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思い入れ

微妙なちがい

景色や花などを撮るのと鳥や蝶を写した結果について、微妙な違いがあることに気づいた。
月山に登って 景色と蝶を撮り、その違いに驚いている。なにがどう違うのかを次に記す。

景色は動かないし、じっくりとデーターを変えながら撮ることができる。ちゃんと写って当たり前である。
一方、蝶や鳥は被写体が動くものだから、とにかくピントが合い、ぶれずにちゃんと撮れれば上出来である。
月山の風景を撮り、画像処理し、大きな不満を感じる。撮った風景は、それなりに写っているけれど、イメージに遠い。
イメージ通りに写らない風景画像を見て、落胆してしまう。

ところが、月山でも蝶に出合って撮った。
月山山頂(1984m)で昼食のおにぎりを食べていると、ひらひらとキアゲハが飛来し、まるで「撮って!」とでも言うように笹の葉に止まる。
もちろんカメラを向けシャッターをきる。キアゲハはいつまでも目の前から離れずに舞っては止まり、また舞うことをくりかえす。

また、リフトを降りて駐車場へ向かう道でクジャクチョウに出合い、撮影を楽しむ。
もちろん蝶は人影に気づいては飛び去りながらも、また近づいてくる。
月山でキアゲハとクジャクチョウに出合え、撮影できたことになにか因縁めいた感じさえする。
画像処理し、風景撮影で感じた不全感が、蝶の場合はぜんぜんなく、むしろ(よくもまぁこれほどまでに写ったものだなぁ)という嬉しさがこみあげてくる。

風景写真では、イメージ通りに写っていないという不満感が濃いのに... 蝶のそれはたいした写真でもないのに、なぜか愛おしい感じさえわいてくる。
この微妙な感じ方の違いはなになのだろう。
風景写真は、構図や露光などじっくり考えて何枚でも撮ることができる。
一方、蝶などの動く被写体は、撮影データーなど忘れ、ただただどうにかして写したい!という気分でシャッターをきる。
そこにはイメージとか構図などにかまっていられない逼迫感でカメラを向ける。どうにか写っていれば儲けものみたいな気分...

今回の月山の風景と花の写真はダメだったなぁ イメージのそれにはほど遠いのばかり
山頂でであったキアゲハとリフト下駅近くでのクジャクチョウとの出会いの写真が救いに思われる。
これは客観的なそれではなく、あくまでも主観的な思いである。第三者が見れば、その感じ方はまた違ってくるだろう。
撮影者には”思い入れ”があるから見方も感じようもかわってくるので始末がわるい。
しかし、それで誰かが迷惑するわけではないから、ふふ 笑って済ませることだろう

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今朝の気温20度、雲多いけれど暑くなりそう
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  1. 2008/07/05(土) 06:00:38|
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