1. 2008/09/30(火) 06:44:19|
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敬老会

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敬老会

(たまには変わった話題もいいかなぁ)と、今日は「敬老会」を書く。
敬老の日は、9月15日である。けれども天童市では、各公民館毎に敬老会を行っており、9月7日から1月の間に分散する。
28日は、天童中部と干布地区が開催された。そうすることで、市長(と副市長)が親しく参加者に挨拶できる。

天童市の人口は、62,986人(7月31日現在)。内干布は3,199人である。
75歳以上の招待者は、天童市全体では7,611人。人口比は、12.1%とになる。
干布地区の招待者は、515人(16.1%)である。

招待者(75歳以上)を昨年と比べてみると、全体では314人増え、干布では13人増えてる。
全体的に前年より増えている。しかし、過疎地では逆に減じているのをみると、そう遠くない時点で全体的にもそうなるのだろうと考えられる。
現時点では、たしかに少子高齢社会なのだが、このまま何年か推移すれば、高齢者も少なくなるのが見えてくる。

ずーっと以前、住宅団地が出来たばかりの頃は、小学校も学級数が増えた。が、あれから何年間かが過ぎ、今はまた教室が少なくなった。
老人病棟や介護施設も似たような状況を迎えることだろう。
介護保険や厚生年金制度のあり方も、そうした人口推移を前提に考えなければならないのは当然で、政治的な課題もそこにある。

敬老会には、招待者の半数ほどが来たように見えた。
主催者は天童市であるが、実際の担当は、地区婦人会が準備から接待まで行った。民生委員会はそれに協力する形である。
来賓には、公民館長(と事務長)・地区選出市議・区長会長・地区交通安全会長・それに民生委員の顔ぶれが並ぶ。

市長の挨拶がありきたりのものでない。高齢の市長は、歩行もおぼつかなく、今期限りで退任がはっきりしているので、なおさら話が身にしみる。
米寿の高齢者(2名)に市長自ら歩み寄って賀詞を贈る。80歳になった高齢者に敬老金が贈呈される。
来賓祝辞(公民館長・市議の2名)が終わると、祝宴がはじまる。乾杯の音頭は、区長会長。
定番の芋煮が美味い。酒やジュースを飲みながら、踊りや歌などの余興が楽しい。

祝宴の締めくくりに万歳三唱があり、その発声を指名されて行う。
目新しいことをやるわけではない。それでも甲子園野球の宣誓に似たような気分?になるから可笑しい。
っふふ、敬老行事なのだから、ね そう肩肘張ってやることでもない。
前置きの後、「健やかに、長生きしてください」と万歳する。参会者の声が体育館に大きく響きわたる。

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今朝の気温11度、靄 やがて晴れるだろう
  1. 2008/09/30(火) 06:38:22|
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初心者の困惑

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初心者の困惑

   欲張りな胡桃いだきし蟷螂は
これを俳句と言えるのか分からない。落ちてる くるみと遊んだりしながら散歩を楽しんだ。
そこにはなぜカマキリもいた。うう その場面にカメラを向けシャッターを切ったのが、上の画像である。

そして、頭に浮かんだのが「 欲張りな胡桃いだきし蟷螂は」である。
一応は、五七五になっている。だが、「俳句季題辞典」稲畑汀子編(三省堂)に、胡桃は十月の季語であり、蟷螂は九月の季語となってる。
さらに、「俳句入門」土岐秋子編著(日東書院)に、『季語が一つあれあばいい』とあり、季語が二つ入っていたら、季節感がどちらのか分からなくなると書いてある。
現実は、画像で見るとおり、成熟し落下した胡桃と蟷螂が同一場面にある。言えばどちらも秋の季節を感じさせるものだから、季節感が分からなくなることはない。
それでも、ビギナーにとっては季語が二つ、さらに月が同じでないのは(やはりおかしいのではないか)と困惑する。

   朝の虹かたちないもの購えず
先日の朝、薄い虹を見た。数分後には消えるようなあえかな虹。でも、それなりにきれいで印象的だった。
「俳句季題辞典」で調べたら、虹は7月の季語。けれど私が目にしたのは9月。
むむむ こういう場合、どうなるのかなぁ やはり(俳句じゃない)とがっかり

その朝の虹を見て、形も大切にしなければならないが、逆に形のないものも大事にしなければとの思いが強く浮かんできたのだった。
それで、「かたちないもの購えず」の言葉が浮かんだのである。うう、形あっても買えないものがあるけれど...
ここで言おうとしたのは、精神的なものであるが、もっと別の言い回しがあるのかも知れない。うう 推敲しなければねぇ

   山鳥の飛びたつ羽音時止まる
五七五にはなっているが、季語がない。でも、あの瞬間はこんな感じだったなぁ まるで、一瞬時の流れが止まったような感覚。
でも、その後に、なにかの時と似ていると思って考えた。
うう、そうだ、流れ星を観た時のそれに似ている。そうか、「時止まる」を「流れ星」に置き換えてもいいのかなぁ?
流星は季語でもあるし... でも、8月の季語だから、ちがうような気もする。
俳句は、なんと難しいのだろう。作る度に困惑を覚える。

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今朝の気温11度、曇
  1. 2008/09/29(月) 06:35:08|
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初冠雪 2008


   月山で初冠雪  観測史上2番目の早さ
 山形地方気象台は27日、月山で初冠雪を観測したと発表した。平年より18日、昨年より25日早い観測で、記録が残っている1889年以来2番目に早い初冠雪。
 また雲のため観測できなかったが、鳥海山と蔵王でも雪が降っているとの情報があるという。
 日本海から寒気が入っている影響で、同日朝の山形市は9.1度、酒田市で12.4度の冷え込みだった。
          朝日新聞・山形版(28日付)より

   初冠雪 冬の声  立山連峰
 北アルプス・立山連峰の初冠雪を観測したと、富山地方気象台が発表した。平年より12日早いという。
 初冠雪はふもとの気象台から見て、山頂付近が積雪で初めて白く見えることをいう。
 立山黒部アルペンルートを運行する立山黒部観光によると、室堂(2450m)で、雪が降り始めたのは26日午後11時半ごろ。
 27日朝には積雪が2~3cmになり、弥陀ヶ原(1930m)付近でも雪が積もっていたという。
          朝日新聞(28日付)社会面より

本格的な秋になる前に、ね もう初冠雪。
先日、『暑さ寒さも彼岸まで』と言っていた気がするのに... 秋は、ほら ね、高山から、そして北方からやってくる。
うむむ 秋が近づいてきてるのがはっきり分かる(感じる)。

昨日は、秋の交通安全のため四辻に立った。午後には敬老会準備で小学校体育館に行く。
今日は、これから地区の敬老会(来賓として)に、そして午後は結婚披露宴で天童温泉ホテル「滝の湯」へ。

不安定な空もよう
  1. 2008/09/28(日) 08:50:12|
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haikuatama

