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極楽はある

極楽はあるか?

以下は、天台宗僧侶 阿 純孝氏の文章からの抜粋である。

「極楽世界はあるのかないのか」これは大変重いテーマである。
考えるヒントとして、ファラデーの意見を参考にしてみよう。

ある時、科学者ファラデーは学生たちを前にして、こう語った。

「ここにビーカーがある。この中に少量の透明な液体が入っている。これは、ある母親が流した涙だ。
『この液体を化学分析せよ』と言ったら、諸君は科学者だから正確に解明できる。
それは科学的に真実であろう。
だがしかし、その方法によって、涙の本質が理解できたと言えるだろうか」

と、彼は科学的見方の限界を言っているのだ。
私たちは、科学が万能だと思いがちだが、母親が流した涙の心は、客観的に見る科学では理解できない。
その母親に寄り添う同情心。心は心でしか理解し合えない。

これと同じく、極楽世界の存在の有無も物理科学的方法では解明できない。
宇宙に存在する星たちのように極楽世界はあるのではない。
客観的に把握できる物質とちがい、信ずることによって生じる世界なのだ。
(略)

パスカルは「パンセ」の中で、
「死後の世界があるのかないのか、科学的に証明することができないので、答えを控える。
ただし、死後の世界があると思ったら今幸せか、ないと思った方が今幸せか、それなら言える。
私は、ある方がよいと思うから、死後の世界がある方に賭ける。」

と述べている。事実を確かめようがないから賭けるのだ。
私もパスカルのまねをして、ある方に賭けたい。ないと思ったらむなしいではないか。
「信ずれば花開く」と言う。その花が見たいのである。

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↓ 画像説明
  昨日と同じである。ただし鳥が、昨日はツグミで、今日がヒヨドリ。
ヒヨドリは、独占欲が強く、他の鳥(それが同じヒヨドリでも)が餌に近づくことを許さず、追い払ってしまう。
仲良く食べればいいのにと思うが、そうはさせない。憎らしく思ったりするから へへ 可笑しい。

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  1. 2017/02/24(金) 05:07:47|
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<回顧 3.11証言> SOS

<回顧3.11証言>SOSメール 世界巡る

 地震と津波の発生から一夜明けた3月12日午前9時半、ヘリコプターが気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館上空に現れた。
 胴体に「東京消防庁」の文字。建物周囲の水位は1階まで下がったが、着陸できる場所はなく、避難者をつり上げての救助が始まった。

 東京消防庁のヘリが真っ先に駆け付けたのには理由があった。
 公民館には、同じ区画にあった市の心身障害児施設「マザーズホーム」の職員4人も避難。内海直子園長(58)は11日夕、3階部分の屋上から、携帯電話で家族にメールを送信した。

 「公民館の屋根にいる」「火の海 ダメかも 頑張る」
 メールは転送され、ロンドンに住む長男のアクセサリーデザイナー直仁さん(31)にも伝わった。直仁さんはすぐに短文投稿サイト「ツイッター」に救助を求めるメッセージを書き込んだ。
 直仁さんの投稿は、多くのツイッター利用者が引用して再投稿することで「拡散」。ついには猪瀬直樹東京都副知事の目に留まり、ヘリの派遣につながった。

 内海園長は「降りてきた救助隊員にいきなり『園長はいますか』と尋ねられ、びっくりした。電話がつながらず、救助を求められない中、まさに奇跡だった」と話す。
 途中から自衛隊のヘリが応援に加わったが、この日の救助活動は重病人と高齢者、一部の子ども計約50人を収容して終了。残った約400人は2度目の夜を迎えた。

 誰もが疲労していた。脱水症状で吐いたり、熱を出したりした子どもも多く、ヘリが投下したペットボトルの水を飲ませた。

 「水が引いている」。13日朝、公民館に隣接するグラウンドにヘリが着陸可能になった。降下地点まで木の板で道を作り、その上を歩いて順番に乗り込んだ。
 東京消防庁の最後のヘリが飛び立ったのは午後1時。地上から歩いて脱出した人も含め、446人全員が無事に生還を果たした。

 「子どもを火で死なせるのはかわいそうで、いっそ自分の手で楽にしてあげようとまで考えた」
 5月21日に行われた一景島保育所の退所式で、ある母親が担任に対し、公民館での心境をこう打ち明けたという。
 当時、所長だった林小春さん(59)は「津波からは何とか生き延びたが、火と煙で誰もが本当に追い込まれていた」と振り返り、こう付け加える。
 「とにかく子どもを守ろうと必死だった。でももう一晩、公民館にいたらどうなっていたか分からなかった」
=2011年6月20日河北新報

河北新報ニュース 2017年02月20日(月)


↓ 画像の説明
書斎前の軒下には雪がない。そこへ妻が、りんごの皮と熟柿を置く。 はい 小鳥たちの餌にである。
ツグミやヒヨドリたちが早速見つけてやってきた。

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  1. 2017/02/23(木) 05:20:07|
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<回顧 3.11証言>