「俳句頭」に

眠ってて、夜中に目覚める。
朝はまだ遠い。再度眠ろうとしながらも、ある場面が浮かぶ。細部というか、よけいなものがないその情景を見ながら(思い浮かべ)様々な連想が続く。
あるムードと、ある部分(場面)だけが鮮明に見え、言葉が浮かんでくる。ん? そうか、この言葉を纏めれば... 句になるかも知れないなぁ

さまざまな言葉が巡る。(このまま眠ってしまったら、忘れてしまうだろうなぁ)メモして置きたい。
そーっと寝床を抜け出し、書斎へ。先ほどの言葉をメモし、再度眠ろうと目を閉じる。
ん? 再度、先ほどとは違う場面が見えてくる。へへ また寝床を抜け出し、書斎へ。

意識清明の時には、なにかが邪魔し「俳句頭」になれない。なのに、眠りの前の朧な(または、少し混濁した意識)時に「俳句頭」になる。
時田さんは、俳号で意識転換をすると言われる。うう まだ俳句の体をなしていない自分の句(言葉の羅列)に俳号は恥ずかしい。
起きている時に、ちゃんと「俳句頭」に切り替えるにはどうすればいいのかなぁ

「パパ、どうした?」寝床を抜け出す私を妻が咎める。
「思い出したことがあるんだ。ちょっとメモしてくる」
「う~ん、がさごそ うるさいなぁ、もっと落ちついたら、静かにしてよ」妻が寝ぼけ声で言う。安眠を妨げているのが分かり 心苦しい。
(ごめんなぁ)こころの中で謝る。

「パパ、夜中にどうしたの?」起床すると、妻が問う。
「思い出したこと、忘れないように、メモしてたんだ。へへ 俳句をね、うるさくしてわるかったなぁ」
「わるくなんてない。けど パパ そうしたら、ね ここ(寝床)にメモ用紙と鉛筆 置いておけば、いちいち起き出さなくてもいい。スタンド(蛍光灯)もあることだし」
「あぁ、今晩からそうする。寝てるとさぁ いろいろ考えが浮かぶんだ」
「そういうことってある。遠慮せずに起きてもいいんだけど パパがいちいち起きなくてもいいように、枕元にメモがあればいちばんよ」

やはり、日中にちゃんと「俳句頭」に切り替えができるようになるのがいい。
句会など考えれば、そうしない限りはどうにもならない。
清明な意識で、しっかりと見つめ、表現できるようにならなければダメだなぁ

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↓の光景はまるで演出でもしたような、情趣溢れるいい光景ですねえ。”トンボとり 今日はどこまで行ったやら”なんて句もありましたねえ

上のそれは、阿蘇望亭さんのBBSでのそれで、なんとも的確というか、嬉しい書き込みである

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今朝の気温11度、青空が見える
  1. 2008/09/28(日) 05:57:12|
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白い雲

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白い雲

俳句は、どう作ればいいのか? 独りで考えても分からないので、『はじめての俳句づくり』辻 桃子・安倍元気(日本文芸社)を読む。
(なるほど)と思うことがいろいろ書いてある。『なぜ俳句をつくるのか』とか、『俳句はこんなに楽しめる』など、具体的でわかりやすい。
次のような記述がある。
   自然を注意深く見るということ、肌で感じるということも俳句の大きな喜びになります。
そのフレーズを読み、いつか妻が言った言葉を思い出す。

「パパが絵を描くのを見るようになって、景色を見る目が変わった。それまで、雲は白いものと思ってた。でも、雲にもいろんな色があるのね」
空の色も青だけでなく、さまざまな色があり、木の色などは空や雲以上に多彩で、景色そのものが 違って見えるようになったと、妻が言ったのを思い出した。
当時は、妻の言葉をそう気にもせず、「そうだなぁ 雲は白いだけじゃないんだ」などと応えたのだろうが、詳しいことは思い出せない。
が、妻が言った言葉だけは、今でもちゃんと思い出すから可笑しい。

う~む、(なるほど、そういうことなのかぁ)あの時、妻が言った言葉が、今の私に当てはまるのだなぁ
見慣れた自然や街の風景でも、あらためて注意深く見ることによって、それまでとは違って見える。
その変化が、感動をひきだす...

『感じたこと、思ったことを素直に表現す』れば俳句が作れると書いてある。
しかし、素直に表現することがなかなか出来ない。へへ もう充分に曲がっているから? 素直になれないのがくやしい。
「雲は白いものと思ってた。でも、雲にもいろんな色があるのね」妻のように(素直になれたらいいのになぁ)としみじみ思う。

俳句らしいのを作りたい! という思いが先に立つ。
へへ 難しい言い回しもしてみたい気もするから始末がわるい。
『ふだんの散歩で、これだけの素材を毎日ご覧になっているのですから、その風景なり、チョウチョなり、じっと見つめて描写してみてください。そこから何かが浮かんでくるはずです。』
百足さんは、そうアドバイスしてくださるが、むむ なかなか何かが浮かばないから困ってしまう。

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今朝の気温12度、曇空
  1. 2008/09/27(土) 05:42:16|
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俳句へのきっかけ

モチベーション

「俳句事始め」に次ぎようなコメントがあった。
 今度は俳句ですか。定年後の生活も楽しそうで、今から楽しみです・・・が、私が定年する頃には日本はどうなっていることやら、結構心配です。

後半のそれを措いて言えば、俳句をはじめたことに期待されてるのが嬉しい。
もともと短歌や俳句を読むのが好きだった。自分でも短歌もどきを作ったことがある。しかし、俳句は詠んだことはない。
なぜ、俳句をはじめようとしたのか?

テレビで『俳句甲子園』を見た。
高校生たちが、5人でチームを組み、俳句で戦う。俳句そのものの出来具合だけでなく、その俳句をどう評価するか(しないか)を発表し合い、最後に審査員が判定する。
いわば句会の甲子園で、日本一を争う。
それがとても面白く、それが(俳句を作ってみたい)(作れるのではないか)という気分になった。

『俳句王国』(NHK)も以前から見て楽しんでいた。しかし、そこで披露される俳句は、高度な内容で、感心しながら鑑賞(楽しむ)するだけだった。
自分にはとてもあのようなのは出来ないと、はなから諦め、鑑賞を専らとしてた。
ところが、『俳句甲子園』を見ているうちに、なんとなく(あれなら、作れるんじゃないか)と思えた。

それで始めることになった。
しかし、(うう、今日は「しかし」が多いなぁ)はじめてみて、自分の思いが錯覚だったような気がしはじめた。
俳句を作ろうとするが、何をどう表現すればいいのか? なにも頭に浮かんでこない。俳句頭にならないのである。

むむ、しかし、一度決意?し、はじめた(「俳句季題辞典」も買った)からには、そう簡単に放棄するわけにはいかない。
はじめは「俳句もどき」でもしかたあるまい。とにかくできるだけ俳句頭になってやってみることにする。

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今朝の気温18度、小雨
  1. 2008/09/26(金) 06:32:31|
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「お高盛り」に、次のようなコメントをもらった

     いやいやほんとに、絵に描いたように幸せそうなご夫婦の風景ですねぇ。

     こんのさん、次は絵も描いてみられたらいかがですか?絵手紙とか・・。
     こんのさんの描かれたこんのさんご夫婦の笑顔が浮かんでくるようです。

そのコメントへの返事

     うふふ 愚者夫婦ですからねぇ 恥ずかしいです
     あくあさん 絵は上手い?んですよぉ 私が描いた絵、見たことないですか?
     そのうちアップしますね
     昔は油彩でしたが、定年退職前はパステルをやってました

というわけで、以下に約束通りに自分で描いた絵を並べる

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10時10分の気温18度、曇
  1. 2008/09/25(木) 10:06:20|
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イメージと言葉

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イメージと言葉

言葉って面白い。
そう思いながら、あるもどかしさを覚える。
さくらの花びらが散って水面に浮かぶ。一面さくらの花びらとなり、それが風により流され、川面の上を流れる「花の川」になる。

それを「花の川」と言いたいのだが... どの国語辞典をみても、そのような言葉がない。似たような言葉に「花筏」があるけれど、「花の川」のイメージとは別のものだ。
うう 辞典にない言葉を使うわけにはいかない、というもどかしさ。
でも、「花の川」以外に、そのイメージをいい表す言葉を知らない。
散文では、「さくらの花びらが散って水面に浮かぶ。一面さくらの花びらとなり、それが風により流され、川面の上を流れる『花の川』になる。」となろうが、それでは俳句にはならない。

萩の花が、秋風にゆらゆらと揺れている。その姿になかなかの風情を覚える。少し乱れたりしてるのが(いいなぁ)と感じ、それを短い言葉で表現しようとするが、適切な言葉が浮かばない。
単に揺れているだけではもの足りない。イメージとしては「ゆらら」と言いたいのだが... 「ゆらめく」「ゆらゆら」「ゆらら」「ゆらり」と辞書にはあるけれど、イメージのそれとはちがう。
「ゆらら」本来の意味は、玉などが触れあって鳴るさま(広辞苑)なので、萩のそれには使えない。けれど、イメージとして、やはり「ゆらら」なのだがなぁ

自分勝手に使えば、間違っている、そのような言葉はないと指摘される。
だが、イメージとしてはやはり「花の川」であり、「ゆらら」という言い方をしたい。言葉って便利だが、逆に制約があるから難しい。
新語、造語ということもあるけれど、それはある状況(情勢)の中でしか認知されない。

言葉には、一定の意味があり、使い方がある。それを出てしまっては、ね 間違いなのは承知してる。
だけれど、言葉って使っているうちに汚れたり、手垢がついてしまい、肝心の意味あいがぼやけたり、イメージ通りのこころが伝わらなくなることがある。
繰り返しになるが、既存の言葉だけではイメージが表現できないもどかしさもある(語彙不足もあろうが)。

そもそも イメージそのものに曖昧さがある、というか、一つのものを見ても各々のイメージは同じとは言えない。
それを一定の言葉で表現し、共感を得ようとするあたりが隘路なのだろうなぁ
ふ~む、だからこそ、ある表現に共感者を得たときの悦びが大きいのかも知れない。

うっ なんだかだ言ってもはじまらない。
とにかく俳句なら、俳句を作ってみるしかない。いろいろご託をならべても肝心の句ができなければ、なにもならない。
うう 今日もいったい何を書きたかったのか...

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今朝の気温16度、雲多い
  1. 2008/09/25(木) 06:46:05|
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『地 貌』

時田さんが二冊目の句集『地 貌』を上梓された。
「地貌」は、2003年から2007年の5年間に詠んだ1800余句の内の404句を月別、編年体で組んだ句集である。とご自身、ブログに書いておられる。
うう 考えてみると、(凄い!!ことだなぁ)と思わずにいられない。
23日、その『地 貌』をいただいた。

早速 拝読する。(凄い!!なぁ)との思いが深まる。
1800余りの中の404句。一句もらさず順に読み進めている。まだ半分も読み切れない。というか、楽しんで読んでいるのだから、楽しみがまだいっぱい残っている。
それにしても凄いことだなぁと唸ってしまう。一大決心?をして、自分も俳句を作りはじめた。作り出して、たいへんさが分かった。
なのに... 2冊目の句集が立派、というか、凄い(何度も凄いでは拙いのだけれど)なぁと溜息。

難しくてわからないのもあるが、もう少し勉強すれば理解できるだろうから、それも楽しみであるが...
共感する句がたくさんあるのが嬉しい。
       越冬す緑の飛蝗おい御前
       大テーブルに妻と二人や七日粥
       寒暁の夢に恋ふ人ありて夢
       口に手をあてて笑ふ子お年玉
以上は、1月の句からだが、これ以外にもいい句がたくさん並んでる。

月別・編年体という体裁も面白い、というか、(なるほど、いいやりかただなぁ)と感心、納得する。
       額まで我を登りし蟻払ふ
       大方は午睡女は化粧直し
       ぽつと梅雨荒草を打ちぴくと跳ね
       振り向いてグッドバイと舞ふ夏の蝶
       悪餓鬼の笑顔スニーカーに破れあり
以上が、6月の句。ふ~む、これから俳句をやろうとする者には、とても役立つ、というか、ありがたい。
この境地にはたして届くか? どうか分からないけれど、自分の「導き星」なのはまちがいない。できるだけ近づきたい(ムリだろうが)と念願する。
まだ、読み切っていないが、感じること、いいたいこと、質問等がいっぱいある気がする。
いろいろとご指導をお願いしたいと考えている次第である。

時田さん ありがとうございます
これからも、どうかよろしくお願いします

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午前8時の気温19度、日射しが眩しい、真っ青な空
  1. 2008/09/24(水) 07:48:11|
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お高盛り

愚者の一途

40年前、妻22歳・夫28歳で結婚した。
妻は、24歳で長男を産み、26歳で長女を産んだ。
長女は3人の子(男)を産み育てたが、長男はまだ結婚せずに家にいる。
「天童の家」は、母・長男・私たち夫婦の4人暮らし。

母は、毎食を茶の間でとる。テレビを観ながらお膳のものをマイペースで食べる。お膳をこしらえるのは妻である。
息子は、朝食をとらない。昼と夕食を一緒に食べる。卵焼きや焼き魚を皿に盛って食卓を整える。
母と息子には、それぞれ各自の皿に盛りつけるが、私たちのおかずは二人分を一つの皿に盛る。

いつからそうなったか? ずーっと以前からのような気がする。
なぜそうなったか? その理由も判然としない。
恥ずかしい気がするけれど、焼き魚の骨などは、妻の分も私がとってやる。
会社に弁当を持って行く時(退職前)は、その弁当を私が詰めていた。
現在でも、学童へ弁当を持って行く時がある。その際は私が弁当を詰める。それを妻は当然のように思っている。(のだろうか?)