<回顧3.11証言>迫る猛火 水・食料枯渇

 東日本大震災の津波襲来時、宮城県気仙沼市潮見町の気仙沼中央公民館には近くの保育所に通う0~6歳児の71人を含む約450人が避難した。
一部3階建ての公民館は一時、2階天井付近まで水没し、完全に孤立。そこに猛火が迫った。避難者は極限の状況下で2晩を過ごし、3日目にようやく全員が脱出した。(東野滋)

<緊迫>
 3月11日午後2時46分。気仙沼市一景島保育所は昼寝の時間だった。当時の林小春所長(59)ら保育士は子どもたちに覆いかぶさり、揺れが収まるのを待った。
 外に飛び出し、0~2歳児を「避難車」と呼ばれる大型の乳母車に乗せる。3歳児以上は歩かせ、約100メートル離れた気仙沼中央公民館に向かった。

 保育所は月1回、避難訓練を行い、強い地震後は公民館を目指すことを徹底していた。「緊迫した雰囲気を感じ取ったのか、子どもたちもおとなしく行動した」と林所長。2日前の3月9日の地震で自主避難したばかりだったことも、順調な避難につながった。
 公民館に着いたのは午後3時前。一番乗りだった。近所の住民や水産加工工場の従業員が続々と集まり始めた。
 騒然とする中、保護者も大勢駆け付けた。子どもを車に乗せて連れ帰ろうとするのを、保育士らは必死に引き留めた。周辺の道路では、海辺から離れようとする車の渋滞が発生していた。

<土煙>
 「大津波警報が出ている。ここの高さでは危ないかもしれない」。2階の和室で誰かが大声を上げた。午後3時半ごろ、子どもらが慌てて3階に移った直後に第1波がやって来た。
 白い波は気仙沼湾に面した工場や倉庫の高い屋根を乗り越え、土煙を上げながらごう音とともに迫った。「きゃー」。子どもたちの悲鳴が響く。公民館は衝撃で激しく揺れた。津波は2階の天井付近まで到達した。

 ラジオは今後の波の方が高い可能性を伝えている。すぐに3階部分の屋上への避難が決まった。
 屋上への避難ばしごは、1段目の高さが大人の男性の背丈ぐらいある。子どもは上れない。若い男性5、6人がおんぶひもを使い、交代で担ぎ上げた。
 地震後に勤務先から公民館に避難した会社員沢井克行さん(27)もその1人だ。「怖くて泣いている子が多かった。体力に余裕のある人が手伝った」と振り返る。
 「ボン、ボン」。屋上に上がると、気仙沼湾に流れ出た重油に火がつくのが見えた。炎は海面のがれきに燃え移り、あっという間に公民館を取り囲んだ。

<不安>
 「このまま焼け死ぬのか」。辺りに充満した煙を避けるため、避難住民らは再び3階に戻り、すすで真っ黒になりながら衣類を鼻と口に当てて耐えた。避難者で作った名簿によると、公民館に身を寄せたのは446人。備蓄の乾パンや水が子どもと高齢者に優先で配られたが、とても足りない。水は口を湿らせる程度だった。

 夜になると、厳しい冷え込みが襲った。毛布も少ない。限られた枚数を床に敷き、数人ずつでうずくまった。隣り合った人の体が密着するほど狭く、一晩中立ちっぱなしの人もいた。
 外の火災は続き、公民館は余震のたびに大きく揺れる。沢井さんは不安を募らせた。「水も食料もなく、子どもが多い。救助まで時間が掛かれば大変なことになる」。誰もが眠れないまま夜が更けていった。
=2011年6月20日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。

河北新報ニュース 2017年02月20日(月)


↓ 画像は、昨日の吹雪を撮った。
21日は、雨降りだったが、雨はいつの間にか雪に変わって吹雪く。
もう雪掻きするほど積もらないだろうと思っていたが、ちがった。

22日午後3時頃に、スノーダンプで妻と二人で雪掻きする。
2月中は、雪が積もってもなんの不思議もない。
春分の日(3月20日)にさえ大雪に見舞われたことが珍しくない。

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  1. 2017/02/22(水) 05:20:43|
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3.11から六年

六年目

   福島に終点あらず寒ざらし      福島県伊達市・佐藤 茂

   原発の見ゆる浜辺の寒さかな        川崎市・池田 功

   イシガレイやっと解禁六年目のいわきの海に春の匂いす      福島市・美原凍子

   六年目原乳出荷許されし牛飼いの目の奥にある奥         福島市・美原凍子

   天気予報の後に線量測定値流れています六年目の今も       福島市・美原凍子

俳句・短歌は、朝日俳壇・歌壇(20日づけ)より
俳句(2作)は、金子選者の選である。
短歌(3作)は、上から馬場選者・佐佐木選者・高野選者の選である。また「原乳出荷」は永田選者との共選作となってる。