40年前の結婚式のことを鮮明に思い出す。
式は自宅でやった(その頃は、それが通常のやりかただった)。そのセレモニーの中に『お高盛り』があった。
一つの椀に、飯をてんこ盛りに盛りつけ、それを新婦と新郎が仲良く食べ合う儀式である。今のケーキ入刀に似たものかなぁ... イヤ、それよりももっと切実な気がしたなぁ
「こうやってなぁ、末永く夫婦仲良く分けあって食べるんだよぉ」母の姉(伯母)の言葉がいつまでも忘れられない。

うう 考えてみれば、あの時伯母が言った言葉をいまだに一途に守っている。
ご飯やお汁は別椀だが、おかずは一つの皿だし、互いに分けあって食べている。
へへ やはり婿殿なのかなぁ... 風呂も一緒だし、寝るときも もちろん?一緒である。

ふ~むむむ 愚者のやることはなんとも可笑しい。やっている当人が真面目?だから、なおさらだろう
まぁ なぁ 長年やってきたことだから、今更変えてもしかたないだろう。

ふふ 俳句もどきを...

     萩ゆらり偕老同穴お高盛り    
     萩の戸や風通りぬけ鳥啼けり   
     芦刈がヨシと言たり秋彼岸    
     一斉に日本列島彼岸花
     秋彼岸地に落つ蝶に蟻群れぬ
     秋浅し俳句頭になりきれず    こんの

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今朝の気温16度、晴れ
  1. 2008/09/24(水) 06:20:05|
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ヨシ・アシ

散歩道の脇を立谷川が流れているのは繰り返し書いてる。
その川岸で、おじさんが何かやっている。近づいて見ると葦を刈っている。
「あのー 何に使うんですか? それ」
「ん? あぁ、神様か仏様に使うらしい。頼まれたんだ」突然、見知らない男に言葉をかけられ 戸惑ったようで、少しぶっきらぼうな返事。

「ススキではなくて、葦をですか?」
「アシでない。ヨシだよ」おじさんが不満顔で言う。
「あぁ、そうですねぇ。ヨシとも言うんですねぇ」と私。言ってから少し不安になる。(ほんとうに葦をヨシというのかだったかなぁ)

今日は彼岸の中日。それへの関連で葦、いやヨシを使うのだろうか?
ススキなら、ね 月見に使う。だが、葦(ヨシ)を彼岸の中日に...?
そんな使い方があるのだろうか? 

家へ戻ると、早速検索する
   ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭)は、温帯から熱帯にかけての湿地帯に分布する背の高いイネ科の草の一種である。 
   「ヨシ」という名は「アシ」が「悪し」に通じるのを忌んで(忌み言葉)、逆の意味の「良し」と言い替えたのが定着したものであるが、関東では「アシ」、関西では「ヨシ」が一般的である。
   3~4の種に分ける場合があるが、一般的にはヨシ属に属する唯一の種とみなされている。よく似た姿のイネ科にも流用され、クサヨシ、アイアシなど和名にも使われている。
                 以上 Wikipediaより

やはり葦とヨシは間違いなく同じものであることを確かめ ホッとする。
だが、祭祀に使うとすればどんな使い方があるのかが分からない。
いつかも書いたことだが、「天童の家」の下水溜めを埋める時、葦(ヨシ)と梅干を用意し、先ず梅干しを下水穴に入れ、その後にヨシを投げ込む。それを数回繰り返した後に土を入れ、覆土したのだった。
『うめてよし』という語呂合わせを使った一種の祭祀かなぁ...

『考える葦』を刈っていたあのおじさん、私が言う葦に対し「アシでない。ヨシだよ」と言った時の表情を思い出し、ふふ 笑ってしまった。
へへ 無意味と言えば、その通りだろうが、語呂合わせってけっこう気にする人もいるから可笑しい。

正午の気温23度、雲流れ、時折日が射す

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曇り空で、日暮れのよう... 日脚が短くなったなぁ
  1. 2008/09/23(火) 11:57:37|
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形ないもの

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形ないもの

       花一本贈られしこともなかりけむ遺影は花にうずもりおれど     三原市・岡田独甫
『死んで初めて花に包まれるという多くの死者に共通のアイロニーを、僧侶の醒めた視線から歌う』一席に選んだ永田選者の評。
華やかで幸せな人生が、せめて一度でも生前にあったら... どんなにかよかったろう。死んでしまってからでは、ねぇ

       見えるもの見えないものも忘れまじ君残したる震える思ひ      柏原市・芦田恵美子
アフガンで亡くなった伊藤和也氏を悼み詠まれたのだろう... が、この歌は、常々思っていることをも表現しているいい歌である。
形あるものと同じく、イヤ それ以上に形のないものを大切にしたい! そう思い続けてきた自分の気持ちを的確に詠ってくれてる。

       学会誌処分するため束ぬれば思想もただの屍のごとし        静岡市・篠原三郎
う~む、具体的なことを書けないが、わかる気分。

       偶然の重なりだったと振り返るこの妻この職あすは定年       堺 市・坂倉秀樹
無事定年まで来られたのは、よい妻と自分にあった仕事があったから。偶然とはいいながらよい巡り合わせ。運命も努力と周りの人に助けられて開けるもの。
坂倉さん、定年後の人生も楽しいもの...

       立寄りし古き小さな雑貨店「こんにちわ」「お茶のんでいがんしょ」 福島市・美原凍子
福島(飯坂)方言が優しい。「あがらんしょ」

       目覚めれば大きな団扇母の風      大阪市・吉岡和子
       歩いたり駈けたり風とコスモスと    茨木市・瀬戸順治
       夏惜しむいづれの校歌も山河あり    横浜市・原 徹
       夏花火ママ達トーク打ち上げる     愛知県・江平幸代

              短歌・俳句は、朝日花壇・俳壇(22日付)より

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今朝の気温16度、晴れ
  1. 2008/09/23(火) 06:26:27|
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俳句事始め

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俳句事始め

定年退職して8年になる。
退職後は、毎日が日曜日で、気侭に暮らしている。年金生活がこんなにいいとは思わなかった。
しかし、世の中だんだん厳しくなってきてるのを実感する。諸物価が高騰する割に年金はスライドしない。
おまけに後期高齢者医療制度なるものが出来たり、今また総選挙を前に、舛添要一厚生労働相が制度改定を言い出した。
うう 不安定で見通しの暗い社会は御免被りたい。

社会は政治だけで変わるものではないのは承知している。だが、政治はあだ疎かにできない。
間もなく衆議院選挙がある。投票結果次第で日本の政治は変わり、社会も暮らしも変化する。
すべてを政治に期待することはできないが、それでもこの国のありようを方向付ける政治に望みを託すのはまちがいではない。

日本に生まれ育ち、この国で暮らし、そしてこの国で生を終える。自分だけじゃない。子や孫たちも、同じようにこの国で生きる。
自分のいるこの国が、いい国であると思いたい。できれば誇りに思える国でありたい。
そうした国づくりを、政治家と一緒にやっていけるという思いができたら、多少の我慢をしてでもがんばれる。

うう こんなことを書こうとしたわけではない。
日常の暮らしでは、もっと些細なことにこだわって生きている。
へへ できればもう少しましな写真が撮りたい。多少でも共感が得られる文章を書きたい。人並みな俳句も詠んでみたい。そんな思いを抱きながら暮らしている。
短歌は、以前に作ったことがあるが、どういうわけか俳句は試みたことがない。
近頃、短歌よりも俳句に関心が強い。なぜだろう...

どうしたら「短歌頭」になれるのか?
時田さんは、『我貌』に続き、『地貌』を上梓された。
時田さんのアドバイス「先ず始めに、手ごろな季語集の御購入をお勧めいたします。文化としての言葉がいっぱい詰まっております。それを読むだけでも楽しいですよ。無理無く少しづつ、5・7・5の音韻をお楽しみ頂ければ宜しいと存じます。」
そうだ、まず季語集を買うことにしよう

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今朝の気温18度、小雨
  1. 2008/09/22(月) 06:39:06|
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腸を旅する

天童市のキャッチフレーズは、「将棋駒と出湯とフルーツの天童」である。
さくらんぼ、もも、ぶどう、りんご等々の果物が季節に応じて出荷される。
「バナナとパイナップル以外はなんでもある」と、ある果樹農園の人が笑う。

もちろん みかん等のそれはダメなのだが、とにかくさまざまなフルーツが栽培されていて、美味しい果物がいつでも食べられる。
「天童の家」では、すもも・もも・ぶどうを以前はつくっていたが、現在はさくらんぼだけである。
それでも季節になると、方々から美味しい果物をもらって食べている。

「彼岸のお参りに、ね 今年もぶどうでいいでしょ」妻が、お土産品をたしかめる。
ぶどう(ナイヤガラ)を一箱ずつ、近所のぶどう栽培農家に注文しておいたという。
「あぁ、季節のものだから、それがいちばんだ」
この辺りでは、種なしぶどうのデラウエアからはじまり、ナイヤ・キャンベルス・スチューベン・巨峰などが栽培されているが、味・食感から言えばやはりナイヤガラがいちばん美味い。
ただ、柔らかいので傷みやすく 取り扱いがたいへんなので出荷むきではない。

食後のデザートにそのナイヤを食べながらの会話
「パパ、種をどうした?」妻が問う。
「種など気にしない。だいいち種をはき出してたら、酸っぱくて美味くない。種には腸の旅をしてもらうさ」と私
「はっはは、腸の旅をさせる。パパは面白いことを言う。そういえば、パパは西瓜の種もあまり気にしないほう?」
「そう、気にしない。スイカだろうとブドウだろうと、種なんかそのままさぁ」
「みんなは、そういう食べ方しないけど... パパは、野蛮なんだ」妻が軽蔑したような言い方をする。
「いちいち種なんか気にしてたら、味なんか楽しめない! 無害なんだから、気にせず味を楽しむのがいちばんよ。なにが野蛮なものか!」
「へぇ 他人が聞いたら、驚くよ。種はちゃんとのけて食べるものなのよぉ。あぁ 恥ずかしい」妻は、さも恥ずかしそうな顔をする。うう こちらまでなんだか恥ずかしくなってくる気がする。

う~ん、みんな(世間)は、やはり種をのぞいて食べるのかなぁ...
種は、もちろん消化されないけれど、身体に害があるわけじゃない。ブドウやスイカの種くらいは、ちゃんと腸の旅ができ、最終的には体外へ排泄される。
でもなぁ へへ 「野蛮」と言われると考えてしまうなぁ
人それぞれだから、別に他人へ迷惑をかけているわけでないし、どんな食べ方をしたってかまわないのではなのかなぁ...

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今朝の気温20度、小雨
  1. 2008/09/21(日) 06:08:33|
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花たち

うう すでにアップ済みの花たちだが...
同じ花でも、またカメラを向けることがある。だからといって先に撮った画像よりもよいわけでもない
捨てられず(未練)にストックしてたもの

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午後2時15分の気温27度、からっとした風
  1. 2008/09/20(土) 14:14:05|
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イメージとの乖離

イメージと現実の間で

散歩しているとさまざまなものが目にとまる。
稔った田圃に案山子や鳥追いのテープなど、この時期にしか観られない情景が現れ、(あぁ、いい風景だなぁ)としみじみ見とれる。
田起こしからはじまり、田植え、草取りなどを経て実りの秋を迎え、鳥たちに食われないようにと威嚇銃や鳥追いなどで田圃を守る。

ところが、それら人間が考えた工夫に対し、鳥たちはあまり恐怖を覚えないのか、群れをなして稲穂を啄んでいる。
さすがに、人が近づくとさーっと一斉に飛び去る。その情景を目にすると、田圃の持ち主ではないけれど、(憎い鳥たちめ!)と憤りを感じる。
せっかく苦労してここまで育てた稲穂を、そのように大群して啄んだら、収穫量も減るのはまちがいない。農家の苦労と期待を考えれば堪らない。

鳥たちだって生きるために食べなきゃならない。それが分かるけれど、それでもやはり鳥たちが憎くなる。
鳥たちに善悪のそれはない。目の前に美味しいものがあるから食べるだけ・・・ わかるけれど、なんとも悔しい気分になる。
道路脇にある石を手に、鳥たちめがけて投げつける。それでどうなるというわけではないけれど、一矢を報いたいのである。

と、ところが、思い切って投げつけた石が、なんと、狙い通りに飛ばない。群がっている鳥たちの手前にぽとりと勢いなく落ちてしまう。
気分的には、へへ『一石二鳥』とまではいかなくても、いくらかの驚異として鳥たちが慌てて逃げ去る情景をイメージしてた。
な、なのに、投げた石に驚き飛び去る鳥が皆無だった。うう な、なんということか! 切歯扼腕、口惜しさがむらむらとわいてくる。

まだ若かった頃、へへ 速球を投げ、ピッチャーとして草野球のマウンドに立ったこともある。
変化球はいざしらず、直球には自信があった。狙った所へ当てるのは得意だった。
だが、そのイメージで投げた石が、狙った所まで届かない。投げ終えた腕が妙な感覚で力が抜けるのを覚える。
(あぁ 衰えたなぁ)としみじみ思う。徐々に悲哀感がひろがる。

歳(68歳)はあらそえないなぁ 
気持ちは、まだ若い気でいるけれど、身体は確実に衰えてる。歳をとるということはこういうことなのだ。
イメージでは、速球を投げ、走る姿もまだ若々しい。しかし、現実はちがう。イメージと現実の乖離に慌て、悲哀をあじわう。
精神と肉体のアンバランスが、年々ひどくなる。
うむむ これが加齢の現実なのだなぁ

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今朝の気温22度、晴れ
  1. 2008/09/20(土) 05:30:24|
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草紅葉

秋は、北方から、そして高山からやってくる
リンドウを撮りに蔵王へ行った(16日)
「御田の神」付近は、もう草紅葉がはじまってる

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南国に台風が来てるというのに、ウソのような快晴
  1. 2008/09/19(金) 07:05:27|
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夫婦仲