短歌の作者である美原さんは、北海道夕張におられる頃からのフアンで、年間賞を受賞している実力者である。
今回も、「イシガレイ」が首席、「原乳出荷」と「線量測定値」が次席になっており、思わず拍手をした。

福島第一原発では、廃炉にむけて取組んでいるのだけれど、作業は遅々として進捗せず、原子炉内部をロボットカメラで撮影する試みすら立往生の状態である。

以下は、19日にアップした作品だが、ここでもう一度みてみる。

   三十万年フクシマを見よ冬銀河      熊本市・坂崎善門

   二万年前のラスコー壁画見て核の処分の十万年想う        三鷹市・大谷トミ子

東日本大震災は、2011年3月11日に起った。
あれから間もなく6年になる。忘れようとしても忘れられない人々がたくさんいる。

他方で、オリンピックだ、トランプだ、暗殺だ!と次々に放映されるニュースに、3.11は埋没ないしは風化してしまってることも否めない。

3.11は、簡単に忘れてはいけないことである。
なぜそうなのか?を含めて、3.11を教訓とする必要がある。

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追 加

美原凍子さんのこと

以下は、本田雅和さんのHP↓からの転載である。
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20120413070130001.html


  2度目の故郷喪失

   戻れない道のかなたに一本の白樺(しらかば)の木と風の棲(す)む家 

この短歌は、朝日歌壇の常連で2011年歌壇賞受賞者の美原凍子さんが震災の1年前に詠んだものだ。

 福島県出身の美原さんは30代で愛する人と暮らすために北海道・夕張に渡り、炭鉱長屋に入った。お連れ合いが他界し、30年以上暮らした夕張は財政破綻(はたん)の街に。雪下ろしもままならない独り暮らしでは、と4年前に「第二の故郷」である夕張を去った。

 当時の夕張支局長で美原作品のファンの私が、朝日歌壇に再び彼女の名前を見つけるのに時間はかからなかった。今度は「福島市・美原凍子」の名で、山里の四季を情感込めてうたいあげていた。「風の棲む家」は、空き家となった夕張の古い炭住のことだ。

 そんな彼女を3・11が襲う。2度目の故郷喪失…。

   六万の人ら去りたる福島の山河さみしき春の陽炎(かげろう)


 この慟哭(どうこく)をきちんと受け止めたい。北海道から赴任しました。気づけば彼女を追うように。(本田雅和)



  1. 2017/02/21(火) 05:20:18|
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妖精の魅惑



18日は、散歩日和だった。冬季は、陽が射し、風がなければ散歩日和だ。(笑)
道路は、乾いてる。路肩の雪もだいぶ少なくなってる。雪塊で道幅が狭いが、気にしない。
16日は1117歩、17日は4649歩しか歩かなかったので、(今日はもう少し歩かなきゃぁ)と思う。

曇ってると、くすんで見える雪原だが、陽が射せば、青空と一体になって雪景色が冴える。やはり冬晴れは嬉しい。
果樹農家の人たちは、そろそろ果樹の剪定作業をやりはじめてる。それを横目で見ながら歩く。「天童の家」でも梅やさくらんぼの選定をしなきゃならないが、やりだしたら2~3日で済むから慌てない。
今は、とにかく歩くことに専念すればいい。

16日・17日は、スーパー農道を歩いたので、18日は南へ向かう。立谷川に架かる赤石橋を渡って、大森トンネルをくぐり抜ける。
明確な目的があって行ったわけではない。16日・17日には北へ行ったから、南に向かっただけである。(笑)
途中で、友が運営してる霊園に立ち寄ったりしながら、歩く。

寒くなく、陽射しが時折翳りながらも青空が気持ちいい。なにかにカメラをと思うが、何もない。しかたないことだ。
大森トンネルを出てしばらく歩いた所で折り返す。仙山線の電車が、山寺駅目指し走ってくが、絵になるような情景ではない。
「べにばなメモリーパーク」では、納骨式があるようで、一族揃ってセレモニーに集まってるが、被写体になるものではない。

赤石橋を再び渡った所で、足は自然にそこへ向かう。そことは、あのクズの葉痕のある場所である。
葉痕は、クズ・アジサイ・クルミをすでにエントリーしてある。へへ さらにまたエントリーするわけにはならない。
そう思いながらも、なおもクズの蔓に近寄って、眺める。(あぁ、いるいる、カワイイ妖精たち!)

そしていつの間にか、へへ カメラを向けている。
なんとも可笑しいカメラマン。もう妖精の魅惑に捉えられ夢中だった。
(あぁ、またしても撮ってしまったなぁ)

18日の歩行数は、6136歩となってた。(笑い)

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  1. 2017/02/20(月) 05:14:05|
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