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わがままいっぱい

つらつら思うに、「天童の家」でいちばん我が侭に暮らしているのは自分だろうなぁ
妻が家付き娘で、私は婿殿である。そう「ますおさん」なのだが、いっこうに婿らしくない。
妻は 誰に遠慮もなくのびのびしているようだが... 子細にみれば、やっぱり母に気遣っているのが分かる。

妻の実母は、妻が2歳の時に亡くなった。今の母は、実母の妹である。
よくある話というか、妻のケースとは逆に、夫が戦死し、兄嫁と弟が夫婦になる。終戦直後はそのようなことが多くあった。
今の母は、妻からみれば叔母ちゃん。現在は、母との養子縁組で戸籍上は親子である。

娘や息子への接し方と母へのそれは、やはり微妙にちがう。
いわゆる嫁姑のぎくしゃくした問題はないけれど、実の親子関係のようにはなかなかならない。
その点、私は気楽というか、誰に遠慮なく我が侭し放題? (でもないかなぁ)

母は82歳になり、身体も弱ってきたのが分かる。したいようにして暮らしている。畑に行き 野菜をとったり、寝たいとき寝てる。
友だちと湯治へよく行く。そういう時は、妻ものびのびするのが分かる。
母がいれば、食餌への配慮もするのだが、不在時は その必要もないと言いたげに「あるものだけで食べましょ」と へへ ”吉兆”で済ましてしまう。

う~む 「天童の家」では、それぞれみんなが、気侭に暮らしている。
よく考えてみれば、むむ やはりみんなが少しずつ遠慮というか、他人へ配慮しているのかなぁ
それぞれが許される?範囲で、我が侭に暮らしている。それにはやはりそれなりの自制をしているのかも知れないなぁ

おかしな例だが、いくら暑い日でも母の前で裸体になることはない。トイレが使いたいと思っても、母が使用中は じーっと我慢して待つ。
当然といえば、当然のことだが、そういう節度というか、いくら家族といえども自分の行動や感情をコントロールすることが必要である。

その点、妻には遠慮なしだなぁ
だから、時々喧嘩になる。
いくら華々しい諍いをしても、う~ん そこは夫婦、いつのまにか仲良しになるから可笑しい。

へ 今日はいったい何を書きたかったのか...

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今朝の気温20度、晴れ
  1. 2008/09/19(金) 05:54:06|
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蔵王の空

ホトトギス、ハギをアップした
次はやはりリンドウ、ということで蔵王へ撮りに行った
リンドウは明日オンエアーすることにし、その前に蔵王の空を並べる

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午後1時40分の気温25度、雲多いけれど日が射してる
  1. 2008/09/18(木) 13:44:34|
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『万葉集』で、最も多く歌われ、百四十二首を数える。ただし、芽子(はぎ)などと表記され、萩の字は欠く。
漢名は胡枝花(こしか)。中国では鑑賞の対象にならなかったが、日本では『万葉集』に花見の表現がされ、形見にも植えられている。
ヤマハギ、ツクシハギ、ニシキハギなど十三種ほどが日本に自生。
              「花おりおり」湯浅浩史 朝日新聞社 より

草冠に秋 萩は、やはり日本の秋の花だろうなぁ
春はさくら、夏はひまわりだろうか・・・ それとも朝顔、いや蓮かなぁ サルスベリも夏に咲く花。
秋は、う~む 萩。コスモス、マツムシソウ、センニンソウ、トリカブト、ヒガンバナ、シオン、キクイモ、リンドウ等々たくさんあるけれど、ふむむ

リンドウがもう咲いたろう
トリカブト あの形と色が面白い
フジバカマ あの花にはアゲハが集まる。秋はいろいろな花が咲き、そう その後には錦秋がまってる。

間もなく彼岸の入り、彼岸が過ぎれば、いよいよ秋の色がいちだんと深まる。
秋は高山から、そして北方からやってくる。
10月に入れば、高山では紅葉がみられる。

みちのくからは秋を先がけて発信できる。
「天童の家」でも錦秋と、それに続く冬景色をふんだんに発信していきたい。
ふふ まだ彼岸前なのに・・・ 気分は、もうすっかり秋
ホトトギス、ハギ、リンドウ 東北の秋を楽しんでもらおう

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今朝の気温20度、晴れ
  1. 2008/09/18(木) 05:32:46|
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共生関係


ある方のブログを読み、私は次のようなコメントを書いた。
    Commented by こんの at 2008-09-17 07:20 x
   子どもを可愛がるのはとてもよいことです。可愛がり過ぎはないそうですからご安心。ただし、共生関係には要注意ですが・・・

「共生関係」というあまり馴染みのない言葉を使ったことに、ある気分が動いた。少し説明が要るのかなぁ・・・ と
以下は、あるHPからの転載である
               http://www.pureheart-counseling.com/symptoms/symptoms0170.php

「感情・感覚 →思考→行動」という一連の流れが、個人の中で完結できなくなってしまった状態といえると思います。
この中のいずれかを他者に奪われてしまう(ex.子供の悩みを親が解決してしまう。)と、一連のことについて自分ひとりでは責任を取ることが出来ない状態になってしまい、その結果、漠然とした「未達成感」、「させられ感」、「自分の気持ちや感覚が分からない」といった感覚を持つ事につながる場合があります。

もう一つの説明
「共生関係」は「共依存」的な問題を作り上げる元となる親子関係と理解しても良いのではないかと思っています。

簡単なチェック項目としては、
○親が子供の代わりに、子供の感情や感覚を感じ、それを主張していないか?
○子供の葛藤に付き合えずに、親が子供の代わりに判断し結論を出していないか?
○子供の行動を認められなかったり、待ちきれなかったりして、親が先走って、子供の代わりに行動していないか?
ということがあげられると思います。

親にそのように関わられると、子供は、自分自身が何かをしようとすると、親にそれを妨げられて、つらい思いをすることになってしまいます。ですから、そんな気持ちにならなくても良いように、親が口出しいしたり手出ししたりしそうな部分については、自ら対処しようとしなくなるのです。
更に悪いことに、それは、生涯つきまとうような感覚となって残ります。『指示待ち人間』なんて言葉がありますが、それはそんな習慣が残った状態だと思います。別に、本人にやる気が無いわけではなく、「それを自分が対処するなんて思いつきもしなかった」という感覚の方が近いと思います。
そして、そのような状態に陥っている人たちは、これまでの人生において、それをしないように細心の注意を払いながら生きてこなければならなかった(そういうトレーニングを積み重ねてきた)わけですから、社会人になったからといって、「突然、それをやれ」とか「それができないお前は劣っている」などと言われたら、訳が分からなくなるのは当然のことかもしれません。そして、やっとの思いで「社会人にはそれが必要なことなんだ」と理解できたとしても、成人するまでの間丹念に繰り返されたトレーニングによって身につけた感覚は、とても大きな足かせとなってしまうのです。

これは、「親が悪い」ということを言っているのではありません。 親も恐らく、子供の頃に同じような事情があったはずです。親の親も、親の親の親も・・・・。
しかし、何も悲観する必要はありません。詳しい説明は省略しますが、子供の事をあれこれ言う前に、親自身が、まず、一人の人間として幸せにな れば、世代をまたぐその連鎖はストップすると考えています。そして、親が幸せになるにつれて、子供のことをあれこれ心配しなくても、子供は勝手に幸せになる能力を身につけていくのです。

【親の立場の人へ】
・あなたは、子供に自分の夢を託そうとしていませんか?
・あなたは、自分の心を自分の力で満たそうとすることを諦めてしまっていませんか?
自分の夢は自分の夢です。だから、それは、子供が夢をかなえたところで、自分が夢を叶えたことにはなりませんし、子供の夢は消滅してしまいます。子供に託そうとしているとしたら、それはあなたの昔の夢です。あなたが生きているのは今です。今の自分にしか手に入れられない夢や望みがあるこということと、一度、真剣に向き合ってみることが大事かもしれません。

カウンセラーとともに、もう一度、自分の気持ちとじっくりと向き合おうとすることは、 たった今の自分にとっての夢や希望に気付き、それを手に入れるための具体的な方法を考え 、実際にそれを手に入れることの助けになるだろうと思います。

****
共生関係の親子を何例かみている。親子共々悩みが深く、その治療はなかなかたいへんである。
うん ブログの方とは、別に関係ないことだが、昔を思い出して、つい他人のHPを転載した。

青空が広がってる
  1. 2008/09/17(水) 08:29:51|
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流 星

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「あっ!! 流れ星」

       ちち呼べばちちのこえするはは呼べばははのこえするふるさとの風   福島市・美原凍子
       ふり向けば夕張シホロカベツ川のかの水音ゆわが秋の来ぬ       福島市・美原凍子
夕張から、福島へ戻り、ふるさとの風にちちははの声を感じ、また長年暮らした夕張の懐かしい思いがわいてくる美原さん

       マタニティマークをつけて子を連れて二人に見える三人で行く     高槻市・有田里絵
他人には二人に見えるけれど、うん お腹にもう一人がいるから、ね そう、だから三人...なんともしあわせな気分の有田さん

       赤色の傘を開けば白髪の老女ほのかに紅色となる           広島市・大堂洋子
情景が鮮やかに見える。ほのかな艶やかさが漂う。

       恋みたい君にもらった月下美人咲いていたのは短すぎたね      アメリカ・カーリー.ブラウン
うう、アメリカ人でさえこのようなすてきな歌が詠める。羨ましい!

       盆提灯ともす暗さを待ちにけり     沖縄県・和田静子
       ひと声の同時なりけり星流る      松原市・加藤あや
       威し銃律儀にこだます日曜日      福島県・渡部 健
       廃屋に曼珠沙華燃ゆ帰らねば      横浜市・里中和子

              短歌・俳句は、朝日歌壇・俳壇(15日付け)より

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今朝の気温19度、晴れ
  1. 2008/09/17(水) 06:40:13|
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隠し子


民生委員をやっていると、数は少ないのだが、時に困惑するような相談を受けることがある。
最近比較的多い相談は、介護関係かなぁ
困ったのは、家族関係の相談。あまり具体的なことが書けないので、誰と特定できないほどに若干脚色して書く。

クライアントは、60歳近いご婦人(Cさん・未亡人)。その方が語ったことを要約すれば、次のようになる。
Cさんの一人娘(Kさん)は婿取りで、小学生の娘がいる。Cさんは、娘夫婦・孫娘の4人暮らし。
娘の夫(Tさん)は、会社員で、Kさんとは恋愛結婚。これまで大過なくまぁまぁの結婚生活だった。
ところが、最近、Tさんに隠し子がいることが判明。
それ以来、家庭がごちゃごちゃしはじめ、これからどうすればいいのか困った。

Cさんの相談内容を聞いて、私自身どうすればいいのか困惑してしまった。いろいろと分からない点を確かめたりしながら、最善の道を考えたが、よい方策が浮かばない。
さまざまなことが考えられるが、特にネックは法律的なことがほとんど分からない。慰謝料とか、養育費のことが皆目ダメである。
いっそう家庭裁判所へ行き、その窓口で相談したら、私などより具体的な回答が得られるのではないかとアドバイスする。
「分かりました。ありがとうございます。なにかありましたらまたお願いします」Cさんは丁寧な挨拶を言ってくれたが、自分としては忸怩たる気分。

ここまでが前置き。

「ママ、もし 私に隠し子がいたら... どうする?」ヒントになるような考えがあればと期待し妻に問う。
「パパに隠し子?! ふ~ん、考えたことない。パパに限って、そういうことはないと信じているから」
「でもさぁ、考えるんだよぉ 隠し子がいたら、ママはどうする」
「ムリなことを言わないで、そんなありそうもないこと考えてもしようがないでしょ」
「あぁ、話にならないなぁ。仮定のこととして、考えてみてよぉ。例えば、その子は男か女かとか、何歳になって、どこに住んでいるのとか、相手の女の人は何歳なのとかさぁ。いろいろなことが考えられるだろ」
「そんなこと考えたくもない!」妻の呆れ顔が、だんだんに険しくなる。
うう、くわばらくわばら この話題はやはり拙かったかなぁ...

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今朝の気温19度、曇
  1. 2008/09/16(火) 05:54:02|
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チョウたち 4

ストック画像が多くなったので、またチョウだけど並べよう

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午後4時の気温22度、雲多いけれど青空が見える
暑さを感じないのが嬉しい
  1. 2008/09/15(月) 16:03:07|
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童 女

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子どもの頃

昨日は、山人足だった。
町内所有の山があり、杉が植林されてる。うん、けっこう広い山林で、毎年手入れの人足がある。
3年前、地内を流れる沢に築かれてる堰堤が文部科学省の有形文化財(砂防施設)に指定された。

山人足というけれど、最近は、その有形文化財(堰堤)周囲のアカシアの伐採や下草刈を行っている。
山の下草刈は、急斜面での作業で、上り下りだけでも難儀するが、沢に生えてるアカシアの伐採・草刈りは比較的楽といわねばなるまい。
といっても慣れない作業だから汗が流れ、疲れを覚えるのは当然だろう、

午後3時には、作業を終わし、その後、公民館で慰労会を行う。
山形の秋の定番料理は、芋煮。里芋と牛肉、こんにゃくや葱などを煮込む芋煮鍋は、絶品だ。
アルコールが入り、宴会は盛り上がる。普段なかなか話し合うことのない地域の人々がじっくり話し合う絶好のコミュニケーションの場になる。

Sさんが、私の妻の小さい頃の話をする。「めんごがられて育ったんだものなぁ」「めんごい」は、「めんこい」とも言い、可愛いとの意である。
「毎日送り迎えしてもらった」登下校を親がかりで送迎してもらったという。「今では、珍しいことでもないけど、あの頃は特別だったなぁ」
「病気なのかなぁって思ったけど、そうでもなかったし、一人歩きがたいへんだろうと、可愛くて送り迎えしてたんだなぁ」
Sさんの話を聞き、妻の育ちの一端を知った。ふむむ、妻は、やはり文字通り「箱入り娘」だったんだなぁ

妻は、まったく「おぼこ娘」(今は婆ぁ)である。気持ち・心根は優しい。しかし、驚くほど子ども(おぼこ)の部分がある。
例えば「隠し砦の三悪人」(黒沢映画の題名)の意味がわからない。「砦って何?」と本気で聞く。
(え!!?)と驚くことが再三ある。そんなことでよくこれまで働いて来られたなぁとびっくりする。
でも、彼女は、ずーっと人並みに働き、さしたる支障もなしにやってきた。というより、「優しい やゑちゃん」としてみんなから認められてきた。
現に、学童保育でも責任者としてちゃんとやっている。

(あぁ)と思う。何十年も一緒に暮らしてきたけれど、妻のことはなんでもわかっていると思っていたが、うう そういうことがあったのかぁ
話を聞いてみると、(なるほど!)と納得できる。
妻の知らなかった育ちが分かり、今更ながら妻の「箱入り娘」と「おぼこ娘」が了解でき、なんだか不思議な気分。
夫婦だから、なんでも分かっていると思うのは、錯覚かも知れない。長年一緒に暮らしていても、意外と相手のことが分かっていないのかも知れないなぁ。
Sさんの話を聞いて、妻の「おぼこ」の神髄を知った気がする。

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今朝の気温20度、晴れの予報


「登録有形文化財」で検索したら、あった。正法寺川堰堤が比較的はじめの方に詳しく示されてる
     http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%82%92%E7%99%BB%E9%8C%B2%E6%9C%89%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%AB%E7%99%BB%E9%8C%B2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6
  1. 2008/09/15(月) 06:06:12|
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うつけ

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うつけ

うう、次のようなコメントがあると、へへ 手放しで喜んでしまう。
そんな自分を、(なんともまぁ脳天気だなぁ)と可笑しくなる。
  こんのさんのブログは誰か関係者に読まれるかもしれないということを気にしないで正直に書いていらっしゃる(少なくともそのように見える)から人の心を打つ気がします。
  私も常々そうしたいと思っていますが、あの人が読むかも、この人にどう思われるだろう、と考えてしまって書けなくなることが多々あります・・・。よくないですねぇ。

「天童の家」の原点は、『共感』であるから、その原点になるべく外れないようにしている。
だいたいが、実際にあったことで、こころが動き、こころに残った内容をできるだけそのまま書いている。
もちろん多少のデフォルメはある。

でも、まぁ できるだけありのままを正直に書こうとしている。それが共感へ至る道だと考えているからである。
「パパ、誰が読むか分からないんだから... あまりおかしなこと書かないで! 恥ずかしいことダメよ」妻から釘をさされているが、つい忘れてしまう。
ストレートに言えば、バカなのだろう。うう うつけ者かもしれないなぁ ふふ、自分でそう思うのだから、間違いない。

もちろん私にも世間体というのがある。また、書いていけないようなこともあるのを承知している。
この世の中(社会)で暮らしているからには、やはり建前と本音も使い分けなければならない。
こころに思っていても、言葉として言ってはならないこともある。

意見・考えを表明するのは自由である。しかし、相手のことを考えたら、言えないこともある。
だからいろいろ取捨選択、コントロールしながら書くことは当然である。上のコメントの最後に『よくないですねぇ。』と書いておられるが、反語形だと理解すべきだろう。

なんでも書いてしまえば、たしかに面白いかもしれない。しかし、それをやるのは私のようなうつけ者のやることである。
『共感』が原点であるけれど、うう それ以外にも面白みとか遊びを薬味として使う。
もうしわけないが、デフォルメや遊びもけっこうある。
妻もそのことを知っているから、青筋たてて怒るようなことはない。(またやってるなぁ)と軽くいなしてしまうから、(さすが、我が細君!)とにやにやする。

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今朝の気温21度、雲多いけれど晴れの予報



Re: 忘れ物 阿蘇望亭 - 2008/09/14(Sun) 21:59 No.3488

こんのさんは実に面白いところ(物)に目を付けられますねえ(^O^)
この忘れもの(落とし物)の羽根にしても、目には付いても目を止める人、ましてやカメラを向ける人はめったにいないと思いますよ!それが不思議と絵になるところが面白いですよねえ。

上は、阿蘇望亭さんの掲示板からの転載
  1. 2008/09/14(日) 05:49:16|
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ある出来事

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ある出来事

朝食後、すぐに散歩へ出かける。
昨日(午後4時頃)撮ったヒガンバナとツリフネソウを朝の光で撮りたかった。
ヒガンバナは、どうにか撮れていたが、ツリフネソウは色が飛んでとてもじゃないが見られない。

ツリフネソウは、通常見られるのは赤花で、黄色いのもやや高所に咲いているのを見る。
ところが、赤でも黄色でもない白っぽいのを見かけてシャッターをきったのだが、反射が強すぎて色がでない。
あの白っぽいのをカメラに収めたいと思い、光があまり強くならないうちにと出かけた。

ヒガンバナは、期待してたムードがなかった。それでもなんとか粘って数枚を撮る。
ツリフネソウは、昨日の光とちがってちょうどいい塩梅で、朝露も光ってる。
(まぁ まぁ 撮れたような気がする)と気分がいい。
確実なことは画像処理してみなければ分からないが、でも、シャッターを押した時点でおおよその感じはつかめる。

撮り終わって車に戻ろうと歩きはじめたとき、ケイタイがブルルと着信を告げる。
妻からで、「すぐ帰るように」という。
「どうした? 」問うと、「財布がなくなった。免許証と健康保険証がない。困った」との返事。

鞄から財布だけがなくなっており、よく考えると、財布を抜き取られた場所が分かるという。
「管理がわるかったのよ。私がいちばんよくない。迷惑かけたくない。財布のことは諦めた。保険証と(自動車の)免許証がないと動けない」直ぐに市役所と免許センターへ連れて行っててという。
財布がどこでなくなったか、妻の話で私にも推察ができた。が、そのことには触れないで、先ず市役所へ向かう。

「無料で再発行してくれた」妻が車に戻ると言う。
免許センターは、午前10時30分まで受け付ければ、すぐ顔写真を撮って、時間をおかずして再発行してもらえる。
「写真代とか県証紙代かかったけど、パパのおかげでちゃんともらえたから よかった。パパに迷惑かけ ごめんね」

世の中で暮らしていると、思わぬことが起きる。
他人の鞄から財布を抜き取る奴はわるいけれど、その行為を誘発するような財布管理もよくない。騒いで、迷惑をかけたくないという妻の気持ちを了解することにした。
すっきりしない、いい話でないのだが... こんなこともあったと記録する次第である。

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今朝の気温21度、雲多いが陽が射してる
  1. 2008/09/13(土) 05:59:35|
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チョウたち 3

散歩で、毎日チョウたちに出合う
そのすべてにカメラを向けるのではない。それでもいつの間にかストック画像が多くなる
といって、捨てようとも思わない 撮ってしまえば愛着がわいてくる

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午後4時45分の気温27度、晴れ
  1. 2008/09/12(金) 16:44:45|
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